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□ ほんの短い夏《序章前編》 □

――3――

――3――
「『好』は酷いなぁ。『紅』だよ」
 鷹佐は、大木家の茶の間に自然と馴染み、朝食の漬物を、バリバリと音を立てて食べている。そして、子供の素朴な質問にも、朗らかに笑って答えた。
「紅の鞘を愛用していたから、『紅』色の鷹と一瞬だけ呼ばれたんだ」
「ですよね――」
 万遍の笑みで、ちえがお茶を運んできた。そして、膝をつき、丁寧に袖をまくりながら差し出す。
「それなのに、この人ったら、いやらしい」
 台所への帰り際、聡乃丞へ軽蔑の眼差しをちらりと向ける。
「……」
 聡乃丞は、むっつりと不服そうに只管食べ続けていた。
「ねえねえ」
 今度は、幼い娘が鷹佐の袖を引っ張る。
「うん?」
 鷹佐は優しく応じる。
「サラマンダーって何?」
 やや人見知りなのだろう。少し頬を朱に染めながら、舌足らずな声で質問する。
「大陸にいる空を飛ぶトカゲだよ。女の子を乗せてね……」
「お前にはまだ早い!」
 鷹佐が丁寧に説明していると、突然、聡乃丞が大きな声を出した。娘は、目を丸くして、泣きそうな顔で逃げていく。
「お前は今日も釣りに行くのか?」
「ああ」
「熱心だな。もう一週間だぞ」
「ここは風景も美しいが、魚も美味だ」
「……お前がその言葉を使う時はろくなことがない」
「そうか」
「……」
 聡乃丞は、怪しむような目で、すっ呆けた表情の鷹佐を睨む。そして、無言のまま一気に味噌汁を口に流し込んだ。
「おかわり」
 ぶっきらぼうに告げ、投げ出すように、空のお椀を差し出す。
「もうありませんよ」
 それに、木で鼻をくくったように、ちえが答える。
「……」
 聡乃丞は、侘しく腕を下ろした。食卓に気まずい空気が流れる。
 食事を済ませると、聡乃丞は、玄関へと向かった。
「行ってくる」
 刀を受け取り、腰に差しながら、奥歯に物が挟まったように言う。
「行ってらっしゃいませ」
 そんな夫の態度をさらりと受け流して、ちえは、三つ指をついて見送った。

 九ツ(12時)の鐘が鳴る。
 鷹佐は、肩に竹竿を担ぎ、腰に魚篭を下げている。朝の会話どおりに、川へ釣りに出掛けていた。
 人が踏み固めてできた土手の道は、断続的に草が剥げ、糸のように細く、くねくねと蛇行している。そこを、小石を飛び越え、伸びた草を避けながら、のんびりと歩いていく。
 雪解け水を大量に含んだ川の水は、神秘的なほど澄み切り、生命の存在さえ許していないように見えた。
 鷹佐は、唐紅の猫足絣を着崩し、左腕を袖に通さず、まるで吊るすように腹から出している。その腕の影に、左胸に大きな十文字の深い傷が見え隠れしている。
 小さな橋に至った。ここから、往還に上がり、また少し進むと、先日の神社が見えてくる。
 鳥居の下に、四、五人の武家の夫人たちがいる。この神社は、手足の怪我に御利益があり、武家の中に熱心な信者が多い。この辺の情報は、この数日、聡乃丞から詳しく聞いていた。
 その中に、あの服部家の妻女がいる。
 服部家は、150石の物頭である。当主は服部内蔵助と言い、四十を少し越え、無辺流の槍の名手らしい。一方、妻の初音は、後妻で、二十代前半と歳が離れている。
「ごきげんよう」
「ごきげんようございます」
 調度、解散するところだったようで、初音は、微笑んで会釈すると、一人丘の野道へ入っていく。鷹佐はその後を、近付きすぎず離れすぎず、足取りを合わせて追いかけた。
 服部家は、月に一二度お参りするのが決まりらしいが、この一週間、初音は毎日お参りしていた。
 病人がいるのだろう、と聡乃丞は言ったが、その正否はともかく、鷹佐と毎日ここですれ違うようになっている。
 初音は、一度ちらりと振り返る。鷹佐の存在を確認したようだった。しかし、足取りは何も変わらない。
「きれい」
 ふと梅の木の下で立ち止まって、美しい花を見上げた。
 鷹佐の足が、躊躇い、乱れる。取り敢えず農村の風景を眺めて、手足を伸ばした。
 初音は、それを横目でちらりと見て、それから、野道をさらに脇に逸れると、人気のない泉の方へ降り始めた。
 鷹佐の顔に、意表の色がよぎる。しばらく瞳を左右に忙しく揺らしたが、しっかりと進路を見定めると、少し遅れて、その脇道へ踏み出していく。
 木々の中に小さな泉がある。春先の柔らかな陽射しが水面に反射して、まるで白昼夢のように白い光に包まれている。その中に、こちらを向いて初音は立っていた。
「ご新造殿、お一人では危険ですぞ」
 鷹佐が咎めるように言う。
「それはご心配をおかけ致しました。蕗の薹(フキノトウ)を採りに参りましたの」
 落ち着いた声で、初音は答える。逆光の中で、その双眸は、悪戯心に夢中な少女のように笑っている。
「大木殿を訪ねて来られた方ですね?」
「よくご存知で」
「噂になっておりますもの――」
 初音は、口に手を上げて笑った。
「役者のように美しい、とか」
 探るように見詰める瞳が、好奇心にキラキラと輝いている。
「役者ですか」
 鷹佐は、思わず苦笑いする。
「いったい何者であろうか、とか」
 そんな反応さえも楽しむように、初音は噂話を続ける。と、鷹佐は背筋を伸ばした。
「拙者、上妻左兵衛少尉(従七位上)鷹佐と申す」
 伝家の宝刀を抜くように、凛々しく名乗りを上げた。
「そうですか……」
 今度は初音の顔に戸惑いの色が滲む。まさか官位を名乗るとは思ってもいなかったのだろう。咄嗟に戸惑いを隠し切れなかった。
「……都の方ですの?」
「ええ」
「……そう」
 初音が静かに頷く。好奇な眼差しの中に、好意の光が確かにある。
 会話が途切れると、鷹佐は道を譲った。その前を初音が通り過ぎていく。その一瞬、二人の視線が絡め合った。
 鷹佐は思う。二人はゆっくりとだが確実に危険な領域に近付きつつある。この次は何が起こるか分からない。その思いは、初音も同じらしく、目尻が赤く染まっていた。

 その頃、聡乃丞は、大手門前の広小路で、仕事の真っ最中だった。
「早くせい」
「はい」
 羽織姿の武士が、後ろ手に手を組んで、ぞんざいに命じる。
 それに阿るように返事すると、聡乃丞は黙々と高札を立てる。そして、何気なくその文章が目に入り、思わずぎょっとした。
「小原藍堂様が亡くなられたのですか?」
「ああ」
「そんなぁ」
 作業中の足軽たちは、一斉に驚きの声を上げ、悲しみを共有しようと互いの顔を見合った。
 小原藍堂とは、家中の長老である。若い頃に、討ち死にした先々代の首を敵陣から取り返したことで、その名を轟かせた。以来、家中随一の名将として活躍してきた。老いて、山中の庵に隠居してからも、その威光は些かも衰えていない。
「死因に不審な点でも?」
 聡乃丞は訊ねる。
「いや、外傷は見当たらなかった。しかし、離れに住む下男が、熊のような髭面の男が出て行くのを見た、と証言している。それで――」
 武士は、高札を指差す。
「その者を探している」
 聡乃丞は、似顔絵を見上げて、卒倒しそうなほど胸が高鳴った。
――オースケじゃねェか!?

 暮れ六ツ(6時)を過ぎた頃、鷹佐が髪結い屋から出てきた。月代をさっぱりと剃った頭を、黄昏色の光が照らしている。
 橋に差し掛かると、中年の恰幅の良い武士が立っていた。まさに、行手を阻むような形で、まっすぐ鷹佐を見ている。
「……」
 鷹佐は、異常な気配をかいだ気がした。即座に、係わるべきではないと判断した。そして、避けるように顔を背けたが、じりじりと尋常ではない烈しい視線が、顔に注がれてくる。
「服部と申す」
 男は、鋭い眼光で射竦めて、自ら名乗った。
 鷹佐は、切り揃えたばかりのえり足を、冷たい手でなでられたようにぞっとした。
――初音殿の夫か……。
 その後ろめたさに、思わず反論する機会を逸してしまう。
「上妻だな」
「ええ」
「しばし付き合ってもらおう」
「分かりました……」
 鷹佐は静かに頷く。
 二人は川岸を歩いて、河川敷に至った。日頃、子供たちが蹴鞠や相撲などで遊んでいるのだろう。踏み乱されて、草が短く、所々、土が露出している。
 その間、一度も振り返ろうとしない服部の背中が、問答無用という気持ちをよく表しているようだった。苦い思いが滲みて、鷹佐は、内心で舌打ちして、顔をかすかに顰めた。
 河川敷に一本の大木がある。その下に、風呂敷が置いてあった。
「ここがよい」
 背中を向けたまま告げる。
 それに応じて、鷹佐も足を止めて、適当な間をとった。そして、大木の裏側に、槍が立てかけてあるのを見つけて、「おいおい」と小さく呟いた。
 服部は、無言で風呂敷を解き、襷と鉢巻を手際よく身につけた。
「もはや語ることもなかろう。立ち会ってもらうぞ。異存はなかろう」
 服部は、さっと槍を構える。
――強い……!
 その構えに寸分の隙もない。鷹佐の顔が、緊張で引き締まった。
「……」
 そして、俄かに、刀の束に手を添える。
 それを合図に、服部は無言で衝いた。しかし、槍先は鷹佐の横を掠める。
「なっ」
 余程自信があったのだろう。外して、驚きの色を漲らせた目を、大きく剥いた。しかし、すぐに、気持ちを切り替えて、再び眼光を猛禽のように鋭くする。
「よくかわした。ならばッ!」
 一段と烈しく衝く。しかし、これも鷹佐の横を素通りしてしまった。
「……バカなぁ」
 服部の顔が、幽霊を見たかのように、恐怖に強張った。
 槍の軌道に狂いはない。体で覚えた技は、決して嘘をつかない。狙い定めた槍先は、間違いなく相手の胸と衝いた筈だった。
 今一度相手の位置を確認する。間違いなく一歩も動いていない。
 では、鍛え上げたこの目を誤魔化して、高速で移動したのだろうか?
 そんな事が人の身で出来る筈がない。そう常識が告げるが、現実に、槍先は虚空を突いている。服部の思考が、深い迷宮を彷徨った。
 その時、服部の後頭部で、ゴツンと物がぶつかる大きな音が鳴る。その途端、服部の思考は途切れて、白目を剥くと、徐に地に崩れ落ちていく。
 服部の遥か後方、紫色に霞んでいく堤の上で、人の動く気配がある。鷹佐は、そこへ手を上げた。
「おいおい何をやっていやがる」
 聡乃丞が息を切らして走り寄って来る。そして、苦々しく言った。
「助かったよ、ハジ」
「ハジじゃねえよ……どうすんだよ、これぇ」
 倒れている服部を見て、聡乃丞は、今にも泣き出しそうに、顔を歪めた。
「さすがの制球だな。所帯じみて、その腹みたいに鈍っているかと思ったが、なかなかどうして」
「ふざけるな」
 吐き捨てるように言うと、倒れた服部の傍らに落ちている蹴鞠の球を拾う。
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Date:2012/04/23
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* まとめteみた.【――3――】

――3――「『好』は酷いなぁ。『紅』だよ」鷹佐は、大木家の茶の間に自然と馴染み、朝食の漬物を、バリバリと音を立てて食べている。そして、子供の素朴な質問にも、朗らかに笑って答えた。「紅の鞘を愛用していたから、『紅』色の鷹と一瞬だけ呼ばれたんだ」「ですよね?...
2012/04/23 【まとめwoネタ速suru