2ntブログ
現在の閲覧者数:

HarryHP

プロフィール

ハリー

Author:ハリー
ようこそ、ゆっくりしていってね( ´ー`)ノ

検索フォーム

MMOタロット占い

FC2カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

カレンダー

08 | 2024/09 | 10
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
未設定
--位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
未設定
--位
アクセスランキングを見る>>

さくら咲く

HeroRisa
HeroRisa

GIFアニメ
GIFアニメ

harrhp

フリーエリア

■ここは、大人向けのファンタジー戦記小説を公開するサイトです。
未成年の方、性的な表現に不快感を感じられる方はご遠慮ください。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第六章 桜雨の幻想

第六章 桜雨の幻想


 春の入り口は、セリアでは雨の季節である。ここ数日雨が降ったりやんだりで、はっきりしない日が続いていた。
 この日も、朝は霧雨が降っていたが、昼前には日が照り渡り、濡れた石畳が眩しく光っている。
――俺はまだ生きている……。
 セリアに帰還後、出迎えたユリウス1世は、特別上機嫌だった。
 連日盛大な戦勝式典を催しては、
「ガノムの赤騎士こと、レッド・アンタレスを討ち、ビルンタールの勇将カスパー・アウツシュタインを討ち、乱の首魁ギードの主力に致命傷を与えた。これほどの武勲を初陣であげよったぞ。末恐ろしいわ!! がははは!」
 などと発言した。
 相変わらず、豪快に酒を飲み、かつ、愉快に豪笑する。
「こいつだが、だ。がははは」
 そして、まるで孫でも褒めるように、何度も頭を撫で回しながら、戦果を誇張して吹聴した。
 それらを黙って受け入れた。抗う気持ちはきれいに消えている。彼ほどの男が、決断し実行するのならば、それだけの意味があるということなのだろう。死んでいった部下たちに、恥じることはない、と思っている。
 そして今、セリアで最も華やかな通り『弥生坂』のオープンカフェにいる。
 目の前を、流行の薄手の服で着飾った人々が通り過ぎていく。手には、色とりどりの傘を持っている。
「嫌よ! こんなの!」
 隣に座るアイラが、劇場のチケットを破った。
「どうして、あたしが、こんな女の芝居を観なくちゃいけないの」
 そう激怒すると、一人席を立った。
「見苦しいところを見せたな」
 とりあえず、冷めたコーヒーを飲み、向かいにいるラグナ・ロックハートとアイリス・ド・サリヴァンに謝罪した。
「追った方がいいのでは?」
「構うものか……」
 ため息交じりに呟く。
「少し頭を冷やした方がいい」
 テーブルの上に散らばるチケットを寄せ集める。
「最近はどうだ?」
 ラグナが話題を変えてくれた。しかし、気分は変わらない。
「いろいろ煩わしいことが多くて、困っている――」
 実際、困っている。新しい領地を得たが、派遣した代官から、毎日のように報告書が届いてウンザリしていた。
「農民が、前領主に対する年貢の滞納や、借金、貸し付けた種籾を帳消しにしろ、と騒いでいるらしい」
 コーヒーのせいだけじゃなく、胸の奥まで苦い気分になる。
「ある代官は、一度そんなことを許せば、付け上がると言うし、別の代官は、農民を怒らせれば後々面倒になると言うし、で悩んでいるところだ」 
「法に従えば、そんな必要はないだろう」
 ラグナがコーヒーを飲み終える。
「借りた物は返す。これは社会の基盤だ。これが揺らげば、返ってくる保証がないなら誰も貸さなくなる。そうなって困るのは、やはり農民であろう」
「まあそうなのだが、今のところ、金が必要なわけじゃないから。ちょっとなら、いいかなぁという気分でもある」
「領主が法を遵守するのは重要な事だぞ」
 ラグナはそう答えた。
 彼は法学に傾倒し、青雲乃志を持って大法院に入院した。そして、地方廻りを終えて、セリアに戻ってからは、エリート街道を邁進している。清廉潔白な彼を、大法院は将来の幹部候補として期待していた。
 ラグナは、カップの持ち方一つにも、知性から来る品の良さがあった。目が厳しく冴えて、瞳は奥深く鎮まっている。一方、首から下は、鋼のように引き締まり、均整の取れた肉体をもつ。文武両道、絵に描いたような好青年である。
 今日は、ビアンカからチケットを贈られたので、彼と彼の許婚アイリス・ド・サリヴァンを誘った。四人で、軽く食事をしてから劇場へ向かう予定だった。
 彼女は相変わらず、美しい。鼻はすっと高く、顎はきれいに尖り、彫りは深い方だろう。しかし、少し垂れた目尻が、冷たい印象に打消し、愛敬のある可愛らしいものにしている。何より、奇麗に透き通った声は、聞く者の心に深く入り込んでいくようだった。
 だが、アイリスが席を離れた直後、急に険悪な雰囲気になっていく。
「だが、君がガノムでやった事は、決して誉められたものではない」
「どういう意味だ?」
 声は笑ったが、目は怒りを含んでいる。
「君は民衆を道具にした」
「はあ?」
「虐殺すると脅し、ビルンタール軍を誘き出して殲滅した。これは軍法に違反する」
 何もかも、自分の一人のせいになっているらしい。とんだ天才戦術家の誕生である。
「その場にいなかったものに何が分かる。戦場では何でも起きるし、何でも工夫しなければ生き残れない」
 つい声に毒を滲ませてしまう。ラグナに対して、このような態度をとったのは初めてかもしれない。
「君の言葉とも思えん!」
 ラグナの汚れを知らない眼差しが貫く。
「君の焦る気持ちは分かる。新しいディーンとして武勲は必要であろう。だが、だからこそ君は法に正道に拘るべきだ」
「俺の気持ちが分かるだと!」
 その言葉で、ついに、感情が爆ぜた。もう怒りを隠そうともせず、さらに、声を荒げてしまう。
「我々はすでに公人だ。そうやって簡単に感情を表すな。公人ならば、私事を捨て去るべきだ。それこそ、人の上に立つ者の有り方であろう」
「ご立派だな」
 拗ねたように、横を向き、脚を組んだ。
「君は将来ティルローズ様の婿になるのだろう?」
「え?」
「ならば、今から言動を慎むべきだ」
「ちょっと待て、何を言っている?」
 突然の言葉に、腰を抜かさんばかりに驚いた。
「ユリウス殿下がそういうお考えだというのは、セリア中が知っている」
「……」
 声が出ない。驚きで強張った体が、逆に溶けるように脱力する。
――殺さずに、種馬にするというのか?
 心がささくれ立つ。そして、要らぬことを言った。
「じゃあ、敢えて聞こう、彼女が暴漢にでも傷付けられた時、お前はどうする?」
「法で戦う」
 迷いのない声で、即答する。
「その剣が泣くぞ!」
 苛立ちは頂点に達した。思わずテーブルを叩く。
「剣では何の解決にもならない。現に君の行いで、多くの人々が君を恨んでいる。禍根は禍根を産む。だからこそ法があるのだ」
「……」
 黙り込む。正論を吐く親友をじっと見た。
 今、この男を傷付けてやりたい、という負の感情を抑えることが出来ずにいる。
「ごめんなさい、お待たせしました」
 そこに調度、アイリスが戻ってくる。彼女はすぐに二人の様子に気付く。
「どうかした?」
 アイリスは交互に両者を見る。
「……」
 ラグナは黙って目を閉じた。
「君には関係ない!」
 一方、感情を整理できずに、無意味に彼女を睨んだ。
「……」
 アイリスは戸惑ったように立ち尽くす。
 まるで悪魔に魅入られたように言葉を失い、蜘蛛の巣に捕らわれた蝶のように、儚げに瞳を揺らしている。
「何でもないよ――」
 ラグナの声はもう落ち着いている。
「まだ仕事があったのを思い出した。今日はこれで失礼する」
 そう言い残して、席を立った。
「……何があったの?」
 アイリスはようやくそう訊ねた。
 だが、何も語ることはできない。自分が惨めだった。とにかく、アイリスを送って帰る事にした。最近では、暗殺、テロが頻繁に起こり、治安が悪化している。
 彼女の部屋は、館とは反対方向にあった。
「このまま帰っては疲れるでしょう」
彼女は気を遣い、部屋に誘った。きっと喧嘩の原因を気にしているのだろう。自分も、怒鳴ったことを謝るいい機会だと考えた。
「お茶でよかったかしら」
 しかし、紅茶を用意する手がカタカタと小刻みに震えている。やはり先ほどの怒気が、彼女を委縮させているようだった。
「申し訳なかった」
 頭を下げる。
「え?」
 彼女は、びっくりしたように、妙な瞬きを繰り返す。
 それほど謝ることが意外だったのだろうか。気恥ずかしくなり、視線を窓へ向けた。そして、偶然、机の上に論文を見つける。
『……神威帝は、戦乱の拡大を望んではいなかった。今こそ軍事力の削減を実現して、話し合いでの外交解決を目指して行くべきである』
 表題は平和論である。
「どうぞ、お茶が入りました」
「……これ、面白い論文だね」
 皮肉のつもりで言った。
「ああ、それ。まだ途中なの」
 しかし、彼女はちょっと照れながら嬉しそうに答える。
「本気かい?」
「え?」
「これらが一方的に戦争を放棄しても、敵は許してはくれないだろう」
 軽く笑った。
「現実的ではないと言いたいの?」
「そうだな。学問としてはいいが、政治ではない」
「そうかしら。神威帝の登場まで、どれだけの人が、エリーシアを統一できる、と信じていたと思って?」
 その口調には、強い信念を感じだ。
「神威帝は別格だ。だが、その神威帝ですら、戦闘を断絶する事は出来なかった。人は何時の日か、誤解なく他者を理解できる時が来るかもしれない。だが、それはまだまだ先の話だ。今の人は、争いを乗り越えられない」
「私はそうは思わないわ。人の英知は争いを超える。その為の法でしょ」
「誰かさんの口癖だな」
 苦笑いして、紅茶を口にする。すっきりとしたいい香りがした。
「ラグナの影響ではないわ。これは知識階級では一般に普及しつつある思想よ」
「では、今すぐ外の暗殺やテロを解決して見せろ!」
 不覚にもまた逆上してしまい、鋭い視線を向けてしまう。
「一度も死の恐怖を体験していないから、そんな甘い事が言える。生きると言う事は戦うという事だ。奪われたくなければ、先に奪うしかない」
「貴方は甘いと言うけれど、その考え方が争いの根源よ」
「この豊かな生活は、天から与えられたものだとでも思っているのか。どれだけの兵士が、この紅茶一杯のために、地獄の中を流離っていると思っている!」
「……ひっ!」
 彼女は、心底ぞっとした顔をしている。何も言い返してこない。そして、驚くことに、涙を流している。
――彼女が泣くなんて……。
 信じられない光景だった。
――それほど、俺は鬼や悪鬼に見えているのか?
 自問自答する。そして、信じられないことが、自分の胸の内でも起こってしまった。
 心が、先ほどのラグナとの会話の中で生まれた負の感情に、再び包まれていく。
――この甘いカップルに、現実を理解させたい。暴力はすぐ傍にあるのだ。
 そして、
――一皮向けば、この二人はどんな姿を見せるのだろうか?
 気が付いた時には、アイリスを抱き締めていた。ここで止めるべきだった。だが、彼女の怯えた瞳に、導かれるように行為を続行してしまう。
「……うううっ!」
 押しつけるように、唇を重ねる。
 彼女は、固く瞼を閉じて、口を真一文字に結ぶ。
「お前は俺を部屋に入れた時から、これを期待していたんだ」
「……ち、違う……うぐぅ!」
 彼女が否定の言葉を吐いた瞬間に、舌を差しこんだ。
 舌を絡め取り、歯茎の裏をなぞり、口腔を犯す。
「ああ、ううん……」
 途端に鼻を鳴らして、さらに支えが必要なほどに脱力していく。
「ひぃいいいい、いやあ!!」
 そして、突然、目を大きく見開いて、金切り声のような悲鳴を上げた。
――ウソだろ……。
 あろうことか、彼女は失禁している。
「ど、どうして、あ、たし……。そんな。見、見ないで!」
 全身をわなわなとふるわせて、引きつった顔を両手で覆う。その指の隙間から、動揺した切った声と嗚咽がもれ始めた。
 尋常な反応ではない。
「俺の目を見ろ」
 しかし、その瞬間、あることを直感した。
――彼女は!
 そして、それを意識した時から、心の奥底で燻ぶっていた怪物が、目を覚まして、這い上がって来るのを感じた。
「見るんだ!」
 顔を覆う手を剥がして、激しく言う。
「ああ……」
 彼女は泣きながらも、命じられたままに、恐るおそる瞼を開く。
「あ、赤い炎が瞳の中に……ひっぃ!」
 瞳の中を覗き込んだ途端に、彼女は震える声でささやき、まるで雷に打たれたようい泣き止んだ。強いショック状態で、もはや悲鳴を上げる余裕もなく、ただその場で凍り付けになっている。
「今、お前を解放してやる」
 彼女は小さく頷く。ほつれた髪の毛を掻き上げて、火照った顔で上げて、ぼーっと潤んだ瞳でじっと見詰める。
「ああ、いじめて……」
 ひとりでに、マゾヒスティックな想いが言葉になって口を突いて出たのだろう。言った後から、酷く狼狽したように口を押えた。
「あ、あたし、なんてこと……」
「縛ってやろう」
 耳元でささやく。
「ああ……」
 涙を流し、唇を震わせて、アイリスは狂喜の表情を浮かべる。
 もう一度唇を奪う。
 それから行為は一気に過激になった。
 手首を素早く括り合わせると、グイッと縄尻を引き上げた。頭の後ろで手を組んだ形を強制させて、背中から胸元にロープを回して、乳房の上下に巻き付ける。
「ンむむッ!」
 口には、丸めたショーツを押し込んだ。
 抵抗できない女を、荒々しい手付きで愛撫する。まず乳首を抓り、さらに、剥き出しの尻を叩いた。
 その瞬間、頭が痺れるような快感が、背筋を何度も何度も走り抜けていく。
「こんなになっているじゃないか?」
 アイリスも、秘唇から溢れ出した愛液を大量に太腿の内側へ垂れ流している。
 この時確信した。お互いが、確信してしまった。自分たちの性癖に、そして、それが見事に合致していることに。
「偉そうな事を言っていても、こういうのが感じる女なんだよ、お前は。変態なんだよ」
 辛辣な言葉で責める。
 アイリスは苦痛の中にある快楽を初めて知ったようで、戸惑いながらも、顔を燃えるように上気させている。
「……もう…許して……」
 アイリスはショーツを吐き出すと、荒い息の中で弱々しく言った。
「……下さいだろ。まだ自分の立場が分かっていないな」
 縄で裸体を叩いた。
「その淫らな身体に教え込んでやる」
「あっ……ひっ……ンぐッ」
 甘美に悶える。喘ぎとも呻きとも思える声が、彼女の清楚な部屋に響き渡った。
「……もっと…もっと…して…無茶苦茶にして……下さい……」
 ついにアイリスは卑猥な言葉を口にした。
 欲望の塊を、ぎゅっと窄まった蕾みにあてがう。
「そこは!」
 さすがにアイリスは抵抗した。だが、構う事無く押し込んでいく。亀頭が強引に蕾みに押し入っていく。
「……ひっ!!」
 根元まで埋めると、狂ったように頭を振り、理性が麻痺したように喚いた。しかし、溢れ出した愛液の量は、さらに増していている。
「うッ……ハァっ!」
 痙攣するように身体を震わせて、一気に息を吐き出す。そして、食い千切らんばかりに、締め付けてくる。
「壊れちゃう……ううっ」
 初めてのアナルセックスでありながら、アイリスは、入れられただけで絶頂を迎えたようだった。
「お尻なのに……お尻なのに……こんなに感じている……」
 口をパクパクさせながら、一人で勝手にさらに昇り詰めていく。
「私はメス犬……性の奴隷……もう戻れない……のね」
 一際大きなうめき声を上げると、一段と高い絶頂に達した。

「きれいだよ、アイリス」
 ベッドの上でぐったりと眠るアイリスにささやく。
「清純派女優より?」
 パッチリ目を開けて、彼女が問う。起きていたことより、ビアンカのことを話題にされたことに驚いた。
「清純ってなんだよ?」
 全身から痛いほどの汗が噴き出ている。
「勘違いしているが、彼女は変態だぜ」
 思わず、あの日の楽屋での二人を思い出す。


……
………
 頬を朱に染め、瞳を潤ませ、ハァハァと荒い息を吐きながら、前の壁に両手をつき、肩幅より少し広く足を開いて、尻を突き出す。
「みて、見て……」
 そこにショーツはなかった。剥き出しの菊座には細い棒が突き刺さり、その下の穴からはだらだらとだらしなく愛液を零している。
 その淫靡な香りに、雄の本能が目覚めていく。
「私は淫乱な……牝豚なの」
 言いながら、ビアンカは自分で棒を出し入れし始める。もう床には、落ちた滴で薄い膜ができている。
 乱暴に尻を握り、ピシャと叩く。ビアンカは快感に酔い痴れて、甘い吐息をもらす。
「ヒヒヒ……ッ!」
「欲しいか?」
「はい……欲しいです」
 細い声が返って来る。目尻でこちらを意識する瞳は、期待に媚びるようだった
「オマンコが空いています。オマンコも、使いって……」
 腰をしっかりと押さえると、一気に欲望の塊を押し込んだ。
「二つの…穴が……気持ちイイ……」
 ビアンカは雷に撃たれたかのように、身体を大きく反らせると、そのまま固まってしまう。綺麗な髪が振り乱され、清楚な顔は淫靡に歪む。
「あっ、あぁっ!! す……凄いっ……あ…あ…ああぁーっ!!」
 ビアンカの純白の肌に汗が噴出し、棒が深く抉ると、腰をくねらせる。
「もっと……もっと……もっと激しくぅ」
 体内に押し入り、柔らかな粘膜を容赦なく、擦り上げる。
「んっ、んんーーーっ!! ぁあぁーーーっ!! ああぁーーーんっ!! ぁあぁん、んんっ、んくっ! あはぁーーーんっ!!」
 ビアンカは、二穴を同時に攻められ、獣ように叫び声を上げる。
 腸の中を棒がかき回すと、その衝撃できゅっと肛門を締める。と同時に、肉襞がペニスを強く締め付ける。
 さらに官能の火を燃え上がらせて、思わず肛門の力が抜けてしまう。すると、さらに深く棒を突き立てられる。快楽の悪循環が、倒錯的なエクスタシーへと導いていく。
「アッ、ああっ!! い、イクゥッッ!!」
 赤く火照った顔を白く冷たい漆喰の壁に押し当てて、長い綺麗な爪が立てる。そして、絶頂の言葉を叫んだ。
………
……


「なに?」
 アイリスが好奇心の目でこちらを見ている。
「女優は、こっちの穴に棒を入れて」
「あん」
 菊座に指をいじる。
「こっちの穴を犯されるのが好きだった」
 秘唇をなぞる。
「すてき」
 アイリスは、瞳を爛々と輝かせている。
 思わず、最高の相棒にキスをする。

 それから、ラグナの目を盗んで何度も行為に及んだ。ある時は、3人で食事しながら足を絡ませ、ある時は、暗い劇場の客席でその太腿をなで、ある時は、ラグナの死角で唇を重ねた。
 罪悪感が、二人の性欲をより燃え上がらせていた。
 そして、ある午後。
 アイリスは手を後ろで組んでいる。縛られている訳ではないが、決して手を前に出すなと命じられて、それに従っているのだ。
 浴室の壁に寄りかかり、その前で、アイリスはしゃがみ込んで、フェラチオに励んだ。
「ん…ンン……んんっ」
ペちゃペちゃ、と卑猥な水音が反響している。
「相変わらず、好きだな」
「はい、ご主人様、アイリスはおチンチンが大好きですぅ」
 そこには、知性溢れる日頃の姿はない。
「くっ……」
 射精した瞬間、アイリスは強く吸う。そして、喉の奥に精子を感じながら、飲み干す。
「ご主人様の精液を飲ませて頂き、ありがとうございます。次はどうぞアイリスのオマンコをお使いください。そして、熱い精液を注ぎ込んで下さい」
 アイリスはそう言うと、両手を背中で合わせたまま、顔を床タイルに押し付けて、美しい尻を高く持ち上げる。
 それに答えて、肉塊をあてがうと、アイリスは自分から腰を振って、快楽を貪った。
「ああっ、はっあっ、うっはっ、はぁああああっ」
 その時、浴室の窓から、ラグナが歩いて来るのが見えた。アイリスの部屋は3階。すぐに登ってくるだろう。
「……あっ!」
 教えてやると、一段とよく締まる。
「どうした?」
「お願いします……早く……早くイカせて…ください。もうすぐ彼が来るわ」
「時間がなくてもイキたい訳だ。お前はつくづく淫乱だな」
「我慢できないんです……だから……お願いします…」
 二匹の獣は、より一層激しく腰を振り続ける。
「ああうぅ……ああっ…ううっ……」
 獣のような声を、アイリスは押し殺した。コツコツという足音がすぐそこまで聞こえてくるようだ。二人は背徳感と、スリルに言い様のない昂揚感を抱き、これまでになく昇り詰めていく。
「ン……んぐぅつ……んんんっ……あはぁあーーーんっ」
 そして、二人は達した。

 ラグナがドアを叩き、アイリスが開く。そして、彼女は最高の笑顔を作っている。
「どうしたの?」
「ちょっと時間が空いたから、公園でも散歩しないか?」
「ええ、いいわ。ちょっと待ってて」
 アイリスは部屋に戻ると、上着とバックを手に持った。そして、死角でそっとキスをする。その顔は悪女そのものだった。
 ラグナと二人で出かける彼女を、部屋の窓から見送った。その後、言いようのない不快感に胸を締め付けられる。
「俺はここで何をやっているんだ……」

 酒の量が増えた。
 酒を飲んでは、自己嫌悪に陥り、また酒を飲んだ。
 ある日、訪問者があった。
 リュックの妹ミリムだった。
「私、来週結婚します」
「よかったね」
 突然の報告に、久しぶりに笑ったような気がした。
「だから、最後に抱いて」
 予想外だった。酒も残っていた。気が付いた時には、もう胸の中に飛び込まれていた。言い訳はいろいろある。
 しかし、震える瞳で「ずっと好きだった」とささやかれて、正直、酒に穢れた心が、清らかに暖まっていくような気がした。彼女の純粋な好意に甘えて救われたいと思った。
「自分で脱ぐから……」
 そう言って、月明かりの中で、ミリムは服を脱いだ。
「さあ、始めましょう」
 彼女は表情を変えずに、仰向けに寝る。
 ここに至って、ようやく判断に迷ったが、そのまま流されて、ミリムの小さな身体に手を伸ばす。
 乳ぶさを揉んで乳首を吸って転がす。軽い快感を彼女の体に与えていく。
「あっ……」
 彼女の早い鼓動が緊張を伝えてくる。その慣れていない反応に、気分も高まり、愛撫を進める。
 口で乳首を含みながら、左手で空いた乳首を摘む。同時に右手を秘唇へと滑らせていく。秘唇に指が触れると、ミリムの身体が膠着して、小さく拒絶の言葉を吐く。
「……ダメ……」
 右の人差し指と中指で、クリトリスを挟み、摘んだり擦ったりして、小刻みに震わせる。
「うぅ……ん……」
 たまらず、ミリムの手が右手首を掴んでくる。
「大丈夫」
 耳元で囁くと、彼女はゆっくりと手を離した。
 それから、彼女の上に乗り、右手を胸に戻して、両手で揉み解しながら、その先端で硬くなっている乳首を舌先で転がした。
「ンン……ン……」
 恥じらいの残る喘ぎを訊いて、腹部へと舌を這わせながら下がる。
「……いぁ…や……」
 ゆっくりと彼女の脚を持ち上げて、湿った秘唇を広げて、そこに口付けをする。
「ハアァァッ……ン」
 彼女は指を軽く噛む。
 クリトリスを集中的に愛撫する。
 快感が恥じらいを上回り始めて、ミリムは顔を何度も横に振り、眉間に縦皺を作っていた。
「あ、あッ、あんッ!」
 思わず、髪を掴んでくる。
 それでも怯まずに、舌を強く押し当てて、襞を抉るように、秘唇の下からクリトリスまでを舐め往復する。
「ンンッーーーンンッ!!」
 小さな波が、身体を何度も震わせて、ミリムは軽く一度目の絶頂を迎えた。
 一度体を離して、その可愛らしい喘ぎを鑑賞する。すると、彼女は余韻で、胸を激しく上下させながら、手で顔を覆ってしまう。
 その手を剥ぎ、ペニスを口に近づける。
 刹那、ミリムは躊躇いを見せたが、意を決したように、大きく口を開いて含んでしまう。
 舌は動かない。口も窄めない。吸いもしない。だが、それがまたよかった。
 口を離れて、ミリムの入り口へと宛がう。
 目的の物が所定の位置に定まると、ゆっくりと腰を沈めて行く。
「うう……」
 先端が僅かに埋まる。それだけでミリムは首を傾げて、目を閉じた。
「あっあん……」
 そして、完全に腰を下ろし、奥深く咥え込む。ミリムは大きく顔を仰け反らして、小さく恍惚の声をあげる。
「んっっ……」
 ミリムは首に手を回して、小さく控えめに喘いだ。その声と肉と肉がぶつかり合う音が重なり合って響いている。
「あっ…あくぅ…あはぁぁぁ…」
 次第に音に水音が加わり、それに伴って、ミリムの喘ぎも速くなって行く。
 額にうっすら汗を浮かべる彼女の上気した顔を覗き込む。その視線に気づくだけで、彼女は顔を蕩けさせる。
「……いっちゃう……」
 ミリムは一人ぐったりとなり、体に凭れ掛かってくる。荒い息の彼女を抱き締めて、額に張り付いた髪を払い、その頭をやさしく撫でる。
「どうして……」
「え?」
「……いや、なんでもない」
 理由を聞くことで、彼女の人生に深く踏み込む事が、なんだか恐かった。
 深く考えるのを止めて、ただ単純に快楽を求める事にした。ミリムの肩を軽く押して、後ろに仰け反らせる。そして、入り口から僅かに入った箇所を攻め立てる。
「うっっ……ひぃっ」
 所謂Gスポットを的確に刺激されて、彼女はそれまでにない快楽に顔を歪ませた。
「ううぅぅぅん……はあぁぁ……感じる…これ…いい……あひぃ…」
 蓬髪の下で、恍惚の表情に満たされたミリムは、淫らに喘ぐ。
「あぁぁぁ……んぅっ……だめェ……はげしすぎるぅぅ……そんなっ……あひぃぃぃ!」
 ピストン運動を加速させて行く。
「イク……イっちゃうぅぅぅ!! あひぃぃぃぃぃぃぃ!!」
 最後に、子宮に届く深い一撃が打ち込み、絶頂に駆け昇らせた。その時、強烈な収縮が襲い、思う存分に、白濁した液を注ぎ込んでしまった。
 翌朝、目を覚ますと、ミリムの姿はなかった。夢だと思いたかったが、濡れたシーツの乱れがそれを許さない。
 そして、日を跨がず、セリアから逃げ出した。


 アウエルシュテット州シロンスク。
 北サイアの中心地ホーランドの南には、美しい断崖の海岸線が続く。この海岸線が深く切り込み、細波一つない静かな小さな入り江が、『シロンスク』である。『アウエルシュテット州』の北端にあり、前面を海、背後を山、南北を断崖が道を遮る、孤立した小さな漁村である。
 この小さな集落の中に、不似合いな立派な尖塔を持った教会がある。名をゴーストドラゴン(幽竜)教会という。
 かつて神威帝に敗れたカリハバール皇帝の雷竜の亡骸が流れ着き、これを鎮魂するために建てられた。それ以来、ドネール湾沿岸の聖地の一つとして、多くの人々が訪れている。
 このシロンスクの背後の山を奥へと進んでいくと、小さな温泉街がある。傷の治療によく効くと言われ、治療のために訪れる人が多い。小川を挟んで数軒のホテルがあり、その中で、一番高級なのが、急な斜面に建てられた木造五階建ての『ホテル・グロス』である。


 肩にタオルをかけて、磨き上げられた手摺や段が美しい光沢を放つ大階段を登り、右に曲がって、同様に磨き込まれた廊下を、一番奥へと進む。
 髪は、しっとりと濡れて、体からほんわりと湯気が立っている。この温泉宿名物の大洞窟風呂で、昼風呂を楽しんできた帰りである。
 つるつるになった頬を程好く火照らせて、上機嫌で自分の部屋の扉を開くと、華美を避けたすっきりと質素な造りの居間へと入った。
 部屋の造りは、居間を挟んで寝室が二つある。通常一家族が借りる部屋だが、泊まり客が多い時は、相部屋として使われている。
「お湯はどうだった?」
 気取らない声で訊いてきたのが、相部屋の相手である。窓辺の椅子に座り、本から顔を上げて、愛想のよい笑顔を向けている。
 内心で、「まだ帰らないのか」と呟きながら、精一杯の社交性を働かせて答える。
「どうって、いつも通りだ」
 テーブルの上には、すでに二人分の食事が用意されていた。
「相変わらず、芸のない返事ね」
 人の良さそうな顔で、「一緒にどうぞ」と手招きしている。
 改めて、相部屋の相棒を見て、溜め息を一つ落とした。どうも苦手である。
 人と接する事が恐くなり、一人雲隠れして、セリアから遥か遠いこの地へ流れ着いた。
 ホーランドから船でシロンスクの入り江に到着すると、鏡のような水面に教会の尖塔が、まるで島のように浮かび、その風景に魅入られてしまう。
 そして、宿泊場所を求めて、この温泉宿に辿り着き、そのまま居着いてしまった。
 最大のお気に入りは、大洞窟温泉である。
 全長50mの鍾乳洞のような岩のトンネルがあり、湯気で曇る中を、奥まで進むと、180度のパノラマが広がる展望風呂に辿り着く。
 そこで腰まで湯に浸かりながら、シロンスクの入り江を見下して、口笛を吹く。それを潮風が吹き消してくれる。
――俺の判断一つで、他人の人生を変える事など造作もないこと……。
 これは、あれほど憎悪したソロモンそのものである。自分が何時の間にか、倒すべき怪物そのものになっている事を自覚、そして、恐怖した。
 不意に、木刀抱き締めて眠り、剣豪と呼ばれる事を夢見ていた少年の時代が、鮮やかに蘇ってくる。アスガルドを一人で旅立って幾千の夜を過ごしてきたことだろう。
――ここで、何時までもこうしていれば、もう誰一人傷つけることはない……。
 そんな事を湯で逆上せる頭で考えていた。
 そんな時に、相部屋を頼まれた。やってきたのがこいつだった。
 いきなり馴れ馴れしく話し出すと、自分の事を絵師だと言った。シロンスクを描きに来たとも言った。
 陽光のように明るい金髪に翠の瞳をした美形である。身長は少し低いぐらいだろうが、線は細い。よく日に焼けた快活そうな肌の色をしていて、少年のような爽やかな笑顔をする。
 着ているものは粗末な生地だったが、色の取り合わせなどにセンスを感じさせた。
 家族用の部屋を独占するのも悪いと思ったし、他に部屋も空いていないということだし、それに第一印象が良かったので、一緒に居ても悪い気分にはならないだろうと思い、相部屋を同意した。
 しかし、夜になってガウン姿を見て、それは間違いである事が分かった。
 視線を釘付けにする、魅惑的な膨らみが胸にあるのだ。
「女だったのか?」
「気にするな、慣れている」
「……そうじゃなくて、部屋変われよ」
「今更面倒だ」
「……」
 あまりにもあっさりとしたその口調に、すっかり彼女のペースに巻き込まれてしまった。
――何者なのだ?
 こちらの戸惑いをよそに、彼女は自由気ままに振る舞っている。
 男だと思わせていた方が、安全だと語った。旅の出会いは大切にしたいとも語った。確かに男っぽい性格で、仕草などには全く色気を感じさせない。しかし、肉体は頗る挑発的である。
 考えれば考えるほど怪しい奴である。究め付けが名前である。自分で『オーギュスティーヌ・ディン』と名乗った。怪しさの極みという感じである。

 シロンスクは雨期に入っている。窓の外は絶えず曇り、断続的に小雨が降っている。
 目の前に座る男装の美女は、降るのか降らないのか、はっきりしない天気に、文句を言いながら、視線を窓の外へと向けた。
「あ、今日も走っている」
 彼女の呟きに視線を外へ向けた。
「あれよ、あれ」
 と言って、窓の下の川原を指差した。そこには霧雨の中、ダッシュを繰り返す少女の姿があった。
「知り合いかい?」
「君は観察力ないなぁ。毎日走っているじゃない」
「そう? ……おっ、少年だ」
 その少女の横で、ちょっかいを出している少年に目を留める。この温泉宿の次男坊で、この部屋の接客担当でもある。
「あいつは凄いよ。何にも考えず生きている」
「それ誉めているの?」
 くすくすと笑う。
「勿論だ。尊敬すらしている」
 ゆるぎない声で、きっぱりと断言する。
「あっ!」
 突然、男装の謎の美女が叫んだ。
「何だよ、いきなり」
「これ忘れていた!」
「何?」
 円筒形の筒を手渡される。ちなみに、すでに開封済みである。
「中身は『破門状』みたい」
「……って、勝手に開けたのかよ。……って、嘘ぉ!!」
 慌てて紙を取り出す。そこには紛れもなく、北陵流からの破門が記されている。ソロモンの死後、北陵流は勢いを取り戻しつつある。その一環だろうが、あまりにも薄情に思えた。
「俺が何したって言う……いや、したけどさぁ……」
 確かに、南陵流それも宗家である極聖十字流代表として天覧剣術大会に出場している。
「でも、破門するほどの事な……事だけどさぁ……」
 知らぬうちに涙が出ていた。
「そうよね。いつまでも、北陵流を名乗るのも変よね」
 顎に人差し指を当てて、屈託なく言う。それから、謎の男装の美女は、頭を、よしよしと撫でてくれた。
「まぁ飲め。朝までつきやってあげる」
 翌朝、ほぼ日課になっている、朝の散歩に出かける。昨夜飲み過ぎたせいで、少し頭が重い。何度も濡れた地面に足を滑らせながら、丘の上にある小さな祠に続く、遊歩道を登って行く。
 途中、道の脇の林から、奇声と空を切る音が聞こえてきた。
――剣筋がバラバラだ。それに遅い……。
 林の中で、少女が素振りをしている。彼女が気付くと、その視線から逃げるように再び歩き始めた。
 祠の前に座り込む。眼下にはシロンスクの入り江が見えた。青い海と黒い民家の屋根、そして、白い教会の尖塔が綺麗だった。
 その時、背後で声がした。
「……あんた……」
 振り返ると、さっきの少女が立っていた。
「……あんたも傷の治療に来たの?」
 無言で、腕の傷を見せた。ガノム戦役で負った軽い傷である。
「あたしは腰。癖になっちゃったみたい」
 少女は横に立ち、眼下の風景を一緒に眺めた。
「こんな風景見て楽しい?」
「わりと」
「ふーん、私は見飽きた」
 そして、少女は帰って行った。
 その後も、まだ海を見ていた。
 セリアの湖とは明らかに違う。やはり海の潮風が好きだと思う。
――俺は一体何をやっているんだろう……。
 人との接触が苦しい。だが、同時に寂しさが人を求めてしまう。己の不甲斐ない心が情けない。
 草原の上に座り、潮風の香りを感じながら、そんな事を一人考えていた。
 しばらくして、微かな足音がした。
「いい景色ね」
 背後から声がする。一々振り返らなかった。
「横に座ってもいい?」
 そう言いながら、彼女は答えを待たずに、横に腰を下ろす。
「で?」
「で?」
「何のようだ?」
 ああ、と彼女は頷く。
「反乱らしいよ」
「はぁ?」
「下に見える教会で、『ヒュドラ党』の『ピエリック・ドゴール』という男が、新しい州侯を捕えようとしたらしい。でも、来たのは州侯の代理だったらしくて、今頃、修羅場じゃないかしら」
――代理……?
「ドゴールという男は、評判のいい男らしい。道理をわきまえて、仁道に篤い知者として知られているそうよ」
「そんな男が謀反か? よっぽど州侯は悪人らしいな」
「本人が言うのだから、そうかもね――」
 彼女の声は、これまでと違い冷たい。
「まさに疾風怒濤の時代という感じね。時代の潮流の前では、誰も強者ではありえない。知者と呼ばれる男ですら道を踏み外す」
「ああ……一寸先は闇だな」
 ほんの数年前は剣で身を立てようと思っていた。それが一瞬で全てを失い、また、あの強大だった敵を上回る権力を得た。今後どういう流転が持っているのだろうか。
 彼女は溜め息を落とす。
「タフな時代だからといって、目を伏せてばかりじゃ、何も見えなくなるわよ。君、あの走っている少女をどう思った?」
 一度、瞬いた。
「分からないでしょう。憧れの世界に少しでも近づきたいという気持ち?」
 鷹揚に何度も頷く。そういう輩はたくさん見てきた。
「彼女はエッダでは通用しない。エッダは天才になりたい者が行く所じゃない。天才が行く所だ」
「やっぱり君は何も分かっていない。あの少女は他人の力なんか望んではいなかった。それすらも見抜けない訳?」
 彼女は射るような視線を向けてくる。
「……」
 その視線に晒されて、力なく沈黙する。
「権力に翻弄されて苦しい。孤立して寂しい。だから壁を作る。するとさらに虚しさが襲う。それでクールなふりして、いつも敵を求める。傷付けば、誰かの慰めを求める。ああ、勿論、一般論よ」
「……」
「行って、見て来るといい。このタフな時代の中で、目を伏せている人々を」
 そう言って、彼女は去って行った。
「タフな時代か……」
 そう呟きながら、教会を見下ろす。

「なあ、まだ終わらないのかな?」
「そうだな」
 見回りを行う兵士二人が、話をしている。二人はともに十台半ばぐらいだろう。
「お前これ終わったらどうする?」
「上の学校でも行こうかな」
「俺は畑を買って、家族で一緒に暮らすんだ」
 二人の背後に回り込む。
「こんなガキを巻き込んで……」
 手刀で呆気なく気絶した。そして、木の陰で二人を縛ると、その鎧を着た。

「州侯には我らの声は届かなかった。重臣が握り潰したのだ。その者は、私の名声を妬んでいる。だから直接、州侯に私の声を伝えなくてはならない」
 ドゴールが壇上に立ち、演説を行う。

 ドゴールは『アウエルシュエット』に鳴り響いた傑物であった。セリアの太学を卒業した後、帝国の官吏になるのが一般的であるが、敢えて地元に戻った。当時アウエルシュエット州の財政は破綻していた。
 前領主『マイセン侯』は、文化芸術を奨励した。10万平方キロの広大な庭園を築き、そこに、多くの芸術家を集めた。アトリエ、劇場、美術館などを次々に建設、大規模な芸術祭を年4回ほど開催した。当然の如く、借金は雪だるま式に膨れ上がった。
 しかし、文化を独占する事を嫌い、一般公開して、民にも触れさせていたため、州全体的に文化水準は高くなり、金銀細工などの多くの特産品が生まれた。かつ、多くの人物を輩出する。
 ドゴールもその一人で、近隣の若者を集めてヒュドラ党を名乗って、マイセン侯の悪政を糾弾する運動を興す。
 ドゴールの声は正論であり、清廉な理想の世界だった。
 マイセン侯の理不尽は暴かれて、急速に求心力を失っていった。結果、州は混乱し、多額の借金の果てに、マイセン侯は破産してしまう。そして、責任を問われて改易を命じられた。
 ドゴールは州の立て直し策を、新たに州侯となったハルバルズ家に提出する。が、当主は行方不明で、代わりに、重臣の『ジークヴァ ルト・フォン・バクダッシュ』が応対した。
 彼はそれらを尽く退け、尚且つ、ヒュドラ党から誰一人召抱える事がなかった。
 これにドゴールは不満を抱いた。そして、この神威帝に所縁のある教会に、州侯が礼拝に訪れると予測して、これを待ち受けて、直談判しようとしていた。

「新しい州侯は、領地の運営よりも、軍に出仕し自らの出世にしか興味のない人物だという。しかし、貴族とはそういうものだ。政務とは厭いものだ」
 ドゴールは、彼の信奉者たちに語る。
「残念ながら、今この州は病んでいる。ならば政務に専念する者が必要だ。それも地元に精通した者こそが必要なのだ」
 眼が強い光を放っている。
「バクダッシュでは無理だ」
 さらに口調が熱くなる。
「領主とは本来民を助ける者だ。それが出来ないのであれば、全権を委任した者を置かれて、政務を代行させるべきだ。民は貴族のおもちゃではない。我々は命を賭して、我が理想を申し上げる」
 ドゴールがそう言うと、後ろの男が声をかけた。
「時間だ」
 その男は、無精髭に、赤く濁った目、そして、常に酒の臭気が漂っていた。容貌は変わっていたが、天覧試合の決勝で負けたアンドレス・ケイセンであった。
「こうなったら戦うのみ。ここは海と山に守られた難攻不落の土地。負けはしない。なぜなら正義は我らにあるのだから、民は我々を支持し、それは州侯も無視できないだろう。あのバクダッシュより私の言葉が正しい事を認めるのは時間の問題だ」
 ドゴールは力強く語った。迷いながらもヒュドラ党の面々は頷く。そして、アンドレスは唾を吐いた。
 その時、シロンスクの入り江を封鎖する州軍から、声が聞こえてきた。
「ピエリック・ドゴール。私だ。太学の同期として言う。こんな茶番はもう止めろ。もはや峠も我々が抑えた。逃げられやしない」
「黙れ!」
 ドゴールはバルコニーに出ると叫ぶ。
「我々は義によって立った。民の心情、地の条件、天の理を我々は知っている。ならば、この州の為に成すべき事も、最も熟知しているのは我々だ」
「知っているから、何かが出来る訳ではない。現にドゴール、君は逆賊となった」
「逆賊……馬鹿な。私は正義を示している。お前こそ州侯に取り入り、私を排除しようとしている逆臣ではないか」
「排除などしていない。君の建白書は見た。あれは現実の政策ではない。『税が高い、だから下げろ』『道がないだから造れ』など理想論を並べ、政治を批判しているだけだ。君は政治家ではない、評論家だ。故に私は君を採用しなかった。君は在野にあっての人だ」
「ほざくな。お前の学生時代の成績を俺は知っているのだぞ。俺の足元にも及ばなかったお前が、俺を見下すような事を言うな!」
「我々はもはや学生ではない」
「お前は俺が恐いのだ。俺の方がこの州を巧く導けるからな。だから俺を憎んでいるのだ」
「私はハルバルズ家を背負っている。人事を私物する事はない。それぞれの立場があるのだ。いつまでも甘ったるい事を言うな!」
 次第に、バクダッシュの声が荒くなって、感情的になっていく。
「甘いのはテメエだ。テメエなんぞに一州が動かせるかァ!」
「だったら、実績をもって示せ。お前は紙の上でしか何もしてないじゃないか!」
「俺はマイセン侯の失政を戒めた」
「だから口だけだと言っている。この現状を見ろ。州を荒廃させただけだろうが!」

「……子供の喧嘩だな」
 溜め息を吐いた。もう聞くに堪えられない。ゆっくりとドゴールの背後に近づく。
「危ない!」
「何?」
 ドゴールが振り返り、アンドレスが飛び込んできた。
「シン、貴様を殺す日をどれだけ待ったか。死ね!」
 アンドレスは剣を抜いて、襲い掛かってくる。それを軽くステップを踏んでかわす。
「荒れているな……」
 天覧試合の時のように、正確無比な剣捌きはない。
「お前のせいで俺の人生台無しだ。死んで詫びろ」
「情けないやつ」
「何をぉ!」
「それが剣聖といわれた男の台詞か」
 笑いが込み上げてくる。タフな時代の中で目を伏せている、と言った彼女の言葉を思い出している。
――どいつもこいつも、確かに何も見えていない……。
「お前を殺して、その名を取り戻す」
 アンドレスが剣を振り下ろす。それを冷静に見た。そして、その手首を掴んで、腰に乗せて投げ飛ばす。
「ぐがっぁ!」
 アンドレスは床に叩き付けられて、そのまま蹲った。
「お前はまだ多くのものを持っている。贅沢にそれらを捨てるな!」
 心からの叫びだった。
 そして、ドゴールの方を向く。
「消えろ。これ以上、ガキは要らん」
 そう吐き捨てて、教会を後にした。

 その足で、温泉街へと向かった。すでに陽は落ちている。川沿いの道に、オーギュスティーヌはいた。
「もう終わったの?」
 声は柔らかい。
「何とか」
 素直な笑顔で彼女に向き合える。心に凱歌のような明るい光が灯っている。
「あれ、何だっけ?」
「うん?」
「えーと、あ、『タフな時代の中で、目を伏せている』だ。うん、何となくだけど、実感できた……ような気がする」
「そう、適当言ったのに」
 なんだ、と笑い、それに彼女も応えた。
「目を開けて見れば、なんだなぁ、悲劇の主人公が多過ぎだ」
 時代は厳しい。
 自分が真実何を望んでいるかも分からない。だから、見識者と言われた男ですら道を踏み外す。
――ドゴールは、己の声を訊いて、これからどう生きていくのだろうか……?
 正義の為に決起したと言いながら、心底には同期への反発があった。自分を蔑むだろうか、新たなる正義を自己の中に見出すだろうか、だが、それはドゴール自身の問題だった。
「ふーん、何か変わった?」
「いや、何も変わっちゃいない。俺如きが時代の流れを変えることなど……」
 確かに何も変わっていない。だが、自分の中で何か一つ踏ん切りがついた。それだけだが、それまでと世界の色が違う。
「まあ、なんだな。俺はこれから、どうなるか分からんが、顔を上げて行こうと思う」
「そう、いいんじゃない」
 その時、雨が降り始めた。しかし、雲の切れ間には、まだ月が見える。銀色の光に、水滴がキラキラと輝いている。
「踊ろう」
 彼女を誘った。
「音楽は?」
「雨音を聞いて、それから、風の音も、それに、波の音も聞こえて来る」
「ほーお、そう言う事を言うようになったか」
 二人は一礼すると、手を合わせた。
「これは、タンゴ?」
「ワルツだよ」
 楽しそうに笑った。
 いつか何処かで、彼女と再会できる、と何の根拠もなく確信していた。その時は胸を張って堂々と名乗ろう。そして、彼女の本名を聞こうと思った。

第五章 戦場の幻想

第五章 戦場の幻想


 殺伐としたガノムの大地を、薄化粧したように薄く白い雪が積もっている。その上を騎乗して進む。
 明け方、広い大地に寒気が張り詰めていた。黒い雲の隙間から、青白い光が階段のように差している。積もった雪は凍り、凍った雪を暁の光が照らして、世界は、穢れた存在を許さぬほど、白く輝いていた。
 ギード子爵は、約一万の軍勢を国境へと向かわせ、両軍は、国境をなすサイファ川で、対峙する事となった。
『敵は装備、士気で劣る。我が軍が整然と軍列を前進させれば総崩れになるでしょう』
 作戦参謀はそう言っていたが、連日の矢の打ち合いでは、ほぼ互角であり、攻め手にかけていた。
「壮麗ではあるが、……まるで曲芸だな」
 疲れからか、思わず茶化してしまった。
「ゴホン」
 そういう場合は、副官が、窘めるように咳払いする。

 彼は『秋月ゴウ』という。階級は中佐で、ユリウス1世が付けた監視役である。
 ワ国人で、厳格な顔つきと僅かな顎鬚をたくわえている。性格は、誠実温厚で部下から人望があり、不屈の忠誠心は、上司からも信頼されていた。
 経歴は申し分なく、参謀本部出身にもかかわらず、連隊を指揮した経験もあり、参謀だけでなく司令官としても、優秀な働きを残している。
 戦場では堅実な用兵を好んだ。常に敵よりも有利な立場を維持し続ける事に拘った。

「……」
 たまらず、首をすくめる。
 どうも苦手だ、と思う。ワ国人の年配者には、頭が上がらないらしい。
 その時、秋月が叫ぶ。
「敵です!」
 我々は、偵察に出ていた。渡河可能な場所を見つけるために、川を上流へ遡っている。
 そこへ前方から敵騎兵が現れた。
「伏兵か?」
「敵の目的は威力偵察です」
 思わず呟いた疑問に、直ちに秋月が答える。
「潰すぞ!」
 騎馬の腹を蹴って、速度を上げる。
 敵もすぐに気付いた。騎馬の向きを変えて、対峙しようとする。
 両騎兵は、同じように一列になって進む。
 すれ違いながら矢を射かけ合うようになる、と思われた。しかし、敵騎兵の先頭が明らかに速度を落とした。騎乗しながら矢を番えることにもたついているようだった。
「ここだ、ついてこい」
 勝機だと思った。騎馬を120度ほど急旋回させる。遠心力で吹き飛ばされそうになるのを、必死に踏ん張る。そして、敵騎兵の前を抑えることに成功した。
 弓矢は苦手である。ハンター時代に覚えた円月輪を素早く投げる。しかし、秋月以下騎兵は、さすが精鋭である。誰も脱落することなく。見事に矢を放っていく。
 敵騎兵前を通り過ぎて、反転する。
 見れば、敵は、無数の矢を受けて次々に落馬している。隊列は乱れていた。
 再び、騎馬を進める。刀を抜いて、敵の中へ切り込んでいく。
 そして、指揮官らしき人物の槍を掻い潜ると、鋭い閃光とともに刀を振り抜く。
「隊長が打たれたぞ!」
 敵騎兵は、総崩れとなり、バラバラとなって退却を始める。それを追う。そして、敵が渡った渡河場所を突き止めた。
 大きな戦果であろう。敵に損害を与えたし、新たな渡河地点も発見できた。しかし、戦況には影響ない、はずだった。
 その場に残り、しばらく渡河地点を調査していると、敵の大軍が押し寄せてきた。
「敵が奪還に来ました」
 秋月が報告する。だが、渡河できる浅瀬は狭く、あの大軍が一度に渡れるはずがない。
「本軍へ伝令。総員、迎撃戦用意――」
 腹の底が声を絞り出す。まるで自分自身を奮い起こすようだった。
「ここが戦いの正念場だぞ!」
「おお」
 さすが精鋭揃いである。返ってきた声はどれも勇ましく、士気は高い。
「敵の騎兵が来ます」
 秋月が落ち着いた声で告げる。
「放てェ!!」
 川の中を進む敵騎兵に、矢を浴びせる。
 そこには、前も後も、そして、左右さえ存在していない。二色の色が、互いに反発しながら、決して溶け合う事無く、混じり合っていく。そんな塊が死臭に澱みながら、蠢いていた。
 突然、視界に鮮やかな閃光が煌めいた。
 矢だ!
 気が付くと同時に、死を覚悟した。避ける暇がない。
 その時、左隣に従っていた兵が、何時の間にか、前に立ち塞がり、その矢をその身に受けた。その見知った顔が、苦痛に歪みながら崩れ落ちていく。そして、嘆き悲しむ暇もなく、次の矢を、右隣が同様の行為で防いだ。
「生きよー!!」
 その兵の最期の言葉が、理性を奪っていく。
「怯むなー! 押し戻せ!!」
 恐怖を振り払うかのように叫ぶ。
 まるで、その声に誘われたように、次々と新手が斬り込んで来る。剣の残像が揺らぐ度に、生と死の狭間を揺らぐ。この瞬間死んだのか、次の瞬間生きているのか、もはや自分にも分からない。ただ迫る影に刀を振るい続けていた。
「だぁ、だぁ、だぁ……」
 今は何も考える事が出来ない。ただ、子供の頃から欠かさず繰り返してきた、北陵流の基本動作を繰り返していた。かつてエッダの四剣士と称えられた技巧的な剣技は、そこにはない。
 誰かが肩を掴んだ。躊躇わず振り向き、切り捨てようとする。
「私です」
 親しんだ声と顔で、ようやく我に返り、刀を止めた。
「……秋月、生きていたか!」
「落ち着かれよ」
 言われて初めて、異常に呼吸が速い事に気が付いた。
「あなたが強い事は誰もが知っている。これ以上人を殺して何になるのですか。一度退いてください」
 周囲を見渡した。おそらく自分が切り倒したのであろう遺体が、無残に転がっている。
「そうだな」
 素直に頷く。死という言葉が、現実として、そこに迫っていた。ここを抜け出し、混乱を立て直しましょう、と秋月は言葉を続けていくが、その言葉の意味は、よく分からなかった。
 そして、その時が来た。
 川沿いに、援軍が到着した。新手は、浅瀬に入って、敵軍を押し返していく。
 その少しあと、ギードの本陣から大きな黒煙が上がった。
「これで一息入りますなぁ」
 ようやく秋月が笑顔を見せた。
「ああ……」
 声に出せたかわからない。どっと疲れが押し寄せてきて、体の感覚が鈍っていく。

 サリス本軍は、軍を二つに分け、一つを援軍に、もう一つを敵本陣へ向かわせた。
 ギードは偵察部隊の過剰な報告を真に受け、サリス軍の大部隊が浅瀬に殺到していると勘違いした。故に、本陣を空にして、ほぼ全軍を以て迎え撃ってしまった。
 まさに自爆と言えよう。
 勝敗は決した。しかし、ギードは打ち取れず、南へ敗走した。

 戦場は、ウェーデル山脈の麓へ移動していた。
 ギード軍の捕虜によって、ギードの敗走先は判明した。このウェーデル山脈の麓の何処かに、ビルンタール王国が、密かに作った村があり、そこからギード子爵は、亡命しようとしていた。
 これには、参謀たちも驚きを隠せない。
 ビルンタール渓谷とガノム平原の間には、ウェーデル山脈が立ち塞がっている。両国の直接的な交流を、軍令部も情報局も確認していない。
 しかし、ウェーデル山脈の地下に張り巡らされた坑道を通って、人を派遣し、物資を本国へ運んでいたらしい。
 これは看過できないと上層部の意見は一致して、ギードの追撃、並びに、ビルンタール村の探索が始まった。

 雪の中の陣に、いきなり旧友が現れた。
「おーい、シンいるかぁー」
 呑気な声を間違える筈がない。木の柵から顔を出すと、シャークが手を振っている。
 小さな堀に丸太を渡しただけの橋を渡り、
土塁を切っただけの簡単な門を通って、たくさんの荷物を積んだ荷車が入ってくる。
 シャークの上げた手を叩く。
「似合うじゃないか。運送屋は天職だったんじゃないか?」
 からかうように言う。
「そうかもしれん。儲かって、儲かって仕方がないのだ」
 シャークはゲラゲラと笑った。
「そんなにか?」
「ああ、この戦争が始まって、各地の貴族は城の防備などに、金をかけ始めた。まぁ運び屋なんかよりも武器商人の方が、断然稼いでいるらしいがな」
「……死の商人かぁ」
「ここだけの話、ギード軍にも売っている、という噂だ」
「恐いねェー。けど商人なんて、そんなものだろ」
「あくまでも噂だがな」
 ちょっと不快な表情をしたが、さほど関心はない。
「それよりも、お前誤魔化してないだろうな? 数数えてみようか?」
「し、失礼な。俺をそんな男だと思っていたのか? この商売は信用が命なんだぞ!」
 荷車を被うカバーの中を覗き込んで、品物の数を五つまで数えた。
「矢ですか?」
 秋月が問う。
「いや、薪だ」
 ウェーデル山産の良質な薪を、シャークに買い占めさせていた。
 どうもサリス人は極北の冬を甘く見ているように感じた。だから、自分で手配した。
 そこへ、伝令が到着した。
「待っていろ」
 足早にその場を立ち去る。
「よっ、よかったぁ〜」
 後に残ったシャークは、荷車に両手をついて、安堵の溜め息を漏らしている。

 また、村が一つ焼かれた。目的は略奪である。戦いに備えての行為だろうが、村人を皆殺しにする手口は許し難い。
 とにかく、部下とともに、遺体を埋葬した。そして、近くの丘に建つ修道院へ遺品を供養してもらおうと向かった。
 エリース像の前に跪き祈る女性がいた。
「エリース様、私に、この機会をお与え下さり、心から感謝いたします」
「ルーテル様は、本当に強い信仰をお持ちですね」
 そこに、司祭が現れた。紺色の法衣を纏った司祭は、よく陽に焼けた肌をしていた。
「わたしなど……」
「戦いの中にあっても、エリース様の慈悲を忘れない。信者として、とても大切な事です」
 司祭は微笑むと、水を差し出した。
「この水はエリース湖の水源から譲り受けた物です。差し上げましょう」
「ありがとうございます」
 エリース教信者にとって、教会でエリース湖の水を飲む事は、聖なる行いとして、特別な意味があった。それを受取ろうとして、彼女は、思わず手を滑らせてしまう。
「これは粗相をしてしまいました」
「何か心に蟠りがあるのでしょう。ここはエリース様の慈悲の館です。心を素直に開きなさい」
 司祭は慈愛に満ちた笑顔を向けて、彼女を立たせると、相談用の小部屋へと歩き出す。
「おや?」
 そこで司祭は、入り口に立つ訪問者に気付いた。
「サリス軍」
 彼女が睨む。
 肩に大尉の階級章がある。
 襟足を短めに切り揃えた亜麻色のボブヘアーを、軽く振り払った。明らかになった顔は美しかった。白い陶磁器のような肌と猫のように大きくちょっと吊り上り気味の瞳が、品の良さと勝ち気な性格を伝えているようだった。
「ご両人、ここは女神の家ですぞ」
 司祭は、血相を変えて、二人の間に立った。
「分かっています」
 そう大人しい声で告げて、事情を説明し遺品を手渡した。その際、彼女は非常に動揺した顔をしていた。それですぐに分かった。彼女が略奪の指揮を執ったのだと。
 その夜、修道院から手紙が来た。
 果たし合いの申し込みであった。
 翌日、廃墟の村の教会に赴く。
 彼女は、一人で立っていた。
「よく来た。父レオポルト・フォン・ルーテルの仇を討たせてもらう」
 エリース像の前で嘆いていた姿とは、全く違い、鋭い眼光で言い放つ。
「見事な覚悟だ。受けて立つのが、武人の倣い」
「覚悟!」
 果たし状に、名をディートリンデ・フォン・ルーテルと書いてあった。
 アッザク砦の近くで倒したビルンタールの士官レオポルト・フォン・ルーテルの娘だという。
 レオポルトは、南陵紫龍流の達人で、ビルンタール最高の剣士として知られていた。その娘も、その薫陶を受けて、至高の道を志している、と聞いたことがあった。
 彼女は、防寒具を脱ぐ。白装束だった。
「一騎打ちを受けて頂き感謝する」
「剣士として、互いに誇りをかけて戦った。父上には残念な結果だったが、それが剣士の宿命だと信じている」
「最期の相手が名だたる貴方であった事を、名誉に思っていることでしょう」
 二人はゆっくりと近づく。互いに、剣と刀を抜く。
「しかし、父はまだ南陵紫龍流の全てを、貴方に見せた訳ではない。そして、ルーテル一門の名にかけて、二度の敗北はない」
「元より承知」
 カチーン!
 剣と刀の先を微かにぶつけると、二人の気合が衝突する。
 ディートリンデの愛剣は、ドラゴンの模様が彫り込まれている。名立たる名剣であろう。その剣を中段に構えた。
 対して、いつも通り、顔の横に刀を立てる。
 そのままゆっくりと時計回りに回る。
「いざ!」
 先に、ディートリンデが間合いを詰めてきた。それに、一歩下がる。
「勝機!」
 ディートリンデの鋭い打ち込みが、正確に頭を狙ってくる。
 ガチッ!!
 それを柄で受け止めた。
 これは少年時代の悪い癖だった。自分より大きな相手と戦う事が多かった少年時代、刀を弾かれるのを恐れて、両手で受け止めてしまう癖がついてしまっていた。矯正したはずだったが、ここでそれが出た。
 勿論、これでは反撃できない。ディートリンデは勢いに乗って、二撃目、三撃目と次々に打ち込んでくる。
「ちぃっ!」
 たまらず舌打ちをした。
「調子に乗るなよ!」
 瞳の奥が、熱く燃えるような気がした。
 ディートリンデは、身を沈めて腹部を狙ってくる。だが、その前に、強引に一歩踏み出して、体ごとぶつけた。そして、ディートリンデにしがみ付き、左手でその右手を掴んで、剣を振り抜かせない。
「は、離れろ」
「遊びはこれまでだ!」
「ふざけるな」
 ディートリンデを押すように、体を離した。その瞬間、両者は一閃、横に振る。だが、それらはただ空を切る。
――戦いの中で、戦いを忘れていた……。次は決める!
 迷いを吹っ切り、また刀を顔の横に立てる。
「南陵紫龍流奥義『双竜断顎』」
「北陵冥刀流奥義『一の太刀』」
 互いに必殺の技を繰り出す。勝負は一瞬、互いの奥義が交差した。
 ディートリンデは、下段に構えて、そこから剣を振り上げる。それに対して、北陵流の一撃を打ち下ろす。剣と刀は火花を散らして、かすり合ってすれ違う。
 そして、ディートリンデが下から振り上げた剣は、頭上で僅かに横に流れているが、そこから切り換えして、今度は一転、振り下ろしてくる。
 一方、足の幅を広げて、刀を下から振り上げて迎え撃った。
 凄まじい火花が散った。
 剣と刀が十字に交差している。
 しかし、ディートリンデの瞳が揺れている。
「バカな……」
 咄嗟に後ろに飛んでいく。その目は、シンの両手を交互に追っている。
「あの瞬間、確かに、刀は二本存在していた」
 剣が根元から折れて、剣先がない。
「勝負はついた」
 大きく息を吐きながら、言う。そして、足元に転がる剣先を拾った。
「まだだ!」
 ディートリンデは短剣を抜いた。そして、身体ごとぶつかってくる。
 刀を返して、その手を峰打ちして、回し蹴りをその腹部に放つ。
 ディートリンデは身体をくの字に折りながら、その場に崩れ落ちる。
「こ……殺せ」
 呪いの言葉を吐きながら、意識を失っていく。

「うう……」
 小さく呻くと、彼女が静かに瞼を開く。
「ここは?」
 弱い声で問う。
「教会の地下のワイン蔵だ。ここは風が吹き込まないからね」
「……」
 突然弾かれたように、彼女は起き上がった。
「勝負は終わった」
「……」
 一瞬、燃えるような眼光を見せたが、すぐに消えた。
「そうか……見苦しいところを見せた」
「いや」
 桶の中で炭を炊きながら、首を振る。
「奥義では負けていた。まさか一の太刀をかわされるとは……」
 沸かしたコーヒーを手渡す。
「しかし、私の目には確かに刀がもう一本見えた……。剣と刀が十字にぶつかった瞬間、横から別の刀が振り抜かれて、剣を追った。あれも北陵流の奥義か?」
「違う。ある人に負かされた技だ。今研究している」
「そうか……。世間は広いなぁ」
 彼女は涼しく笑う。
「さて、私をどうする?」
「命を賭け合ったものに恥をかかすつもりはない。一つ、願いを聞いて欲しい。それでお互いチャラにしよう」
「ほお?」
 まじまじと彼女は見つめている。
「この場限りの一時的休戦を申し込みたい」
「なっ!?」
「その間に、ガノムに残るビルンタール市民を退避させよ」
「……なぜ、そんなことを」
「俺はセリアに戻れば殺されるだろう」
「……」
 彼女は絶句している。
 当然であろう。あれほどの崇高な剣戟を打ち鳴らし合った相手が、こうも情けない言葉を吐くとは思いもしないだろう。
「俺はある事変の捨て駒だった。だが、その捨て駒の役割も回ってこず事変は終わった」
 言葉にすれば、改めて己の小ささを実感する。
「俺はオーディン像の前で天啓を受け、その権力者に抗うことにした。軍の実力者の娘に近付き、また、あわよくばガノムの反乱勢力を糾合したいと目論んだ」
「……」
 彼女はじっと話を聞く。
「だが、俺のために死んでいった者たちを見て、これ以上無駄な抵抗は、彼らの死を冒涜するものだと感じた。最後に、善行を残して、逝きたい」
 怒りも悲しみも越え、最後に臨んだことは和平という儚い光であった。その実現に、残り人生のすべてを傾けたくなった。
「……」
 彼女の瞳に変化はない。真意を探っているのだろう。
「今の俺にできるのは、この大地の民をこれ以上惨劇に巻き込まないことだ」
「……分かった――」
 彼女は頷いた。その顔に険はない。
「もとより、白刃の下で誓いを立てた戦いに偽りはない。負けた者はその意に従おう」
 それから、一週間、密かに我々はここで会い、条件を整えていく。難しい課題であったが、どうにか互いに同意できるところまで漕ぎ着けた。
 不思議と彼女が裏切り、ここに兵を伏せるとは考えなかった。馬鹿正直になったとも、諦めてしまったとも、少し違う気がした。もはやこの世界を有りの侭受け入れようと心が決めていたのだろう。
 そして、最後の日、大雪が降った。
 時は夕刻を過ぎ、夜が更けていく。彼女はもう来ないだろう。そう思った。条約は、最後の一行を調整するだけとなっていたが、次の約束のないまま別れれば、それっきりで、この話は流れるだろう。
 このまま待とう。
 凍死するかもしれない。敵兵に見つかるかもしれない。武人として、正しい選択ではないと思うが、自分を受け入れ、そして、自分も信じると決めたディートリンデ・フォン・ルーテルを信じ抜くことこそ、人としてきっと正しい道であろう。それが出来なかったからこそ、この極寒の世界に一人取り残される結果になったのだろう。
 時刻は真夜中になっていた。
 と、地上で物音がした。そして、冷たい風が吹き込んできて、階段を雪の塊が下りてくる。
「暇な奴だ」
 紫色の唇で彼女は呟いた。
「君もね」
 彼女は凍った頬で笑った。生死の境を越えて、身体は衰弱しているようだった。
 躊躇わず、抱き締めた。
 自分の命で彼女の冷え切った体を温めてやりたかった。例えこの身が燃え尽きようとも構わないと思った。
 ワイン蔵は薄暗い。灯りは古い樽の中の炭火と壁の小さなランプだけである。階上の焼けてむき出しなった柱の間を吹き抜ける音が、管楽器のように、降り積もり雪の音がどさりと落ちる音が打楽器のように、軋む梁の音が弦楽器のように鳴り響いている。
 古ぼけて、黒くくすんだレンガが床から立ち上って、天井にアーチを描いている。壁の前には、頑丈な棚が隙間なく並んでいる。
 二人は、かつてソムリエが試飲したであろう机の上にいた。
 ディーテを強く抱く。氷の塊を抱いたようで、骨までも冷えた。
 二人のわなわなと震える瞳は、感動に打ち震える二人の顔を映し出している。
 指先が、ディーテの顔に触れる。額の髪を払い、細い眉、瞼、鼻筋、唇となぞっていく。
「綺麗だ、ディーテ」
「……うれしい」
 彼女は幼く微笑んだ。それは男すら威嚇する剣の達人の表情とは、かけ離れたもので、そう、女そのものであった。
 指先は、やがて首から鎖骨へと移動する。そこから、形のいい乳ぶさの周りをじわじわと回る。
 彼女は右腕を頭の上に上げて、じりじりと身体を捩じる。
「……ああ」
 彼女の顔が桃色に染まっている。まるで雲の上を歩いているように、ふわふわとした表情だった。二人だけの空間に、彼女の息遣いだけがこだまする。
 ふいに乳首を摘んだ。すでに固く勃起している。それをたんねんに転がしていく。
「ああ……ン」
 思わず、その手首を掴んできた。
「止めて欲しいのか?」
 彼女は、いやいやと駄々をこねるように首を振る。そして、ゆっくりと手を離すと、そのまま自分の腰へと添える。
 乳首を口に含んだ。
「ンン……ン」
 彼女の身体が悶えて、じわじわと足が開いて、美しい瞳を滲まれながら、淫らに鼻を鳴らした。
 彼女の肉体が、火が付たように熱くなっている。
 その火照った肌を手が滑り、ゆっくりと下へ伸びていく。
「アアア……うううッ!!」
 臍から股間へ指が這う。
 柔らかい亜麻色の恥毛の茂みに続いて、ディーテの熟した女の裂け目がある。雪肌の太腿と色の境目はなく、まるで薄い唇のような割れ目にまでその白色は至る。そして、薄い襞の間は桜色に濡れ光っている。
 その指の癇癪だけで、彼女は、がっくりと全身から力を失っていく。
 二人は貪るように口付けをかわす。それは野獣そのものの欲望に狂った姿だった。
 今の二人に前戯は不要だろう。
 彼女は、残っていた衣服を脱ぎ捨て、自ら進んで膝の裏を掴んで、脚を高く振り上げてV字型に開く。
 それに応じて、上着を剥ぎて、洋袴を脱ぎ捨て、そして、先端を熱く蒸れた膣口へと押し込んでいく。
「ひッ……あぁぁあぁ……」
 ディーテはそれだけで、恥も外聞もなく喘ぐ。
 その貌は、欠けたパズルのピースを填めたように満足そうで、水漏れの隙間を埋めたように安心そうであった。
 まさに仕立てられた剣と鞘のように、ぴったりと合致している。
 挿入で秘肉を抉られると、
「あうん!」
 くぐもった声で喘ぎ、
 急所を引っ掻くように抜くと、
「ひぃああん!」
 甲高く喘いだ。
「ああんっ…だ、だめぇ……すごっ……すごい……こ、壊れちゃう……」
 神経が灼き爛れたように、身体を痙攣させる。
「もう……もうダメ、もうダメ……よ」
 一突き毎にますます瞳は焦点を失い、口はだらしなくパクパクと蠢き、そこから涎すら零す。
「うっ、うっ、あぅわ……」
 その雫を舌で掬い上げて、きつく抱き締める。ディーテの燃える裸体が、肌に心地よい温かさを伝えてくる。それは凍て付く心を優しく解かしていくようだった。
「あっ、あっ、あっ……」
 繰り返すピストン運動に従って、彼女は糸の切れた人形のように、短い喘ぎを上げ続ける。
「ディーテ……」
「シン……」
 感極まった二人は、下半身で繋がりながら、熱く見詰め合う。そして、再び唇とぴったりと重なり、濃厚な口付けを始める。
 二人は舌先を出し合って、淫らに絡み合わせる。唾液と唾液が混じりあい、唇の端から零れ落ちていく。
 じゅるる、ずるる……。
 それを彼女は、甘く喉を鳴らしながら啜り上げる。
 彼女を膝の上に乗せて向かい合いながら、下からしゃくり上げる。
「これ……これがいいのぉ!!」
 甘美な悦びに、顔を蕩けさせている。
 それに彼女は、鍛えぬかれた大胸筋に乗った綺麗なお椀型の乳ぶさを、突き上げに合わせて揺らす。
「ああ……ヘン…変になっちゃう……」
 彼女の頭を両手で挟み込みながら、歯と歯がぶつかるほど強く唇を押し付ける。そして、白い陶磁器に艶やかに朱の差した頬を舐め尽していく。
 彼女は逆上せたように、そのまま後ろに倒れていく。それを支えながらゆっくりと机の上に寝かせて、細い滑らかな首に舌を這わせていく。
「うああん……うん……」
 その間も、下半身では粘膜を固い熱棒で、情熱的に抉られ続けている。彼女は卑猥にその長い脚を、腰に巻きつける。
「あっ、ああっ、シン……あたし……あたし……」
 次第に、二人は極限まで昂っていく。
「このまま中に……ちょ、頂戴……」
 潤んだ美しい瞳で、ディーテが媚びる。
「ああ!」
「アアア……うううッ!!」
 そして、爪先を突っ張らせ、背中をそり、呑み込んだ男根を締め付け、美しい肢体を痙攣させながら絶叫した。
「あなたが言っているのは、立派な娘は姉のことね」
 胸の上に顔を乗せて、彼女がやや苦笑して言う。
「そうなのか?」
「ええ、姉は何でもできる。体格もよくてすぐに門下の男どもより強くなった。顔も華やかでいつも人に慕われていた。父の期待にもこたえていた。姉に比べて、私は何をやっても地味。何とか頑張りたくてここに来たのに、迷うばかり……」
 心を晒すディーテを愛おしく抱いた。
「俺と君は似ている」
「あなたと私は、似ているわ」
 彼女も、この戦場で大きな心の傷を背負い、己の小ささに打ちひしがれたのだろう。二つの未熟な魂が、今一つになっていく。
「俺はサリスを捨てる」
「私もビルンタールを捨てるわ」
「出来上がった和平調印書をそれぞれの陣においてくるんだ。あとは信頼できる者に任せればいい」
「うん、分かった」
「そのまま二人で逃げよう」
「うん、一緒に行くわ」
「誰も知らない世界へ行って、二人だけで生きていこう」
「うん、素敵ね」
 二人は延々と体位を変えながら、交わり続けた。そして、いつの間にか朝を迎えていた。
 ディーテは組み伏せられて、顔中を汗で濡らしながら、喜悦にむせている。
 ぼんやりと天井を眺めていると、溶けた雪が清らな滴なっていた。そこに朝陽が差し込んで、言葉では言い尽くせないほど美しく輝いていた。
「きれいだ……」
 思ったままに、そう呟く。

 翌日、ビルンタール軍は一方的に、停戦を宣言した。
「和平が成立した、とルーテルと言う女が言い回っているぞ」
 報告を聞いて、サリス軍上層部は、皆、憮然としている。
「兵の士気を下げさせ、追撃の手を緩ませる策ではいだろうか?」
 参謀長が言う。
「……」
 彼らに背を向け、黙って、ビルンタールのある空を眺めた。
――これが君の答えか……。
 彼女は、結局ビルンタールの騎士として人生を選んだ。責められるものではない。責任ある大人として当然の決断であろう。
 斥候の報告では、彼女が先頭になって市民をウェーデリア山脈へと導いているらしい。
――ならば、俺も責任を果たそう!
「契約したのは私だ」
 オーディン旗の下に立って、意を決して叫ぶ。
「何を?」
「なぜ?」
 上層部の面々が、気色ばんでいる。
「ガノムの内乱を速やかに終わらすためだ」
 誰も納得しない。しかし、予定のうちである。
「これはディーンの決定である」
 伝家の宝刀を偽物が抜いた。オーディン旗を右手で持ち上げる。肌を切るような冷たい風に大きく翻った。
「ディーンが下した約束を反故にしろ、と言う者がいるなら、前へ出ろ。ディーンの名において、成敗する」
 左手で鯉口を切る。
「……」
 誰も反論する者はいない。出来るはずがない。もちろん、初めから分かっている。
「ディーンを代表して、厳命する――」
 一同を見渡して、激しい口調で言った。
「市民に手を出すな。全員無事逃がせ」
「御意」
 秋月が、すぐに跪いて同意の声を上げる。
 それを見て、ぼちぼちと不揃いに将軍たちは頭を下げていく。
 数時間後、ビルンタール市民の姿は山麓に消えた。
「将軍」
 上座に坐して、ずっと沈黙を守ってきたが、斥候の報告を受けて、屈強な武将を一人呼んだ。彼は不服そうな顔を向けてくる。
「あの丘の上に兵を伏せろ」
「え? 逃がすのでは?」
「必ず、敵は奇襲してくる。この旗を目掛けて」
 それが彼女から学んだ、ビルンタール騎士の精神である。
「敵の半ばを通した後、その腹を襲って、後続を絶て」
「はい」
「他の武将も、所定で伏兵せよ。だが、決して、その進撃を阻むな。敵の最も鋭敏な剣先は、この俺が受け止める!」
「御意」
 軍議を終えて、諸将が出撃する。
「すまんな、秋月」
 傍らで、秋月が無表情に立っている。
「まあ、仕方ありません。貴方はディーンなのですから。しかし、ユリウス殿下の若いころに比べれば、まだまだかわいいものでしょう」
 思わず振り返って、その顔を見上げる。だが、その顔からは、冗談なのか本気なのか、全く読めなかった。

 そして、夕暮れの中、サリス軍の諸部隊が本陣を離れて行くのを見届けたように、森の中から、ビルンタール軍騎兵が突進してきた。
 予定通りに、その中腹に、最初の伏兵が、突き刺さる。さらに、左右から伏兵が幾度も襲いかかる。
 だが、その勢いは止まらない。まさに一本の矢となって、オーディン旗へ向かって突き進む。
 ついに一騎が、木の柵を飛び越えて、本陣の中に飛び込んできた。着地で馬は倒れ、騎士も転がったが、槍を離さない。すぐに立ち上がり、まっすぐ走ってくる。
「カスパー・アウツシュタイン、見参」
「……」
 椅子に背筋を伸ばして座り、刀を杖代わりにして、じっと彼の雄姿を見詰める。
「その首、貰い受ける!」
 この世で最も鋭い槍の衝きだった。
 それを鞘に収まったままで、受け止める。
「無念ッ!」
 直ちに、そのビルンタール騎士の体に、無数の槍が突き刺さった。
「カスパー・アウツシュタインよ。その雄姿を称えよう。そして、その名をこの胸に刻もう。」
 死にゆく男を見据えて、徐に立ち上がる。
「貴公は俺より、勇猛さで優り、決断で優り、武芸で優った。だが、この旗に負けたのだ」
 頭上のオーディン旗を指差す。
「闘神オーディンの偉大なる精神、常勝不敗のディーンの伝統、そして、この旗の下に集った猛者の忠誠心に敵わなかったのだ!」
 全戦場に聞こえわたるように喚いた。
――ユリウス殿下、これが私の恩返しです。精一杯ディーンを称えましょう!
「……」
 ビルンタールの騎士は、何か言いたそうな顔をしたまま、息絶えている。
「丁重に葬れ」
 そう言い残して、天幕の外へ出た。
 眼前には、雄大なるウェーデル山脈が横たわっている。
 何たる巨大さだろうか、天も地も隔てている。人が越えられる筈もない。人の身の何と小さいことであろう。人の心の儚さを想い、熱い涙を流す。
 もし叶うならば、この肉体の灰をあの一部に捧げたい、と痛切に思った。
 こうして、ガノムの内乱は終わる。

第四章 剣士の幻想

第四章 剣士の幻想


 セリアの中心地に、城館を与えられた。
 この城館は、元々スピノザ=ディーン家当主フェリックス1世が、セリア居住用に建設した物で、使ってないからと気前よく贈られた。

 四隅に円形の小塔を持ち、その壁面はコーニス(水平線の帯)と薄いピラスター(付け柱)で区分されている。小さいが優美な外観を持つ建物である。
 また、マチコレーション(張り出し狭間)の形状をした壁面上部と、急勾配の屋根、屋根窓など城郭的な要素も留めているが、方形の玄関ホールと楕円形で吹き抜けの大広間を中心に左右対称と、整然とした平面をしており、典型的な都市邸宅の様相を呈している。


 昨日アイロンをかけて、鏡のようにピーンと張った白いシーツが、拠れて捩じれて皺だらけとなり、一面バケツの水をひっくり返したように濡れている。
 二匹の獣は、勢い余ってベッドから転げ落ちても、その隠微な行為を止めない。
「ああン……ああ……イイ」
 アイラの頭は床にあり、腰を高く持ち上げて、秘唇を天井へ晒している。そして、尻肉を自分で掴んで、淫猥に肉襞を広げている。
「ああっ……はっあ……ああああっ」
 日頃の気品が嘘のように、すっかり発情した雌を存分に嬲る。
 まず親指でクリトリスをこね回しながら、二本の指で、ぐちゃぐちゃと濡れた膣穴をかき混ぜる。
「ああっ、ひぃひぃ、あっいいーーーん」
渾身の力で激しく蜜を掻き出してやれば、ぷちゅ、ぐちゃ、と卑猥な水音が鳴り響き、熱い飛沫を巻き散らかす。
「い……イク、イっちゃう……はっ、ああああン」
 髪を振り乱して、白く細い喉を仰け反らすと、絶頂の声を上げた。
 しばらく、目を閉じ、荒い呼吸をしながら、恍惚の表情を浮かべていたが、ふいに、無邪気に微笑む。その瞳は、快楽に飢えたようにギラギラと輝いている。
「指なんかじゃなく、早く、あなたので、いっぱいにして!」
 アイラは中指を噛みながら、まるで幼女のように甘えた声を出す。
「ああぁぁん……んはッ!」
 その淫靡な誘いに導かれて、覆い被さり、秘唇に添えると、一気に突き挿入れた。
「あッ、あン、はぁぁッ、はんッ、あんッ」
 艶かしい喘ぎ声を絶え間なく、垂れ流す。
「ああああン……激しい……あああぁ……突いて、突いて、もっと突きまくって!!」
 熱く火照る秘肉を擦り上げてやれば、快楽の炎に身も心も焦がしていようにあられもなく卑猥な単語を叫び、自ら腰を振り立てる。
「お前を誰にも渡さない。俺だけものだ」
 強く抱き締めて言う。
 その瞬間、侵入者を逃がすまいと膣穴がきつく締まる。
「いい締めだ」
「ええ、ええ、あたしはシンだけのものよ。いつでも使って」
 アイラは感涙して、己から舌を差し出す。
 下半身を煽動させながら、二匹の獣は口を吸い合う。
「んッ、むッ、んんッ、はぁうっん、ンーーん!」
 口を塞いだまま、白桃のような胸を揉み扱く。アイラは2度目の絶頂を迎えた。
「……ねぇ、もう終わりなの?」
 暫く余韻に慕っていたが、また首を回してきて、愛らしく媚びた。
「もっと、もっと愛して、もっと、シンを感じていたの、ねぇ、きてっ!!」
「分かった」
 とんだ雌猫だ。
「あうぅぅぅ……あぁぁ〜〜あ〜〜」
 アイラは膝の上に跨り、抱き合って繋がっている。下から突き上げてやると、それに合わせて、美しい裸体を上下に揺らした。
「あっくぅあ…ああ…あ…あ〜〜あ〜〜」
 だらしなく、呆けたような顔で、口からは涎すら垂れ流している。背中は汗が滲み、艶やかな髪が張り付いて、それに陽の光が反射して、キラキラ輝いていた。
「私のオマンコどう? いいでしょ? 好きなだけ使っていいのよ。もっともっと気持ちよくしてあげる!」
 アイラは肩に顎を乗せて、耳元で甘くささやく。
 その身体は熱鉄のように熱く、腰は生き物のように蠢き。瞳は、狂ったように極彩色に染まっていた。
「オマ○コがとろけそう……イイッ!!」
 更なる高みに昇り詰めていく。
「あーっ、イクッ!!」
 アイラはそれまででもっとも美しく吠えた。

 シャワー室から出てくると、アイラが頬を膨らませている。その唇の周りは、白い液体のあとが少し固くなっている。
「お前も顔ぐらい洗え」
 アイラは這って近づいてくると、洗い立てのペニスをしゃぶりだした。
「もういい。これから人に会うんだ」
「全部吸い出すの!」
「なんだ、それ?」
「女に会うんでしょ?」
 頭を掴んで抑える。しかし、それを咥えたまま、アイラは見上げて訊いた。
「さっき侍女がミリムって……聞こえたのよ」
「おいおい、ミリムはリュックの妹だ。まだほんの子供だ」
「……」
 アイラは、まだ不安そうに瞳を伏せる。
「リュックの妹に手をだしたら、俺は殺されるよ」
「シンはリュックなんかに負けないわ!」
 腰に縋り付いて、涙声で喚く。
「友は斬れんよ」
 笑って頭を撫でてやり、手を剥がした。

「ミリムちゃん、久しぶり」
「将軍、お会い出来て光栄の至りです」
「冗談はよせよ」
 ミリムは、両手でスカートの裾をつまみ、軽く持ち上げて、さらに膝を折り、腰を曲げて、頭を深々と下げる。
 思わず、苦笑する。
 試合会場を、兄のための情報収集と言って走り回っていた、そばかすだらけの少女は、すっかりレディーになっていた。
 兄のリュックの試合だけでなく、有名選手の試合では、必ず大きな声で声援を送っていた。リュック対ジャン戦では、兄が苦手にしている事もあって兄以上に昂奮して、何度も発破を掛けていた。
 ジャンは長身の左利きで、リュックはその剣筋をなかなか見切れずにいたのだ。
――俺の試合が好きだと言っていた……。
「どうか、兄を助けてください」
 突然、ミリムが跪いた。
 ガノム前線で、リュックの所属する部隊が取り残されているという。
「ご迷惑かと思いますが、他に頼る者もおりません」
「無論だ。だから、頭を上げて」
「本当ですか?」
「無二の友を見捨てたりしない」
「あ、ありがとうございます」
 堰を切ったように、ミリムは泣き始める。
「気にするな。何となくだが、天の配剤というのが分かってきた。俺の人生はどうやら美人が絡むと、動き出すらしい」
 心から快活に笑った。


……
………
 リュックと初めて会ったのは、ミッズガルズ大会の第一次予選だった。
 その頃の俺は、がりがりに痩せて、北辺訛りの強い少年だった。
 慣れないセリアでの生活のせいで、精神的にかなりまいっていて、ろくに食べることもできなかった。そして、指の皮を食べる変な癖があったのもこの頃だった。
「よ、その格好、ワ国風?」
 袴の裾を引き摺りながら会場を歩いていると、リュックの方から声をかけてきた。北陵冥刀流の剣士は珍しかったからだろうが、友達ができて素直に嬉しかった。
 しかし、その時の試合は、散々だった。
 試合開始と共に、袴の裾を踏んで足の指の骨を折って、そのままリタイアしてしまった。
「ついてなかったな。次、頑張ろうぜ」
 リュックは親指を立てて、励ましてくれた。
その姿は、とてもかっこよく見えた。
 勇ましい顔立ちで、黄金の髪の短く刈り込んでいる。その容姿は剛毅だったが、性格は柔和で、誰にでも気さくで、いつも礼儀正しかった。
 次に二人が出会ったのは、翌年のアルテブルグ大会の一次予選。
 俺はぽっちゃりと太っていた。その代わりに、訛りは完全に消えていた。そして、まるでスカートのように袴の裾は短くなっていた。それで、『スカート付き』というあだ名がついてしまったのは、あまりにも苦い想い出であろう。
 この時、リュックは初めて3次予選まで勝ち残り、あと一歩で、本戦出場と言う好成績を残した。一方、俺の成績は、相変わらずで、胴を払われて呆気なく負けてしまった。
 思わず、「胴なんて練習してないよ」と叫んでしまい、あの少女に、容赦なく、蹴り倒させてしまった。
 この年に頭角を現したのが、白鳳流の二人の少年、ラグナ・ロックハートとジャン・トレトンだった。
 ラグナは正統派の剣で、ジャンは長身で左利きという身体的特長を活かした変則的な剣で、本戦リーグに名を連ねた。
 15歳の時、俺とリュックは初めてサイア大会の3次予選を勝ち抜き、本戦リーグに昇進する。好成績なのだが、結局、大会はラグナの初優勝で終わり、注目を集めることはなかった。
 大会の後、道場裏の井戸端で、偶然ジャンと隣り合わせとなり、汗を拭きながら少し話をした。
「北陵冥刀流とは聞かない流派だが、君は強いね」
「君には敵わないよ」
「そりゃそうさ。僕は天才だから」
 ジャンは、伊達男だった。背が高く、颯爽として、髪は腰まで伸びていた。
「でも、二の太刀を考えず、必殺の太刀を撃ちこむ。勝負はいつも一瞬、完勝か惨敗。後の先を究めるラグナにとっては、苦手なタイプかもしれないね」
 ジャンはそう言った。その言葉で、小さなヒントを得たのかもしれない。
 一緒に合宿をしよう、と呼び掛けたのはリュックだった。打倒白鳳流のために、二人は手を組んだ。そして、その年の最後のセリア大会で、俺はラグナを、リュックはジャンを破った。
 ラグナと話をしたのは、確か、弥生坂一番街にあった劇場一階のカフェだった。
 俺が約束の時間から少し遅れて到着すると、演目のためか、店内は若い女性客で一杯だった。
 隅にあの少女が座っていた。店内を対角に横切って、窓際の席へ向かった。
「あっ、これ美味そう。何って言うの?」
「……」
 彼女は、ちょっと不機嫌そうに俺を見上げた。そして、何も言わず、ただそのちょっとキツメの瞳で俺を見詰め続ける。俺はドキドキして、そして、思わず、彼女の髪を飾っている紫の紐に触ろうとする。
「寄るな、触るな、近づくな!」
 それは俺の心を鷲掴みにし、そして、何度でも『虜』にしていった。
「俺も同じやつがいいなぁ」
「あたしはイヤ」
「……」
 いつもの事だ。めげない。
「そう言えばさぁ、今朝タマが、俺に噛みついたんだよね。あいつ絶対、俺を喰おうと思っているよ」
「あっ、それ私。だってアンタ嫌いだもん」
「いや、そうじゃなくて、あれは愛情表現の裏返しかも」
「あっそ、じゃ私身を引くわ。お二人でどうぞお幸せに」
 その時、ドアが開いて、一組のカップルが入って来た。
「ラグナ、ラグナ・ロックハートだ!!」
 店内にキャーという黄色い歓声が巻き起きる。だが、ラグナの横の女性が一睨みすると、太学の女性陣が静まり返る。あれが、歩くリーダシップと言われる太学の学生会役員であろう。二人が付き合っているというのは、セリアでも非常に有名な噂だった。まさにキングとクィーンと言う感じで、近寄り難い。
 俺とは住む世界が違う。永遠に無関係だろうね、などと言っていると、ラグナが俺に近付いてきた。
「やぁ、シン君じゃないか」
 ラグナは気さくに声をかけてきた。
「ども、寄寓ですね」
 俺は立ち上がり、さも対等なように振る舞った。
 軽く握手した。
 寄寓と言うのも変な表現だったろう。この演目のストーリーは、実際のセリア大会を描いたもので、ラグナがモデルだと言われている。当然俺もやられ役で出ていた。それで初日に招待状が貰えたのだ。当然、会う筈である。
 俺達は女性二人を残して、カウンターに飲み物を買いに行った。
 その時、俺の足元を竹刀が駆け抜けた。
「スカート付きめ、もらったぁ!!」
 俺は軽く跳んでかわす。
「お兄ちゃんの仇!!」
「瘠せただろうが、いつまでも変な呼び方するな」
 そして、もう一度戻って来る所を、思いっきり踏みつけた。
「……何?」
 ラグナが怪訝そうに聞いてくる。
「ああ、猫又ですよ、猫又。気にしないで」
「そ、そうなのか……」
「誰が猫又だって!?」
「お兄ちゃん、スカート付きが苛めるぅ」
 店に駆け込んできたリュックに、ミリムが泣きついた。当然嘘泣きだ。こういう芝居がかったことが好きな兄妹である。もう相手するのに飽きていた。
「人の妹に何しやがる。――って、ラグナ君じゃないか!」
 リュックは、俺の事など眼中にないという感じで、ラグナに視線を向ける。その下で、敵意剥き出しのミリムが、「いつまでもいい気になってんじゃないぞ」と意気込んでいた。それをリュックは、頭を小突いて止めさせた。
「前回は秦鷹流が全敗しましたが、今度は負けませんよ」
 俺への態度とは違い、真摯な表情である。
「こちらこそ」
 大所帯は大変だな、と思っていると、ラグナは爽やかにリュックに手を差し伸べる。やはり絵になる男だ。
「あれれ、ラグナじゃん」
 後ろから声が聞こえてきた。振り返ると、赤いドレスの女と白いスーツの男がいた。共に長身でまるで役者のようだった。
 また、女変えたなぁ、とラグナが呆れた声で小さく囁く。
 俺とリュックは並んで、きちっと挨拶をした。それにジャンも女性を離して応えた。女性はラグナに驚いた様子で、口に手を当てている。ミーハーな奴だった。
「すごいスーツですね。やはりジャン君には、このセリアが似合っていますよ。田舎で宮仕えなんて、全く考えてもいないのでしょうね?」
 リュックがジャンと埒もない話をしていると、再び後方で大きな声がした。その声には聞き覚えが嫌と言うほどある。振り向かずにいようと思っていると、ラグナが申し訳なさそうに言う。
「すまない。正論で人を叩くのが好きで……」
「いえ、こちらこそ好き嫌いが、はっきりしているもので……」
 仕方なく振り向くと、やはり彼女とアイリスが喧嘩していた。きっと他愛もない事なのだろう。原因には興味もわかない。
 この日の演目『三剣士』は大好評で、その後大ヒットした。ちなみに、ヒロイン役はビアンカだった。
 こうして、俺たちは知り合った。
「3点」「5点」「2点」
 小さな屋台のカウンターで、俺とリュックとジャンの3人で、並んでカキ氷を食べたのは、アルテブルグ大会本戦リーグの前夜祭だった。
 当時ほぼ無名に近かった三人は、人々の輪から弾き出されてしまい、入口付近の屋台に座って、だらけた会話を続けていた。
 そして、時折横を通り過ぎる女性たちを見て、点数を付けて遊んでいた。
「ラグナは?」
「取材だそうな」
「今大会優勝候補らしいよ」
「へーえ」
「それにしても俺たち緊張感ねえよな。敵なのに」
「所詮主役は優勝経験者だよ」
「あ~ぁ、早くタイトル欲しいわ」
 このアルテブルグ大会で、人々の注目を集めていたのが、前大会のミッズガルズ大会で、2度目のタイトルを取ったラグナだった。
 各種雑誌などの予想記事では、昨年の最多勝利者で緋燕流のベテラン剣士と並べて、双璧と持ち上げられていた。
「6点」「4点」「3点」
「おっ! 太学の生徒会連中だ。相変わらず、世界の中心にいます、という感じだねぇ」
「えっ、アイリスさん。な、何でここに!?」
 右端がカキ氷を引っ繰り返しながら、立ち上がった。
 3人の視線の先では、優雅なドレスで正装したアイリスが、取り巻きを引き連れて、赤い絨毯の上を歩いていた。
「なぁなぁ、何でだよ?」
「しかし、このカキ氷、不思議と体が熱くなってくるよな……」
「ブランデー入りだからね」
「だからか」
「何しに来たんだろう?」
「3点」「6点」「……」
「変わった味だと思った。これがブランデーかぁ」
「おい、大丈夫か、体中真っ赤だぞ」
「俺弱いんだよねぇ……」
「なぁなぁ、ここに何しに来たんだろう!?」
「で、ラグナは彼女と本気な訳?」
「本気らしいよ」
「何? 何? その会話?」
「お似合い、だしな」
「そうかな? ラグナには地味で堅実な女性の方が、合っていると思うけど」
「何? やっぱ付き合ってんの、あの二人?」
「二人とも、一人で十分過ぎるほど、派手で目立っているからねぇ」
「でも、あのアイリスを抑えられるのは、ラグナぐらいしかいないだろう?」
「……それはそうかもね」
「無視すんなよ!!」
 立っている右端が大声を出すと、座ったままの二人が顔を上げた。
「だって、二人一緒に劇観に来てたじゃん」
「あっ、あれ、そう言う意味だったの?」
「妹連れて来るのは、お前ぐらいのものだよ」
「……」
 右端が力なく座る。
「2点」「1点」「……10点」
「本気なの?」
 真中が、塞ぎ込む右端の顔を覗き込む。
「麻疹だろ。ああいうタイプに惚れるのは」
 左端は白けた口調で言った。
「うるさい!」
「そうなの?」
 右端は怒り、真中はぽかんと訊く。
「お前もそのうち卒業するよ」
「俺?」
 左端の言葉に、真中は驚いた声を出す。
「8点」「7点」「……1点」
「よく言うよ。逆玉狙っているくせに」
 右端が不貞腐れた声で言う。
「当然だろ。一生剣術やるには、それが一番なんだから」
「愛はないのか愛は?」
「そんな物いつか消えるさ」
 熱くなる二人を、真中が仲裁する。
「まぁまぁ、それにしても、ほんと何しに来たんだろね?」
「表向きはプレゼンターらしいが、たぶん蟲が付かないように監視するためだろ。ここのお姫様、すっごい美人らしいから」
「……それで、すっごい頭いいらしいよ」
「ふーん。一度ぐらい会ってみたいものだな。まぁ俺達には、永遠に、縁ないだろうなぁ」
「……当ったり前だ。まだほんの子供だ」
「げっ、騙したな」
「8点」「……7点」「……3点」
「僕は関係作るつもりだよ。何れね。それにしも、王族関係の知識ないよね」
「だって関係ないもん」
「……じゃ関係ある話しようぜ」
 右端の男が、ブランデー入りのカキ氷をがぶ飲みすると、赤く酔った眼を会場の中央に向けた。
「あの赤い服の男が、お前が本戦一戦目で当たる、優勝候補ナンバーワンだ。あれ? 名前なんだっけ?」
「去年の最多勝のオヤジだろ? ラグナと双璧らしいね。……名前は……?」
「ふーん、ラグナとね……」
「緋燕流のエースだ。剣の軌道が幾何学的に走って、赤い残像が見えるらしいよ。そう言えば名前は何だったかな……?」
「一度聞いたことあったなぁ。で、対策は?」
「その軌道のパターンを全部覚える事だな」
「面倒くさそうだな……あーぁ、思い出せん」
「だが、あの名無しさんを倒さん事には、ラグナも、その先も見えてこない……」
 3人の飢えた眼が、赤い服の剣士を睨む。
「世代交代の刻……だな!」
「ああ!」
「絶対に!」
 この翌年、リュックはサイア大会を制し、俺はアルテブルグ大会を制覇した。因みに、セリア大会とミッズガルズ大会はラグナ。サンクトアーク大会はジャンだった。こうして、エッダの四剣士時代が始まる。
………
……



 ガノム連邦は、四つの侯爵領(カーナ、オート、ヤーデ、パース)と、二つの大司教領(ザーク、リーア)とを中心に、十数の小規模な豪族の集まりによって構成されている。
 ザークとリーアは、それぞれ『ザーク連邦領主大司教領』と『リーア連邦領主大司教領』と正式に呼ぶ。
 エリース教会の大司教が統治する、一種の教会国家である。大司教は、エリース教会の大司教であると同時に世俗社会を支配する領主でもある。小さな町ではあるが、四侯国と同等の扱いを受けている。
 これら4人の侯爵と2人の大司教、さらに、カーナにあるユリア大神殿の大主教の7人で、『総統』を選ぶが、諸都市の自治が確立しているため、権威は高いが、総統に実権はなく、ほぼ名誉職である。
 実際の権力は、サリスから派遣された高等弁務官にあった。高等弁務官には各都市に対して、内政干渉権があり、裁判権も有していた。
 ガノム地方は、神威帝の時代に、サリスに従属している。
 その際、パース侯が処断されて、パースはサリスの直轄となり、ここに鎮北府がおかれた。後に、パース侯国は、カーナ侯爵の甥を迎えて復活し、鎮北府は廃止された。そして、カーナには、高等弁務官が常任する事となった。
 死んだレアル2世は、この権威と権力を一つにしようと目論んでいた。
 次期高等弁務官の地位を、『アドリフ・ギード子爵』に内定させ、かつ、7人の選定者に圧力をかけて、総統にも選出させようとしていた。総統となり、高等弁務官になれば、それはかつての鎮北将軍と同じ実力を有することとなる。
 レアル2世の死後も、アドリフ・ギード子爵は強気の姿勢を崩さなかった。さらに、ヴァシリ・オート侯爵を味方に引き入れて、大規模な軍事反乱へと拡大しつつあった。
 サリス極北軍は、オート侯爵の裏切りを知ると、オート領からカーナ領に撤退を開始した。
 その際、サリス極北軍の殿を務めたのが、リュック大尉の部隊だった。彼はよく戦い、味方の大半を逃がす事に成功したが、自身は逃げ遅れ、敵の勢力下に孤立してしまう。
 リュックは、アルファ城に立て篭もる。アルファ城は、オートからカーナへと流れる大河上にある。もともとは水上交通を警護のために建設された施設で、高い塔を持つ。
 どうにか持ち堪えていたが、急遽篭城したため、十分な兵糧を蓄えていない。暦はもう初冬、極寒の季節はすぐそこにあった。


「開門」
 隊商に化けて、オート軍の中を突破してアルファ城に到着した。
「シン・ハルバルズである。開門せよ!」
 名乗りを聞いて、リュックが飛び出てきた。
「おお、本当にシンではないか?」
「まだ生きていたか!」
「お前こそ!」
 お互い抱き合って、再会を喜び合う。
「それで、援軍は?」
「俺だ」
「分かった。それで援軍は?」
「俺、俺」
「分かった。分かった。援軍は?」
「俺、俺、俺」
 二人は周囲の視線が痛く感じるまで、繰り返し続けた。
「これはオーディン旗ではないか?」
 塔にオーディン旗を掲げる。
 サリスでは最も神聖な物だ。ディーン一族以外使用できない。
「これで敵がうじゃうじゃ寄って来るぞ」
 心配そうなリュックの肩を叩いて、快活に笑いながら言う。
「落城して奪われた、親族まで罪が及ぶぞ」
「勝てばいいんだよ、勝てば」
「それもそうか」
 二人は笑った。不思議とリュックといると負ける気がしなった。それはきっとリュックも同じだったのだろう。表情に一点の曇りもない。
 その言葉通りに、翌日には、砦は完全に包囲された。翌々日には、さっそく総攻撃が開始された。
 リュックと二人で、城門の前に立つ。
「寒いか?」
 リュックが問う。
「俺は極北の出身だぞ」
「そうだったな」
 リュックは自分の頭を小突いた。さすがに緊張しているようだった。
「俺に負け越している奴が、俺の心配をすしてどうする」
 さりげなく言ったが、リュックは聞き漏らさなかった。
「ちょっと待て、そんな話は初耳だぞ。毎年サンクトアークで絶不調になっていたのは誰だ?」
「あんな暑い所での試合なんて、参考記録にしかならん」
「それはずるいぞ!」
「じゃ、ここで決着をつけよう」
「おお、いいぜ」
 二人が不敵に笑う。そして、城門を内から開けさせた。
「先手必勝!」
「まず、突き崩せ!」
 二人は叫びながら打って出る。
 掛け声を合わせて、ゆっくり斜面を登ってくる敵兵へ、十文字槍を翳して、突っ込んでいく。
 慌てたのは敵兵である。攻めるつもりが、攻められてしまった。
 横に一閃、槍を振り、兵をなぎ倒す。
 そのできた隙間に、飛び込み、士官らしき人物を突く。さらに、槍で払って、陣形を崩して、また一人士官を突く。
「敵は少数ぞ。囲んで打ち取れ!」
 さすがに、多勢である。すぐに体勢を立て直した。そして、果敢に、接近してくる者がいる。
 それを左手の刀で切り捨て、さらに、威嚇で槍を大きく払う。さっと鮮やかな弧が地面を抉った。その線の内側に残った者を、左手の刀で仕留める。
「あれは赤い蠍の馬印!」
 繰り返すこと五度、散々に陣形を乱してやると、ついに先陣の司令官らしき人物を目に捉えることができた。
 槍を持ちかえて、透かさず投げる。的確にその胸を貫いた。
「リュック引くぞ」
「おお」
 全力で走り、リュックの脇を抜ける。追手をリュックが薙ぎ払った。
「来い、リュック!」
 立ち止まって、振り返り、リュックを呼ぶ。
「おお」
 リュックは槍を投げて威嚇し、すぐに反転、走って横をすり抜けていく。
 腰のベルトに吊り下げていた円月輪を抜き取って、適当に敵兵の顔へ投げる。そして、リュックに続いて、城門の中へ退いた。
「放て!」
 一斉に、城門の上から敵兵へ矢が放たれる。
 城門を閉じた時、すでに敵兵の一部が城門をくぐっていた。
「一人も生きて返すな!」
 リュックが、威勢よく叫び、兵を叱咤激励する。
 屈折した狭い通路で、敵兵を待ち伏せにする。地面には、20本ほどの刀が突き刺してある。その中の一本を抜き取った。
「きぃえええ!」
 角を曲がってきた敵を縦に一閃、兜ごと切り裂いた。すぐに新しい刀に変えて、二人目を今度は右から袈裟切り、返して、三人目を左から袈裟切り、さらに、正面の四人目の喉を突く。
 刀を変える。
 刀が半分ほどに減った時、通路は死体で埋まっていた。辺り一面に、異臭が立ち込めている。
 敵軍は攻城戦を一旦諦めて、撤退する。
「すぐにまた攻めてくるぞ。休めるうちに休んでおけ!」
 リュックが兵に告げて回る。
 しかし、その日の再攻撃はなかった。思う以上に甚大な被害を与えたのだろう。
 夜になった。
 リュックと二人で、歩きながら星を眺める。セリアと違って、星々は落ちんばかりに燦々と輝いている。足元では、「弟子にしてくれ」と土下座している兵士が点在しているので、非常に歩きにくい。
「変なものを流行らせるな」
 リュックが渋い顔で言う。
「お前のしつけが悪いのだろ」
 澄ました顔で返した。エッダの森時代を思い出して、二人は同時に吹き出す。
 古井戸の前まで来た。
「ここか?」
「……ああ」
「どうした?」
 横のリュックが、まだ星を見ながら、神妙な顔付きをしている。
「いや、何だか懐かしい気がした……」
「あ?」
 怪訝そうに眉を寄せる。
「ほら、空から妖魔が降ってくると言う噂を真に受けて、みんなで山に登ったことがあったじゃないか?」
「ああ、結局たんなる流星群で、森の中のカップルを覗いただけで帰って来たやつね」
 そうそう、とリュックは笑った。
「あの帰り……」
「ああ、お前がそりで(調子に乗ってスピードを出し過ぎて、カーブを曲がりきれずに)森にダイブしたことか?」
「違う! 死んだ直後に何て言われたいか、話し合ったじゃないか」
 はいはいはい、と何度も頷く。
 ジャンが、
『生涯真剣勝負で無敗だった』と言って、
 ラグナが、
『自分に最も厳しい男だった』と言った。
「俺は、明確に目標を持つ二人に対して、引け目を感じた。それは息苦しさすら感じさせるほどだった。そしたらお前が――」
 言いながら、突然失笑する。
「お前が、『おっ、呼吸を始めたぞ。目も開いた、と言われたいね』と言ったんだ」
「そうだっけ?」
「ああ、俺は呆気にとられ、他の二人は爆笑していたよ」
「ちょっと脚色入ってないか?」
「大体あっている。その時、お前が二人とは違うタイプだと改めて思った。そして、漠然と自分がラグナ達白鳳流に惹き込まれて、高潔な人生を生きなければならない、と決め込んでいた事に気付いた。シン程の男でも、ラグナとは違う道を歩く、その事実が息苦しさから解放してくれた」
「意味が分からんぞ」
「うむ、それはだな。お前はいつまでもガキだと言う事だ」
「なんだそれ」
 憮然とした顔を向けると、リュックはさっさと井戸を降りて、暗闇の穴の中へと消えていった。それに、その表情のまま続く。狭い穴の中で、先を行くリュックの背中の気配だけは感じられた。
 リュックはさらに呟く。
「人は些細な一言で傷付き、たあいのない言葉で救われる。お前は俺にとってそういう巡り合わせを運んでくる」
「何か言ったか?」
 声が冷たい石壁に木霊して、よく聞き取れなかった。
「いや、何でもない。じゃ行くぞ!」
「おお」 
 二人は真夜中、城の抜け道を通って、城の外へ出た。そして、寝込みを襲って、敵の士官を数人殺した。
「化け物が出た……」
「怨霊だった……」
「いや、鬼が召喚されたのだ……」
 朝になり、敵陣は騒然となっていた。その戦意は、城内からでも分かるほど落ちていた。
 数日が静かに過ぎた。
 そして、
「援軍だ!」
 物見の兵が叫ぶ。
 城壁の上からのぞくと、ものすごい大軍がまるで蟻が行進するように大地を埋め尽くしている。
「ようやく来たか」
 思わず、安堵の声がもれた。

 シンがオート軍の注意を引き付けている間に、本隊が川岸を密かに進軍していた。そして、包囲網の一角に奇襲攻撃を開始、それに応じて城内からリュックが打って出る。見事に挟撃を完成させた。
 それが留めとなった。オート軍は蜘蛛の子を散らすように撤退していく。
 篭城兵は、夜更けまで騒ぐと、その後死んだように眠った。


 どうにか、倉庫の隅に一つ空間を確保した。静かに眠ろうと体を横たえる。が、すぐに跳ね起きる。一度瞬きをすると、もう朝だった。

第三章 復讐の幻想

第三章 復讐の幻想


 正装して、赤い絨毯が敷かれた大理石の大階段を下りていく。大広間は、たくさんの人で溢れていた。
「新男爵、万歳!」
「新しい威北将軍に栄光あれ!」
 万雷の拍手で迎えられる。そして、その先頭に、あの曲者ユリウス1世が待っている。
「見事な戦いであった」
 感情たっぷりに、手を握りしめる。とても演技に見えない。演劇の道に進んでも、名俳優に成れただろう。
「いや、勝負は紙一重でした。アンドレス君は十分に強かったですし、もう一度戦えば、どちらが勝つか分かりません」
 心の中で舌を出す。
「もし彼に一つ足りないものがあるとすれば、それは経験だけでしょう。己と互角以上の者と戦ったのは、おそらく初めてだったのは?」
「うむうむ」
 ユリウス1世は、目を細めて、愉快そうに何度も何度も頷く。
「真に、めでたいですな、ユリウス殿」
 その隣に、小太りの冴えない風貌の中年の男が立っている。
「左様ですな」
 ユリウ1世に気さくに声をかけ、かつ、ユリウ1世から丁重な扱いを受けている。
「ほら、ちゃんと挨拶せんか。わざわざお祝いにいらっしゃったのだぞ」
「よいよい、ワシは貴殿のファンでしてな」
 屈託のない笑顔で親しみのある声で告げてくる。
「ほら、もっと感謝せぬか」
「あ、ありがとうございます」
 戸惑いながらも、頭を下げた。
「しかし意外ですなぁ。フェリックス殿が剣術に興味がおわりとは?」
「ワシも神威帝の孫ですからなぁ、あはは」
「これは失礼なことを申した」
 ユリウス1世が躊躇なく頭を下げる。
 その男は、それに愛嬌のある笑顔で「いやいや」と首を振り、「これですから」と大きな腹を一度叩いた。
「よい身体じゃ」
 そして、徐に近付いてきて、馴れ馴れしく肩に手を置き、それから、あちこち筋肉を確認するように擦っていく。
 たまらず、縋るように、ユリウス1世を見る。
「フェリックス殿、食事でもいか……」
 それを察したのか、ユリウス1世が、彼をテーブルに誘おうとしたが、その時、突然彼は雄弁に語り始めた。
「かつて、カール7世陛下が、次の剣術大会の勝者は誰か、とお問いになられた――」
「うぬ?」
 ユリウス1世が神妙な顔で聞く。
「即座に、ユリウス殿は、南陵流のラグナ・ロックハートだとお答えになられた」
「でしょう、な。ラグナは、南陵流の長い歴史でも5本の指に入る天才ですから」
 その意見に依存がないので、とりあえず、皆と一緒に笑う。
「その時レアル2世殿が、では北陵流の剣士はどうかと訊ねられた」
 会話を聞いて、心臓が高鳴る。おそらく、あの事件の直前のものであろう。その時以外に、レアル2世が北陵流に関心を持つ筈がない。
「だが、ユリウス殿は首を大袈裟に振られて、彼の敗因はラグナと同時代に生きた事だと答えられた。それで場の全ての者が大笑いしたものでした」
「ほお、そんなことがありましたかな?」「それ以来、ワシは、このシンという剣士が好きになった」
 再び肩に手を置く。そして、じっと舐めるような視線で、瞳の奥を覗き込んできた。
「ラグナという星を飾る衛星、そんなイメージがしたからじゃ。常にユリウス殿という巨星に霞むワシと似ている気がしたのじゃ」
「ご謙遜を」
 ユリウス1世が笑うと、視線を外して、彼もまた大声で笑い上げた。
「新しい家族に、乾杯!」
 そして、グラスを高々と掲げて、セリア中に聞こえるように大声で叫んだ。それから、壁を飾る美女たちの方へ歩き出す。
「よく覚えておけ――」
 一人の美女と踊り始める彼を見遣って、ユリウス1世が控え目な声でささやく。
「あれが、スピノザ=ディーン家のフェリックス1世だ」
「はい」
 緊張の面持ちで、小さく頷いた。
 その夜、祝宴は、朝まで続く予定である。

 欺瞞に満ちた挨拶を一通り終えて、静かなバルコニーへ避難した。所詮、役者にはなれないと、疲労感をたっぷり含んだため息が落としながら思い知る。
「お疲れさま」
 懐かしい女性の声がした。振り返らずとも、誰だか分かる。手すりに肘をついたまま、澄んだ声で返答する。
「ありがとう」
「いい挨拶だったわよ」
 女性は、隣に立ち、一緒に夜の庭を眺める。
「ビアンカ、君にもう一度会えてうれしいよ」

 ビアンカ・ド・パルドゥウィンはセリアでも有名な清純派の若手女優である。背が高く、スタイルが良く、仕草に品があり、笑顔が清楚だった。
 この日は、伸ばした髪を頭の両サイドで結って、ピンで留め、それを布で包んでいる。近年誕生した髪型である。当然、身にまとったドレスも、最新流行のもので、脚に大胆なスリットが入っている。


「あたしものよ」
「女優を続けているの?」
「ええ、もちろん」
「それは何より」
「ええ」
 二人は、人工の光を背に、きれいに整頓された庭を眺めている。左右対称の広大な庭は、照明の当てられた噴水が、幾つも闇に浮かび上がり、それらが何かの星座のように繋がっているようだった。それらの地上の星が強いために、夜空の星は霞んでよく見ない。
「以前君が出演していた劇を、先日グリューネルで見たよ。君の方が断然美しかった」
「当然でしょ」
 ビアンカは爽やかに笑う。顔に似合わず、実は気位が非常に高い。
「あなたは変わったわね。まさか貴族様になるなんて」
「服ばかりが派手になる」
 灰色のマントを一度ふわりと広げる。
「似合っているわよ」
「ありがとう。お世辞でもうれしいよ」
 根っからの田舎者が似合うはずがない。しかし、きっと似合うか似合わないなどどうでもよいのだろう。派手に動き回ることが役割なのだ、と気付き始めた。要するに、道化である。
「どうしていたの?」
「何も。酒を飲んで、女を抱いて、博打をして、喧嘩をしていた」
 そう見るべきものはすべて見た。驕り、挫折、絶望を経験し、そして今、復讐を遂げるところまでとうとう来た。そう思うと心が無邪気に躍る。
「倦怠の極みね」
「ああ、田舎者が煽てられて、勘違いして、いい気になって、届かぬ先に手を伸ばした」
 そっと手すりの上のビアンカの手に、手を重ねる。
「そして、何もかも失った」
 ビアンカは、掌を返して、指と指を絡ませる。
「よく死なずにいてくれたわ……」
 他人を思いやる、とても誠実な声だった。
「俺はね、もう一度人間をやりたくなったんだよ」
 エリース教の教えでは、自害すれば転生はできない、とされている。
「今生では、上手く立ち回ることばかり考えていた。誰よりもきれいなものを見て、誰よりも美味いものを食って、誰よりも陽気に笑う」
 脳裏に、ビアンカと二人で、夜の港を歩く光景が鮮やかに甦ってくる。あれは何の祭りの後だったろうか。彼女は濡れたハイヒールを手に持って、踊るように水たまりを避けていた。
「だが、全てを失って気づいたのは、誠実さだった。もし命が繰り返すのなら、俺は一人の女性を愛し、一人の女性のために生き、一人の女性のために死のう、と圧倒的絶望感の中でそれだけを願った」
「そう」
 濡れた、心に沁みる声だった。横目で見ると、誰からも愛される美しい女優が頬に、光るものがある。
「泣いてくれるのかい?」
「私は女優よ、3秒あれば泣けるわ」
 赤く染めた目元を、指先で拭うと、優艶にほほ笑む。心の底から美しい、と思った。
「そして、これからは?」
「分からない。俺は木石に過ぎない。何処に投げられるのやら」
 乾いた笑いを浮かべる。
「少しは自分を大事にしないさいよ」
「今さら難しいだろうね」
「私ね、あなたを演じるつもりなの」
「へーえ」
 ビアンカの細く長い指が不意に伸びて、扱けて傷んだ頬に触れた。少しひんやりする手だった。
「だから、無様なことはしないでね」
「ああ、心がけるよ」
 ふっと手が離れていく。心底、名残惜しく感じた。
「シン様、殿下がお呼びです」
 その時、侍従が呼びに来た。
「それでは男爵様、失礼いたします」
 女優は、他人行儀に一礼して、くるりと背を向けて、その場を離れていく。

 ユリウス1世は、紹介したい人がいると、小さなサロンへ案内した。
 そこは間口3m、奥行き8mの細長い部屋である。床に紫がかった紺色の絨毯が敷かれ、壁は腰までが木製の板で、その上をまた絨毯と同じ色に塗られている。天井には紺碧の空が描かれ、大きなシャンデリアが吊り下げられている。外壁に面した間口には横幅一杯まで大きな窓が設けられて、その前に木造の重厚なテーブルが置いてある。
 テーブルに、女性が二人いて、親しげに談笑している。
「右がティルで、左がグレタだ」
 指を指して、ユリウス1世は紹介する。
――逆だ、爺!
 肖像画などで何度も見ている。
 左にいるのが、サリス皇女ティルローズである。
 腰まで伸ばしたさらさらの黄金の髪、顔は小さく、瞳は青く澄み切り、そして、手足はすらりと長い。
 腰を細く絞ったドレスで、胸元は大きく開き、内側よりレースをのぞかせて、裾全体には花の刺繍が施されている。
 もう一人は、陽光のような金髪を三つ編みにして、それを後ろで丸く結い上げている。顔立ちは少年のように凛々しい。
 体形を極端に変える下着を着用せず、自然で直線的なシルエットのドレスを着ていた。
 そんな情報が眼球に映し出されている。
「逆ですよ」
 やんわりとした声で、右の見知らぬ女性が言う。
「そうか。最近目が悪くなって、若い女の子の顔がみんな同じに見えるのだ、がははは」
 豪快に笑うユリウス1世を、ちらりと冷やかな目で見る。
――それは目のせいじゃない。歳のせいだ!
 男として、こうはなりたくないと、強く思う。
「ほら、審判だ」
 今度はきちんとティルローズを指す。
「こっちは……」
 言いかけて、ユリウス1世の口が止まる。
「何で君がここにいるのだ?」
「ふふ」
 悪戯っぽく、その女性は笑う。
「それは、予感がしたから、面白そうだって」
「君はそうやって、何処にでも顔を突っ込むねえ。ご両親もさぞ心配だろ」
「もう諦めています」

 彼女は愛称グレタ、本名はマルガレータ・フォン・シュタウフェン=アルティガルド(エストディーン)である。アルティガルド王国の王女である。じゃじゃ馬姫として評判で、思い立ったら、一人で何処へでもふらふらと出掛けてしまう。

 とりあえず、遥か雲の上の存在である二人に、跪いて挨拶しようとする。と、ユリウス1世が襟を掴んだ。
「ディーンは膝を折らん」
 低い声で鋭く告げる。
 怒られたことよりも、本物の前で、そう言われて、カッと顔が熱くなってしまった。
「ようこそ、ディーンへ」
 優しい声でささやき、グレタが手を差し出した。その手に触れると、思いの外強く握り返させて、不覚にも心臓が激しく鳴った。動悸が治まらぬまま、ティルローズとも握手する。こちらは摘まむような感じだった。
「それじゃ、後は若い者どうし」
 ユリウス1世は、それだけで、さっさと退室する。一人残されて、まさに蛇に睨まれた蛙状態となった。一向に脂汗が止まらない。
「この紅茶美味しい」
「でしょ、ふふ。実はこれ――」
「そうなの、すごい。実は私も――」
「それはこうでしょ……」
「いえいえ、こうじゃなくちゃ……」
「へーえ、やるわね」
「あなたも」
 皇女と王女は、楽しげに紅茶を飲み続ける。
「彼は有名剣士なのよ」
 突然、話題が転じて、いきなり当事者となった。急に胸が刺されたように痛む。
「そうなの、ごめんなさい。知らないわ」
「グレタは、剣術大会に詳しい?」
「いいえ、スポーツは見るよりやる方が好きだから」
「お転婆ですものね」
「まあ、行動派と言ってほしいわ」
「ごめんなさい」
 二人は笑い合う。
 そんなことどうでもいい、と内心で舌打ちをした。早く終わらせてほしい、と焦りのような感情が湧く。
――なぜだ?
 この苛つきの原因を自問しかけた時、脳裏に古い記憶が蘇る。

『待ちなさい!』
 野良猫を追いかけて、塀の上に上る少女の後ろ姿が浮かんだ。
『危ないよ』
『あの子猫、怪我しているのよ。あたしが助けてあげるの』
 後先考えずに、まず行動していた。


 声も姿も、似ても似つかないが、何処か同じような空気を感じる。
「木剣は苦手なの?」
 いきなり、そのグレタが問い掛けてくる。
「いえ」
「少し手古摺っているように見えたけど?」
「今回は、受けの剣を使い、負けにくい戦い方をしました」
「受け!」
 グレタが目を丸くして、やや大きな声を出した。さらに、ドレスに紅茶をこぼしてしまう。
「失礼」
 そう言い残して、グレタは洗面室へ向かう。
「この部屋をご存知か?」
 二人きりになった瞬間から、ティルローズの表情は硬く真剣なものになっていた。
「いいえ」
「この部屋はテードに在った物を模したものだ。この部屋で、神威帝は、サリス帝国再興を誓われた、という」
 ディーン一族の邸宅には、必ずあるらしい。だが、それを敢えて言う真意が分からず、ただ次の言葉を待った。
「で、サリスのために働けるのか?」
「……」
 突然の問いに、脳に警鐘が鳴り、心臓の鼓動が急激に速くなる。
「ユリウス殿から聞いている。貴方は無口らしいな。まあいい。おしゃべりなだけの男は必要ない」
「……臣は」
「もういい。互いの事はおいおい知っていこう」
「……な、何を?」
「わたくしからの条件は、闘神オーディンのように女神エリースを崇めて貰えたら、それでいい。貴方の条件は?」
「……?」
「……」
「……??」
「……」
「……???」
「早く」
「……????」
 戸惑いは頂点へと達した。誰か替ってほしい。

 翌朝、ユリウス1世に、道場へ呼び出された。
「ティルローズ様とはどうだった?」
「うまく会話が噛み合いませんでした」
「まあ、ぼちぼち行こう」
 ユリウス1世は、少年のように軽やかに笑う。
「会話の中に神威帝を示唆する言葉がありました」
「ほお」
「一度聞いてみたかったのですが、本当に強かったのですか?」
「強い? そんな言葉では追いつかんよ」
 笑いが消えていた。複雑な思いがその目に浮かび、それらを心に仕舞い込むように固く瞼を閉じる。そして、目尻に深い皺が刻まれた。
 どれくらいの沈黙が流れただろうか、ゆっくりと目を開く。その時には、いつもの静かな眼差しに戻っていた。
「今日は、特別にお前にも伝えよう。絶対的強さというものを」
 二人は立ち合う。
 悠然と立つユリウス1世を前にして、緊張が漲る。体にひしひしと重圧が圧し掛かっている。
――これ程とは……。しかしッ!
「はぁああ!!」
 先手必勝とばかりに、渾身の一撃を振り下ろす。正確な剣筋がユリウス1世の頭上を襲う。
 ユリウス1世も木剣を放つ。
 二本の木剣が正面から衝突する。
 力は互角。
「馬鹿な……」
 そう確信した瞬間、ただ呆然とするしかなかった。
「何かの間違いだ……」
 唖然として、現実を拒否するように、さっと後ろに飛ぶ。そして、より詳しくそれを確認する。間違いなく木剣が根元から折れている。
「もう一度だ!」
間合いを取り、再度撃ちこむ。が、結果は同じだった。木剣同士が衝突すると、こちらだけが折れてしまう。
「そんな……」
 力負けした訳ではない。まるで剣が二本あり、その架空の一本に、横から払われたような感じだった。
「考えるからだ」
 ユリウス1世の抑えた声が、動揺した心に刺さる。
「素晴らしい集中力だ。指先の動きさえもその目は捉えていた。剣才もなかなかだ。動きを正確に予測していた。だが、感じていない」
「何を……感じろと?」
「全てを、だ。空気の流れ、壁に掛かる花の匂い、空間全てのあらゆる人と物の存在を正確に把握するのだ」
「そんな…事が……」
 無言で立ち尽くす。
「出来るのだ。ディーンの剣、神威十字剣ならば!」
「はい……」
 あまりの衝撃に、項垂れながら返事をした。
「お前は、あのラン……ラン・ローラ・ベルの血を引いている。必ず我がものとしよう。その力をもって、ディーン一族を救え」
 この時から、『神威の奥義』を究める修行が始まった。

 連日、道場に一人篭る。
 繰り返して、頭の中で、ユリウス1世の言葉を再生する。
『千変万化する敵の意識を感じ、それに柔軟に対処する。そのためには無形であらなければならない。無の状態から千変万化する無意識無想の剣へと変遷するのだ』
 声が出ない。
 全ての答えが目の前にあるような気がする。しかし、全く掴みどころがない。
 考えれば考えるほどに、細胞の一つ一つが燃えるように震える。それが恐怖に怯えたためか、歓喜に心躍らせているためか、それすら理解できない。
そんな日々の中で、突然、鷹狩をするティルローズの護衛を命じられる。
 嫌、とは言えず、しぶしぶと『アプフェルバウムの森』の館に行く。
 館では、慌ただしく、侍従たちが準備に追われていた。
「護衛なら、我々が責任を以て務めます」
 警備用の小屋をうろうろしていると、禁軍の中で、ティルローズ直属の女騎士『セシル・クワント』が言ってきた。長身の身体に白亜の鎧を纏い、碧い空の欠片のように澄んだ眼が、美しく凛々しい。
 追っ払いたいようで、口調に棘がある。
「男爵は、お仲間と、お喋りでもお楽しみ下さい」
 参加者は数人だが、前日から食事会やら、舞踏会やらがあり、翌早朝から、森の中へ出発する。そして、森の中の館で、昼食を楽しむ予定になっている。
 このまま出ていくのも癪だ。
 徐に顔を近付ける。
「如何にエッダの名剣士といえども、実戦では引けを取らぬぞ」
 セシルは睨み付けて剣を握った。
 不意に頬を緩めて、微笑みかける。そして、
セシルの前髪をさっと上げた。
「額を出した方が可愛いよ」
 そう告げて、すっと身を引く。
「ふざけるな!」
 払い除けようとしたセシルの手が、虚しく空を切る。
「それじゃ、また」
 肩越しに手を振って、小屋を出ていく。

「よう、シン」
 やることもなく独り突っ立って、侍従たちの手際の良い働きを眺めていた。
 そこに、陽気に現れたのはシャークである。いきなり抱き着いてきて、無邪気に再会を喜んでくる。
「お前がいないんじゃ商売にならない。お前と一緒なら、幻獣も竜も恐るるに足らず……だったのだが、もうハンターは廃業だ」
「そうかい」
 正直どうでもいい。
「今ウェーデル山産の酒の行商している。今日は祭りだそうだな。がっぽり儲けさせてくれよ」
 手を捏ねながら、にやにやと勝手なことばかり言う。
「さて、仕事があったなぁ、俺行くわ」
 時計を見て、歩き出す。
「待って、待ってくれよう、見捨てないでくれ……」
 シャークが、濡れ落ち葉のように、脚にしがみ付いてきた。
「わ、分かった」
 仕方なく、酒を買う。侍従を呼んで、荷車を用意させた。
「おいおい、なんだ、この量は?」
荷馬車に大きな酒樽を三つ乗せている。
「姫様は、どんな酒豪だよ」
「部下に配ればいい。人心掌握の常套手段だろうが」
 体を密着させると、肘で脇腹を突きながらささやく。
「仕方ないなぁ……」
 結局、押し切られてしまった。背を丸めて、領収書を嬉々として書く姿が憎たらしい。
 こうして、一際大きな荷物を率いて、森の中へと入る。
 指定されて、ティルローズの横を歩く。彼女は愛鷹を優しく撫でている。宮殿の中での生活も息が詰まるのだろう。表情が生き生きしていた。
 すると突然、辺りがどんよりとして重い空気に満ちてくる。そして、洞穴から禍々しい気配が飛び出てきた。
 顔が三つある幻獣ケルベロスである。
 即座に、ティルローズの前に立つ。
「……大きい」
「遠近法です」
「……そうなの?」
 じりじりと、細心の警戒をしながら下がる。
「ガルルルル」
 突然現れた人間に、ケルベロスはすごく機嫌が悪くなったようだ。怒りの咆哮を上げている。
 そして、荷車の横まで来て、ピーンと考えが浮かんだ。酒樽を荷車から引き落とし、ケルベロスへ転がす。
 ケルベロスは古典通り、人ほどの大きさのある口を開いて、酒樽を一飲みする。
「きぃええええ!!!」
 雄叫びを上げながら、ケルベロスに突進する。眼前に迫るケルベロスは、ティルローズの言葉を借りずともやはり大きい。
 思わず、足がすくむ。
 その瞬間、ケルべロスの前脚が襲ってくる。
 必死に間一髪避ける。避けたはずだったが、その鋭く強大な爪が、胸を切り裂いていた。
 ケルベロスは、ゆっくりと後ろ脚で地を蹴った。
 『不知火』を顔の横に立てる。
――敵は三つ! それ以外は構うな!
 ケルベロスは口から涎を垂らし、目を剥いて、飛び掛かってきた。
「ケルベロス返し!!」
 渾身の斬撃を繰り出す。
 白い閃光が縦に一閃する。
 ケルベロスの中央の顔を切り裂くことができた。しかし、左右の顔が襲ってくる。
 もう間に合わない。
 無意識に、横に一閃放っていた。
 ケルベロスの残った顔が二つとも、横に切り裂かれた。そして、魔のオーラを発散させながら消えていく。
「……勝った、のか?」
 大きく息を吐きながら、力尽きて地に伏す。
 辺りはそれまでと一変、元の清々しい森へと変わっていく。

 気を失い、高熱を出し、三日三晩眠った。
 起きた時、その物々しさに首を捻った。侍従を捕まえると、
「セリアで内乱です」
 と震える声で言った。それ以上、事情を知らない。
 『アプフェルバウム館』は、禁軍が守りを固めている。その中から、唯一言葉を交わしたセシル・クワントを見つけ出した。
 彼女は、髪をポニーテールにして、額を全開にしていた。
「何が起こっている?」
単刀直入に説明を求めた。
「先日、レアル2世殿下が崩御されました」
 享年51歳だったという。
「その日のうちに、政府は、ソロモン・ディアスへ逮捕状を発行しました」
 ユリウス1世の仕業に間違いない。
「で、ソロモンは?」
「約500の騎士を集め、さらに、オルテガ=ディーン家に援軍を求めたが、喪に服していると相手にされなかったそうです」
「馬を、馬をくれ!」
 セシルの肩を掴んで、必死に頼み込む。彼女は初め躊躇したが、最後には、最も足の速い馬を貸してくれた。
 休みなく馬を走らせ、ようやくセリアに戻った時にはすっかり日は暮れていた。

ソロモン邸は完全に包囲されていた。
「最悪だ!」
 歯軋りしながら、地面を蹴り上げた。
 ソロモン邸の正面と搦手から、ほぼ同時に戦闘が始まっている。
 ユリウス1世は、戦いが無意味に拡散する事を嫌い、一日で戦いを決しようと力攻めを命じたらしい。だが、ソロモンの手勢はよく守った。数度に及ぶ突撃を、激しく矢を射掛けて後退させた。
「風上より火を放て」
 それで、ユリウス1世は、容赦ない命令を下した。周囲に火が広がる恐れがあるが、それよりも勝たなければ意味がない、と判断したらしい。
「攻めよ」
 ユリウスの声が響き渡る。
 火はあっという間に、門や塀を包み込んでいく。煙に燻し出されるように、一騎、一騎と門外に出てくる。それを包囲軍は取り囲んで討ち取っていく。
「突撃せよ。必ずやソロモンの首を討ち取れ」
 精鋭部隊が突入する。
 それを止める力は、最早ソロモンの手勢に残っていなかった。
 ソロモンは館に火を放つと、息子と二人で毒入りのワインを飲んだ。その一部始終が、窓ガラスに映し出されていた。
「バカな!」
 独り慟哭する。
 だが、それを聞く者は誰もいない。焼き焦がれた空に、虚しく消えていく。
「俺はまだ何もしていない!!」
 膝から崩れ落ちた。
 哀しいのか、うれしいのか、悔しいのか、恥ずかしいのか、頭も体も痺れて、何も分からない。
 眼球がぐらぐらと蠢く。まるで船に乗っているように、左右に視界が揺れている。
 近くで鳥がうるさく鳴いている。五月蠅いと怒鳴り掛けて、ようやくそれが自分だと気付いた。
 口を動かしても、嗚咽が出るばかりで、空気を吸えない。胸が鎖で締め付けられたように、腹が熱鉄を飲み込んだように痛む。このまま死ねたならば、どんなに楽であろうか……。
 そして、小さな岩のように蹲ったまま夜が明けた。
 火は治まり、多くの兵が、ソロモンの遺体探索を始めている。しかし、瓦礫が多くて難航しているようだった。そんなどうでもいいことが、眼前で繰り広げられている。
 こうして『ソロモンの変』と呼ばれる騒動は終わった。

 一人で、セリア港のオーディン像を眺めていると、そこにラグナが現れる。
「帰っていたのだな」
「ああ」
「大変だったな」
「ああ」
 ラグナは、横に座る
「これでセリアの治安もよくなるだろう」
「そうだな」
「カイザーリング大公爵は、出家するらしい。これで次期皇帝はティルローズ様だ」
「ああ」
 ラグナの声が全く耳に入ってこない。世情の話題など、何の関心も持てない。
「沙月さんには、会わないのか?」
 キョトンと親友の顔を見た。不思議と体の中に何の響きもない。空っぽなのだ。骨も肉もない、ただ大きな空洞があってそこを乾いた風が吹き抜けている。
 別れとは不思議なものだ。あれほど互いを知り合っていたというのに、今は何も知らない。何処にいて、誰を見て、何を話しているのか、見当もつかない。
 調べれば、居場所ぐらいはすぐに知れるだろうが、そう分かっていても、どうしても腰が鉛のように重い。
「……会ってどうする?」
 初めての感情の篭った声は、卑屈な響きを含んでいた。
「優しい言葉をかけてやればいい」
 ラグナは、雪のように真っ白で、何処までも誠実な男である。尊敬もするし、導いて欲しいとさえ思う。その真っ直ぐな正道を共に歩めたら、どんなにか清々しい人生であったろう。
 だが、それ故に、道を踏み外した者の気持ちを理解することはできない。
 何を以て優しさと言うのか?
 どこに救いがあるのか?
 誰が信じるに足るのか?
 いつこの心は許されるのか?
 友よ、正道の申し子よ、答えてみせよ!
「きっと彼女も喜ぼう」
 脳が痺れて、視界が揺らぐ。そして、言い訳ばかりが次々に浮かんでくる。
「砂時計をひっくり返しても、時間が戻るわけじゃない。時間は流れ去っていく。隔てた空白の日々を埋めるすべはない」
「そうか?」
「……」
 涼しいほどの声で、疑問を呈する。それに一驚を喫した。
「信じる心があれば、そんなものは乗り越えられる。要はお前の心次第だ。愛とは見返りを求めぬものだぞ」
 何と強く眩しい輝きだろう。もうその瞳をこちらに向けないでほしい。
 俺は誰も信じたことはない。
 俺は誰にも優しくしたことはない。
 好意を唯貪って生きてきた。
 これはその報いなのか?
 だがしかし、そもそも、ラグナよ、お前の言うことが、この狂った世の人間に実現可能なのか?
「……すまない、独りにしてくれ」
 頭を渦巻く強烈な思考に、今にも狂い出しそうだった。親友に危害を加える前に、一人になりたかった。
「分かった」
 ラグナは立ち上がり、優しく肩を叩いた。
「君は僕達の希望だ。今の覇道政治から王道政治へ、この国を導けるのは君しかいない。……立ち直ってくれ」
 そう言い残して立ち去っていく。
 一人になって、オーディン像に問い掛けた。
 これが、俺が望んでいた復讐なのでしょうか?
 こんな中途半端な気持ちを、俺は望んでいたのでしょうか?
 教えてください、オーディンよ!
 エリース湖から吹く冷たい風が、髪を靡かせる。
「いいや、こんなものの筈がない。ソロモンとは一体何者だったのだ……?」
 自然と下を向く。そして、足元の小石を見た。
「結局、奴も俺も、この小石か……」
 その小石を掴む。
「ソロモンも俺と同じ組織の一部に過ぎなかった。……組織、では、俺は……?」
 どうすればいい?
 組織を潰すのか?
 この帝国を滅ぼすのか?
 そんな事は出来ない!
「……ならば……どうする……どうすればいいのだ?」
 小石を手の中で転がす。
「相手が組織ならば……そうだ……全てを乗っ取ろう。組織を潰せないのなら、その組織のトップに俺が立つ!」
 力強く立ち上がると、石を湖面へと投げる。
「それが俺の復讐だ!」
 石は水面の波に軽く弾き返された。


第二章 闘いの幻想

第二章 闘いの幻想


 ウェーデリア公国首都、グリューネル。
 バラクーダ劇場は、メインストリートの四つ角にある。角に建つクラシックな白亜の鐘塔が美しく、ウェーデリアが誇る名建築である。
 その鐘塔の一階が正面玄関で、御影石の階段を数段上がって入ると、奥にはカフェがあり、床は全て豪華な赤い絨毯が敷いてある。手前に階段をあり、登った2階に大ホールがあった。
 階段の金色の手摺に手をかけて、大きめのサングラスをかけた一組のカップルが腕を組んで下りてくる。
 シンとアイラだった。


「前にセリアで、楽屋に招かれたときに、見たんだが、冬服の衣装の中に、夏服の衣装を着ていて、裏を走りながら脱いでいるんだぜ」
「へーえ」
 アイラは嬉しそうに頷く。腕にぶら下がるようにしがみ付いている。
「主役の子は、あんまり可愛くなかった」
「そりゃアイラが一番さ」
「そうじゃなくて、もういい!」
「危ない」
 アイラは、一人先に玄関の回転ドアを抜けたが、御影石階段で、足を滑らせる。
 咄嗟に手を伸ばして、腰をしっかりと支える。そして、抱きかかえるようにして、二人で階段を下りた。
「ありがとう。あたし、とっても嬉しい」
 アイラは、首に手を回して、情熱的なキスをする。それから、何度もわざと転びそうになり、その度に甘えるように抱き着き、キャキャと喜びの声を上げている。
 二人は、もつれるように路地裏を歩き、宿泊しているホテルに入った。
 ドーン、カチャ。
 部屋のドアを閉め、鍵をかける。
 その瞬間、アイラは顎を上げて、舌を差し
出してきた。まるで雛がエサを求めるように、キスをねだっている。
 唇より先に、舌と舌が絡み、混じり合った唾液が滴る。唇と唇が、噛み付かんばかりに重なり、唾液を吸い、流し込めば、人工甘味料のようにどきつい刺激的に、心が甘い陶酔感に酔っていく。
「ああン」
 唇から離れて、口の周りの唾液を舐め上げて、首から耳へと舌を這わせる。アイラは抒情的な二重瞼を閉じて、悦びに満ちた喘ぎ声をもらす。
 完全に、二人のスイッチは入った。
 シャツのボタンを外す間に、アイラは洒落たパンプスを脱ぐと無造作に放り出し、スカートを尻が見えるまで捲り上げた。そして、ショーツをするりと片脚から抜き、そのショーツを足首に引っ掛けた脚を腰に絡ませてくる。
「ああん、ああん」
 情熱的に鼻を鳴らす。その膝の裏に、手を差し込む。心得たように、アイラは首にしがみ付き、さらにもう一方の足を抱えやすいように持ち上げる。
「あああん!」
 軽々と抱え上げると、アイラはそのふわりとした浮遊感だけで、さらなる高揚を感じている。
「うむむむ」
 貪るようにキスをする。そして、すっかり馴染んだ穴へと弓なりに漲った肉塊を埋め込む。
「くっ、はぁんんん」
 アイラは、満たされたのだろう。安堵にも似た喘ぎ声を発した。
 突き上げる。アイラの腰が大きく上下に揺れる。浮かんで落ちてくるタイミングにあわせて、再び腰を突き上げると、また毬のようにアイラの尻が弾んだ。
「ふかいッ!」
 男に抱えられ、その男にしがみ付く。さらに、脚を左右に大きく開き、股間を無防備に晒し、秘匿すべき女の穴を、重力に任せて突き出している。何とはしたない姿であろうか。つい数日前までとは全く別人になってしまった。
 そうしたのは、セックスの快感だろう。一つの至極のセックスが、それ以前とそれ以後を変えてしまった。いや変えるのではなく、性格の一部を強調したのかもしれない。
 それを知ることは、人として、幸せなのだろうか……。
「奥にあたるぅ」
 毬突きを激しく繰り返す。
 アイラは涙顔になって、情熱的に喘ぐ。抱えている限り、逃げることができない。そのもっとも刺激を感じる場所を、ずっと攻め続ける。
「あ、ああッ、イクっ、イクっ、イクっ、イクっ……あ、あーーッ!!」
 この体位で一度いかせた。それから、そのままの格好で歩き、ベッドの上へ放り投げる。
「きゃあ」
 公園の急な滑り台をおちる少女のように、無邪気な笑みを浮かべて、短くて小さな悲鳴を上げる。
「は、恥ずかしいよ……」
 膝を掴んで、脚を押し開く。まだぽっかりと丸く穴が開き、蜜を湧水の如く溢れさせている。
 アイラの消え入りそうな声を聴きながら、その固くとがった豆粒へ舌をあてがう。
「ひぃ、ひゃあああ」
 感度よく、鋭く仰け反る。
 次に洞窟のように開いた穴の中へと、舌を押し込む。同時に、クリトリスを指で摘まむようにいじる。
「ひぃ、ひぃぃ、ああん」
 アイラは、敏感になった柔肉を、弄られて、声にならない悲鳴を上げ続ける。そして、もがくように脚を閉じて、顔を強く挟み込んできた。
 まるで罠にかかった兎のようだ、と思う。脱出する方法は、一つ、攻め続けるしかない。
 ずるずると穴から蜜をすすり、肉襞を口の中に含み舌腹の上で踊らせる。
「ンぁやぁ、……それらめェ、また、イク、イッちゃう、ま……たッ!!」
 強くシーツを握りしめ、白い喉をぐっと伸ばして、かつ、脚を震えんばかりに突っ張らせながら絶叫する。
 二度目である。
 顔を挟んでいた枷のような脚が弛むと、身を起こして、左手の指でクリトリスを捏ねながら、膣穴の中に指入れて、鉤なりに折り曲げた指で肉壁を掻きまさぐる。
「ひぃーーーーーい!」
 地の底から引きずり出したような呻き声を上げて、間欠泉のように、潮を吹き出す。連続で三度目の絶頂である。仕事をした気分である。
 満足そうに、荒い息を吐くアイラの隣に寝転がる。
「少しは満足したか?」
「……」
 アイラは、無言で乳首に吸い付き、円を描くように舐め始める。
 まだのようだ。
「大丈夫、シンは何も心配しなくていいわ。あたしが守ってあげる」
 すっかりアイラの口癖になった。これを言いながら熱狂的に奉仕するのが、お気に入りのようだった。
「シンはじっとしていて」
 肩、首、顎とキスを繰り返しながら、ゆっくりと顔の方に上がってくる。そして、唇に一度軽く口付けをした後、貪るように吸い付く。ほぞ穴のようにぴったりと噛み合い、互いの口腔を一つに溶け合った唾液が行き交う。
「ン……うぐっ……」
 アイラは、苦しそうにふさがれた口の奥で呻く。そして、その唇の感触を堪能し尽くすと、身を起こし、うっとり濡れた瞳で艶かしく見下ろしながら、口を腕で拭った。
 そして、足の間に、身体を移動させる。
「冷たい」
 自分が濡らしたシーツのシミの上に膝を突き、その量に自分で驚いている。
「すごい……」
「ほんと凄いな」
 笑うと、頬を膨らませた。
「誰のせい?」
「アイラがいやらしいからじゃないのか?」
「そういうこと言う人には、お仕置きよ」
 足の指に舌を這わせ始める。先、根元、間と丹念に舐め尽くす。
「どう、気持ちいい?」
 両足を舐め終わると、舌は太腿の内側を、線を描くように舐め上げながら、ゆっくりと股間へと向かう。
「ほら…気持ちよかったのね、フフフ、アイラ、嬉しいわ」
 舌足らずに言う。
 指先を股間に這わせて、肉茎を擦り上げて、そして、小さな口を一杯に広げて大胆に頬張る。
「ん…くぅっ……かたい!」
 硬度を増す肉の塊に、歓喜の声を上げて、奉仕に益々熱を込めていく。
 肉茎の裏側をペロペロと舐め上げ、次に、エラにそってぐるりと舐め回し、時にはフルートのように、横からチュチュと吸った。さらに、袋を口にすっぽり含み、舌先で転がして先端を手で愛撫する。
「アアン……好きよ、大好き」
 ついに腰の上に跨り、自分の唾液でべっとり濡れた肉棒に手を添えると、蜜のたっぷりと滴る肉壷に宛がう。そして、一気に腰を下ろした。
「ひッ! ぐッ! あっ…あああっ!」
 身体全体を使って、がんがんと腰を振る。部屋中に、ずるずる、という派手な水音が響き渡った。
「ああッ、気持ちイイ。オマンコが溶けてしまいそう」
 卑猥な言葉を口走りながら、自らをさらなる淫らな状態へと追い込んでいく。
――なぜ、ここまでするのか?
 ふと冷静に思う。
「ねえ、あたしどう?」
 その時、アイラは不安そうに質す。
「あたしのオマンコどう?」
 まさに縋り付く子犬のような瞳だった。
「ああ、いいよ。よく締まる」
「うれしい」
 真っ赤な顔に、涙を流して喜んでいる。
「いつでも自由に使っていいのよ」
 そして、髪を乱しながら腰を振る。口から痴女のように涎を垂らす。まさに全身でセックスを表現するように、白い裸体を汗で濡らし、熱病にうなされたように奉仕を続ける。
 こんな一途なアイラを可愛いと思った。
 だから、強く抱き寄せて、体を入れ替えて、上から覆い被さった。
「イカせてやるよ」
「う、うれしい……あっ、あはっ!」
 上気した顔で、至福の表情をする。
 膝に手を当てて、足を腹に押し付けるようにして、より深く挿入する。
「うッ! ああ……す…すごい…壊れちゃうっうーー!!」
 アイラの身体が浮き上がるのではないかというぐらい、激しくピストン運動を繰り返す。
「あっ…あっ…シンっ…シンっ…!!」
 アイラも、名を何度も呼びながら、必死にしがみつき、その腰の動きに呼吸を合わせて、腰を震わす。
「こんなに腰を動かして、淫乱だな」
「だって……だって…こんなの夢みたいなんだもん……」
 幼い声で、甘えるように言う。
「んあぁあぁあっ……!」
 一つ一つ突き上げに、これまで以上の奇声を上げる。
「あ…あたし達…今ひとつなのね……」
 踵で背中を叩くように絡み、断末魔の声を上げる。
「あぁんっ! すっ…すっごい……だめえっ…もっ…もぉ……」
 身体が、がくがくと小刻みに揺れる。
「イクッ…イッちゃうぅっ!!」
 アイラは絶頂の余韻の中で、荒い息を吐きながら、ブルブルと軽く痙攣する。
「はぁ、はぁ、はぁ、あぁぅ……」


『ねえ、あたしかわいいでしょ?』
 キスのあとで、沙月が聞く。
『うん』
『え?』
 即答すると、少し戸惑った顔をした。
 桜の木の下、背もたれのないベンチに跨って向かい合う。
『君は世界一、かわいいよ』
『うん』
 沙月がはにかむ。
『だから、世界一幸せになる権利があるんだ』
『そうね』
 冗談だと思って笑っている。その笑顔が愛おしくてたまらない。
『世界一幸せにならないくちゃいけない。そのために僕は全力を尽くす。例え僕という個が消滅しても、君の笑顔さえあればそれでいい』
 強く抱き締める。沙月は全身の力を抜いて、受け入れてくれる。
『君のためだけに生きて、君のためだけに死ぬ。それが僕の望みだ』
『それで?』
 沙月の声が、直接体に伝わる。
『でも、今の僕には、君を幸せにする力がないんだ』
 自然と涙が浮かんでくる。この時、真剣にそう想っていた。これ以上、切実な問題はなかった。
『じゃ、頑張んなくちゃ』
『俺、頑張るよ。君にふさわしい男になるよ』
『うん』
 再びキスをする。
――ああ、どこで道を踏み外したのだろう……。

 目を覚ますと、ベッドに一人だった。上体を起こすと、奥の洗面室で、アイラが髪を染めている。そういえば、昨日黒髪すると言って、ヘアカラーリング剤を買っていた。
 その時、強烈な殺気を感じた。無意識に、ベッドの脇に立て掛けていた刀に手が伸びる。
「やっと起きたの?」
 アイラが、洗面台に身体をかがめたまま聞く。
「ああ。おりゃ!」
 答えながら、ベッドマットを窓へ向かって蹴る。その直後、二人組の男が、窓のガラスを破って飛び込んできた。
「きゃあ!!」
「ぐがっ!」
 アイラの悲鳴がこだまする中で、その男たちは、思わぬマットとの衝突で小さく呻く。
 透かさず、マットを二度斬る。
 マットに二つの切れ目が走り、二つの血飛沫がマットを赤く染める。
「動くな!」
 見知らぬ男の声が背後からした。振り返ると、黒ずくめの男が、背中からアイラの首を腕で締めながら、喉に剣を当てている。
「刀を捨てて、床に伏せろ」
 黒ずくめの男が命じる。
 しかし、無視して刀を持ちかえながら、無表情に近づく。
「動くな、と言ったぞ!」
 黒ずくめの男が叫ぶ。
 さらに無視して、近付く。そして、相手の緊張が漲ったところで、ふいに刀を彼方へ投げ捨てた。相手の目が、その軌道を無意識に追う。
「うがっ!」
 その瞬間、小柄で、男の剣を持つ腕の神経を斬り、さらに、目から突き入れ、脳を貫いた。
 アイラは刀へ向かって、駆けている。そして、転びながら取り、素早く投げ返してきた。
「はい」
「ああ。待っていろ。すぐに終わる」
 刀を受け取ると、ドアに向かって構える。
 開いたドアの裏から、二人組が入ってきた。左右に広がって、一人は低く、もう一人は高く剣を構える。
「きぃええええ!!」
 低い方に打ち下ろす。
 愚かにも剣を立てて防ごうとする。
 そのまま斬撃を走らせて、その剣を切断して、男を袈裟切りにした。
 そして、床近くまで下がった剣先を、素早く振り上げる。上段から打ち下ろす剣とすれ違う。その際、微かに接触させて、激しく弾き飛ばした。
 剣が、天井に突き刺さり、男は万歳をする格好をしている。
 刀を顔の脇に立てる。
「きぃえええええ!」
 再び、渾身の一撃を放った。
 黒ずくめの男を真っ二つにすると、廊下に出る。
 女が一人いた。
 連絡係だろう。メイドの制服を着ている。そして、怯えて壁に張り付いていた。その股の下に、刀を突き刺す。
「お前も、二つに裂かれたいか?」
 女は泣きながら首を振る。腰が砕けてかけて、股間に固い鋼が当たった。途端に、爪先立って、芋虫のように背中で壁を上ろうとしている。
「誰に頼まれた?」
 刀に小水がかかる。
「命じた者は何処にいる?」
 震える女の視線が、破れた窓を指している。
 振り返ると、湖に豪華な船が浮かんでいた。


 室内は、見事な装飾品で飾られていた。どれも歴史的価値があり、金を積めば手に入るようなものではない。一目で、そこらの富豪ではない、と分かった。
「失礼いたします」
 お茶を持ってきた侍女が、下がっていく。よく教育されているらしく、余計な事は一言もしゃべらなかった。
「……相当な上流階級らしい」
 感想を短くもらす。
 間もなく、廊下から足音が聞こえる。その足運びだけで、相当な手練れだと感じた。
 重い扉が開いた。老紳士が入ってきて、執拗用の大きな机に座った。
「暴れたそうだな」
 老紳士の第一声である。その瞬間に、室内に言い様のない威圧が満ちていく。神経がピリピリと張り詰め、筋肉に自然と力が篭る。
「……ユリウス1世殿下」
 声を絞り出すように呼んだ。

 ユリウス・レヴィ=ディーンは、この時70歳を越えていた。頭髪はすでに白く、頂点部まで薄くなっている。しかし、ゆったりとした服から垣間見える筋肉は、些かも衰えていない。眼光は鋭く澄み切り、彼が未だ現役の剣士である事を物語っている。
 彼は神威帝を父に、アフロディースを母に持つ。まさに剣士のサラブレットだった。幼少の頃から、剣と学問に長け、両親に頗る愛された。
 後に、南陵流宗家となり南陵各流派を纏め上げ、剣術界の泰斗として君臨するようになる。
 逸話は多い。
 現在でこそ文武両道に優れた男と評されているが、10代の頃は荒れていた。
 セリアで喧嘩が起きれば、その中心には必ずいた、と噂されるほどであった。
 弁舌にも優れ、戒めようとする者を逆に丸め込んでしまったことも多々ある。
 そこで神威帝は愛弟子ラン・ローラ・ベルに預け、養育された。
 そして、猛稽古の果てに、生死の境を彷徨うこと、十数度。
 ようやく瞳が鎮まるようになり、両親を安堵させた。この頃から友情に厚くなり、律儀な一面を持つようになる。
 しかし、血気盛んな面は、20代となってからも相変わらずだった。将軍や大貴族を殴り倒す事、度々である。
 一度など、勝利の祝宴の席で、泥酔した当時の統帥総長を、同輩の将軍をからかったという理由で、馬乗りになり殴りつけた。
 さすがに、一同は青ざめた。
 ついに神威帝自らが引き離すという事態になり、事件後、母親は短剣を喉に当てて、一緒に死のう、と涙ながらに諌めた。それで、ようやく謝罪した。その後、役職を全て剥ぎ取られて謹慎を命じられる。
 年を経て落ち着きを得たが、相変わらず曲がった事が嫌いで、頑固一徹であった。しかし、友や下の者に対して優しく、面倒見がよい。民衆はこの剛毅さを愛した。
 不祥事の度に辺境に飛ばされ、その度に、数々の武勲を重ねる。後に、『エッダの森』を興して、若者の教育に力を尽くした。
 が、晩年は報われていない。
 後継者であったユリウス2世が、ビルンタール軍に大敗して戦死すると、続々と子や孫が死去していく。
 さらに、16代サリス皇帝カール7世の後継者を巡って、オルテガ=ディーン家と争うことになった。当初、彼自身は、レアル2世と争うつもりは毛頭なかった。
 『エッダの森』の学生達が、宰相レアル2世の政治を声高に非難したし、さらに、カール7世が、娘ティルローズを女帝にしたいと、支援を求めてきたために、対立する立場になっていった。

「シン・ハルバルズよ、久しいな」
 ユリウスが穏やかな声で言う。
「どうして、私を殺したいのですか?」
 警戒心を解かずに、ユリウス1世の目をじっと見据えて質す。
「殺すつもりはない。ちょっとした願いを聞き入れてもらいたくて、案内を送っただけだ」
「ほお、ずいぶん手荒なお招きで……」
 徐にお茶を飲む。
「以前、お会いした時のこと覚えていらっしゃいますか?」
 舌先に苦みを遥かに超える、心の奥に仕舞い込んでいた想い出を、久しぶりに持ち出す。
「少しは」
 ユリウス1世は、臆面もなく答える。
「あの時、私は、土下座をして、殿下の助成を乞い願いました」
 抑えようと思っても、どうしても声が昂ぶる。
「覚えておる」
「しかし、殿下は、唐突に心理テストを始められた」
「そうだったか?」
「森の中の一軒家を覗くとバケツがある。その中の水の量は、と聞かれた。私は『パッと水を投げ捨てた時のように底に少しだけ残っている』と答えた」
「なるほど」
 にやにやと口元を緩める。
「そうやって笑いながら、『水は愛情の量』と殿下は教えて下さった。純朴な田舎者の仮面を剥がして、不遜な野心家の顔を暴かれたわけです」
「ほお、で?」
「ええ、当たっていましたよ。感謝しています、心から。自分が、他人の愛に応じる資格のない人間だと悟りましたから」
「己を哀れんだ自分語りはその辺でよかろう」
「何!?」
 満を持して、牙をむく。自然に会話しながら北陵流の間合い詰めた。生還は叶わないだろうが、手刀で、油断した老人の頭ぐらい砕けるだろう。
「シンよ、これは悪い話ではないぞ」
 全く敵意を意に介さず、悠然とユリウス1世は言う。
「余は、ソロモン・ディアスを誅伐することにした」
 その言葉は、心を激しく揺さ振った。何度も夢に見て、待ち望んだものだった。しかし――分からない。
「事情が変わったのだ。レアル2世が間もなく死ぬ」
 怪訝な表情に、ユリウス1世は苦笑すると、自ら少し事情を説明した。
「これは皇帝陛下の御意志でもある」
「……」
「どうだ、余の駒になってみぬか?」
――この老人は、事が済めば俺を殺す気だろう……。
 それは疑いの余地がない。利用されるだけ利用されて、あとはゴミのようにぽいと捨てられるのだ。
 それを重々承知してなお、心にあるのは、水のように静かな心境だった。
――それでいいではないか!
 元より、絶望と倦怠に沈んだ魂が、一つ消えたところで何の問題があろう。
 要は、この肉体が滅びゆく前に、あの穢れた肉の塊に、刀の切っ先を突き刺さればよいいのだ。その後、この身が八つ裂きにされようと晒しものにされようと気に留めるほどのことではない。
「――で」
「うぬ?」
「俺は何をすればいい?」
「ははは」
 ユリウス1世は、然も愉快そうに笑う。
 精々笑えばいいさ――世界はお前にくれてやる。好きにすればいい。好きなだけ弱い人間を操ればいい。だが、一太刀だけは、自由に使わせてもらう。
 ユリウス1世に合わせるように、よく似た笑顔を作って見せた。その瞳の奥が、燃えるように熱い。
「おい、気付いているか?」
 ユリウス一世が何かを問う。その声は奇妙なほど真剣だった。
「お前の瞳の奥に赤い光が宿っているぞ」


 9月14日、セリアの短い夏が終わり、秋の風が薫り始めて、鰯雲が青い空を飾っている。
 馬車は、セリア市内を南西へと進む。途中窓から巨大なオーディン像が見えた。
「帰ってきた……」
 ようやく実感がわく。
 馬車を下りると、エッダの森の中を進む。小さな池の辺で釣りをする、草臥れた中年の男がいた。
「カイト師範……?」

 カーク・カイトは、北陵海闘流の道場主である。
 父親のマーク・カイトが北陵流を分かり易くした海闘流を創設し、それを、門弟2000人を数えるほどの大道場に育て上げた。
 剣の腕以上に、経営の手腕もなかなかのものである。いつも忙しく扇子を振り、彼方此方駆け回り、北陵流の普及に苦心して来た。

 それが生気の欠片もなく、真っ昼間から釣りをしていた。
「釣れますか?」
 後ろから声をかける。
「釣れはせんよ。針がついておらんからな……」
 カイトは力なく笑った。
「……」
 無言でその場を立ち去った。
 階段を上って北陵冥刀流の道場に入った。道場は閑散としていた。門の屋根と石畳に草が生えて、かつて若者達の声が絶え間なく響いていた空間は、蜘蛛の巣が張り、床には埃が積もっている。
 勝手口に回る。土間に転がっていた木刀を踏み、思わず拾い上げた。昔日の思いが込み上げ、つい素振りをする。と、視線を感じて振り返る。
「お帰りなさい」
 そこには佐々木十三の妻、『美月』が毅然と座っていた。
 二人は座敷に向かい、シンは位牌に手を合わせた。そして、美月の方を向く。
「ご無沙汰致しました」
「……元気でしたか」
「はい……」
 両手をついて、頭を下げる。美月は少し白髪が目立ち始めたが、昔のまま背筋を伸ばして、凛としていた。
「明日、南陵流宗家の剣士として試合に出ます」
「……そうですか。あなたも新しい人生を歩むのですね……」
 美月は優雅な手つきで、茶を口に運ぶ。
「ソロモン・ディアスを滅ぼします」
 美月の手の動きが止まった。
「……復讐ですか?」
「そうです。ユリウス殿下と手を組みました」
「……あなたも傷付きますよ」
「覚悟の上です。ユリウス殿下から誘われた時、あの日以来、凍り付いていた私の血が、熱くたぎり出したのです。もうこれは誰にも止められません」
「勝っても負けても地獄ですよ」
「それは分かっています。しかし、自分には明日は必要ありません。今日を生きることが出来れば、今日を生きる実感さえあれば、それで十分なのです」
「……あなたがそこまで言うのなら、わたくしはもう何も言えません」
 美月は席を立つと、一本の刀を持ってきた。
「名刀『不知火』です。持っていきなさい」
「ありがとうございます」
「いいですか。あなたは一人ではありません。あなたが地獄に落ちるのなら、わたくしも一緒に落ちましょう」
「……」
 美月は表情を変えず、威厳に満ちた瞳を向けている。彼女もまた戦っていたのだ。道場存続のため別の流派から師範が来る事になっていたが、彼女はそれを断り、ここで一人朽ち果てようとしていた。最後の意地であろう。

 道場を後にする。
 足がすごく重い。旧知の人々と思い出の風景が心を和ませ、それが返って、気分を苛立たせた。突然立ち止まると、その場で不知火を抜いて、刃に白い月の姿を映す。
「随分乱暴をなさるのね。ここはエッダの森。叡智の聖地よ、慎んでもらえるかしら」
 背後で聞き覚えのある声がした。振り返ると、白いブラウスに、ベージュのブレザーに、臙脂色のプリーツスカートとネクタイをした一団がいた。その中で、一人の女性が一歩前に出ている。
――アイリス・ド・サリヴァン……。
 心の中で、彼女の名を呼んだ。

 アイリスは水色の髪、水色の瞳をしている。すっきりとした顎の線と、凛とした瞳の光は、彼女の意志の強さを感じさせていた。そして、口紅を塗っている訳でもないのに、情熱的な紅い唇は、濡れたように艶やかだ。
 父親のジョルジョ・ド・サリヴァンは太学の元教授である。今はエッダの森で私塾を開いて、シンも政治学の講義を受けた事がある。
 彼女も非常に優秀で、太学の学生会長を務めている。会長らしく統率力に優れ、思慮の深さと凛とした態度を崩さない事から、歩くリーダーシップと呼ばれて、取り巻きも多い。
 頭脳明晰な優等生であるが、一方で、背が高く豊満な肉体をしている。そのアンバランスが彼女をより魅力的に彩っていた。


「あなたは――シン…シン・ハルバルズ!」
 アイリスは驚いた表情をした。彼女の後ろでも、ひそひそと騒ぎ出す。
「生きていたのですか?」
「……」
「父も心配していましたよ」
 踵を返して、無言で立ち去ろうとする。
「ラグナが聞いたら喜ぶわ」
「……ラグナは元気ですか?」
 かつての親友の名に、思わず足が止まり、聞き返していた。
「ええ、大法院の州法院を転々として、見習いをやっているわ。人は武で争わなくとも、法で共存共栄できると頑張っていの」
 アイリスは楽しそうに言う。
「それでは、もう剣術は……」
「忙しくそれどころじゃないらしいわ」
「そうですか」
 内心安堵した。
「会えて本当に嬉しいわ、ねえ……今どうなさっているの?」
 アイリスは、心底、心配そうに訊ねる。
「アイリス様、お時間が。シャロン様がお待ちです」
 取り巻きの一人が、彼女に耳打ちする。
「そうだったわ。今から用事がありますので、明日にでも、もう一度ゆっくりと……」
 丁寧な口調で挨拶するアイリスが、突然ぞっとした表情で立ち竦んでしまった。
「瞳の中に赤い光が……?」
「何です?」
「いえ、何でも……」
「それでは」
 一礼して、そそくさと立ち去る。
 顔にそっと手を当てる。シャロンという名に、感情は嵐のように乱れてしまった。きっと殺気を剥き出しにした表情をしてしまったのだろう。シャロンは、オルテガ=ディーン家の姫である。


 9月15日、皇帝剣術指南役を決める天覧試合の日がきた。
 各流派の代表が、宮殿の数ある中庭の一つに集められた。そして、トーナメント形式で戦いが始まる。
「それまで」
 第一試合、鋭い剣筋で、若者が簡単に勝利を決めた。

 この若者はケイセン子爵の子で、名を『アンドレス』という。サンクトアークで南陵緋燕流を習い、その才能を高く評価されている。
 アンドレスは、ソロモンの後押しを受けて、メジャー五大会制覇(セリア、ミッズガルズ、サイア、アルテブルグ、サンクトアーク)を成し遂げて、『剣聖』との評判を得ていた。


「さすが剣聖よ」
 称賛の声が試合会場に溢れた。
若くして得た名声は、自信過剰へと導く、自分の通った道を省みて、思わず苦笑する。
 その後も、アンドレスは、秒殺で勝ち進んでいく。
 一方である。
 初戦から、相手に攻め込まれて防戦一方であった。要所で相手のミスに助けられて、辛くも勝ち残る体たらくである。
 ついに決勝の時が来た。
「よもやユリウス殿下が用意したのが、あのシン・ハルバルズだったとは……」
 会場がどよめく。
 控室の通路で、アンドレスが挨拶しに来た。
「あなたが相手でよかった」
 アンドレスが笑いながら言う。
「どれほど勝っても、エッダの四剣士と比べられていた。これで誰が世界一かはっきりする」
 目がギラギラと輝いている。その野心を隠そうともしていない。
「しかし、あの動きにはがっかりだ。スピードもパワーもない。一撃で沈めてやる」
 興奮気味に勝利宣言する。
 やがて、
「南陵極聖十字流シン」
 シンを呼び出す声がして、シンは道場の中央に進む。反対方向に、アンドレスも姿を現した。
 両者は皇帝の居る方へ、膝をつくいて礼をする。だが、二人から皇帝の姿は見えない。魔法『光のカーテン』が遮蔽しているからだ。
――あそこにソロモンと……そして、レアルがいる……焦るな!
 熱い血が頭に逆流していくのを覚り、慌てて、冷静さを取り戻せ、と自分に言い聞かせる。
 二人の選手は揃ったが、しかし、審判が居ない。
「皇帝陛下」
 そこに、ティルローズ皇女が颯爽と進み出る。

 ティルローズは、透き通るような白い肌を藍色の鎧で包み、腰まで伸ばした黄金のさらさらの髪が、それによく映えている。そして、顔は小さく、瞳は青く澄み切り、手足はすらりと長い。

「この歴史に残る一戦には、神威帝の意志を受け継ぐ者こそ立ち会うべきでは?」
「それもそうだな」
 弱弱しい声がした。とてもこの世界統べる男の声とは思えないし、ましてかの神威帝の末裔とも思えない。
「何卒、その栄誉をわたくしに」
「分かった。そなたに命じよう」
「有り難き幸せ」
 深く頭を垂れて、感謝の意を表す。どこか芝居がかっていた。
「始め!」
 ティルローズが宣すると、両者は間合いを取り、木剣に殺気を込める。
 アンドレスは正眼に構えた。そして、誘うように剣先を震わせている。
 一方、下段からゆっくりと中段へと移行する。
 剣先と剣先が触れ合おうとする瞬間、アンドレスが先に動いた。
 木剣を巻き込むように絡ませて、巻き篭手を狙っている。その目論見は、読めている。
――甘い!
 腕を引いてそれを事前に避けた。
 だが、アンドレスの動きは止まらない。右足を踏み込むと、首筋に突きを連打してくる。
――小賢しいな!
 後退しながら、その鋭い突きを左手一本でいなす。しかし、そのしつこい連打に、次第にバランスを崩し、棒立ちになってしまった。
 会場が静かである。
 観戦者たちは、勝敗の決する瞬間が早々に訪れたと思い、固唾を飲んでいるのだろう。
――俺が負ける瞬間を待っていやがる!
 誰も目にも、優劣は明らかだ。あのユリウス1世さえも、悲痛な表情で、そっと目を伏せている。
 だが、次の瞬間、
「勝負あり! 勝者、シン!!」
 ティルローズの声が会場に轟いた。観戦者たちが、驚きの反動で、一斉に盛大な歓声を上げる。
 慌ててユリウス1世が目を開ける。驚きと安堵の色がある。少しは、肝を冷やしたらしい。いい気味だ。
 アンドレスの繰り出す突きを完全に見切っていた。そして、何度目かの突きの時、より早く後方へ下がる。
――ついてこい!
 間合いを完全に外されたアンドレスは、一瞬焦りを感じ、迂闊に前に出てきた。距離があるため、アンドレスの動作はどうしても大きくなってしまう。
 それを見逃さない。
 アンドレスの伸び切った腕が引き戻されるスピードより速く、一気に踏み込む。そして、アンドレスが、懸命に受けようとする時、そのすぐに右前に転じて、アンドレスの面を撃つ。
 道場隅での攻防は、圧勝と言えよう。
 アンドレスは、目の前で止まっている木剣を見ながら、まだ愕然としている。アンドレスにとって、自分より速く正確な剣捌きは、初めての体験だったに違いない。
「二本目、始め!」
 アンドレスは慎重だった。正眼に構えていると、ぐるりと時計回りに回って、ついに道場を一周する。
 どうしても、間合いを詰める事が出来ないのだろう。それほど自分を凌駕するスピードに混乱しているのた。
――貴様の心理、手に取るようにわかるぞ。
 動揺した心を操るように、徐々に隅へと追い込んでいく。
 そして、アンドレスは苦し紛れに、上段から打ち込んできた。
 その瞬間、神速の突きを撃つ。
 アンドレスの胸を直撃する。
 突き飛ばされて、場外の地面を転がり、そのまま動かなくなった。気絶したのだろう。
「それまで!!」
 完全勝利だった。

 試合後、ユリウス1世が用意した礼服に着替えて、彼の執務室で待つ。
「試合勘が鈍っていたようだな」
 たっぷりと待たされた後の第一声だった。
 ソファーから立ち上がり、一礼をする。その前を通り抜けて、ユリウス1世は、自分の執務用の机に腰掛ける。
「殺して宜しければ、もっと楽に勝ちましたよ」
「ほお」
 葉巻を取り出すと、端をカットして、マッチの火で炙る。そして、口の中に煙をゆっくりと溜め込んだ。
「勝ちを意識した相手ほど、倒しやすいものはありませんから。それまで待ちました」
 繊細な煙の柔らかな味を口中で楽しむと、灰皿に灰を落とした。
「似合うじゃないか?」
 そして、口元を綻ばせる。
「マントがついています」
 訝しげに問う。
「当然だ。謁見するのだから」
「礼服でのマントの着用は、貴族にだけ許されています」
 灰色のマントを慣れない手つきで広げる。
「そうだ。今夜からお前は男爵だ」
「なっ……」
 呆れ果てて、しばし言葉を失ってしまう。
「聞いたこともありません。剣術大会に勝っただけで、爵位を頂けるなんて」
 どうにか、驚きの一端を声にした。
「普通なら、な」
「普通じゃないのですか?」
「ああ、普通じゃない」
「何処が?」
「お前は今日からディーンだ」
「はぁ?」
 おそらくとんでもなく間抜けな顔をして、聞き返したことだろう。全く寝耳に水である。
「お前の祖母はラン・ローラ・ベルと言って、神威帝の側室の一人だった」
「そんな……聞いていませんよ」
 余りに突拍子もない話に、驚くより先に失笑が漏れた。
「信じられんのも無理はない。だが、お前は紛れもなく神威帝の血を引いている。お前の剣術の才がそれを証明している」
 雷に打たれたように、度肝を抜かれた。もはや茶番を通り越している。こんなちゃちな捏造が許される筈がない。
「何を考えておられるのですか?」
「命令に説明はない。お前も武人なら与えられた任務に集中しろ」
 一撃で幹を切り落とすように、きっぱりと会話を打ち切られた。取り付く島もない。
「はっ」
 笑う。笑うしかない。ユリウス1世の覚悟を知った。ソロモンを滅ぼすためならどんな手段でも厭わない。そして、事が終われば、捨て駒の存在自体を消滅させるつもりなのだろう。決して気を許してはいけない。
 ――だが!
 上等である。この男に従えば、作戦は成功する。要は、留めの機会さえ見逃さず、この手で行えればそれでよいのだ。

 その後、シンは皇帝への謁見が適う。
 謁見はグランクロス宮殿の最大の広さを持つ『黒金剛石の間』で行われる。
 『黒金剛石の間』は、黒い床の光沢が非常に美しく人目を引くが、それ以上に印象的なのが、柱が一本もないことだろう。魔力で天井を浮かべて、広大な空間を作り出しているのだ。
 また、内部は最上段、上段、中段、下段と分かれている。
 最上段には皇帝の玉座がある。上段には右側が将軍、左側に宰相を筆頭に九卿などが並ぶ。中段には十親家などの名門貴族が列を成す。


 式部官に、下段に案内された。
 緋色のカーペットの上で、跪き、恭しく礼をする。この時、カール7世との間は、100メートル以上は離れていた。その気配を感じ取ることはできない。
 一通り武勇を称えられ、剣を賜ることになっていた。
 だがその時、ユリウス1世が進み出て、その無茶苦茶な素性を語る。気恥ずかしさで、全身から汗が噴き出している。
 しかし、カール7世は大きく頷いた。
「そなたを、朕が正式にディーン一族の一員と認めよう」
「はっ」
 謁見の間に地響きのようなどよめきが起きた。当然であろう。これは、信じてしまう皇帝の方がおかしい。
 これにより、男爵の爵位と小領地が与えられ、そして、威北将軍に任じられた。 
 上段に進み、将軍の列に加わる。
 周囲の視線が痛い。こんな無茶苦茶なことが許されていいわけがない。いつ、「お言葉ながら」と進言する者が現れるか、ひやひやする。
 事の首謀者で、頼みのユリウス1世を探したいのだが、言葉を交わすどころから、まともに他者の顔を見ることができない。
 視線が、人を避けて宙を舞う。
 そして、偶然、ある一点を捉えた。
 子爵家の当主で、40代半ばの恰幅のいい男性である。肌は浅黒く、目がギョッとするほど大きい。あくの強い顔で、会う者は忘れ難い強烈な印象を覚えるだろう。
 ソロモン・ディアスである。
 中段をじっと見下ろす。もはやそれ以外の感情はない。
 ソロモンは気付くと、笑顔を浮かべたまま、膝を曲げて礼をする。
――もうお前に手が届く!
 笑う。心の底からどうしようもなく笑いが湧き上げてくる。
 大いに笑う。
 口が三日月のように耳まで裂けて、髪は逆立ち、瞳が真っ赤に爛々と輝いている。

BACK|全18頁|NEXT