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第77章 侃侃諤諤

第77章 侃侃諤諤


【神聖紀1235年9月、アルティガルド王国クラーニヒ州】
 横島――。
 丘の上に立つ。
 朝風に紅葉した葉が吹き、山々に鋭い水鳥の声が反響する中、雲がしきりに流れていた。
 足元には、ごつごつとした岩と踏み固められた乾いた土が一面に広がり、樹木どころか草花もない。南側は急峻な崖、北側に緩やかに下り、その先に用水路が流れている。
 ゆっくりと四方を見渡せば、東にツヴェルフ・ヴァッサーファル(十二滝)河岸段丘が臥し、西にヴァルヌス山地が横たえて、遠く北方にウェーデリア山脈が聳えて、遥か南方には微かにフリーズ大河の気配を感じた。
 丘の東側を街道が南北に走り、ここに唯一の橋が架かっている。また、丘の北西で用水路は大きく湾曲して、北北西へ向きを変えている。
「絶好の位置だな」
 オーギュストが呟く。
「はい、360度、敵を見渡せます」
 幕僚のベアトリックスが頷く。
「逆に言えば、360度、何処からでも見られている、という事だ」


 突貫工事の雑音が、過ぎ去った夏の蝉のように煩く響く。
 サリス軍は、最澄部に本陣を置いた。そして、丘の斜面には、重厚な馬車を並べる。馬を切り離せば忽ち城壁となる仕掛けだ。
 さらに、人海戦術で、山麓を均して、用水路を外堀とした三日月型の馬出しを築き、斜面には、小さな郭を段々に設けていく。
 大軍を効率よく収容でき、かつ、速やかに出陣できる仕組みである。また、守備にも工夫があり、郭と郭のつなぎ目には、小さいながらも全箇所に枡形虎口を設けてある。
 まるで、戦艦の水密区画のような構造であり、攻撃する側は、堅牢な枡形虎口を一つ突破して郭を一つ制圧しても、すぐに次の虎口をこじ開けなければならない。無数の釦を外してようやくドレスを脱がしても、夥しい数のペチコートが重なっていた時のような疲労感が待っているのだ。
 この要塞化の突貫工事が始まるのを待っていたように、アルティガルド軍が草原の奥から姿を現す。工事の完成を許さず急戦を狙っているのは、誰の目にも明らかであろう。
 アルティガルド軍とすれば、サリス軍――特にオーギュストを、想定した戦場に引きずり出し、かつ、物理的に要塞化と言う無駄な作業を強いたことは大きな得点であろう。
 ただ、そのために、重要拠点をサリス軍に開け与えた。この係争地への進出をサリス軍に橋頭保ではなく、勇み足の『重荷』とできるかが、この戦術のカギであろう。
 一方、サリス軍とすれば、オーギュストが最前線に立つことは常であり、それ故にサリス軍将兵は自分たちを常勝不敗だと信じている。また、サリス軍の土木技術と輸送能力からすれば、この程度の野戦築城は『片手間』であり、十分に許容範囲と確信している。
 心理的に、特に問題にならないレベル――なのである。
 さらに、アルティガルド軍の思惑を上回る高度な施設を、驚くほどの速さで構築し、今まさに秒単位で完成に近付けている。これは、アルティガルド軍に攻撃を焦らせたという点において、申し分なく得点と言えよう。
 戦う前の駆け引きは、互いに思惑の範疇である。サリス軍に今のところ目に見えて失点はなく、僅かながら加点がある。片やアルティガルド軍は大胆な『勝負手』に出た。プラスとなるかマイナスとなるかはまだ判断できない。
 戦況は難解である。

 サリス軍は布陣を終える。
 右翼、街道上にアレックス軍が十三段の縦深陣を敷く。騎兵を中心にした波状攻撃で、一点突破を狙っている。
 中央、前衛にロックハート軍が用水路に面して横陣を展開する。その後衛にオーギュストの直属軍が控えている。がっちりと防備を固めた陣容である。
 左翼、アウツシュタイン軍が用水路に添って北西に移動している。戦場を迂回して、アルティガルド軍の背後に回り込もうとしている。
 狙いは単純で、アルティガルド軍の猛攻を中央で受け止め、その間に、左右の軍が側背に進出して包囲殲滅を目論む。
 対して、アルティガルド軍は、主力を街道付近に置いている。橋の北側に堤防の廃墟があり、そこに弓隊を配置して、立体的に防御を固める。サリス軍が後先を考えず、決死の突撃を敢行しても耐え得る備えであろう。
 また、横島の正面の葦の茂みを切り払うと、突然砦が出現した。予め、堀と土塁を巡らしていて、運んできた杭を打ち立てて柵としたのだ。

 戦いは橋を巡って始まる。
「橋を確保するぞ」
 互いにシールドを並べて橋に近付き、激しい矢の応酬を繰り返す。丘の上から観測できるサリス軍が有利に攻撃できるが、廃堤防の至近高所から射るアルティガルド軍が粘り強く防いでいる。
「地の利は我にあり。一歩も退くな!」
 アルティガルド軍士官が叫ぶ。
「怯むな。前線の兵を交代させつつ、間断なく攻撃せよ。敵が少しでもミスすれば、一気に突き破るぞ」
 アレックス将軍が、負けじと叱咤激励する。
 まさに一進一退の攻防である。
「よし、こちらも始めるぞ」
 その頃、ロックハート将軍が、兜の緒を髭の上で強く締め直す。
 アレックス軍が攻めあぐねるのを横目で見て、中央のロックハート軍が動き始めた。用水路の向こうの砦に、激しく矢を射かけて、一時的に沈黙させると、盾を頭上にかぶった歩兵が渡河を始める。
 土塁の上の柵は、忽ち矢で埋め尽くされている。柵の裏にちらほら動いていた兜の影も、すっかり潜んでしまった。
 膝まで水につかりながら、歩兵が梯子を運び土塁に立て掛ける。
「女神よ、御照覧あれ、一番乗りは――」
 勇ましく名乗りを上げながら兵士が登る。まるで猿のように素早く梯子を上り、柵に手をかけた瞬間、槍が隙間から突き出てくる。
「ぐがっ……」
 脇腹を衝かれた兵士は、敢え無く、水の中に落ちていく。
「そこだ!」
 その槍が出た場所へ矢と石が集中的に注がれる。そして、再び、別の兵士が登り始めた。しかし、半ばほどに至って、柵の向こうから熱した油が撒き散らされて、その兵士の鎧を焼く。
「あちっあち……」
 兵士の足が止まった隙に、さらに、火のついた棒が伸び出てきて、梯子に火をつけた。又も兵士が水へ落ちてゆく。
 燃え上がる梯子を見遣りながら、ロックハート将軍は顔を顰める。
「一か所に拘るな。戦場を広く捉えるのだ。緩急をつけて断続的に攻撃しろ」
 場所を変え、時をずらして突撃を繰り返すように指示を与えた。
「おお!」
 部下たちの士気も高く、何度撥ね返されようが、諦めず、攻撃を続行する。
 アレックスとロックハートの両将軍には、多少強引でも攻め続け、アルティガルド軍将兵の注意を引き付けるという役割もあった。その間に、アウツシュタイン軍が密かに迂回侵攻する予定である。
「怯むな――」
 ロックハート将軍の鼓舞する声が戦場を飛び交う。
「主導権は攻めるこちらにある。敵を振り回して、心身の疲れを蓄積させよ」

「うーむ、面白味がないな」
 オーギュストは唸り、首を傾げた。
 一時間が経過している。足元で繰り広げられる戦いは、膠着状態であった。
 外廻縁と高欄を配した高床式の東屋がオーギュストの総司令部である。白く細い列柱の上にかまぼこ型のヴォールト屋根をのせた簡易な作りであるが、周囲に水を張り、神聖な雰囲気を醸し出している。
 外廻縁には親衛隊が並び、容易に侵入できない。また、高欄の外から槍を衝いても、玉座までは届かない。
 サリス軍旗を背後にしてオーギュストは座り、その両脇にベアトリックスとルイーゼの両参謀が立っている。
 刻々と伝わる報告を聞いて、玉座に坐るオーギュストが眉をひそめる。
「もう少しやると思ったがなぁ」
「将軍方の働きに、ご不満ですか?」
 傍らに立つベアトリックスが視線を向ける。
「不満ではないが、打つ手打つ手、予想の範疇だ。これでは……」
 オーギュストが言葉を濁し、メモを握り潰す。
「しかし」
 と、苦虫を噛み潰したように思う。
 彼らを選んだのは自分である。戦術の独創性や自由な発想などを期待せず、指令した通りに動くことを何よりも期待した。
 だが、如何せん、戦場に花がない!
 凡庸な戦術を実直に熟している、それだけである。
「アウツシュタインは?」
「湿地帯に土嚢を敷き詰めて進んでいますが、思いの外、深いようで……」
「もういい」
 オーギュストは、ため息をついて、脚を組んだ。
「兎に角、急がせろ」

「急げ、いそげ、いそげェ!」
 前線の工兵指揮官の威勢のいい声が陣内に轟く。まるで司令部の焦りを煽っているようで、幕僚たちの貧乏ゆすりが激しくなっている。その中、アウツシュタイン将軍は、じっと目を閉じて、その時、をただ待っている。
 工兵は、土嚢を湿地に投げ込んで、一本の道を築いていく。そして、ようやく、用水路に到着すると丸太を架けた。
「将軍! ご決断を」
 工事完了の報告に、幕僚たちが勇んで立ち上がった。
「全軍、進軍開始」
「はっ」
 直ちに、先鋒が動き出す。
「うひょおお!」
 一番槍の騎兵が、無人の野を気持ちよく疾走して、雄叫びを上げた。その時、無数の矢が彼の全身を襲う。
「何? 伏兵だと!」
 落馬する騎兵を見て、アウツシュタイン将軍が驚きの声を上げた。
 用水路の向こう側に、川跡を利用して、アルティガルド軍兵士が巧妙に潜んでいた。それらが一斉に飛び出して、射撃を開始する。陣形の伸び切ったアウツシュタイン軍は、成す術がない。
「一旦、後退。陣形を立て直して、再度攻撃する」
 アウツシュタイン将軍が迅速に判断した。しかし、思わず、オーギュストの本陣を見遣って、顔に汗を浮かべた。

 夕闇が迫る。
 オーギュストは、全軍に攻撃の中止を伝えた。


 すっかり夜の帳が下りた頃、突貫工事の雑音が煩く響く中、ヤンはランプを片手に細く急な階段を上り始めた。
 第一歩で、ずるりと足が赤土に滑った。段は土を固めて石っぽく塗装されただけである。さらによろけて石垣に手をかけると、ポンと軽い音が鳴った。石垣も幕を張っただけの張りぼてである。
 こんな物でも遠くから見れば城に見える。
 ヤンは慎重に踏み締めながら進み、見かけだけの石垣の上に建つ小屋に向かった。小屋も馬車の荷台に手を加えたもので、車輪がそのまま残っている。
「入るぞ」
「おお」
「負傷したのか?」
「ああ」
 軍服の上着を脱いで、修道女に、薬を肩に塗ってもらい包帯を巻かれている。
「最前線を視察した際にね、流れ矢がね、かすった」
 何処か誇らしげである。
 陣中では、自軍に勢いがあるときに最前線まで出て、敵が反撃に出てくるころには、ちゃっかり奥に引っ込んでいた、と噂されている。親衛隊の中で、ナンは、こういうぎりぎり許される小狡さを一番に学んできた。
「出世するよ」
「そのつもりだが?」
 ナンは然も不思議そうな表情で答えた。彼の中では、出世はすでに既定路線であり、現場から幾つ武勇伝を持ち上がるかが深刻な課題であった。
「屋根と壁って、最高だな」
 ナンが呟いた。そして、壁に凭れて、片手で鍋を火から落とした。
「君も食べるかい?」
 誘ったのは、ヤンではなく、修道女の方である。
「いえ、仕事中ですので」
 修道女は、手際よく医療品を片付けながら、笑顔できっぱりと断った。
 その爽やかな笑顔を見て、ヤンは、記憶の中の人名録に引っ掛かるものがあった。
「確か、イレナと言ったね(第76章参照)」
「はい、イレナ・ビーノヴァーです」
「ヴァルヌス山地のマンドリーコヴァ村出身だ」
「まあ、覚えていて下さったのですね」
「ああ」
 いい雰囲気で見つめ或る二人を見て、ナンが口を尖らせる。
「それで、何しに来たんだ?」
 一人でスープをすすりながら問う。
 その言葉で、ヤンは表情を引き締めた。
 まず夜間の警備について質問する。ナンは予め部下に作らせていた書類を手渡した。当番表などを素早く確認すると、ヤンはようやく友人の顔に戻った。
 ナンはさらりとスープを平らげた。その鍋を何気に見ながら、ヤンは素朴な疑問が浮かんだ。
「よくこんなに水があったな」
 陣中では水は貴重である。明らかに配給以上の量がある。
「崖の途中に小さな井戸があるだろ? そこから汲んできた」
「許可は取ったのかの?」
「堅いこと言うなよ」
 人懐っこく片目を閉じた瞬間、ナンは差し込むような痛みを腹部に感じる。
「いたッ、痛い、痛い……おおぉ!」
 泣きながら、床に転がり、ダンゴ虫のように丸くなった。
「しまった!!」
 顔面を紅潮させ、大切なことを見落としていた、とヤンは慌てて小屋を飛び出した。

 親衛隊の仮屯所は、主郭の裏側(南)にある。ぐるりと時計回りに駆けて、表側(北)の大手道に出る。騎馬も通れる広い階段で、左右に人の背丈ほどの比較的低い石垣が続く。
 不意に頭上が開けると、白い神殿風の総司令部が、夜空に聳えているのが見えてくる。
 その白い建物を目標に真っ直ぐ進むと、目の前の城門が現れ、安易にそこを潜ると、城外の崖に出てしまう。正解は、門を背にして一旦戻り、死角の階段から、スイッチバックの細い坂道を進む、である。
 坂を登り切ると、木製の橋が空堀の上にかかっている。渡れば、オーギュストの居館がある。小豆色の外装に篝火が鏡のように映り込んで高級感に溢れているが、これも一ダースの馬に引かせてきた物である。
 橋を渡り切れば、男子禁制の仮後宮である。
「報告」
 固く閉ざされた門の脇に置かれた箱型の詰所に向かって叫ぶ。
「緊急に、ご報告すべきことがある。開門願いたい」
 ここには、親衛隊が常時立哨している筈だったが、なぜか誰もいない。ふつふつと怒りが込み上げてくる。そして、胸の中に渦巻く焦りと相まって、体中の血が沸騰するような過激な化学反応が起きてしまった。
「ああ、もういい!」
 烈しく地面を蹴り、書類を机に叩き付けると、大股で歩き出す。
 折れ戸は開いている。さらに、入り口のカーテンが不自然に盛り上がっていた。さらにさらに裾から細い足が垣間見えている。明らかに、守衛の任務中の親衛隊の新人研修組の少女が覗き見をしているのだ。
咄嗟に、「おい」と怒鳴ろうとして、脳の奥から警鐘が鳴った。ここは仮とはいえ神聖不可侵な御所である。改めて、背中を軽く叩こうと手を伸ばした時、思わぬ光景が目に入り、堪らずその目を剥いた。
 白いセーラーカラーの軍服を着た少女が、四つん這いになっている。有ろうことか、スカートを捲し上げて、膝までパンツをずり下ろしている。生地がパンパンに伸び切っているから、足かせに見えないこともない。
 腰から跳ねるように反り上がった尻は、白く丸く、そして、薄く小さい。股間から手が伸びていて、秘所をもどかしそうに擦っていた。
「……ッ?」
「ひっ!?」
 ヤンの視線に気が付いて、少女は、短くも深刻な悲鳴をもらした。そして、慌ててスカートを直しながら立ち上がろうとするが、膝にパンツが絡まって転んでしまう。
「誰?」
 秒速で、部屋の奥から女の声がする。
 その細長い空間は、アーチ状の格天井、繊細な組子の壁、幾何学模様の寄木細工の床、とても戦場とは思えない豪華さである。
「はっ、失礼致します。緊急の――」
 咄嗟に、最敬礼する。そして、緊張感に震えながら答え始めたが、その眼前の光景に思わず絶句する。
 花柄が艶やかな金華山織りのソファに一人が坐り、その膝の上で、白いシャツを羽織った女が上下に揺れていた。
 白い尻が毬のように潰れては弾んで、ふわりと舞い上がって、その重みに耐えかねてドスンと落ちる。
 座っている方が、首を傾げてこちらを見た。
 違う!
 刹那、考えるよりも早くヤンの本能が警鐘を鳴らす。
「ねえ」
「え?」
 背中を擦られて、女が腰を動かしながら振り返り、乱れた髪の毛をかき上げた。頬は赤く火照って、汗をかいた額に髪が貼り付いている。
 目と目がしっかりと合う。
「どうして見えてるの?」
「魔術が妨害されているから、呪が効いていないのよ」
「そう……」
 腰を振っていた女は、仕方がないとばかりに大きく息を吐くと、腰を浮かして立ち上がった。黒い双頭ディルドが、ぼとりと膣から抜けて落ちて床をぬらす。
 捲れて帯状になっていたミニスカートをもたもたと直す。そして、左右に大きく尻を振りながら、脚を真っ直ぐに伸ばして近付いてくる。
――こいつら笑っていやがる!
 妖艶な笑みが、やけに癇に障った。
 不意に彼女の顔が上下に揺れた。床に抱き合って寝転び、貪るようにキスをしている女性たちを飛び越えたのだ。その隣では、別の女性たちが、片脚を重ね、もう片方を大きく広げて、腕を前でX字に交差させて、互いの秘唇を熱心に弄り合っている。
 まさに悪夢の館である。
「うっ!」
 いつの間にか眼前に、その醜悪な貌が迫っていた。
「なに?」
「上帝陛下にご報告が……」
「ここにはいらっしゃらないわ。急ぎじゃないんでしょ?」
「……ええ」
 生唾を飲み込みながら答える。
「戻られたら、伝えましょう。でも、ここの事は――」
 唇に人差し指を当てて、軽くウィンクする。
 麻のように思考が乱れたヤンは、ただただ立ち尽くすばかりである。

 気が付くと、夜陰の中、ヤンは一人で坂道を下っていた。手に夜間警備に関する書類の束がない事を悟り、一瞬慌てたが、提出したことを思い出して、すぐにホッと肩の力が抜ける。
 記憶が一部損傷していて、あの女たちの顔を思い出すことができない。
 ランだったような気もするし、アンだったかもしれない。ベアトリックスやルイーゼなどの上司だった可能性もあるし、別の誰かかもしれない。重大なことかもしれないし、然程でもないような気もする。何もかもがどうでもよかった。今はただ自分のベッドでぐっすりと眠りたかった。
「大尉殿」
「ああ……」
 イレナ・ビーノヴァーが、坂を登ってきて、声をかけてきた。
「顔が真っ青ですよ。何かありましたか?」
「いえ、特には……」
「はっ、申し訳ございません。出過ぎました」
「いえ、気になさらず」
 口に手を当てて失言に狼狽するイレナに、ヤンは掌を見せて、慌ててつくろった。
「ご気分がすぐれないなら、お薬を渡し致しますよ」
 そう言って、イレナは医療用テントを見遣る。釣られて、ヤンも視線を向けた。たくさんの兵が治療を受けている。その傍らに、無数の袋が積み上げられていた。
 再び感情が昂ぶって、一気に針が振り切れた。
「上帝陛下の留守中に、あんな破廉恥な行為に耽って!」
「留守?」
 こんな事をしていたら、負けてしまうぞ、と思った瞬間に、
「負けてしまえばいい!」
 思わず、叫んでしまっていた。
「大尉?」
「申し訳ない。これで失礼する」
 ヤンはイレナを残して歩き出す。
「……」
 その背中を、イレナは無言で見詰めた。


「ここはいいか……」
 見回りの兵が、真っ黒な崖下を覗き込んで呟いた。槍の石突(柄の底につける金具)で石ころを落とすと、底なし沼ように音が返ってこない。ぞっと身ぶるいして、早々に踵を返した。
 どこの崖にもそれなりに道があるものだ。
 ここの場合は、岩壁を4本足の獣が葛折りに移動して、ロッククライミングのルートのような溝ができた。そこに、足場用の杭を打ち、鎖を張り、人が手を加えて多少昇り易くなっていた。
 その道の目標は、地層の境目(礫層と泥岩層)から滲み出た水である。水平に掘って、横井戸が作られている。
 月が雲に隠れた。
 月明かりが翳る中で、崖に吊るされた鎖が、ぎりぎりと鈍い音を鳴らしている。
 雲の切れ間に月が覗く。一瞬、横穴へすっと潜り込む二つの小柄な人影があった。
「異常はない」
「ああ、まだ気付かれてはいない」
「サリスも案外甘い」
「ふふ、そうだな」
 横穴を少し進むと足元に小さな水槽があり、清らかな水を静かにたたえる。そこに、月の微かな明りが差し込んで、照り返した淡い光の中に、黒一色の機能的な装束を着た二人の姿が浮かび上がった
「これで3個目だ」
「ああ、これで最後だ」
 一人が入り口を見張り、もう一人が横井戸へ、小瓶から液体を流し込む。
 井戸に、三度に分けて毒を入れる。軽い下痢、倦怠感、睡気が順番に起きる。毒死させないのは、騒ぎを大きくなしないためであろう。
「よし」
 頷き合うと、再び月が隠れるのをじっと待つ。
 その時、月の光が遮られて、横穴の中に長く人の影が伸びた。
「――ッ!」
 黒装束を躍動的に動かして、無言で二人は短刀を逆手に構えながら入り口を睨む。そこに大柄な人影が立っていた。さらに、四肢に緊張を漲らせて臨戦態勢を取る。
「明日は雨だ」
「否、明日は嵐だ」
 大柄な影の男から意外な言葉が飛び出し、二人は顔を見合わせた。そして、合言葉を探るように返した。
「余は、紫紺騎士団ソードマスターのフリーデンタール・ジュニア少佐である。何処の者だ?」
「我々は、王家直属ブランデンブルグ特殊部隊です」
 目出し帽を脱いで答える。髭面にだんご鼻、ドワーフの特徴的な風貌である。
 ブランデンブルグ特殊部隊とは、日常的に王都アルテブルグにあるブランデンブルグ門を警備する門番に属しているが、王族の非公式な任務を極秘に実行すると噂されている。
「ドワーフ……ではないな。ブランデンブルグ隊ならば」
「はい、変装でございます」
「そうか。どうやら、目的は同じのようだな」
 崖に溶け込むように迷彩されたマントを脱ぎながら、端正な顔立ちの男が笑う。その背後に、また別の影が次々に浮かんだ。


 アルティガルド軍本陣――
 夜半、シュナイダー将軍は、白湯を飲んでいた。
 最後の報告と指示を終えて、部下は従卒の少年兵が一人残っているだけである。その従卒に笛を吹かせて、独り月を見上げた。
 小柄な少年とは思えないほど、力強い音色を奏でている。天空の雲を吹き払う風のように激しい旋律で始まり、次第に曲は落ち着き出し、野の花を照らす日差しのように優しい調べへと転じた。そして、再び変転して、人も鳥獣もいない荒涼たる風景を感じさせて終わっていく。
 眼前の戸は開いて、小さな庭と闇が見えていた。その闇の中にじっとこちらを見詰める男が浮かんでくる。
「汝の事ばかり考えてきた。もはや汝よりも汝の事を知る。その考え、手に取るように分かるぞ」
「――」
 闇の向こうで、男が、酒のグラスを下げて、徐に顔を上げる。
「――ならば、天下統一の正義も分かろう。速やかに我が軍門に降り、民のために国家再建に尽力致せ」
「否、それこそが偽り。汝に天も民もない。有るのは己の都合のみ」
「都合ではない。能力有る者の使命だ」
「その自らの内に固執した思想こそが天を乱し、美しき人の秩序を壊している」
「所詮、人の造りし物に美などない。人の心は常に上を見て暴走する。それを止める力こそが秩序」
「ならば汝一人で、その思想を実行すればよい」
「人一人には限りがある」
「何をか言わん。才は天に届き、力は人の域を遥かに凌駕する。ならば、一人で、速やかに、その想いを実現すればよいのだ。何も国を造り、軍を組織して戦う必要はあるまい」
「天は孤高であろうが、人は群れる。群れには群れ。我も所詮人でしかない」
「人であるがゆえに、家族を持つ。その家族を守るために、尽く敵を排除したいと欲している。つまりは汝に、天も正義も民もなく、かつ、信念さえももはや虚ろ。残されたのは家族愛とそれを失う恐怖のみ。暴君の極みではないか?」
「私利私欲は初めから重々承知。所詮、我も矛盾の存在。それと知りながら、欲を拒めず、この身にしがらみをまとってしまった。今さら、断ち切りようもない。故に、己を晒し、道化を演じている。暴君もまた本望」
「その重い心こそ元凶。人の欲を捨て、天の差配に全てを委ねるべき」
「人の心を否定し、天を信じる者が、なぜ、そこに居る」
「……」
「お前の命令で死んだ者たち、これから死のうとする者たちを捨てられぬお前こそ、重き鎖に縛られた囚人よ」
「組織の輪車に過ぎぬ事は、幼年学校に入った時から了解している。無能な上官に殺されかかった事も多々あり、味方を効率的に殺した事もある。命じる者も、命じられる者も、全てはめぐり合わせ、巡り巡るもの。これまでもそうだったし、これからもそう」
「天の差配が中立公平だとでも?」
「人の欲が至上のものだとでも?」
「所詮、人は人のためにしか生きられぬ」
「天の使命に従うのが人の生き方」
 拘り過ぎる、と男たちは笑い合った。
「小官も人、汝も人……ならば、死ぬ事もあろうか?」
「人ならば当然であろう」
「努々、下らぬことで命を落とし、最愛の家族を悲しませぬよう」
「お前も、天の真意が理解できるまで壮健であれ」
「ふふふ」
「ははは」


 サリス軍本陣――
「誰かある?」
 オーギュストが誰何する。
 傾いたグラスがすっかり空になっている。
 その声が、閑散とした総司令部にこだました。声が返って来ないことを気付いて、オーギュストは立ち上がる。
 淡い月明かりを手掛かりに、サイドテーブルの水差しを手に持つ。
「これも空かぁ……」
 ダークブランのローブを羽織ると、外に出た。
 警備兵は椅子に座り、本を読みながら眠っている。その前を素通りして、素焼きの壺へ向かう。魔力が妨害されているので、水は、気化熱を使用して冷やしている。
 自ら杓子を取り、水を汲む。
 杓子を口へ運びかけて、裏から、犬の鳴き声がしてきた。悲鳴のようでもあり、泣くようでもあり、さらに、媚びるようでもある。その声は、如何せん、琴線に触れる。
 オーギュストは水を汲んだまま、裏へまわり、犬用の皿に水を流し込む。
 途端に犬は態度を一変、寝転がり、牙を剥いて、『うーぅ』と唸りながらオーギュストの脚先を噛み続ける。
「はいはい」
 オーギュストは鎖を切り離してやる。犬は瞬く間に空堀の方へ走り出した。
「速いな、ウンコか? コルト――」
 そう呼びかけた時、突然犬が遠吠えを始めた。
「ほお?」
 興味深げに囁く。
「ここは主郭の裏手。人が迷い込むような所じゃないんだがな」
 軽く苦笑いを浮かべて、空堀の真新しい石垣の階段を下り始めた。

 空堀の底より一段高く、階段の上り始めの位置に、7人の武装集団がいた。
 五人は、体格に大小はあるが、揃いの紫色の鎧甲冑をまとい、仕草の一つ一つに統一感があった。胸には、アリティガルド王国が誇る紫紺騎士団の紋章が黄金で描かれている。
 残りの二人は、黒装束姿で、闇に溶けている。顔や体系はドワーフ族のようだが、巧みに化けている。工事現場に紛れ込んで長く潜伏していた。
「影武者?」
 フリーデンタール少佐が問い返す。太く魂眉を上げて、怪訝な感情を隠そうとしない。
騎士の中でも、一際体格がよく、引き締まった顔は精悍である。紫紺騎士団髄一の剣士と自他ともに認める存在である。
「ならば、今現在、ディーンの正確な居場所が分からないのだな?」
「はい」
 黒装束が飾らず答える。
「……暗殺など性に合わぬと思っていたが、存外に難しいものだな」
 紫色の糸が巻かれた剣の柄を拳で殴り、短く唸る。
「良いではありませんか、知らずに飛び込み、空振りに終わるよりは?」
「左様です。女神エリースの加護が我々にある事の証」
 傍らに従う、細身の騎士と小柄な騎士が、親しげに語りかえて軽く笑った。
「……そうだな」
 その言葉に、フリーデンタールは、幾分声を落ち着かせる。
「今、我らの手の者が全力で探っております。もうしばらくお待ち下さい。それまで、少佐には鋭気を――」
 頭上からそそぐ月の光が微かに揺らいだ。途端に、黒装束は言葉を打ち切り、松明の火を消す。
 カラン、カラン、カラン……。
 階段を、銀の物体が跳ね落ちてくる。その行方を、全員で息をのんで凝視する。
――爆弾か?
――否、こんなに弾ませられない。
 黒装束の二人が瞬時に目で会話する。
 そして、銀の物体は、誰にも触れられることなく、集団の中央で止まった。
「何だ、この丸っこいメタルの人形は?」(第72章参照)
「白と黒のツートンカラーに、黒い隈取りに、丸い顎……。確か、想像上の動物に、こんなのがいたような……」
「ああ、訊いたことある。竹山に棲み、頗る凶暴だと」
「素材は水銀でしょうか?」
 ブツブツと観察していると、階段の上に人の気配がした。
「おーい、人形を拾って戻ってこーい」
 炭酸の気が抜けたような呑気な声がする。
 全員が見上げると、ふんわりとしたローブを羽織り、フードを深く被った者が、ゆっくりと壁に沿った階段を下りてきた。
「俺の犬を見なかったか?」
 一斉に、空堀の底で夢中でエサを食べている犬を見る。事前に、手懐けるために極上のエサを与えていた。
「やれやれ、玩具よりも夢中だよ。あんたら、勝手にエサを与えられては困るな。あれには特製のエサを与えているのに」
「なんだ、犬の飼育係か……」
 一番後ろにいた若い騎士が、まだ渋みのない、少女のような高い声でほっと呟く。
「そんな訳あるまい。早く捉えよ」
「あ、はい」
 フリーデンタールに叱責されて、その若い騎士は慌てて階段を駆け上っていく。
「大人しくし――」
 フードを外そうと手を伸ばした瞬間、眼前に、茶色のローブが広がった。視界を遮断する罠と思い、素早く身構える。瞬時に切り替える速さは、流石にエリート剣士であろう。
 その澄んだ若い瞳は、自信に満ちている。
 この鍛え上げられた肉体と剣技ならば、ローブを切り裂いて迫る剣先を紙一重で回避することができる、と固く自負している。さらにあわよくば、その裂け目に、居合抜きで斬撃を走らせ、反撃するつもりいる。
 が、思惑と違い、眼前のローズに血飛沫が巻き散らばった。
「俺の剣が……」
 未だに、剣を握ろうと右手が、宙を虚ろに泳いでいる。
「風呂に入った後でね――」
 若い騎士の体が空堀の底へと落ちていき、血染めのローブがただ宙を漂う。
「汚れるのは勘弁してくれ。……これ、刃がうっすらと紫色に輝いているが、ちょっと短いねェ。潜入するのに、妥協したな。それで勝てるのかな?」
 赤いパンツ一枚で、オーギュストは、若い騎士から奪った剣を眺めて悦に入っていた。
「探す手間が省けたぞ。さあ、悪の権化を打ち取れ」
 フリーデンタール少佐は、雄々しく腕組みをして、錆を滲ませる重厚な声で命じる。
「はっ!」
 鎖を切られた猛獣のように、3人の紫紺の騎士が一斉に動く。
「紫紺騎士団かぁ。少しは楽しめそうだ」
 オーギュストは、悠然と、上段霞に構えた。剣は薄い紫のオーラを発しているが、そのオーラを貫いて、刃に、赤い瞳が妖しく映っていた。
 先頭を走る騎士が一番大柄である。一見して、鎧の胸部が分厚いのが分かる。さらに、態と体を大きく動かして、可能な限りオーギュストの視界を遮ろうとしている。
「覚悟っ!!」
 大柄な騎士は威勢よく叫ぶと、右手で大剣を頭上に振り上げて、かつ、左手を突き出し、掌を最大限に広げている。遠近感を狂わせ、さらに視野を狭めようというのだろう。
――胸甲で受けるつもりか……?
 オーギュストは、脳内で試行した。
 心理的に邪魔な左腕を払えば、大上段からの打ち下ろしに一歩遅れる。ならば、その左腕を無視して潜り込めば、攻撃のパターンは胴払いなどに制限されてしまうだろう。胸の分厚い装甲で受け止めるつもりなのだ。
 しかし、彼は知らない。オーギュストの正確無比な剣捌きは、針の穴すらも簡単に通してしまうことを。
 オーギュストは、その突き出た左手を逆に利用し、剣先を隠しながら一気に衝いた。左手の親指と人差し指の間の皮を薄く削って、腕の薄皮一枚上を掠るように進み、剣先が真っ直ぐに喉を切り裂いた。
「勝機……ぐがっ!」
 血飛沫が舞う。その赤い幕に隠れるように、背後の小柄な騎士が、先頭の騎士の右肩を踏み台にして壁側へ飛び上がる。
――丸見えだぞっと!
 だが、オーギュストは、右足を踏み出し、右片手で突きを放っているので、しっかりとその動きを捉えていた。
 その時、細身の騎士が、先頭の大柄な騎士の左足を掻い潜って崖側へ体をはみ出しながら突進していく。片脚だけを階段の端に残して、長い手足を巧みに伸ばして、オーギュストの背後に回り込もうとしている。
――だから、バレバレだぞっと!
 オーギュストは踏み込んだ右脚を軸にして、左足を振り回し、崖側の中もない暗闇に向かって蹴りを繰り出した。
 そこへまるで吸い寄せられるように、細身の騎士の顔が出てくる。そして、予言されていたかのように、その踵で顔面を蹴り潰されてしまう。
 その間も、舞う小柄な騎士の目と、赤い瞳ががっちりと向き合っている。――なのに、オーギュストが崖側へ体を傾けているので、僅かに剣の間合いには遠い。
「だから安易に飛ぶな、と言う」
 重力に束縛されて、ゆっくりと落ちてくるところへ、オーギュストが手を伸ばした。いとも簡単に足首を掴むと、まるで棒切れのように振り回して、喉を切断された巨漢の騎士と、顔を損傷した細身の騎士へと叩き付けた。
 まだ生温かい三つの遺体が、揃って堀底へと落ちていく。
「下がって!」
 咄嗟に、黒装束の一人が前へ出て、水筒から液体を口に含む。
「ふっ、魔法の真似事か?」
 一笑すると、オーギュストは指を咥えて、甲高い音を吹き鳴らした。それに答えて、堀底の犬が、喉を伸ばして、狭い空に向かって遠吠えを始める。
 液体を吹き出す。忽ち、巨大な炎の塊となるが、すぐに細くなり、さっと消えてしまった。後には細かな霧が薄く広がるだけである。
「あの遠吠え……魔力を消すのか……ひぃッ!」
 黒装束は術を破られて、思わず、愕然として立ち尽くしてしまう。そこへ剣が飛んできて、不甲斐なく悲鳴を上げてしまう。
「おいおい、戦闘中にフリーズするな。素人か?」
 しかし、その飛んでくる剣に、フリーデンタールが、自分の剣を投げて相殺させる。金属のぶつかる甲高い音が鳴り響いて、二本の紫の剣は、あらぬ方向へ弾き飛んでいってしまう。
「助かりました……はぁはぁ」
「礼は後だ」
「ほぉ、後があるのか? 自慢の長剣もなしに?」
 階段に落ちていた、おそらく小柄な騎士のものであろう剣を拾いながら、オーギュストが軽く嘲笑するようにささやいた。
 一方、命拾いした黒装束は、改めて犬にエサを投げ与える。そして、木の根のような杖を眼前に構えて、僧侶の詠唱を始める。
「壮大なる血気の滾り、身体に充ち満ちて、呼吸は軽やかに、烈火の如く迸り、女神の歌声の如く輝き、鞘走る聖なる剣に、勝利を乞いつつ――」
「手出し無用!」
 フリーデンタールが、強い口調で詠唱を断る。
「おお!!」
 しかし、すぐに詠唱の影響が体に表れ始めると、その効果に納得の表情をする。心から一切の不安や戸惑いが消えて、リラックスした肉体に、自ずと力が漲っていく。
「これ程とは……。癖になりそうだッ」
 零れる笑顔も自然である。一つの蟠りにもなく、一振りに、全身全霊を注ぎ込めると確信する。
「貴様の剣はすでに見切った!」
 フリーデンタールが言い放つ。
「ほお、俺の剣を見ても、まだ大言壮語を吐く余裕があるか。お前、実は大したことないだろう」
 静かに正眼に構えながら、オーギュストの頬が心地よく弛んだ。
「その判断ミスはすぐに分かる。紫紺騎士団のエースにして、武門の名家フリーデンタールの血が成す武勇を篤と見よ!」
 大胆に見えを切り、ゆったりと両足を開いて、円を描くように大きく腕を回しながら構える。
「ほお、無手の格闘も心得があるようだな?」
「フリーデンタールの武は戦場のものだ」
 フリーデンタールは凄まじい踏み込みで、間合いを詰める。踏み締めた足が、階段の石材を踏み潰してしまうほどだ。そして、オーギュストの頭上に丸太のような腕を振り上げる。その巨大な掌は、熊の爪を連想させた。
 ブーォン!
 オーギュストの眼前で、縦に大きな弧が描かれ、空気を抉り取られた。残像の後に、強い衝撃音が突き抜けていく。
 ブォーン!
 今度は下から、熊の爪が振り上がって来て、オーギュストの鼻先を掠めていく。
「ほお、言うだけのことはある」
「裸なのが、貴様の運の尽きだ。筋肉の動きが丸分かりだ!」
 彼の視線は、常にオーギュストの肩の筋肉の動きを追っている。迂闊に剣を動かせば、難なく回避してしまうだろう。
「はっ!」
 右の掌を腰まで引いて、やや下方から突き上げる。しかし、爪先が段にぶつかり、十分に腕が伸び切れなかった。寸前の所で、オーギュストの体に届かない。
 サッ!
 オーギュストが後方へ下がりながら、軽く捌くように籠手を打った。
「うっ!」
 咄嗟に、フリーデンタールは後転して、元居た下の段へと戻る。
「ふぅ……」
 そして、間合いを計りながら、ゆっくり立ち上がる。
 腕を眼前に掲げると、ざっくりと鋼鉄の籠手が裂けて、赤い鮮血がドロドロと漏れ出ている。それを左の掌でべったりと拭い取る。
「いい動体視力だ。修練の賜物……否、天性のものか?」
 短い攻防を終えて、率直にオーギュストが賛辞を送った。
「流石よ。力、スピード、正確さ、どれも想像以上だった。だが、覚えておけ。貴様の敗因は、我が体に流れる武勇の血だ!」
 フリーデンタールも称賛を返すが、尚も自身の優位を譲らない。そして、血に濡れた籠手を振り被り、ぐっと強く拳を握る。
「ううううぅ」
 奥歯を折れんばかりに噛み締めて唸る。手の血管が浮き出て、更に出血が進む。
「うららららららー!」
 そして、雄叫びとともに突進する。
――あの拳、禍々しい気配だ。肉体強化魔術……否、呪詛か?
 オーギュストは訝しげに眉を顰める。
「ロッケトパンチ、打ち砕け!!」
 間合いははるかに遠い。到底、届くはずがないが、いきなり、紫色の籠手が腕から外れて飛んだ。解き放たれた籠手は、一つの砲弾となり、更に指の部分は、アメジストの結晶のような刃となる。
「な、なんだ!?」
 咄嗟の判断で、オーギュストは受けを諦めて迎撃に出た。
 激しい火花が散る。
 投擲武器と化した籠手は、オーギュストの剣に弾かれると、僅かに軌道を逸らして、遠く堀の奥の闇へ消えていく。
「焦った。血統の呪詛か……」
 オーギュストが驚きの表情で呟く。
「確か、フリーデンタール一族の中興の祖は、風呂場を襲われて、『剣の一本でも有れば』と呪い言葉を吐きながら死んだとか。その想いが、子孫の血に呪詛として受け継がれた訳か?」
「御明察。俺の血は、染めた物を何でも剣に変える。例えば――」
 言って、血に塗れた手で、腰に残っていた金属の鞘を握る。忽ち、斧を縦に伸ばしたような外観の剣となっていく。
「こんな風に」
「業が深い一家だ」
「俺もそう思うよ」
 フリーデンタールは、澱みなく笑った。生まれに関する損得を知り、運命をあるがままに受け入れて、己の道を一筋に生きている男の顔である。
 脇構えに構える。
 集中力が極限まで高まっていく。髪が逆立ち、肉体が熱し紅潮して、蒸気が沸き起こる。その一方、逆に呼吸は湖面のように整っていく。
「参る!」
 かっと目を見開くと、鋭く踏み込んで、高速で剣を横に走らせる。
 シューン!
 斬撃が、空気を切り裂き、死を連想させる不気味な音を轟かせる。
 オーギュストは、直撃を避け、剣を僅かに浮かしてかわした。そこへ瞬時に剣が返ってくる。今度は、絶妙に下げてかわした。
 フリーデンタールの踏み込みはまだ浅い。
 この剣技は、初めから敵に致命傷を与えることを目的としてない。初手を敵が自然に剣で受ければ、返しての二手目で、敵の剣を切断することを目的としている。凡人が観戦すれば、打ち合った直後に剣先が折れたように見えるだろう。
 南陵紫龍流奥義『双竜断顎』!
 この返しこそ、南陵紫龍流の真骨頂である。自在に剣を切り返して、左右上下から連続攻撃を行う。
 フリーデンタールの速さは凄まじく、斧のように幅広の刃が、竜の首のようにうねって見えた。
「よくぞ、かわした……うむ?」
 十分に手ごたえを感じながら、再び、必勝形である脇構えを取ろうと仕掛けた時、左右の肩、腕、腰、太ももに焼けるような激痛が走った。
「っ……!」
 何事が起ったのか分からぬうちに、血飛沫が眼前に舞う。攻撃は明らかに後方からされていた。
「おのれ……」
 奥歯を折れんばかりに食い縛った。肉体的な痛みではない。この土壇場で裏切られたことへの恨みである。
 フリーデンタールの肉を裂いたのは、黒装束の二人が投げたナイフである。その曰くの血を吸って、回転しながら巨大な鎌のように変化していく。
 時が止まって見える。
 まさに神速の世界であろう。
 8本の死神の鎌が、文字通りオーギュストに迫っている。
 これはかわせない、と思った次の瞬間、オーギュストの体がぶれた。幾重にも重なって見える。それらが一斉にずれていく。上下左右に剣が繰り出されて、同時に死神の鎌を打ち払った。
――美しい……。
 思わず、その光景に魅入ってしまう。
 八つの火花が円形に輝いて、その中心で鮮やか過ぎる閃光が煌めいた。
 止まった時の中で、その軌道を目で追えても、それを受ける術がない。
 ゲボッ……。
 吐血した瞬間、時が動き出す。
 赤く輝く瞳を持つ顔が目線のやや下にあり、その男の腕が胸の前に突き出されていた。
「こ、こんなことが、こんな……ことができるのか……」
 顔が恍惚とする。
「いい腕だった――」
 ふっとオーギュストの腕から力が抜けた。
 力なく膝から崩れ落ちていく。
「修業の経過が見える。今のペースであと200年頑張れが、俺の背中が極小の粒ぐらいに見えたかもしれん」
――い、嫌だ……。
 このまま終わりたくない。ついに、目指すべき技の極致を知ったのだ。もっと研鑽をつんであの域に到達したい……。
「少し褒め過ぎたかな?」
 もはやフリーデンタールの瞳に光はない。
「さて、残りは一人」
 オーギュストが階段下の黒装束を見遣った。
 フリーデンタールを貫いた剣は、槍のように長く伸びて、背後の黒装束の一人を貫通している。
「兄者! しっかりしろ」
 肩を揺するが、喉元を刺されて、すでに息絶えている。
「戦場では、そこに有る物を最大限利用して戦うのが鉄則。フリーデンタールの血の呪いを見て、利用しようと考えたのは、実に感心なことだ」
 一段、ゆっくりと足を進めて降りた。
「だが、そういう何でも有りの戦い方をするのならば、俺の右に出る者はいない」
 また一段、降りた。
「……」
 禍々しいまで赤い。その瞳で射抜かれると、もはや立っていることさえできない。腰が抜けて無様に尻餅をつく。それから、震える手足をバタつかせながら、這うように後退し始める。
「分かった。降参する」
 隠し持っていた武器を全て捨てて、両手を頭の上に上げる。
「命だけは……。俺たちは、金で雇われただけなんだ」
 懐からずっしりと金貨の詰まった革袋を取り出し、震える両手を揃えて差し出す。
「……」
 不意に、オーギュストが左手を伸ばした。すると、左手の中に、最初の水銀の人形が引き寄せられた。
 黒装束は金貨を捨て、涙声で慈悲を乞う。
「知っていることは何でも話す……だから、命だけは助けてくれ。いえ、助けて下さい」
 あたふたとひっくり返り、無様に四つん這いになると、手や膝を水に滑らせながら壁まで逃げる。そして、オーギュストへ向き直り、最後に土下座して必死に命乞いする。
 コロコロと小石が転げ落ちる音がする。オーギュストが足を動かして、爪先に小石が当たった結果だろう。
――一つ、二つ、三つ、……来た!
 オーギュストの足音を、固唾をのんで数える。そして、石垣の隙間から差し込んだ淡く細い月の光が、オーギュストの顔を照らし出した瞬間、黒装束が顔を上げる。
「はっ!」
 満を持して、口から針を吹き出す。
 しかし、オーギュストは左手を素早く翳して、全て針を水銀の人形で受け止めた。
「演技が濃過ぎる」
「違う――ぜェ、バァーーーカ!」
 転瞬、黒装束は、瞳孔を開き切った狂気の笑みを満面に浮かべる。
「キャハハハ」
 その下品な笑い声が反響すると同時に、堀の底の暗闇に、緑色の閃光が淡く広がった。突き刺さった針の先端が、小さいが鮮やかな緑色の小さな光を灯している。
「だろうな」
 オーギュストは月の光の中へ、左手を掲げた。忽ち、水銀の人形は変形して、12枚の花弁となって広がっていく。
「バカな!?」
 直後、数本の矢が、水銀の花に突き刺さった。矢は、差し込む月の光を道標にして、遠い櫓の上から狙撃された物である。
「だから、演出があざとい。最初っから、この細い光の差し込みは、不自然過ぎた」
「くっ……」
「俺のターンだ。これは水銀に魔力を注いだ魔法生物だ。これには、こういう使い方もある」
 魔力を注入すると、今度は細く長い打球棒となった。
「チャー、シュウ、メン!」
 大きな弧を描いて振り、足元に落ちていたフリーデンタールの血がべっとりと着いた小石を叩いた。
「う……っ」
 その時、機械のように鋭利な目が死んだ。
 血染めの小石は、月の光を逆行して、櫓の最上階を直撃した。
「もはやこれまで!」
 黒装束は、前を肌蹴ると、袖に隠し持っていた短刀を握りしめて突き刺す。短刀の突き刺さった箇所には、魔法の文様があり、自決の血で反応するはずだった……。
「な、なぜ……?」
 口から血を吐きながら、驚愕に狂った目を横に向ける。そこには、先ほどの犬が遠吠えしている姿がある。
「戦いとは、常に敵を掌中に収めて行うものだ」
 オーギュストは、頭上に打球棒を振り被りながら呟いた。


 未明――。
「ああ、ちょっと、失礼」
 ヤンはごちゃごちゃと混み合った室内を、人をかき分けて進む。
 短い睡眠時間をさらに短縮されて、全参謀と各指揮官は、総司令部に集合するよう命じられた。狭い室内に人が集まり過ぎて、椅子が足らず、壁際に佐官さえも立っている状態である。
「ヤン、大尉」
 人を押しのけて、情報部の刀根小次郎が近寄ってくる。
「井戸に毒が投げ込まれた」
「は……っ」
 さっと血の気が引く。
「井戸って、崖の……?」
「今のところ、被害は大したことない」
「賊は?」
「上帝陛下が御自ら成敗された」
「そ、そうか……」
 声が震えるのを隠し切れない。
「そうかじゃない。陛下の側まで近付けてしまった。情報部と警備部の失態だ」
「ああ、あ、大変だな」
 小次郎は顔を歪めて、ため息をついた。
「念のために、解毒剤を渡しておくぞ」
「お、おお」
 震えの止まらない指で、茶色の小瓶を受け取る。
「ナンも飲んだのか?」
「ナン?」
 小次郎は怪訝な顔をする。
「腹痛で……」
「ああ、あいつは毒じゃない。娼婦に性病をうつされたらしい」
「その娼婦が賊を手引きしたのか?」
「それは――分からん」
 小次郎は、この意見を想定していなかったようで首を傾げたが、その後、可能性があると小さく頷く。
「調査したいところだが、もう時間がない。全軍の士気にもかかわるから、体調が悪い者がいたら、この薬を飲ませてくれ。くれぐれも穏便に、な」
「……そ、そうだな」
 小次郎は肩を叩いて去っていく。
「ああ……」
 大群衆の中に一人残されて、ヤンは只々呆然と立ち尽くす。
「軍議を始める――」
 壇上に、ベアトリックスが立つ。
「夜明けとともに、攻勢を仕掛ける!」
 その勇ましい声が、遥か遠くに聞こえた。
――俺が報告しなかったからだ……!


 夜が明ける――。
「第一波、放てェ!!」
 中央、ロックハート軍が一糸乱れず斉射を行う。
 その空気を貫く不穏な雑音と、空を覆う黒い影を見遣りながら、右翼アレックス軍が一斉に矢を番える。
「惰弱なロックハートに後れを取るな!!」
 忽ち、矢を乱射して、嵐のように降り注がせた。
「中央も、右翼も始まったな。よし、我々も行動を開始する」
 アウツシュタイン軍の工兵が、昨夜徹夜で用意した土嚢を次々に湿地に投げ込み、土壌を固めていく。
 三将軍とも、歴戦の勇者である。昨日の戦闘を元に、現場指揮官の判断が遅い箇所、兵士の動きの鈍い箇所、防御設備の弱い箇所を効率的に攻撃している。さらに、波状攻撃に濃淡をつけ、その間隔をランダムにして、敵のリズムを乱して、気持ちよく戦わせない。

「緒戦は順調です」
 汗を拭くオーギュストに、参謀のベアトリックスが報告する。
「当然だ」
 オーギュストの表情は冴えない。アルティガルド軍の動きが受動的過ぎる。それは、何か策を準備している証であろう。
「アウツシュタイン軍が攻勢を仕掛けます」
 ルイーゼが淡々と告げる。
「ああ、まずは奴の才覚に期待しよう」
 オーギュストは足を組む。

 地面が固まり、用水路にも梯子で橋を架けた。工兵に多大な犠牲を払ったが、騎兵と歩兵は戦意旺盛である。
「突撃!!」
 アウツシュタイン軍が一挙に流れ込む。
「我が軍の勝利だ!!」
 このまま防衛線を突破して、側背を衝けば戦況は決するだろう。
 しかし、用水路を越えた時、未確認の塹壕から一斉に槍兵が現れて、忽ち、槍衾を形成された。そして、進撃の足が止まった歩兵に対して、その頭上に矢が降り注ぐ。
「狼狽えるな。予想の範囲内だ――」
 アウツシュタイン将軍が、懸命に叱咤激励する。
「傷付いた兵を後方へ下げ、新たな部隊を順次渡河させろ」
 兵を細かく分けて、きめ細やかに前進と後退を繰り返しながら、少しずつながら確実に兵を敵陣の中に送り込む。ついには橋頭保を築くまでに至った。
 約半数の兵が敵陣に入った時、突然、本陣の周りが騒がしくなった。
「敵の伏兵か?」
「いえ、叛乱です」
 副官の報告に、アウツシュタインが呪わんばかりに牙を剥く。
「これ以上、上帝陛下に醜態をお見せするな!」

「工兵として徴用したヴァルヌス山地の兵、すなわち、マンドリーコヴァ家(76章参照)などが反乱を起こしました――」
 ルイーゼはオーギュストの前に跪いて、報告書を素早く捲りながら戦場の状況を伝える。その傍らでヤンは吐きそうな顔をしている。マンドリーコヴァ家と交渉し、人質を取ったのは彼である。
「アウツシュタイン将軍の本陣は健在ですが、前線との連絡は断たれ、前線の補給と兵の補充が途絶えて、混乱を極めております」
 オーギュストが、苦い表情で、ベアトリックスを見る。
「これを狙っていたのかな?」
「はい、左様のようです」
「なかなか厄介なことを考える」
「笑ってばかりはおられません。左翼前線は崩壊寸前です。ご決断を」
 ベアトリックスの忠告に、オーギュストはさすがに口元を引き締めた。
「ロックハートに伝令。中央から左翼方面へ広く展開して、左翼前線を支援しろ」
「はっ、直ちに」
 ベアトリックスが小走りに走り、総司令部の端で参謀たちを集め、より細かい指示を与え始めた。
 一方、オーギュストはルイーゼを見る。
「総司令部より部隊を裂いて、アウツシュタイン本陣の背後に回らせろ。ヴァルヌス山地への道を遮断して、反乱兵の心を折れ」
「御意――」
 ルイーゼが勇ましく頷き、素早く背中を向ける。「コンラート・ウラキ将軍を呼べ」と 自身の部下へ命じる。
「……さて、これで許してもらえるのかな?」
 オーギュストは立ち上がると、戦場のさらに奥を睨みながらそっと腕を組む。

「どうした?」
 ロックハート軍の少尉が、用水路の中を、膝まで浸かり、濁った水を大胆に蹴り上げて駆けてくる。そして、梯子の下で、シールドを頭の上に被った兵士たちを質した。
「早く誰か登れ」
「突撃兵がいません」
「……」
 少尉は兜を少し上げて視界を広げると、周囲を見渡す。いつの間にか、用水路の中の兵が閑散としている。
「増援を呼んでくる。それまでこの梯子を守れ」
「はい、――ひぃッ!」
 兵士たち健闘した瞬間、頭上の柵が倒れ落ちてきた。
 土砂と木材が、用水路に侵入したロックハート軍の将兵を押し潰した。
「突進せよ!!」
 そして、用水路の上に、アルティガルド騎兵が、その勇ましい姿を現し、苛烈な突撃を開始した。
「敵総司令部まで駆け抜けよ」
 左翼方面へ兵を出して、手薄になった箇所を鮮やかに突破して、果断に坂を駆け上っていく。
「してやられたぁ……」
 各部隊から悲鳴のような報告ばかりが届く。ロックハート将軍は、独り、悔しそうに地面を蹴る。
「将軍、来ました!」
 堪らず副官が絶叫する。敵兵が雪崩れ込んできた。
「迎撃せよ!!」
 ロックハート将軍は自ら槍を手に取った。

「ロックハートぉ~め~ェ、何をやっていやがる!」
 混乱するロックハート軍を横目に見て、右翼を指揮するアレックス将軍が思わず叫んだ。
「予備兵力を送って、穿たれた前線の穴を修復してやれ」
「はっ」
「これは『貸し』だと伝えよ」
「はい」
 副官が拝命して立ち去る。それと入れ替わりで参謀が駆け込んで来る。
「申し上げます。東のツヴェルフ・ヴァッサーファル河岸段丘に敵伏兵有り。敵騎兵が迫っております」
「な、何!?」
 その時、用水路の下流に、アルティガルド軍騎兵が出現した。
「狼狽えるな。伏兵、寝返りは戦場の花だ」
 アレックス将軍が、慌てず、周囲の参謀たちを叱責する。
「防御ラインを右側面に形成しろ」
 そして、首を大きく回して、嬉々とした声で命じた。

「伏兵は『紫紺騎士団』です。全員が紫のスカーフを巻いています」
 望遠鏡を小脇に抱えて、ルイーゼが切羽詰まった声で報告する。
「アレックスも苦労するだろうな」
 ゆっくりと背もたれに凭れて、オーギュストが、ため息交じりに呟く。そして、ベアトリックスの方を見て、指をパシリと鳴らす。
「上策は――」
 一度咳払いして、ベアトリックスが参謀たちと協議した作戦を説明し始めた。
「敵騎兵の突撃をやり過ごし、本陣の高台を利用して受け止め、後は挟撃、包囲殲滅することでしょう」
「ロックハート軍がこの状態では無理だな」
 オーギュストは、サイドテーブルの干しぶどうを摘まみながら囁く。
「御意」
「下策は、このまま手を拱いて、アレックス軍が鎧袖一触されること――と言うところか?」
 干しぶどうを噛みながら、目で続けるように示唆する。
「で、中策なのですが……」
 ベアトリックスは言いかかて、顔に躊躇いと恥じらいを浮かべる。
「中策は、ただ只管、死守することです」
 目を閉じ、やや早口に言い述べた。
「死んでも守れ、と?」
 オーギュストは、顔を上げて、軽やかに笑う。
「こんな命令を受けて、渋い顔するのが見えるようだ」
「……」
 ばつが悪そうに、ベアトリックスは口を真一文字に結ぶ。
「まあ、表現は陳腐だが――」
 オーギュストは頬杖をつく。
「結局、それしかない。ここからじゃ、俺の武勇も届かない。手の施しようがないということだ。シュナイダーが俺をここに登らせたのは、俺に仕事をさせないつもりだったのだろう。最初から……」

 それは疾風のような突撃であった。
 用水路脇の狭隘な道筋で両軍が激突。アレックス軍は数の優位を活かすことができない。錐のように揉み込み、アレックス軍の中枢へと『紫紺騎士団』が切り込んでいく。
「一旦後退、陣形を整理して迎え撃て」
 アレックス将軍は、少し開けた場所で槍衾を作って食い止めようとする。しかし、敵の方が地形を熟知している。槍兵が列を成し始めた時に、先制攻撃とばかりに矢を射掛ける。
 数そのものは少ないのだが、心理的効果は絶大で、陣形の再編も儘ならない。
 そこへ長剣を翳して紫紺の騎士が斬り込む。
 当然アレックス軍は中央突破されないように、中央を増援して厚くする。そそいて、騎士の足が止まった瞬間、凹型の三方から反撃する。
 しかし、両端の兵が不用意に横を向いた隙に、その両端へ槍を並べて押し出す。
 アレックス軍の凹型の最前線が崩れる。
 その途端、突入した紫紺の騎士が退く。
 思わず、中央の兵が追い駆けてしまい凸型に変じる。今度は逆に三方から半包囲されて、痛烈な反撃を受けてしまった。
 そして、紫紺の騎士は新手と交代して、再び果敢な突撃を行う。
「……くっ、逃げまどうのは我が兵ばかり」
「敵は騎士団として統一した意識があります」「あの気障な紫のスカーフか?」
 無意識に、助言した副官を睨んでしまう。
「こちらも紫のスカーフを巻いて戦いましょう。敵も叛乱かと焦る筈です」
 最年少の参謀が最後尾から進言する。
「ここは戦場だ。都合よく生地屋があるか!!」
 アレックス将軍はさっと頭に血が上り、心ともなく怒鳴っていた。そして、苦虫を噛み潰したような顔で爪を噛む。
「地形図を」
 自分の不注意な声が場の空気の重くした。その緊迫感から逃れようと、眼前に地図を広げる。そして、食い入るように眺めていると、ふと気付くことがあった。
「あの丘は?」
 顔を上げて、用水路の南側にこんもりと盛り上がった高台を指差す。
「特に名はありません。用水路工事の時に出た土を積み上げたものでしょう」
 即座に参謀が答える。その瞬間、アレックス将軍の顔が恐ろしいほど引き締まる。
「直ちに、あの丘を制圧しろ」
「はっ」
 命令が下ると、俊足の騎兵を選抜して、丘へ急行させた。


 大槌が木の門扉を叩く。2度目の打撃で板が打ち抜かれ、閂が折れた。
「我、侵入に成功せり! 御首級、頂戴致す!!」
 シュナイダーの主力軍の兵士が、一番乗りの雄叫びを上げた。そこへ正面と側面から十字射撃を浴びせられて、針鼠となって敢え無く息絶える。
「進め、進め、御首級を上げた者は、サリスでもサイアでも好きな国を与えられるぞ。地位も名誉も女も酒も、恩賞は想いのままぞ!」
「おお!」
 それでも、前線の指揮官に煽られて、兵士たちが次々に門を潜る。そして、射抜かれて倒れた屍を乗り越えて、一歩一歩アルティガルド軍は前進し続ける。
「囲め!」
 建物の中へ押し入り、この郭の指揮官を見つける。
「きぃえええ!!」
 大上段から奇声とともに打ち込むサリス軍士官を、複数の兵が取り囲んで槍で貫く。
 こうして、犠牲を厭わず力尽くで、一つの郭を制圧する。
 そして、休む暇もなく、前方の土塁の上へ矢を射かけ始める。この援護射撃の中で、シールドで背後と頭上を守りながら門に近付き、大槌で再び門扉を破壊する。
「突撃!」
 これを幾度も繰り返して、アルティガルド軍は徐々に徐々に、坂を登って行く。


「構え、放て!」
アレックス将軍が派遣した部隊は『名もなき丘』の上に布陣すると、弓を並べて、紫紺騎士団の隊列へ矢を射かけ始めた。
「何と!?」
 意表を突かれて、稲妻の如く動揺が走る。
 紫紺騎士団は安全な後方基地を確保して、補給と治療、休憩を効率よく実行してきた。そして、五月雨式に騎士を繰り出して、数の劣勢を覆している。
 しかし、この『名もなき丘』を制圧されると、後方の基地まで矢が届いてしまい、もはや悠長に休んでなどいられなくなった。
 次第に兵の循環が悪くなる。
「我すでに限界。交代兵を早く。此処を維持できなくなるぞ……ぐがッ!」
「我、準備万端。いつでも出撃可能。命令を待つ!」
 傷付き疲れた兵がいつまでも最前線で戦い続け、治療の終えた兵がいつまでも後方で待機し続ける。さらに、矢や剣などの物資も滞り始めて、ついに活動の限界が訪れた。
「止むを得ん……。作戦を変更する」
 紫紺騎士団は後退する。
 一旦、ツヴェルフ・ヴァッサーファル河岸段丘の拠点に戻り、部隊を再編すると、今度は配下の歩兵を中心に押し出て、あの『名もなき丘』を攻略し始めた。
 これに、アレックス将軍も増援を繰り出し、戦いは粘り合いの持久戦へと転じた。


「おお、ついに見えたぞ」
 大手道に、アルティガルド騎兵が突撃態勢を整えた。
 シュナイダーの主力軍は、幾重にも重なる郭を突破して大手道に出た。その視線の先に、オーギュストの居る総司令部の白い櫓が見える。
「アルティガルドの勇者たちよ。一気に駆けよ。いざ、吶喊せよ!!」
 精悍な騎兵が、大地を踏み鳴らし、土塁の壁を震わせて怒涛の如く駆け抜ける。
 左右の土塁から放たれた矢は、高速で進む騎兵を正確に捉えられない。流れ矢は、翻ったマントと頑丈な肩当てで軽やかに捌く。障害物があれば飛び越え、守備兵が出てくれば蹄で踏み潰す。
「もう少しだ。死力尽くせ!!」
 白い櫓が頭上に迫る。その足元の門は、潜伏していた工作兵によって既に開いている。
「吶喊!!」
 身を屈めて長槍を翳し、一つの弾丸と化す。
 門の中へ、怯むことなく突入する。内部は夜のように暗く、その先に眩い光が見えた。
「うおおお!」
 血が滾った。多くの味方の兵が捨て身で切り開いた道である。もはや騒乱の元凶を、この槍先で貫く意外に報いる術はない。
「我が祖国、アルティガルドに勝利をもたらすのは、この私だ!!」
 興奮する儘に、さらに騎馬の腹に蹴りを入れて加速する。
 馬ごと光の世界へ飛び込む。そこはオーギュストが篭る本郭である――筈だった。
 空が広い。体が宙に浮く。馬も鎧も羽のように軽い。最高の高揚感とは、重力さえも超越してしまうのだろうか……と考えた時、その視界に自由落下していく同僚やその愛馬が見えた。
「あ~~~ぁ」
 無数に重なる悲鳴が虚しく崖の底に轟く。
「止まれ、止まれ、この先に道はない」
 アルティガルド騎兵たちは罠に気付いて、どうにか門の前で騎馬を止めたが、後から突進してくる騎兵とぶつかり団子状態になってしまう。
「斉射三連、反撃せよ!」
 オーギュスト自身が櫓の上で弓を引く。
 そして、その号令とともに、一斉に矢が放たれた。
「ここは何処だ」
「俺たちは何処へ向かえばいい」
 大手道で、進むべき道を見失い、右往左往するアルティガルド兵に容赦なく矢が降り注ぐ。さらに、左右の城壁――に見えていた幕を切り裂いて、大剣を振り翳した戦士が斬り込んできた。
「袋の鼠じゃ、打ち取って手柄にせよ!」
「こそこそ伏兵などする方が鼠じゃ、物の数ではないわ!!」
「誰が鼠じゃ、栄えある聖騎士じゃ、平伏せ、跪け!!」
 予想外の伏兵による攻撃に、忽ち、血で血を洗う白兵戦となる。
 しかし、アルティガルド軍は突撃に特化した軽装備だが、サリス軍は、聖騎士以来の伝統である重装甲に大剣を装備している。
 槍は乱戦では使えず、細い剣では鎧を貫けない。一方、サリス兵は防御を考慮せず、力任せに振り回している。大剣が掠っただけで肉が削がれて、血が止め処なく流れた。
 時間の経過とともに、アルティガルド兵が一人また一人と力尽き、突撃部隊は儚くも瓦解していく。


 シュナイダーは、騎乗し、兜を被った。
 西を見遣る。
 すでに反乱軍は戦意を喪失して、掃討されようとしている。元々、統率に欠け、戦闘技術も劣っている。一時的な混乱なら起こせるだろうが、それ以上の戦果は期待していない。
 東を見据える。
 紫紺騎士団ならもう少しやると思っていたが、案外不甲斐なかった。この期に及んで、陣形を再編して持久戦にするとか、もはや理解不能である。
 捨て駒になる覚悟もないのなら、戦場に出てくるなと言ってやりたい。所詮、宮廷で貴婦人の護衛をしているのがお似合いだった――そこまで考えて、頭を振る。自分に十分な戦力があれば、街道を逆に攻めて、アレックス軍を挟撃できた筈である。その戦力を用意できなかった自分に責任がある。
 さらに言えば、カリハバール軍に一族郎党を皆殺しにされて以来、戦い続けているアレックス将軍の手腕も、大したものと評していいだろう。
 そして、正面を睨む。
 第一陣の犠牲により、サリス軍の手の内はすべて見切った。最後に残った第二陣の騎兵を自ら率いて、オーギュストに肉薄する。
 自分ではなくても、この中の誰かが、あの完璧に鍛え上げられた肉体に剣を突き刺せればよい。サリス軍に戦争を継続する理由はないのだから。
「槍を」
「どうぞ」
 左手で手綱を握り、右手に槍を担ぐ。
「もはや言うべき言葉はない。各々、存分に戦え!」
「おお!」
 兵士たちが鬨の声を上げた。
 その時、索敵の兵が駆け戻ってくる。
「申し上げます。南方より、アーカス騎兵が急接近」
「……まさか」
 副官が口を滑らせた。
「旗印はレオナルド・セシル将軍」
 シュナイダーの脳裏に、赤髪の丸刈りで小柄な男の顔が浮かんだ。
 ゆっくりと周囲を見渡す。
 あれほどまでに盛り上がっていた熱気が、潮が引くように消えている。歴戦の兵士たちが力なく肩を落とし、才気あふれる参謀たちは泣きながら顔を伏せ、支え続けてくれた副官も言葉なく天を仰いでいる。
 もはやこれまでだった。
 恐るべきは、このタイミングで増援を到着されたオーギュストの手腕であろう。どれほど前から、この状況を読み切っていたことか……。考えれば考えるほど恐ろしい。
 現実的には、戦えばまだ何が起こるかは分からない。だが、戦士として最も華々しい舞台から、奈落の底へ落ちて、完全に将兵の心が折れている。
「ここまで、だな」
 その言葉にハッとして、若い参謀が顔を上げた。
「最後の一兵まで戦いましょう」
「それはできない」
 シュナイダーは首を振る。
「一兵でも多く戦場を離脱させたい」
 それは将軍としての言葉でなく、先輩として兄貴分としての願いであった。


 眼下の草原に、レオナルド・セシルの軍勢が見えていた。
 あわあわあわ……。
 アンが顔面を蒼白にして、口から泡を吹いている。リューフ将軍配下のセシルを援軍に呼ぶ手筈は彼女が担当した(第75章参照)。
「如何にか間に合ったな」
 オーギュストは、弓を真っ直ぐに立て、それに寄り掛かりながら、然も平然と、爽やかな笑顔を見せて呟く。
「あれを間に合ったというんですか?」
 アンが、目を細めて疑惑の視線を向ける。
 確かに、到着したのは6割弱、馬はへとへと、兵士は武器もってない者も多い。
「そうか?」
 オーギュストが首を傾げて、視線をベアトリックスに投げる。
「主観の問題でしょう」
 ベアトリックスが、髪を払って、澄まし顔で告げる。
「だ、そうだ」
 オーギュストが大きく口を開いて笑う。そして、弓をアンに投げ渡すと玉座に腰を下ろした。
「セシルには精々これ見よがしに行軍させよ。後はシュナイダーがどう判断するか……だ」
「はっ」
 ベアトリックスが頷く。
 そこへルイーゼが息を切らせて来る。
「敵が後退を始めました」
 ルイーゼの言葉に、ベアトリックスが思わずホッと笑みを零した。
「露骨だな」
 オーギュストが苦笑する。
「……そんなことはありません」
 一つ咳払いして、冷静に否定する。
「怒るな。もし攻め続けられれば、お前たちの大部分は死んだだろうからな、あははは」
 オーギュストは声を上げて笑った。自分だけは絶対に生き残る、と自信にあふれている。
 しかし、誰も追従する者がなく、その声が静まり返った室内に虚しくこだまする。ようやく冷めた空気に気付いて、オーギュスは不服そうに顔を顰めて、やや早口に命令を下した。
「セシルにはこのまま街道を北上させて、敵の退路を断つと思わせろ。それから、我が直属軍のエステバン・イケル・デ・ハポンに、自慢の『アーカス騎兵で追撃しろ』と命じろ」
「はい、彼もうっぷんが溜まっていたでしょう。必ずや敵本陣を奪い、シュナイダーの首を取りましょう」
 ベアトリックスの返答に、オーギュストがまた笑い始めた。
「さあ、気合いを入れろ。追討戦に移行するぞ」
 ルイーゼの叱咤激励する声が空気を一変させたる。その場にいる将兵が、一斉に背筋を伸ばして踵を鳴らした。

 この後、オーギュストは、空になったシュナイダー将軍の本陣跡を占拠すると、勝鬨を上げて、勝利宣言した。
 そして、援軍のセシル将軍に、アルティガルド主力軍の追撃を任せ、その拠点だった『ヴァインフルス(柳の川)』街へ派遣する。
 また、アレックス将軍には、東の『ツヴェルフ・ヴァッサーファル(十二滝)』河岸段丘に赴かせ、紫紺騎士団の掃討と街道の制圧を託す。
 アウツシュタイン将軍には、寝返り反乱を起こした『ヴァルヌス(胡桃)』山地の諸小領主たちの討伐を命じる。
 さらに、この鶴ヶ原一帯をロックハート将軍に預けて、オーギュストは、直属軍とともにフュンフフルト(五つの瀬)の街に戻っていく。


 フュンフフルト――
 夜、オーギュストを乗せた馬車が、インスティンクト教会の車寄せに到着する。
 参謀と護衛が並んで待つ中、オーギュストは、ベアトリックス、ルイーゼ、アンの三人の参謀を伴って馬車から下りてくる。
「明日、ベーアブルク要塞(第76章参照)の監視を強化しろ」
「はっ」
「紫スカーフの悪趣味な連中が逃げ込むなら、あそこだろう。万が一だが、反撃の含みもある」
「畏まりました」
 三人の女が頷き、オーギュストの背に敬礼する。解れた前髪から、疲れの色が滲んでいる。
 玄関を入ると、一斉にドレス姿の女性たちが、背筋を伸ばしたまま膝を曲げて挨拶をした(カーテシー)。
「大勝利、おめでとうございます」
 きれいに声をそろえて告げる。
「まだ勝ち切った訳ではない」
 優勢から勝利を確定するまでが一番難しい、と冷めた声で答えた。
 オーギュストは、一人の少女の前でローブを広げた。美しく髪を結い上げた少女は、涼しげな顔で前へ出て、その腕の中にすっぽりと納まった。

「……」
 ヤンが玄関ドアの向こうを垣間見ながら、じっと口を真一文字に結ぶ。少年期よりよく見た光景であるが、自分よりも年少者が担うようになったと思うとちくりと胸が痛んだ。
「誰?」
「確か……、親衛隊の研修組のリーダーだったかしら」
「聖騎士の娘だがなんだか言ってたけど、ただの恩知らずよ。すぐに下賜されるわ」
「下賜筆頭候補の常連が何を言うの?」
「ちいっ……」
 風に乗って、馬車の前に佇む女たちの会話が流れてくる。耳を塞ぎたい気分なのに、どうしてか逆に体を傾けてしまう。
「それにしても、見て、ランのあの顔。唇何て噛んじゃって、ふふふ」
 いい気味、と音もなく唇が動くのが見えた。
「留守番組の女にとって、大決戦後の夜伽は、戦場での一番槍と同じ」
「今宵、何を望むかしら?」
「アルティガルドの女王の一択でしょう」
「まさか、ふふふ」
 女たちの声は悪意に満ちて、一ミリも理性を刺激しない。不快な苛立ちばかりがゴミのように積もっていく。
 不意に肩を叩かれた。反射的に心臓が止まりそうになる。引き攣った顔で振り返ると、刀根小次郎が顔を寄せてくる。
「ちょっといいか?」
「何だ?」
「人質を整理しないといけない」
「……」
 現実に引き戻されて、さっと顔から血の気が引いた。
――俺は……あの姉弟を殺すのか……?
 ヤンは呆然と立ち尽くす。


 扉が閉まった瞬間、シルヴィ・ド・クレーザーは長く真っ直ぐに伸びた脚からパンツを抜き取った。そして、オーギュストの首に腕をからめた。
「舌を出して」
 息がかかるほどに顔を近付けて、妖艶にほほ笑むと、顎を上げて、舌を差しだす。まるで雛がエサを求めるようにキスをねだった。
 唇より先に、舌と舌が絡み、相手を飲み込まんばかりに縺れ合う。そして、唇と唇が、噛み付かんばかりに重なり合った。
 ちゅじゅ、じゅじゅじゅる!
 混ざり合い攪拌された唾液を吸い合えば、人工甘味料のどきつい刺激に、胸が焼けるように酔っていく。
「ああン」
 唇が離れると、濡れた唇から、ピンク色の染まった吐息をもらす。
「……ハぁ、はぁ、はぁぁ……」
 安いアルコールに溺れた気分で、狂った瞳が、飢えた獣のように獲物を睨む。
「ねえ、今夜はもう何もないんだよね?」
 興奮を抑え切れない声で告げつつ、シャツを脱がし始める。
「ああ、一晩中、可愛がってやる」
 オーギュストは、熱く宣言すると、首筋にかみついた。
「あ~ぁん」
 その瞬間、血が逆流して、シルヴィは激しい目眩とともに頭が真っ白に染まった。
「でも、その前にシャワーを」
 計らずも、オーギュストは冷静な声で告げて、体を離そうとする。
「だ。だめえ~ぇ……んん」
 シルヴィは狂わんばかりにしがみ付き、片足を上げて腰に絡ませる。そして、露わになった胸に顔を埋めた。
「あたしがきれいにするから」
 舌先で胸を舐め始めた。
「そうそうサカるな」
「だってずっと我慢してたんだもん」
「本当か?」
「ええ、あたしは嘘つかないもん」
「じゃ試すぞ」
 オーギュストはにやけると、スカートを捲る。そして、小ぶりで綺麗な円を描いた尻を撫でる。若さ特有のすべすべした手触りと、剣士として鍛えた成果であるもちもちとした弾力が、何処までも心地よく、何時までも触っていたい。夢中で、尻肉に指を食い込まされて、自在に形を変えまくる。
「ふぅ~ん」
 シルヴィは、瞳を閉じて、うっとりと鼻を鳴らす。
「あっ? あっ、あーーーーーーっ」
 そして、薬指の先が尻の穴に当たると思わず驚きの声をもらし、体をびくりと固くする。
 体幹がしっかりとしているから、しなやかな柔軟性と反発力を感じられた。
「あんっ、いっ、いあーっ、いあーッ!」
 皺の上でゆっくりと円を描けば、おそらく否定を意味であろう音を発しながら、逃げるように腰を浮かせて、左右に悶えるようにくねらせる。
「ひぃっ、いっーーーん」
 そのまま静かに侵入させれば、ぐっぐぐと背筋を反らして、長く糸を引くような声を吹き出した。
 腕の中で次第に馴染む女体。オーギュストは、さらに攻めて、人差し指と中指を揃えて伸ばし、そっと膣穴を弄り始める。
「あーんっ、あっ、あっ、あーッ、あーんっ!」
 みるみるシルヴィの顔が真っ赤に染まって、口からだらしなく涎を垂らしながら、益々可愛らしく呻く。
「そろそろ解れたろう?」
「え?」
 思わず、抒情的な二重瞼を震わせて、上目使いにオーギュストを見る。
「正直に言え!」
「はい」
 強い声で言われて、反射的に頷く。
「俺の留守中、ここを使ったか?」
「いいえ……」
 ぷるぷると首を振る。
「ほらほら、穴が萎んだ。上の口は嘘付きだが、舌の口は正直だぞ」
 詰るように言いながら、二つの穴をぐりぐりと弄り回す。
「あ~~~っ」
 底が抜けたような喘ぎ声を長たらしくもらす。
「自分で触ったのか?」
「あ、ぁ~うん」
「ほう、少し違うか。なら、誰かに弄らせたな」
「あぅあああん」
「当たりか。誰だ?」
「ひぃ、あぃい~あぃぃ~ん」
「一人じゃないなぁ」
「ちぃ、ぃっ、あう~うん」
「淫乱な奴め。お仕置きだな」
 耳たぶを噛んだ。すでに、オーギュストの腕は肘までびっしょりと濡れている。


 その頃、岩盤浴を終えた女性たちが、一人ひとりとマッサージ用のベッドが並ぶパウダールームに集まっている。
 皆、磨き上げた裸体を、ふわふわの白いガウンに包んでいた。
 ラン、伯爵夫人アリーセ、准男爵夫人ヴェロニカ、そして、ブラオプフール男爵未亡人がいて、急な呼び出しに備えて待機中である。
「陣中組は?」
 セラピストから手渡されたオーガニックハーブティーを啄むように飲み、そのティーカップをゆっくりと下ろしながらアリーセが問う。
「もう寝ていますよ」
 同じように紅茶を受け取りながら、ランがあっさりと即答する。
「……」
 アリーセは不審そうな目付きで、ランを見詰める。「確認したのか?」と問い詰める言葉が、今にも口を衝いて出そうなのを堪え切る。
 親衛隊出身と言うが、軽率な言動が多いように感じられた。そつのなさは同期のアンの方が上だろう。剣術の実力も、あの鎮守直廊三人衆に劣るようだ。ただし、オーギュストの愛弟子である。それは真の実力なのか、それとも美貌なのか……。
 ゆっくりと爪先から頭まで観察する。
 身長は170cm弱。脚は長く竹のようにまっすぐで、太ももから腰にかけては、野を駆ける羚羊のように健やかに引き締まって美しい。胸は、釣鐘状の均整がとれた膨らみでやや控え目なのが清楚である。
 肩幅は女性にしてはあるが、それが逆に首をより細く見せ、顔をより小さく感じさせている。
 そして、顔は、はつらつとした若さに溢れている。瞳は猫を思わせるように大きくやや吊り上がり、鼻はすっきりと通って、顎は鋭く尖り、唇は花びらのように薄い。
 肌はうっすらと焼けている。深窓の令嬢が多い後宮の女性としては少し異例であろうが、十分に美形と評するに値するだろう。
 何よりも、血筋がよい。カーン公爵家の末裔を公式に認められている。真偽はともかく、寵愛の証なのは間違いない。
「……」
 早々にオーガニックハーブティーを飲み干すと、ランはアリーセの粘るような視線に気付く。
「何か?」
「別に……」
 強敵である。思わずアリーセは、ティーカップの取手を持つ指に力を込めた。
「それでは、今、警備は?」
 いきなり、ヴェロニカが横から問う。
「親衛隊が詰めている筈」
 ランは無責任に返答すると、マッサージ台の上に登り、四つん這いになる。その時、端のベッドで同様の格好をしている年長の女性と目が合った。
「余興の準備は?」
 ランが問う。
「吟遊詩人を用意していますよ」
 頭を下げ、枕に顔を埋めながら、ブラオプフール未亡人が答える。
「少し不用心では?」
 二人の間に割り込むように、ヴェロニカも四つん這いになる。
「構わないでしょう。敵にも、もはや余力はないでしょうし」
 アリーセが、ランの隣のベッドに両手をつきながら語る。
「……」
 それにヴェロニカとブラオプフール未亡人がひっそりと視線を絡ませた。
「失礼致します」
 すぐに控えていたセラピストが背後に近寄り、浣腸器を尻の穴に宛がう。
「――ん?」
「うっ……」
「ひぃ!」
「んくぅ~~」
 4人は尻を並べて掲げ、浣腸液を注入される。
「全く!」
 不意に、アリーセがベッドの端を強く叩く。
「野心家のベアトリックス、ルイーゼ、マルティナの三人が、呑気に寝ているわけがないわ」
「……でしょうね」
 たいそうな時間差で、アリーセが怒りを爆発させた。その固執の中に焦りを感じて、苦笑を隠しながらヴェロニカが頷く。
――この女は出世できない(笑)
 そして、アリーセは心情を見透かされていることにも気付かず、頭の中で地図を思い浮かべていた。
「彼女たちの思惑は何処かしら?」
 静かに自分自身に問い掛ける。
 王都アルテブルグを中心としたエリース湖沿岸地域とフリーズ大河以北地域は、そのまま新生(傀儡)のアルティガルド王国に受け継がれるだろう。
 サリス帝国が得るのは、精々、ソルトハーゲ要塞、ホークブルグ要塞、バルバブランツァ要塞の譲渡とフリーズ大河以南領土の一部割譲ぐらいだろう。これらは、実働部隊の武将(ロックハート将軍、アウツシュタイン将軍など)に与えられる可能性が高い。
「さあ、皆さん、ご自身の出身地の安堵を望んでいるでは?」
 その時、隣からヴェロニカが言った。思わず、ブラオプフール未亡人を見る。
彼女はブラオプフール城(第75章参照)の安堵とその周辺の加増を望んでいるだろう。
 ヒューゲルランド州モントズィヘル城(第74章参照)はベアトリックスの出身地、望めば、州全体を与えられるだろう。
 他は、ホークブルグ街道のメーベルワーゲン城(第74章参照)は、攻め落とした兄の武勲と合わせてマルティナか?
 そうなると、サリスが新しく築いたシャーデンフロイデ(第75章参照)は、ルイーゼかもしれない?
 一人、脳内で捕らぬ狸の皮算用を続ける。
――出来れば、王室に繋がる自分は旧領に加えてフリーズ大河北岸の拠点も欲しい……。
 そうなれば、サリスとアルティガルド両方に影響を与えることができる。狙いは、ここフュンフフルトかヴァンフリートという事になるだろう。
 誰が何処にどれほどの領土を得るのか、駆け引きは始まっている。寝てなどいられるはずがないのだ。
「……」
 アリーセは奥歯をぐっと噛み締めた。
 誰も信用などできない!
 その時、鈴が鳴り、アリーセを現実に引き戻す。
「さて、出番だ。全く最近の若者は貧弱でしようがないなぁ」
 ランはハニカミながら立ち上がり、嬉々として歩き出した。
「ちぃ――」
 ランの姿がトイレに消えた後、アリーセが小さく舌打ちをする。
「ひぃ~ひゃ~ぁあああ~~~ン」
 その瞬間、下半身への集中力が途切れてしまったのだろう。不覚にも、尻の穴が弛んでしまい、白い液体を吹き出してしまった。
「はっ、いやぁ~~~ん」
 それに驚いて、ヴェロニカもブラオプフール未亡人も、同様に放物線を描いてしまった。


 藍色の絨毯に、青い壁、薄い紫の天井、そして、天蓋付きのベッド。
「夜伽の副のランで~す」
 ランが泥棒猫のように忍び足で入室してくる。
 夜伽には正、副、予備の三つの当番がある。
 基本的に『正』が主に性交するが、失神などした場合に『副』が代行する。また、不測の事態には『予備』が速やかに駆け付けることになっている。
 オーギュストは、健康的なシルヴィの上に圧し掛かり、大臀筋をぎゅっと引き締めている。
「ツーーーッ、ハァ」
 呼吸すら満足に許されなかったのだろう。シルヴィは口を大きく開いて、詰まっていた息を思いっきり吐き出して、新鮮な空気を貪るように吸っている。
 腕は頭上に大きく振りかぶり、枕に爪を食い込ませて、絞り千切らんばかり握り締めている。
「ッハァ、アーッ、アーッ……」
 火照った瞼を閉じ、顎をオーギュストの肩に乗せて、切羽詰まった吐息を、いつまでももらし続ける。
 脚は腰の上に振り上げられて、ぐっと爪先を引き寄せるように足首を曲げて、その足の裏を天井に晒し、限界ぎりぎりまで足の指を広げていた。
 にゅるるっる。
 オーギュストが男根を引き抜き、汗の絡み合った肉体を離す。
「ふぅ、うう、んう……」
 シルヴィは力なく足を投げ出す。そして、指の跡が赤く残る胸を激しく上下させながら、ゆっくりと唇を舐める。
「うっ……ん」
 思わず、ランは生唾を飲み込んだ。
 人体が、あのような格好になることは知っている。
 しかし、あのシルヴィなのだ。
 生まれた時から、聖騎士の家系の子女として、誰よりも厳しく躾けられてきた。
 訓練でどんなに疲労困憊しても、決して寝転がったり、足を投げ出したり、背筋を曲げたりしなかった。掃除などをさせても、品良く立居振る舞い、ガサツさなど微塵も見せなかった。
 おそらく人前で脚を開くなどやっとこともなければ、考えたこともなかったろう。
 そのシルヴィが、こんな痴女のような格好をしている。清純な少女が、一つの常識を踏み外した、まさに瞬間に立ち会ってしまった。愕然とするとともに、胸の奥がむらむらと興奮する。
「おい、痴女」
「え?」
 真に、心外な呼ばれ方である。
「その手は何だ。勝手に自慰を始めるんじゃない」
「はっ……」
 言われて、右手で肉襞をまさぐり、左で胸を揉んでいることに気付いた。
「お前の頭の中は、セックスの事しかないのか?」
「ああ……」
 詰られて、胸の奥が熱くなる。心臓に強い負荷を感じ、頭がぐらぐらと揺れ始めた。
「ああ……ん」
 思考が白く霞み、脳細胞にセックスの文字が馴染んでいくのを実感する。
「ああーん、あん!」
 独りでに、指が動いた。じれったく襞を撫でていた手がクリトリスを爪弾き、乳ぶさを揉む手が乳首を摘まみ捻る。
「ひっ、ああああああっん」
 意識が飛ぶ。
 ビクゥッと背筋を仰け反らせて、ゆったりと開いた股間からプチュウアアアアアア、と飛沫を拭き散らかす。
 ランは、床に膝から崩れ落ちても、行為を止めることができない。
 先程シルヴィよりもさらに大胆に足を開いて、ズブズブと二本の指を膣穴に突き刺し、夢中で掻き廻す。
「うぅううう……」
 キャッツアイのように美しい瞳を剥いて、獣ように呻いた。
「あっ、あああっ、ああーッ」
 衝いて、衝いて、衝きまくる。プチュ、ピチュ、ピチャと水音が繰り返し鳴り響くなかで、自然と腰が浮いた。濡れまくった秘唇が室内の灯りにキラキラと照らされる。
「あはははっ、ああん……あ…、ああああ~~~」
 喘ぎ声をビブラートさせながら、軽くブリッチして、身体をガタガタと震わせる。乳ぶさが胸の上で何処かに飛んで行きそうなぐらい激しく弾んだ。千切れんばかりに掴み、押し潰す。そして、さらに深く指を膣穴へ挿入する。
「あっ、はっ、ふぁっ……」
 瞳を虚ろに曇らせて、断末魔をもらした。
「ごめんなさい……」
「うん?」
 涙を流しながら、突然謝罪の言葉を述べる。
「こんなにスケベでごめんなさい……」
「ああ」
「頭の中……セックスの事しかないの……」
「調度いいさ。俺の女には」
 オーギュストは楽しそうにほほ笑み、ランの前に身を屈める。
「うん」
 幼女のような笑顔を浮かべて、ランは素直に頷いた。その顎を、オーギュストが摘まみ上げる。
「お前――」
「え?」
「シルヴィに何をさせた」
 ランは、ちらりとベッドで寝ている少女を見る。
「ち、ちがうの」
 首を横に振る。
「アリーセさんが交友を深めようというから」
「それで?」
「食事の後お酒を飲んで……お風呂に入って……、各々、どのくらい違うのかなぁと見せ合いっこして……」
「それで、舐め合った訳か?」
「うん」
 恥ずかしそうに頷く。
「全くお前たちは――」
 一度、オーギュストは目を伏せて、大きくため息をつく。それから、眼光鋭く見詰めて、荒々しく抱きしめた。
「最高だな!」
「ええ?」
「お前たちは同じ目的を持った仲間だ。これからも、もっともっと仲良くするんだぞ」
「うん」
「いい返事だ。お前はセックスの事だけ考えていればいい」
「うん!」
 嬉々とした声で頷く。これが、完全にスイッチが入る切っ掛けだった。
「ああん、ああん」
 ランは、情熱的に鼻を鳴らして、夢中で首にしがみ付く。
「あああん!」
 尻を鷲掴みにされて、軽々と抱え上げられた。そのふわりとした浮遊感だけで、ランは、さらなる高揚感に包まれていく。
「うむむむ」
 宙で微かに揺れながら、貪るようにキスをする。一方で、重力の影響だろうか、痛いぐらいに尻肉に指が食い込み、尻の割目は裂けんばかりに左右に打ち開かれてしまう。
 尻の穴と濡れた秘唇の奥の、決して表に出ることのない桜色の柔肉に、新鮮な空気の流れを感じる。
「くっ、はぁんんん!」
 その穴の中に、すっかり馴染んだ肉塊を向かい入れる。途端に、安堵にも似た喘ぎ声を発した。
「うぐぅっ!」
 ドスンと下から突き上げられる。
「ふかいッ!」
 脳天まで突き抜ける衝撃に、ランの髪が舞い上がった。重力に引き寄せられて、尻が舞い落ちる。そのタイミングに合わせて、再び下から突き上げられる。まるで毬のようにランの尻が弾みつづける。
「ひぃ、ひっぃ、奥にあたるぅ」
 内臓を抉られるような衝撃に、ランは涙顔になって、さらに強くしがみ付く。
「あ、ああッ、イクっ、イクっ、イクっ、イクっ……あ、あーーッ!!」
 この破廉恥な駅弁スタイルで早くも一度達した。
 貌は上気して、四肢は弛緩する。もう抱き着いて入らない。そんなランを、オーギュストは、ベッドの上へ放り投げる。シルヴィの隣りに仲良く並べた。
「きゃあ!」
 思わず、ブランコで遊ぶ少女のような無邪気な笑みが零れた。
「このくらいで、それでもセックスをするために生まれてきた女か?」
 罵りながら、オーギュストはますます悪乗りしていく自分に自嘲してします。
「セックスの申し子が聞いて呆れる」
「ご、ごめんなさい……」
「もっと肌を磨け、脂肪を削れ」
「うん、頑張る」
 瞳を潤ませて、無邪気に頷く。
「あはははは!」
 もはや限界である、大笑いしながら、その上に覆い被さり、オーギュストは正常位で激しく攻め続ける。
「ひぃ、ひゃあああ」
 ランは感度よく、喘ぎまくる。
「ああッん、気持ちイイぃッ。オマンコが溶けてしまうぅぅう」
 卑猥な言葉を口走り、自らを更なる高みへ導く。
 ごちゅ、ごちゅ、ごちゅちゅっ!
 膣穴から卑猥な水音を響く。ぶる、ぶるっと乳ぶさを揺らし、乳首を堅く尖らせる。
 髪を振り乱し、唇の端から涎を垂らし、白い裸体に無数の汗の玉を浮かべ、熱病にうなされたように顔を真っ赤に染める。まさに全身でセックスを表現している。
「いくぞ」
「う、うれしい……あっ、あはっ!」
 瞳を至福に潤ませる。
「うッ! ああ……す…すごい…壊れちゃうっうーー!!」
 間髪入れない烈しい攻めに、ランの身体が浮き上がり、腰を別の生き物のように震わす。
「あっ…あっ…っ…!!」
 必死にしがみつき、紙一枚入らないほどに密着する。他人の体温が肌から骨の髄まで染み渡る。至高の気持ち良さである。
「んあぁあぁあっ……!」
 白くしなやかな裸体が蕩けていく。まるでアイスのように溶けて、オーギュストの体にぴったりと纏わりつく。
「あぁんっ! すっ…すっごい……だめえっ…もっ…もぉ……」
 これまで以上の奇声を上げる。そして、オーギュストの膝をギュときつく握りしめて突っ張り、脚を極限まで真っ直ぐに伸ばして、
足の指を丸く巻きこむと、がくがくと小刻みに痙攣される。
「イクッ…イッちゃうぅっ!!」
 ランは最高の絶頂に達する。
 ドタン。
 オーギュストが男根を引き抜き、小脇に抱えていた太腿を離すと、力なくランの身体がベッドに沈む。
 ちゅぷぅ、ちゅちゅ、にゅるるっ。
 その途端、ランはくるりと回って、膝立ちしたオーギュストの股間に顔を埋める。頬を窄めて強く吸い、舌で舐め上げる。
「今凄い。無意識だった」
 スポーツの後のように火照った貌を輝かせて、上目使いに告げる。
「よくできた。いい子だ」
 オーギュストは優しく頭を撫でてやる。


 ミディアムヘアの灰色がかった金髪が、ふわりと揺れる。品の良い唇から大量の唾を垂れ落として、他の女たちの匂いを洗い落とすと、長い舌を伸ばして根元から先端まで棹を大きく舐め上げ、亀頭を優しく包み込むように舐め回し、カリを丁寧になぞり、かつ、鈴口を舌先で繊細に刺激する。
「クチュチュ、ふぅん、ピチュビチュ……うぅん」
 卑猥な水音の中に、時折、鼻からもれる息が混じっている。
 見惚れるほど清楚で際立って気品がある美貌を歪めて、亀頭をすっぽりと含んで、まるで搾り取るように頬を窄めて強く吸引した。
 口の中の温もりを捧げれば、強度をます男根を口全体で感じて、益々頭が眩むような興奮を覚える。ツンと甘酸っぱい匂いさえも魅惑の香水のようで胸が焼けるように煽情する。
 アリーセは、オーギュストの脚の間に蹲っている。視線を左右に振れば、オーギュストの隣には、シルヴィとランが呆けた表情で横たわっていた。
「あたしも……」
 徐に、ランが上体を起こした。そして、まだ朦朧とした顔を近付けてくる。脳みそが入っているのが信じられないほどに小さい。
 二人で、表と裏、棹に舌を這わせる。
 次第に押し出されて、根元の玉へと唇を下げる。袋の中で二つの玉が勝手に動いて可愛らしい。まず優しくキスをして、それから舌で持ち上げて、口に含んで少し引っ張ってみる。
 ランは冠のように上から被さる。目を疑うほど深く飲み込んだ。喉の貫かれているのでは心配してしまう。
「うぐぅん!」
 不意にランが呻いた。オーギュストが秘裂を弄っている。
「あん、あん、あん」
 耐え切れず喉から男根を吐き出し、喉を仰け反らせると子犬のように喘ぎまくる。そして、ぐっと歯を食い縛って太腿の上に顔を沈めた。しかし、口を離したと同時に、男根に指を絡めて扱いている。
 さすがにセックスをするために生まれてきた女と評されるだけのことはある。アリーセは感心した。
 心底、居心地がよい。自分の居場所と言う気がするし、遣り甲斐を感じる。彼女に勝ちたいし、ここで一番になりたいと思った。
「失礼します」
 アリーセは腰を跨ぐ。そして、男根を握り、ランに見せびらかすように挿入していく。すでにそこは恥ずかしいぐらいに濡れているから、すんなりと入ってしまう。
 腰振りアリーセ――!
 いつ頃からか、そう褒められるようになった。嬉しいし、誇らしい。もっと見せたいし、見てもらいたい。
「いやぁん」
 男根に弾かれて滴がランの瞳に飛んだ。ランは瞼を閉じて微笑み、唇を尖らせる。
「仕返ししてやる」
そして、覗き込むように顔を接合部へよせる。
「クリ、大きい」
 剥けたクリトリスを舌先で突いた。
「いっ、いいぃん!」
 両手で肩を抱いてアリーセは喘いだ。
――こんな日々が永遠に続けばいいのに!

「彼女を誘わなかったのは正解ね」
「すっかり取り込まれている……」
「ちょろい――女だわ」
「ええ、伯爵家令嬢が聞いて呆れる」
 ヴェロニカとブラオプフール未亡人の二人が、扉の隙間から覗き見して笑い合う。
「所詮王侯貴族などこんなものよ。これからは、あたしたち地方領主階級がしっかりしていかないと」
「ええ、私たちが、この手でサリスを追い出し、アルティガルドに平和と秩序を取り戻すのです」
「全ては明日の宴会の時に……いいわね、ヴェラ、タビタ」
 ヴェロニカが、背後に控えている二人の少女に問い掛ける。
「はい」
 覚悟を問われて、二人の親衛隊研修組の少女が緊張した面持ちで頷く。
 二人とも、降伏したフリーズ大河南岸の領主の子女である。
 右がヴェラ・コンスタンツェ・プラシュマ。
 常に背筋が一本ピーンと伸びて、慎ましい顔立ちを威嚇的に凛々しく引き締めている。
 切れ長で理知的な瞳、涼しげな眉、通った鼻筋、口元の形も小さく整って、彫刻家が想像したかのように美しい。
 長身ですばらしく形のいい脚をしているが、胸は精々Bカップ止まりで、尻もまだまだ硬さが残っている。また、磁器のようにきめ細やかな肌に、腰まである艶々の黒髪が、より清楚さを強調していた。
 左がタビタ・マルガレータ・ラウエンシュタイン。
 卵型の小さな顔に、ボーイッシュなショートカットが特徴的である。端正な男前な顔立ちだが、その肉体はグラマラスで、胸元は深い谷を刻み、スズメバチのように括れた腰から急激に尻肉が膨らんでいる。
「ヴェロニカさんと私は、手筈通りに吟遊詩人が歌い踊り出したら、警備の目を逸らして、その者たちが近付きやすくするだけ……」
「ええ」
「でも、わたくしにできるでしょうか?」
「タビタ、何を弱気な……」
 叱るヴェラの瞳も泳いでいる。
 タビタの手には一本の黄金の針が握られている。これを身体検査が終わった吟遊詩人に手渡すのが彼女たちの役割である。
 タビタは針を持つ手の震えがいつまでも止まらない。ヴェラがふっとその手を包み込むように掴んだ。
「大丈夫、二人でやり遂げましょう」
「ええ」
 今、運命の分岐の鍵が、二人の手の中にあった。この針の行く先が、歴史を変えてしまうのだ。
「あの者たちならば……必ずややり遂げるでしょう」
「はい」
 4人が励まし合うように頷き合う。
「イっ、クっ、イクっ、イクッ!!」
 その時、アリーセの絶叫が木霊した。無自覚に4人は寝室に視線を注いだ。
「うっ……」
 そして、オーギュストの上で、優雅に腰を振るアリーセを食い入るように見詰めながら、ごくりと生唾を飲み込む。


 ベーアブルク要塞――
「開門」
 真夜中、戦い疲れた紫紺騎士団の一行が、搦め手の門の前に立つ。馬はなく、旗は裂け、鎧は泥にまみれている。折れた槍を杖にし、剣の代わりに棒を持つ者もいた。
「団長のフリーデンタール・シニアである」
 堂々たる声で、名を告げる。
 城内からの反応はなく、城門はひっそりと静まり返っている。とても大決戦の最中とは思えない。
 しばらくの沈黙の後、ギギ、ギギッと奇怪な音が闇夜に響き始めて、堅い封印を解くように、重い扉が徐に開いていく。
「騎士の中の騎士、アルティガルドの至宝、紫紺騎士団の皆様、よく御無事でお越し下さいました」
 門の内側に、若い文官が一人だけ立ち、恭しく頭を下げた。
「うむ」
 フリーデンタールが、荘厳に唸る。
「どうぞ、こちらへ」
「出迎えご苦労」
 フリーデンタールを先頭に、紫紺騎士団が胸を張り、隊伍を整えて、城門を潜っていく。
 搦め手門は、北東に位置し、頑丈な石垣に苔が生している。
 人工の坂道は、石垣の崖に添うように登っていく。
 右手側は高く石垣が聳えて、その上に櫓が乗っている。左手側は深い堀へと落ちている。
 右に折れ、左に曲がると不開門である。
 階段を上れば、東の郭に出る。城壁に凭れて休んでいた兵などが、一斉に顔を上げた。そして、見慣れぬ客にざわめき立っている。その間を紫紺騎士団が行進していく。
「流石は、アルティガルドで最強と評される要塞だ。備えが雄大にして壮大である」
 覚えず、感嘆の声がもれる。
 主郭を構成する石垣が途切れて、まるで歓楽街の路地裏に引き込むようにぽっかりと口を開いている。
 頭上には小さな塔が聳え、その前を右折して木戸を越え、左折して階段を上り、登り切った突当りでまた、右折すると巨大な主郭の門が現れる。
 門から地下通路を抜けて、主郭に至る。天を貫かんばかりにそそり立つ大小二つの巨大な塔が見えた。
「おお! まるでアルティガルド戦士の魂を具現化したようだ」
 余りの感動に、魂が震えた。
「さあ、要塞司令官が待っております」
「あい分かった」
 騎士団を残して、フリーデンタールは数人の側近を連れて塔へ入っていく。
「我に勝機あり! この戦い、まだ分からぬぞ!」
 要塞の荘厳な佇まいに、自然と、不敵な笑みがこぼれた。



続く

第76章 時節到来

第76章 時節到来


【神聖紀1235年9月、アルティガルド王国クラーニヒ州】
 鶴ヶ原――。
 ウェーデル山脈を仰ぎ、広大な草原が一筆書きのように北へ伸びている。一面緑鮮やかな牧草が広がるが、やや色彩に乏しい印象である。
 かつてこの地には、鶴の首のように曲がりくねった大河が流れていた。河川改修により大河は南を迂回するようになり、風景は一変して南北に細長い草原となった。今では、地名にその名残があるだけである。
 東に、『ツヴェルフ・ヴァッサーファル(十二滝)』と言う大規模な河岸段丘があり、西に『ヴァルヌス(胡桃)』山地と呼ばれる、ウェーデル山脈からの尾根がなだらかに続く。北端はウェーデリア山脈の麓の街『ヴァインフルス(柳の川)』に続き、南には『フリーズ大河』が流れている。

 存在感のあった夏の雲は、細切れとなり薄く広がって高く昇っている。その広々として澄み渡った空を、涼しい風が吹き抜けて、葉の先が少し枯れた草花を軽やかに揺らしている。
 朝、露に濡れた草を踏みしめて、進む集団がある。
 つばの広い羽付きの帽子をかぶり、旅用の外套をまとっている。ある者は背に竪琴を背負い、またある者はギターを背負う。腰には剣の代わりに角笛を差す者もいる。一見して、旅の吟遊詩人であり、五人ほどが一列に並んで進んでいた。
「そこぉ、止まれ!」
 突然、渋い声が飛ぶ。
 吟遊詩人たちの進行方向に、十騎ほどの小規模な騎馬部隊がいた。
「両手を頭の後ろに組んで、跪け!」
 槍を翳して、馬上から警告を発する。
 一斉に、吟遊詩人たちが背後へ走り出した。
「不審者ども、待てェ」
 慌てて腹を蹴って、馬を走らす。
「何処に行った?」
 しかし、葦の茂みに邪魔されて、吟遊詩人たちの姿を見失ってしまう。
「小隊長殿、あれを!?」
「うっ!!」
 その時、堤防跡の裏側から、アルティガルド軍の騎兵部隊が現れた。
「おのれェ、罠だったかァ」
 歯軋りしながらも、地形、敵の数、味方の士気など冷静に分析する。
「やむを得ん。一撃したのち速やかに後退する」
 そして、戦闘を決断すると、槍を空に突き上げた。その両脇に、部下の騎兵が一列に並んでいく。
「突撃せよ!」
 サリス軍騎兵が突進する。
「V字に整列!」
 その蹄の音に、アルティガルド騎兵部隊が、一瞬、隊列を乱すが、すぐに臨戦態勢を整えていく。
「突撃っ!」
 両軍のパトロール部隊が、思わぬ遭遇戦を開始した。
「敵の増援が来ます」
「こちらも至急援軍を要請しろ」
 救援を呼ぶ喇叭を鳴らして、互いに周辺から友軍を集める。忽ち戦いの規模は10倍ほどになっていった。
「よし」
 葦の茂みの中で、吟遊詩人たちが小さく頷き合う。そして、身を屈めたまま再び南へと進み始めた。


 フュンフフルト――。
 フリーズ大河に並行して、深く掘り込まれた運河がある。運河の水は、北東から流れてくる小川から引き込んでいる。小川と水路と運河で囲まれた中に『フュンフフルト(五つの瀬)』の街があり、古くからの物資の築産地として、水運を利用した交易の街として栄えてきた。
 運河の高い石垣の上には豪華な商店が並び、石垣の隙間に、水面まで石段が下りている。
 毎日、たくさんの船が運河を出入りし、船荷が威勢のいい人夫たちによって、手際よく石段を上り商店へ運ばれる。そして、うなぎの寝床のような土間を抜けて、メインストリートに面した店先に並べられた。そこから周辺の村々へと拡散していくのだ。
 また、街の東端の運河の出入り口付近には、政府が管理する五つの蔵があり、米・麦・大豆・小豆・菜種などが船着き場から石畳の坂を登って運び込まれている。
 メインストリートの北側は町家が入り組む。その中心に五差路があり、小路の先に、男女の修道院、大聖堂、神殿、教会墓地などが五つ、小川や水路沿いに並んでいる。
 また、小川を越えた北には、円形の古墳があり、地道な発掘調査が行われている。その施設にサリス軍の本隊が駐留し、総大将たるオーギュストは、並んだ五つの教会の中央を宿泊場所としている。


 日が暮れていく――。
 吟遊詩人たちは、廃れた水車小屋に隠れて、
フュンフの街を、厳しい目付きで監視していた。
 遺跡発掘現場では、柵と濠を巡らし、高台に本陣が置かれて、まさに砦のようである。無数の人の声や馬の嘶きが常に轟いて、咽返るような熱気に溢れている。
 現在、運河に商船はなく、サリス軍の輸送船で埋め尽くされている。そして、巨大な蔵群は、サリス兵によって厳重に警備されていた。
 木戸からは、途切れることなく籠を背負った物売りが出てくる。朝、ナスやカボチャなど採れたての野菜を籠は入れて、町筋を売り歩いた近隣の農婦たちである。
 一人の農婦が、水車小屋の手前で靴紐が切れてしまう。「やれやれ、ついてないよ」と呟きながら、街道を歩く列から独り離れて、水車小屋の軒下に腰を下ろした。
 のんびりと汗を拭いて、紫色に染まった空を見上げる。
「明日は雨だわ……」
「否、明日は嵐だ」
「……」
 背後の崩れかけた壁から声が返ってきた。それに農婦は眉一つ動かさず、顔を伏せて、紐を取り替えはじめる。
「ディーンは?」
「インスティンクト教会」
「本陣ではないのだな?」
「一日中、地元の商人や地主から饗応を受けている。本陣との移動もない」
「警備は?」
「人員は多く厳重」
「……」
 思いの外、沈黙が長い。影の中で、革の手袋の捩れる音が滲むように漏れ聞こえる。緊張に耐えきれず、農婦が口を開いた。
「侵入は不可能ではないが、暗殺は無……」
「判断は私がする」
「はっ」
 冷徹な声で言葉を遮られて、農婦は畏まって頷く。
「ご苦労だった」
 声の主は、以前のまま冷静である。
「はっ、ご武運を」
 農婦は顔を上げると、何事もなく街道へ戻り、振り返ることなく歩き去った。
「第一目標であるディーンの首は諦め、第二目標である大橋の破壊を優先する」
「御意」
 影の中で、冷徹な声が低く轟き合う。

 日が沈み、街道に人の姿が消えた。
 黒装束の一団が警備の灯りを避けながら、音もなく川岸を駆け抜けていく。次第に、サリス軍が架けた大橋が目の前に迫ってきた。
 その時!
 予期せぬ異様な物音が轟いた。思わず、近くの草陰に身を潜める。
 おお!
 大河の暁闇が音を立てて崩れていき、大橋の上空に幾筋もの火箭が噴き上がった。
「やられた……」
 無意識に、拳を地面に叩き付けていた。
 轟音と共に大橋が燃え上がり、夜空の星々を燻すようにもうもうと煙を昇らせている。そして、堤の上に並んだサリス兵たちが一斉に歓声を上げている。
 転瞬、黒装束の一団は、任務に臨む顔に戻っている。
「お前は、将軍に報告せよ。残りは私とともに街に潜伏する」
「と言うことは?」
「ディーンの首を狙う!」
「御意」
 すぐに、その存在は闇の中に溶けていった。


「見よ、この光を!」
 炎に照らし出されて、【アレックス・フェリペ・デ・オルテガ】将軍が、堤防の上に建てられた物見台の上から演説している。
「今、古来より我々人類を分断していた、龍の如き闇が切り裂かれた。このような光景は、神々の時代にも聞いたことはない」
「如何にも!」
 河川敷に集まった兵士たちが、熱狂的に歓声を上げた。
「なぜ達成できたのだ?」
 アレックス将軍は手すりから身を乗り出し、熱気の渦の中に、過激な言葉を放り込む。
「我々の行為が正義であるからだ」
 拳で手すりを叩いて、きっぱりと言い放った。
「天下統一の偉業を妨げる者こそ、人類の敵であり、この美しい世界に巣食う害虫である。これを駆除するのは誰か?」
「俺だ」
「私たちだ」
「その通りだ」
「我々しかいない」
 次々に勇ましい声が上がる。
「サリスの精鋭たちよ。選ばれしエリートたちよ。人類史上最も崇高な理想を実現するために奮起せよ!」
「おお!」
「兵士たちよ、今こそ怒れ!」
「反統一主義者を滅ぼせ!」
「その怒りを炎と変えよ!」
「然り!」
「女神エリースも御照覧あれ。この怒りの炎によって、御敵を滅ぼしましょう」
「サリス帝国、万歳!」
 興奮の儀式は続く。


 インスティンクト教会――
「アレックスもよくやる」
 四重奏の演奏が流れる中で、オーギュストは微笑み、その口へグラスを運ぶ。教会の広間で、幕僚たちと夕食を済ませて、食後に地元のワインを嗜んでいた。
 正式の夜会ではあるが、引きずるほどに長いダークブランのフード付きナイトローブを羽織り、中に白い木綿の胴着を着て、しっかりと足をホールドしたサンダルを履いた、とてもラフな格好をしている。
「はい、兵たちも喜んでいましょう」
 傍らに座る、幕僚本部長の【ベアトリックス・シャルロッテ・フォン・フリッシュ】が応える。
 彼女の隣には、同じアルティガルド出身者の戦術部長【ルイーゼ・イェーガー】と鎮守直廊の一人【マルティナ・フォン・アウツシュタイン】のが座っている。
 彼女等の軍服は、詰襟に、金釦が三個横に並んだ肋骨服で、金モールの刺繍がふんだんに施されている。
 そこから意識的にやや隙間を広げて、
 従軍魔術師の【ライ・ダーライア】と警備部長【ライラ・シデリウス】、鎮守直廊の一人【キーラ・ゼーダーシュトレーム】のフェルディア人が座る。
 彼女等の軍服はセリア風のデザインが強く、詰襟に前身頃に釦が縦二列に並び、飾り紐やエポーレット等の装飾がみられる。
 また、大きく空いて、特殊顧問【アン・ツェーイ】が、親衛隊の新人研修生を引率して参加している。
 また、この反対側には、
 特別護衛官【ラン・ローラ・ベル】が座っている。
 ランは、着慣れないジュストコールとジレという貴族衣装に馴染めず、かつ、テーブルマナーに悪戦苦闘している。折角の『牛肉の赤ワイン煮』や鏡のように輝く『チョコレートケーキ』も、その美味をほとんど感じ取れずにいた。
 彼女をこの席に座らせたのは、隣の女性への牽制であろう。
 微妙な距離感で、陞爵した【アリーセ・アーケ・フォン・ハルテンベルク】伯爵夫人が、雅な衣装に身を包み、優雅が手付きで食を楽しんでいる。
 公式にランをカーン公爵家の末裔と認めることで、アリーセの席を一つ下げているのだ。
 その隣に、【ルートヴィヒ・フォン・ディアン】子爵と親衛隊長【ナン・ディアン】男爵(戦後叙爵予定)の兄弟が座る。続いて、ブラオプフール城攻略の功により授爵した【ヴェロニカ・ロジーナ・フォン・ベルタ】准男爵夫人がいる。
「しかし、勿体無いですね」
 ナン・ディアンが弾んだ声で呟く。貴族の列に入れてもらい、如何にも浮かれた気分を隠し切れないという雰囲気である。
「お前は貧乏性だな」
「畏れ入ります」
 オーギュストは軽快に笑い、ナンはおどけて頭を掻いた。
「あんな急造の橋など、もう数日しかもたんよ――」
 言葉の途中で、ちらりとベアトリックスを見る。彼女は素知らぬ顔でワイングラスを傾けていた。ちなみに、彼女の指揮で、大橋は建設された。
「どうせ壊れるなら、キャンプファイヤーにした方が有意義だ」
「雄大なフォークダンスができますね」
 ナンはテーブルの下で音を立ててステップを踏み、手をつなぐ仕草をして無邪気に笑う。
「橋の構造に欠点はなく――」
 その道化た空気を吹き払うように、ベアトリックスが、凛とした声をワインの風味を醸しながら放った。
「施工に何の支障もなく、建材には最良の物が揃っています。もうしばらく耐えられましょうが――」
 ゆっくりとグラスを置き、縁を指先で拭うと垂れた前髪を耳に掛ける。
「問題は警備です。あの前代未聞の長大な橋の、空前絶後の広大な全域を守るのは容易ではないでしょう。今夜も工作員が橋桁まで迫っていたかもしれません……」
「……」
 警備を担当するライラがすぅーと顔を上げた。と、その唇が動く前に、オーギュストが口を挟む。
「万が一にもそうなっては、全軍の士気にかかわる訳だ。故に、この演出なのだ」
「なるほど」
 オーギュストはナンの方に顔を向けて、まるで教師のように丁寧な口調で語る。対して、ナンは大袈裟な芝居のように手を叩いて頷く。
 その時、ベアトリックスの部下が、静かに彼女にメモを渡す。
「さて――」
 オーギュストは、椅子に深く凭れた。
「見つかったのか?」
「はい」
 ベアトリックスとルイーゼが、同時に立ち上がり、背筋を伸ばす。
「まず、ご覧ください」
 そして、テーブルの上に広げられた近隣の地図を差し棒でさしながら説明を始めた。
 ここ『フュンフフルト』から王都『アルテブルグ』に向かうには、幾つかルートがある。
 一つは、フリーズ大河沿いに東に向かい、沿岸地域を北上する。平坦であり栄えた街が幾つもあり旅し易いが、距離は長くなり、かつ、守りが堅い城塞都市などもあり、進軍には適さないだろう。
 一つは、北東の河岸段丘の街道を進む。アルテブルグへ最短ルートであるが、先の内乱の際に、全ての軍勢がこの街道を通ったために、石畳は荒れ、橋は壊れ、井戸は毒され、略奪により町は荒廃したままになっている。
 一つは、西のウェーデル山脈の尾根を通って、北の『ヴァイデバッハ(柳の小川)』の街に至る。ここからアルテブルグまで運河がある。
 運河は浅く、幅も狭い。底の平らな小舟を、両岸から人夫が曳いて進む形式である。
 物資の運搬には適しているが、尾根の道は蛇のように蛇行し、起伏も激しい。さらに小領主が乱立していて、人間関係も複雑である。
 そして、最後の一つは、北の鶴ヶ原をまっすぐに抜ける道である。大規模な農地開発の計画はあったが、戦乱で無期延期となり、茫洋な大地は虚しく牧草地となっている。
「鶴ヶ原での偵察の結果、シュナイダー将軍は、本陣を、この『横島(ザイテインゼル)』に置いている事が分かりました」
 ベアトリックスが鶴ヶ原のほぼ中央を指す。
「横島(ザイテインゼル)は、三角柱を倒したような形状で、北側にゆっくりと傾斜し、南側は絶壁です。つまりジャンプ台のような感じです」
 掌の上の空気を、まるで粘土のように捏ねまわして、その形状を必死に伝えようとしている。
「ここは見渡す限り平原の中で、唯一の障害物――」
 ルイーゼ・イェーガーが続ける。
「鶴ヶ原を主戦場と想定するならば、ここに陣を敷くのは当然と言えるでしょう。ただし、背後には小川というか用水路が流れています。農地化のために大地から水を抜くためでしょう」
「所謂、『背水の陣』ですね――」
 二人に負けていられない、という気持ちなのだろう。もう一人の幕僚であるアンが物知り顔で言う。
 その言葉に誰も反応しない。一瞬で空気が冷え切ってしまう。
「これは由々しき事態ですぞ。逃げ場のない敵兵は死力を尽くして戦うはず」
 この沈黙を破ったのはナンである。今度はあからさまに舌打ちが起こり、「これだから親衛隊世代は……」という囁きが、どこからか、もれ聞こえてくる。
 見かねて、兄のルートヴィヒが口を開いた。
「シュナイダーは自らとその本隊を囮にして、我が軍を草原に引き込み、少数で戦線を支えつつ、別働隊を西のヴァルヌス山岳地帯に迂回させて、背後のこの街を攻略するつもり、と思われます」
「そんな所だろう」
 オーギュストが呟き、時計を見た。
 その時、奥の扉が開く。甲冑姿の【クラウス・フォン・アウツシュタイン】将軍が入室してきた。
「上帝陛下、我が軍勢、出陣の準備が整いました」
 右手に剣を握り、左手に兜抱えて、マント翻して跪く。
「諸君、名残惜しいがキャンプは終わりだ」
 オーギュストが口を拭い立ち上がる。全員が背筋を伸ばして、その手を膝の上に乗せる。
「陰の中に潜んでいた敵が、ようやくその影を動かした。その思惑が見えた今、今度はこちらから機先を制する。アウツシュタイン将軍」
「はっ」
「兵に一日分だけの兵糧を持たせて、直ちに出陣せよ。敵の出城を攻略し、『ベーアブルク』要塞攻撃の下ごしらえしろ。余も夜明け頃には合流する」
「承知致しました!」
 アウツシュタイン将軍が、武人らしい堂々たる声で答えた。


 その頃、教会の礼拝堂では、主任参謀【ヤン・ドレイクハーブン】と情報参謀【刀根小次郎】の二人が、人質の面接を行っている。
 純白の壁の上に黒く塗られた太い梁が架かり、高窓から差し込む赤い炎の光に妖しげに浮かび上がっている。また、女神像の上の聖なるステンドグラスも、兵士たちの沸き上がる歓声で割れんばかりに揺れている。
 そんな外の喧騒とは関係なく、礼拝堂は水を打ったように静まり返っている。
 女神像を背にして、ヤンと小次郎の二人が、折り畳み式の簡易的な机に向かい、書類に目を通している。
「ゴホン、埃っぽいなぁ」
 先程から、小次郎がヤンを、ちらりちらりと訝しげに垣間見えている。軍務だから、誇り高い参謀飾緒のある軍服を着用するのが自然なのだが、ヤンは堂々と貴族服を着てきた。
 不意に視線が合うと、迷いのない眼差しで「何だ?」と返されて、その度に、咳払いして誤魔化している。
 そこへ、十代半ばの少女と幼い少年が案内されてきた。真っ直ぐに女神像を見上げて、左右に長椅子が整然と並ぶ通路を歩く。長椅子の手すりに握りこぶし位の羊の彫刻が施されて、少年はそれに気を取られながら正面の長椅子に腰を下ろした。
【マンドリーコヴァ】家の御新造【バルボラ】さん。と末子【オスカル】君だね」
「はい」
 マンドリーコヴァ家は、ヴァルヌス山地の小領主の一つである。
 当主の【オレク・ファン・マンドリーコヴァ】は、サリス帝国に恭順することを決め、嫡男【オト】の若妻バルボラと息子のオスカルを人質として送った。二人は義理の姉弟である。
「お城は立派らしいね」
「はい、城から眺める滝は素晴らしく、風光明媚な郷です」
 バルボラが答える。飾り気のないおさげが儚げで、まだ幼さを残す顔立ちは地味だが、はつらつとした明るい笑顔を見せる。
 ヤンと小次郎は、二人に幾つか質問して、本人かどうか確認した。特に問題は見つからず、書類にサインする。これで今度、この義姉弟は、別々の長屋で暮らすことになるだろう。
「何かとご不自由でしょうが、何か必要なものがあれば、遠慮なく申し出て下さい」
「はい」
 立ち上がり、バルボラは改めて頭を下げる。
「どうぞ、義父と夫を宜しくお願い致します」
 揺れるおさげが健気である。
「畏まりました」
 ヤンは、頬を緩めて優しく答えた。
「この境遇にも、恨み言一つ言わんとは……」
 二人の背中を見送りながら、小次郎が呟く。
「夫は幸せ者だな」
「真に」
 ヤンは頷きならが、婚約者との新しい生活を想像していた。自分は決して、【アンナ・デ・ナバール】を不幸にしない、と固く決意する。
 二人とすれ違いで、ナンが入ってくる。
「出陣だ」
 短いが、緊張感溢れる言葉を告げる。
「何処に?」
「ベーアブルク要塞都市」
「難攻不落だな」
 石垣の高さは25メートル越え、ゆるやかな傾斜で始まり、徐々に勾配が急になっていく。パズルのような連続枡形虎口は、高い塔に囲まれた狭い通路を六度も直角に曲がる。
 まるで宇宙にでも行けそうな塔郡と高石垣は、見る者を圧倒する。そして、迷宮ばりの入り組んだ縄張りは、最高の防御力を誇る。まさにアルティガルド最大級の超巨大城郭であり、城塞建築の最高峰と言えよう。
 また、フリーズ大河北部でエリース湖沿岸地域の軍事的中心地であり、サリス方面戦線を後方から支えている。
「親衛隊が一番乗りだ」
 ナンが勇んで言う。
「そんな事にはならんよ」
 ヤンが苦笑いしながら、書類にペンを走らす。
「夜会に出たんだ?」
 小次郎が、ナンの丈の長い貴族服の裾を引っ張って問う。
「ああ、一足先に男爵様だ」
「立派だな……、お父さんとお母さんが」
「そんな負け惜しみは、聞き飽きたよ」
 ナンが腰に手を当てて背中を反らして高らかに笑う。
「俺も今度の戦争の後に、爵位とお手付き美女を拝領するんだ」
「立派なお姉さんがいて羨ましいよ」
「ヤー、蛍コンビだ」
 ヤンが半笑いで突っ込んで、小次郎とナンが陽気にハイタッチした。
「で、(お前なら)誰を貰うよ?」
 ナンが問う。
 あの小さくて可愛い娘、あの長身の美形、などと親衛隊の新人の顔を思い浮かべて、幾つか指を折る。と、小次郎はにやけた顔をして、禁断の名前を挙げる。
「やっぱりここは、アリーセ・アーケ・フォン・ハルテンベルク伯爵夫人でしょう」
「無理むり――」
 ナンが盛大に顔の前で手を振った。
「どうして、同じアルティガルド出身だぜ」
「お茶の飲み方も知れないくせに」
 と澄まし顔で、小次郎の白湯を勝手に飲む。
「じゃ、ヴェロニカ・ロジーナ・フォン・ベルタで我慢するか」
「ロマン・ベルント・フォン・プラッツみたいに踏み台にされるぞ」
「そう、じゃ……ねえ」
 小次郎が首を傾げて考え込んだ。やはり歌姫フィネ・ソルータが死亡したのは惜しい。
「素直にアンにしとけ」
「アンねぇ――」
 今度は腕組して、盛大に唸って見せる。
「言葉攻めとか凄そうじゃん」
「いっひひひ」
 二人は卑猥に引き笑いする。
「まあ、ランよりはマシだがな」
「そうだな」
 その時、忙しなく走っていたヤンのペンがぴたりと止まった。
「どうして?」
 反射的に顔を上げて真顔で問うと、二人は同時にヤンを見遣った。
「そりゃ……」
「色気ねえじゃん」
「うん」
「早朝からランニング、朝飯前に素振り100回とか、休みの日にも、剣術の稽古の相手とかさせられそうじゃん」
「そうそう」
「その点、アンなら、あのFカップ巨乳を揺らしながら嫌味言うぐらいだろう」
「乳が揺れてりゃ、こちとら文句はねえよ」
「だな」
 二人は、互い讃えるようにハイタッチした。
 一方、ヤンは喉をさすった。胸の中虫が這いずり回るような不快感を覚え、シャツを破って掻き毟りたい、そんな衝動に苦しんでいる。
「今頃、新人いびりしているんだろうなぁ」
「まぁ確率的に、99パーセントと100の間ぐらいだな」
「いっひひひ」
 噂話に花を咲かせる二人を横目に、ヤンは口元を押さえながら、手荒く2~3ページをまとめて捲った。

「シルヴィ、一緒に堕ちましょう」
「ああン」
 暗く狭い倉庫で、アンは白いセーラーカラーの軍服を着た少女を抱き締めている。
 先程の夜会に、親衛隊の新人研修組を代表して参加していた、【シルヴィ・ド・クレーザー】である。聖騎士の娘で、絵に描いたような優等生タイプであり、研修組のリーダーを自主的に務めている。
 背はほぼ同じで、アンの肩に顔を埋めている。そして、誘われるままに顎を上げると、乾いた唇と唇を重ねていく。
「下の唇でもキスがしたいわ」
 アンがせびる。
「ダメです……」
「だって、これが最後になるかもしれないのよ……」
「大丈夫……アン様の実力なら……」
「実力や努力が報われないのが、戦争よ……」
「そんなこと仰らないで……」
 シルヴィは、悲しそうに瞳を潤ませた。
 もう一度、アンは口付けをする。今度は小さな唇の上を舌先で舐めて、しっとりと濡らしていく。
「じゃ、パンツを交換しましょう」
「ふふ、ええ」
 悪戯する幼女のように瞳を輝かせ合った。
 二人はスカートの中に手を入れて、ショーツを脱ぐ。そして、互いに胸の前に運ぶ。
「ふふ、もう濡れてる」
「アン様も」
 二人は互いのショーツの染みを見せ合い、お互いの愛情を確かめ合うと、然もうれしそうに微笑み合った。
「これを私だと思って」
「はい、いつでも、アン様のぬくもりを感じていますわ」
「いやらしい子」
「ふふ」
 ショーツを交換すると、情熱に酔いしれた赤い顔を俯かせ、小さなショーツに足首を通す。そして、まるでその肌触りを堪能するかのように、ゆっくりと足の肌を滑らせて穿いていく。
「もう行くわ」
「ええ」
 名残惜しそうに啄むようにキスをして、二人は倉庫を出た。

「遅くなりました」
 小さな中庭をぐるりと回って、シルヴィはロッカールームに入る。
「お前たちは戦闘に参加することはない。戦場の雰囲気を感じていればいい」
「はい」
 出陣の命令に、研修組は動揺を隠せずにいた。その前に、ランが現れて、声をかけている。
「演習通りにやれば問題ない」
「はい」
 その言葉に、少女たちは、皆、笑顔を取り戻す。
 それを見届けて、ランは着替えを始めた。
 真珠のティアラ、イヤリング、ネックレスを千切るように外し、肘上丈の手袋を口で抜き取り、パンプスを放り飛ばして、蘭をイメージした淡いオレンジ色のイブニングドレスを脱ぎさった。
 次に、サスペンダー付きのホットパンツを穿き、鉄底の戦闘用ブーツを履き、臍の出た丈短のタンクトップを着た。
 それから、背中のホルダーに剣鉈を、太ももに投げナイフを、足首にサバイバルナイフを、サスペンダーにダガーを納め、サーベル用のベルトを臍の下に巻いた。
 最後に、髪を縛ってまとめ、額当て、肩当て、胸当て、草摺、ガントレット、脛当てなど取り付けていく。
「ナイフホルダーのベルトはちゃんと締めるように、キツイからってだらしなくぶら下げない。それから、暑いからって、胸元の釦を外さないように」
「はい」
「軍服のアレンジを個性だと思っている人もいるようだけど、ただ見苦しいだけだから。そんなことで目立っても手柄には繋がらないから」
「はい」
「規律とかウザイと思っている娘もいるだろうけど」
「……」
「お洒落な服で気分が盛り上がれば、軽く十人は斬り倒せるという娘もいるだろうけど、どうでもいいから!」
 腰に手を当て、ブーツの踵で床を踏み叩く。
「上帝陛下の御心が、貴方たちの服装の乱れに少しでも気を取られ、些かでも気分を害されたならば、万単位で人が死ぬ!」
「……」
「上帝陛下に身も心も捧げよ」
「はい」
「別命あるまで待機」
「はい」
 颯爽とランは控室を出る。

「あの人……」
 赤毛のショートカットの少女(テレーズ)が、躊躇いがちに口を開いた。
「少し丸くなられましたよね?」
「ええ、わたくしもそう感じていましたの」
 隣の豪奢な黄金の巻き髪の少女(ロクサンヌ)が、ニコリとほほ笑む。
「前はギスギスとして、少し怒りっぽい感じでしたのに」
 そこへ、黒髪の長身の二人組(カミーユとヴェラ)が近付いてきた。
「剣もお強いですし、アドバイスも的確ですし、何より、上帝陛下にその才能を幼少のころに見出されて、薫陶よろしきを得ていらっしゃる」
「ホント、頼れるって感じですね」
「お姉さまってお呼びしたいわ」
 少女たちは、自然とランを憧憬の目で見るようになっていた。
「あっ、お忘れになった……」
 青いカチューシャに銀縁の眼鏡をかけた少女(ウルリーケ)が、プラチナのパスカードを拾い上げる。
「まだ間に合います……追い駆けましょう!」
 ツインテールに赤いリボンをした少女(メヒティルト)が、促して、二人で廊下に出て行こうとする。
「お待ちなさい」
 壁に飾られた小さな女神エリース像に、聖騎士式の祈りを捧げていたシルヴィが、慌てて立ち上がった。
「待機命令中です」
 そして、リーダーとして、きっぱりと制止する。
「すぐに戻ります」
「古より、千里の堤も蟻の穴から崩れる、と言います。勝手な行動は許しません」
「でも、今なら間に合います」
「急がないと行ってしまわれますわ」
「我々に与えられている命令は、武装を済ませて、ここに待機することです」
「……」
「言いたいことがあるなら仰い」
「ならば言わせてもらいますけど、聖騎士のご家系かもしれませんが、堅すぎませんか?」
「戦場では臨機応変も大切な筈」
 二人が反論し、対して、シルヴィも一歩も引かない。忽ち、険悪な雰囲気になった。
「これからは魔力を感じる。とても大事なものだろう」
 ハーフエルフの末裔らしい華奢で、肌理の細かい白く透き通るような肌をした少女(ミルフィーヌ)が、人間離れした美貌を硬くして間に入った。
「……」
 シルヴィは、口を真一文字に結んでしばらく考える。
「分かりました。私が行きます。貴方たちは絶対に此処を動かないように」
 そう言って、プラチナのパスカードを強引に奪い取った。
「どうして貴女が?」
 他からも声が上がる。
「何故なら、私はマジックアイテムの管理を、親衛隊隊長より任されているからです」
「……」
「マジックアイテムと分かった以上、その処置を最優先に行います。方々、依存はありませんね」
「……はい」
 少女たちは渋々と頷く。
 それを見届けて、シルヴィは、さっと廊下に出た。
「もういらっしゃらない……」
 しかし、廊下を見渡しても、影すら見当たらない。「急がないと間に合わない」という指摘を思い出して、彼女は唇を噛んだ。
「よし」
 一度、背後のロッカールームの扉を見返してから、固く決心して、前のめりの強い歩調で廊下を進み始めた。

 小さな中庭に面した簡素な廊下を早足で歩く。
「あれ、こんな所に扉があったかしら?」
 渡り廊下の途中に、見たことのない扉を発見する。前に通った時には確かになかった。
「……ッ」
 好奇心に誘われて、思わず手を伸ばしてしまう。
 爪の先が触れただけで、いとも簡単に、そのモダンな植物柄の黒鉄の扉が開いてしまう。
「うっ」
 慌てて戻そうとして、手を伸ばし、階段を一段降りた。
 一歩入って、空気ががらりと変わった。赤い壁と床に金の手摺と照明がとても艶やかで美しい。
「さっさと降りて来い」
 思わず見惚れていると、階下から、高圧的な声がした。鎮守直廊三人衆の一人『サンドラ』がいる。
「あ、いえ、私は……いえ、小官は……」
「さっさとしろ」
「はい」
 キレのいい返事をして、階段を転ぶように駆け下りていく。
「よし、入れ」
 プラチナのパスカードを確認して、背後の黒鉄の扉を指差す。
「はっ、はい……」
 入室すると、目の前にシャンデリアが飛び込んでくる。左右に優雅に曲がった階段があり、そこを降りていくと貴賓室前のロビーラウンジで、モダンな赤いラウンジチェアが並んでいる。
 2フロア吹き抜けの開放的な空間で、天井と柱には金箔が貼られて、シャンデリアの光に淡く輝いている。壁には絵画と鏡が交互に飾られて、不思議な奥行きを感じられた。
 地上部分と地下で、これほど世界観が変わる造りに、嫌悪感を通り越して、むしろ清々しさを感じた。爪に火を灯すような生活の中で、僅かでもお布施し続けてきた、敬虔な信者たちも納得するに違いないだろうと思う。
「誰もいないのかしら……あっ!?」
 急に、ラウンジチェアで寝ていた黒猫が起き出して、背筋を伸ばして欠伸をした。そして、馴れ馴れしく近付いてきて、ぐるぐると足元を回り出す。しばらくして、飽きたのか、また元のラウンジチェアに戻り、首を後足が掻き始めた。
 重い扉を開いて、貴賓室に入る。ウォークインクロゼットと洗面室に挟まれた短いが狭い通路の先に、リビングルームがある。
「……っします」
 緊張してうまく言葉を紡げない。
 リビングルームは、華やかな色彩のインテリアに囲まれている。奥に、革張りの重厚なチェアと広いライティングデスクがあり、オーギュストが肘をついて座っていた。
 その前に、ランが畏まって立っている。
「失くすか、普通?」
「すいません……」
「通路には呪が施されている、と何度も言ってあるだろ?」
「はい……」
「蜘蛛の巣に引っ掛かった蝶を取るのは、結構面倒なんだ。分かるよな?」
「申し訳ありません……」
 ランは、不承不承に謝罪している。
「でも――」
 しかし、ついに不満を抑え切れなくなり、蛇口から水がもれるように、蚊の鳴くような小さな声で呟いてしまった。
「戦闘配備中に突然呼び出すから……」
「あ?」
 恫喝するように聞き返した。
「折角武装したのに……」
 それに臆せず、ランは蟠っていた不満をブツブツと囁く。白銀に輝く鎧も剣やナイフなどの武器も、どれも外している。
「武装?」
 オーギュストは、然も不思議そうに訊ねた。
「なんで、そんな格好している?」
「出陣って言ったじゃん!」
 さらに柳眉を逆立てる。
「お前は、戦場に出る必要なんてないぞ」
「何で?」
「留守番だから」
「なにそれ」
 意味が分からず、素で目を白黒させる。
「俺の寵愛一番手は、女主として仮皇宮を守る義務がある」
「そんなの聞いたこと……」
「あるさ……たぶん」
「……」
 ランはしばし口を噤み、俯いた。
「それって……」
 耳を真っ赤にして、今にも消えそうな声でささやく。
「ぼくが一番可愛いってこと?」
「ああ」
 即答に、ランは「へへ」とはにかんだ。
「納得したところで、罰は幾つだ?」
「十回……です」
 オーギュストは椅子を引き、無言で膝を叩いた。それに俯いたまま、ランは歩を進める。机を迂回して傍らに立つと、佩いていた剣を机の側面に立て掛けて、ショートパンツを膝まで摺り下ろす。黒い革のホットパンツに、白いショーツがよく映えていた。
「失礼します」
 ランは、オーギュストの膝に肘を乗せて、剥き出しの尻を高く掲げる。
 オーギュストはゆっくりと尻を撫で回してから、ピシャリと叩いた。
「一つ……」
 ランが告げる。
 ピシャリ、
「二つ……」
 またピシャリ、
「三つ……」
 またまたピシャリ、
「四つ……」
 自ら回数を数える。
「ひっ」
 少女は短く悲鳴を上げて、口を手で抑えた。
 再びピシャリ、
「五つ……」
 肩幅が広く、筋肉質の背中を小刻みに震わす。そして、引き締まり吊り上がった堅い尻を左右にゆすって、最近うっすらと付き始めたマシュマロのような柔肉を揺らす。
「ん……あ……んああ……」
 揺らしながら、陶然とした目付きで、愉悦の喘ぎをもらしていた。
「で、お前は誰だ?」
 不意にオーギュストが、壁の影から、この異様な光景を覗く少女を見た。
「ッ……」
 少女は思わず後退りして躓き、その場に尻餅をついてしまう。
「……」
 蛇に睨まれた蛙というのは、こう言う事なのだろう。小指一本動かせない。
「シルヴィ!」
 一方、ランは、深い谷底に堕ちたような絶望感に満ちた声で、少女の名を呼んだ。
「どうして貴女が……?」
 驚きに目を見張り、眼球を微動させて、哀哭混じりに問いかける。
「し、し…親衛隊のシルヴィ・ド・クレーザーです。忘れ物をお届けに……」
 咄嗟に口を突いて出た。突然、この切迫した状況に遭遇し頭が真っ白になっている。――にも拘わらず、はっきりと来訪の目的を報告できた。報連相など日頃の鍛錬のたまものだ、と心の片隅で、不思議なぐらい冷静に、まるで他人事のように思う。
「ああ、聖騎士の娘か。夜会にもいたな」
「はい……」
「優秀らしいな」
「そのような……」
「サリスの誇りだとアンが言っていた」
「畏れ入ります」
 アンの名前を聞いて、胸がほっこりと暖まる。
「これからも文武に励め、アンも喜ぶ」
「畏まりました。一日も早く上帝陛下の御役に立てますよう、サリスの聖騎士の名に恥じぬよう、アン様のご期待に応えられますよう、一生懸命精進致します」
 この異様な雰囲気の中でも、再び立派に口上を述べることができた。もはや謁見の作法はマスターしたと言えるだろう。シルヴィは一つ階段を上り、自分が大人になったと確信した。
「大義、一つまいろう」
「お流れ頂戴致します」
 オーギュストは、机の端に置かれたティーカップを左手でひっくり返して酒を注いだ。常に右手は、丸くランの尻を撫で回している。
「いやっ、いやぁああん!」
 まるで無いもののように、頭上で普通に会話が行われている。まさに飼い猫以下の扱いである。これに恐怖して、肺の中の空気を全部吐き出して、盛大に絶叫した。
「見ないでェ!!」
 この世の終わりとばかりに、ランは切なげに叫ぶ。そして、机の下に身体を隠して、手足を竦めてすすり泣いた。
「さっき如何して呼んだか、訊いたな?」
 オーギュストが、丸まったランを見下ろして、低い声で語り始める。
「いい服を着て、美味い物を食って、香りのいい酒を飲み、頭のいい女に囲まれていると、俺の中のオスがへたるんだ。覚醒させるには、女を嬲るのが一番」
「……」
 ランは、ただ亀のように丸まって返事しない。
「しかし、出陣の準備でみんな忙しくて――」
 あのアンでさえせわしい、と笑い混じりに付け加えた。
「暇そうなのは、お前だけだった。よもやこんな余興まで加わるとは。俺はとことんついている。否、持っているのはお前の方か」
 オーギュストは、あははは、と声を上げて笑う。
 片や、ランは「こっちへ来い」と背中をゆすられても、頑なに動かない。
「お前はいつも面白いな」
 嘲笑すると、ランの尻の割れ目に指を這わせる。忽ち、背中の筋肉から力が抜けていった。
「いやっ、触らないで!」
 精一杯、喉を絞って、金切り声をあげる。だが、言葉とは裏腹に、蜜壺から淫水が溢れてきて、秘裂を這う指がまるで泳ぐようにみえる。
“びちゃびちゃ”
 と卑猥な水音が机の下にこだまする。
「むうぅ、うぐぅ……」
 溢れ出す喘ぎ声を、白い歯で指を噛んで耐えてみる。
「小娘、そこで見ていろ」
「…ぁ、はぃ…」
 一瞥してシルヴィを目で殺すと、その圧倒的な力で、ランを抱え上げる。その安住の巣を暴かれたランは、ただ子猫のように震えていた。その膝の上にランを載せる。所謂、背面座位である。
「便利だろ?」
 ランの長い足を左右に大きく開かせて、その肩越しに、再びオーギュストはシルヴィを見る。
「尻を叩くだけで、こんなに濡れる」
「え……?」
「これがメスというものだ」
「はぁぃ……」
 ゴクリと音を立てて、生唾を一つ飲み込んで頷く。
 その瞬間、ランはヒィィと仰け反った。雨に打たれたようにすっかり潤った花びらに、オーギュストのペニスが当たっているのだ。
「そんな悦ぶなよ、あの子が見ているぞ」
 耳たぶを噛み、後ろから乳ぶさを揺するように揉みながら指弾する。
「シルヴィ、こんなランを、み、見ないで!」
 しかし、またもあべこべに、淫水が滝のように落ちてしまう。
「お前は本当に見られるのが好きだな」
「ちっ、ふぅっ……うん、んんn」
 ランは歯を食い縛って、身をよじり、鼻を鳴らして否定する。しかし、オーギュストの詰りは終わらない。
「ここには、ストリップ小屋があるらしい。どうだ、出てみるか?」
「いッ、いやっ、絶対に嫌ッ!!」
 烈しく首を振り、くねくねと回すように腰を蠢かせる。途端に、周囲に淫水の飛沫が飛び散り、床が穢されていった。
“女とは下腹部をこんな風に動かすことができるものなの”
 シルヴィは、その見慣れない腰の動きに只々動顛した。
「嫌、ばれちゃう……」
 ランは泣き喚く。
「まさかランが躍っているとは、誰も思いもしないさ」
「歯並びとか、ホクロからばれちゃう……」
「じゃ、仮面を着ければいい」
“そんなこと……できるわけない……”
 脳裏に、たくさんの下品な男たちの前で股を開く己の破廉恥な姿を妄想して、ランの身体が痙攣し始めた。
「ひいぃ、イクぅ、イッちゃううぅぅぅ」
 限界とばかりに昂ぶった声を上げた。そして、髪を掻きむしり、膝をがたがたと揺らしながら、腰が砕けて落ちていく。
「ランちゃん、いくぞ」
 淫水で、オーギュストの分身はまるで蜜をかけたように濡れ光っている。それを、秘密の口がぱくりと飲み込んでいく。
 シルヴィは、顔を手で覆った。しかし、指の間から、しっかりとその潤んだ瞳を覗かせている。
“信じられない”
 先程まで股間には一筋の割れ目があるだけだった。そこにぽっかりと穴が空いたかと思うと、巨大な肉の塊を吸い込んでいく。
“どうなっているの?”
 その肉塊は、ランの細い腰とほぼ変わらない大きさのように思えた。それがすっぽりと納まっていく。
「さけっ、さけちゃうぅぅ!」
 ランの奇声に、甘ったるい音色が加わった。
“ぬちゃずちゃ”
 と、肉ずれのする音が響く。
「あン…ああん、感じちゃう……」
 牝肉を抉られる感触に、ランは酔い痴れて、喜悦に貌を蕩けさせた。
「そんな、うれしそうな顔をして」
「ええ、うれしい。うれしいの――」
 卑猥な言葉を吐き散らす。
「オチンチンが~ぁキモチいいのぉ~」
 もはや目の前のシルヴィの姿も目に入っていない。自分の脳の中に、自身で造り出した悦楽の世界にすっかり溺れてしまった。
「すてきぃ、すてき~ぃ~~」
 両足を大きく開いて、一心不乱に腰を振り立てる。まさに痴女である。
「なっ、なっちゃう、変になっちゃう……身体中がオマンコになっちゃう~~ぅ」
 背後のオーギュストの方へ凭れ倒れ、白い喉を仰け反らせると白目を剥いた。
「あぅうぅ、あうあぅぅ、イクぅぅぅー!!」
 何やら不明瞭な、獣の呻くような声を繰り返し吹き上げていたが、突然、はっきりとした声で絶頂を告げた。
 登りつめた直後、朦朧とした顔で、ランは荒々しく肩を揺すり、胸を激しく上下させて息をする。
 おいで――
 その時、オーギュストがシルヴィを手招きする。シルヴィは、ふらふらと、まるで操り人形のように近付いて行く。彼女自身、ふわふわと雲の上にいるようで、全く歩いている実感はない。
「ふふ、こんなんなんですね♪」
 男女の性器が繋がった場所に顔を寄せて、恍惚と囁く。
「アン様が仰ってました。ラン様はセックスの天才だって、セックスをするために生まれてきたんだって。本当だったんですね」
「ほらよ」
 不意にオーギュストが下から突き上げると、接合部から熱い蜜が噴き出して、シルヴィの顔を濡らす。
「ひぃッ!?」
 ランは短い悲鳴を上げた。眼下に、少女の顔があり、視線は完全に股間を睨んでいる。
「い、いや、いや、いや……」
 血管が凍り付きように蒼褪め、血潮が逆流したようにカッと熱く汗を吹き出す。
「もう抜くの……」
 幼女のように、足をばたつかせる。偶然、シルヴィを思いっきり蹴り倒してしまった。
「た、助けてぇ……」
 ランは机に手をついて立ち上がろうとする。しかし、オーギュスもすぐに追いかけて、ぴったりと腰を掴んで離さない。ランは前屈みで尻を突き出す格好となっている。
「もう挿入させない」
 細い腰を掴まれながらも、強靭な足腰を使って、尻を前後左右に激しく振り続ける。
「無駄だ」
「ふぅ、あああん」
 その秘密の牝穴を、一撃で打ち抜かれる。
 ぞわぞわと白い背中を、甘美な衝撃が駆け抜けていく。わなわなと尻から肩までを波打たせて、まるで身体全体で受け入れて、五臓六腑の全てで味わっているようにみえる。
「お前は難しいことを考えず、ただセックスのことだけを考えていればいいんだ」
「うんうんうん……」
 脳にすんなりとこの言葉が染み込む。狂ったように頭を上下させて、従順に頷き続ければ、心の奥深く、文字が刻印されたようなイメージが浮かんだ。
「素直で宜しい。褒美だ」
“ずにゅ……ずずず!”
 細腰をがっちりと掴んで、壊さんばかりに衝きまくる。
「~~~~~~ッッ!」
 世も末とばかり、絶望の声を上げた。
「ふかっ、いいぃ、いいぃぃ!」
 膣奥まで蹂躙される。
“にゅちゃ、にゅちゃ”
 と湧き出る泉をかき回す水音が響き、
“パンパン”
 と肉と肉が派手にぶつかる。
「奥までっ、はぁっ、あっ、んんっ……」
 身体の芯を貫く衝撃に、ぷるぷるっと胸の膨らみが弾む。
「あぁあぁぁ、あ、ああ~ん」
 涎を垂らしながら身悶え、白目を剥いて啼き喚く。
「くるぅ、くるっちゃうーぅ」
 脳天まで衝撃が轟き、脳裏に「発狂」の2文字が思い浮かんだ。その途端、壮絶な醜態を示しつつ断末魔の声を上げた。
「ひぃいい、んいいっ、おおぉいいっ、いいやぁあっ、またくるぅぅぅ……」
 更なる絶頂の予兆に、よがり泣いた。
「ステキです、ランお姉さま」
 ランの撒き散らし滴の水たまりに蹲っていたシルヴィがむくっと顔を上げる。その水たまりの淫臭に、すっかり中毒となって自我を失った貌をしている。
 上体を起こし膝で立つ。シルヴィは、軍服のスカートを脱ぎ捨てて、白いショーツを摺り下ろした。透明の粘液が、すぅーと糸を引いている。そして、自ら胸を揉み、二人の繋がった結合部へ顔を近付けていく。
「勃起している」
「なっ、なに!?」
 剥き出しのクリトリスに舌を伸ばした。
「ああぁ、死ぬ、死んじゃう……」
 舌先がクリトリスに触れた瞬間、ランは悲鳴混じりの悦声を放った。そして、腰を弾ませ、夥しく太ももを痙攣させながら、水柱がシャンパンのように噴き出た。
「ああぁぁぁ」
 この失態に、ランは悍ましいほどの快感を抱き、めまいし、気が遠のいていく。
「アアー」
 シルヴィは、聖水を顔に浴びながら、恍惚の笑みを口元に浮かべていた。


 ザイテインゼルの本陣――
 夜、アルティガルド軍総司令部は、慌ただしさを増していた。
「申し上げます」
 若い士官が息を切らせて飛び込んで来て膝をつく。
「サリス軍の橋が燃えております」
「うむ、観測を続けよ」
「はい」
 副官の声に、勇ましく士官が飛び出ていく。
「……」
 シュナイダーは無言で腕を組む。
「潜入させた者どもから報告は?」
「未だに」
「……」
 眉間に深い皺を刻んだ。
「帰還かなわずとも、成功したとみてよろしいのでは?」
 副官がそっと耳打ちをする。
「……」
 シュナイダーは、まだ動かない。
 そこに『サリス軍本隊動く』の報が入る。
「将軍、彼らの死を無駄にできませんぞ。ご決断を」
「尤もだ!」
 腕組みを解くと、刺すように眼光を鋭くする。
「敵は浮足立っている。速攻を仕掛ける」
「はっ」
 集まった幕僚たちが、気勢を上げた。


 ベーアブルク要塞――。
 翌昼頃、オーギュストの軍旗がベーアブルク要塞の城下に翻った。
 アウツシュタイン将軍の軍勢は、闇夜を疾風の如く進軍し、百人ほどが守る出城を夜襲した。軽く一蹴した手際は、見事と言えよう。
 これに対して、要塞の軍司令部は狼狽した。
「この要塞が陥落すれば、サリス戦線を維持できなくなる」
「ここから王都アルテブルグまでの沿岸地域は人口密集地であり、もはや辺境ではない。
各街が蹂躙されてしまうぞ」
 口髭が立派で頭の禿げた男たちは、胸の勲章をジャラジャラと鳴らしながら、真っ青な顔を寄せ集めた。そして、出した結論は、防備を固めて援軍を待つ、という平凡な物であった。
 城下の水門を閉じて堀に水を貯え、木製の橋を落とし、通路にバリケードを築き、城門の裏に瓦礫を積み上げた。
「敵は徹底抗戦の構えです」
「要塞の防衛力は完璧です」
「……」
 ベアトリックスとルイーゼが騎馬を走らせて、オーギュストの騎馬の傍らに寄せる。
「予定通りです」
「上帝陛下、ご指示を」
「よし」
 そして、オーギュストは馬上で大きく頷くと、掌を開いて上げ、それをくるりと返した。
「全軍転進!」
 ルイーゼが吠え、ベアトリックスが部下を集めた。
 サリス軍は、監視と連絡用に僅かなサイア兵を残して、フュンフフルトへ戻り始めた。


 フュンフフルト――。
 夕刻、雲が低くたれこめて、妙に蒸し暑い。
「放てぇ!」
 草陰に潜み、静かに接近すると、アルティガルド軍が、サリス軍の陣へ攻撃を仕掛ける。
 無数の矢が本陣の中に吸い込まれた。反撃はない。
「突撃ッ!」
 若い少尉が剣を抜く。
「やああ!」
 喊声を上げて、歩兵が草むらを飛び出す。
 彼らは全身の防具を黒く塗り、槍を翳して緩やかな坂を駆け登る。
 目の前に、簡易な柵がある。
「押し倒せ」
 足を止めず、歩士たちが肩でぶつかる。そして、両手で掴んで、力の限り押す。次第に、土に差し込まれた杭が、ぐらぐらと揺らぎ出した。
「放てェ!」
「ぐがっ」
 そこへ、2列目の柵から矢が放たれた。
 無数の将兵が無抵抗に的となる。
「伏せよ」
 後方にいた中尉の命により、今度は柵にロープを結びつけて這いながら引く。
「進め!」
 丸太が大きな音を立てて倒れ、土煙が舞い上がった。再び、歩兵が駆け出す。
「あっ」
 盛り土を越えた先に、深い堀があった。
 落ちた歩兵に、容赦なく長槍が伸びる。
「怯むな、梯子で堀を登れ」
「衝け、衝け、突き落せ!」
「援護射撃を行え」
 沈みいく日の中で、互いの士官たちの声が、地獄の底のように暗い堀を挟んで飛び交う。

 奇襲は、完全に読まれていた。サリス軍は狼狽し成す術なく総崩れになる筈だったが、逆に、アルティガルド軍が出鼻を挫かれて統制を乱している。万全の態勢で待ち受けていたサリス軍の前に、アルティガルド軍は攻めあぐねていた。
「先行部隊を一旦後退させよ」
 シュナイダー将軍が命じる。
“橋を焼かれて、士気が下がっていると思っていたが……罠か?”
 眉間に険しい皺を作る。
「陣形を再編。その後に総攻撃を再開する」
 そして、新たに三つの部隊を繰り出して、三か所を同時に攻撃し始めた。
「司令部の弓隊を右翼へ」
「補給後、左翼へ」
「休むな、右翼へ走れ」
 シュナイダーは攻撃に緩急をつけて、守備の乱れを誘う。防御線が長くなれば、何処かに手薄な場所が現れる。そこを速やかに見付け出し、戦力を集中させようというのだ。

「負傷兵を下がらせろ、兵を補充せい」
「矢を持って来い」
「歩くな、走れ」
 サリス軍は柵と濠で守られているとはいえ、如何せん戦力が少ない。休む暇なく駆け回り、防御のほつれを如何にか塞いでいる。
「アンバー中尉戦死、第二小隊は壊滅しつつあり」
「ここが正念場だ。2倍闘え」
「はっ」
 サリス軍士官が叫ぶ。

 戦況は、数で勝る攻城側に傾いている。
 シュナイダーは金の懐中時計を取り出す。
“まだ、余裕はあるな……”
 敵援軍の到着までに攻め落とせると判断して、さらに予備戦力の投入を指示した。
「もう少しだ。敵の反応は鈍っているぞ。視力の限りに攻め続けよ!」
 シュナイダーの叱咤激励が飛ぶ。

 その時、サリス軍の援軍が到着する。
「数は?」
「千弱」
「指揮官は?」
 物見から戻った兵が、跪き、肩で息をしながら報告する。そして、敵の名を問われると、演出を意図したわけではないだろうが、一呼吸をおいてから声を張った。
「二羽の鴉の紋章。ディーンの旗が見えました」
「なんと!?」
 忽ち、司令部が蜂の巣を突いたような状態になった。
「さすがに速いですね」
 副官がシュナイダーに耳打ちをする。
「拙いなぁ……」
「はぁ?」
“敵の進軍が速過ぎる……。予め準備していたか、罠やもしれん“
 背中に回した拳を強く握る。
「すぐに伝騎を走らせ、前線部隊の指揮官に我が命令を徹底させよ。急げ!」
 シュナイダーが血を吐くように叫喚した。

「あれは、間違いない!」
 オーギュストの旗を見た前線の中隊長の中尉が、忽ち血相を変える。持っていた地図を投げ捨てて、一歩二歩と前に出た。
「総員、突撃せよ! この戦争の元凶を打ち取れェ!!」
 部下に命令しながら、最前線へともう歩き出していた。
 同時刻、その隣の部隊でも、鼎の沸くような騒ぎになっている。
「ディーンだ…ディーンが来たんだ……」
 中隊長の中尉が、武者震いをしながら、二歩三歩と後退した。
「備えよ…、備えよ……」
 そして、震える声で、2度同じ言葉を吐いた。

 馬上のオーギュストが指を指す。
「騎馬隊、泥棒の猫のように割り込め」
 オーギュストの命令で、騎兵が突進を始める。敵の前進する部隊と、その場に密集する部隊の間に楔を打ち込む。程無く、アルティガルド軍の前線は分断された。

 アルティガルド軍の前線は千切れた。最も血気盛んに突出した先端は、孤立を余儀なくされた。
「構うな。前へ、前へ!」
「もうここまでだ……。友軍との連携を保て」
 そこでも、指揮官たちが相反する判断を下す。

 それをオーギュストは見逃さない。
「弓隊、狙い討て」
 その兵士たちの熱気の段差を、弓隊に狙撃させて、くっきりとした溝を作った。
「槍隊、根こそぎ狩り尽くせ」
 さらに、本体から切り離されたアメーバの欠片に向かって、槍衾をぶつける。
 まさに瞬殺。
 薄いアルティガルド軍の陣形を一撃で突き破り、さらにその屍を踏み越えて前進し続ける。
 逃げる兵が、その後方の部隊に合流しようとする。
「弓隊、持てる矢を空にせよ」

 兵と兵が交差して、陣形が混乱した僅かな刹那に、その頭上に矢が降り注ぐ。対処のしようもなく、将兵が射抜かれていった。
「そら見たことか……」
 最初に防備を固めるように指示した中尉が、軽率な同僚たちを糾弾するように呟く。
「援軍を要請しろ」
 しかし、そう命じた時には、右も左もサリス軍で包囲されていた。

「前線の一角が崩壊していきます」
「……」
 報告を聞いて、シュナイダーは憮然と爪を噛んだ。
“若い士官たちを掌の上で弄ぶか……”
 そこへ、新たな報告が入る。
「申し上げます。東を迂回する部隊あり」
「何!?」
 副官が声を上げる。
「旗はアレックス将軍」
 アーカス騎兵の迅速さは、ここアルティガルドでも評判である。
「ここまでのようだな」
 シュナイダーは決断し、幕僚たちを集める。そして、冷静な声で告げた。
「当初の作戦通り、このまま敵を草原の奥へ引き込む」
「はっ」
 即座に副官が切れの良い声で返事する。
“罠を仕掛けているのは、何もお前だけではない!”
 それに頷き、シュナイダーは踵を変えた。

「深追いの必要なし」
 アルティガルドの撤退が始まり、オーギュストはそれを追撃しなかった。未明からの強行軍で将兵の疲労も激しい。
 こうして、『フュンフフルトの戦い』は総力戦とならずに終わる。


 インスティンクト教会――。
 深夜、オーギュストが寝室に戻ってきた。
 藍色の絨毯に、青い壁、薄い紫の天井、そして、天蓋付きのベッドの中に白い裸体が横たわっている。
 全身に散らばるキスマークは、白いキャンパスに描かれた桜のように美しい。特に乳ぶさと内腿は満開である。また、どろりと流れて冷め固まった白い液体は、氷河のようであり、四散した白点は雪のようでもある。
「ん……」
 オーギュストは、彼女の髪を摘まんで、その先で鼻をくすぐる。
「何?」
 薄眼を開いて、夢心地の表情で呟く。
「よく眠れたかい?」
「……うん」
 恨めしそうに呻く。
「なんか……寒い……」
 シーツはじゅっくりと濡れ、かつての大洪水の激しさを物語っている。
「お腹すいたぁ~」
 シーツを被り、身体を丸めながら囁く。
「あっ!」
 突然、大きく瞳を開けて、手足を延ばす。
「いっ……たい……」
 腰裏と内腿が凄い筋肉痛である。普段使わない筋肉を、有り得ない使い方をした証である。
「今何時? 何があったの?」
 上体を跳ね起こそうとした時、オーギュストが頭を優しく抱いて、耳を甘噛みする。
「何でもないよ。お前はセックスの事だけ考えていればいい」
「うん」
 筋肉痛が筆舌に尽くし難い充実感となって心身を満たしている。気が付けば、オーギュストを見詰める瞳は潤み、口元がだらしなく緩んで、恍惚の笑みを浮かべていた。そして、その胸に力なく枝垂れかかりながら、飴を与えられて幼女のように頷く。


 同時刻、ヤン、ナン、小次郎の三人が、教会の地下に降りていく。
「領収書に会議代と書いて、ああ、金額と日付は書かなくていいから」
「……」
 無骨な石の柱と巨大なアーチが天井を支えている。奥にステージがあり、顔の小さく脚の長い女が、ポールダンスを披露している。
 元々は、町の有力者や旅の富裕層が利用する高級クラブであり、仮面舞踏会やギャンブル、さらに修道女による売春も行われていた。
 赤いビロードのカーテンに仕切られた奥で、
三人は、ふわふわのソファーに凭れる。
「兄上も溜飲を下げられていた」
「先の戦いでシュナイダーが取った作戦と似ているからな」
 敵の砦を強襲すると見せ掛け、防御を固めさせる。その動きを封じ込めた後、全軍で反転して、援軍を叩く――。
 これは先日のティーアガルテン州での戦い(第75章参照)で、ルートヴィヒとヤンの二人が破れた、シュナイダー将軍の策である。
「上帝陛下のご配慮だろうよ」
「倍返しだ!」
「……」
 言った方も、聞いた方も、恥ずかしく俯いてしまう。
「シュナイダーも、これで終わりだな」
「いやいや、どうして。草原のど真ん中に陣取って、爪を研いでいる」
「負けたのに?」
「意外と損失は少なかったようだ。あの状況でよくやるよ」
「それにしても、士官の戦死率が高いな」
「ああ、アルティガルドの特徴だな」
 いつの間にか、ヤンが講師役となっている。
 そこへ、山盛りのミートボールパスタと麦酒が運ばれてきた。
「お、こんな笑顔のきれいな美人がこんな所にいたのか?」
 小次郎が、エプロン姿の若い修道女に興味をそそられた。
「大尉殿、冗談はお止め下さいよ。近くの修道会に頼み込んで、ようやく手伝いに来てくれたシスターなのですから」
 年長の修道女が笑う。
 ナンは麦酒を飲んで、自ら口を塞いだ。自分たちが膨大なお金を落とす存在とはいえ、この街の住人にとって厄介者であることは間違いない。それだけに居心地が悪い。
「おいおい、あざといぞ」
 ナンが口の周りを白くして、苦笑する。
「何が?」
「そんな古い手口じゃ口説けやしないさ」
「俺は…そんなんじゃないぞ」
 憮然として、さらに麦酒を煽った。
「名前は?」
「はい、【イレナ・ビーノヴァー】と申します」
「出身は?」
 軽く笑った後に、気さくにヤンが訊ねる。
 確かに笑った顔が魅力的だった。だが、決して顔の造形が完璧だとは言えない。オーギュストの周りにはもっと美しいパーツを持つ女性はいる。しかし、いそいそと働く顔が、どんな美人よりも美しくと感じられた。素の状態よりも、何らかの役割を演じている方が輝くタイプなのだろう、と思う。
“天性の女優かもしれない”
 見る角度によって、乙女のようであり娼婦のようでもある。きっと祈る姿はもっと美しいのだろう、と空想する。
「ヴァルヌス山地のマンドリーコヴァ村です」
 ヤンはその偶然に驚く。
「いい所らしいね?」
 横から、ナンが問う。
「貧しい村ですよ。でも、丘に咲く白い木蘭がとてもきれいなのです」
「そう」
 そう言えば、マンドリーコヴァ家の若妻は木蘭のように可憐だった、とその顔を思い浮かべる。
「マンドリーコヴァ村は美人の産地らしいな」
 ナンが、にやにやしながらヤンの肩を叩いた。

「あーっ」
 全身を舐め回した唾液が乾いて行く。
「ああーん」
 女が声を上げて、腰を捻った。
 男は女の足を抱いて、腰を叩き付け、懸命に出し入れしている。
「くるうぅ」
「狂ってしまえ」
 女の腰が弾むと、男はうっと唸って放出した。
 深夜、男を残して、女がベッドからそっと這い出た。そして、黒いベールを頭からすっぽり被ると、元もなく『上げ下げ窓』から外に出て、庭を風のように横切り、塀を軽々と飛び越えて別の長屋に向かう。
 トイレの窓の下で虫の鳴き真似をすると、僅かに雨戸が動く。
「新たな指令です」
「わたくしは何を?」
「同じく人質になっているブラオプフール未亡人にこれを渡してほしいので」
「分かりました」
 手紙を手渡すと、瞬きする間に、黒いベールの女は夜陰に消えていた。
 トイレを出た、リネンのナイトシャツ姿の女性は、長い廊下を歩き、ある部屋の前で立ち止まる。そして、左右をぎこちなく確認した後に、そっと手紙を扉の隙間に差し込んで、一目散に走り去った。
 翌朝、ブラオプフール未亡人が、オーギュストへ面会を申し出た。


 秘書官に導かれて、貴賓室へ向かう。
 紅い壁に黄金の装飾が眩い。朝だというのに、全く落ち着かない空間である。
 オーギュストは、左手奥にいた。白いテーブルクロスの正方形のテーブルに一人で座り、その前のソファーに、女性たちが並んで座っている。全員が、肌も顕な巻きワンピース姿であった。また、壁際には大理石のテーブルの上に、たくさんの料理が並んで、酒も氷で冷やされている。
 何もかもが艶めかしく、とても聖域の地下とは思えなかった。禁欲と清貧を唱える女神の館の下で、このような営みがあったことに軽く目眩を覚えた。
 オーギュストは、朝食のフレンチトーストを食べていた。
 ナイフを入れると表面はカリカリで中はプリンのように柔らかく、ふんわりとシナモンの香りが漂った。そして、口に含めば、卵、牛乳、バニラエッセンスなどが絶妙に調和した見事な風味が口の中に広がる。
「それで?」
「はい」
 目じりが切れ上がった瞳で、オーギュストを静かに見詰めている。
「俺に仕えるというのだな?」
「はい」
 ブラオプフール未亡人は、はっきりとした声で返事する。この声で、城内の兵士を鼓舞し、城外のサイア兵を一喝した、と思うと興味深い。
「生きる……生きる覚悟がなければ疾うに舌を噛んでおります。もはや、するもしないもございません」
「どういう気持ちの変化だ?」
「わたくしは囚われの身です。煮て食おう焼いて食おうと全ては上帝陛下の御心のままに」
 神妙に、均整のとれた瓜実顔を伏せる。
「よい覚悟だ――」
 オーギュストは、苦いコーヒーを一気に飲み干す。
「彼女たちは分かるか?」
 そして、侍る女たちを紹介し始めた。
「腰振りアリーセは知っているな。ああ、中イキ派だ。隣は、クリ派の汁ダクヴェロニカ。こっちはベテラン組。ポルチオ派ハードファッカーのサンドラとGスポ派のキーラだ。二人ともイク時にドロドロの軟体になって纏わり付いてきてなかなか気持ちいい。で、連続早イキのアン。こう見えて節操がない。気を付けろ。そして彼女が、性器でもアナルでも、喉の奥でもイケるセックスの申し子、天才ランだ。覚えておけ」
「よろしくお願いたします」
 独特の案内をされた先輩たちへ、形式的に挨拶する。
「ケイン」
 その後、筆頭秘書官を呼び、彼女に夜伽の準備させるように命じた。
「宜しいのですか?」
 アンが怪訝そうに問う。
「貞淑な未亡人が、敵に寝返るとは思えません」
「俺の甲斐性、とは思わんのか?」
「い、いえ……」
 思わず言葉に詰まる。
「念のために、私が監視しましょうか?」
 続いて、ヴェロニカが進言する。彼女を降伏された責任がある。
「まあいいさ」
 オーギュストは、両肘をついて顔の前で手を組む。そして、じっと射抜くようにヴェロニカを見た。
「それより、寝て股を広げろ」
 自分に向けて張り巡らされた罠を思うと、独りでに口の端が歪む。昂ぶる興奮を抑え切れない。
「はい、喜んで」
 ヴェロニカは言われた通りに、テーブルの上に寝そべり、膝の裏側を支えて、脚を大きく開いた。
 ウェストはきゅっと引き締まり、そこからしっかりと尻が張り出し、そして、ムッチリした肉感的な太腿が左右に広がる。
 戦乱の影響で荒れていた肌も、すっかり回復して、美しい白い肌を輝かせている。
 次に、大胆に胸も肌蹴る。ピンク色の乳輪を乗せた柔らかい美巨乳がプルプルと揺れていた。
 バランスのとれた美しい裸体を晒して、眼鏡の奥から、挑発的な視線を繰り出す。顔も身体も瑞々しい美しさとエロスに溢れていた。
「ヴェロニカの……」
 明るい茶髪の海藻が繁茂する底に、二枚貝が口をもう開いている。
「淫らでこらえ性のない、牝奴隷のはしたない牝穴を、たっぷり可愛がってください」
 ヴェロニカは火照った顔で艶やかに囀る。囀ると、アワビのように、黒ずんだ肉の畝が蠢き、濡れ光る薄桃色の粘膜が息づきひきつく。
「おいおい気分出しすぎだろ。びちょびちょじゃないか?」
「アア……申し訳ありません。ヴェロニカのオ……オマンコが濡れてぬれて……、どうぞなめて慰めて下さいまし……」
 こんな痴語を声にするだけで、ヴェロニカは、その意志の強そうな眉を八の字に垂れ下がらせ、威圧的な目尻を赤く染め、知的な瞳の焦点を狂わせ、美しい鼻の下を伸び切らせ、また、色っぽい唇から舌先をこぼれ出て、涎の滴を垂らしている。
 オーギュストが新鮮な貝肉へキスをする。
「ああっ、そこっ、そこがいいっよぉ」
 テーブルクロスを握りしめて、首を仰け反らせて、ふしだらな声を張り上げた。
「かっ、噛んでください」
 貝の殻から飛び出した桜色の真珠に、唇が微かに触れた瞬間、思わず口走っていた。
 オーギュストは、その要求通りに、クリトリスを軽く歯で挟む。
「ひっぃいい!」
 旺盛に身悶えて、飛沫を巻き散らかす。性感の塊を弄ばれれば、忽ち、汁気たっぷりの体質が目を覚ました。止め処なく潮汁が溢れ出して、テーブルクロスを濡らす。
“ジュ、ジュウ、ジュジューズッ”
 オーギュストは、まるで深海の熱水噴出孔のような秘穴に舌を差し込み、音を立てて啜り舐めた。
「ひぁ、ひぁあ、あ、アアン」
 その水音に合わせて、まるで合唱のようにヴェロニカが一オクターブ高い声で喘ぎまくる。しかし、何時までも潮は止まらず、大洪水となってオーギュストの喉を侵していく。
「い、イクッ!」
 ついに、さらに一段高い声で絶叫すると、殻を閉じていく貝柱のように、ぐっと手足を硬直させて、きつくオーギュストの顔を挟み込んだ。
“ふぅー”
 オーギュストは口を腕で拭う。そして、絶頂の余韻で朦朧とするヴェロニカの身体を折り畳んで、両足を両肩に乗せ、屈曲位で繋がった。
「いいっ! いいっ! ……っ、また、キちゃう、いっちゃう、ダメ、いっ、いくぅううん」
 信じられないほど激しく、腰を打ち付ける。
 ゴム毬のように尻肉が押し潰されて、強烈にバウンドして跳ね上がった。それを再び上から猛烈に叩き付ける。今にもテーブルが壊れそうな勢いである。それでも、ピストンし続けると、ヴェロニカはきゅっと反り返った足先をリズミカルに泳がせて、立て続けの絶頂に、全身を痙攣させて喘ぎまくった。
「うっ!」
 突然、オーギュストがペニスを抜く。そして、ぽっかりと空いた穴に指を差し込んで、濃厚な汁を掻き出した。
「ひっひゃああ~~~」
 ヴェロニカは、蛤のように潮を吹きながら、魂の抜けるような悲鳴を上げる。
 そして、再びペニスを挿入される。
「こ、壊れる、オマンコがこわれちゃう……」
 狂気に満ちた攻めに、ヴェロニカは弱弱しく泣きじゃくった。
「おい、どうした?」
 頭上でオーギュストが叱咤する。
「ランなら、この倍は耐えるぞ」
 突然、名前を出されて、ランは息をのんだ。
――またやっちゃった……。
 そして、自分の指が、股間を弄っていることに気付く。あてて、指を引き抜こうと頭では思うが、指先が名残惜し過ぎて、手を動かすまでに至らない。
“でも止まらない……”
 羞恥に瞳を揺らしながら、横を見ると、アンは自慢のFカップの胸を揉んでいるし、向かいでは、アリーセが固く尖った乳首を指の腹で転がしている。
“自分だけじゃなかった……”
 ホッとすると、大胆に指先をアナルへと動かす。
「キィーツ、もう、死んじゃーうっ……」
 片や、ヴェロニカは、オーギュストの声には答えず、白目を剥いて悶絶している。そして、そのまま口を開いて、息が止まったように喘ぎも止み、ビクック、ビククッ、と全身を痙攣された。


 その頃、ブラオプフール未亡人は、侍女たちに身体を念入りに洗われた。
「身長162。胸81。腰57。尻88。陥没乳首」
 そして、胸、腰、尻だけでなく全身をくまなく測定されると耳まで真っ赤になった。
 胸は小さいが、身体が薄く華奢な分尻が大きく綺麗である。また、小粒な突起がかわいらしい。
「処女膜無し、ポリープなし、……痔もなし」
 さらに、健康診断として、性器や尻の穴にまで指を入れられると涙が滲んでしまう。
 ひと段落したところで、警備が雑談に興じるのが目に入った。
「ある時、フリオ様が奥様に、『俺は4人の男をコキュ(寝取られ男)にしたことがある』と自慢したそうよ」
「へーえ、本当に?」
「そしたら、『あら、凄い。私は一人しかしてないわ』と奥様が答えて」
「あら、まぁ」
「フリオ様は、『へえ?』と絶句されたそうよ」
「ふふふ」
 一瞬のすきを見つけて、地下への階段を下りる。
「ここは……?」
 とある部屋を覗く。石で囲まれた竃のような密閉空間であり、もれ出る空気は、汗やら体臭やらでムッと咽返るようである。
 天井から裸体の女が吊り下がっている。
 蓬髪の下で、アイマスクをつけ、玉口枷(ボールギャグ)をかまされている。また、乳首にはクリップで鈴が着き、股間には、縄が褌のように回されていた。さらに、三角木馬に跨って、胸や尻などに無数の鞭の傷跡があった。
「ヴェロニカさん、聞こえて?」
「ううう……」
「酷い……」
 ブラオプフール未亡人は、旧友の無残な姿に言葉に詰まった。二人はともに、地方の小領主階級出身であり、寄宿学校の先輩後輩であり、また、遠い縁者でもある。
「うぐぐ……」
 ヴェロニカは彼女に気付いて、小さく頷いた。
「時は来たわ!」
 それに気持ちを強くすると、耳元で、小さいがしっかりとした声で告げる。
 徹底抗戦を決意していたブラオプフール未亡人が降伏を決意した理由は、散々に脅迫された伯父からの説得もあるが、一番はヴェロニカから手紙であった。
 時を待て!
 ヴェロニカはそう説いていた。夫の仇を討つため、領地を守るため、王国への忠誠のため、祖国への献身のために、屈辱を噛み締めて受け入れた。捕囚の辱しめにも耐えてきた。そして、今、その反撃のチャンスがようやく訪れている。
 ブラオプフール未亡人が、ヴェロニカの頬にそっと触れた時、
“ゴーン、ゴーーン、ゴゴーン”
「え?」
 出陣を知らせる鐘が鳴り響いた。


 昼過ぎ――。
 オーギュストは、アリーセをともなって、教会の宝物庫を散策している。
 大き目のフードを腰まで垂らし、ダークブランのローブの裾を、床の上を辷らせながら歩いている。その傍らに、極々薄い紫のエンパイアドレスを着たアリーセが付き従う。落ち着いたシフォンの生地は光の加減ではピンクにも見えて、気品とかわいらしさをバランスよく同居させている。
「ルイとカタリナだな」
 オーギュストの足が、一枚の絵で止まった。
「偉大な家族です」
 アリーセが瞳を輝かせる。
 二人が鑑賞しているのは、仲睦まじい家族の絵である。夫婦が手を取り合い、その足元に四兄弟がいる(第66章参照)。
 夫は、8代皇帝アレクサンドル5世の次男ルイ。妻は5代アルティガルド王レオポルド3世の娘カタリナ。
 如何にも勝気そうな少女が、10代皇帝カール4世の皇后ルイーザ。ローズマリー、ティルローズ、メルローズの曾祖母である。
 姉の裾を引っ張っている体格のいい少年が、
9代サイア王アンリー6世。カレンの曽祖父である。
 姉兄と少し離れて斜に構えているのが、9代アルティガルド王フェルディナント2世。マルガレータの曽祖父である。
 そして、揺りかごの中の乳児が、ハーキュリーズ。ランの高祖父、アポロニアの曽祖父である。
 世界は一度、この家族によって作り変えられたと言っても過言ではない。
「ややあざとい構図だな――」
 苦笑いで、オーギュストが批評する。
「ルイーザとアンリーは生涯仲が良かったから並べて、フェルディナントは二人と少し距離を取り、ハーキュリーズは蚊帳の外だ」
「でも、フェルディナント大王(フェルディナント2世)の孤高の天才と言うイメージがよく表れています」
「天才というが、大粛清と大敗北のイメージが強いが、な」
 外国人の一般的意見である。
 これに用意され、多少手あかのついた言葉を返す。
「確かに、鬼神と恐れられる一方、国内統一に苦心され、身一つで逃げ出されたこともあります。ただ、そこから復活を遂げられ、今日のアルティガルドの基礎を築かれました。最も尊敬すべき偉人です」
 憧憬に、アリーセは声を上擦らせている。
「お前は、王位を乗っ取られたフリードリヒの系譜だと聞いていたが?」
 片眉を上げて問う。
「はい、わたくしは、7代フリードリヒ2世の末裔であり、ハルテンベルク家は、ホーエンルーウェ公爵の係累です。しかし、赫々たる業績は認めるべきです――。それから、お前は止めて頂けますか?」
「ほお」
 オーギュストは、癪に障ったようで口の端を歪ませる。
「俺の女が、他の男をほめるのは好かん」
 そう言って、背後からアリーセの胸の中へ手を差し込む。
「み、皆が観ています」
「下賤な人間など石ころと変わらん。それが貴族というものだろ?」
「……ぅん」
 乳首を摘ままれて、忽ち、スイッチが入ってしまう。反論することなく、甘く鼻を鳴らしながら、オーギュストの体にしな垂れていく。
「お前が尊敬する偉人たちが造った世界を、俺は壊そうとしているぞ」
「……」
「お前はそれに加担している」
「お前は止めて下さい……」
「恐い女だな」
 そう言いながら、オーギュストは、両手で大胆に乳ぶさをもむ。もうドレスの胸元から乳首がもれ見えている。
「ああん」
 堪らず、アリーセは熱い吐息をもらした。
「そう言えば、フェルディナント2世の王墓を略奪した男を殺したらしいな(第70章参照)。怖い女だ」
「畏れ入ります」
 頬を火照らせて、小さく頷く。
「ハーキュリーズ・カーンはどうだ?」
 オーギュストの腕の中で、一瞬、身体を硬くした。
「北辺の開拓者です。彼のおかげで人類の叛徒は大きく広がりました。ただ中原の安寧と発展には貢献出来ませんでした。彼自身も彼の子孫も」
 意味深な言い方をしたアリーセを、オーギュストは目を細めて苦笑する。
「席次が気になるのか?」
「いえ、レデイーベアトリックスさんやルイーゼさんの仰せも尤もです。だた――」
「ただ?」
「わたくしが来たことで、皆さんが過敏になられたようで、派閥の不協和音が大きくなったような気がします」
「初めからそんなものさ」
「左様ですか」
「セリアではこんな物じゃ済まないぞ。お前は生き残れるのか?」
「勿論です――お前は止めて……ああン」
 ドレスの胸元を下ろし、二つの乳ぶさを顕にして搾るように揉み解す。
「恥ずかしい……」
 眉を八の字に開いて、今にも目尻が蕩け落とそうである。
「お前は俺の物だ。もはや誰もが知っている」
「お前は……」
 オーギュストは、頬から耳へと舐め上げる。そして、ソファーに座り、その腰の上にアリーセを誘導する。
「お前の自慢の腰振りを見せてみろ」
「じ、まんでは……」

 そこへ、アンが駆け付ける。
「お忙しいところ申し訳ございません」
「動いたか?」
「はい」
 側近たちに緊張が走った。
「夜明け前、シュナイダーは、横島(ザイテインゼル)から移動する気配をみせております」
 アンは跪いてメモを見ながら報告し、
「幕僚本部長が申すには、上帝陛下におかれましては、速やかに、総司令部へお越し願いたい、とのことです」
 と言上した。
「是非もなし」
 オーギュストは、アリーセをソファーに残して歩き出した。礼拝堂と本館をつなぐ長い廊下を抜けて、エントランスへと進む。親衛隊が馬車の用意をしている横へ、新たな騎馬が到着した。
「ベアトリックス、お前が来るとは」
 オーギュストは、口元を綻ばせた。
「夜明けとともに移動を開始したシュナイダー軍は、用水路を越えて、北へ退却するものと思われます」
 ベアトリックスが、息を切らせて報告する。
「あの丘は、鶴ヶ原防衛の要ではなかったのか?」
「御意」
「アン、どう思う?」
「敢えて放棄したという事は、背水の陣を諦め、防御を固めたと言う事でしょう」
「否、持久戦ではない」
 きっぱりと言い放ち、オーギュストが馬車に乗り込む。それにベアトリックスが続く。
「俺を誘っているのだ。丘に登ってみろよ、とな」
「いかさま」
「登らねば男が廃ろうよ」
 オーギュストの言葉に、ベアトリックスが笑う。
「陛下らしです」
「生意気な。しゃぶれ」
「はい」
 ベアトリックスは嬉しそうに膝をつき、脚の間に顔を埋めて吸いつく。
 タイトにまとめた髪をリズミカルに揺すり、
 しゅしゅ、と指を絡ませて扱き、
 ツンツン、と先端を舌先で突き、
 ペロペロ、と舐め回して、
 ちゅるぢゅちゅ、と唇で挟んで吸い上げた。
 直に、馬車は本陣に到着する。


続く

第75章 疾風勁草

第75章 疾風勁草


【神聖紀1235年8月下旬、アルティガルド王国ティーアガルテン州】
 夏霞――。
 視界は淡く霞み、肌を掠める風は心地よく涼しい。日差しは清々しく眩しく、遠く、世界の屋根ウェーデリア山脈の雪渓が白く輝いている。俗に、早起きは三文の得というが、その意味をようやく知り得た気分である。
 男たちは、重い甲冑に包まれた身体を起こし、ややひんやりとする兜をかぶる。雄々しい紫色の羽根が風に靡いた。
 この爽やかな夏の朝も、あと小一時間もすれば、ギラギラとした耐え難い蒸暑と変わり果てるだろう。そして、揺れる夏草は無残に踏み潰されて、薫風は咽返るような血の香りに澱む。
 しかし、季節が廻れば、また力強い雲の下に夏芽は勇ましく育つと信じている。
「命を惜しむな!」
 紫紺のマントを翻す騎乗の騎士が、紫光のオーラをまとう剣を空に翳す。
「名こそ惜しめ!」
「おお!」
 戦士たちが槍を衝き上げて呼応し、大地がどよめいた。
「突撃!!」
 今、鬨の声が響き渡る。

 攻めるは、アルティガルド王国の最精鋭、紫紺騎士団。守るは、サリス帝国のロックハート軍。
 ロックハート軍は、アルティガルド中部の平野にある独立丘陵の一つに布陣している。
 その丘は【男山】と呼ばれ、戦前からサリス軍が、兵糧の備蓄拠点に想定していた場所である。
 標高は50メートルほどあり、洪水の際には遊水地となる池沼の中にぽっかりと浮かんでいる。北へむけてゆっくりと高くなり、最澄部からがくんと急峻に落ちて、その裾は沼地に消えている。
 古くに地元の有力領主によって大規模な城塞が計画されたが、政局の変化により、中途で放棄されている。
 丘の上に、主塔と城館で囲まれた主郭があり、南側へ、二郭三郭と段々に配されている。さらに、南西に位置する【姫山】を組み込んで、出丸としている。
 ロックハートは、昼夜を問わぬ突貫工事を行い、この男山と姫山の間の谷間を城壁と空堀で塞いでしまった。サリス軍の土木技術の高さが伺える事例であろう。

「斉射三連!」
 その谷間の城壁へ、無数の矢が放たれた。
「前進せよ!!」
 その矢嵐の下を、亀のようにシールドを並べたアルティガルド歩兵がじりじりと前へ進んでいく。
 カチャカチャカチャン!
 矢は堀を越えるが、尽く厚い城壁に弾かれて落ちる。
「応戦せよ!」
 今度は、城壁の狭間から、反撃の矢が放たれた。
 カーン!!
 銀色に輝くシールドに、黒い影をまとう矢が殺到する。大多数は華々しい火花と甲高い金属音を残して勢いを失うが、運が良いのか悪いのか、シールドの隙間をすり抜けた少数派が、兵の肩を穿つ。
「怯むな、進め!」
 倒れた兵を踏み越えて、シールドの列は進撃を続ける。
「敵は乱れているぞ。攻撃の手を緩めるな!」
 城壁からも絶え間なく、矢が放たれ続ける。
「耐えろたえろ」
「射よいよ」
 それぞれの最前線の指揮官の威勢のいい声が、戦場に飛び交う。
 そして、大きな犠牲を払いながらも、ついにアルティガルド歩兵は、堀の前の柵に到達する。
「よし、よく耐えた。反撃せよ」
 シールドを下ろすと、大型のボウガンを構える。
「放てぇ!!」
 弦の振動が重低音を轟かせ、金属の弓が鋭い悲鳴を上げて反りを戻す。その反動で、転がる兵もいる。
 ドドーン!!
 短い矢は、城壁を貫通して、その背後で矢を番えていた守備兵を射抜いた。
「狼狽えるな。被害を報告せよ」
 城壁の守備兵が一時的に混乱し、射撃数ががくんと減る。
「走れはしれ」
 軽装の歩兵が梯子を担いで走る。
「急げいそげ」
 そして、堀を越える梯子を架けると、剣を抜いた騎士が登って行く。
「よく狙えよ」
 堀に張り出した櫓に立体的に陣取った弓兵が、梯子の上の騎士を横から狙う。
「間隔を空けるな、押せおせえ」
 側面から脇腹を射抜かれて、騎士が堀に落ちていく。それでも、現場の指揮官は、次々に騎士を送り出していく。
「女神エリースよ、御照覧あれ! 一番乗りは……ぐがッ」
 ようやく一人の騎士が城壁に取り付いた。しかし、最後まで名乗ることも許されず、その胸を槍が貫く。
「踏ん張れぇ!!」
「集中を切らすな!」
 命がけの激戦は続く。
 アルティガルド軍の攻めは鋭く、果敢に攻め立てる。それにロックハート軍も粘り強く防いだ。
 しかし、この世に無限に続くものがないのと同じで、然しものアルティガルドの歴戦の勇者たちにも、次第に、疲れと息切れが見え始める。
 一方、ロックハート軍の防御に破たんは見えない。最前線の兵士を定期的に入れ替えて、傷を治療し、軽い食事と休息を取らせて、五月雨式にまた戦場へと送り出していく。
 やはりアルティガルド軍の攻めは無理攻めだった、とロックハート軍の士官たちが思い始めた頃、巨大な杭を乗せた荷台が戦場を迂回して、城門へと向かっていく。
「腰を入れて力を籠めろ」
 杭の上に乗った派手な衣装の男が、大仰に扇を振って囃し立て、荷台を押す人夫たちを扇動する。
「きばれきばれ」
「エンヤコラっ!」
 人夫たちが威勢のよい声で答えて、呼吸を合わせて一斉に荷台を押す。
「もひとつおまけに」
「エンヤコラっ!!」
 城門に迫ると、さすがに、城壁に気を取られていた守備兵も気付く。
「これ以上、近づけさせるな。放てェ」
 慌ただしく、城門の上から矢を放つ。しかし、その矢は尽く、頑丈な鎧で全身を覆った護衛の重装歩兵に憚れた。矢をシールドで防ぎ、大剣で叩き落とし、時には、身を挺して守り抜く。
「回せまわせ」
 城門の前は、枡形になっているために90度回転させねばならない。その間、守備側は狙いたい放題であり、重装歩兵にも人夫にも被害が増え続ける。
「補充せよ、空席を作るな」
 上の者の指示により、間断なく人員が穴埋めされて、杭を載せた荷台の動きは止まらない。
「それ、ぶつけろ」
「エンヤコリャ」
 杭が扉を叩く。
 城門全体が激しく揺れた。
「もう一丁」
「エンヤコリャア!」
 扉がくの字に変形する。
「最後だァ!」
「エンヤコーぉリャぁぁぁッ!!」
 渾身の力で、人夫が荷台を押し、杭が扉を貫通した。
「総員、剣を抜け。突入せよ!!」
 騎士を先頭に、重装歩兵が、一気呵成に城門をくぐっていく。
「侵入した敵は、そう多くはないぞ。虱潰しにせよ」
 門の裏で、守備兵たちが槍衾を形成する。
 城内は、二つの丘の谷間が広い広場になっていた。左手側に出丸の丘が切立ち、右手側に小さな池があり、その向こうに三郭と二郭が待ち構える。
 道は池を迂回して三郭へと進む。が、そのために、絶えず、出丸側から側背を攻撃させることになる。
「突破しろ、俺たちは雑兵ではない。アルティガルドのエリート戦士だ!」
 槍襖を前に、脚が止まる。そこへ、頭上から矢や石が降ってくる。とても戦闘態勢を維持できる状況ではないが、アルティガルド重装歩兵たちは、屈強な精神力と鍛え上げられた肉体で懸命に戦闘を継続する。
 ひゅーーん!
 その時、宙から、気の抜けたような、調子の狂った笛の音が聞こえてきた。
 ドドーン!
 一瞬、蒼穹が翳る。と、池の向こうの石垣が地響きとともに崩れ落ちた。
「何だ?」
 訝しがる守備兵たちの足元に、池の波紋が押し寄せる。その次の瞬間、傍らの池に、巨大な水飛沫が舞い上がった。
「投石だ……」
「まごまごしていると潰されるぞ……」
「何処かに隠れなくては……」
 顔面を蒼白にして守備兵たちが怯える。
「当てずっぽうだ――」
 間もなく、若い士官が、声の限りに叫びながら、兵士たちの間を走り回った。
「早々当たるものではない!」
 しかし、再び宙に奇怪な音が鳴り渡り、巨大な影が頭上を掠める。今度は、双方の将兵の目にもはっきりと巨石の形が見て取れた。そして、池の縁に落ちて、轟音をともに大量の砂を巻き上げた。
「回避しろ!」
 確実に、狙いが正確になってきている。士官が険しく命令するが、具体性に欠けているせいで、兵士たち右往左往するばかりである。
 その時、四度目の破壊音が轟くと、出丸の守備隊が吹き飛ばされていた。
 アルティガルド軍は、投石の落下地点を城内に侵入した専門家に観測させた。そして、その数字を大きな赤い旗を振って、城外へ、城外から司令部へ、司令部から小山の麓へ、麓から尾根へ、尾根から山頂へと素早く正確に伝達させていた。
「山影に、退避しろ」
 守備兵は戦意を喪失して、主郭へと退却していく。

 この古城が建築途中で放棄された大きな理由として、すぐそばに【親山】と呼ばれる小山の存在がある。
 現在は小さな修道院があるが、ここからは城内を見渡すことができた。
 飛び道具の主流が弓だけであれば問題なかったのだが、巨大な投石機が開発されると城は危険な場所となった。
 この城塞を十分に機能させるならば、城郭の規模を大きくして小山を取り込むか、小山を切り崩して平らにするしかない。費用対効果を考慮して、城は完成されることはなかった。

「敵は、大手道の吊り橋も落とし、その瓦礫で埋め門を塞いでしまいました」
「そうか、ご苦労」
「はっ」
 報告を終えて、伝令が下がる。
 アルティガルド軍司令部は、城下の農家を接収して、その土間に置かれている。
「吊り橋に、埋め門ですか……」
 副官が縄張り図を見詰めながら、ため息を落とした。角張った顔に口髭を生やし、目は細く窪んでいる。律儀な堅物の軍人という風情である。
「城壁の兵も隠し門で退却しましたし、サリスの、ロックハート軍の土木技術も大したものです」
「何、与えられた任務に対して、予めに与えられた選択肢の中から、比較的まともな選択を繰り返しているだけだ」
ジェラルド・ハインツ・シュナイダー将軍がコーヒーで喉を潤しながら答えた。
「故に、その行動に、閣下の想定を超えるものがない、と?」
 傍らに控えている参謀が問う。
「そうだ。所詮、サリスの将官は、指示待ちの木偶の坊ばかり――」
 強大な権力を持つ絶対君主の元では、その部下は小粒になりがちである。
「アルティガルドの社会で言えば、課長係長クラスばかり。戦局全体を見渡し、自分で任務をコントロールできる者はいない」
「御意」
 幕下の参謀たちが大きく頷いた。
 これが、シュナイダーの掲げる戦略の根幹である。このサリス軍の組織的弱点を衝くことに、彼らは勝機を見出している。
「それで将軍、このまま主郭まで攻め潰しましょうか?」
 最も若い参謀が、血気盛んに身を乗り出す。
 副官は渋い皺を眉間に刻んで、不快感を顕にした。
「平参謀風情が、余計な口出しをするな」
「は……」
 忽ち恐縮する若手に、シュナイダーは笑みを見せる。
「此奴は、真面目だが人当たりが悪い。気を悪くするな」
「は、はい……」
 引き攣った頬が多少は弛むが、今どんな表情をすればいいのか分からないのだろう、眼を忙しく泳がせている。
「敵はなぜ籠城してまで徹底抗戦を続ける?」
 真顔に戻り、シュナイダーが問う。
「……」
 若い参謀たちは、一斉に互いの顔を見合わせたが、誰も答えることができない。
「援軍が来ると信じているからだ」
 シュナイダーは時間をかけずに答えを示す。
「では、我々を挟み撃ちに?」
 咄嗟に、未熟な若者たちの顔に、不安の色が差す。
「奴らは自ら穴熊に篭ったのだ。もはや急激な出撃はできない。その時間を利用して、援軍をまず叩く」
「あ……」
 今度は一斉に、ほっと眉を開く。
「索敵の範囲を広げよ――」
 その時、副官が声を張った。
「発見次第、この地に見張りを残して、全軍をもって出撃する」
「御意」
 敬礼すると若い参謀たちが飛び出てく。
「閣下――」
 副官は穏やかな表情で、シュナイダーにコーヒーを注いだ。淡い湯気とともに、爽やかな香りが立ち上る。
「この位で心を折らないでください」
「分かっている。全軍の底上げをせねばならんのだ」
 正直なところ、人材不足は、アルティガルドも同じである。軍組織を再編して、優秀な人材も揃えたが、それらは前線に配置せねばならず、相対的に、シュナイダーの周りに経験の不足する若手が残ってしまった。
「戦いながら育てねばならぬ。貴公の協力にも期待する」
「微力ながら、お手伝いいたします」
 副官が踵を揃えて、恭しく首を垂れる。
「すべては勝つために」
 シュナイダーは、薄汚れた窓ガラス越しに外を眺めて一人囁いた。


 同州境、街道上――
「また止まったか?」
 街道を東へ進軍するサリス軍が、真夏の射すような日差しの下で停滞していた。半日行軍した後でもあり、兵士たちは、背中にびっしょりと汗をかいている。
「また来たぞ。まったく……」
 その横を騎馬が土埃を舞い上げて駆け抜けていく。兵士たちは、露骨に忌々しげな顔をして、埃で汚れた顔を拭う。
「申し上げます――」
 先頭から来た騎兵が、部隊の司令官である
ルートヴィヒ・フォン・ディアンに駆け寄った。
「先の小川を越えた平野に、敵の騎兵が分散しています。おそらく布陣する場所を探しているのでしょう」
 木陰に幕を張っただけの簡易的な司令部である。その中心に、若いディアン将軍が床几に腰を据えて、その傍らに同世代の参謀が立っている。どうしても俄かな印象を与えてしまうことは否めない。
「……」
「ご苦労。続けて監視しろ」
 沈黙を続ける司令官に代わって、参謀が応じる。
「はっ」
「ディアン将軍――」
 応対しているのは、上帝府参謀のヤン・ドレイクハーブンである。フリーズ大河北岸の各部隊にオーギュストの意志を伝えて、かつ、監視する任務を与えられていた。
「敵の装備と規模から想定して、ロックハート軍は敗退したと思われます。救援を中止し、速やかな転進を」
「……」
 ディアンはまだ若い顔を石膏のように硬くしている。白い天幕の前、刈り取られた夏草の上、そして、晴天の下を、瞬きもせずただ凝視していた。
「将軍、御決断を」
 強く促されて、ようやく薄く唇を開いた。
「全軍……前進して、小川を越え、陣形を整えよ」
「ルートヴィヒ!」
 旧知の間柄である。思わず、ヤンは大きな声でファーストネームを呼んだ。
「ロックハート将軍は天下の知将である!」
 ヤンの声を打ち消すように、ディアンは、さらに大声で叫ぶ。
「易々と敗北するとは思えん。敵は戦力を分断したと思われる。これは勝機だ。各々方、思う存分、手柄を上げられよ」
 周囲の諸将に目を配り、威勢よく鼓舞する。
「どうした? ルートヴィヒ」
 ヤンが顔を近付け、耳元で囁く。声は小さいが、語感は鋭く、噛み付かんばかりである。
「このままでは――」
 それにディアンは、然も歯痒そうに呟いた。
「このままでは、如何ともし難いのだ!」
「しかし、索敵した部隊は、その構成からして前衛部隊だ。これから、ぞろぞろと増えるぞ。正面からぶつかっては……」
 思わず、最後の『敗北』と言う不吉な単語を飲み込む。声にしてしまうと、本当に実現してしまいそうで怖い。
「分かっている。だが、俺には、諸将に手柄を立てさせる義務がある」
「上帝陛下の軍隊にそんなも――」
「あるのだ!」
 ヤンの言葉を、歯軋りしながら遮る。
「俺の軍勢は、中小の諸領主の寄せ集めだ。俺への忠誠ではなく、武功のために、戦うために従っているに過ぎん」
 悔しさを滲ませて、まるで血を吐くような告白だった。
 父は、故ナルセス・フォン・ディアンであり、母は、サリス帝国の政治を担う『詩の朗読会』メンバーのエヴァであり、オーギュストの猶子であり、昨年バラム公オットー3世の末娘シュザンナと結婚(第68章参照)した。当代髄一の輝かしい血統であり、若くして北辺の大貴族となった。しかし、実績なき重用故に、大きな重圧に苦しんでいる。
「……しかし、上帝陛下の戦略は――」
「俺が戦いを避ければ、必ず離反する者が現れる。そうなれば、俺は……、取り立てて下さった上帝陛下に申し訳が立たん。……父の名に泥を塗ることになり、上帝陛下と母の期待を裏切ることになり、妻に笑われてしまう……」
「しかし、無駄な戦いをして、もし負ければ、それこそ上帝陛下の御叱りを受けることになろう」
「もう、『しかし』は止めてくれ。黙って協力してくれないか」
――これが貴族というものか……。
 ヤンは友の苦しい立場を思い知り、堪らず絶句する。

 小川を背にしたディアンの混成部隊は約3000。対して、鶴翼に布陣するアルティガルド軍は1万を越えようとしている。
「敵の集結が早い……」
「これは2正面作戦のために焦っている証拠だ!」
 参謀が否定的な発言をすると、透かさず司令官が肯定的な発言で打ち消す。
「おお」
 そして、従う諸将が勇ましく応じる。
「敵の狙いは、両翼を素早く展開させた包囲殲滅にあると見た。故に我らは小川を背にして、背後に回り込まれることを阻止し、さらに、手薄になった敵中央部を突破し、背面にて反転して、敵を挟み撃ちにする」
「承知した」
 さすがは名将の子よ、と諸将が満足げに頷く。
「突入部隊は小官が直に指揮する。この陣は、参謀のヤン殿に任せる。各々方、上帝陛下直臣の前で存分に武勇を示されよ」
「おおよ!」
「この時を待ちかねていたぞ!」
 猛火で炙り出したような激情を、ルートヴィヒ・フォン・ディアン将軍は一気に吐き出す。また、その声を待っていたように、武将たちも、朱泥をぬったように顔を紅潮させた。
――止める術はないのか……。
 ヤンは煮え湯を飲むような気分で、ただ黙って立ち尽くしている。

 風が吹かない。街道の石橋や石畳は、飴細工のように今にも溶け出しそうで、汗ばんだ肌に絡み付く空気は濁って臭い。時間さえも壊れてしまったように、暑く息苦しい刻が終わらない。
 火を見るよりも明らかなり――という言葉が頭を過る。
 ヤンの眼前では、予想取りの光景が展開されていた。
 左右に展開する敵部隊は数を偽装した囮であり、敵の中央部には幾重にも戦闘部隊が配置されている。
 敵が十二分に備えた、最も頑丈な場所に突進してく姿は、巨漢の力士に体当たりする子供のようであり、高波にひっくり返される小舟のようであった。
 向う見ずな勇者たちは、我先に突進して一番槍を競った。しかし、先祖、出身地、自分の名を誇るよりも早く、矢が襲い、槍が前後左右から伸びてくる。瞬く間に、身をもって『針鼠』を体現することとなる。
戦いは呆気ない。
 もっとも熱い分子を失ってしまうと、悲壮感を伴うヒロイックなオーラに包まれていたディアン将軍も、忽ち、昏倒せんばかりに怖気づいてしまった。
「ひ……ひ、ひっ、ひぃっ、引けぇ」
 釣り上げられた魚のように、眼と口をパチパチさせて吃り、どうしても上手く退却を命じることができない。
 しかし、どうにか命令を伝え、難関をクリアーするも、この場合、口にする苦労よりも、実行する方が遥かに難しい。
 敵前で反転して敗走を開始する。当然、背後から正面追撃されて、好き放題に矢を射かけられる。さらに、左右からも敵兵が迫り、散々に平行追撃を受ける。
「もはやこれまでか……」
 ディアン将軍が、氷のように冷え切った体から震える声で囁く。その時、前方の藪から矢が放たれた。
「2列目、斉射せよ!」
 ヤンの落ち着いた声が響く。
「伏兵だぞ、気を付けよ」
 追撃に熱中する余り、思わぬ伏撃に、アルティガルド兵が乱れた。
「伏兵は少数だ、並べならべ、蹴散らすぞ!」
 アルティガルドの先鋒部隊は、改めて隊列を整えていく。
「引け」
 しかし、ヤンの判断も早い。
 部隊を二つに分けている。前列は一斉射撃の後素早く後方へ下がる。その背中を守るために後列が射撃を行う。その間に、前列だったものは、後方で列を作り直して矢を番える。このように射撃と後退を繰り返し、ヤンは、殿軍をほぼ無傷で小川を越えさせた。
「追えおえ、逃がすな」
 遅延を強いられたアルティガルド軍が、ようやく小川を渡る。
「なんだ、あの無様な砦は」
 アルティガルド先鋒部隊の指揮官は笑う。
 小川の縁に簡易的な柵を巡らしただけの小規模な砦がある。その軍旗と槍の数に相当な数の兵が逃げ込んだと思われた。
「止むを得ん。速やかに踏み潰せ!」
 砦をそのままに敵の本隊を追えば、背後を攪乱されかねない。先程伏兵に遭ったことがより慎重にさせていた。
「突撃せよ!」
 数を揃え、包囲し、四方から一斉に攻撃する。反撃を与える隙もなく、圧倒した。そう思った瞬間、突入部隊から守備兵の姿がないと報告がくる。
「謀られた。続け!」
 歯軋りしながらも、手柄を逃すまいと慌てて追う。
「あれは……」
 しかし、今度は、街道の脇に、物資を山積みにした小荷駄が置き捨てられている。
「待てまて」
 下級兵士たちが、砂糖に群がる蟻のように殺到し、思うさま略奪する。指揮官の必死の制止も耳に入らない。
「おのれェ、小賢しい真似を!」
 もはや士気と統率の低下は明らかであった。
指揮官は、地団太を踏んで悔しがり、追撃を断念する。
「助かったのかぁ……」
 ディアン将軍は必死に駆けて、第三陣のパルディア王国軍に合流を果たす。その時、彼の周りには、30騎ほどしか残っていなかった。


【同月、ヴァンフリート州】
――シャーデンフロイデ
 この夏、フリート郊外の野原に、『シャーデンフロイデ』と言う名の新しい街が突如誕生した。
 元々は、敗戦後の不況対策に『サイア=アルティガルド連合共進会』が計画された。サイア系商人の発案と投資によるもので、サイアとアルティガルド南部の産物や製品を集めて展覧する予定であった。その会場地として開発が始まり、周辺に競馬場やマリーナなども併せて計画されて、一大リゾート地となる予定であった。
 そこへ、侵攻したサリス帝国軍が根拠地を置く。
 馬場の芝生の上には武器兵糧などの物資が蓄積され、厩舎には軍馬が、騎手用の宿舎には士官が入っている。さらに、木製の一般観客席は解体されて兵舎の長屋に、高い塔の特設観覧席は軍司令部と様変わりした。
 そして、周囲を一望する僅かにこんもりとした高台に建つ来賓用の貴賓館は、オーギュストの宿泊施設となっていた。

 導入路の坂の前に、みすぼらしい身なりの男が立つ。髪は乱れて泥が染み込み、藍染の衣装も、そこら中が擦り切れている。
 男はその眩さに思わず目を伏せた。
 美しい緑の芝生にはたっぷりと水がまかれて、壁一面に白い化粧タイルが貼られている。まるでプラチナのティアラのように輝き、夏の陽射しの中で、近寄りがたい威厳を放っている。
「許可がないと入れないぞ。何処の部隊の者だ?」
 黒い防腐剤をぬっただけの寄合長屋から、面倒そうに誰何する声がした。振り向くと、親衛隊員が暗い軒下からこちらを見ている。
「ヤンじゃないか!」
 隊長のナン・ディアンが、満面の笑みで影の中から出てくる。
「おいおい、その格好はどうした?」
 全ての色が白くかすむような夏の陽射しの中で、真っ黒に日焼けした顔を苦笑させて問う。
 それはこっちのセリフだと、ヤンは返したかった。
 ――まるで緊張感がない。
 顔は暑さに呆けている。また、首には濡れたタオルを巻き、軍服は釦を留めず肌蹴て、ズボンは膝上まで捲っている。さらに、バケツに足を突っ込んでいたのだろう、濡れた足跡が白い砂利の上に残っている。
「ボロボロじゃないか、あははは」
「ああ……」
 軽快に肩を叩かれて、ようやく我に返る。
「ヘビ避けになると刀根小次郎が言っていたから……」
「それで藍染の忍び装束か?」
「ああ……」
「とても誉れ高い天才軍師の姿じゃないなぁ」
 ナンは嫌味のない明るい声で笑う。
「軍師などと……無様な敗軍の将さ」
 消え入りたい気持ちがした。鎖で引きずられる囚人も、おそらくこんな想いなのだろう、と思う。
「そんな事はない――」
 うなだれて目を逸らすヤンに、ナンが盛大に首を振る。
「見事な退却戦だったと聞いているぞ」
「俺の手柄じゃない……」
「うむ?」
 巧みな相槌で話を促す。
「ルートヴィヒが……ディアン将軍が俺に精鋭を預けてくれた。だから、全員が俺の命令に忠実に従ってくれた……だから……誰も逃げることなく……最後まで……勇敢に……」
 次第に、眼の奥に熱いものが込み上げてきて、思わず言葉につまってしまう。
「ああ、よく兄貴(ルートヴィヒ)を助けてくれた。ありがとう――」
 突然ナンが手を取り、そして、堅く握りしめてくる。その掌の熱さに、深い感謝の意がこもっているようだった。
「ご苦労さん」
「ああ」
 過酷な戦場の中で友の優しさに触れて、ヤンは唇を噛んで何度も頷く。
「それより、これじゃ拝謁できないぜ」
 笑った目で困ったように言う。
「そうだな」
 ようやくヤンの頬が弛んだ。
「裏に井戸がある。石鹸とタワシもあるからしっかり泡立てて、ゴシゴシこすれよ」
「ああ」
 頷いて歩き出した後で、のんびりしている余裕はない、と思い始めた。一刻も早く、敗戦を詫び、かつ、北岸一帯の戦況報告を行いたい。折角お膳立てをしてくれたナンに悪いが、濡れたタオルで軽く拭くぐらいでいいだろう、と考える。
「青色はなかなかしつこいからな、ちゃんと洗い落せよ」
「え?」
 忍び装束の結び目を解くと、真っ青な胸と腹が現れた。
「何ぞ!?」
「パンツも青いから忘れず変えろよ」
「何じゃこりゃ!!」
 思わず叫んでいた。


「無様ではないか!」
 オーギュストは赤いパンツを穿きながら、険しく激怒する。
 その雷のような轟音は、浴室の薄い扉から解き放たれ、薄暗い寝室を震撼させると、半開きの観音開き扉をガタガタと打ち震わし、貴賓室の時計の振り子を狂わせた。
 シャワーの音が途絶える。蛇口をキツク閉める甲高い音が悲鳴のように、着実に近付いてくる足音が爆音のように聞こえた。
「お前たちの報告を要約すると――」
 光と暗闇の境界から声が轟くと、幕僚たちが一斉にひれ伏した。
 ロイド方面軍カザルスは、まんまんとシュナイダー軍を取り逃がし、かつ、追撃する余裕もなく軍の再編中。
 そのシュナイダーに、ソルトハーゲン方面軍ロックハートは敗退して、未完成の城に籠城中。さらに、その援軍も苦戦中。
 また、セレーネ半島方面軍ベルティーニは、
ルブラン湾のガブリ島(フリオとマックスが捕虜)を包囲したまま攻めあぐね、セレーネ半島の動揺を抑えることに奔走中。
 最後に、サリス方面とホークブルグ方面の戦線を連結させ、フリーズ大河南岸の一帯を完全に制圧するために、予備兵力のサイア王国軍を導入。だが、一つの城の攻略に手間取って停滞中。
「なぜ、この程度の小城が蹴散らせぬ?」
 大きな襟とフードの付いたグレージュのバスローブを羽織、腰の紐をぐっときつく締める。
「はっ、ブラオプフール城に対して、情理を尽くして投降勧告を行いましたが――」
 代表して、幕僚主席のルイーゼが畏まって答える。

……
………
『ブラオプフール城の方々に申し上げる――』
 城外のサイア軍から大声で呼びかけた。
『案ずるにそちら五百、こちらは一万、この絶望的な差をどうお考えか。ドラゴンやサーベルタイガーでもなければ、疾く城門を開かれよ。本領安堵、つつがなく領地に戻らるることを、サイア王国のローゼンヴェルト将軍がお請け致す』
 男のよく通る声が風に乗って広がる。もはや開城は時間の問題と思われた時、城内から清淑な美声が流れた。
『ローゼンヴェルト将軍の心配り、まことにありがたく存ずる――』
 尖塔に人影が浮かぶ。城外の将兵が凝視すると、白銀の甲冑をまとった黒髪の女性が、王家の紋章を施した権杖と盾を翳して、悠然と上半身を晒している。
『亡き主人を偲び、その墓を守っていくのが貞女の道と、一度は思い定めしが、武人の妻とは煩わしいもの。主人の愛した城と城下をこうも没義道に荒らされては是非もなし――』
 目じりが切れ上がり、冷酷ともいえる目付きだが、均整のとれた瓜実顔の中で、スッと高い鼻と薄い唇を組み合わせると、気品のある印象の良い顔立ちとなっている。
『静かに弔うことなどできようか。武張った亡き主人の素志を貫き、降車に向かう蟷螂の斧となりましょうぞ』
 窈窕たる未亡人は、冷たい無表情の口辺に微かな笑みを漂わせる。
『……』
 もはやサイア軍の将兵は声もない。
………
……

「それで徹底抗戦されているわけか?」
「御意……」
 ルイーゼが悄然と頷く。
「城内の士気は高く、『天命を尽くして、女神エリースの元へ逝くのであれば、それも上々よ。あの世でも亡きお館様に忠節を尽くすまでじゃ!』と兵士たちは口々に叫んでいるとか」
「片腹痛し!」
 オーギュストは憮然と懐手を組んだ。
「心を折るのが攻城戦の常套だというのに、敵兵の心に活を入れてどうする!」
 床板を蹴り鳴らして、窓際へ歩く。
「その未亡人に身内はいないのか?」
 居並ぶ部下に問う。
「近くの修道院に伯父がおります」
 その声は寝室の暗闇からした。一斉に視線が観音開きの扉に集まる。そこへ、膝丈の上着(ジュストコール)に、ベスト(ジレ)、膝丈のキュロット、そして、ジャボで首を飾った女性が現れる。伝統的な貴族衣装を見事に着こなした【ヴェロニカ・ロジーナ・フォン・ベルタ】である。
 濡れた、明るめの茶髪をだらりと腰まで垂らし、整った瓜実顔に、知的な印象のアンダーリムタイプのメガネをかけているが、鋭利過ぎる眼差しを隠し切れていない。
「ヴェロニカ」
「はい」
 オーギュストに名を呼ばれて、ヴェロニカは恭しく跪く。
「どうして分かる?」
「彼女は、わたくしと同じ地方騎士領の中小領主階級であり、寄宿学校の先輩後輩であり、遠い縁者であり、幼少より見知った者です」
「ほお」
 オーギュストは興味深くヴェロニカを見詰めた。
「ウラキ」
「はっ」
 しばらくして直臣の名を呼ぶ。
「行って、その伯父を捉えよ。そして、姪を説得させろ」
「御意」
 その間も、決してヴェロニカから視線を外さない。そのヴェロニカも、全く臆していない。瞬きもなしに、真っ直ぐ赤い瞳を見返している。


「よし行くぞ」
 新しい軍服に着替えて、小奇麗になったヤンが、気合いを入れて貴賓館に改めて向かった。
 玄関扉は、シンプルながらも精巧な彫刻が丁寧に施されて、重厚な趣に溢れている。
 玄関を入ると、正面奥に赤い絨毯が敷かれた木製の階段が左右対称に二つあり、踊り場で合流して2階に昇っている。その階段の狭間、踊り場の下に、裏庭へ続く裏口があった。
 階段室から左右に廊下が伸び、右に秘書官のいる事務室と親衛隊のいる控室があり、左に食堂と配膳室があった。
「参謀本部の少佐のヤンだ」
 事務室の受付窓口で名を告げ、手続きを待っている間に、何気なく食堂を覗く。すぐに百貨店の一階と同じ香りを感じた。
 床は鏡のようにピカピカに磨かれている。また、壁は白漆喰塗りに腰板張りで、天井は格縁で幾何学模様をつくり、窓枠には滞酒なレリーフが意匠されている。
 そこに、白い水兵服を着た少女が三列に並んで座っている。
「あれは……」
 一列目は、稀に見る美少女と評判のサリス人親衛隊5人(73章参照)である。二列目は、アルティガルド人が4人(74章参照)、そして、三列目に見知らぬ少女が3人。
 壇上に、警備部長のライラ・シデリウスがいた。赤毛の前髪を白いヘアバンドで留めて広い額を出し、大きな眼鏡をかけている。長身で、臙脂革のワンピースの上からでも、その躍動的な肉体を感じ取れた。

「我々はエリートである――」
 ライラがきっぱりと断言する。
「上帝陛下には、稀代の大英雄であられ、一騎当千の武神、神算鬼謀の大軍師、深慮遠謀の覇者、不公正を憎み正義を愛する不世出の名君であられる」
 黒板の文字を指しながら、有らん限りの美辞麗句を散りばめて解説する。
「しかしながら、比類なき覇気と不屈の義務感を、不佞たる輩は、時に横暴とも独善とも評する。何たる卑陋、麁陋、賤劣。天の存在を知りもしない虫けらの如し」
 涙を流さんばかりに嘆く。
「このように低俗な人々に呆れ果てられ、治世への興味を失われてしまわぬよう、その荒ぶる魂の暴走を止めることこそ我々の使命」
 ぐっと眼鏡を持ち上げて、少女たちに迫る。
「故に、我々こそが、真に、この世界を守る唯一無二の機関である」
「はい」
 少女たちは、誇り高く返事する。それにライラは満足げに頷いた。
「よろしい。では、次のページを」
 一斉に教科書を捲る音がする。
「まず禁止事項をあげる。行為前、不必要に甘えてはいけない。行為中、決しておねだりをしてはいけない。行為後、執拗に添い寝をし続けてはいけない。速やかに退室すべし」
 長い指を優雅に折る。
「次に夜伽について説明する。一般的に三つの役割がある」
 黒板の『正』『副』『予備』の三つの文字を書く。
「基本的に『正』が情けを受けるが、動けない場合には『副』が口で掃除を行う。また、不測の事態には『予備』が速やかに駆け付けること」
「はい」
 少女たちは熱心にメモを取る。

「これは……」
 もう二度と後退などしないと自らに誓ったヤンだったが、半ば呆然として、無意識に一歩後ずさりしていた。
「あれ? ヤン君、来てたんだーぁ」
 そこへ、呑気な明るい声が玄関ホールに木霊して、ヤンは我に返った。
 階段と階段の間の裏口から、ランが入ってくる。
 麦わら帽子に、シンプルなエメラルドグリーンのフリル付きビキニに、足首まである白いレースパレオを腰に巻いている。そして、右手に大きめのピクニックバスケットをぶら下げ、左手にはトリュフのたっぷり入ったクレープを掴んでいる。
「何、武勇伝を自慢しに来たの?」
 少年のような悪戯娘の笑顔で言うと、クレープを大きな口で頬張った。
「聞いてるぜ。見事な殿軍だったって。上層部でも評判だぜ」
 口元にシュガーバターをたっぷりつけた状態で、親指をぐっと立てる。
「そいつは有難いね」
 ヤンは微かにはにかみ、小さく頷いた。
「ヒューヒュー、またご出世ですか。仕事熱熱心だねぇ、女房子供を泣かせんなよ」
 舌で唇を舐め回して、蝶のように軽い口調で言う。そして、ヤンの視線の後を追跡して、食堂の中を見遣る。
「何、好みの子いた?」
「そんなんじゃない」
 慌てて手を振り、否定する。
「ふーん」
 ランは低い波長で一度鼻を鳴らす。それから一呼吸考えて、すーぅと鼻をすすり力強く踏み出す。
「お、おい……」
 ヤンの傍らをすり抜けて、ずかずかとその食堂に入っていく。
「こんにちは。ご精が出ますね。これ少佐からよかったらどうぞ」
 ドアの開く大きな音で全員が注目する中、手短に挨拶を済ませて、お菓子の入った箱を教壇の上に置く。そして、何事もなかったように出てくる。
「……ぅ」
 ライラが激怒すると思ったが、ほぼ無視して、黒板に向かっている。一方、選りすぐりの美少女たちは、窓越しに不審な眼差しを注いでくる。またヤンは一歩怯む。
「……おい」
 呆気にとられているヤンを尻目に、ランは、今度は反対の受付窓に向かい、そこでも、お菓子の差し入れを行った。
「はい、どうぞ」
「あ、あ、ありがとう」
 それから、振り向いて、認証札を一枚手渡して微笑む。
「行こうか」
「ああ」
 ランの予想外の行動に、戸惑いを隠しきれない。
 館の中央の暗い階段を上ると、こぢんまりとした広間があり、玄関ポーチ上のバルコニーから光が差し込んで比較的明るい。
「交代まだなの。はい、あげる」
 窓の脇に箱型の詰所があり、親衛隊が立哨している。ランは、彼女にもマカロンを一つ手渡す。
 一階同様左右に廊下が伸びている。
 右側の廊下は、暗く人気はない。『上帝軍幕僚本部幹部』の個室になっている。
 左側の廊下の先に無骨な厚い石壁の鐘塔があり、その手前に貴賓室、寝室、化粧室と並び、廊下を挟んだ向かいに遊戯室がある。
「あれ、秘書官がいない」
 貴賓室前に置かれた机は無人である。ランは訝しそうに遊戯室を見た。調度、その遊戯室から人が出てくる。
 緩やかにウェーブしたロングヘアーを華やかにハーフアップしたアンである。彼女も水着姿で、カラフルなボタニカル柄のフリルがふわふわ揺れるバンドゥビキニの上に、ピンクのパーカーを羽織っている。
「何かあった?」
「転向者が身内を売ったのよ」
 アンは口元を押さえて、大きな瞳を左右に動かしながら不謹慎に微笑む。今にも小躍りしそうな雰囲気だった。
「へーえ、意外とタフなんだ」
 ランは左人差し指を頬に当てて、右上へ瞳を動かす。そして、小刻みに何度も頷きながら独り感想をもらす。
「そう。さっきからアルティガルド人が騒いでいるわ」
 アンは、軽く小馬鹿にしたような口調で、然も楽しそうに囁く。そして、ちらりと背後の遊戯室へ視線を誘導する。ランとヤンは誘われるままに、遊戯室内のビリヤード台を見遣る。と、ルイーゼとマルティナ、それにベアトリックスの副官が、顔を近付けて深刻な表情で話し合っていた。
「あの彼女たちが、目を合わせて会話するなんて。あらあら一大事だ」
 ランはあからさまに茶化す。
――なんなんだ、この二人は……。
 女子二人の会話に、ヤンはついて行けない。
――こんな面もあったんだ……。
 幼馴染でもあり、よく知る二人の新たな一面を見てしまい面食らってしまう。ただ、口を挟まずにじっと見守った。
「何せ、大逆者ロマンの片腕だった女が参戦表明だもの。勝手に描いていたアルティガルド分割案も修正が必要になるかも」
「まさに海も見えぬに船用意、ね」
「今頃――」
 アンは無人の席を冷やかに見遣る。
「あの【詩の朗読会】に飼いならされた秘書官たちは、セリアに伝令を送るために駆け回っているわ」
「忠犬だ」
「あんたの弟子も、とんでもないタマを拾ってきたものね」
「昔から、面白さに対する嗅覚が半端ない奴だから」
「あら、ヤン少佐」
 ようやくアンはヤンに気付く。
「また昇進? さすがね。今度コツを教えて。じゃ」
 軽い口調で挨拶をすませると、ウィンクを残して去っていく。
「はっ、畏れ入ります。顧問殿」
 ヤンは敬礼する。彼女とは旧知であり、随分親しく接していたが今は身分が違う。
『女は出世するねぇ』(70章参照)
 かつてナンが言った言葉が甦る。
 艶やかな水城姿に身を包んだ美女は、今では、決して手の届かない遥か高嶺に咲く花なのだ。
 そして、不覚にも、ランに従ってのこのこ2階に昇ってきたが、ここは自分がおいそれと踏み込んで良い場所ではないことにようやく気付く。
「……」
 無言でアンの背中を見送る。その間に、ランは勝手に秘書席の後ろに回り込んでいる。
 トントン!
 左手で重厚なドアをノックして、返事を待たずに、右手で黄金のドアノブを回した。
「おい」
 ランの大胆な行動に、一瞬呼吸が止まり、思わず石膏のように体が固まったが、今度ばかりは本気で止めにかかる。
「あれ、開かない」
 運が良いことに鍵がかかっていた。
「はぁ、……っておいおい!?」
 思わず安堵のため息をつくが、それでも、ランはノックとドアノブ回しを止めようとしていない。
「おっかしいなぁ」
「おかしくない!」
「ちょ、ちょっ、何すんのよ?」
 呑気な声で首を捻るランを、遂にヤンは引っ張ってドアの前から剥がす。
 その時、ドアが内側から開く。そして、オリーブ色の貴族衣装をまとった美女が出てくる。
「……」
 思わぬ展開に、ヤンとランは無言で立ち尽くす。
「お呼びですよ」
「そう」
 髪を直しながら、ヴェロニカがランを見る。否、見るという表現では語弊がある。明らかに、敵意丸出しに睨んだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
 ヴェロニカは、エレガントな口調で囁くと、ドアの前を一歩譲る。そして、まるで吊られているように背筋をぴーんと伸び、足の裏に一枚紙を挟んでいるように浮遊感のある歩き方で去って行く。
――あれが女傑……さすが立居振舞いが颯爽としている……。
 その後姿にヤンはしばらく見惚れていたが、ランのさらに元気な声で現実に引き戻された。
「お疲れさまでーぇす」
 ランは堂々と貴賓室に入室する。そんなランと入れ違いに、一匹の黒猫が飛び出てきて、ヤンの足元をぐるぐると回り、その後、然も興味なさげに首を後足で掻き始めた。
 貴賓室は大理石の床に華やかな絨毯が敷かれている。壁には、豪華絢爛な金唐革紙が貼られ、金箔や銀箔が美しい光沢を放っている。また、天井中央部には、薄雲の掛かった青空に天使が舞っていた。一見して一階よりも豪華で、世界の覇者にふさわしい煌びやかな内装となっている。
 ソファーにバスローブ姿のオーギュストが坐り、オットマンに脚を投げ出している。その隙だらけの姿勢が、逆にそら恐ろしい。
――呼吸が引き込まれる……。
 多少剣を学んだから気付けるが、対峙した瞬間に、息の吐き方から心臓の鼓動のタイミングまですべてが同調されている。こちらがどう動こうが、一瞬早く反応されてしまう……そんな予感に恐懼する。
「おお、ヤンか」
「ヤン少佐、参上致しました」
 オーギュストが寛いだ声で話しかけてくると、ヤンは慌ただしく跪く。
「小官こと、上帝陛下より大命を仰せつかりながら任務を果たすこと叶わず、陛下の兵を多く失い、敵をして勝ち誇らせました。この罪、万死値しますが、事の次第をご報告せねばと愚考し、おめおめと帰還いたしました。敗戦の罪はすべて参謀たる小官にあります。どうか他の者には寛大なるご処置を賜りたく願い申し上げます」
「ああ、謝罪には及ばぬ」
 オーギュストは、軽く手を振る。
「そうよ」
 予期せず、隣にいたランが口をはさむ。
 臣下としてあり得ない行為だ。さらに、無礼千万にも、頭を垂れず、許しもなく、勝手にオーギュストに近付いていく。
「ヤン君のおかげでルートヴィヒ君の命は救われたって言ってたじゃない」
 然も馴れ馴れしく告げるランに、オーギュストは怒ることもなく、黙ってオットマンから足を下ろす。そして、その空いた席にランは腰掛けた。
 ランは麦わら帽子を取っている。アッシュベージュに染められた髪は7:3に分けられて、ボリュームのある方の前髪をななめに流し、タイトな方はかき上げて耳を出して、貝殻の髪留めでまとめている。
「……」
 ヤンは霹靂に打たれたように息をのんだ。膝がガタガタと揺れて止めることができない。刹那、ぐっと血潮が頭へ登り、顔中が燃えるように熱くなる。余りに熱過ぎて逆に背筋を寒く感じた。一気に汗が噴き出して、肌がちりちりと痛い。
――何も分からない……否、何もかもがはっきりと分かった!
 任務中の洒落た水着、高級菓子の大盤振る舞い、ライラの態度、アンとの会話、後宮女性への嫌味、オーギュストへの擦り寄りなどなど、全ての違和感が氷解していく。
「何より――」
 逆光の中で、オーギュストが喋っている。
――会話とは、こんなにも難しかっただろうか……。
 しかし、口の動きは見えるが、一つ一つの音が言葉として繋がらない。まるで外国語のようで、何を言っているのかさっぱり理解できない。
 それでも、一向に危機感はない。
 心がシャットダウンしたように何も寄せ付けず、脳の9割が無機質な鉛にでもなったように機能しない。
「ナルセスの息子を逃がしたのは正解だった。何も占領地などに拘る必要はない。逆に戦線が拡大して、奴らも困っていることだろう」
「良かったね、ヤン君」
「……」
 ランが素敵な笑顔で振りむいた。見たこともないほど輝き、綺麗で、魅力的で、そして何より婀娜っぽい表情だった。
「少し休め。渡河作戦はこれからが本腰だ」
「……はぁ」
「数か所の渡河ポイントにちょっかいを出しているが、どうしてどうして、敵の指揮官の反応が良く、部下も的確に動いて優秀だ。うちなら、5人もいれば一人はドジが混じっていて、そこから綻びができそうだが。あははは」
「はい……」
 オーギュストは饒舌に近況を語った。しかし、ヤンは曖昧な相槌を返すだけで、アルティガルドのシュナイダー将軍の能力やその策略について進言の一つもできなかった。


「ではゆっくり休め」
「御意……」
 そして、話が途切れ、ヤンは言葉もなく退室する。
「あー、ホッとした。ヤン君、深刻そうだったから」
 棒読みで告げる。言葉とは裏腹に、心はもう別の事に囚われている。ランは一気にアイスコーヒーを飲み干した。
「お前は酷い女だな」
「何が?」
 心底驚いた顔を向ける。
「否、何、この水着は少年たちには目の毒だと思ったのさ」
「ただのビキニじゃん。今時の女の子は、みんなこの位着るの」
「女の格が上がったと言う事さ」
 オーギュストは、ソファーに凭れて脚を組む。
「なにそれ? 全然わかんない」
「今は分からんでも、9週間半もすれば分かるさ」
「さっぱり理解できない――ヤァ!」
 ランは膨れ面で、右足を延ばしてオーギュストの脛を蹴る。
「隙アリ」
 もう一回蹴ろうとするが、今度はオーギュストに簡単に掴まれてしまった。そして、その細く美しい脚を、膝の上にのせられて、指先から踝、脹脛、膝と、ゆっくりと撫でられていく。
「感心だ。綺麗に手入れもしているな」
 オーギュストの手は、無駄な脂肪がなく、よく引き締まり、つるつるに磨かれた美脚を存分に堪能する。
「やめろぉ」
 オットマンの端に背中を預けて、今度は左足でオーギュストの肩を衝くように蹴る。
「行儀の悪い娘だ。お仕置きだ」
 それも簡単に掴まれる。
「きゃあ――嫌だ、いやだいやだいやだ……」
 オーギュストは両足首を掴んで持ち上げ、腰をひっくり返して、股間を仰向けにした。
「毛の処理も完璧だな」
 エメラルドグリーンのパンツの下に、はにかむランの顔がある。そこに話しかけながら、パンツの縁を指先でなぞっていく。
「ヘンタイ」
「そう。変態どもが常に視姦しているぞ。油断するなよ」
 軽く笑いながら、小さな尻と細い太腿も撫でていく。
「いいのかよ……」
 ランは、火を噴くように顔を真っ赤にしている。
「うん?」
「あたしの裸が他の男どもに見られても、いいのかよ?」
「いい訳ないだろう!」
 刹那、オーギュストの表情が一変する。野獣のように厳しい顔でランを見下ろしながら、獣のような声で言い放つ。
「……」
 蛇に睨まれた蛙のように、すっかり竦んでしまった。
オーギュストは、その顎の先を掴むと、じっくりと怯える瞳の奥を覗き込む。紅い光が、網膜に焼き付くようだった。
「ランちゃんは、俺の女だ」
 一転して、緩やかに笑みを浮かべて囁く。
「うん」
 恐怖からの反動で、ランは瞳を潤ませて頷く。その揺れる瞳を見据えながら、オーギュストは女陰の上のパンツを噛む。
「ああン」
 その荒々しさに、ランが甘く喘ぐ。
 オーギュストは、パンツを縁にめくり、端に寄せる。ふぁっと淫臭が溢れ出す。美しい百合の花が、雷雨の後のように濡れ光っていた。その色素の薄い花弁は、繊毛もなく縮れもなく、僅かに開きかけた隙間から鮮やかなピンク色の果肉を覗かせている。
「ひきゃっ……あああん」
 舌先を二枚の花びらの間に割れ入れて、泉のように湧き出た蜜を舐め取る。
 舌の触れる感触に、一瞬身体は弾かれたように硬直させ、口から短い悲鳴をもらす。直後、蕩けるように弛緩させて、唇からは甘い吐息を吐き出し始めた。
「あっ、っあっ、いい……」
 勝手に腰が浮かんでしまい、軽い絶頂へと誘われていく。
「ランちゃんはいやらしいね」
「そ、そんな…こと……ない……イイっ! そこイイッ!!」
 拗ねたように否定しようとしたが、オーギュストがアナルを弄り出すと、忽ち、秘密の穴が、法螺貝のようにぽっかりとひらいて底深い神秘の暗がりから蜜を吹き上げる。
「あーっ、も、もっと、あっ、あっ、あーーん、いいッ!」
 ずるずると音をたてて甘酸っぱい蜜を啜る。その音に合わせるように、ランは喘ぎ声をリズミカルに奏でる。
「いいぃ……いっ、いくぅ、イクぅぅぅうん!」
 オーギュストの顔を太腿で強く締めて、しなやかな背中を仰け反らして、首で身体を支えながら顎を突き上げて絶頂を告げる。
「ああ、あ……はぁ、はぁ、ぁぁ……」
 ブリッジが落ちて、釣られた鮎のようにぴくぴくと痙攣させると、淫靡に荒い息を吐き続けた。
「かわいいよ」
 オーギュストは身を屈めて、濡れた唇で、ランの額の汗を舐める。
「キスはイヤ」
「へ?」
「さっきまで……」
「うん?」
「あの女としてたでしょ……」
「ああ、世界一服を着るのが速い女のことか?」
 オーギュストはやや上体を起こして、笑いながら、細い脚を小脇に抱える。
「そうなんだ」
 好奇心に顔が輝く。すっかり先程までの抵抗の演技を忘れてしまっている。
「いいじゃないか、お前には――」
 言いながら、腰から尻にかけて、吸いつくように撫でる。
「世界一の、この括れと締まった小さな尻がある」
「あたしは下半身しか必要ないの?」
 目を厳しく顰めて、口を盛大に尖らせる。
「おっぱいも控え目でかわいいさ」
「もう……あ、あーん」
 左右の乳ぶさを絞るように揉まれると、密着させた腰をくねくねと悶えさせる。
「だめよ、これ以上は……。すぐに次の謁見希望者来るわよ……う……うぐ」
「尻を振りながらいうな」
 熱い吐息をもらす唇を塞がれると、すぐに、舌と舌の絡まる濡れた音が響き始めた。
 くちゅくちゅ、ぴちゅぴちゃ。
 淫猥な水音に混じって、ランの鼻からもれた呻き声が響く。
「ううぐぅ、んんん……」
 いつまでも、ふしだらな接吻に耽る。
 が、突然、この悦楽の時間を、無粋なノックの音が中断させる。
「ほら」
 オーギュストが尻を叩く。
「もーぉ……」
 不服そうに、ランは唇を離す。
「自室でオナニーしてろ」
「そんなことしないもん。したこともないもん」
「分かった……寝室で待ってろ」
「うん、お尻を洗ってくるね」
 根負けして、寝室への入室を許す。と、ランは顔の横で指を鳴らして喜び、小躍りするように歩き出す。


 夕暮れ時、さっと雨が降った。憤怒をもたらす暑さは幾分去り、大河から涼しい風が舞い込んでくる。
 プールサイドでは、幾つも焚火が炊かれて、酒宴が催されている。また、ライトアップされた水の中を泳ぐ女たちは、まるで眼帯のような際どい水着を着ていた。
「おい、あの巨乳を見ろよ」
「ヴェロニカ・ロジーナ・フォン・ベルタじゃないか」
「叛乱軍の女傑だった?」
「ああ、ロマン・ベルント・フォン・プラッツの片腕だった」
「いやいや、ロマンは思想家で、理論や実務は彼女が担っていたらしいぜ」
「昔演説を聞いたことがある。頭の回転が速くて、とにかく口が達者だった」
「元々は大手ゼネコンのエリートで、部下や下請けに無茶苦茶厳しかったらしいぞ」
「そんな『出来るキャリアウーマン』が、何だ、あの水着は?」
「まったく裸同然だな」
「上から89、57、86だな」
「変われば変わるものだ」
「女とは強かなのさ」
「いやいや、あのロマンも今ではアルテブルグの下町で、港湾労働者相手に男妾をしているそうだぞ」
「まだ生きているのか?」
 プールサイドのカフェバーで、情報部の男たちが、ビール片手に泳ぐ女のことを話している。
「……」
 丸テーブルに一人座るヤンは耳を塞ぎたい気分を我慢しつつ、ビールを一口に含む。すぐに喉の奥がピリピリと痺れ、口全体に麦の苦さが広がる。渋い表情で泡の付いた口元を袖で拭こうとして、慌てて止める。
 ヤンは、着なれた軍服から、敢えてモスグリーンの貴族服に着替えていた。
――それにしても……。
 テーブルにレターセットを広げて、ペン先を咥えながら、一人想う。
 自分のすぐそばに、こんなにもセックスが迫っていたとは思わなかった。武勲や爵禄のことばかり考えているうちに、自分だけが取り残されていたと気付く。
「拝啓……アンナ様」
 便箋にペンを走らせた。許嫁であるアンナ・デ・ナバール(72章参照)宛ての手紙である。
 昼間の謁見以来、どうしてか、この戦役以前のランの姿を何一つ思い出すことができない。少年少女の頃から、剣士として軍人として、いろいろな苦楽を共にしてきたはずなのだが、平坦な感情しか心に残っていない。
――ああいう女だった……。
 初めから向こう側の女だったのだろう、と思う。
 高級だが露出の多い服装でちゃらちゃらと媚を売り、豪華絢爛な密室の中で女同士の権力争いに一喜一憂している。その生き馬の目を抜くようなバイタリティーには敬意を払うが、人の生き方として理想像とは言い難い。
 それに比べて、バナール男爵家の令嬢アンナは楚々として慎み深い……、無骨な自分に相応しい女性……、僅かな面識しかないがそんな印象がある。特に根拠はないが、考えるほどに堅固な確信となってくる。
 何せ、名門ナバール家の末裔であり、あのリューフの養女であり、オーギュストの推薦である。常識的に考えて、疑う理由は一つも見つからない。
「この戦争の後、私たち二人でナバール家を復興いたしましょう。その際は……」
一つ、関所で税を徴収しない。
一つ、農民に正規の年貢以外の不法な税を徴収しない。
一つ、裁判は念入りに調査して判決を下す。
 一つ、旧臣や縁者を積極的に雇用する。その際、以前の上司に連絡してから採用する。
 一つ、領地を一人占めせず、家臣に分配し、決して欲張らない。
 一つ、忠誠を尽くす者を取り立てる。
 一つ、旧来の住民たちは丁寧に扱いながらも警戒を怠らない。
 一つ、諸城は堅固に修復する。
 一つ、武器・兵糧などは充分に備蓄する。
 一つ、インフラ整備に取り組む。
 一つ、境界争いは慎重に行う。
 以上、11ヶ条の訓令を書き示した。


 暗い部屋の窓ガラスに手が這う。
「あっ……、駄目……こんな所…見えちゃう……」
 ランが必死に呻く。
 遥彼方まで満天の星空が広がる。遠く、月明りに照らされて大河を渡る船が見える。そして、地上にはたくさんの篝火が焚かれて、人の歩く姿も十分に確認できた。
「んあっ! ンっ! んあっ! あっ!」
 白い乳肌に青い筋が浮かんだ乳ぶさを、がっちりと鷲掴みにされて、激しく腰を打ち付けられている。
「無理よ……ゆっ…して……あっ、ああん」
 もし何気なく衛兵が振り返り、そして、見上げれば、……見えてしまうだろう。否、もうどこかで誰からが、こちらを見ているかもしれない。
「おお、締まる――」
 オーギュストが嬉々とした声を上げた。
「やっぱりランちゃんはヘンタイだな」
「ちぃ、ちっ、ちがうもん……うあっ!」
「何が違う?」
 地を這うような冷たい声で質される。
「もう何度もっ…絶頂しちゃってるから……もうっ…イクぅのが止まらなくなっ…っちゃったから…んあっ…あんんんっ!」
 指先に力を入り、爪が窓ガラスにキリキリと悲鳴を上げさせる。同時に、白い歯の間から吹き出す喘ぎ声が、今にも窓ガラスを壊れんばかりに震わす。
「この窓が割れれば、男たちがすぐに駆け付けるだろうよ。どうする? ヴェロニカみたいに露出サービスするのか?」
「いやっ……」
「あの女は、俺の命令なら何でもするぞ」
 項をべろりとオーギュストが舐める。
「オナニーするか、ションベンもらすか?」
「いっ…いやぁああん!!」
 ランは蓬髪の頭を振り乱して、汗に蒸れた裸体を悶えさせる。
――あれは?
 中庭の隅に親衛隊隊員を見付ける。任務が終わった後に、一心不乱に剣の素振りを行っている。
――ああ、昔のあたしがいる……。
 見知った顔、見慣れた制服、繰り返される日課、外の風景は紛うことなき現実だった。しかし、現実過ぎて、逆に現実感がない。
 なぜ自分は、裸で前屈みとなり、顔を窓に押し付け、脚を突っ張って、尻を頭よりも高く位置まで持ち上げて、まるで尻を捧げるように性交しているのか……記憶があやふやになっている。
――彼は少年のままの眼差しだった……。
 ふいに懐かしい顔が浮かんだ。二人で稽古していた頃が、はるか昔のように思えた。地続きの想い出はなく、時間に大きな断裂があり、決して戻ることはできない……。
「気持ちいいんだろ?」
 耳元でささやかれて、火照った頬を、ねっとりと舐め上げられる。
 この声の主によって肉欲を教えられなければ、今もあそこで、あの子と剣を振っていたのだろうか……。
 頭の片隅で淡い感情が、泥濘の泡のように一瞬浮かんですぐに消え去った。
 そして、胸の奥、肋骨の裏側、心臓の中心にある何かが妖しく蠢く。
――違う!
 蕾が花になるように、須らく少女は女に成長するもの。誰もが経て至る道。これこそが、大人の女性の悦びなのだ。
 自分の身体にこんなにも広がる穴があることを、その穴の中がこんなにも濡れ溢れることを、そして、その穴を熱く堅く太い肉の塊で埋め尽くされることが、こんなにも至福であることも知らなかった。何も知らない小娘とは、もはや違う。成長したこの肉体では、この湧き上がる肉のざわめきを止める術はない。
 次第に、手が痺れて、歯がガタガタと鳴り、膝がゆらゆらとグラつく。
「ううーんッ、気持ちイイぃですぅ!」
 瞳を淫蕩に潤ませて、甘ったるい鼻声で破廉恥に叫び上げる。
「おまんこ……イイッ!!」
 叫べば叫ぶほどに、全身に怪しげな興奮が高まっていく。
――もっと叫ぼう…叫ばなくちゃ……。なぜなら、あたしはもうこちら側の人間なのだから……。
 パン、パン、パンという肉のぶつかり合う音より、ぬちゃ、ぺちゃ、くちゃ、という濡れた水音の方が遥かに大きくなった。
「ああ……ご主人様、ランを捨てないで……もっと…もっと……かわいがってくださいぃいい……」
 無意識に譫言のように囁くと、天から声がした。
「いいだろう」
 入り口付近で、稲妻のように高速で激しく擦る。
「うぐぐぐぅんーん……」
 膝が笑う。内股に捩じれる。腰を屈める。背中が曲がる。首が折れる。奥歯を噛み締める。まるでエビのように丸くなる。
「ハッ!? ……っぐッ!」
 次の瞬間、一気に奥まで衝き抜かれる。ビクリッと頭が跳ねて、弓のように仰け反り、脚がガリ股になった。
「ひぃ、ひーぃん……」
 膣奥を叩かれた後、傘の張った肉棒をゆっくりと引かれる。膣肉を鉋で削るような感覚に、爪を立て、背中を波打たせ、喉を絞って絹を裂くような悲鳴を上げる。
「あああん、うぐぐうううん、ほぅッ、ふうーーん!!」
 再度、入り口をかき回された後、突き入れられる。
「はっ、うーん!!」
 まるで空気銃の如く、口から押し出されるように喘ぎ声が吹き出る。
「こっちを見ろ」
 オーギュストは不意に顎を掴んで、その涎の垂れた顔を後ろに振り向かせる。
「いい貌だ」
 好色に笑う。
 びちゅ、ちっちゅーん!
 そして、だらしなく開いた唇を食い千切らんばかりに奪う。
「ちゃんとオナニーしてる?」
「……」
「ほら」
「あんン」
 一度腰を振られて催促されると、ランは素直に悶える。
「ま、毎朝、しているよぉ」
「何をおかずに?」
「ギュス様を」
「何処でイクんだ?」
「お、ぉ尻の穴に指を入れると、イッちゃう」
「いい子だ」
 ぐちゅぐちゅちゅ……。
 オーギュストはもう一度噛み付くようにキスをして、べっとりと舌を絡める。
「さて、ここからが本番だぞ」
 突然、膝の裏側に手を差し込まれて、ランは軽々と持ち上げられる。
「ひゃっ」
 不意の浮遊感に絶頂時の感覚を思い出す。もはや思考のすべてがセックスに結びつくようになった。
「おらおらおら!」
 抱き上げたまま、下から激しく尻を突き上げる。脚は大きく開かれ、股は無防備にさらされている。
「イイイイイイっ……クううううううっ!」
 上体を仰け反らせる。衝かれるたびに、際限なく膨らみ続ける快楽がついに破裂を迎える。
「…ぃ…あッ、ひぁッ、あぁ…ッ…ぁ、あ、あ……ッ~ッ…あぁぁあぁ~~~~~ッッ!!!!」
 もはや言葉さえ紡げず、只々喘ぎまくる。
「はぁ…んぁ…ふっ…ぅ……」
 オーギュストは、糸の切れた人形のように脱力したランをベッドに放り出した。
「ラン、気持ち良さそう……」
 赤い短髪の女が人差し指を咥えて、まるでお預けを命じられた小犬のような顔をしてランの顔を覗き込む。
「ルイーゼ、お前の番だ」
「はい、ギュス様」
 娼婦のように笑った。戦術担当の幕僚として、全サリス軍を指揮する女である。常に戦闘的な顔立ちして、切れ味鋭い口上で、屈強な男たちを小間使い同然に扱う。そんな女が、丸裸で、舌足らずにまるで飼い犬のように媚び諂っている。
「お掃除致しますわ」
 そして、大きく紅唇を広げて、すっぽりと男根を根元まで咥え込む。淫臭が鼻を突き、眉間を険しく寄せた。それでも頬を窄めて、顔をゆすりだす。ムフン、ウフン、と鼻を鳴らした。
「むぅ……うがぅ、うむ」
 咽びながら、徐々に深くまで呑み込む。ついには脊髄まで突き抜けたと思えるほど深く咥え込んだ。
 そこから、ゆっくりと吐き出す。唾液の糸が橋のように伸びて、ルイーゼは涙目をして嗚咽する。
「ああん、苦しいのぉ、きもちいいぃ」
 赤く染まった貌を恍惚に輝かせる。
「お前だけ盛り上がってどうする」
「申し訳ございません」
「勝手な女だ」
 オーギュストは、ルイーゼを突き倒す。そして、その尻を2度3度と叩く。
「ひぃっ、ひぃーい、いあぁやんん」
 勝気な顔を歪ませて、裸体を打ち振るわせて、声を絞り出して泣きじゃくる。
「アリーセ、慰めてやれ…」
「畏まりました」
 裸体をきつく縛られて隅に控えていた【アリーセ・アーケ・フォン・ハルテンベルク】が這ってきて、ルイーゼの脚の間に顔を潜り込ませる。
 女の秘所は、バラを思わせるように肉襞が縮れて伸びている。それをルイーゼは自ら指先で開いた。
「さあ、お舐め」
 剥き出しになった媚肉に、黒ずんだ襞とは対照的に、鮮やかなピンク色をしていた。
 アリーセは舌を伸ばす。と同時に、自分の股間にも手を忍び込ませた。
「うぐぐぐぐん」
 アルティガルド王家の連枝たる子爵令嬢にクンニさせて、かつてのアルティガルド軍士官は感極まる。堪らず、ルイーゼは、シーツに千切れんばかりに握り締め、その皺の中に顔を埋めて、猛り狂う駿馬の嘶きのような嗚咽をもらした。
「ああん、上手よぉ。イッちゃうぅぅぅ!」
 舌をドリルのように使われて膣穴へ浸潤されると、全身に真珠のような汗を吹き上がらせて、淫猥な言葉を糸の引くように口走りつづける。
「……」
 ぐったりとして横たわるランが、乱れた髪の下からオーギュストを射すように見詰める。
 焼くような嫉妬の念が胸に焦げ付き、言い知れぬ寂寥感が心を逆撫でする。
「もっとかわいがって欲しければ、俺を楽しませろ」
 その視線に気付き、オーギュストはランの隣に寝る。そして、腰の上に跨るように促した。
「はい」
 素直に頷くと、瞬間、全身がゾワゾワと戦慄く。まるで信号が身体を打って、スイッチを入れたようだった。
「あ、うん、あん」
 肉棒を手で握り、その先端を膣口に宛がい、小刻みに腰を前後に動かす。濡れた秘肉の甘美な柔らかさで擦り、まるでスポンジのようにして愛液を塗り付ける。
「うっ……くぅん」
 ぐっと腰を下ろして、臍の上で反り返った極太の曲刀を飲み込む。と、膣口が限界まで広げられ、臍側の膣肉がざくりと抉られていく。眉を寄せ、唇を噛み、一瞬の苦痛に耐えると、次に、腹の底をぐぐっと圧迫されて、口から喘ぎ声が押し出された。
「あー、あ―、あーぁ」
 オーギュストと手を絡めて、身体を支えられながら、横隔膜から下を意識して、ゆっくりと大きく腰を前後に振り出す。
「あ、あ、あ、あ、ああぁ」
 次第に早くなっていく。
「ああん、いいッ」
 手を離し、上体をやや反らして、オーギュストの太ももの上に手を置く。そして、下腹部を前方上部へ突き上げるように動かす。自分で感じるポイントを的確に刺激する。
「いーーっ、ぃいっ」
 軽く絶頂に達した。頭が霞み平衡感覚が鈍り、手足が微かに痙攣した。もう腰を振れない。その瞬間、オーギュストが下から突き上げた。
「おおん、当たるぅぅん」
 子宮口を叩かれて、思わず下腹部に手を当てて、天を仰ぎ、目を剥く。
「あう、あおぅ 奥に、当たっちゃうのぉ!」
 腰の上で何度か跳ね上がった後、胸の上に手を添えて、しゃがみこんだ格好となり、上下に激しく弾む。まるで罰を受けるようにパンパンパンと肉の音を響かせて、自虐的に動き続ける。
「あぁーん、ううーん」
 限界に達すると、上下運動を止め、尻で円を描くように回す。
「いやん……あっ、あっ、あっ!」
 オーギュストが腰を掴んで揺さぶる。それに合わせて、一心不乱に腰を振り始めた。
 上体を一切揺らさずに、腰だけを前後に振り続ける。小ぶりな尻肉が笑窪のように窪んで、リズム畳んだ脚がゆれてまるでボートを漕いでいるようだった。
「ラン、相変わらず上手いな」
「恐悦です……あっ、うぅんんーん」
――ああ、あたしはもうセックスのプロなんだ……
 褒められずとも自分のセックスの巧さを実感している。本当に自分はセックスで奉仕するためだけに生まれてきたのかもしれない、と妖艶な熱に魘された頭でぼんやり思う。
「どうぞこのまま中にお出し下さい。あああん、もういっちゃううううん!」
 ランは騎乗位で絶頂する。
――ああ、あたしはこれから世界の富の数パーセントを支配する女になるのね……下々はあたしの前に平伏し…永久にその美しさを称えるようになる……。
「か、かい、快感っ!」
 両手で顔を包み込み、ぶるぶるっと締まって均整のとれた裸体を身震いさせた。
 ランの心が欲得に酔い痴れる。頭が痺れて、もはや何も考えられない。己が至ったのが、光り輝く黄金郷なのか、穢れない純白の理想郷なのか、それとも、酸いも甘いも真っ黒に塗り潰した世界なのか、もはや分からない。もしかしたら真っ赤なのかもしれない……と思う。

 早朝、紫色に霞んだ高窓に、小さな砂金の粒がぴかっと光った。次第に、ぐんぐん大きく広がって、高窓全体を一枚の黄金のキャンバスに変えていく。
 生まれたばかりの光は、柔らかく、粉のように白く細かい。どんよりと色褪せた部屋を白く染め抜いていく。
 シーツにくるまったランは、朝日の眩さに、思わず顔を顰め、頭の天辺までシーツを被って、もぞもぞと身体を丸くした。それは夜に生きる魔物が、聖なる太陽を嫌うような仕草だった。
 しかし、無駄な抵抗を続けている間も、時計の針は無情にも刻を刻んでいく。
「あ、あ、頭が重い……」
 ランは苦悶の表情で身体を起こし、四つん這いの格好になった。
「ランお姉さま、朝ですよ――まぁ」
 そこへ、猪野香子が勝手に入ってくる。そして、ランのあられもない姿に瞳を輝かせた。
「……ノックしろよ、ちょっとお!!」
「まあまあ」
 香子は、ランの尻に飛びついた。
「健全な女子なら、こんな健康的なお尻を見せられてじっとしていられませんよ」
 尻の割目に舌を這わせる。
「ひぃッ!」
 いきなりの衝撃に、ランは頭を下げ、顔を枕に突っ伏す。そして、反動で尻を高く突き上げた。
「頂きます」
 香子は、毬のように弾力のある女尻を両手でガッチリ掴み、左右に大きく開く。そして、尻穴にねっとり舌を差し込む。
「はぁーあああん」
 気の抜けた声が頭の天辺から抜ける。
 尻の穴にも、昨夜の愛の証が残っているかもしれない。そう思うと、カッと下腹部が熱くする。
……
………
 最後は、正常位で気が狂わんばかりの快楽に溺れた。鋼のような肉体で押さえ付けられ、圧倒的な力で組み伏せらせる。
――何をやっても逃げられない……。
 まるで股をカエルのように無様に脚を大きく広げられると、そのピストン運動に呼吸を合わせて、背中をうねらせ、尻を跳ね上げた。無論、両脚は腰に絡み詰ませ、腕は首にしっかりとしがみ付いている。
「んむっんむっんむ……」
 逃がすまいと肛肉が、肉塊にねっとり纏わりつき、肛門括約筋がキリキリと締め上げていく。同様にディープキスをかわす唇も、差し込まれた舌を咥えて離さない。呼吸さえも忘れて、舌を吸い、唾液を啜った。
「ああッ、いいッ、お尻がいいッ、お尻がとっても気持ちいいの~ぉ、お尻でイっちゃう……」
 口からペニスが出てきそうな、決して性器では味わえない甘美感に、肛門が痙攣を起こす。
「んぐぅぅ…がぁうぅぅ…ああああんッ!」
 直腸の奥に熱い迸りを感じると、快感のあまりに、白目を剥き、口の奥から獣のような悶絶の絶叫を放り出す。
「と、と、蕩けるぅ、溶けちゃう……」
 四肢の神経がオーギュストに乗っ取られてしまい、神経を守る肉体が、ドロドロに溶けて崩れていくように感じた。譫言のように口走った後、意識は途切れ、ひととき真っ白な世界を味わう。
………
……
 思わず、下腹部に手を当てる。指先に悦楽の炎が甦る。
――確かに、愛の証であるお情けを頂いた。
 女陰に満ち足りた思いが充満すると、太腿にまで性器から零れた愛液が滴り、薄い敷きマットに大きなしみを作っていく。忽ち、狭い部屋の中は強烈な性臭で充たされる。
「ううぅおおおお!!!!」
 アナルに指を入れられると、獣のように雄叫びをあげる。肉体の中心から、股間の穴を通して、生命のエキスをたっぷりと発射した。
「……ぁはぁ……」
 一通り、噴射し終えると、糸の切れた人形のようにうつ伏せに寝る。
「お姉さま、お尻の穴で潮吹くなんて素敵ですよ」
「はぁはぁはぁ、褒め言葉だと思って聞いておこう……はあはぁ」
「はい、褒めてますよ――でも」
 香子がランの上に重なり、耳たぶを啄みながら甘い声でささやく。
「ヴェロニカお姉さまは、クリ派だから、摘ままれると潮を噴射されますけど、それで地図を破ったこともありますよ。大したものです」
「アルティガルドの地図?」
「はい、穴の空いた地域を領地としてもらえるそうです」
「ほーお」
 香子を押しのけて、むっくりとランが起き上がる。
「お姉さま?」
「結構根性あるじゃない」
 憮然とした表情で呟くと、首をぐるりと回して関節と鳴らす。
「もしかしてお姉さまもやったんですか?」
「……」
 無言で廊下に出る。
「結果は?」
「……」
「何処を破ったんですか?」
「うるさい!」
 一発怒気を放って、勢いよくドアを閉める。
「あたしゃ、クジラじゃないってんの!」
 仏頂面で、廊下の突き当たりのシャワールームへ向かった。


 戦場とはいえ、朝の儀式がある。
 専属のメイドに介助させて、身体を洗い、歯を磨き、髪を結い、爪を磨き、化粧を施し、質素な服に着替えてから、女性たちは礼拝室に集まり、女神エリースへの祈りを捧げる。
 余談だが、顔のマッサージに一人、手足の爪の手入れに四人の計五人が取り付く光景は圧巻である。もう一つ余談、女性たちは一日にだいたい五回着替えを行う。さらにもう一つ、礼拝堂のオーギュストの席には、代理としてレッサーパンダのぬいぐるみが置かれている。
 その後、朝食をとりながら、医師の検診を受ける。メニューは、体重測定の結果によって日々変わる。


 朝食を終えたランは、寝室の扉の前に来る。礼拝用の服から、ラフな巻きワンピースに着替えていた。
――へえー…。
 先に来ていたヴェロニカと目が合う。
 驚くべきことに、ランの射るような視線を平然と受け止めて、逆に睨み返している。
「ごきげんよう、レディーラン様」
「ごきげんよう、男爵夫人様」
 互いに微笑を面に刷く。
「わたくしは爵位を持っていませんよ」
「それはご無礼を」
「いえいえ、お気使いなく」
「どこかで城を貰ったと聞いたものだから」
「まあ、そんな噂が?」
 ヴェロニカは小さく笑う。
「アリーセ様の間違いでしょう。あの方は、フリート攻略の功績で伯爵夫人に陞爵される予定ですから。わたくしは、まだ、何もしていません」
「そんなことはないでしょう。たいそうな秘技で、ギュス様の無聊を慰められたとか。それで褒美を頂いた、と評判ですよ」
「……」
「私も見たいなぁ。地図破り」
「……」
 一瞬、言葉に詰まり、細い眉が微か動く。しかし、すぐにきつく唇を結び直して、畳みかけてくるランに反論し始めた。
「何処に穴を?」
「さあ、地名を言っても、あなたは知らないでしょう?」
「くじら島かしら? 確か温泉があって、間欠泉で有名だったような」
「そんな島はない!」
 若干、かぶり気味に答えた。
 そこへアンがやってきた。
「おねだりは禁止の筈よ。そんな事、ねんねの小娘だって知ってるわ」
 足元へ視線を落として強く踏みしめる。それから、ランの横に並ぶ。
「ええ、承知しておりますとも。ですが、そんな堅苦しいものでは、ゲームの……」
「ゲームならば、はっきりと辞退を表明するべきでは?」
 アンは肩にかかった髪を払い除けた。
「……そうね。ですが、ギュス様が言い出されたことですし、そこには深い意味もありましょうから、わたくしが出しゃばるべきではないかと」
「ふふ、まるで虎の威を借る狐ね」
 横で聞いていたランが刺々しく笑った。
「所詮、ゲームはゲームよ」
「どうでしょう――」
 口元に軽く指を当てて、ヴェロニカは笑う。
「わたくしの能力を必要とされていらっしゃる――のかも」
 そして、得意そうに髪をゆすって胸を反らせる。
「一本の麦が育つ一片の土地もなく、忠誠を尽くす一兵すらいない女が、何ですって?」
「……っ!」
 アンに続いて、アリーセが現れた。
 ミディアムヘアの灰色がかった金髪で、髪先をふわりとカールさせてフェミニンにアレンジしている。そして、顔立ちは見惚れるほど清楚で際立って気品がある。
 嘲笑するアリーセに、ヴェロニカが視線を向けた時、他の女性たちも到着する。
「あなた達、お喋りが過ぎるわよ」
 険しくライラが言う。フェルディア出身者は、このアルティガルドの分割問題に対して冷やかである。
「それより、ちゃんとパンツは脱いだの?」
 言われて、慌てて、ランとアンが裾にたくし上げ手を差し込み、片脚を上げてシルクのパンティーを抜き取る。
 ぱたぱたぱた。
 そうこうしているうちに、寝室で猫が動く音がする。
 通称『枕猫』と呼ばれる黒い毛の種で、夜枕の代わりに使用すると熟睡でき、良い夢が見られるとされている。
 次に、オルゴールの鳴る音がした。オーギュストが目覚めた直後に聞く、爽やかな音楽である。
 壁際に一列に並んだ女性たちは、一斉にワンピースを脱ぐ。忠誠の証として、一糸も纏わぬ姿で首に革の首輪だけを巻いている。
 扉が僅かに開き、枕猫が出てくる。鼻をぴくぴく動かしながら尻尾をピーンと真っ直ぐに伸ばして女性たちの前を歩く。
 とても魔力に敏感なことで知られ、怪しげな魔術を察知すると尻尾をタワシの様に太らせ、全身の毛を逆立たせてシャーと鳴く。
 元々、その鳴き声は威嚇でしかなかったのだが、オーギュストが特殊なエサを与えることで、魔術の術式を打ち消す効果が加わった。故に、化粧などに幻覚やチャームなどを仕込むことはできない。
「おはようございます」
 扉が大きく開き始めると、裸の女性たちは一糸乱れず平伏する。
――世界一の男に抱かれて初めて、女の幸せを知ることができる!
――これにまさる名誉はない!
――女冥利だ!
――経験の浅い無知蒙昧には分かるまい!
 どの女性も、瞳を潤ませて、頬を紅潮させている。
 オーギュストは、仏頂面で、彼女たちの前を素通りして食卓へ向かう。そこに、少年の頃から愛用するサメの肝油が用意されている。スプーン一杯分を口に含むと、青筋を浮かべて今にも吐きそうな顔する。
「ああ~、目が覚めた」
 全身をぶるぶるっと震わせて、眼をぱっちりと開く。そして、再び寝室へと戻り始める。
「そうだ――」
 この日は、マルティナの前で歩を止めた。
「今日は軍議があったな」
「はい」
 マルティナが顔を上げて返事する。
「よし、ついて来い。兄に会う前に妹を可愛がるのも一興だろう」
「はい」
 嬉々として立ち上がって、オーギュストに従って、寝室から浴室へと向かう。
「さて……」
 ランはいそいそと立ち上がる。
「プールでも行く?」
「……」
 アンの誘いに無言で頷いた。


【9月、ティーアガルテン州】
「聖戦である!」
 草一本ないごつごつした岩肌の大地に、陽炎がゆらゆらと揺れる。熊の足のように大きな軍靴でしっかりと踏みしめれば、忽ち乾いた土埃が舞い上がった。
 白い髪をオールバックに固めた巨漢の男が鬼の形相で仁王立ちする。その背後に弓兵がきれいに整列し、その眼前に、目隠しに後ろ手に縛られた男達が並ばされている。
「最期に言い残すことはないか?」
 巨漢の男が問う。
「不条理だ!」
 一人が叫んだ。
「そうだ。我々は暴漢をしたわけではない」
「私たちは本当に愛し合っていたのだ」
「横暴すぎる」
 縛られた男たちは、懸命に弁明を繰り返す。
「女々しいぞ!」
 その声は、殺風景な陣内によく通った。
「ここは戦場であり、我々は戦士だ。兵たちの模範となるべき将校は、綱紀粛正を旨として、命令に忠実であらねばならない――」
 大きく目を瞠り、さらに声を張る。
「訓戒が出たのは一度や二度ではないぞ!!」
「何回なんだ?」
 覚えがない、と血を吐かんばかりに問い返す。
「3回だッ!!」
 吐き出された唾が、男たちの顔に吹きかかる。
「然るに、戒めるどころかお前たちは、女性下士官と不純な関係に至り、無駄な立ち話に耽り、髪を触り、手を握るなど酒池肉林な行為に及んだ。もはや断じて見逃すことはできぬ!」
「くっ……」
 苦悶の呻きが次々に漏れる。観念した男たちは、揃って肩を落とし、悔しそうに唇をかむ。
「もう一度言う。この戦いは祖国防衛の聖戦である。王家への忠誠心を鋼の肉体に宿し、屈強な精神を祖国に奉じ、王国軍に命を捧げるべし。個人的な感情など捨てて然るべし!!」
 巨漢が雄叫びとともに手を振り上げた。一斉に弓兵が構え、カチャカチャと言う無機質と音が鳴り渡った。
「必勝必罰は武門の寄って立つところ。覚悟致せ!!」
 怒号とともに鋭く振り下ろす。
 ひゅひゅう、と寒気のする音色が重なるように奏でられ、無数の矢が放たれた。次の瞬間、一時に男達の胸を貫く。無念の表情を滲ませながら、土埃の中に倒れ落ち、その血が荒れた大地に吸い込まれていく。
「将軍閣下、終わりました」
 巨漢の男は振り返り、雄々しく敬礼する。
「ご苦労」
 背中で手を組む、無言で検分していたシュナイダー将軍が短く答える。
「これにて刑の執行を終える。解散」
 そして、顔色一つ変えず淡々と踵を返した。

 小一時間後。
「開門!」
 伝騎が門をくぐる。大きな楠の並木道をまっすぐに進むと、正面に列柱を施した神殿様式の豪華な住宅がある。オークス屋敷と呼ばれる豪農の一軒家である。現在は、接収され、アルティガルド軍総司令部が置かれている。
 切妻屋根を支える太い円柱は、2階まで伸び、その間を抜けて、玄関をくぐると、左右対称の螺旋階段が現れる。細かな彫刻の手すりが優雅に曲がり、絢爛豪華なシャンデリアが吊り下がっている。
「副官殿、急報であります」
「ご苦労。休め」
 玄関横に控えている副官に報告のメモを渡す。それに素早く目を通すと、副官は螺旋階段を上っていく。
「将軍閣下、失礼致します」
 2階奥の書斎のドアをノックする。
 大きな窓の前に立派な机がある。その横の洋服掛けに、シュナイダーは、上着と帽子をかけていた。
「第二中隊が間違ってGポイントへ行ってしまい、サリス軍の船団が、Dポイントの岸に接近しつつあります」
 息遣い荒く告げると、手際よく机に地図を広げる。
「ここです」
 そして、そのDとGポイントを指で指す。
「直ちに第三中隊で迎撃を。敢えて射撃戦を避け、敵兵の半数を上陸させよ」
 遮蔽物のない川岸での射撃戦では、命中率が高く、数が物を言う。しかし、半数が上陸していれば、戦力は分断されているし、味方の兵が邪魔で射撃も儘ならない。
「さらに、パトロール中の騎兵に、Bポイントの槍兵を輸送させて増援しろ。……かつ、このまま第二中隊は下流のPポイントに移動して警戒を厳重に。上流とくれば次は下流だと思われる」
「はっ」
 矢継ぎ早に指示を与える。
 シュナイダーは索敵の目をフリーズ大河中に張り巡らし、その情報を、旗や伝騎などを駆使して、素早く総司令部に集結するような仕組みを構築している。
 そして、騎兵を使い、部隊を速やかに移動させて、少ない戦力で長大な戦線を維持していた。
「およそ陽動だと思うが、頻繁だな」
 地図を食い入るように眺めながら、ため息交じりに呟いた。これは意図したものではない。疲労した心が、思わず本音を吐露した瞬間だったろう。
「味方の将兵にも疲れが顕著です。士気の低下や細かなミスも目立ち始めました。刑の執行で綱紀が引き締まれば良いのですが……」
「こちらの乱れを……敵も見ていよう。本格的な渡河も近いか……」
「閣下……」
 その声に、副官は帰ることを躊躇った。
「何かお飲みになられますか?」
「頼む」
「はい」
 壁の棚に向かい、ポットからコーヒーをカップに注ぐ。
「どうぞ」
「俺は……」
「はい?」
 仄かな湯気を揺らすカップに手を伸ばしながら、シュナイダーは声を詰まらせた。
「明日、貴官に死ねと命令するかもしれんぞ」
「構いせん」
 副官は眉一つ動かさず即答する。
「将軍が判断なされるのなら、それが私の死に時なのでしょう」
「……貴官なら然もあらん」
 シュナイダーは無表情にコーヒーを啜る。
「皆同じ気持ちです」
 副官の言葉に、シュナイダーは目を上げた。
「将軍は大義のために最善と思われる策をお命じ下さい。駒たる我々は喜んで従いましょう」
 じっくりと時間をかけて、その味と香りを玩味すると、シュナイダーは顔を窓へ向ける。
 数代に渡り受け継がれ、整備されてきた農園は、今、兵馬によって踏み荒らされ、数百年育まれてきた森は、資材のために乱伐されて消滅寸前である。
「その時は……遠慮なくそうしよう」
 筈かに唇を動かし、感情のない声で告げる。
「はっ」
 副官は踵を揃え、凛々しく敬礼する。

 シュナイダーの予想は的中する。
 翌未明、サリス大船団が、(シュナイダーがそう名付けた)Jポイントに集結した。
「視察する」
 シュナイダーは、軍服の上着を着ながら集まった部下たちに告げる。
「しかし、閣下が動かれては、状況判断に支障が出ますぞ」
 参謀が揃って、不安を、然も当然という顔で進言する。それほど、兵力の移動のタイミング、兵種と兵数の判断、経路の選択などに高度な戦術的センスが必要だった。とても余人に勤まるものではない。
「デメリットは理解している。しかし、報告によれば、これまでとは陣容が違う。この目で確かめる必要がある」
 常にメリットとデメリットを天秤にかけて、その隙間を縫うように戦っている。
「……分かりました」
 シュナイダーの頑な表情とその行動の変化に、参謀たちは状況の逼迫を感じ取る。

 しばらく馬を走らせて、河岸段丘の上に立つ。
「ほお」
 無数の双胴船が、大河の半ばまで綺麗に二列に並んでいた。
「何をしているのでしょう?」
「橋脚を築いているのさ」
 副官の疑問に、シュナイダーは、模型を作る子供の様に弾んだ声で答える。
 ドーン!
 その時、一斉に巨大な音が轟いた。
 双胴船の上に組まれた立坑から、重力魔法を使って、一気に太い杭が川底まで打ち込まれたのだ。そこへ、間をおかず、水硬性セメントを流し込まれていく。
「あれで固まるのでしょうか?」
「水に触れると熱を発して固まるのさ」
 シュナイダーは朗々と解説する。
 参謀たちが顔を見合わせた。生粋の軍人にもかかわらず、土木工学に対する知識の高さを意外に感じていた。
「なに、アルティガルド軍でも研究されていた技術さ。しかし、良質の石灰、火山灰、凝灰岩を揃えるのにコストがかかり過ぎる。故に、普通に筏を組んだ方が有効的、と上層部は判断した。まさかこんな所で観る事になろうとは……」
 意外ではあったが、決して予想外という訳ではない。シュナイダーは、最新技術を目撃する喜びと越される寂しさの混じり合った、複雑な色をにじませる瞳でしばし眺める。
 無数の杭が大河の流れに耐えて立つと、すぐに梁が渡され板が貼られていく。あっという間に、川幅の半分ほどまでに簡素な橋が出来上がった。
「信じられません……」
「夢を見ているようです……」
「まさにディーンマジック……」
「ブラボー!」
 唖然とする副官や参謀たちの横で、シュナイダーは屈託なく手を叩いて、敵に敬意を送った。
「組織人としての夢だ。見よ、この壮観な光景を!」
 どれだけの予算がつぎ込まれ、どれほどの人材がかかわったことだろうか――考えるだけで心が躍った。
「……将軍、直ちに迎撃を」
 一人無邪気な笑顔を見せて興奮するシュナイダーに、参謀の一人が、血相を変えて進言する。
「橋の完成にはまだ時間がかかります。足の遅い重装歩兵や投石機をここに移動させましょう」
「……」
 シュナイダーは、笑顔を消して、しばし考え込んだ。そして、その場の誰にとっても想定外な答えを導き出す。
「全軍退却だ」
「え?」
 驚く参謀たちの顔を舐めるようにゆっくりと見渡す。その反応は、予想以上でも以下でもなかった。かつて【ヴァイスリーゼ】と呼ばれた同僚たちならば、説明するまでもない事だったろう。
――皆が同じ目線で、同じ方向を見ていた……。
 共に古い固定観念に挑んだ盟友であり、出世を争ったライバルであった。それを疎ましく思ったこともある。今となっては、何もかもが懐かしく、かつ、頼もしい……。一人でも傍にいてくれたならば、と虚しく思う。
「考えても見ろ」
 教官が諭すような口調で、説明を始める。
「これだけの物量戦を仕掛けられるのだ。この場に戦力を集中させて守っても、ここの上流や下流に普通に船で上陸できるのだぞ。そうなれば、我々は川を背に半包囲されてしまう」
「……」
 その危機を想像すると、氷水を頭から浴びせられたように驚き慄き、皆、言葉を飲み込んでしまった。
「しかし、天然の要害を……放棄なさるのですか?」
 最も武断な性格の参謀が、如何にか問うが、その声も裏返ってしまっている。それに、シュナイダーは、用意していたように即答する。
「サリス軍の狙いは、この橋を使って渡ってくることではない。我が軍にその陣立ての全容を露見させることだ」
「はぁ……」
 気の抜けた声が返ってくる。
「こんなショーのような作戦を敢えて実行する必要は本来ない。新たな一軍をもって再度上流から進撃し、タイミングを見計らって中下流から上陸すればよいのだ」
「……」
 ポカンと曖昧に頷く。
「敵は知りたいのだ。我が軍の実力を。戦略的思想を。そして、俺の戦術的感覚を。故に、我が軍が姿を見せるのは得策ではない」
「はい」
 次第に誰もが、その声に聞き入っていく。
「これだけの人的エネルギーを浪費し、大量の物資を放蕩すれば、必ず今度の決戦の場で組織的な枯渇をもたらす」
「はい」
 一縷の光明に、一同に笑みがこぼれた。
「まったく……抜け目のない男だ」
 シュナイダーは苦笑しながら、小さく舌打ちをした。
 これほどの作戦を、敵の手の内を知るためだけに惜しみもなく実行した。絶対権力者ならでの浪費であろう。組織の歯車の一つにすぎない身分では決して行えない。
――自分も一度はやってみたかった……かな。
 乾いた心がそう囁く。
――そうか!
 その裏側から、さらに声がした。その瞬間、心の奥がざわつき、ふつふつと昂ぶっていく。
――これほどの男が……。
 なにふり構わず手の内を知りたがっているのだ。たまらず、恍惚とした笑みが口辺に浮かんだ。
――ああ、わかったよ。そう焦んなよ。ゆっくりとこの俺と言う男を教えてやるよ。
 強敵を前に、失禁寸前の高揚に酔う。
「敵は死地に踏み入った。我々は夜襲を繰り返し、その活力を徐々に奪い、その疲労が頂点に達した時に決戦を挑む!」
「おお!」
 血の気の蘇った参謀たちが、声を揃えて雄叫びを上げる。


 橋の架設工事現場から少し離れた水上に、30フィートほどの重心の低いヨットが浮かんでいる。無駄のない洗練されたシルエットは、水上の貴婦人と評されるほどに美しい。
「ほーお、退くか……」
 北岸の情報を聞き、眼を瞠るような驚きと喜びに唸り声がもれる。
 オーギュストは、半そでのプレシャスネイビーのラッシュガードとサーフパンツを着ている。コックピットシートの端に顔が水上に出るほどに凭れて、操舵輪を片手で操っていた。そして、その膝の上には、黒いビキニの水着をきた女性を乗せいている。
 ヴェロニカである。
 ゆるく編んだみつ編みをふわりと肩に垂らして、極小の三角ビキニブラに、腰紐のパンツは前面に三角形の小さな穴が開いていた。
 この元反乱軍の女傑は、今、ヨットの下を泳ぐ魚に無邪気に驚き、波を切って舞い込んだ飛沫に「きゃあ」と悲鳴を上げてはしゃいでいる。
「……」
 一方、操舵輪の前には大き目のテーブルがあり、それを左右のシートが挟んでいる。
 右舷側の3人掛けのシートには、上帝軍幕僚のベアトリックス、ルイーゼ、アンの3人がいる。
 共に白と紺の水兵服で、ベアトリックスはミモレ丈のスカート、ルイーゼはぴったりしたレギンスのパンツ、アンはキュロット・スカートを着ている。そして、その傍らに、彼女らの部下であるヤンが大量の資料をもって立っている。
 左舷側の2人掛けシートには、警護担当のライラとマルティナがいる。
 が、テーブル上の空気は、氷の入ったワインクーラーのように冷やかである。
「これで上陸戦はなくなりましたが……」
 主席であるベアトリックスが、重い口を開いた。
「意外か?」
「いえ、……らしいと思います」
 ベアトリックスが言葉を濁しながら答える。
 ベアトリックスとルイーゼは、シュナイダーと同じ、かつてアルティガルド王国軍のエリート集団【ヴァイスリーゼ】の一員であった。
「シュナイダーとはどんな男だ?」
「当代髄一の知将です」
 ルイーゼが躊躇なく答える。
「ちぃ……」
 一方、敵将をほめる敵国出身の彼女に、他の者たちは露骨に不服そうな顔をした。舌打ちの音さえ何処からか聞こえてくる。
「……」
 中でもヤンは一戦して敗北している。その名の響きは、胸の奥に口惜しさと畏敬の念を沸き立たせて、つい痺れるほどに奥歯を噛み締めていた。
「何より情報収集を重視し、敵と味方の状況を客観的に分析ができ、冷静な判断を下せます」
 ルイーゼは、澱みのない真剣な眼差しで、オーギュストを見詰める。
「ただし――」
 いきなりヴェロニカが、オーギュストの膝の上から嘴を入れる。
「自分に自信のあり過ぎる男は、総じて、人を見る目がなく裸の王様になりがちです」
「幼少よりリーダーの性質を見出され、それを自覚し、年長者より期待されて成長してきました。統率力、指導力、求心力も十分持ち合わせ、部下を心服させる威厳もあります」
 すぐにルイーゼも強く反論する。
「順風満帆で、毛並みの良い男は挫折に弱いものですわ」
 ヴェロニカも怯まない。これには、彼女の元リーダーであるロマンへの怨嗟の情と、彼を信じ切った自責の念があるのだろう。
「エリートならではの集中力があり、目的のために努力を惜しまず、不撓不屈の精神も――」
「あははは。もういい――」
 言葉を遮り、オーギュストは笑う。
「俺の前で、俺の女が、他の男の話をしているのは不愉快だ」
 そして、表情を暗く堅くしたヴェロニカを下ろして立ち上がると、細く洒落た操舵輪に肘を乗せる。
「このまま上陸を強いれば、不甲斐ない我が軍は半壊するだろうが、屈強なアルティガルド軍にも、相応の損害を与えられるだろう。だが、雑兵がどれほど死のうと……」
 その言葉選びに、『らしい』と苦笑が漏れる。
「俺がここにいる限り、我が軍は何度でも再生できる。文弱の徒のサイア兵を率いてアルテブルグへ侵攻すればよい。だが、今のアルティガルドに臨時徴兵を行う行政力も義勇兵を募るほどの権威も残っていない」
「なるほど」
 一方、一切の蟠りもなくアンは頷く。清楚感のある水兵服を着こなした姿は、穢れを知らぬ少女人形のようである。
「シュナイダーはそれを分かっている」
 思いがけない相槌にも、オーギュストは気にせず分析を続けた。
「故に天然の要害であるフリーズ大河で侵攻を阻むよりも、俺を本土奥地へ引き込むことを選んだ。アルテブルグまで退くと見せかけて、どこか最善の場所で決戦を仕掛けてくるだろう」
 沼地、窪地、要害、色々と想定される。
「敵に主導権を握られるのは不本意だが、この場合は仕方あるまい。取り敢えず出方を見るとしよう。何せ、我々には当分やることが山積みだ」
 オーギュストが一括りすると、一同は大きく頷いた。
 確かに、サリス軍は、大河の半ばまで出来た橋を完成させねばならない。大量の兵と物資を秩序よく、かつ、短時間に渡らせなくてはならない。さらに、長蛇になる補給路の防衛を強化せねばならない。これらは引き続き、地理に明るいベアトリックスが担当することになるだろう。
「それにしても、無駄遣いした。これらの資材は、本来ならば、河口のリューフに送ってやりたかったなぁ……」
 オーギュストは遥か河口の方角を眺めながら、頭を掻き愚痴を零す。それから、気分を変えるように一つ手を叩く。
「さて」
 操舵輪を飛箱の要領で飛び越えて、着地の反動で再び跳ねて、空中で一回転する間に体を2回捻ってテーブルの上を通り抜ける。
「あっ」
 そして、キャビンに下りる階段の途中で、不意に足を止め、上半身だけ露出させながら振り返った。
「引き続き、上陸の指揮はアレックスとアウツシュタインに取らせろ。ベアトリックスは補給路の確保、ルイーゼは決戦地を予測、アンはリューフに連絡して【セシル軍】を援軍に来させろ。ヤンはロックハートなどの北岸にいる部隊を再編しろ。ライラは本営を移し、マルティナは夜襲に備えよ」
「御意」
 口早に命じられて、名指しされた者たちは一斉に頭を垂れた。
 そして、名前を呼ばれなかったヴェロニカがいそいそとキャビンへと降りていく。
「あらあら、あんな莫連女が燥いじゃって」
「新しい枕での喋喋喃喃は物珍しいものよ」
「でも珍品は珍品よ。すぐに飽きるでしょう」
 女たちが爽やかな風が吹き抜ける中で、毒を吐き合う。その輪からアンがヤンに振り向いた。
「さあ、私たちは、任務に精励恪勤しましょ」
 昔と変わらない笑顔で言う。
「ああ……」
 ヤンは、チクリと針の刺すような嫌悪感に、重苦しい憂鬱さが加わったような煩雑な表情で頷いた。そして、軍服に付けたバナール男爵家の紋章のエンブレムを強く握りしめた。
 キャビンには、階段の左右にギャレーと個室トイレがあり、階段の先にはテーブル中央にポールの立つサロン、そのさらに奥にベッドのあるバウバースがある。
「終わった、終わった……」
 オーギュストは、どっかりとソファーに腰を下ろす。
「大勝利、おめでとうございます」
「想定の一つではあったが、中途半端過ぎる」
 安堵の表情の裏で、物足りなさに苛立ちを覚えている。
「はい」
 ヴェロニカは口角を上げて微笑むが、一筋汗が零れた。湧き上げる性欲の悦びの底で、緊張と恐怖が渦巻く。
「鎮めよ」
「はい」
 素直に頷いて、脚の間に跪く。細く長い指を使って取り出した物体は、自分の顔よりも長く、青竜刀のように反り返り、鬼の持つ棍棒のように太く、赤樫のように堅い。
「んちゅ……」
 鈴口に舌先を当てる。
「ちゅちゅるるぅ……くぽっ……」
 エラを舐め回し、拳のような亀頭をすっぽりと口に含む。
「んうぅ……ふぅん」
 クチュクチュ、ピユピュという水音に、鼻からもれる呻き声が混じる。
「じゅるるぅ……んんっ」
 ギュッと唇を締めて、ゆっくりと頭を後ろに下げる。
「ずぼぼぉ……ぐちゅぐちゅ」
 口の端から涎を垂らしながら、喉の奥へと飲み込む。
「……」
 喉の奥まで使った口技で抽送を繰り返しながら、ヴェロニカはちらりとデッキを見遣る。
 否応なく耳を刺激する複数の足音。その音源である女たちの尖った踵の靴が左右に行ったり来たりしている。
――あんな女たちには負けない…否、もう誰にも負けない!
 猪野香子に命を救われ、降伏を促され、歴史の証言者となることを強要された時、もはや二度と人選ミスはしない、と心に誓った。或いは、自分を受け入れなかったアルティガルドという国や人民に対する復讐心があったのかもしれない。
――そのためには、転向者と罵られ、情婦と成り果てようとも構わない!
 裸同然で、衆人環視の中を歩いた。
 人前で、セックスをした。
 小水をもらした。
 尻を並べて服従の言葉を述べた。
 陰毛を剃毛した。
 尻の穴を舐めた。
 貞操体をした。
 手錠、首輪、猿轡、鼻フック、浣腸……一通り経験した。今では、下着を着用せずに平然と生活している。
――なんて言う事はない。もう一度惨めな敗残者になるぐらいなら……。
 苦難の果ての敗北は、まさに悪性腫瘍のように彼女の心に暗く居座っている。
「来い」
「失礼いたします」
 透かさず黒いビキニパンツを脱ぐ。
――うっ!
 何度見ても慣れない。パンツと一緒に、性器の中に潜んでいた透明のジェル状の物体も落ちる。髪の毛よりも細い無数の糸が、クリトリス、尿道口、膣口、アヌスに絡まっている。クラゲ型の守護幻獣『ブリッツェンジェル』(第37章参照)が、貞操体に姿を変えたものだ(第46、58章参照)。
――こんな物を付けられては、もう後戻りはできない……前に進むしかない!
 前とはどこか、と胸の奥から声がする。
――決まっている!
 心が痛いほどに叫ぶ。
 一貫して、この国の未来と民の幸せのために戦ってきた。そこに嘘偽りはない。ただし、この旧態依然とした王国と愚かな民衆は、この自分を拒絶し、無様に滅び去る。それに一切の同情はない。自業自得とさえ言えよう。そもそもアルティガルドという器が自分には狭かったのだ。間もなく、この世界には新体制が整う。そこにこそ自分の才能が必要なのだ。
 そして、肩に手をおき、膝の上に跨り、ゆっくりと腰を沈める。
「……くぅん、はぁーンぅ……」
 侵入される感触に綺麗な眉を寄せて苦悶し、収まった感覚に紅い唇から安堵の吐息をもらす。
「んぅ、んぅ、はぁ……」
 なまめかしく潤んだ瞳を熱く絡みつかせながら、腰を前後に揺らし始める。




続く

74-0

【パーシヴァル・ロックハート】
 瞳も髪も黒い、中肉中背の物静かな男である。鋭い観察力を持ち、軍組織に精通している。周囲から信頼も厚い、武官次席の知将である。

【ゴーチエ・ド・カザルス】
 派手さはないが、与えられた仕事を的確に処理し、攻守にバランスのとれた良将である。
 ちなみに妻は、ナルセスの隠し子ラウラ・ド・セイシェル。
 
【ロベール・デ・ルグランジェ】
 攻勢に定評があり、幾多の戦いで先鋒を任された。サリス軍切っての猛将である。
 妻は、オーギュストから下賜された、トラブゾンの娘アリサ・アリサト。

【レオナルド・セシル】
 赤髪を丸刈りにした小柄な男で、騎馬軍団兵総監を務め、エリーシア随一の騎兵指揮官と呼ばれる勇将である。

【アレックス・フェリペ・デ・オルテガ】
 ルブラン公爵家、スピノザ侯爵家と並ぶニードス公爵家の当主である。
 カリハバール軍に一族郎党を皆殺しにされ、一人戦い続けている。数多くの戦いに参加して、無数の武勲を積み上げてきた孤高の驍将である。
 クリスティーは従妹である。
【クラウス・フォン・アウツシュタイン】
 アルティガルド軍の士官だったが、上官に恵まれず苦汁をなめ、左遷されるなど不遇をかこつ。しかし、オーギュストの評価は高く、サリス軍転向後は、諸将の列に加えられている。
 妹は、鎮守直廊三人衆の一人マルティナ・フォン・アウツシュタイン。南陵紫龍流の達人であり、粘り強い用兵に定評のある闘将である。

【ルカ・ベルティーニ】
 端整な顔立ちの伊達男で、気まぐれで掴みどころがない。用兵も変幻自在で、局面の打開に使われることが多い。
 妻は、ミカエラの従妹でナルセスの愛人だったクレア。カッシーの戦いでは、見事囮役を果たした謀将である。

【エステバン・イケル・デ・ハポン】
 妖しく光る緑の瞳に、吊り上った眉が迫り、眼光鋭い細面の顔。短気で忍耐力に乏しい。 (第42章参照)

【ウーゴ・ド・ベアール】
 武の名門ベアール家の末弟。(第47章参照)

【コンラート・ウラキ】
 アルテブルグの士官学校を出た英才で、文武両道に秀でている。
 彼はワ国系アルティガルド人で、ガブリエリ夫人スザンナの輿入れの際に、その従者としてアクアーロへ移った。第48章参照)

 サリス方面軍、リューフ総帥が率いるルグランジェ軍とセシル軍の約3万。
 ロイド方面軍、カザルス軍1万2千。
 ソルトハーゲン方面軍、ロックハート軍1万3千。
 ホークブルグ軍、アレックス軍とアウツシュタイン軍の約2万5千。
 セレーネ半島方面軍、ベルティーニ軍1万5千。
 オーギュスト直属の上帝軍(ベアール、ハポン、ウラキ)約1万。
 上帝軍幕僚本部は、『ベアトリックス』を本部長に、『ルイーゼ』を戦術部長に、フェルディア出身の『ダーライア』を魔術部長に、『ライラ』を警備部長に、そして、オーギュストの寝室を守る鎮守直廊三人衆の『キーラ』、『サンドラ』、『マルティナ』)と顧問の『アン・ツェーイ』を幹部とする。


【アルティガルド側登場人物】
●ヴォルフ・ルポ
〔金髪のウルフヘアー。新宮殿建設の作業員だった。『鉄砲』を持つ〕
●キョーコ・キザシ
〔ワ国人女性。サリスのスパイ〕
●フィネ・ソルータ
〔歌姫。『シヴァの歌集』を持つ〕
●ヴェロニカ・ロジーナ・フォン・ベルタ
〔ビルフィンガー建設の主任。革命家〕
●ロマン・ベルント・フォン・プラッツ
〔建築家。組織のリーダー〕
●アリーセ・アーケ・フォン・ハルテンベルク
〔名門子爵家の生き残り。母方は王室。伝説の武器を求めている〕
◎ジークフリード・フォン・キュンメル
〔アルティガルド王国宰相。絶世の美男子〕
◎エドガー・ワッツ
〔ジークフリードの要請を断り、獄死〕
◎ヘルミーネ・ザマー
〔准将、ジークフリードの腹心〕
◎ゴットフリート・ブルムベア
〔中将、ジークフリードの腹心。ハルテンベルク子爵家討伐の司令官〕
◎ルートガー・ナースホルン
〔少将、ジークフリードの腹心。ハルテンベルク子爵家討伐の副司令官〕

☆キルヒホフ男爵
〔ヒューゲルランド州牧。色白で気品に満ちた顔と体つき〕
☆フリッシュ男爵
〔モントズィヘル城主〕

第74章 百尺竿頭

第74章 百尺竿頭


【神聖紀1235年8月初旬】
 ヒューゲルランド州――
 ソルトハーゲン要塞の開城により、カイマルク方面の国境地域は、サリス軍の支配下に収まった。
 関所や役所にはサリスの国旗が翻り、宿場にはサリス兵が溢れ、街道には小荷駄が忙しなく行き交い、そして、村々の辻には憲兵が厳めしく睨みを利かせている。
 山々から聞こえているタガの外れた蝉の鳴き声さえも、そのけたたましい号令と統制された足音で打ち消されている。
「休むな、進め!」
「ふう……」
 急峻な坂に兵士たちの足が止まってしまう。石畳の道幅は約3mで、500mほどを一気に昇っている。
 遅れる行軍に、刻々と高くなる太陽。昼前と言うのに、容赦ない日差しが軍帽を焼き、石畳に照り返して帽子の内側も蒸す。将兵たちは、顔中にびっしょりと汗をかき、顎先から大粒の玉を滴り落としている。
「もう一息だ」
 オーギュストが愛馬の首をさすって励ます。愛馬は大きく嘶き、熱い息を長く吐いて、重い脚を前へ進めた。
「おお」
 ふいに見飽きた石肌が消えて、視界に、燃え盛る炎のように、雄々しく生い茂る大木が入ってきた。峠の頂に立つ、この大木こそが州境を表している。
「やれやれ、ようやくヒューゲルランド州か」
 枝の下の濃い影の中で、オーギュストは兜を脱いで、タオルで顔と首を拭った。
 小高い峠からは、豊富な水量を誇り、青々としたフリーズ大河がよく見渡せた。
 対岸を、黒い竹林が物々しく蠢いている。フリーズ大河の北岸を侵攻している【パーシヴァル・ロックハート】の一部隊である。さらに、視線を上流に動かせば、入江に築かれた三基の船渠(ドック)で、【アポロニア・フォン・カーン】の指揮の元、双胴船の工作艦が整備を行っているのが見えた。
「さて――」
 オーギュストは、水筒をあおった。
「ヒューゲルランド州は、多少は涼しいといいが……」
 口を腕で拭いながら、苦々しく顔を顰めた。

 ヒューゲルランド州は、アルティガルド南西に位置する。北に『フリーズ大河』を臨み、西に『セブリ山脈』を仰ぎ、南に『モンベルの森』を抱えている。州内はほぼ全域が丘陵地帯で、際立って高い山はないかわりに、凸凹と起伏に富んだ地形をしている。多数の尾根と谷がうねり、干上がった池の跡が窪地となりあちこちに点在している。その里ごとに小領主がおり、尾根ごとに小さいながらも堅牢な城を構えている。
 その一人に、【フリッシュ男爵】がいる。
 上帝軍幕僚筆頭【ベアトリックス・シャルロッテ・フォン・バイエルライン】の実父であり、その居城【モントズィヘル城】は彼女の故郷である。
 大河の流れの変化で取り残された三日月湖を中心に豊潤な農地が広がり、かつ、三日月湖を運河として利用し、交易で大きな富を築いている。
 フリッシュ男爵は、侵攻するサリス軍に呼応して、旗幟を鮮明にした。直ちに城を出て、州境の砦を攻略すると、そこへサリス軍の先遣部隊(500)を導き入れた。
 州牧【キルヒホフ男爵】は、すぐにそれぞれの城に対して、二つの“対の城”を建設して対抗した。
 彼は色白で気品に満ちた顔と体つきをしているが、士官学校出身であり、軍事に長けている。また、代々州牧を務める名門として、周囲からの人望もあつい。
 キルヒホフ男爵の対応の早さに、フリッシュ男爵は、居城モントズィヘル城に籠城すると、サリス軍に救援を要請した。
 この要請に応じて、オーギュストは自ら直属軍を率いて、フリーズ大河南岸地域へ乗り出した。

 昼過ぎ、先遣隊が予め用意していた滝の傍の館に野営する。滝の高さは60mあり、七段からなる巨石を段々に流れ落ちることから【七滝】と名づけられている。
「暑いッ! 暑いッ! 暑いッ!」
 オーギュストは無意味に喚きながら、服を脱ぎ散らして、用意されていた部屋に入るとパンツ一枚で寝転がってしまった。
「眠ってしまわれたと……?」
 主任参謀の【ヤン・ドレイクハーブン】は、秘書官の前で、途方に暮れている。
 前線からの連絡とアルテブルグの変化など、報告しなければならないことが多々あるのだが……。
「だが、しかし……」
 未練たっぷりに秘書の肩ごしに奥の方を見遣ると、無情にも黒光りする鉄の扉は固く閉ざされている。
「お起きになられるまで、そちらでお待ちください」
「はぁ……」
 機械的な声に促されて、渋々とヤンは振り返る。
 奥に会議用の長いテーブルとホワイトボードがあり、親衛隊が警備などの打ち合わせを非効率的に行っている。その手前には長椅子が並んでいて、謁見を待つ人々が、緊張した面持ちで、ぶつぶつと文言を繰り返し練習しながら待っている。
 秘書の手が指していたのは、左の壁側に設けられている個室である。滝を一望でき、柔らかそうなソファーが置かれている。
「じゃ、いの一番に知らせてくださいね」
「畏まりました。コーヒーをどうぞ」
「あ、ありがとう」
 秘書が事務的に頭を下げると、秘書室の隣のカフェカウンターからコーヒーを受け取り個室に向かった。
「ふう……」
 疲れたため息を落とす。

 大きく枝を張った大木を天幕で囲み、枝にバケツを吊り下げる。そのバケツの底に刺さったナイフを抜くと、水が勢いよく噴き零れ出た。
「ひあぁ!」
 【ラン・ローラ・ベル】は冷水を熱く火照った肌に浴びて、思わず悲鳴を上げて飛び跳ねてしまった。滝の水は、予想以上に冷たく、他の女性士官たちも同様の声を上げている。
「はぁ~あ、お湯が使いたい……」
 愚痴を零しながら、脇や胸の谷間、そして、股間など匂いが残りそうなところを手早く洗う。
 それから、乗馬服の軍服から、涼しい薄手の白いシャツと黒いタイトスカートに着替える。新調された平時用の夏の制服である。それでも、動きやすさを重視して、両サイドに深いスリットが入っている。
 女性士官専用の屯所になっている礼拝所に向かい、入り口でクラッカーを数枚貰う。扉を開くと、女神像の前に、【アン・ツェーイ】が濡れ髪から微かに湯気を昇らせて一人座っている。
「あ~ら、顧問様ともあろうお方が、どうしてこんな下々が集う穢れた場所に居らっしゃるのかしら?」
 尻を大きく左右に振って(モンローウォークのような感じ)歩き、ランが刺々しい声で話かける。
 しかし、さすがに礼拝堂を穢れた場所と言ったのは拙く、他の女性士官たちがランをじっと睨んでいる。
「……」
 チクチクと視線の針に突かれて、内心しくじったと悔みながらも、戦いの火蓋を切った以上、最早後には引けない。
「キッ……!」
さあ、とばかりに、きつくアンを睨みつけた。
「……」
 然るに、アンは一瞥もしない。ただテーブルの上にずらりと並んだお菓子を貪るように食べている。
 マンゴーのチーズタルト、夏のフルーツケーキ、マカロン、スコーン、マドレーヌ……などなど。
 それらを手掴みで口の中に放り込み、むしゃむしゃと飲み物の如く呑み込む。
「ッ……!」
 漂う甘く蕩ける香に、ランは、たまらず生唾を飲み込んでしまった。
 その喉の音が聞こえたのか、アンが顔を上げる。そして、徐に、口の周りの甘い蜜をペロリと舐め取る。
「何?」
 無機質な物体を見るような瞳をして、生気のない声で問う。
「だ、か、ら、顧問様の居場所は総司令部でしょ?」
 力強く一歩前に歩見出し、腕組みして斜に構えて、ランも怯まず答えた。
「別に関係ないでしょ……」
 対してアンは、ランなど眼中にないと言わんばかりに視線を外し、覇気のない声で呟きながら、食べかけてのケーキを残して立ち上がった。
「よかったら、食べて」
「結構よ――」
 反射的に拒絶したが、胃がちくちくと痛いほど烈しく苦情を申し立ててくる。それでも、鉄の仮面で感情を隠して、冷淡な微笑みを浮かべてみせた。
「ぼく達には、このクラッカーがあるので」
「そう」
 アンは一度髪を払って、そのまま振り返らずに歩き去った。
――澄ましやがって、おのれぇ!
 その姿が扉の向うに消えると、ランは手の中のクラッカーを握りつぶした。
――甘いお菓子が、自分だけの特権だと思うなよ!
 耳まで裂いた口から鋭い牙を覗かせる。――私だって、私だって!
 心に忍ばせた憎悪がはち切れんばかりに膨らんでいく。
「申し上げます」
 そこへ、新兵の部下が駆け寄ってきた。
「どうしたの?」
 部下の声に、ランは盛大に首を振って向き直す。遠心力を利用して髪で一旦顔を隠し、再び現した時には、涼風のように爽やかな笑顔となっている。そして、鈴のように澄んだ声で応じてみせる。
「はっ――」
 新兵は、何も察せず、恭しく敬礼する。
「近隣の村人たちが、暑気払いにと酒樽と肴を持参いたしました。如何取り扱いましょう」
「ふーん、殊勝じゃない」
 ランは、大きく鼻を鳴らした。

 総司令部に入ると、ランは、個室で滝を眺めながらのんびりとコーヒーを飲むヤンを見つける。
「ちょっと待って」
 謁見申請用の書類とペンを手渡そうとする秘書官を手で制して、ヤンの元へ向かう。
「参謀なんて偉そうにしているわりに暇そうね」
 いきなり、皮肉たっぷりに声をかける。
「やあ、君も仕事を部下にまかせっきりでいいのかい?」
 一度顔を横に動かして、目で会議室を指した。
「いいのよ。あいつ等は会議が趣味なんだから」
 ランは、そう悪ぶれもなく言い放ち、髪の毛をさらりと後ろに払う。
「……?」
 その時、その仕草に妙に女っぽさを感じて、ヤンは細やかな違和感を抱く。
「それで、それ何?」
 そんなヤンの機微に全く気付かず、ランは、テーブルの上に積み上げられた書類の山を顎で指す。
「ああ、前線からの連絡とか」
「ピンチなの?」
「いや、早朝の戦いで、うちの先遣部隊が“対の城”を攻略したし、フリッシュ男爵が敵の先陣と思われる部隊を撃退した。そろそろ首も届く」
「いいんじゃない?」
「うん、近くはね。でも、遠くは色々ごちゃごちゃしているよ」
 丸秘と書かれた書類をヤンは手に取る。パラパラとページを捲ると、アルテブルグの情勢がびっしりと書かれている。

 アルテブルグを制して、アルティガルド王を自称した【ヴォルフ・ルポ】は、ソルトハーゲン要塞司令官【ルートガー・ナースホルン】の強襲を受けて敗走、後に山中にて恋人【フィネ・ソルータ】とともに自害した。
 しかし、ルートガーは、祝勝会にて、盟友である【ジークフリード・フォン・キュンメル】と【ヘルミーネ・ザマー】の二人に毒殺された。
 これで再びジークフリードの権力が復活するかと思われたが、だがしかし、ロイド州から帰還した精鋭軍の将兵は、そんな彼らに愛想を尽かして、次々に翻意していく。

「ふーん」
 ランは、ひと唸りして、コーヒーを飲み干す。話はまだ続いたのだが、その唸り声でヤンはランが飽きているのを察した。気を利かせて、話題を転じる。
「それで君の方は?」
「ああ、部下がその辺の農民から酒を貰ったから、その報告に来た」
「酒?」
「そう酒樽を幾つも。肴もたっぷり」
 途端にヤンの顔色が変わった。
「すぐに陛下に進言しなければ!」
 大きな声を出して立ち上がったが、鉄の扉を見遣って、悔しげに舌打ちをする。
「ぼくが何とかしてあげるよ」
「え?」
 ランは軽やかにウィンクする。
「実は、ぼく、女なんだ」

 男子禁制のオーギュストの私的空間に、女性の親衛隊隊員と秘書官は入れることが許されている。
 鉄の扉を越えると、暗く狭い廊下が続く。
 その突当りは、遥か彼方で、小さな光を放っている。一見して今日中に辿り着けそうにない。
 廊下に“呪”がかかっている。
 特殊なカードを持っていなければ、あの小さな光を目指して、永遠に、この闇の中をただ真っ直ぐに歩き続けることになる。
「これは要らないッと」
 ランは秘書官から渡されたゴールドカードを胸ポケットに仕舞うとキラキラと輝くプラチナカードを首にかける。
途端に、左手に『謁見用の広間』とその『控えの間』と『護衛の待機室』、右手に『寝室』と『書斎』、奥に『水回り』が現れた。
「失礼しまぁ~す」
 ランが間延びした声を発しながら書斎に入る。窓のない厚い壁に囲まれた部屋は、水を打ったように静まり返って、誰一人いないように感じられた。
「だれもいませんか~ぁ?」
 わざとらしく誰何する。
 一面に足首まで沈み込むワインレッドのカーペットが敷かれている。大きな机には、ドンペリなどの高級酒と分厚い魔導書が置かれていた。
「エリートぶってやる参謀君が、至急進言したいことがあるそうで~す」
 泥棒猫のように、ゆっくりと歩を進めると、奥の寝室にベッドが垣間見える。
「寝てますか?」
 探るように問いかけると、その時、そのベッドから光る小さな物体が投げられた。
「コイン?」
 一瞬背筋が凍るが、絨毯の上に散らばっているのはただの金貨である。
「ふんっ、こんな格好させて、男ってホント、バカよね」
 ランは眉を寄せて苦笑すると、悪戯っぽく舌を出す。そして、躊躇いなくスカートをたくし上げて、引き締まった脚を顕にした。
 それから徐に屈んで、両手を絨毯の上に着いた。パンパンに張ったタイトスカートの尻を掲げ、背筋をぐっと猫のように反らし、さらに顔をぐっと落とす。まさに獣のような姿勢である。
「あぐぅ」
 変に作った声を出して、絨毯に半ば埋もれた金貨を口で咥える。
 それから、四つ這いのまま尻を左右に振りながら、次の、その次の金貨を咥えて、徐々に寝室のベッドの方へと近付いて行く。
「お利口さんなワンコだ」
「うわ、うばん……」
 口いっぱいに頬張って、何やら呻く。そして、ベッドの傍らに到着すると、ぺたりと腰を落として坐り、両掌にたくさんの金貨を吐き出した。
「大金持ちだな」
 オーギュストは、ベッドに横臥して、上機嫌に片目を細める。
「あたしはこんなに安くありません」
「じゃ何が欲しい?」
「お腹いっぱいのケーキ」
「もう少しの辛抱だ」
 得意そうに胸を張るランの頭を、オーギュストは優しく撫でてやる。
「ふふ」
 ランは、満悦そうに瞳を閉じ、頬を朱に染めてはにかんだ。
 その時、ふいにオーギュストの髪の毛を摘まんだ指が止まる。
「シャワーを浴びたのか?」
「うん」
 子犬のように頷く。
「そのままの方がよかったのに」
 オーギュストの指が、髪をすき、耳をそっと触り、頬から顎へとふわりと流れるようになぞる。
「男ってホント、バカよね……」
 目尻を微かに火照らせ、湿り気のある声で囁く。
「もう一度汗だくにしてやろうか?」
「うん」
 弾むように頷く。
 脳裏に、薄暗い密室の中、熱帯夜に汗だくになりながら睦み合う二人を思い浮かべている。それだけで、軽く恍惚の感情が昂ぶる。
 両手をベッドの端について、身を乗り出しかけた時に、不意にオーギュストが視線を外して書斎や浴室の扉を見た。
「あ、今、別の女のことを考えたでしょう?」
「誰もいないなぁと思って」
「仕事でしょ」
 吐き捨てるように言った。その時偶然、頭の片隅にあった、頼まれ事を辛うじて思い出すことができた。
「そう言えば、お酒が届いた」
「誰から?」
「さぁ、その辺のおっさん」
「そうか」
 こんないい加減な報告でも、オーギュストは納得したように頷く。そして、白いシーツをはねのけて起き上がると、中腰状態のランの背後に素早く回り込んだ。
「え? いきなりバック?」
「時間がない。敵が攻めてくる」
「て、敵襲?」
 あわてて、顔をくるりと回す。
「大丈夫、ここに居るのは歴戦の精鋭ばかりだ。全員気付いている」
 オーギュストは口の端を上げる。そして、タイトスカートの生地を捲り、その薄い尻を丸く撫でた。
「あ、あ~ン」
「なんだもう濡れているじゃないか?」
 シルクの白いショーツの染みを指先で衝く。
「ふふ、そんなわけないでしょ。ちゃんと拭いたもん」
「シャワーの後の拭き忘れにしては、真水じゃないな?」
「ふふ、じゃ何で、でしょう。名探偵さん?」
 あっさりと観念して自白する。
「そんなによちよち歩きが感じるのか?」
「さあ、どうでしょう」
 ランは首を捻って後ろを向く。
 その半開きの唇を、オーギュストは噛み付くようにキスをして、舌を激しく絡ませて、ずるずると音を立てて吸い上げた。


 激しい夕立が小一時間ほど続いた。
 ヒューゲルランド州独特の凸凹とした地形を利用して、丘の影に姿を潜め、窪地を縫うように、キルヒホフ男爵が率いる小領主連合軍が駆け抜けていく。
「はっ!」
 キルヒホフ男爵は、愛馬の腹を鐙で蹴って、一気に間道の坂を登った。乗馬服はずっくりと濡れて、重く吊り下がっている。
「止まれ!」
 手綱を引いて、愛馬を棹立ちにした。
「……どうだ?」
 水の滴る兜を荒い息とともに揺らし、濡れた顔を手袋で拭う。目を張り裂けんばかりに見開いて、丘の下、盆地の底を見遣った。否応なしに緊張が高まり、思わず上擦った声をもらしていた。
「取った! 我々の勝ちだ!」
薄れていく雨霧の向こうに、七滝のサリス軍野営地が見えた。堪らず、雄叫びを上げていた。
「ヒューゲルランドの騎士たちよ。狙うは大将首。他の者には目もくれるな。吶喊せよ!!」
 キルヒホフ男爵の左右には、付き従うヒューゲルランド州の騎士たちが並ぶ。彼らに熱く語りかけて、愛馬に鞭を入れた。
「うおおおお!」
裂帛の気合とともに、騎兵が雪崩の如く坂を駆け下り、その後に、歩兵も続く。
 湿った空気が顔を叩き、体に纏った雨粒が後方へと飛び去って行く。疾走感が、血を滾らせ、戦いの匂いに頭も酒を浴びたように痺れていく。
 不意に浮き上がるような感覚があり、視界が水平となった。前方には、無防備な敵本陣が、もう手の届くところに見えてくる。
「槍先に偽皇帝の冠を引っ掛けてやれ!」
 愛馬の尻に最後の一撃を与えると、鞭を捨てて、戦闘態勢を整える。
 その時不意に、銀色の光が一閃キルヒホフ男爵の目の端を掠める。
「な、何?」
 目を顰めて細くなった視界に、右の尾根の影から、シールドを並べて黒い槍を翳した集団が滑るように現れた。
「迂回しろ」
 無駄な戦闘を避けるべく、左へ、軍勢の舵を切る。
「えーい、ここはなんと狭いのだ」
 先頭を駆け、敵側面へ回り込むように巧みに軍勢を導いたが、予想以上に敵守備陣の幅があった。眼前に左の丘が迫っている。進路に無理があり、陣形も乱れてしまった。しかし、止まる訳にはいかない。脚を止めた騎兵は、敵の良い標的になる。
「是非もなし――」
 やむを得なかった。剣を翳して、全騎兵に集結を促す。
「このまま中央突破を図る。全騎士よ、名誉の限り突撃せよ!」
「おお!」
 キルヒホフ男爵の剣が振り下ろされると、騎士たちが、一丸となって銀色の壁へ突進する。
 一方、命じたキルヒホフ男爵は、愛馬を急停止させた。両脇を最後尾の騎士が駆け抜けていく。
「命を惜しむな。名こそ惜しめ!」
 その背に、激しく檄を飛ばす。
 敵歩兵の壁に、騎兵が錐の如く激突する。雨に濡れた大地に、鋼の匂いが撒き散らされた。
 一方、サリス軍は突破されぬように、歩兵がぎゅっと密集し、厚みを増した。当然、幅が縮まる。
「敵の側面を迂回する。我に続け」
 やや遅れて到着した歩兵部隊に振り返り、キルヒホフ男爵は新たな命令を与える。
「おお」
 手柄の予感に、歩兵たちが湧き立った。
 一方で、大将であるキルヒホフ男爵の頭には不安が過っていた。
――思惑通りであり、この一手のように思える。しかし、一度踏み込めば、もう後戻りはできない……。
 激しく頭を振った。
――事ここに至って、今さら弱気などあり得ない!
「進め、進め、勝利は目の前ぞ!」
 自らも鼓舞するように叫んだ。
 敵歩兵の側面を掠める瞬間、再び、敵本陣をその視界に捉える。緊張は極限まで高まり、口から心臓が飛び出すようだった。
「なっ!?」
 だが、今度は左の尾根から新たな敵歩兵の壁が出現した。
「押せ!」
 狂気に似た感情で、頭が揺らぐ。
「敵の数、決して多くないぞ!」
 突き破れば勝ちである。しかし、自身は敵中のまん真ん中にいる。ひしひしと死の恐怖と一族滅亡の不安が戦意の裏側に忍び寄る。
「騎士たちはまだか?」
 一度、確認のために振り返る。黒い槍の林が右往左往と揺れている。騎士たちは乱戦状態のようだが、まだまだサリス軍の戦列は厚い。
 その時、真新しい鬨の声が轟き、騎馬の足音に大地が震えた。
 サリス軍の騎兵が右側面から襲ってくる。
「真ん前と真横……」
 まさに、十字砲火である。
 手元には迎え撃つべき騎兵は一騎もなく、返り討ちにするべき長槍兵もいない。
「もはやこれまでか……」
 絶体絶命である。完璧な敗北感に、鎧に包まれた体が鉛のように重くなっていく。
「逃げろ!」
 言うより早く、武器を捨てて、駆け出していた。

 時を僅かに遡る。
「敵の指揮官は、紋章から十中八九、キルヒホフ男爵でしょう」
「ああ」
 ベアトリックスの言葉に、オーギュストが低く頷く。
「結構。一番厄介な輩が、のこのこ出てきてくれた」
「はい、他にも主だった騎士は、顔をそろえているようです」
 オーギュストは立ち上がった
「騎兵は予定通りS字型に進撃して、敵を側面から蹴散らせ。歩兵の予備兵力も出せ。乱れた敵を押し潰せ。敵の騎士等を一網打尽にせよ」
「御意」
 オーギュストの命令が、直ちに伝令によって伝えられる。
「斉射三連!」
 第2陣を指揮する【コンラート・ウラキ】将軍が命じる。
 一斉に天へ向けて矢が放たれた。空気を切り裂く無数の音が周囲の山々に反響して幾重にも鳴り渡る。
 大鳥の影のような黒い塊が、味方の兵の頭上を飛び越えて、眼前の敵兵に舞い降りていく。
 突進してくる敵兵が、意表を突かれて、隊列を乱した。それでも勇敢な戦士たちは前進を止めない。
「おりゃおりゃ!」
 隙間なく並んだシールドに肉薄して剣や槍で力任せに叩く。鉄と鉄のぶつかる甲高い音が鳴り響き、激しい火花が散る。
「……ううっ」
 その圧力に、堪らず、シールドの壁が半歩後退する。
「槍、構え!」
 その時、ウラキの精悍な声が飛び、シールドの壁の裏側に槍衾が形成された。
「衝け!」
 一斉槍が突き出されて、敵の先頭集団が血に染まる。
「跳ね返せ!」
 そして、怯んだ敵兵をシールドの壁が押し戻す。
 思わぬ強い反撃によって、攻め手は棒立ちになった。
 その時、その側面へ、【エステバン・イケル・デ・ハポン】将軍の騎兵が攻撃を開始した。
「各々、手柄を上げよ」
 まず馬上から矢を放ち、間合いが詰まって来ると、弓を槍に持ち替えて、高い位置から突き刺し、さらに、騎馬で蹴り踏み倒す。
 蹂躙!
 まさにその言葉に相応しい戦果を次々に上げていく。
「おお、あれこそ男爵ぞ! 打ち取って手柄とせよ!」
 敵の司令官が、一騎で逃げ出した。
「敗残兵に目をくれるな!」
 執拗に追撃する。
「このまま【ウーゴ・ド・ベアール】将軍の第一陣(重装歩兵)の横を迂回して、敵騎兵を包囲殲滅する。続け!」
「おお!」
 騎兵は、敵の進路を逆に、S字に進路を取り、最初に突撃を敢行した敵騎兵へ襲いかかっていく。

 無防備な脇腹を突かれて、ヒューゲルランド州の騎士たちは混乱状態となった。それまで優位に戦いっていただけに、反動も大きい。
「怯むな。陣形を再編しろ」
 必死に年長の騎士が叱咤激励を繰り返す。
「持ち場を死守しろ。男爵が敵本陣に飛び込むまで持ちこたえろ――あ???」
 しかし、その視線の端に、逃げる大将の姿を捉えた。
「男爵、お待ちを……」
 ぼろぼろと騎士たちは戦意を喪失して、戦線を離脱し始めた。
 戦いは決した。

 オーギュストは、敗走するヒューゲルランド連合軍を平行追撃して、キルヒホフ男爵の本拠地に迫った。
 堅牢な山城である。周囲を沼に囲まれた台地の上にあり、複数の郭を段々に配してあった。
 しかし、如何に工夫を凝らした防御設備も、逃げ込む兵のために城門さえ閉ざすことができない。忽ち、サリス兵が三郭を占拠、さらに勢いに乗って二郭も奪う。
 一段と高い一郭に籠城したキルヒホフ男爵だったが、従う兵は100人足らずに減っていた。
「士官学校を出て、尉官として軍務に携わっていた頃は、比較的有能であったろう。今、不遜にも州牧の地位を与えられながら、一切の功もなく、部下達への責任もはたせなかった。ただ一つできることがあるとすれば、この命尽きるまで、アルティガルドの武人として生き、そして、死んでいく事のみ」
 キルヒホフは、こう叫ぶと、火の粉の舞う塔の中で、一人でも多く道連れにしようと戦い続けた。
「お前まで逝ったかァ……」
 だが、時間とともに従う兵も一人減り、二人減り、最後には5人だけとなった。さらに、キルヒホフ自身も、足に矢を受けて、動く事すら儘ならなくなった。
 キルヒホフは塔の最上階に登ると、そこを最後の場所と決める。
「生きてはアルティガルド王国の臣。死してはアルティガルド王国の鬼となろう」
 そして、取り囲むサリス軍の目の前で、剣を咥えて塔から飛び降りた。
 一夜明けて、キルヒホフ城が炎上し落城したことが知れ渡り、他の諸領主たちは、続々とモントズィヘル城に出頭して降伏した。
 こうして、サリス軍は、ヒューゲルランド州を制圧した。


【8月中旬】
 メーベルワーゲン城――
 進軍を続けるオーギュストは、【ホークブルグ街道】に至り、かつて反王国運動(メーベルワーゲン大会)の狼煙の上がった地【メーベルワーゲン城】で、サイア方面軍の【アレックス・フェリペ・デ・オルテガ】、【クラウス・フォン・アウツシュタイン】両将軍との合流を果たした。
 天空にそそり立つ入道雲が赤々と燃えるように染まっている。太陽が沈みゆく西の空は、黄金色に光り輝き、逆に、東の空は薄い紫色に霞んでいく。
 足下には凹凸とした城下町の屋根が黒く翳り、街を貫く運河が、空を映して鮮やかな彩りで浮かび上がっている。比べれば、零れる町の灯はあまりにも貧弱に揺れていた。
 サイアから運ばれてきた物資は、ここで水運に積み替えられる。古くから、交易上の中継都市として、栄えてきた。城は、街道沿いの岩山の上のあり、9層の主塔を東西南北4つの塔で囲み、それらを城館で繋いでいる。
 オーギュストは、一郭の御殿で、両将軍と夕食をとる。
 赤ワインで緒戦の勝利を祝って乾杯し、ガーリックトースト、くるみのパンを摘まんだ。
 そして、夏野菜のラタトゥユとグリーンアスパラのクリームスープを軽く食し、それからメインの牛フィレ肉とフォアグラのステーキと牛ほほ肉の赤ワイン煮込みを堪能し、デザートにキウイのピューレかかったヨーグルトムースを、そして、最後にハーブティーを頂いた。
「要塞の降伏に反発して逃走した軍勢、ヒューゲルランド州から落ち延びた軍勢、さらに、フリーズ大河南岸の諸領主が【フリート】の街に集結しております」
 アウツシュタインが告げる。
 フリートとは、アルティガルド王国中央部の中心都市ヴァンフリートの南岸の街のことである。
 オーギュストは、ティーカップを置きながら満足げに頷く。
「予定通りだ」
「はい――」
 アレックスが大きく頷く。
「あとは、ロックハート将軍が北岸をアルテブルグまで侵攻すれば、この戦争も終わりです」
「そうだな」
 言った方も、聞いた方にも、言葉の中に熱がない。それほど単純に運ばないことは分かり切っている。どんな反撃の手が生み出されるか、不謹慎ながらも、興味深く待っている状態である。
「そう言えば、歌姫の【フィネ・ソルータ】が死んだとか?」
 アウツシュタインが問う。
「ああ、惜しいことをした」
 オーギュストが地団駄を踏まんばかりに心底悔しがる。
「それは勿体無い」
 アウツシュタインも掌中の玉を失ったように落胆した。
「しかし、敵国の女には、くれぐれも注意して頂かねばなりませんぞ。アルテブルグを奪還した【ルートガー・ナースホルン】は、女に殺されたと言うではありませんか」
 不快感をあらわして、アレックスが釘をさす。

 古来より、『歴史は稀にそれに相応しくない者に運命を握らせる』という。
 ソルトハーゲン要塞司令官だったルートガーは、サリス軍と和睦後、アルテブルグへ強行して、叛乱軍を一掃した。
 もしアルティガルド王国が存命できるのなら、彼こそが、勲功第一となる筈だったろう。
 しかし、実力以上の功績に、彼はすっかり舞い上がってしまった。
 フリーズ大河河口付近にいた【ジークフリード・フォン・キュンメル】とロイド州に遠征から帰還した【ヘルミーネ・ザマー】が帰還してくると、彼は何の警戒もなく温かく迎え入れた。
「だからな、俺はこう言ってやったんだ」
 ぐっと酒を煽る。
「『ディーン、俺と組め』ってね」
「さすがですな、将軍」
「将軍は止せ」
「え?」
「英雄と呼べ」
「さあ、豪傑様、もう一杯」
 そして、連日、祝宴を催すと、自身の手柄話を延々と繰り返し話し聞かせた。自身の保身どころか、権力基盤の確保などにも、全く気にも留めていなかった。
 その席上で、ジークフリード閥の盟友であるヘルミーネ・ザマーによって、毒を盛られて殺されてしまう。今度は彼女が歴史の運命を握った……筈だった。
 しかし、この祖国の未曾有危機の中で、尚もコップの中で権力争いを続けるジークフリードとその一派に対して、軍人たちが、ほとほと嫌気がさしてしまった。
 宮廷内でクーデターが起こり、ジークフリード・フォン・キュンメルは、宮廷の『宝』を抱えてエリース湖上へ逃走した。

「分かっている。私利私欲で始めた戦争だ。ならばこそ――」
 思わずオーギュストは苦笑してしまう。
「ならばこそ勝たねば、世界中の物笑いとなろう。両名のさらなる健闘に期待する」
「御意!」
 両将軍が踵を鳴らして、勇ましく敬礼する。武人として、最も高揚する瞬間であろう。勝利の暁には必ずこの場面が絵画のモチーフになることだろう、と酔い掛けた瞬間、子供が言い訳するように小さくて早い口調の声が漏れ聞こえてくる。
「一人だけにする、人質に手を出すのは」
「……」
 オーギュストは、視線を横に外して、口元を手で隠しながらさらりと言い除ける。これに両将軍は、挙げた手を下げるタイミングを完全に失ってしまった。
 見かねて、横から声が入る。
「では――」
 上帝軍幕僚の【ルイーゼ・イェーガー】がこの軍議を締める。ベアトリックスがヒューゲルランド州の統治のために残留しているので、このルイーゼが、オーギュスト側近の筆頭となる。
「両将軍は、明日の朝、フリートの包囲を」
「……御意」
 二度目の返答は、些か締りに欠けていた。

 オーギュストは、城内は暑苦しいと、城下町の円形闘技場に閨房を移した。
 すり鉢の底の競技場には、模擬水戦用に水を張ることができた。この夜、水面に映った満月を、風のままに、特殊な双胴船がゆっくりと進んで砕いて行く。
 広いデッキの上には、白地のテント生地で屋根と壁を覆った四角錐の寝所があり、淡い暖色の光を透かして、円形闘技場の石材で囲まれた暗闇の中に仄かに浮かんでいる。
 デッキには他に、グリルとガーデンテーブルがあり、屋外でバーベキューを行った形跡もある。
 寝所の中には、天蓋付きのベッドとジャグジーがあり、その頭上では、シーリングファンが静かに回っている。
 ベッドの傍らには、美しい少女がいた。
 一人目は、控え目に目を伏せいている。
 青いカチューシャで髪を抑え、銀縁の眼鏡をかけている。地味目な顔立ちで、肩から胸にかけて曲線はほっそりとして青りんごのような印象を与えてくる。
 二人目は、平然とした表情で、その大きな瞳を臆することなく見開いている。そして時折、きょろきょろと好奇心に促されて周りを見回している。
 髪をツインテールにして、赤いリボンで結んでいる。目鼻立ちのはっきりした派手な美貌で、白桃のような膨らみに桃の花びらを思わせる乳首がまた美しい。脚はほっそりとしていながら、白く、むちむちと見るからに柔らかそうである。
 三人目は、背筋を伸ばし、慎ましい顔立ちを威嚇的に凛々しく引き締めて、しっかりとオーギュストを見据えている。
 切れ長で理知的な瞳、涼しげな眉、通った鼻筋、口元の形も小さく整っている。
 長身ですばらしく形のいい脚をしているが、胸は精々Bカップ止まりで、尻もまだまだ硬さが残っている。また、磁器のようにきめ細やかな肌に、腰まである艶々の黒髪が、より清楚さを強調している。
 四人目は、恥じらって、微かにはにかんでいる。
 卵型の小さな顔に、ボーイッシュなショートカット。しかし、その肉体はグラマラスで、胸元は深い谷を刻み、スズメバチのように括れた腰から急激に尻肉が膨らんでいる。
 降伏したフリーズ大河南岸の領主は、息子や弟、それに娘や妹や妻を人質に差し出してきた。代わりに、オーギュストは、領地安堵の朱印状を渡した。
 この人質の中から、まず一般常識テストでより分け、次に顔でふるいにかけ、それから、腹部に少しでも脂肪がある者を排除した。残った者の中から、最後に、乳輪が小さく、色素が薄い者を選抜した。こうして、オーギュストの好みに適ったのが、この四人である。
「さすがアルティガルドだ。4人も残るとは、あははは」
 オーギュストが闊達に笑う。

 その頃、
「異常なし」
 ランとその部下たちが、円形闘技場のゆったりと曲がった廊下を、ランタン片手に見回りしている。
 5番ゲートと書かれた通路を覗くと、無人の客席越しに、双胴船の灯りが垣間見えた。先程から、虫が光に引き寄せられるように、その存在が気になって仕方ない。
「ここも異常なし……ふあぁ」
 しばし黙視した後、また歩き出す。単調な仕事に、部下たちから思わず欠伸が出た。
 と、突然、4番ゲートで人影を見付ける。
「うわぁ、だ、誰です?」
 部下の一人が、狼狽の声を上げて、ランタンを掲げて誰何する。
 闇の中の影が振り返る。その不明瞭な動きだけで、ランはその人物が誰か分かってしまう。その途端、咄嗟に柱の陰に身を隠した。
「これは失礼しました」
 ランタンの灯りで顔を確認すると、部下たちは、謝罪の言葉を述べながら慌てて敬礼する。
「アン顧問殿、こんな所でどうなさいましたか?」
「トイレよ」
「重ね重ね、失礼致しました」
 アンは客席の下や通路のゴミ箱も調べるように指示した後、大きくハイヒールの踵を鳴らして、コンコースの奥のトイレへ向かっていく。
 ランは「お前たちは行け」と部下たちに無言のまま指で合図を送り、そのまま見回りを続けさせた。そして、自分は猫の足のように静かにアンを尾行する。
 アンは、トイレの洗面台の前でじっと佇んでいる。しかし、よく見れば肩が震えて、まさに毒蛇のような殺気をその背に漂わせていた。
「あんな!」
 ついに怒りの感情を噴火させた。マグマのような威勢で、胸の勲章を引き千切ると床のタイルに投げつける。見事な金細工が細かく砕けた。
「小娘にッ!」
 それでも収まらず、腰の剣も肩の参謀飾緒も叩き付けた。
「忌々しい!」
 余ほど興奮していたのだろう、腕を振った反動で、よろめいて転倒しそうになる。
「ひぃあ!」
 辛うじて、洗面台に手をついて支えた。
「はぁはぁ……」
 しかし、怪我の功名というやつで、逆上せ切った頭を、どうにか急冷することができた。
「無様ね……」
 鏡に映った、赤鬼の如く、燃えるように赤く火照った顔を見て、堪らず自嘲する。そして、大きく息を吐くと、トイレの個室へと入っていく。そして、間もなく微かな嗚咽の声が漏れ始めた。
――え?
 扉の前に立ち止まったランの耳に、はっきりと、啜り泣きに混じって、甘く熱っぽい息遣いが聞こえてくる。
「あ、いい、ぁああン……」
 ランの胸がドキリと荒々しく高鳴る。それは、紛れもなく、気持ちよさと切なさの絡まり合った乙女の喘ぎである。
――あのアンがこんな所で始めるなんて……。
 心臓の鼓動は破裂寸前である。
 錆びの目立つドアノブを恐るおそる回すと、安物の蝶番が忽ち悲鳴を上げる。扉はのろのろと開いて行く。頭に大量の血が上っているせいか、時間がゆっくり流れているように感じられた。
「ああ……ン」
 塗装の剥げた扉の陰から、便座に腰かけて、白いシャツに無数の皺を寄るほど強く巨乳の胸を揉み、スカートの中に手を突っ込んだ美少女が現れた。
 人形のように整った容貌は蕩けて、陶然とした目付きでうっとりと悦に入っている。バラの蕾のような可憐な唇からは、哀切な吐息を断続的に零れている。
「きゃっ!」
「御免なさい」
 二人の目が合う。刹那の沈黙の後、アンは悲鳴を上げ、ランは慌てて謝罪の言葉とともに扉を閉めた。
「……」
 吹けば飛ぶような薄い板を挟んで、二人は石造のように固まってしまう。
「うわあああん」
 その静寂を破って、アンがうおんうおんと恥も外聞もなく泣きじゃくり始めた。
「アンッ!」
 ランは躊躇いなく素早く扉を開き直す。その胸にアンが飛び込んだ。
「辛かったのね?」
「辛いのつらいの……」
 鼻をすすりながら喚く。
 ランの瞳が忽ち潤んで、トイレの風景も歪んで滲んだモザイク画のようになった。
「分かってる、分かっているよ」
「うん、ありがとう、ありがとう」
 ランはアンの身体を強く抱き締める。理由は分からない。理屈も知らない。意味も全く理解できない。ただしかし、二人は共感した。
「うんうん、アン……」
「うんうん、ラン……」
 滴が次々と流れ落ちる顔で何度も名前を呼びあい、何度も頷きあう。
 しばらく泣きあった後で、ランはアンのシャツの釦を留めてやり、アンは自分のスカートのベルトを締め直す。
「あたしだけ……ずっと呼んでくれないの……」
「うん」
 少し落ち着いたのか、アンはゆっくりと語り出す。それにランは優しく頷いた。
「あたしだけ、アルテブルグ入城用の新しい衣装が支給されなかったの……」
「うん」
「きっと、きっと、あたしに飽きたんだわ」
「そんなことないって。だってアンとってもきれいだもん」
「うん……」
 ずずーっと鼻をすする。
「小娘が4人も……」
「アンが一番だって」
「うん」
 袖で口元の涎を拭く。
「でも、だから、もしかしたら、死んだあの歌姫に替えて、あたしを賞品にしようとしているのよ、絶対そうよ。だって、あたし……」
 再び感極まって、鼻水が出てきた。
「考え過ぎよ」
 ランが爽やかに微笑む。その裏で段々心が冷めていく。
「ね、ねえ、ねえ!」
 突然、目を剥いて、アンがランの両肩を掴んだ。
「な、何?」
「お願いがあるの、聞いてくれる?」
「な、何よ?」
 拙いと思いながらも、勢いに押されて聞いてしまった。
 だが、そこで突然アンは黙り込んで俯いてしまう。
「言いなさいよ」
 いい加減面倒になってくる。
「あたしたちのセックスを見ていてほしいの」
「え?」
 意表過ぎて、魂の抜けた声をもらす。
「部屋の片隅に立っていてくれればいいの。そして、さっきみたいにあたしを見てくれればいいのよ。あ~ぁ友達に見られて、恥ずかしさに喘ぐあたし――」
 妙案を思いついて、アンの表情がぱっと晴れてくる。
「趣向を凝らせば、きっと悦んでくださるわ」
「誰が?」
 ランの片頬がぴりぴりと引き攣る。

 深夜になる。
 アンの読み通り、オーギュストは二人を招き入れた。
 四人の美少女は自己紹介の後、研修を受けるために別室へ移動した。それと入れ替わりで、二人は寝室へ入った。もうアンは感泣のために顔を手で覆っている。
 そして、許しを得たアンは、ランの見守る中で、小躍りして裸体を曝け出し、惜しげもなく双臀を捧げた。
 余りのアンの感激ぶりに、一時的にランも「アンよかったね」と感慨にふけった。
 しかし、
――どうしてこうなった、どうしてこうなった!
「あっ、うぅぅ、あううう」
 気が付けば、ランの眼前では、アンが四つ這いで尻をオーギュストから犯されて、獣の咆哮を上げている。
「うぉぉん、うおおん!」
――無様過ぎるぞ、アン……。
 肉欲をむき出しに、醜態をさらしている。
 対立することはあっても、ランは凛としたアンの美しさを内心で認めていた。オーギュストに手折られても、素直に納得できた。しかし、今の彼女には決定的に品も美も欠けていた。
 どうせならば、酒場の踊り子のように妖艶に振る舞えばいいのに……と、思わずにいられない。第一に、友人に見られて恥じらう計画はどうなったのか。
――ぼくならば……。
 アンの膣穴を出入りする逞しい男根を見詰めながら、何時しか考え始めていた。
 もっと濡らすだろう……。
 もっと締め付けるだろう……。
 もっと腰を振り立てるだろう……。
 何度も褒められて、頭を撫でてくれた。
「ぁ……ん」
 ランは目尻を赤く染めて、恍惚と喘いだ。
 身体の奥で官能の火がともっている。
――…熱い……熱い……。
 次第に頭は熱に魘されていく。
 ミニスカートのスリットから手を差し込み、太股の内側に指を進めれば、その湿った熱気に指先が痺れる。
――濡れてる……。
 躊躇いながらも、シルクのショーツにできたシミに爪先を宛がう。生地を挟んでも、ぷっくり芽吹いたクリトリスの形がはっきりと感じ取れた。
「ひぁ…あん」
 爪でクリトリスを掻き、円を描くように秘唇をなぞる。瞬く間に、甘ったるく鳴きはじめていた。
 一つの快楽が、次のより大きな快楽を求め始める。抑え切れない衝動に駆られて、女の割れ目に沿って指を上下させていく。そして、次第に速さと激しさを増していく。
「…はぁ…ああん、うん…もう…入んない……っ」
 生地の存在を失念したのか、焦った手付きで、ショーツを掻き毟った。
 つるりと桃の皮と剥くように、汁気をすったショーツを脇に寄せると、
「あっ、あーっ」
 指で直接秘唇に触れた。じれったさから開放され、かつ、生の感触に、満足げな表情を浮かべて、艶やかに喘ぐ。
 ふとオーギュストと目が合った。それだけで、軽く気をやった。
「ああ……ん」
 もうアンは気を失っている。四肢を投げ出して、枕に突っ伏している。だが、秘唇に白い物はない。
――情けない奴!
 自分の役割を全うできなかったアンを内心でなじる。
――ぼくなら、ぼくなら、ぼくなら……。
 呪文のように何度も心で呟く。
「来い」
「うん」
 弾かれたように動きだしていた。
 上体を折り、サイドボードに手を置く。そして、腰を反らせて尻を掲げる。
「はやくぅ」
 それから、ミニスカートを捲り上げて、ストッキングとショーツを同時に摺り下ろした。開かれた媚肉から雌の匂いが溢れ出て、熱い滴をぼたぼたと垂れしている。
「あっ、うぅぅ、あううう!」
 濡れ切った膣穴に、極太のものがみっちり嵌まると、手足に快美な電流が流れ、それを合図に、アン同様に野獣の雄叫びを上げた。

「うう……」
 アンが目覚めた。どのくらい気を失っていたのか分からない。まだぼんやりとする頭を振り、うっすらとする視界に目をこする。次第にはっきりとする思考と視界、そこに異様な光景が飛び込んでくる。
 異質なランがいた。
 オーギュストは部屋の中央の椅子に座り、手には銀色に鈍く光る鎖を持っていた。その鎖の先にランがいる。一糸まとわぬ姿で、首に赤い首輪をして、その首輪と鎖が繋がっている。そして、両手を床について、調教馬のようにぐるぐるとオーギュストの周りを歩かされている。
「ああ……」
 立ち止まろうとするランに、オーギュストの手の鞭がピシッと白い尻を打つ。
「ああっ、ごめんなさい、ゆるしてください……」
「ほら、キリキリ歩け」
「はい……でも……」
 ランは尻を小刻みに揺らす。
「もう限界なのか?」
「はい、申し訳ございません。ラン……オ…オシッコ……もれてしまいます。どうかさせてください」
「よかろう」
「ああ、ありがとうございます……」
「ただし」
 鞭が観葉植物を指す。
「はい畏まりました」
 ランはもう二三歩這って進み、観葉植物の所で片脚を上げた。その時、鞭が鳴る。
「あ~あ、でてるぅ」
 それを合図に勢いよく、小水が吹き出し、放物線を描いて観葉植物の根に降り注ぐ。
 アンの胸がちくりと痛んだ。
――……墜ちてる。
 首輪に繋がれ、男の所有物として命ぜられるままに従う。牝奴隷の名に相応しく、まさしく男へ身も心も捧げている。
「あ、あたしも……」
 アンは心の底から、ランを羨ましいと思った。そして、慌てて立ち上がろうとして、腰に力が入らず、ベッドから落ちてしまう。しかし、意に介さず、そのまま這って、ランの横に並んだ。
 重たげに垂れた乳ぶさを揺らし、甘えるように豊かな尻を振る。
 僅かに縮れた襞から、サーモンピンクの柔肉が覗いている。乾いた秘唇の上に、すでに、新たな熱い蜜を溢れ出して、周囲の繊細な毛を抱き込んで張り付かせている。
「ああ、あなたもこうなってしまったのね……ごめんなさい」
 アンは頬を床に着けて、配慮が足りなかったと痛切に嘆く。この魔窟に、ランのような美女を入れればどうなるのか、分かり切っていたのだが、正直自分のことで頭がいっぱいだった。
「いいのよ。仕方ないの。運命だったのよ」
「うん、あたしもよ」
 二人は、互いの顔を映した熱い涙を流す。
「二人で奴隷としてお使いしましょう」
「うん」
「どうだ――」
 床に這う二人の遥か高みから声がした。
「お前たちもめでたく竿姉妹になったことだし、誓いのキスでもしてみろ」
「はい」
 二人は素直に返事して、唇を重ね、舌を絡ませ、唾液を吸い合った。
 羞恥心と快楽……今夜の二人のテーマだった。それを遙かに凌駕する隷属の被虐……。屈服した奴隷の表情が互いの瞳の中にいる。
「……」
「……」
 二つの美貌に影はない。単純な、たった一つだけの、セックスにのめり込んだメスの悦びだけに輝いている。そして、競うように捧げた尻をくねらせて、甘ったるい声で媚びる。
「早くぅ……どうか……ぼくの三つの穴を使ってぇ……」
「あたし~のぉ…胸と尻でぇ……ご奉仕させて下さいぃ……」
 ランは剣術で鍛えた肉体に自信がある。上の口で咥えれば首を、下の口では腰を、まるで別の生き物のように蠢動させることができる。
 一方、アンはスタイルが自慢である。色白で、乳ぶさも尻も、つきたての餅のように瑞々しく豊かに膨らんでいる。
「んぅ!」
「ひぁぁッ!」
 オーギュストは、右で張り出した白い双臀を、左でランの引き締まった双臀を弄り、その割れ目に指を嵌めていく。途端に、二匹のメスは快楽の声をあげた。
くちゅちゅ、ぴちゅちゅ。
 そして、下半身の女の口が、あからさまに性の法悦を叫び上げる。
「ひっぃいーーーん」
「ひょううーーーん」
 二つの頭から抜けるような恥音が共鳴すると、秘穴から激しい水飛沫が吹き上げた。
 ぶちゅーっ、ぐちゅーッ、ぐしゅしゅーっ、ぶしゃーっ!
「ランの方が飛んだぞ。褒美だ」
 オーギュストは、ランのマグマのように熱くなった膣肉を抉るように、その隠微な穴に男根をねじ込んでいく。
「くぅぅ……ああああっ!」
 ランが盛大に吠える。
「もう気をやったのね。かわいい」
 アンは火を噴かんばかりに火照った頬へ舌を這わせ、浮かび上がった汗の玉を舐め取る。そして、掌の中にすっぽりと収まる毬のような胸を揉む。
「次だ」
 10回ほど叩き付けた後、今度はアンに入れた。
「あああああっ!」
 ずずっ、ずにゅにゅ、と濡れ切った膣肉に男根が埋まっていく。アンは大きく息を吐いた。全身に衝撃が走り、頭の中にまで響き渡った。
「あ、あぁン、オマンコをいいッ!」
 膣襞は蠢き、逃がすまいと締り、更なる奥部へと誘い込んでいく。
「イイイイイイっ! クううううううっ!」
 そして、鍾乳洞のようなに神秘に満ちた穴の最深部を二度三度と突かれた時、女の悦びに満ちた奇声を発して達した。
「アンも可愛いよ」
――こんなに気持ち良さそうな顔されたら何も言えないや。よかったね、アン。
 今度はランがアンの美しい乳ぶさを揉み、その固く尖った蕾を舐め吸った。
「ひッ……あぁぁあぁ、うっ、うっ、あぅわ、ひィッ!」
 イキ癖のついたアンは、何度も立て続けに絶頂を迎えていく。
「あぁっ……!?」
 しかし、その歓喜の喘ぎが突然途絶えた。「ああぁぁぁぁぁっっ!!」
 不満と不安の混ざった顔を向けた瞬間、喜悦に震えるランの声が轟いた。
「あっ、あっ、あっ、……んーーーーッ、駄目っ、また、またイッちゃう、またイッちゃうッ……」
 二人とも感度がいい。ランは狭くよく絡みつき、アンは蠢き吸い付いてくる。オーギュストは二人の膣襞の感触を味わい尽くす。
「あっ、ああっ、あくっあぅんっあああぁぁっ……!」
 ランを横向きに寝かせて片脚を持ち上げた。
「すごい……こんな風なんだ」
 ランの膣穴にずぶずぶと出入りする肉塊を、アンが食い入るように見詰める。
「いやぁああ……」
 気恥ずかしさにランが悶える。
――でも……、もし……?
 そして、与えられる官能の刺激に従って、次第に、裸体を弓なりに反らしていく。
「ランはこの姿勢が一番魅力的だ」
 オーギュストが、激しく攻め立てながら囁く。
「……」
 アンは息をのんだ。
 確かに、股関節が柔らかいから脚は高く上がり、反った腹部にはコブのような腹筋が浮き出て、尻の筋肉はゴム毬のように盛り上がっている。そして、胸の膨らみはこぢんまりと弾み、この場合は大きな胸が垂れて揺れるよりも、はるかにバランスよく感じられた。
「ああ、あああァァァァ……し、死んじゃうぅぅぅッ!」
 天井のシーリングファンが逆回転するのでは思えるほど激しく嗚咽し、ランは狂ったように痙攣し続ける。
――でも……、もしも……?
 そして、オーギュストが離れても体はガタガタと震えて、腰を何度も何度も跳ね躍らせ、大きく開いた股間から潮を捲き散らした。
「ラン、とても素敵よ。貴方は本当にセックスするために生まれてきたのね」
 アンは、恍惚とした表情で、ランを見詰めて呟く。
「陛下、今度は私を…一番似合う格好で犯してください」
 そして、切々と乞い願う。
「そうだな」
 オーギュストは短く考慮してから、アンの両足を荒々しく掴んでひっくり返し、仰向けにした。そして、白雪の桃尻を両腕で持ち上げて、膝の上に抱え込む。
「ああ……ン」
 アンは、自然と腕を立てて、上体を浮かし起こした。首を後ろに仰け反り、真昼の満月のように白く丸い豊潤な二つの膨らみを突き出す格好となった。
「あっ、ああっ、あくっあぅんっあああぁぁっ……! いいっ、オマンコ、気持ちいいっ!!」
そして、オーギュストの眼前で、ゼリーのようにぶるぶると揺らす。
「いやっ、あひっ、ひぎぃぃっ……!!」
 激しさを増す攻めに、支え切れずに腕が折れて、頭が床に落ちる。
「……あたし、またイって、イってしまいますぅ……っ! ああっあっあああああああぁぁぁっっ!!」
 そのままオーギュストは足を両肩の上に載せて、腰を叩き付け続ける。
 柔らかな尻肉が、衝撃で弾み、波紋のように揺れて、魅惑的な巨乳は大きく円を描いて蠢き続ける。
「アン、素敵よ……なんて淫乱な身体なの。男を悦ばせるために生まれてきたのね」
 ランが起き上がって、オーギュストの乳首を舐めながら猥褻な感想をもらす。
「はい」
 そして、オーギュストに促さるまま、ランの貌の上に腰を下ろした。
「ぅううぅっっ……あっ、あぁ――――――――――――――――――っっ!!!!!」
 それまで魂が蕩けたような声でよがっていたアンだったが、いきなり顔を塞がれて、くぐもった呻き声に変わった。
「いっあっああっあひっあくっあぎゅぅあきゅぅぅんっ!!! ひぃぃぃぃんっっっ!!! あ――――――――――――――――――――――っっ!!!!」
 と、今度は、ランが腕を胸の前で交差させて、烈しく裸体を捩じらせて、断末魔の悲鳴をあげる。
 アンは、セピアに色付く可憐なすぼまりを舌先で抉り、それから、紅玉のような肉の蕾を唇で啄む。
――でも……もしもよ?
ランは、火口のように大きく開いた膣穴から、間欠泉のように膨大な潮を吐き出した。そして、がっくりと頭を後ろに落として、白目を剥いて失神した。
「…………ぁ……」
「……ぅ…………」
 汗と涎と涙に汚れた美貌を重ね、恍惚と至福に満ちた寝息を立てている。
「淫乱な小娘たちですね――」
 不意に別の女の声がした。
「女三人集まれば姦しい、と言いますが、この子らは二人でも十分姦しいですね、ふふ」
「戻ったか?」
「はい」
「首尾は?」
「上々です」
――でも……もしも、この状況に厭きられたら……。
「そうか、風呂に入るぞ」
「喜んで」
――もっと刺激を、もっともっと過激なシチュエーションを考え出さないと、今度はぼくが捨てられてしまう……かもしれない……?


 フリート――
 城壁の上には、短い間隔でずらりと篝火が並んでいる。城外から見れば暗夜に赤い光で綾を織ったように美しいが、その現場は怒号と悲鳴の飛び交う阿鼻叫喚の修羅場である。
「薪を絶やすな」
「何処にある?」
「家を壊せ!」
 守備兵は炎を絶やさぬように、神経質なほど気を配っている。
 それは、少しでも闇に飲み込まれれば、その場所には二度と日は差さない、という強迫観念に縛られているようであった。
 街の中心に位置するフリート政庁も、夜通し灯が燈されている。その単調な淡い光は、大河の深淵に全て吸い込まれていくが、その水面さえ照らし出すことができない。ゴーゴーと不気味な水音だけが、漆黒の闇から轟いていた。
 朝から続く軍議は、蛙鳴蝉噪して、まだ終わらない。
「打って出るなど論外です」
 出撃すれば、お前たちは逃げ散るつもりだろう、と思わず口を滑らせそうになった。
「兎も角、ここに居れば安全です。このフリートは、北にフリーズ大河を天然の堀とし、南には三つの稜堡がある。稜堡は、相互に守り合って、決して突破されない」
 一人の壮年の大尉が、掠れた声で言う。ほつれたオールバックの髪が、彼の疲労を物語っていた。
 彼は、降伏して開城したホークブルグ要塞から逃げてきた士官の一人で、軍関係者の中では上位者の方である。バラバラな兵士の再編成などで、精神をすり減らしていた。
 会議場には、フリーズ大河南岸の諸領主たちが顔を並べている。中には男爵の爵位を持つ者もいる。
 多くの者たちは、土のように顔色が悪い。まさに猫に囲まれた鼠のように、絶えずオドオドとして、意味もなく頭を横に振り続けている。
「籠城と言っても、武器や兵糧の備蓄はあるのか?」
 生気のある声がした。
 怖いもの知らずの若い騎士が立って発言する。彼は素行が悪いことで知られ、山賊まがいの盗みをすることで知られている。
 恬として恥じるようすもなく、大尉ではなく初老の冴えない下級官吏に問う。声にも顔にも、略奪者としての好奇心が滲んでいる。
「書類上はありますが、……確認はしていません」
「はっきりせんな」
 後ろ首に手をやり、薄ら笑いを浮かべる。
「何分、叛乱軍が、荒らしまくりましたから……」
 ここヴァンフリートは、【ロマン・ベルント・フォン・プラッツ】などが蜂起した場所であり、上、中級官吏は、殺されるか逃亡している。また、若手の有能な官吏は、叛乱に加わり、その行方は未だに分からない。
「ですから、皆さんの家臣と物資をお貸し願いたい」
 大尉は、単刀直入に用件を告げる。もはや相手の心情を斟酌する余裕はない。
「しかしなぁ……」
「困ったなぁ……」
「損害が出ても保証はないのだろう?」
「主とともに戦いたいと言う彼らなりの忠義もある訳だし……」
 はっきり言って、この場に、積極的に自分の財産を提供しようとする者は誰もいない。
「……」
 大尉は舌打ちをした。戦うべき敵は城外に居るというのに、ここに集まった者たちは、弱い立場の自分を叩くばかりで、それで溜飲を下げて満足している。
――俺は何をしているのだ……。
 いい加減、王への忠誠心も、戦士の矜持も色褪せてしまいそうだった。
「堂々巡りだな……」
「兎に角、問題は援軍だよ。アルテブルグの軍勢は何時来るのだ?」
「今現在、王国軍に、助けに来るだけの余力があるのか?」
「アルテブルグの新しい情報はないのか?」
 将兵は敗戦の連続に疲れ切り、領主たちは自己保身を優先し、残っている官吏は無能ばかり。彼らをまとめられる者は、ここには誰もない。
――事ここに極まった……。
 大尉の心に空虚な穴が広がっていく。
 その時、俄かに廊下が騒がしくなった。
「失礼する」
 豪勢な彫刻が施された扉が開いて、3人の女性が入ってきた。
「私は、【アリーセ・アーケ・フォン・ハルテンベルク】である」
 壇上に立ち、活気あふれる声で名を告げる。
「ハルテンベルク子爵家の……?」
「死んだと噂に聞いたが……?」
 蜂の巣を突いたように、会議室がざわめく。
「メーベルワーゲン大会の後、私の偽物が暗躍したようだが、叛乱軍に参加して死んだのはそっちの方だ。私は常に王国の側にあり、その行動は祖国への奉仕にほかならない」
 先制して噂を否定し、自身の正当性を口早に主張する。
「おお真にアリーセ様だ。ご無事で何より。取り乱して申し訳ありません」
 顔見知りの老領主が進み出て、恭しく首を垂れる。
「構わぬ」
 その威厳に、誰もが納得してしまった。否、まさに藁をも掴む思いだったのだろう。この場の誰もが、導いてくれるリーダーを心から欲していた。
「私は【ヴェロニカ・ロジーナ・フォン・ベルタ】と申します。顔を見知った者もいると思いますが……アルテブルグから逃げて参りました」
 次に前に出たのが、ヴェロニカである。一斉にどよめきが起こった。反逆者とはいえ、待ちに待ったアルテブルグからの生存者である。
「アルテブルグで窮地にあるところを子爵夫人に、お助けいただきました」
 誰かが、『よく生き延びられたものだ』と言われる前に早々に解説する。
 その言葉を待って、最後の一人【猪野香子】が一礼する。余談だが、実際に助け出したのは彼女である。
「アルテブルグは混乱の極みにあります」
 香子が端的に告げる。
「故に援軍の可能性はない」
 そして、アリーセが結論部を受け持って、きっぱりと言い切り、ゆっくりと室内を見回す。それから、さらに強く言い放った。
「幼いヴィルヘルム2世陛下も御崩御なされました」
「なっ……」
 その瞬間、まるで雷が落ちたように全員の思考と行動が止まった。会議室は水を打ったように静まり、まさに時の流れさえも破壊されたようだった。
 しばらくの沈黙の後、ガタガタとその場に崩れ落ちる者が現れ、あちらこちらから、せせり泣く声も漏れ始める。
「もはや籠城に、意味はない。命を無駄に捨てるようなものだ。今はいち早く国家の再生を急ぐべきだ」
 アリーセが、油紙に火が付いたようにぺらぺらと喋り続ける。
「再生?」
「そう先ず新たな王に立って頂く」
「王とは?」
「先代ヴィルヘルム1世陛下の末子シャルロット王女様だ」
 香子が、手際よく、眠った幼女を抱きかかえて戻ってきた。
 このシャルロットは、かつてヴィルヘルム1世がオーギュストに下賜したグィネビィア妃の娘である。
「そして、サリスと和平を締結するのだ」
「しかし、サリス軍は、交渉の使者どころか、投降者さえ受け入れない……」
 すぐに、この世の終わりと言わんばかりに意気消沈した反論の声が何処からともなく聞こえてくる。
「ここに来る前!」
 アリーセは、この日、最大の声を出す。
「すでに私はサリスのディーンと交渉してきた。明日の朝、ディーン、否、ディーン上帝陛下と直接会談を行う!」
「これがその証拠です」
 アリーセの声に合わせて、香子が誓約書を高々と頭上に掲げる。
「おお!」
 その瞬間、癇癪玉を噛み潰したような衝撃が会議室を走り抜けた。
 誰もが、「これがアルティガルド王家に繋がる子爵家の威光と言うものだろうか」と囁き合い、まじまじと壇上の美女を眺める。
「今こそ、ここにいる全員の力が必要だ」
「我々の……?」
 目を丸くして互いの顔を見合わせた。こんなちんけな顔をした者に何ができるか、と訝しがる。
「このフリートの戦力が残っているうちに、出来るだけ有利な条件を勝ち取る」
 アリーセは、突然の成り行きに唖然としている大尉を見た。
「君たちが戦力温存してくれたおかげだ。感謝する」
「……」
 これに、大尉は何も返答できなかった。疲労から頭が痺れて上手く思考がまとまらない。只々、もう彼女にすべて任せて一刻も早く楽になりたかった。
 そして、誰ともなく『子爵夫人を支持する』という声が上がり、次第に声は重なり、大きな拍手の渦となった。
「シャルロット女王万歳!」
 熱い熱気に包まれつつ、夜明け前に、会議は幕を下ろした。


 数日後、サリス軍の兵士が、無抵抗に城門を潜っていく。
 すべてのアルティガルド将兵は武装解除され、官庁、軍、そして港湾施設など町の重要拠点は、サリス軍によって占拠された。
 降伏した領主たちは、一旦、街外れの修道院に監禁された。期待していた領土安堵の朱印状は与えられず、すべてアリーセに一任されている。
「騙された!」
 その待遇が、ハルテンベルク子爵家の陪臣扱いだったことに憤慨して、領地へ脱出を試みようとした者もいたが、尽く捉えられた。そして、街の中心地で五つの道が交差する“五辻の広場”で公開処刑された。
 残った者たちは、完全に戦意を喪失して、渋々と人質を差し出すことに了承する。
 全てが綺麗に片付くと、オーギュストはフリートに入城を果たし、鐘楼と“王の間”のある政庁の別館に入った。
 白い壁と床の広々とした空間に、豪勢なシャンデリアが吊り下がっている。そして、上座には、黄金の天蓋に赤いカーテンがたわわに垂れて、宝石の散らばる玉座がある。
「大義である」
「恐悦至極に存じ上げます」
 玉座の前で、アリーセは恭しく跪き、畏まっている。
 フリートを無傷で落とせたことは大きく、この功績により、アリーセは侯爵に陞爵した。
「ただ――」
「うむ?」
「ただ、卒爾ながら、多数の市民がヴァンへ逃亡したために渡瀬舟が足りません……」
 アリーセが神妙に詫びる。
「……」
 オーギュストは黙って、駆け付けたばかりのベアトリックスを見た。
「橋の資材は?」
「ご懸念には及びません」
 ベアトリックスが平然と答える。
「それは重畳」
 オーギュストは口辺に笑みを漂わせた。
「はい」
「成功すれば、お前の父親も伯爵だ」
「はっ、有難き幸せ」
 ベアトリックスが、凛とした姿勢で一礼する。
「しかし、この戦争、ここまで順風満帆ならば、ロックハートがアルテブルグに到着する可能性も高かろうな。そうなれば、無用となろうよ」
「無事到着しましょうか?」
 今度はアウツシュタイン将軍が問う。手柄欲しさに、うずうずしている目である。
「その方が楽だ。もうこの暑さにはウンザリしている」
 のどかな笑いが起きた。
「兎に角、ロックハートの方には、ヤンを送っている。如才ない男だ。すぐに詳細で正確で客観的な報告を寄越すだろう」
「御意」
「それまで、兵には十分な休息を与えよ」
 これで軍議は終わりという雰囲気が漂い始めた時、そこへ、セリアから緊急連絡が届く。
「申し上げます――
 ルイーゼが跪く。
「刀根殿より急使です」
「また吉報ですかな?」
 アレックス将軍が、軽い口調でもらす。
「アルテブルグを脱出しましたジークフリード・フォン・キュンメルの率いる水軍が……」
「ほう、ついに捕捉したか?」
 オーギュストの顔に微かに興味がわく。
「ルブラン湾のガブリ島(71章参照)を占拠しました」
「……」
 唖然とし過ぎて、オーギュストは開いた口を閉め忘れている。
「確か、あそこにはフリオ様が居られた筈」
 見かねて、ベアトリックスが問い質す。
「ブリュースト港湾総督待遇予備役特別顧問フリオ様とブリュースト要塞防衛司令官代理補佐並マックス殿は……その……、刀根殿の報告によれば……人質に取られたという事です」
 ようやくルイーゼは、気まずい報告を終えて一息つく。
「え?」
 オーギュストが明後日の方向を見て、すっ頓狂な声で問い返す。
「え?」
 ルイーゼが返答に迷い、救い求めて、踊る瞳でベアトリックスを見遣る。
「え?」
 ベアトリックスが、首を傾げて、聞いてなかったという顔で両将軍を見る。
「え?」
「え?」
 アレックスとアウツシュタインの両将軍が、一旦顔を見合わせて、それからベアトリックスの視線に気付かないふりをして、飲み物を用意していた秘書官たちを見る。
「え?」
 突然注目されて秘書官が、ミスを犯したと思い縮こまり、その責任を押し付けるように顔を扉近くの二人の衛兵に向ける。
「え?」
 衛兵たちは戸惑い、きょとんとしながら取り敢えず役割である扉を開ける。
「にゃ?」
 赤い絨毯の上で寝ていた三毛猫が、不思議そうに鳴いてから悠然と毛を舐め始めた。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
 廊下から生温い風が吹き込んできた。広間に長い沈黙が流れて、天蓋のカーテンがこすれる音だけが木霊する。
「け、計算通りだ……」
 オーギュストが抑揚のない声で告げる。


【8月下旬】
 ティーアガルテン州――
 その頃、ロックハートは、悠然と進撃して、ヴァンフリートの隣州【ティーアガルテン州】に至っていた。そこへ、前方に放っていた斥候が、「統制のとれた軍勢を発見した」と報告してくる。
「何処の軍隊でしょう?」
「軍が湧いて出てくる訳がない。ロイドから帰還したアルティガルド王国軍だろう。しかし、ここに出てくるか……」
 緊張で顔を強張らせた副官に、ロックハートは至って冷静に答える。しかし、心の中には、不安と焦りが渦を巻いて、平穏な思考を竜巻のように荒らし回っている。事前の予測では、残った王国正規兵は、組織だった行動をできず、アルテブルグに籠城すると思われていたからだ。
「うーむ……」
 はたして、これは出会い頭の戦いであろうか……。
 それとも待ち伏せされたのか……。
 そもそも長期戦と急戦、どちらを選択すべきか……。
 どちらにしても、手柄の独占はなくなったかァ……。
 ロックハートは大いに悩み、腕組みしたまま石膏のように固まった。
「申し上げます――」
 その時、敵の騎兵が突進してきたと幕僚たちが慌て出す。
「な、何?」
 その果断な用兵に思わず息が止まる。
「全軍臨戦態勢! 急げ!!」
 慌てて命令を下す。
「はっ」
 副官と幕僚たちが、よく訓練されており、手際よく走り回り、大声で指示を与えていく。
 しかし、間に合わない。
 ロックハート軍の先頭集団に向かって、敵騎乗から矢が放たれた。
 シールドで固めることができず、歩兵がバタバタと射抜かれて、防御線を整えることができない。
「先手を取られたか……」
 ロックハートは悔しそうに踵で地面を蹴った。
 しかし、アルティガルド軍の速攻は終わらない。隊列の乱れた箇所に、そのまま切り込んで大きな損害を与えてくる。
「増援しろ、急げ」
 ロックハートは、いきなり境地に立ったが、それが逆に彼の集中力を高めていく。無駄に狼狽せず、すぐに本陣から救援の騎兵を差し向けた。
 だがそれが到着する前に、敵騎兵は退却を始める。
「勝ち逃げさせるな、追え!」
 一方的に味方の兵が打ち取られて、救援の指揮官も頭に血が上っている。騎馬に鞭を入れて、激しく追撃しようとする。
 しかし、その瞬間左側面から伏兵が襲いかかってきた。皆、機動的な軽装の黒衣装をきている。特殊部隊のようで、ナイフを主な武器としていた。
「醜態を見せるな、鎮まれ。敵は少ないぞ。各個に対処しろ」
 出足を止められて、慌てて迎撃体勢へと切り替える。だが、ここでも敵の対応は早い。直ちに、敵伏兵は、彼らの前を掠めて、右の方角の森の中へと離脱していく。
「負傷兵は置いて行く。敵の主力を見失うな!」
 兵の損傷は少なかった。損失は時間の遅れぐらいだったろう。後れを取り戻そうと、全速で駆ける。
 その時、逃げていた敵騎兵が急反転してきた。
「あっ!」
 指揮官は、血管が凍り付いたように愕然として、馬上でぶるぶると身震いする。
 敵の見事な退却を見て、少しでも点数を稼ごうと狩ることばかり考えていた。不甲斐ない事に、敵の反撃を全く予測していなかった。
 もう眼前に敵が迫っている。驚きのあまりに声を出すことさえできない。
「ぐがっ!」
 その塞がった喉に息が通ったのは、胸を槍で抉られて、絶命の呻きの時であった。
「引け引け」
 真っ先に指揮官を失って、残った士官たちが個々の判断で早々に退却を命じる。
 しかし、逆に背後から追撃を受けて、壊滅的打撃を受けてしまった。
「展開が早い。指揮官の意志を感じる……」
 本陣に次々に劣勢の報告が届く。ロックハートは、霞のように広がる不安に思わず唸った。
「止むを得ない」
 敵の司令官の力量を認め、己の敗北を受け入れて、全軍の後退を決意した。
「第二陣のルートヴィヒ・フォン・ディアンに連絡『我敵と遭遇せり』と」
「はい」
「急げ、昨夜駐留した小城に戻るぞ」
 ロックハート軍の破竹の進撃は終焉を迎え、敵中に孤立した厳しい籠城戦へと突入する。


続く
Thema:官能小説
Janre:アダルト
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