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第73章 余韻嫋嫋

第73章 余韻嫋嫋


【神聖紀1235年7月初旬】
 ソルトハーゲン街道――。
 ソルトハーゲン要塞に対して、サリス軍は、要塞から西2キロほど離れた尾根の上に、要塞を見下ろす付け城を築城していた。
 石の上に柱を立てて、そこに石壁の描かれた幕を張る。また、建物はすべて組み立て式になっていて、狭いながらも、手早く簡単に快適な空間を揃えて、多数の兵を収納することができた。
 こうして、オーギュストの到着とともに、突如、巨城が山の上に出現して、籠城兵に心理的な圧力を与えた。
 オーギュストは、八角形の白い部屋にいる。 
 雪のように眩い漆喰の壁に囲まれて、鏡のように光沢を放つ大理石の床の上に立つ。頭上には、何本もの綱を束ねた束がある。その束から赤や青など七色の太い綱が、八方の壁へたわんで伸び、途中、解れて、幾つにも枝分かれし、また交差し、また途切れ、まるで蜘蛛の巣のような複雑な模様を描いている。そして、それぞれの分岐点や交差点には、短冊が垂れ下がっている。
 赤い糸を、人差し指でそっとなぞる。
「王都アルテブルグで火災発生……」
 短冊を読み、分かれ道を左へ進む。
「少年は少女を救うことができた――」
……
………
 日が落ちても、王政府軍と叛徒軍との小規模な市街戦が尚も続いていた。各所で火災が発生する。しかし、消火する者はいない。市民たちは我先にと逃げまどい、叛徒兵は暴力と略奪を繰り返す。
「あるぞ、あるぞ、宝石がこんなにあるぞ」
「奪え、奪え、奪っても尽きやしねえ!」
「おい、次の家に行くぞ!」
「ちょっと待て、もう一つぐらい持てる。あれ、コートが引っ掛かった」
「さっさとしろよ」
「火が、火が――ぎゃあ!」
 奪った毛皮や宝石類の重さで、身動き出来ずに、火と煙に飲み込まれる兵が続出する有様であった。
 エリーシア中原随一と評された光の都は、一夜で、見るも無残な姿となり果てた。
 火は、忽ち山の手地域にも広がる。貴族や上級官僚たちが逃亡して空き家になっていたために火の回りは早い。炎が闇を鮮やかに焦がし、黒煙が夜空にとぐろを巻く。
 栄華を窮めたジークフリード・フォン・キュンメル邸も、滅びの運命には逆らえなかった。館は瞬く間に炎に包まれて、貴重な絵画や象牙の彫刻を、砂金が風に舞い散るように夥しい火の粉に変えて、夜空に捲き上げていく。
 ヴォルフ・ルポが、窓ガラス越しに室内を覗くと、フィネ・ソルータが床に倒れていた。
「フィネ!」
 名を呼ぶと同時に、ガラスに体をぶつける。轟音と共に、炎が噴き出した。
「ぐぅっ!」
 肉を焼く熱風に、たじろぎそうになる。しかし、ぐっと奥歯を噛み締め、顔を腕で庇い、火を恐れる生物の本能に逆らいつつ、夢中でフィネに炎の中に飛び込んだ。
「大丈夫か?」
「ゴホン、ゴホン……」
 フィネは、苦しげに咳き込みながら頷く。
「遅くなってごめんね」
 ヴォルフは、フィネを抱きかかえて外へ出る。
 そして翌日、叛乱軍の拠点となっている大聖堂で、フィネを寝覚める。
「ヴォルフ、ヴォルフなのね。またあなたに会えるなんて……」
「もう大丈夫だ。俺が一生守ってやる」
 二人は泣きじゃくりながら、強く抱き合う。
………
……
 オーギュストは短冊をもぎ取る。そして、再び細い赤い糸を指先で辿る。
「焼け残った教会で、女神に永遠の愛を誓う若い二人。ささやかな祝宴。噂には尾鰭がつく、付かせる……」
 糸に貼られたメモを剥ぎ取り、指を進め、新たな短冊に至る。
「偉業の達成、権力の奪取、そして、美しい妻。男の嫉妬は恐ろしい……」
 低い声で、一人ぼそぼそと呟く。
「さて、要塞の中の男は、今、どんな気分か?」
「申し上げます――」
 その時、白い壁の向こうから声が響いた。
「陛下、謁見の準備が整いました」
 即座に、周りから糸も短冊も、白い壁さえも消えさる。そこは水色のタイルで囲まれた四角い空間である。そして、白い陶器の浴槽の中に、一人浸っていた。
「分かった」
 大きな水音を波立てて、立ち上がり、壁にかかっているガウンを手に取る。

 ゆったりとした黒いローブを翻して、オーギュストは謁見室に入った。まだ髪が少し濡れている。
 右手側にロックハート将軍と直属の武将(ベアール、ハポン、ウラキ)が、左手側に幕僚の『ベアトリックス』と『ルイーゼ』などが、そして、背後に警護の『ライラ』などが控えている。
 玉座に座る。そして、サイドテーブルの紅茶を口に運ぶ。透き通った茜色から果実のような香りが漂い、滑らかな口当たりから心地よい渋みとほのかな甘みを感じた。
 老司祭が進み出て、恭しく礼をした。
「ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じ上げます」
「司祭、ご苦労でした」
 ベアトリックスが労いの言葉をかける。
「恐れ入ります」
 この老司祭は深々と頭を下げた。
 彼はカイマルクの者で、ソルトハーゲン要塞への使者を命じられていた。
「要塞の様子はどうでしたか?」
「要塞司令官は、アルテブルグの三分の一が焼失したことに驚き、叛乱軍に対して、激しい怒りを抱いておりました」
 持参させた書簡には、アルテブルグの惨状を虚実織り交ぜて書いてあった。
「特に、ヴォルフ・ルポを簒奪者と罵り、絶対に許さんと声を荒げられました」
 オーギュストが手を加えるまでもなく、ヴォルフ・ルポと歌姫フィネ・ソルータの二人が挙げた挙式は、瞬く間に、皇帝即位式という誤報となって広がっていた。そういう暴挙を多くの人々が、時代が、求めていた証であろう。
「さらに、陛下の『アルテブルグを救え』とのお言葉に心より感服しておりました」
「では?」
「はい、ソルトハーゲン要塞司令官『ルートガー・ナースホルン』は、休戦に承諾致しました」
「それは重畳」
 ロックハートが、大きな声を発する。途端に室内の張り詰めていた緊張感が弛んだ。
「条件は?」
 冷静だが、ややぶっきら棒な声で、ルイーゼが質す。
「はい、まず、先の三条件を承諾する代わりに、アルティガルドの覇権を認めること」
「ほう」
 ルイーゼの頬が微かに引き攣る。瞳に不快感と嘲笑の感情が混じった濁った色が滲む。
「また、アルテブルグへ進言する軍を、決して追撃しないこと」
 オーギュストは、干しぶどうを摘まみつつ、ベアトリックスに頷いて見せる。
「分かりました。褒美の目録を受け取られよ」
 ホッとした表情に嬉しさ上乗せして、早々に、老司祭は下がっていく。
「ルートガー・ナースホルンも、天下取りの好機に気付いた様子で」
 足音が遠のくと、ロックハート将軍が、自慢の髭を撫でながら呟く。
「あるいは――」
 オーギュストも口元を緩めた。
「野心ではなく、愛情かもしれんぞ」
「では、かの歌姫は傾国の美女ですな」
 そして、堰を切ったように、ロックハートが、猥談に興じる無邪気な子供のように笑い声を上げた。
「ロマンティストでいらっしゃること」
 ベアトリックスが、チクリと刺すように告げる。
「ロマンがなくて、こんな面倒なことをやっていられるか」
「御意」
 男どもが一斉に気勢をあげた。
「伏して言上奉ります!」
 神妙な面持ちでルイーゼが発言する
「存念があれば申してみよ」
 オーギュストは干しぶどうを皿に戻し、口元を引き締めた。
「されば」
 と、場の空気が再び張り詰める。
「何卒、追撃のご命令をお与え下さい」
「控えよ、ルイーゼ」
 ベアトリックスが険しい声で制する。
 それでも、ルイーゼの口は止まらない。烈火のごとく言葉が紡ぎ出される。
「ルートガー・ナースホルンに、アルテブルグの混乱を治める能力はありません。これ以上の被害を防ぐには、陛下のご威光を知らしめる他ありません!」
 彼女もアルティガルド出身である。この戦禍に、人一倍心を痛めている。
「止めよ!」
 ついに、ベアトリックスが声を荒げる。
「我が軍が、迂闊に敵国に踏み入れば、どんな状況に陥るか」
「しかし……」
 アルティガルド奥深くに入り込んだとき、正面の叛乱軍だけでなく、周囲の民衆が尽く敵となれば、最悪、カイマルクへの退路を断たれる恐れがある。さらに、手を結んだルートガー・ナースホルンが反旗を翻す可能性も否定できない。
「我が軍が侵攻する条件は、もう一つの街道『ホークブルグ街道』を攻略し、二つの補給路を確保した時。これは貴女の意見だったはず」
 二つの街道を抑えれば、一度に補給路を断たれる心配はなくなる。それが、参謀たちの一致した考えである。
「……はい」
「もうよい」
 オーギュストが二人の間に割って入る。
「見苦しい振る舞い、ご容赦下さい」
 ルイーゼが一旦礼をして、身体の向きを上座から正面に戻した。
「ベアトリックスは、すぐに起請文を用意しろ」
 空気が落ち着くと、オーギュストが新たな命令を矢継ぎ早に伝え始める。
「はい」
「ロックハートは、それをもって要塞に赴け」
「御意……」
「そのまま我が軍の包囲網を抜けるまで同行しろ」
「なっ……」
 要するに人質である。ロックハートは、顔を真っ青にして口髭をピリピリと震わせる。背負い込んだ身の危険に、すっかり黙り込んでしまった。
「ルイーゼは、小規模な騎兵部隊を幾つか編成して、ホークブルグ要塞の補給路を攪乱しろ」
「はい」
「ここは放棄する。諸将は、カイマルクまで戻って、北辺の諸軍と合流し、軍勢を再編しろ」
「心得ました」
「陛下は?」
 静かに、ベアトリックスが問う。
「俺はのんびり釣りでもするさ。銀をエサにして」
「銀をエサにしてのんびりできますか?」
「銀で釣れるものなんて小物ばかりさ」
 簡単に応えて、オーギュストは立ち上がった。


【7月中旬】
 ヴァンフリートの北の森――。
 ソルトハーゲン要塞を出たルートガー・ナースホルンの軍勢が、街道を東へ進軍する。それを森の中から鋭い眼光で見詰める者たちがいた。
「申し上げます」
「苦しゅうない」
「ルートガー・ナースホルンが、ヴァンフリートを通過」
「ご苦労」
 斥候の報告に、キャンバス生地で覆われたテントの中から声が返ってくる。
「わたくしは初めから分かっておりました」
 ゆったりと垂れ下がった幕を捲って、砂漠の民の衣装を着た女性が出てくる。
人々が跪き、女性の次の声を、耳をすまして待つ。
「しかし、ルートガー・ナースホルン如き小物に、アルテブルグ奪還は不可能」
「はい」
 瞳を輝かせて、人々は聞き入る。
「我らが戦うべきは、奴を背後から操るサリスのディーンです」
「ご尤も」
 一斉に声が上がった。
「しかし、未だサリス軍は動きません」
 テントの中、紫色のテーブルクロスにおかれたカードを捲る。
「パープル……限り無き欲望の色」
 また一枚めくる。
「悠久の時告げる光……シルバー」
 その時、シルクハットをかぶった男が、けたたましい声を上げて立ち上がる。
「銀だ。山麓にフェルゼンズィート銀鉱山がある!」
「流石だわ」
「恐縮です」
「おお」
 周りから感嘆の声が上がった。
 この集う人々には、それぞれマジックカードが与えられている。その人物の長所を伸ばして、特殊なスキルを得ることができた。彼の場合は、『シルクハットのクイズ通』のカードで、雑学が人一倍豊富になった。
 女性は大きく頷く。
「貴方たち1024人は、わたくしの占いによって、国中から選ばれた救国の英雄です。それぞれのスキルを駆使して、サリスの暴君を打ち破り、この国を救うのです」
「はっ、御心のままに」
 人々は額を地面につけて、決意を新たにする。


 フェルゼンズィート銀鉱山――。
 ソルトハーゲン要塞の北東、ウェーデル山脈の麓、深い渓谷の奥にフェルゼンズィート銀鉱山はある。王家の直轄領であり、石垣がきれいに整備されて、古いがどっしりとした建物が並んでいる。
 オーギュストは未明にここを奇襲し、代官所を占拠すると、蔵から、大量の銀の運び出しを始めた。
 しかし、宵の口になって、救国軍を名乗る軍勢が、突然街に火を放った。
「報告致します。『存在感のない特攻野郎』が門を突破、大通りでは、『12月の復讐者』がモミの木を振り回して交戦中。『炎上達人の鉄砲玉』が代官所を燃やしましたが、すでにもぬけの殻でした」
 報告するのは、『自由すぎる遊撃手』という能力者である。
「さらに、『噂好きのスカウト』が、坑道に逃げたという目撃情報を得ています」
「すぐに追手を!」
 次々に飛び込む情報に、『好青年の策謀家』が、緊張感を漲らせて進言する。
 しかし、占い師の女性は、落ち着いて、カードを一枚引く。それを選ばれた救国の戦士たちは、固唾をのんで待つ。いつもの光景である。
「噓吐きのカード……」
 そして、もう一枚引く。
「非情……」
 はっとして顔を上げる。
「ディーンは一筋縄ではいかぬ策士。また部下を囮にする事も厭わぬ卑劣漢」
「では、坑道に逃げた者たちは囮?」
「ならば、ディーンは何処に?」
 さらに、もう一枚カードを引く。『欲張り』のカードが出た。
「底知れぬ貪欲さ……そうか、輸送中の銀とともに奴はいる」
「おお」
 感嘆の声が上がった。
「全軍をもって荷駄を追え。『先導する司令塔』よ」
「御意」
 満を持して、最も統率力に優れた男に攻撃を命じた。
 間もなく先陣を切る『堅実派の切り込み隊長』が、銀を運ぶ小荷駄部隊の背中を捉えた。
 しかし、小荷駄は、岩場へと逃げ込む。
「これは……」
 その岩場を前にして、『古代戦史通の格闘家』が唸った。
「知っているのか?」
「八門金鎖の陣!」
「何だ、ぞれは?」
 陣中に動揺が走った。
「驚・休・生・死・杜・景・傷・開の八つの門から成る伝説の軍師が編み出した陣形だ」
「バカな!」「
「どうしてそのようなものがここに!?」
「万事休すか……」
 一々陣中が騒がしい。
「心配するな。『傷門』『休門』『驚門』から攻めれば傷付き、『杜門』『死門』から入れば死ぬ。だが、『生門』『開門』『景門』から攻めれば有利だ」
「おお」
 熱く語る薀蓄に、再び陣中に活気が戻る。
――私は自分の運命を信じる!
 女占い師は、カードを引く。そして、見ることなく頭上に掲げた。
「おお、幸運だ!」
 いよいよ戦士たちの魂が昂ぶる。
「突入せよ!」
「おお」
意気揚々と『無殺のエース』『陽動の狙撃手』などを先頭にして、岩場になだれ込んでいった。
 千人の戦士の雄叫びが岩に反響して、天に打つ雷鳴のように、大地を穿つ地響きのように勇ましく轟いた。
「勝ったぞ、この戦い!」
 アリーセ・アーケ・フォン・ハルテンベルクは、顔を赤く輝かせ、固く勝利を確信する。思わず飛び出した勝利宣言と同時に、四肢がガタガタと震えて、心臓がきつく凝結する。
「え?」
 その時、パーンという甲高く乾いた音が、足元で一つ鳴る。どうしてか分からないが、途端に、胸の中に、煽られた焔のように不安が広がった。
「ま、まさか!?」
 次々に岩が沈んでいく。そして、堅いはずの地面が、砂時計の砂のように滑らかに落ちていく。
「……」
 強烈な衝撃がアリーセを襲った。驚愕のあまりに、目を鈴のように見開き、その視線をぽっかりと空いた大穴に釘付けにする。
「……」
 声もなく喘ぐように呼吸する。
 縦穴は、深く暗く、まるで天空に輝く星星までも吸い干してしまいそうだった。
――何とかしなければ……。
 勝利が、希望が、積み上げた努力が、地の底へ呑み込まれてしまう。しかし、思考しようとする意志や熱意さえも、その禍々しい穴は忽ち奪ってしまう。
「絵に描いたようなガッカリだな」
 場違いな、明るい声がした。
 首を動かす力はなく、瞳だけを動かして、その男を捉えた。
「敗者を咎めるのは趣味じゃないが、あまりにイイ表情をするもんだから、少し話をしたくなった」
 オーギュストが、ゆっくりと近付く。
「初めまして、フロイライン・ハルテンベルク」
「おのれェ!」
「待て」
 アリーセの制止も聞かず、傍らにいた『攻撃重視の護衛者』が駆け出す。
「天誅!」
 そして、雄叫びとともに打ち込む。
 オーギュストは左足を踏み出し、左手に持った鞘に収めたままの剣で受け止める。それから、肘を張り、剣を逆さまにすることで、相手の剣を捩じるようにいなす。さらに、踏み出した左足を軸に、時計回りに回転しながら、真下に剣を抜き、相手の背後に回り込むと、一閃、袈裟斬りにした。そして、何事もなかったように正面を向き、頭上に翳した鞘に、下から剣を治めていく。
「そ……」
 アリーセは膝から崩れ落ちた。
 アリーセの目には、オーギュストはただまっすぐに歩いて来て、途中で肩がぶつかりそうになった者をくるりと軽やかに避けただけのように見えた。それで、最強の護衛者がオーギュストの背後で倒れているのだ。全く摩訶不思議な光景である。
「フロイラインの健闘を称えて、一つ、必勝の戦術を教えてやろう」
「ん……?」
「それは敵に多くの無駄情報を与えて、無意味な思考を強いることだ」
「なぁ……」
 喋りながら、無造作に側まで寄る。
「それは理性を乱す。一旦乱れれば、人は自らの成功体験に固執する」
 どうだ、と顔を覗く。
「幼稚な罠でも見落としてしまうだろう?」
「……嘘よ」
「おかげで、アルティガルドの危険人物を未然に一網打尽にできた。感謝する」
 オーギュストは腰を下ろす。蹲踞の姿勢でアリーセと視線を合わせようとするが、アリーセはさらに俯いてしまい、その瞳にオーギュストの姿は映らない。
「わ、わたくしの占いが外れるなんて……」
 焦った手付きで、カードを広げる。
「そんなことは――」
「有り得ないか?」
 オーギュストが穏やかに囁く。
「そうよ!」
 アリーセは、逆上して、感情を爆発させる。
 その叫び声を、オーギュストは然も楽しそうに聞いた。
「実はそれ、俺の物なんだ。返してもらうぞ」
 そして、笑顔で告げると掌を上にして右手を差しだす。と、カードたちが、吸い寄せられるように自ら跳ねて、オーギュストの掌の上にきれいに積み重なっていく。
「い、いやぁあああ!」
 アリーセは、両手で頬を抑えて、身の毛もよだつような声で絶叫する。
「か、返して、あ、あたしの能力、未来を知る力……」
「そんなものは初めからない。カードは俺の部下が操作していた」
「ち、違う……。あたしには未来が見える。本当に見えたの!」
 やれやれとため息をついて、オーギュストが立ち上がる。その足に、アリーセは「返して」と縋り付き、泣きじゃくった。
「こ、怖い。未来が見えない。お、お、恐ろしい……耐えられないわ」
「もう耐える必要はない。ご苦労だった」
 オーギュストは冷淡に蹴り飛ばし、倒れた脇を通り過ぎていく。その足元を黒い猫が追う。
「きゃぁああああ!」
 アリーセは悶えるように髪を掻きむしって、猿のような奇声で絶叫する。
 その耳元で、甘く囁く声がした。
「貴方は素晴らしいわ。よくあんなバラバラの連中をまとめて、ここまで戦えたわ。感心しちゃう」
「……」
「もう一度、バカな連中を集めてみない。今度は大貴族の連中よ」
「……嫌、未来の分からない私なんて、誰も相手にしてくれない。誰も私の話を聞かない……」
「未来なら、上帝陛下に聞けばいいのよ。いくらでも教えて下さるわ」
「……」
 その瞬間、アリーセの涙が止まった。
「これからは、陛下の勅を下々に伝える役割を担えばいいのよ」
「……国を売れと言うの?」
「もう王を殺しちゃったじゃない」
「ひぃぃぃい」
 悲鳴を上げて、身を震わす。
「占い師の仮面なんて捨てちゃいなさい」
「捨てる?」
 訝しげに問い掛ける。
「素顔のハルテンベルク子爵家令嬢に戻ればいいのよ」
「でも……」
「誰も伯爵令嬢が下賤な占い師だなんて信じていないわ」
 はっと息をのむ。
「行方不明のアリーセ・アーケ・フォン・ハルテンベルクを騙った女は死んだの。ただそれだけ」
「それだけ……」
 呪文のように言葉を繰り返す。
「そう。それに、サリス帝国が、対等の交渉相手とみなしてあげる」
「……」
 ゆっくりと生唾を飲み込む。
「誰もが貴方を一目置くわよ」
「そんなことができるの?」
 アリーセは虚ろな顔を上げた。
「ええ、陛下に身も心も捧げるのです。そうすれば、貴方に未来を教えて下さるわ」
 月明かりの下、香子は親切そうな笑顔を称えて、優しく甘く囁き続ける。


【7月下旬】
 王都アルテブルグ――。
 シャインヒューゲル宮殿に入城した叛乱軍は、直ちに臨時政府を立ち上げた。
 臨時政府を率いているのは、『ロマン・ベルント・プラッツ(66章参照)』である。
 長い顔に、横に細長いメガネをして、知的な顔立ちをしていた。元は建築家で、温和な印象に反して、現場を取り仕切る逞しさも併せ持っていた。
 反政府運動の契機となった『メーベルワーゲン大会』(67章参照)で頭角を現し、その後、モンベルの森に潜伏(68章参照)、そして、『ヴァンフリートの蜂起』(71章参照)に参加すると、『均田制』『税免除』『綱紀粛正』『人材登用』などの政策作成に携わった。
 この朝、何度目かの閣僚会議が開かれたが、会議用円卓には空席が目立っていた。
「ヴォルフ・ルポはまた欠席か?」
 ロマンが不機嫌に問う。
 ヴォルフは、叛乱軍の総司令官であり、形式上臨時政府の首班である。しかし、火の中から救った幼馴染と勝手に結婚式を挙げて以来、公の場に顔を出したことはない。
「困った奴だ……」
 暗い顔で、深いため息を落とす。
 臨時政府は問題が山積みである。
 灰燼に帰した市街では、未だ火災は収まっておらず、至る所から、毒蛇が鎌首をもたげたような黒煙を上げ続けている。
 激しい市街戦の最中に、国王が行方不明(ロマンたちの臨時政府の公式見解)になったために、行政の権限が失われ、組織を受け継ぐことが出来なかった。さらに、市民感情も最悪な状況にあり、積極的な協力も期待できない。また、流通も崩壊したために、農村から食糧を集めることが出来ず、市民も兵士も餓え始めていた。略奪と暴力事件も後を絶たない。取り締まろうとしても、脱走兵が続出して軍組織の維持に四苦八苦している有様である。
 治安は悪化し、衛生は劣化するばかりだったが、有効な手を打つこともできずに、無為に時間ばかりが過ぎていく。
「兎に角、火を消し、宿舎を建てよう。それが急務だ」
「……ですな」
 ロマンの提案にも、彼が任命した閣僚たちの反応は冷たい。
「降伏勧告に対するジークフリード・フォン・キュンメルからの返事は?」
「相変わらず、何もない。もう死んだのではないのか?」
 終始、両手で額を抑えている男が、自身一ミリも期待していない楽観的な意見をテーブルの表面に向けて呟く。
「有り得る。王軍の中でも責任問題は挙がっていることだろう」
 ロマンが精一杯声を張って肯定的な意見を発する。少しでも場の空気を、否、自分自身を鼓舞したかった。
「兎に角――」
 ここ数日で、何度この言葉を呟いたことか、とロマンは思わず内心で自嘲した。
「兎に角、軍事的なことは、偵察に出た部隊が戻り次第、ヴォルフに決断してもらおう」
「だな……」
 誰ともなくため息交じりに承諾の声が上がった。誰もが疲れている。

 その頃、ヴォルフ・ルポに代わって、軍の指揮を執っていたのが、ロマンの片腕『ヴェロニカ・ロジーナ・ベルタ』である。
 腰まである明るめの茶髪を、仕事の邪魔にならないように後で丸く束ねている。そして、意外に柔和な顔立ちを耳の前の髪を長く垂らすことで、また、知的だが鋭利過ぎる眼差しを縁の太いメガネをかけることで隠している。
 彼女は、信頼のできる者たちを集めて、パトロール部隊を編成し、連日、市内の巡回にあたっていたが、その部隊の内部でも、日々些細なことから争いが絶えなかった。
「騒ぐな!」
 城門近くの広場で、取っ組み合いをしている部下たちを一喝する。
「見苦しい振る舞いをするな。市民たちが見ているぞ」
「しかし……」
 不平たらたらの顔を並べて、部下たちは敬礼する。
 ここに居る者たちは、略奪などに参加していない。だが、まじめな性格ゆえに、自軍が行った蛮行に心を痛めて、肉体的にも精神的に限界を疾うに越えていた。
 それはヴェロニカもよく分かっている。
 さらに、そんな状況でも、責務を全うしようと現場に集まってくれたことに感謝の言葉もない。が、今は強い態度で綱紀を引き締める以外に対処方法が思いつかなかった。
「コイツが時間に遅れた!」
「仕事が溜まって、こっちは飯も食っていないんだ!」
「言い訳など聞かん」
 ヴェロニカは誰よりも大きな声で怒鳴る。
「男ならさっさとパンツを脱いで、己の分身の威厳で勝負しろ!」
 この言葉で、全員が、寝起きに水を浴びせられたように呆気にとられた顔になった。そして、互いの股間の膨らみをしばらく眺め合い、慰めるような優しい視線を交差させてから、一度大きく頷き合った。
「悪かったな」
「涙を拭けよ」
「お前こそ」
 男たちは和解した。
 部隊の騒ぎがひと段落した時、一騎の赤毛の駿馬が城門へ向かっていく。
「ま、まさか……」
 ヴェロニカは駆け寄る。
「何処へ行くつもり?」
「やあ」
 騎上で、ヴォルフが無邪気に微笑む。その背には、フィネが乗っていた。
「彼女も救い出せたし、ここを出ていくのさ」
「バカなこと言わないで」
 予想外の言葉に、思わず、裏返った声で叫んでいた。
「ここに居たら、モンベルの森の時と同じになっちまう。ロマンのオッサンによろしくな」
「何処に行くと言うの?」
 冷たい汗が滲み出た。
「まずはあの令嬢気取りの占い師と合流する。その後は、フィネと一緒に国を出るさ。二人なら、何処ででも何とか生きていける」
 呑気な回答に、ヴェロニカは持病の頭痛が再発した。
「貴方は軍の総司令官でしょう。我々を見捨てるつもりなの?」
「冗談じゃないぜ――」
 ヴェロニカは懸命に諭すが、そんな気持ちを逆撫でするように、ヴォルフは鼻で笑った。
「俺に、そんな力も義務もない」
「無責任なこと言わないで、アルテブルグを陥落させたのは、間違いなく貴方の才能よ」
「あれは、占いの教祖様とその弟子たちの仕事だ」
 熱のない声で、半笑いに答えた。
「で……?」
 ヴェロニカは憮然とした声で問う。そして、肘を抱くように腕を組み、眼鏡の奥で蔑むような冷たい視線を向けた。
「俺は好き勝手に言っていればよかった。後はあいつ等が、部下を手際よく動かして、何でも実現させてくれた」
「そう……」
 怒りを鎮めるようと、一度、髪をかき上げた。
 建設現場の主任をしている頃から、こういう輩をよく見てきた。
――誰も彼もが無責任で、自分の都合ばかり言い立てる!
 こちらが作業全体を見渡して意見しているのに、一つも聞こうともせず、適当な仕事をやりっ放しで、中途で逃げ出す。後は稚拙な言い訳ばかり。
――手直しのために何度徹夜したことか……。
 走馬灯のように、苦い想い出が甦る。
 しかし、ヴォルフは、そんなヴェロニカの感情の揺れに気付かず、無配慮な言葉を紡ぎ続ける。
「そんな有能な中間管理職を皆引きつれて、あの占い女は出て行ったんだ。もう終わりだよ」
「終わりって……」
 不服そうに、ヴェロニカは眉を寄せた。
「革命ごっこはもう終わり」
「……」
 もはや怒る気力もわいてこない。長年の仲間としての絆や友誼が、足の裏から大地へ流れ出てしまった気分だった。
「ヴェロニカさんは、どうする気ですか?」
 突然、鈴の鳴るような声で、フィネが訊ねる。
「私は戦うわよ。改革は始まったばかりよ」
「そう……」
 ヴェロニカの力強い信念を聞いて、フィネは、不安そうに俯いた。
「あんたも逃げた方がいいぜ。捕まったら、市民からどんな復讐されるか分からないぜ」
「……」
 ヴェロニカは、堪らず言葉を失った。
 そうなのだ!
 いつの間にか、ヴェロニカたちは善ではなくなっている。どうしてこうなったのか、振り返っても分からない。
「降伏するなら、サリスの方がいいぜ。あんたなら、絶対に歓迎されるぞ」
「……もう黙れ」
 無意識に、腰の剣を掴んでいた。敵前逃亡は極刑である。
「大変だァ!」
 その時、物見塔から声がした。そして、続けて驚愕の事実を告げられた。
「城壁の外に敵が現れた!」
 ついに、王国正規軍がその威風堂々とした姿をアルテブルグの城外に現した。
「まさか……?」
 その場の誰もが、霹靂のように打たれた。「もう来たのか、危ない、危ない、急ぐぞ」
「それじゃ、ヴェロニカさん、お元気で」
 ヴォルフは馬の腹に蹴りを入れて、フィネは短く別れの挨拶をした。
「副官、続け!」
「はっ」
 一方のヴェロニカは、副官とともに塔の上へ走っていた。
「これは……」
 柵から身を乗り出すと、美しいまでに足並みのそろった軍勢が、太鼓を轟かせ、ラッパを吹き鳴らして進軍してくるのが見えた。
 その組織力に美さえも感じて、思わずため息が出た。
「偵察部隊は?」
 見張りの兵に問い質す。ヴェロニカの心が麻のように乱れている。
「とっくに、定期連絡は途切れていますよ」
 戸惑う兵に代わって、追いかけてきた副官が答える。
「なぜ報告しない」
「聞かないから」
 まったく会話にならない。
「……」
 その無責任な回答に、閉口してしまう。
「私は火災現場にいて、ずっと徹夜だったんだ」
 副官は、強い口調で自分の事情を語る。
 ヴェロニカは、喉まで出かかった『言い訳はいい』という言葉を腹にぐっと飲み込んで、まず緊急を要する用件を告げた。
「兎に角、城門を閉ざせ」
「私に言っているのか?」
 副官は、当たり前のように、当惑した顔を返す。
「他に誰がいる!?」
「やり方を知りません」
「知っている奴を探せ!」
「どこに居るんですか、それ?」
 出口のないイライラばかりが募る。
「そんなこと知ってる真面目な野郎はとっくに死んだし、知ってそうな利口な奴は、金目の物をもって、とっくに逃げ出しているよ」
 先ほどの見張りの兵士が、地べたに座り込んで、たばこに火を付けながら、不健康な笑いを浮かべて呟く。
「もういい!」
 最後まで聞かずに、ヴェロニカは歩き出していた。しかし、何処に向かうべきなのか、彼女自身さっぱり分かっていなかった。


 フェルゼンズィート銀鉱山――。
 鉱山街を見下ろす尾根の上に古い修道院が建つ。一見すると外観は質素だったが、銀で栄えた町らしく、山頂まで石造りの大階段が整備され、内装は凝り、大小の女神像が庭や廊下に所狭しと並んでいる。全体的に忙しない印象を与えている。
 そこにオーギュストは滞在している。
 アルティガルド王国の貨幣の元である銀を完全に掌握できれば、経済もサリスが飲み込んでしまうだろう。故に速やかな支配体制の確立は重要ではあったが、辺境とはいえ敵国深く入り込んでいることに、危惧する声も大きかった。
 しかし、一向に、オーギュストは立ち退こうとしない。
 戦力的には、北から間道を抜けて下りてきたロードレス神国の先遣隊と合流したために足りている。しかし、アリーセを慕って追ってきた彼女の部下との間で、断続的に小競り合いが繰り返されていた。
 彼らは皆、10年後20年後のアルティガルドを背負って立つ逸材だった。それらを選別して、救国の英雄という名声と資質を伸ばすマジックカードという希望を与えて、一つの罠に誘い込み一網打尽にした。当分、アルティガルドの復興は遅れることだろう。
「ここから東に延びる坑道は、ここ数年産出量が減っております」
 連日、ロードレス神国の幹部とともに地図を囲んで、技師たちに坑道を解説させている。
「もう要らん、埋めよ」
「御意」
 ロードレス人がバツ印を記す。
「西の立坑は老朽化が激しく……」
「建て直せ」
「御意」
「しっかり正確に記録しろよ」
「はい」
 ロードレス神国の者たちは嬉々として働いている。オーギュストの言葉の端端から感じられる、この地をロードレス神国に割譲しようとする意志に、今にも小躍りしそうであった。福祉政策、医療費、災害対策など民衆救済への期待に胸が膨らむ。
「他の者に任せたら、すぐに貪欲なミカエラや腹黒のクリスティーあたりに独占されてしまうからな」
「はい!」
「ここは、ユリアちゃんの鼻紙代にするんだから」
「……ああ、はい」
 ふわりと全員が頷いた。ああ、銀の紙なら、さぞ立派にツーっとできるだろうと思う。
 
 こうして銀の私物化に忙しいオーギュストと対照的に、親衛隊には時間的に余裕があった。
 修道院の庭に縄を張り、エリース湖の聖水をまいて浄めると、ロードレス神国軍の剣士との対抗戦を始めた。
 内陸の夏は蒸し暑い。そして、太陽はまるで親の仇を前にしたように容赦なくて照りつけて、庭を覆った芝生を煎るようであり、その有り余る力は、反射して周囲の建物を白く煌めかせている。
 本館と鐘楼の間に、雑木が小暗い森のように繁り、そこからセミの鳴き声がうるさく響いている。
 周りに音はしない。皆、ランの試合を見学しようと縄の前に並んでいる。
 ランは八双に構えた。相手の動きに合わせて、どうにでも対応できるように、四肢は柔らかくしなやかに保たれている。
 相手の顔に、焦りの色が滲み始める。
「ッ!?」
「はっ!」
 ランは誘うように爪先を進める。相手が不用意に剣を上げた。その隙を見逃さず、ランは打ち込む。しかし、左肩を直撃する寸前に、木剣を立てたまま受け止められた。
 カーン!
 甲高い音ともに、激しい火花が散る。そして、その衝撃で、相手の右手が木剣から剥がれた。
 ランは上段から、再度、打ち込む。
 しかし、相手も非凡であった。骨まで痺れるような衝撃に耐えて、弾かれた木剣を左手一本で制御し、流れるように横から、ランの胴を払う。風をまくような起死回生の一撃ではあったが、残念なことに、ランのシャツをかすめるに留まった。そして、一方のランの剣先は、ぴたりと相手の額を捉えている。
「参りました」
「これまで」
 ランは剣を治めて、一礼すると縄の外に出た。自然と拍手が起こっていた。その声を背中で聞いて、足早に室内に入った。
 日の照り渡る外と比べると、室内は薄暗かった。その暗がりの中で、銀の装飾品が微かに光っている。
 途中で、アンと会った。顔色が悪かった。白々しく「どうかした?」と聞くと「何でもない」と髪を捌きながら答えた。
 アンは夜伽に“敢えて”呼び出されていない。オーギュストの悪戯なのは明らかで、自分との関係を秘したことと合わせて、アンがどのような化学反応を起こすのか、想像すると心がざわりと騒いだ。
 浴室に入る。――と言っても、質素な漆喰の壁に微温湯の入った樽があるだけで、入り口に扉さえない。
「まいったなぁ……」
 鏡の前に立ち、ぼそりと呟く。上半身の白い無地のシャツは、胸元が丸く濡れて透けている。この冷や汗の量が、苦戦の証であろう。
「はぁ……」
 大きく息を吐いてから、軍服の黒革のベルトを外し、細身のズボンを下ろす。すぐに、無骨な黒い生地の影から、きれいな白いレースフリルが現れる。さらに下ろすと、引き締まって白桃のような小尻がすべて露わになった。そして、割目には、紐が通り、陰部は大粒の真珠が連なっている。
 ランは片脚を樽の縁に乗せて、桶で微温湯を汲んで、無毛の股間部を洗い始める。思わず指先で真珠を弄り、比べて小粒なクリトリスを捏ねてしまう。
「あ……」
 思わず、うっとりと瞳を閉じて甘い吐息を吐く。
 その時、壁から人の気配を感じた。
「だれ?」
 ランは慌ててズボンを戻すと険しく誰何する。
「誰かいるの?」
 それは確認ではなく、警告であり、脅しのようなものであった。
「そうかぁ……」
 しばらくの沈黙ののち、急にランの表情が和らいでいく。そして、ずっしりと肩を落とした。
 一度入り口に視線を配ってから、そっと壁に手を添え、徐に押す。そこは、どんでんがえしの隠し回転扉となっていて、素早く壁の中に身を進める。そこは一面豪華なタイル張りの部屋で、壁の一部はマジックミラーになっていて、先ほどの浴室が丸見えになっている。
 ここは修道院といっても、銀取引に訪れた要人が遊ぶためのもので、こういう悪趣味なカラクリがそこここに隠してある。
 隠し部屋の中では、オーギュストが白い陶器の浴槽の中に寝そべって、目を閉じ、宙に浮かべた指を、線をなぞるように動かしていた。
「あ……」
 ランは声をかけるタイミングを逸して、ぐるりと室内を見渡す。
「あら? いらっしゃらないわ」
「流石の早業だわ」
「そうね」
 壁の向こうから声が漏れ聞こえてきた。振り返ると、マジックミラー越しに部下の少女たちが見えた。
 一人は聖騎士の娘シルヴィ。
 一人は神官の妹カミーユ。
 一人は大司教の姪ロクサンヌ。
 一人は大法官の孫テレーズ。
 一人はハーフエルフの末裔ミルフィーヌ。
 皆、元気よく服を脱いで、気持ち良さそうに水浴びを始めている。全員サリス中から選りすぐった才色兼備で、まだ身体に幼さを残しているが、いずれは正統派の美女になるのは間違いないだろう。
「ジークフリードは、ルートガー・ナースホルンを暗殺するだろうか、それとも逆か?」
 オーギュストは、天井を見つめながら呟く。
「え?」
「それとも、新たな人物がアルテブルグに現れるかも。その可能性が高い人物とは?」
「え?」
 浴槽の縁に乗せた頭を回して、ランを見詰める。
「覗きか?」
「なっ……!」
 心臓が強く打った。そして、全身がカッと痛いほどに火照る。
「ち、違います。偶然見えたんです」
 真っ赤な顔に口を尖らせて、まるでタコのように反論する。
「それで誰だと思う?」
「え?」
 オーギュストは、寛いだ声で問う。そして、チーズを挟んだ干し白いちじくをかじり、ワイングラスを傾けた。
「アルテブルグをまとめる者は?」
「ヴォルフ・ルポ……」
 真っ白に霞んだ頭で、思わず知っている名前を挙げた。
「奴はもうじき死ぬ、俺に傾城の歌姫を献上して、ね」
「……」
 ランは、苦労して生唾を一つ飲み込んだ。
「レズ癖がついたか?」
「ち、違います!」
 顔から火を噴きそうな勢いで、必死に否定する。
 オーギュストは静かに指を一本口の前に立てた。それに、ランは慌てて口を両手でふさぎ、ちらりと振り返って、マジックミラーを見た。
「踏み込みが浅かった――」
 気が付いた時、オーギュストが耳元でささやいていた。その淡々とした声が、室内にこだまする。
「……」
 ランは黙って、唇をかんだ。
「以前のお前なら、剣は払われる前に、鋭く踏み込んで相手の頭を叩いていただろう。だが、踏み込みが浅いから、反撃の余地を与えてしまった。しかし、逆に踏み込みが浅いために、剣先が当たらなかった」
「反省しています……」
「気持ちが入っていないからだ。剣より気になるものがあるのか?」
「あ、ありませんよ」
 瞳を泳がせながら答える。
「フィネ・ソルータの穴を舐めさせてやるぞ。それともエルフの少女の方がいいか?」
「ああ……」
 ランの瞳が虚ろに揺らぎ、背後のオーギュストへ弱弱しくしなだれていく。
……
………
「ああ……あぁっ」
 手錠を嵌められてベッドの上にいる。
「はぁ……あん」
 裸体を晒しているだけで、すでに発情していた。
 形よく盛り上がった乳ぶさも、引き締まった腰の括れも、そこから艶々と魅惑的な曲線を描く尻と太腿も、悶えるようによじれた細く長い脚も、全てが曝け出されている。隠しているのは、両の目だけ。黒い布を巻かれて、何も見えない。
「助けて……ダメになっちゃう」
 甘ったるい声で、猫のように媚びる。
「ヘンになっちゃう……ゆるして……」
 秘唇をすっかりと濡れた汁を捲き散らすように尻をゆする。
「早く、弄ってくれないとおかしくなっちゃうよ」
 涙声で懇願する。こんな娼婦のような声で、卑猥な言葉を紡ぐことにも、もはや何一つ違和感はない。この後に待っている強烈な快楽を想えば、羞恥心など微塵の妨げにもならない。
「イきたい。イかせてください。お願いぃだからぁ」
 さらに激しく腰を振り立てる。
「あああン」
 その痴態にようやく合格点が与えられた。
 秘唇に舌腹が這い、ねっとりと溢れた蜜を舐め取っていく。思わず、甲高い嬉々とした喘ぎ声を上げた。
「ふぁ~ああ~ぁん」
 その瞬間、だらしなく弛んだ上下の口から淫靡な音が発せられる。上の口から痴女の伸び切った喘ぎ、下は、熱い潮を吹きもらす水音。どちらも人として、許し難い失態であろう。
「ああん、気持ちイイ~ぃ」
 その己を貶める感触が、さらなる官能をもたらす。
「そこ、そこぉイイ」
 舌の動きは、荒々しさがなく、優しさに満ちている。蜜をすする際も、情熱の音楽を奏でているようである。
「すごい、すごいわ!」
 けたたましく歓喜の声を上げて、絶頂へ登って行く。
「もうぉ、もお、いっちゃうぅうぅうう!!」
 裸体を膠着されて、ピリピリと筋肉を震えさせた。
「綺麗だわ。姐御」
 官能の炎で、空焚き鍋のように危うく昂ぶっていた心に、突然冷や水を浴びせられる。
 細く冷たい指先が、黒布を取り外す。
「貴女!」
 股間から覗いているのは、逆上せた香子の顔である。
「な、な、な、な、なんで!?」
「大師匠からご褒美なんですぅ」
 語尾を伸ばす幼い口調で答える。
「そ、そ、そ、そ、そんなの聞いていないぃよぉ!?」
 慌てて、頭の上から声を出す。
「やわらか~い、姐御の胸」
 梅に顔を埋めて、鼻の穴を広げて匂いを嗅ぐ。
「や、やめて」
「小さく固くてかわいい」
 懸命な抗議の声も耳に届かず、ギンギンに尖った乳首に自分の乳首を擦れさせる。
「も、もおやめなさい。私たち女同士よ」
「そこがいいんじゃないですかぁ」
「ほら、姐御のあそこも嬉しそうにひくひくしてますよぉ」
 ぷっつりと飛び出たクリトリスを、愛おしそうに突っつく。
「やっ、やめてぇーっ!」
 心の底から絶叫するが、そんなことに構わず無情にも、香子の指が膣穴へと潜り込んでいく。
「だ、だめぇ、だめええええ!」
 しかし、敏感になった膣肉は、極彩色の悦楽をランにもたらし、立て続けに絶頂へ誘っていく。
「さあ、今度はあたしの番ですよ」
 香子は、ランの顔の上に跨って、感慨深い表情で腰を下ろしていく。
「はあ……あ……はぁ」
 唇が触れた瞬間、香子はねじ切れるほどに強く、両腕で自分の体を抱きしめる。
「あっ、ぁっ、ああああん」
 そして、蕩けるような至福の表情を天井へ向け、感極まった声をもらし、さらに、尻を小刻みに震わせた。
 プシュウ!
 香子の割目から、ランの口へ小水が注がれる。
「ああ、姐御があたしのを……」
 香子は、小柄な裸体を、しなやかに仰け反らして悶絶する。
「ああ……あ~~~~」
 これを切っ掛けに、ランの理性の針が振り切れた。
「この~ぉ、お前も飲めェ!!」
 ランは香子を押し倒すと、唇を押し付けた。
 ぐちゅ、くちゅ、ぢゅちゅ、
「ああん、姐御ぉ」
 しかし、逆に香子の舌が暴れ出して、ラン口の中を貪るように犯し始めた。
「ううぐ……ひぃいっ!」
 苦しさに、身を起こして逃れる。しかし、香子の上で四つ這いになった瞬間、背後からオーギュストが男根を打ち込んできた。
「い、いきなり、ふ、深い……ああ、あン」
 鯉のように丸く口を開いて、激しく喘ぐ。
「す、すてき……」
 腰をぶつけられるたびに、揺れる乳ぶさをうっとりした瞳で、香子が見詰める。そして、まるで宝石でも扱うように、大切そうに乳首を摘まんだ。
「きゃあ、アン」
 ランは我慢できずに、腕を折って、香子の上に崩れた。
「好きですぅ」
 香子は狂おしそうにランの頭を抱いて、再び熱烈な口付をした。
「うぐぅううんんん!」
 上と下の口を犯されて、強烈な絶頂を迎える。
 男根を抜かれると、ボトリと情けなく尻が落ちる。余韻に脳が痺れ、息は荒く、四肢はびくびくと若鮎のように痙攣している。
 そして、オーギュストは、香子の脚を掴んで、失禁したように濡れた秘裂へ、ランの愛液にまみれた男根を押し込んでいく。
「ひぃ」
 香子が短い悲鳴を上げて、険しく眉間を寄せた。
「あんた?」
 ランが乱れた呼吸の中に、驚きと戸惑いの表情を見せた。
「う、うれしい。姐御の中にあった物があたしの中に入っている。これで、あたしたち本物の姉妹ですね」
 目尻に涙を浮かべながら、香子は微笑んでいる。
「あんたってやつは……」
 ランは、もはや苦笑するしかなかった。
「とことんヘンタイだ――はあっ、あ~~~ン」
 そして、再び、ランの膣肉をオーギュストが蹂躙し始める。
「姐御、一緒にぃ」
「ええ、いっしょにイキましょう」
 ランと香子は、親密に唇を重ねる。
 その後、二人は、そろって跪いて男根をきれいに掃除し、尻を並べて、挿入をねだった。いつまでも淫靡な競演を続けた。
 ………
 ……
「ご覧」
 オーギュストがマジックミラーへ視線を導く。
 少女たちが、無邪気に汗を流している。
 優等生でリーダー格のシルヴィは、着痩せするタイプのようで十分に胸や尻が膨らんでいる。
 長い黒髪を桶に浸して丁寧に洗っているカミーユは、慎み深く落ち着いた雰囲気だったが、まだ胸も尻が青い蕾のように堅く、くびれもまだ浅い。
 ロクサンヌは、豪奢な黄金の巻き髪に、服の上からも分かる豊満な肉体をしているが、齢のわりにやや毛が濃いようだった。
 テレーズは、赤毛のショートカットと大きな瞳が特徴的な妹分で、まだまだやんちゃ盛りと言う印象だったが、意外と発育は早い。
 ミルフィーヌは華奢だが、全く無駄な脂肪のない美しい裸体をしている。肌理の細かい肌が白く透き通るようで、乳首は桜色に輝いている。
「こんなに女がいるのに、お前が一番美しい」
「そんな……あん、汚い……」
 まだ汗を拭いていない脇を、ねっとりと舐め上げられた。
「この俺様が、時間と手間をかけて幼いころから磨き上げてきた(注意;嘘です)。この身体の何処に穢れがあろうか」
 ふくよかな乳ぶさを鷲掴みして、揉みほぐされる。汗に蒸されたシャツに蜘蛛の巣のような皺が寄った。
「この胸の張りも、腰の括れも――」
 脇腹から腰へ、手が滑る。
「尻の締まりも――」
 そして、尻を撫でる。
「どんな体位も熟せるボディバランスの良さ、エビ反りに絶叫もできる柔軟さ、弾力のある肉体、そして、誰も早く長く腰を振り続けられる体力。俺がトレーニングを組んできた(注意;真っ赤な嘘です)」
――ああ……そうか……。
 ランは徐に瞳を閉じた。
――ボクは剣じゃなくてセックスの修業をしてきたんだ……。
 すべてはこの色事の天才が仕組んだことなのだ。ずっとずっと以前、それこそ知り合った直後から、快楽の糸を張り巡らしていたのだ。自分のような美しいだけの小娘がかなうはずがなかった、と思う。
「いや……あぁン」
 そして、乳ぶさが揺れるたびに、甘く鼻を鳴らす。
「お前をお披露目する時が待ち遠しい」
「はぁん」
 耳を舐められる。もはや腰に力が入らない。
「アフロディースの世代に代わって、新世界三大美女と称えられるだろう」
「そんな…こと…ない……」
 迸るような熱に脳が痺れる。
 一人は、アルティガルド王ヴィルヘルム1世が他人にその姿を見せることさえ厭わしいとしたヴィヴィアン貴妃。一人は、オルレラン公国を滅びに導いた故ナバール男爵夫人ソフィア。そして、アフロディース・レヴィの三人を世界三大美女を呼ぶ。
「美顔、美乳、美くびれ、美尻、美脚の5拍子揃っている。メルローズの気品ある美と対照的な躍動的で健康的な美だ。垂涎の的となろう」
 汗を舐め取るように、首筋を舌が這う。そして、戦闘服のスラックス越しに、固い一物を感じる。
 脳裏でアフロディースとメルローズの美しい顔がぐるぐると渦巻く。華やかな後宮の女たちが、憧憬の眼差しで、または忸怩たる表情で跪く姿が浮かんだ時、頭の中が真っ白に爆ぜた。
「はぅおんっ、おおんっ、ほぉおんッ!」
 猛り狂う駿馬の嘶きのように声を張り上げる。そして、尻の割目を堅い塊に擦り付ける。
境界線のような布の感触が邪魔でしょうがない。
「いやぁ、いやあっ、はずれないよ~ぉ」
 軍服のパンツの釦を外そうとするが、焦りのせいで上手く指を動かせない。ついに、釦をむしり取った。そして、躊躇なく引き下ろすと、剥き出しになった白く丸い尻を突き出す。
「もお、もぉ、おかしくなっち……ゃう……」
 指先で秘唇を捲って開き、情熱的な吐息とともに懇願した。
「分かった。分かった」
 オーギュストは言葉を二度繰り返して、腰を打ちつける。
「ひぁん、イイッ!」
 入れられただけで、軽く達する。
 揺れる視界の中、マジックミラーに自分を慕う部下たちの日常の姿があった。
「……シルヴィ、カミーユ、ロクサンヌ、テレーズ、ミルフィーヌ……」
――ごめんなさい。貴方たちの隊長は変態なの……。でも、とっても気落ちイイのッ!
 ランは自ら尻を振って、マジックミラーの鏡面に爪を立てた。
「あおぉっ……、ひぃン!」
 防音設備だから聞こえる筈はないが、剣士の直感が反応したのだろう、一斉に少女たちがこちらを見る。
「ふぉっ! おおん、おおっ、おおぉオおン」
 短く呻き、一瞬女体を硬直させた後、総身をさざ波のように痙攣させる。
「イ……っひ」
 オーギュストは膝の裏に手を入れて、一気に持ち上げた。太い肉棒を飲み込んだ膣穴が、少女たちの架空の視線の先にある。
「ひっ……ぐぅぅ……う」
 快楽の電流に喉が唸る。そして、顔中の筋肉が弛み切った恍惚の表情を浮かべて、瞳をうっとりと濡らし、だらしなく開いた口からは涎を垂らしていた。
「ヒグぅうぅうぅうン!」
 蛙のように無様な格好でマジックミラーに張り付いて、喘ぎ声をうねらせながら、全身をおののかせて昇天する。
「達したか?」
「スぅ…ゴぉ…くぅ…イぃ…きぃ…ましゅちゃ……」
「よかったか?」
「さ、さいこ…こぉ……でえしゅ……」
 微かに笑い含んだオーギュストの声に、法楽の陶酔に溺れた声で答える。

 数日後、フェルゼンズィートの郊外にある白樺に囲まれた高原の小さな湖に、小さなボートが浮かんでいた。湖面を渡ってくる涼しげな風に、ゆっくりと流れている。
 オーギュストは、眩く煌めく木漏れ日に目を細めた。ボートの上に寝そべり、片方の足を水面に沈めている。
「ああ、いい風だ。涼しくて心地いい。ほら、口も使う」
「あ、はい」
 開いた足の間では、女が膝をつき、尻を高く掲げ、きゅっと背中を弓反りにしていた。そして、震える手で怒張の根元をそっと握っている。
「でも……」
 やり方が分からず戸惑っている。今までに無理やり口の中に押し込まれたことはあったが、きちんと奉仕したことはない。
「俺の女がフェラのやり方も知らんのか?」
「御免なさい」
「教えてやるから、すぐマスターしろ」
「はい、よろしくご指導ご鞭撻をお願いいたします」
 丁寧に頼む。
「まずは先っぽをね――」
 オーギュストは、口唇奉仕の説明しながら、足を水面から上げる。足首に結ばれた紐を引っ張るとワインボトルが浮かんできた。蓋を歯で取り、冷えた酒を口の中に流し込む。
「はい」
 オーギュストの指示に素直に頷くと、可憐な唇を肉棒の先に運び、舌先を徐に伸ばす。
 チロ……。
「ああ……」
 微かに先端が触れた。
「ううん……」
 鼻を鳴らして、チロチロと舌先を徐々に動かしていく。
 レロレロク……。
 恥ずかしそうに頬を朱に染めて、拳のような亀頭を舐め回す。次第に、油を塗ったようにキラキラと光り輝き出した。
「ん……んぅ」
 奉仕を始めると、不思議と恥ずかしさは消えて、行為に没頭していく。
 チュクチュ……。
 張り出した鰓の裏側に舌を這わせた。それから、太幹を上下になぞり続ける。
「ああ……ン」
 うっとりした顔で、甘い喘ぎ声をもらす。
 この頃になると、もう圧倒的な男の匂いにすっかり酔っている。
「ん……んむぅ」
 亀頭の上に顔を運び、大きく口を開いて丸呑みにする。そして、薄い唇でカリ首を浅く咥えて、ゆっくりと下へずらしていく。
「うぐぐぐ……ぐっ」
 肉塊が喉の奥をつく。堪らず、眉間に深いしわを寄せて、獣のような呻き声を淫靡に発した。
ジュチュ、チュっ……。
 そこから、唇を窄めて、頬を凹ませてゆっくりと引き抜いていく。

「まったく……」
 ランの背後で声がした。慌てて振り返ると三白眼のアンが立っている。
「貴女の妹分、感じ悪いわね……」
 低い声で呟く。
「そ、そう……」
 裏返りそうな声を抑えて、ランは必死に平静を装うとする。ボートの上で睦み合っている二人を見詰めながら、自分に置き換えて妄想していた。
「でも――」
 そんなランの様子に気付かずに、アンは苦い声で囀り続ける。
「うん?」
 ランは曖昧に相槌を打つ。
「陛下はフェラの後でキスするのは嫌いだから、あのまま放置されるわ」
 続けて口が「いい気味」と動いていたが、音にはならなかった。
「貴女に言ってもしょうがないわね」
 アンは口の端を上げて苦笑した。
 ランは、こんな綺麗な娘がこんな表情をするのだ、と内心で吃驚している。そして、もっと別の貌も見てみたい、と不埒な好奇心に魂が震える。
「ええ、そうなの?」
「ふん」
 アンは腕を組むと、一度鼻を鳴らした。
「それより――」
「ええ?」
 戸惑うランに、顎で白樺の林の向こうの道を指した。
「早くして、作戦開始よ」
「お、おお」
 疲れた馬が、男女二人を乗せてのろのろと進んでいた。

 日が暮れるのを待ってから、ヴォルフ・ルポは、フィネを乗せた馬を慎重に引いて、白樺の林の中の坂道を下りていく。
「占い屋さ~ん」
 その姿を見つけた時、両肩にずっしりと積み重なった疲れが一気に吹き飛んだ。そして、まるで子供のように陽気に呼びかけて、大きく手を振る。
「早かったわね」
 吊り橋の前で、アリーセが立っていた。占い師の神秘的な異国風の衣装ではなく、ハルテンベルク子爵家の紋章の入った軽鎧をまとっている。
「子爵夫人様――」
 フィネは、ヴォルフの手を借りて馬を下りると、アリーセの前で、足を揃えて綺麗に立った。
「はじめまして、フィネと申します」
 両手でスカートの裾を軽く持ち上げて、膝を折り、さらに、腰を曲げて頭を深々と下げて丁寧に挨拶した。
「ごきげんよう、歌姫」
 アリーセも、貴族風の優美な挨拶を返す。
 ヴォルフは、苦笑いして、二人の美女のやり取りを見た。そして、ことさら庶民的な口調で語りかける。
「兵隊が見えないようだが?」
「ここじゃ目に付きやすいから、こっちに来て」
「ああ」
「はい」
 そして、三人は湖上に架けられた吊り橋を渡る。先には小島がある。
 揺れる桟橋の上で、フィネは、ヴォルフに聞こえないように配慮しながら、アリーセに耳打ちした。
「口に歯磨き粉がついてますよ」
「ああ、ありがとう」
 慌てて指先で拭う。
「いえ……?」
 その仕草に、フィネは軽く違和感を抱く。
 小島は、土の部分よりも大木のゴツゴツした根の方が、面積が大きい。簡素な桟橋に数隻のボートが繋いであり、張り出した枝の下に、質素な小屋があった。
「こっちよ」
 アリーセは、甲冑をカチカチと鳴らして、跳ねて、木の根を超える。
「……っ」
 その際、アリーセのスカートが捲れた。
 ヴォルフは、一瞬で頭が沸騰した。下着の生地が見当たらず、二つの豊かな膨らみが丸見えだった。
――下着を着ていないのか……!
 慌てて視線を上に向けて、「立派な木だなぁ」と不自然に囁いた。
「どうしたの?」
 アリーセが振り返る。その額に、汗が一つ垂れ落ちている。
「さっきまで泳いでいたの」
 爽やかに微笑んで、聞かれる前に告げる。
「ああ、だから」
 ヴォルフは大袈裟に反応した。理屈が合っているかはこの際どうでもよかった。
「さあ来て」
「はい、暑いからですね」
「そうなのよ」
 フィネはぼんやりとした不安に立ち止まり、少し離れたヴォルフの背に語りかける。
「おかしくない?」
 兵がいない。雰囲気が変。それだけじゃないような気がした。
「何が?」
 まだ頭がふらふらしていた。さらに、気まずさもあり、フィネの顔を見ることもできない。素っ気なく答えて、フィネを残してアリーセに従っていく。
「よくこんな所知っていましたね?」
「ここ静かだから、別荘があったのよ」
「なるほどですね」
 二人の他愛のない会話を聞いて、その瞬間、フィネははっと気が付いた。確かに静かなのだ。
――もしかして……。
 素早く頭を振って確認すると、思った通り、湖に水鳥がいない。
――待って!
 と叫ぼうとしたが、いきなり背後から口を塞がれた。同時に、小屋の中から、木の上から、水の中から兵士が現れて、ぐるりと取り囲んでいく。
「どういう事だ?」
「……」
 ヴォルフはアリーセを睨んだが、枝の影に隠れて、その表情が全く見えない。
「フィネ!」
 血相を変えて、フィネの元へ向かおうとする。それに、アリーセは剣を抜いた。
「動かないで!」
「裏切ったな!」
 しかし、ヴォルフの動きも早い。素早く背中ら黒い砲を取り出すと、アリーセの顔へその先端を向ける。
「ひぃ!」
 その威力を知っているだけに、アリーセも蒼白となって伏せた。
「フィネ!!」
 ヴォルフは引き金を引かずに、フィネの元へ駆けた。フィネも背後から口を塞いだ者の手を噛んで逃げ出している。
「フィネ……」
「ヴォルフ……」
 互いの名を呼びあい、二人は包囲網の中央で抱き合う。
「だらしがない」
 その時、小屋の奥から、ため息交じりの声がした。
「お前たちは、こんな子供を捉えることもできないのか?」
 月明かりの下に、オーギュストが現れた。
「当たれぇ!」
 その圧倒的な存在感に、ヴォルフはその人物を確かめる間もなく引き金を引いている。
 バン!
 その破壊的な爆音に、兵士たちは一斉に身を屈めた。しかし、オーギュストは表情一つ変えずに立っている。
「この距離なら当たらんよ」
 白と黒のツートンカラーの丸い水銀の人形をジャグリングしながら、一歩一歩と近付く。
「この距離なら五分五分だが、俺の魔法の方が早いぞ、どうする?」
「はぁはぁ……」
 迫り来る死の予感に、ヴォルフの呼吸が荒く乱れていく。
「女を置いて、失せろ。命だけは助けてやる」
 勝利を確信した声で、冷淡に告げる。
「うるせえ!!」
 カッと逆上して、震える腕で筒を構える。
「ヴォルフ、落ち着いて!」
 その時、フィネが叫んだ。その声で、ヴォルフの暴走がぴたりと止まる。
「フィネ、頼む。歌ってくれ……」
「はい」
 はち切れんばかりの緊張感の中、必死の声で依頼する。それを受けて、フィネは本を取り出して、高く美しい声で歌い始めた。
「あ~ぁ♪」
 神秘的な歌声が、湖面の上の涼やかな空気を震わし、生命力にあふれた大木の葉々を振らし、満天の星空までも轟いて、星々をそのリズムに合わせて煌めかせる。
「これはっ」
 オーギュストの表情が変わった。
 追いつめられたヴォルフの血走った目が、青い宝石のように静まっている。そして、殺気を緑色に輝く炎に変えて、至高の域まで集中力を高めている。
――この歌は、精神に作用する支援魔法。……だけではない?
 オーギュストが支配していたこの場の精霊たちが、歌声に聞きほれて支配を離れてしまった。遅ればせながら『拙い』と判断し、全身に緊張を漲らせる。
 バーン!
 ヴォルフが引き金を引く。無数の火花が顔の前で飛び、黒い煙が四方に拡散する。
 オーギュストも、ジャグリングしていた水銀の人形を投げる。
 黒い筒を飛び出た弾丸は、空気の壁を突き破って波紋を描きなら突き進む。
 ドン!
 水銀の人形と正面からぶつかり、重い液体の金属を弾き、四方八方に跡形もなく吹き飛ばす。
 パーン!
 すぐに二つ目の人形と当る。凹型に押し込み、ついにはドーナツ状に突き破った。
 ポトン!
 三つ目の表面を侵し、波立たせ、球形を乱すが、水銀の張力に捉まり、そして、復元力によって球体内部に包みこまれて、ついにその凶暴な突進を終えた。
「ああ!」
 一方、死の因果の発信元であるヴォルフは、水銀の破片が顔に突き刺さって、激痛に蹲ってしまっている。
「痛い、痛いッ、フィネ、ふぃね……」
「大丈夫、ヴォルフ!」
 慌てて、フィネが駆け寄る。
「危ない、危ない――」
 オーギュストが大きく息を吐いた。
「いいコンボだった。条件がもう少し整っていれば俺をも倒せたかもし――止せ!」
「ッ!」
 涙を振り払って、フィネが黒い筒を持つ。オーギュストは慌てて手を伸ばして制したが間に合わなかった。
 フィネの前で、ボン、と大きな音がして、その華奢な身体が後方へ弾き飛ばされた。
「……ちぃ」
 先端の口を四つ目の水銀の人形が塞いでいて、暴発したのだ。遠くから眺めても、フィネとヴォルフが絶命しているのが分かる。
 オーギュストは、舌打ちをして、踵で地面を蹴った。
「勿体無いことをした……」
 目を閉じて苦々しく呟くと、アリーセを見遣る。
「この男の首はお前にやる」
「はい」
「旧主の仇を討ったアルティガルド随一の忠臣として、再び、救国軍の旗を掲げよ」
「御意」
 アリーセは恭しく跪いた。
「陛下の有難き御配慮、身に余る光栄にございます。身命を賭して、御心に添い奉り、アルティガルド全土に、陛下のご威光を知らしめてご覧に入れます」
 オーギュストは、アリーセの言葉に特に感じるものもなく、「おお」と大きく頷いて吊り橋へ歩き出した。
「女神エリースの加護があらんことを……」
 アリーセは立ち上がり、ヴォルフとフィネの傍らに寄り、真摯に祈りを捧げた。
「そんな顔で見ないでくれよ。誰も運命には逆らえないのだから」
 さっぱりした表情で囁く。
「……ない!」
 それから、銃と歌の本がなくなっていることに気付いて、驚きの声を上げた。



【アルティガルド側登場人物】
●ヴォルフ・ルポ
〔金髪のウルフヘアー。新宮殿建設の作業員だった。『鉄砲』を持つ〕
●キョーコ・キザシ
〔ワ国人女性。サリスのスパイ〕
●フィネ・ソルータ
〔歌姫。『シヴァの歌集』を持つ〕
●ヴェロニカ・ロジーナ・フォン・ベルタ
〔ビルフィンガー建設の主任。革命家〕
●ロマン・ベルント・フォン・プラッツ
〔建築家。組織のリーダー〕
●アリーセ・アーケ・フォン・ハルテンベルク
〔名門子爵家の生き残り。母方は王室。伝説の武器を求めている〕

◎エドガー・ワッツ
〔ジークフリードの要請を断り、獄死〕
◎ヘルミーネ・ザマー
〔准将、ジークフリードの腹心〕
◎ゴットフリート・ブルムベア
〔中将、ジークフリードの腹心。ハルテンベルク子爵家討伐の司令官〕
◎ルートガー・ナースホルン
〔少将、ジークフリードの腹心。ハルテンベルク子爵家討伐の副司令官〕


第72章 九十九折

第72章 九十九折


【神聖紀1235年7月初旬】
――アルティガルド中部。
 夜が明けた。
 昨夜まで続いていた長雨に、家々の屋根も街道の石畳も洗われて、美しい水の膜をまとっている。そこへ、強い日差しが射し始めた。たちまち、世界は耐え難い蒸暑を見せ始める。
 街を抜けて、西に軍勢が進む。
「進め、進め、列を乱すな。遅れるものは蹴り倒すぞ!」
 古参兵が、若い兵士を叱咤する。
 フリーズ大河が造った広大な平野を、街道はまっすぐに伸びている。その地平の彼方に、砂塵が壁のように舞い上がっている。
「あれは何だ?」
 兵士たちが、汗に濡れた顔を上げて、頓狂な声を上げる。
 その泥色の幕を突き破って、黒い塊が姿を現した。不気味に蠢きながら徐々に左右に広がりゆっくりと迫ってくる。そこから湧き上がる蒸気が、高く積み上がった岩のような雲を作り出していた。
 真っ向から風が吹く。むせ返るように熱く、獣の息のように臭い。さらに、火照った肌をひと撫ですると塩の結晶が残っていた。
 尋常ではない。緊張感が全軍を走る。
「陣形を敷け!!」
 その時、中級指揮官たちの声が飛んだ。

 野が人で埋め尽くされている。見たこともない大群衆である。
 ヴァンフリートで決起した反乱軍は、周辺の農民を飲み込んで、10万を超える大軍になっていた。
 彼らが掲げた
『均田制』
『税免除』
『綱紀粛正』
『人材登用』
 が、農民、商人、知識人など幅広い層に支持された結果である。
 反乱軍は大貴族たちの領地を蹂躙しながら王都アルテブルグを目指す。貴族たちの「何とかしろ」の大合唱に突き動かされて、宰相ジークフリード・フォン・キュンメルは、自ら王都防衛軍1万を率いて迎撃に出た。
「ザマーはまだ到着せぬのか?」
 ジークフリードは、強い日差しの中に立っていた。小刻みに足踏みを繰り返して、執拗に爪を噛む。
 陣形を組んで、正規軍の威光を示した。しかし、反乱軍の進軍は止まらない。もはや激突は時間の問題となっている。然るに、転進して合流するように命じた、ロイド州への遠征軍が、未だ到着していない。
「敵は烏合の衆だ。騎兵部隊で、一気に突き崩せ」
「はっ」
 数で劣勢な現状で主導権まで渡しては拙いと、止むを得ず、ジークフリードは先制攻撃を決定した。
 命令が下ると、騎兵の集団が小さくまとまって突撃を開始する。
「吶喊!」
 それはまるで黒い沼に、小石を投げ入れるような光景であった。
「蹴散らせ!!」
 接触すると、大きな波紋のように黒い人だかりが揺れた。脆くも、陣形が崩れる。騎兵は、馬の上から槍を振り、逃げる男を4人5人と切り倒す。
 しかし、斬っても斬っても、その背後に人が立っている。次第に、騎兵たちは辟易として、顔に苦く顰め始める。
「これでは……」
 切りがないのだ。騎兵は、心身ともに攻め疲れて、一旦、後退を始める。
 忽ち、黒い影が、ぽっかりと空いた空間を埋め戻す。
「休ませるな。第2波行け!」
 ジークフリードは、波状攻撃を命じる。
 攻撃は5度6度と繰り返された。
 騎兵の損害は軽微であるが、将兵の疲労感は積み重なっていく。みすぼらしい敵が、無限の回復力を持つ化け物のように見えていた。
 陽は西へ傾いていく。
「そろそろ潮時かぁ……」
「案外手古摺る……」
「決着がつかぬとはなぁ……」
 単調な反復攻撃に、司令部の幹部たちの思考も鈍くなっている。このまま夜を迎えて、双方兵を引くことになるだろうと誰もが考えて始めた時、反乱の小集団が戦場を迂回して背後に現れた。
 明らかに農民兵とは動き違う。戦いなれた傭兵であり、時折、不気味な爆音を発している。
「ヴォルフ・ルポです」
 偵察から戻った参謀が報告する。
「うむ」
 ジークフリードは大きく顎を上下させた。その先から大粒の汗が滴り落ちる。
「ケチな狂犬など……」
 喚くように罵ったが、それに続く指示がいつまでも発せられない。
「……」
 長い沈黙が司令部を包む。退路を断たれたことに、動揺が走っている。
「閣下ご覧ください!」
 同時に、前方の大軍が、緩慢に両翼を伸ばし始めた。
「このままでは包囲させます」
 参謀長の進言を受けて、ジークフリードは決断を下す。
「全軍、南へ転進せよ」
「南?」
「フリーズ大河の河口に集結した水軍と合流すれば、幾らでも巻き返せる!」
 ジークフリードは呪うように吐き捨てて、騎乗し、戦場を離脱していく。


【7月中旬】
――セブリ街道。
 サイアからカイマルクへの最短ルートが、『セブリ街道』である。『オランジェリー台地』と『セブリ山脈』に挟まれた狭い谷間を蛇行して抜けている。
 しかし、一旦長雨になると、谷間に流れ込む小川が幾つも鉄砲水となり、並行して流れる川も氾濫して、何か所も通行止めとなる。故に、非常に脆い街道として知られていた。

 そして、この日も、その弱点が露見していた。
 橋が濁流に流されている。
 その傍らで、濃緑の雨合羽を着た者たちが呆然と立ち尽くしている。
「他に橋はないのか?」
「はい……」
「これではカイマルクへの到着が遅れてしまうぞ」
 ランは雨雲を見上げて愚痴り、前方の途絶えた街道の光景にため息を落とす。
「これも全部、あいつの日頃の行いが悪いからだ! チクショウ!!」
 そして、腹立ちまぎれに、足元の小石を蹴る。そのささやかな衝撃で、柔らかくなった地面が崩れて、ずるずると濁流の中へ削れて落ちていく。
「ああ~」
 慌てて後ずさりすると、足を滑らせて、水たまりに顔から突っ込んでしまった。
「げほっ……」
 泥だらけの顔を上げて、口から泥水を吹き出す。口の中に、砂粒が残って頗る気持ち悪い。
「ちくしょう……。あ~ぁ、叔母様に何て言われることやら……」
 ぐしゃりと顔を崩して、泣き出しそうな声で小さく呟く。

……
………
 作戦開始直前の忙しい時期に、叔母ローラから呼び出された。
『御覧なさい。この新調したドレスを。これなら、絶対、陛下の無聊の慰めになるわ!』
 ローラは、ピンク色の可愛らしいドレスを自分の身体に当てて、無邪気に頬を染めている。まるで我がことのように、楽しそうにはしゃいでいるが、無論、彼女の服ではない。姉リタのために仕立てた物である。
『どうどう?』
 ローラは鏡の前でくるくる回る。
『素敵ですよ、叔母様』
 最近、ローラは、リタをオーギュストに仕えさせようと躍起になっていた。勿論、ランにも、ロックハート家の安泰を考えてのことだとは分かっている。だから、一言も反論できない。
 一代で成り上がったロークハート家は、譜代の家臣がいない。新参の家臣にロックハートの姓を与えることで、結束を固めようとしている始末である。しかし、一介の門番までロックハートを名乗っている状況は、まるで『ごっこ』のようで何処か滑稽であった。
 また、当のリタは、ローザの傍らで、一言も発せず、当惑した表情で佇んでいる。
――ああ、この可憐な少女も、あの色魔の餌食となってしまうのか……。
 我が姉のことながら胸が痛んだ。
『我々はカイマルクで陛下の到着を待つことになるでしょう』
 ローザは打って変わって、怖い顔で告げる。
 カイマルクの半分はロックハート家の領地である。大戦中、一度は必ず視察に訪れることになるだろう、とローラは想定している。その時こそ、完璧なおもてなしをするつもりでいる。
『くれぐれも寄り道などをなされぬように、あなたがしっかりするのですよ』
『あ、あい……』
 勢いに押されて取り、敢えず曖昧な返事をした。
『特にアポロニアには気を付けなさいよ!』
 アポロニアは、カイマルクを分割統治するライバルである。
『あの女、どんな策を用意していることやら……』
 もはやどこぞの悪役の顔である。
………
……


 ランは雨の中を宿場町まで戻った。
 防衛のため川がコの字状に囲んだ守りやすい場所に設けられている。小さな神殿を背にして木戸を潜ると石畳の一本道があり、その左右に、道具屋や鍛冶屋などの商店が並んでいる。中央で道は鉤状に折れていて、路地を入った奥まった場所に領主の館があった。
「あ~ぁ……」
 門の紋章を見て、ランが嘆きの声をもらす。
 それは見慣れたロックハートのものではなく、セレーネ半島系貴族風の紋章がある。
「最悪だよ。よりにもよって『ナバール』(第8章参照)なんて一癖ありそうな貴族領で足止めになるなんて……」
 オーギュストの到着を迎えた姉妹の姿を思い出す。
『出迎え大義である』
『拝謁の栄によくし、望外の喜びでございます。姉のアンと妹のロッテでございます』
『久しいな。二人とも美しくなった』
『恐れ入ります、上帝陛下』
 二人は楚々と礼をした。
 如何にも曰くありげな主従の光景に見えた。
「あ~ぁ……」
 鬼の形相のローラが目に浮かび、激しい眩暈がした。憂鬱な気分のまま玄関を入る。
「ご苦労様です」
 すぐに侍女が駆け寄ってきて、かわいらしい声で話しかけてくる。
「雨具はわたくしが」
 口角を上げた爽やかな笑顔である。
――ああ、拙い……。
 思わず、ため息がでた。
 もしカイマルクに着く前に、オーギュストがこの辺の侍女を気に入れば、リタの出番はないかもしれない。そうなれば、『叔母はきっと私を殺すだろう』と、疑いない未来を予見できる。
「温かい飲み物は如何ですか?」
 人のよさそうな初老の執事が問う。
「そうじゃ」
 言葉に甘えることにした。こんな時、香子がいれば、ブランデー入りの紅茶を言う前に出してくれただろうな、と寂しく思う。
「ホワイトチョコレートモカフラペチーノのグランデ、追加でキャラメルソース、ヘーゼルナッツシロップ、チョコレートチップ、エキストラホイップのエスプレッソショット一杯で」
 簡単にコーヒーを注文してから、奥へと進む。
 その館は、左右対称の2階建てで、広い玄関ホールの奥に大階段があり、その下に舞踏会用の広間がある。今は臨時司令部として使われている。
「遅いぞ!」
 一段高い席で、肋骨服の軍服を見事に着こなし、尊大に君臨する女が、然も偉そうに言った。
 上帝軍幕僚本部顧問『アン・ツェーイ』である。本部長の『ベアトリックス』はカイマルクに先乗りし、作戦部長の『ルイーゼ』はサイアに残留している。また、魔術部長の『ダーライア』と警備部長の『ライラ』は先遣部隊と一つ先の宿場町に、鎮守直廊三人衆の『キーラ』、『サンドラ』、『マルティナ』はまだ一つ前の宿場町にいた。
 つまり、局地的で一時的ではあるが、アンが一番偉いという状況が生じている。
「橋はどうだ?」
 威圧的に問う。
――ああ、此奴がいたな……。
 毒物のような嫌悪感とともに、安堵感が込み上げてくる。叔母ローラが気をもんでいた夜伽の問題も、アンが勝手に解決してくれるだろうと思い、やや肩の荷が下りた気分でほっと息をつく。
 しかし、である。
 あの人形のように清純可憐の貌だったが、いつの間にか、すっかり、色気が板についてきている。これじゃ、飽きられて捨てられるのも時間の問題だろうな、と内心で笑い飛ばした。さらに妄想は続いて、自分ならば清楚さを決して失わないだろう……と余計なことまで考えて、カッと頭が熱くなった。
「あんだと!」
 勝手に内に抱いた気恥ずかしさを打ち消すために、意味もなく、ハイテンションで叫んでしまった。一瞬広間は静まり、誰もが手を止めて、視線を一斉にランに集中させる。
――ま、拙い……。
 脳がぐらぐらと揺れる。これを世間ではドツボにはまると云うのだろう、としきり明後日の方向を考える。
「橋だよ、橋!」
 しかし、天はランを見放さない。
 アンが同じテンションで答えてくれたおかげで、「ああ、いつものやつか」と周りの空気が和んだ。
――ここだ! 生還のチャンスはここしかない!!
 機を逸せず、平常の口調で臨む。
「おいおい、偉そうに、まるで上官気取りだな」
「はっ!?」
 アンが気色ばむ
「私はッ、上官なんだよ!」
「同期に上も下もあるものか!」
 アンの瞳が『敬語を使えや』と言い、ランのが『やんのか』と語っている。
 二人の美少女が、唾がかかるほど顔を近づけて、互いに目を上下させ合っている時に、新たな雨合羽の一団が帰還した。
 ランの部下だったが、彼らは広間の中央に座っていた参謀本部の『ヤン・ドレイクハーブ』の所へ直行して、「一つ前の橋はダメでした」と報告する。
 いつの間にか、彼の周りには人が集まっている。よく見れば、一緒に橋を視察した部下もその輪に加わっている。
「これで、先遣部隊とも後続部隊とも連絡が取れない訳だ……」
 ヤンが深刻な声で一人呟く。
 本隊は、雨の中に完全に孤立している。
「雨は何時か止むさ。お前たちがそんなに心配することはない」
 アンは首を伸ばしてさらりと言う。その声は、五月蠅い連中がいない事を喜んでいるように聞こえた。
「しかし、ジークフリードがアルテブルグではなく、フリーズ大河の河口へ向かったというのが気になります。陛下には一刻も早くサイアへ帰還して頂きたい」
 対照的に、ヤンは真剣な表情で答える。その言葉に、ヤンを囲む一同が頷く。
「しかし、この雨では、どうにもならん。これを機に陛下に、ここでゆっくり休養して頂くのも手であろう」
 アンは、髪を後ろに払いながら、涼しい声で反論する。
 やっぱり少しでも長く幹部連中がいない状況を楽しもうとしている、と皆が思う。
「失礼致します」
 その時、執事と侍女が、コーヒーを運んできた。
 ヤンたちはブラックコーヒーを慣れた手付きで分け合い、残った一つがランのもとへ運ばれてきた。
「ごくろ――」
 ニコリとほほ笑んで、白いホイップが山のように盛られたカップに目を輝かせ、揉み手をしながら手を伸ばす。その時、素早く横から白い手が振り抜かれた。
「ご苦労様」
「あ……」
 アンは奪い取ったカップを躊躇なく一息に飲み干す。
「あら、これ、貴女のだったの。ごめんなさい。うっかりしちゃった」
 そして、口の周りを白くしながら、わざとらしく言った。そのくっきりとした瞳は、悔しがるランを映して、キラキラと歓喜に輝いている。
「くっ……」
 ランは、掌に爪が深く食い込むほど強く拳を握った。
 アンは勝ち誇ったように微かに頬を上げてから、悠然と視線をランから外す。
「兎に角、アルティガルドは逃げやしないわ。落ち着いて慎重に判断しましょう」
 腰に手を当てて、仁王立ちして、我が世の春を謳歌するように甲高い声で言い放った。
「そうですね……」
 ヤンと少し困ったように苦笑する。その微妙な笑みが、緩やかに室内に広まってから、一斉に一つため息を落とした。


「……」
 全員の視線が扉に注がれている。
「広間が騒がしい様子。参りまして――」
「捨て置け」
「御意」
 この広間から左へ、画廊になった廊下を進めば、オーギュストの部屋があった。
 一列に黄金の釦が並べ、派手な肩章を施した、黒い燕尾型のジャケットを羽織、白のズボンとロングブーツを履いている。カイマルク入城を意識した衣装だった。
「止まぬか?」
 窓際に立ち、雨の庭を眺めながら問う。
「御意」
 情報部の『刀根小次郎』が跪いて答える。
 オーギュストは口を結んで小刻みに肯く。もはや出立を諦めて、襟を緩める。そして、ゆっくりとこの館の主たちを見た。
「世話になる」
「臣(わたくし)ごとき住家に玉体をお運び頂き、恐懼の極みでございます」
――ナバール男爵の忘れ形見か……(第28章参照)。
 内心呟く。姉妹は、ナバール男爵家滅亡後、リューフによってこの地で匿われていた。
「おじ様から、陛下がお立ち寄りになる際には、心よりおもてなしを致し、陛下の無聊を慰めるように言いつかっております」
 アンナが恭しく述べる。
「堅苦しいことはいらぬ。俺とリューフは兄弟のようなもの。故に、お前たちも我が身内も同然」
「身に余る御言葉に、感謝の言葉もございません」
 感極まった声で答えて、頭を深々と垂れる。
「この地で留まるのも、リューフの執念かも知れんな」
 オーギュストは雨空を見上げて、感慨深く呟く。この謁見を切っ掛けに、ナバール男爵家の復興を認めることになるだろう。
「はい?」
 姉妹は怪訝そうに顔を上げた。その美貌をまっすぐ眺める。
――母ソフィアもセリア一の美女と言われたが……。
 二人とも目を見張るばかりの細面の美人である。繊細且つ端正な造りは、癒されるような物静かな印象と可憐で気高い雰囲気を与えてくる。
「……」
 オーギュストは、姉妹から視線を逸せず、徐に口にコーヒーカップを運ぶ。その際、さりげなく親指の爪を黒い水面に掠めさせる。そして、じわりと紫色の波紋が広がるのを見て、素早くカップを下ろした。
「全員、飲むな!」
 激しい声で叫んだ。

「調査の結果――」
 情報部の『刀根小次郎』が、沈痛な表情で報告する。
「調理人が忙しさのあまり、トイレの後、手を洗わなかったようです」
 オーギュストは憮然とした。爪の先に、幾つかの試薬を仕込んである。その一つが反応したので毒を盛られたと確信したが、結局空騒ぎで終わってしまった。
「前代未聞の不敵際だな。姉が聞いたら泣くぞ」
 小次郎は、顔に汗を滝のように流している。
「申し訳ございません……」
「被害は?」
 視線をランに向ける。
「アン(笑)顧問以下、ヤン先任参謀など腹痛を訴える者多数。被害甚大と言わざるを得ないでしょう」
 ランは、片眉をぴくぴくと微かに動かしている。アンに対して「ざまあ」という感情を必死に封印しようと努めて、出来るだけ平坦な口調で答えているのが手に取るように分かる。
「笑うな!」
 突然、オーギュストが叱責する。これに、思わずランは雷に打たれたように身体を固くした。
――成長しない奴だ……。
 と呆れる。
 その時、不意に、ディアン男爵が告白したという噂を思い出した。
「そう言えば、ラン」
「はい?」
「しばらく会わない間に、雰囲気が変わったじゃないか?」
 毎日会っていると言い返したそうに、ランは口を尖らせる。
「少しは成長しましたから?」
「恋人はできたのか?」
「いえいえ、全然」
 虚を突かれて、ランは慌てて手を振る。
 猫を思わせる大きく、そして、ややつり上がった目をしている。すっきり通った鼻に、鋭く尖った顎、光をたたえた湖水のように、奥行きを感じる唇がとても美しかった。
――ナルセスの息子にくれてやるのは……。
 急に惜しいように思えてきた。

 一方のランも、狐に摘ままれたような不思議な違和感に包まれていた。まるで初めて名前を呼ばれたような気がしてならない。
「まさかね」
 子供の頃から、ずいぶん長い付き合いである。そんな筈はないと内心失笑する。

「今宵の警備隊の見直しをご指示ください」
 小次郎が委縮した声でおずおずと問う。
「そんなことは、お前たち二人で勝手に決めろ」
 ぞんざいに言い放ち、オーギュストは奥の寝室へ向かった。
 敬礼に見送られて、何事もなくドアを閉める。それから突然、素早くベッドのある方へ振り向く。その手には、千切り取ったジャケットの釦の一つあり、何時でも指で弾けるようにしてある。
「何をしている?」
 こんもりと盛り上がったシーツが、もぞもぞと動いて、ふっと顔を垣間見せた。
「アンナ、そんなところで何をしている?」
「陛下にお詫びしようと思って」
 シーツの上部から裸の肩が、下部から素肌の脚がはみ出ている。
「リューフに言われたのか?」
「いいえ、おじ様はそんなことを言わないわ」
 小悪魔的に笑った。そして、上体を起こして、胡坐をかき、枕を胸の前で抱く。
「おじ様は、私を処女だと思っているの」
 ウィンクして、舌を覗かせた。
「リューフが見たら、泣くだろうね」
 オーギュストは苦笑した。そして、ジャケットを脱ぎながら近づき、ベッドに腰を下ろして、アンナの肩にかける。
「どうして?」
 不服そうに頬を膨らませる。
「リューフに殺されるから」
 軽く言って、腰を上げ、奥に運び込まれている移動式のクロゼットを目指す。
「もお。陛下のセックスを体験したかったのに」
 枕をオーギュストの背に投げた。
「早く服を着ろ。そして、俺の部下の看病をしてくれ」
「そう言えば、ヤンとかいう人、知的な顔で、肉体はしっかりしてて、なかなかいい男だったわね」
 人差し指を顎に当てて、輝く顔で呟く。
「傷付くね~ぇ」
 オーギュストはガウンに着替えながら、爆笑した。

 日が暮れても、雨はまだ止まない。
 館の食堂では、豪華なシャンデリアに火が灯り、弦楽四重奏の透明感のある演奏が流れている。しかし、食卓の上には、軍の携帯用の簡素な食事が並べられている。それでも、姉妹の笑い声は絶えない。
「わぁ、転がる」
「間抜け可愛い」
 オーギュストは、食卓の上に、丸っこいメタルの人形を幾つか並べる。
「陛下がお作りに?」
「ああ、水銀で2頭身にしてみた」
 モデルはウェーデリア山脈に生息する幻の生物である。性格は極めて凶暴で、かつ食欲旺盛である。容姿は白と黒のツートンカラーで、黒い隈取の中に鋭い眼光、何でも噛み砕く強力な丸い顎、大きな手に研ぎ澄まされた爪などと頗る凶悪なことで知られていた。
「キビキビ、テキパキ、ハキハキ、ニコニコだ」

 闇の中に強い光が溢れ出ている。その波長に軽やかな音楽と明るい笑い声が乗り、ボトボトと大粒の雨が合羽を叩く音に紛れて聞こえてくる。
 ランは一人で裏庭を見廻りしている。人手不足だから、仕方がない。それは納得しているのだが、心の片隅に、理解し難い蟠りがある。
「今夜……」
 あの姉妹のどちらかを抱くのだろう。否、両方かもしれない。そう思うと、吐き気のような不快を感じた。
 何度も見てきた光景である。
 それをそれと知りつつ抱く方の節操のなさにも呆れるが、抱かれる側の洒洒とした浅ましさには、虫唾が走る。
 しかし、若干の差異はあるが、叔母の懸念が当たった。
「叔母と姉のためにも、妨害せねば……」
 そう強く思う。その痛快さに自然と薄い笑いが浮かび、その滑稽さにため息が落ちた。
――それだけ……?
 不意に、胸の奥がざわめいた。
 自分の心に向き合うと、その家族のためという目的が如何にも薄っぺらだ。なのに、言いようのない使命感が心のど真ん中にどっしりと鎮座している。その不可思議な動機を探ろうとすると、途端に、心が麻のように乱れてしまい、今自分が何処に居るのかさえも曖昧になってしまう。
 自分自身に当惑しながらも、とにかく、ランは、己への疑問を忘れて、任務に専念することにした。
「さて、どうする?」
 決意はしたが、方法がさっぱり分からない。とりあえず、脚がヤンのテントを目指し始める。ヤンならヒントを与えてくれるかも、という感覚が癖になっている。
 と、濃緑色のテントの中から声がして、反射的にそっと耳をそばだてる。
「陛下は雨が止み次第、この館の馬車でオランジェリー台地の間道を抜けてカイマルクへ向かわれる。今馬車の用意と当分の影武者の手配が終わったところだ」
 小次郎が狭いベッドの傍らに座り、声を潜めて言う。
「同行できずに無念だ。我が分も頼む」
 ヤンは、ベッドの中から唸るような声をもらした。
「否、俺も同行できん。リューフ総帥の下へ向かう」
「そうか。だが、大丈夫か?」
「いや、俺一人なら、どうという事はない」
「そうか。流石だな」
「フリーズ大河の河口も調べてくる」
「有難い」
 儚げに微笑む。
「実は――」
 小次郎が身を屈めた。
「リューフ総帥への伝言の中に、お前のことがある」
「何だ?」
「陛下は、ここの婿に、お前を推挙なされるおつもりだ」
「なっ!?」
 思わず声を上げてしまった。
「内密に、お前の気持ちを確認せよ、と言いつかっている」
「突然で……」
「そうか。ならば、今回は陛下のお気持ちだけリューフ総帥にお伝えする」
「ああ……」
 小次郎が立ち上がった。
「だが羨ましい」
「え?」
「たかが一介の参謀風情が、セレーネ半島貴族の身分とリューフ総帥の後継者の地位を手に入れる」
「だが、妻はお手付きという事になる。いや、何でもない……」
 失言したとばかりに、震える手で口元を抑える。
「名誉なことだろう?」
「ああ」
 裏返った声で頷く。
「だが気になるなら、義妹を後宮にお仕えさせるという手もあろう」
「……」
 ヤンの目が激しく泳ぐ。
「そうなれば、末は宰相だな」
 小次郎は笑って、ヤンの肩を軽く叩いた。
「……」
 ヤンは呆然として答えることができず、ただ肩に与えられた衝撃で、振り子のように上体を揺らしている。
 それを見て、ランは闇の中へ隠れた。闇の暗さに溶け込みながら、怒りがふつふつとわき上がってくる。
 自分にプロポーズしておきながら、直ちに断らないヤンが許せなかった。可能性に眼が眩んで、自分を天秤にかけたことが不快でならない。あの姉妹と同じレベルに自分を貶めたことが全く我慢ならない。
 何と若い男の軽薄なことか!
 と身震いするほどの嫌悪の念を催す。
 同時に、あの姉妹が、夜伽を取引の道具と勘違いしているのが許せなかった。
 夜伽とは忠節の証であり、主従の絆を深めるものである。その絆を守るために、この瞬間も、多くの女性たちが命を賭けて一心に働いているのだ。
「穢れている」
 と胸糞が悪くなる。
「何としても……」
 あの姉妹を排除しなければならない、と決断した。それはオーギュストに仕えるたくさんの女性のためでもあった。

 月明かりが窓から差し込み、壁に揺れる木々の影が映し出された。
 オーギュストは、寝室で一人、背もたれが燃え盛る炎のような赤い長い椅子に座って、月明りに照らして魔導書を読んでいた。一部が、雨上がりの澄んだ空を通した月光を浴びて浮かび上がる特殊な文字で描かれている。
「失礼します……」
 落ち着かない声を発して、おずおずとランが入ってくる。
「見廻りか?」
「……はい。いえ、ああ、師匠、一人ですか?」
 きょろきょろと室内を見渡して、姉妹の存在を探す。
「ああ」
「珍しい」
 思わずいつもの様に無遠慮に毒気づく。
「一日ぐらい静かに月を見上げる夜があってもよい。二日は多過ぎるがな」
「側で護衛しましょうか?」
 生唾を呑み込んで、短い文章をたどたどしく告げる。
「殊勝な事を言うようになったじゃないか。だが不要だ。俺にはこれがある」
 オーギュストは意外な表情でしばし笑うと、先ほどのメタルの人形を投げ渡した。
「水銀に魔力を注いだ魔法生物だ。護衛は此奴で十分だ。お前は寝ろ」
「……そうですか」
 納得したように答えが、根を張ったように一歩も脚を動かせない。
「どうした?」
「いえ……」
 丸い水銀の塊を両手でくるくると回すばかりだった。
 今宵姉妹が訪れないのなら帰るべきだ、という言葉が頭の裏の方をふらふらとかすめていく。ただ、心臓が破裂しそうに鼓動し、脳へと送られた過剰な血液で思考が溺れてしまった。全く感情を制御できない。どうして自分がここにいるのかも、最早わからない状態である。
「ロックハートに言われたのか?」
「へ?」
「意外だ。全く意外だ。ランが家族のためにこの選択をするとは。それほどロックハート家が大事か?」
「そ、そ、そんなんじゃ……。ぼ、ぼくはただ――」
 顔を真っ赤にして、しばし口籠る。それから、蚊の鳴くような声をどうにか発する
「ぼくはただ……ヤンに変なちょっかいを出さないように、師匠に文句を言いに来たのです。はい!」
 締め括りで大きく頷く。
「ほお?」
 オーギュストは断然興味を抱くらしく、本を閉じて、膝をランへ向けた。
「婚約しているのか?」
「ええ、いえ……まだ返事はしていません」
 勢いよく返事したが、すぐに言葉を詰まらせて否定の文言を続ける。
「ふーん」
 肘掛けに頬杖をつき、脚を組み直して、じっくりとランを見詰める。
「何ですか?」
「いや、何でも」
「でもぉ、プロローズされているのだからぁ、勝手なことはぁルール違反ですぅ」
 口を尖らせて、やや早口で言い立てる。
「……」
 オーギュストは頬を幾度か掻いた後、アヒル口をして、眉を上げた。
「まあ惜しいが仕方ない」
「……惜しい」
 刹那、ドキリと強く心臓が脈打った。
 呆然とするランの横を、いつの間にか立ち上がったオーギュストが通り過ぎて、窓からメタルの人形を投げた。そして、長椅子に戻って、サイドテーブルの上の卓上鏡を指で弾いた。
「便利ですね」
「だな」
 間もなく、濡れた草むらの中を駆け抜ける画面が映り出されて、それから、テントの中へ潜り込み、画面が白く輝いて何も見えなくなった。
「ちぃ、今一だなぁ」
 オーギュストが悔しそうに舌打ちする。
 だが、音声だけは聞こえている。若い女の声だった。
『ほら、こうやって肌と肌を合わせると温かいでしょう』
『う、うん』
『病気の時はこれが一番よ』
 オーギュストは腹を抱えて笑った。
「アンナもずいぶん手が早い」
「……」
 ランは頭を掻いた。
――落ちるの速すぎだろう……。
 ヤンの脇の甘さに呆れるばかりである。しかし、不思議と怒りはわいてこなかった。
 パチン!
 オーギュストが指を鳴らすと、卓上鏡はまた普通の鏡に戻る。
「こんな訳だが、そこに魔術通信機の直通内線があるぞ」
「……」
 これにランは黙り込んだ。
「俺はランちゃんにつくぜ」
「……」
「おいおい、早くしないとおっぱじめるぞ」
「……」
 にやにやと煽るオーギュスト。その憎らしい顔から、派手な修羅場を望んでいる、と察しが付く。そんな注文に乗ってやる気は毛頭ない。ランは、麻のように乱れた感情を一つ一つ整理する。
――ヤンへの失望感はある……。
 心にぽっかり穴が開いている。しかし、その横に、頂き雲を冠する大山が聳えているのだ。
――あの女もヤンも素直に行動して、望みも物を手に入れようとしている……。
 それはきっと正しい事なのだろう、と湖のように静かな心で思う。
 その時、通信機が鳴った。
「俺だ」
 オーギュストが出る。
「アンナがそんなことを?」
 じっとランを見詰めた。その瞳に徐々に失望の色が滲んでいく。
 きっとヤンが最後の一線を拒んだのだろう、とランは根拠なく確信した。さすがと評価する一方で、心が少しも動かないことに気付く。何かが変わって、もう後戻りできないのだと諦観する。
 オーギュストが時計を気にする。
――姉妹を呼ぶつもりだ!
 ランの顔からさっと血の色が引く。思考が極端に狭まっている。ほんのちょっと手順の違いから、歯車の組み合わせが僅かに変わって、全く別の何かが動き始めた。
「……」
 ランは無言で俯き、爪が食い込むほどに拳を握り込んだ。
「しょ――」
「うむ?」
 ようやくランの口が動くと、オーギュストは受話器を手で抑えた。その瞳にまた興味の色が浮かんだ。まるで初めて見る玩具を前にした子供のようだった。
「しょうがないじゃない!」
 ランが叫ぶ。
 そう、仕様がないのだ。誰かが、この暴君の無聊を慰めねばならない。でなければ、この暴君は、その持て余す欲望のすべて破壊と殺戮に向けてしまうのだ。
 記憶の奥から、そう繰り返し諭す女性の声が聞こえてくる。
「これだけ条件が揃えば!」
 ただし条件も厳しい。
 その女性の声は続く。
 一人で暴君を満足させられる女性は少ない。その数少ない女性の一人が、ぼく(お前)なのだ!
「でもね、結局は、ぼくがたくさんの選択肢の中から選んであげたのだから」
 口を突く感情と頭の中でささやく声に祖語あり、やや混乱を招いているが、そもそもこの目の前の状況の異様さに比べれば、無視できるほどの些細な問題でしかない、と思う。
「なるほど。それも一興か」
 意味深に呟くと、一度視線を落としてから、オーギュストは眼光を鋭くして見直した。
「我々がどんな選択をしようが、未来に変化はない。ここに居ようが庭に居ようが、塵芥ほどの意味もない」
「……」
「大事なのは、今ランがここに居るという結果だ。この結果に至るために、無限の過去の中から条件が選択された」
「意味が……」
 さっぱり分からない。
「雨も、食中毒も、家族も、姉妹も、否、もっと遥か昔から、すべての出来事が、確かな現在となるように調整されている」
「結果があって原因が生じる……」
「言うならば、小説家が完成した結末に向けて、物語を構築し、伏線を張り、布石を置き、登場人物を動かすことと同じ。すべての現象は、素粒子ほどの狂いもない必然だ」
「……必然?」
 まっさらな大海の中を小舟で漂っているようにただ呆然とする。
「あっ!」
 一瞬、オーギュストの影で月の光が遮られて、唇に軽い温もりと微かな湿りを感じた。
「えっ!」
 時が止まったように、瞬き一つせずに目を丸くした顔に、月の光が再び降り注がれる。
「いや……」
 ゆっくりと離れて行くオーギュストの体に、
そっと身体を傾ける。そこへ受話器が宛がわれた。
「ぼくだ」
 名乗る。すらすらと驚くほど澱みなく声が出る。間もなく、スピーカーからヤンの驚く声が返ってきた。遠い声だった。
「今、密命を受けた。しばらく単独行動をする。元気で……」
 咄嗟にしては巧みに嘘を付く。心臓が口から飛び出そうだった。
 そして、オーギュストに換わる。
「俺だ。俺の馬車の先行をやらせる。ああ、それは当てにしていない。しかし猫よりはマシだろう。まあ捨て駒を惜しむ必要もなかろう。ああ、伝えよう」
 通信機を着ると、逞しい腕が優しくランの背中に回る。
「俺の意向を何よりも尊重しろ、とさ」
「……」
「必然に従へ。馬車へ行け」
「うん」
 オーギュストの胸に顔を埋めて、ランは鼻にかかった声で頷く。

 小一時間後、館の裏口に、ナバール家所有の二頭立ての大型四輪馬車が用意された。
「幕僚並びに親衛隊の回復を最優先せよ」
「御意」
「然る後、速やかな全軍の合流を図れ」
「御意」
「カイマルクかサイアから指示があるまで、余の不在を内外にもらすな」
「はっ」
 残った士官たちに指示を与えると、馬車に乗り込む。
 車内の内装は、木目の美しい重厚なオークである。前部の壁の中には魔法のように効率よく水回りが纏められて収まって、後部には、白い座席が馬蹄形となっている。
 ランが扉を閉めて、内側から鍵をかける。閉めると扉自体が水回りの一部となる。一切の無駄のない極小の密室となった。
 オーギュストは、座席の奥に寝そべる。それをランが立ったままじっと見下ろす。
――これまでにも、こんな状況は何度もあった……。
 鼓動が早鐘のように轟く。熱く滾った血が頭を回っているようで、脳が鈍く痺れている。
――いつもなら、ここで剣術の稽古が始まる。でも……今は……。
 喉が鳴るほどに、唾を飲み干す。
 馬車が動き出して、少しだけランの頭が揺れた。そのせいで視界が前後に不安定に揺れていた。
――必然……確かな現在(いま)……!
 出会いから今までの出来事が走馬灯のように駆け抜ける。
 蜜蝋の石鹸(37章参照)、シャワー室での稚拙な自慰と香子とのレズ行為(46章参照)、座薬(57章参照)、サリス闘神大神殿での禁固刑(65章参照)、繰り返す悪夢と手慣れた自慰そしてアンとレズ行為(68章参照)、仮設トイレでの妄想と烈しい自慰(68章参照)など、どれもが必然への原因だったのだろうか……。
――あれも、これもだ……!
 積み上げた想い出は、オーギュストの言葉通り、この瞬間のみへ真っ直ぐに進んでいた。どれ一つ欠けても、この瞬間は訪れなかったかもしれない。そう思った時、脳が沸点を越えた。蕩ける思考の中で、抱いた答えは早く楽になりたい、だけであった。
 そして、雨合羽を脱ぐ。
「……」
 軍服のスラックスを予備のスカートに変えている。その裾を徐に持ち上げた。ショーツを穿いていない。引き締まった脚と割れた腹筋、その間に茂みはなく、可憐な割目が微かに見えている。
「はあン」
 吐息がもれた。頬が火照り、瞳が潤んでいる。
「ううう……」
 オーギュストが手招きする。それだけで涙が零れ、嗚咽がもれた。身も心も歌わんばかりの歓喜で満たされている。
 今すべてを覚った。自分が、どれほどこの順番を待っていたのかを。何度手淫をし、幾晩妄想を繰り替えしたのかを。それなのに、幾度も幾度も順番を飛ばされてしまった(アンのこと)。
 封印を解いた心に、嫉妬の炎が迸る。しかし、それももはやこの一刻だけのこと、一歩前に踏み出せば、この思いは忽ちに報われるのだから……。
「っ……」
 脚を動かした際に、秘裂から熱い滴が内腿を這い落ちていく。
――もうこんなに濡れている……。
 自慰ではありえないことだった。
「暑い」
「じゃ脱げ」
「うん」
 馬蹄形をしたソファーの中央まで進むと、オーギュストの手が伸びて、スカートのベルトを外し始める。
「はぁはぁはぁ……」
 ランは息を弾ませて、シャツの釦をもどかしそうに外す。蒸れた空気が顔に吹き上がって、ムッとする。
 一糸まとわぬ姿となった。
 荒い呼吸をするたびに、鍛え上げた広い肩幅が軽く上下し、スズメバチの胴のように細い腰に固い腹筋が刻まれ、小柄な臀部がぐっと釣り上がった。
 一切無駄のないスレンダーな身体が、冷たい人工の光に照らし出される。浮き上がった肋骨の上に、筋肉化していないお椀を伏せたような乳ぶさがある。大き過ぎもせず、かと言って、小さ過ぎもしない。瑞々しい膨らみの頂には、実り始めた野苺のように薄紅色の乳首が堅く尖っている。
 まるでブロンズ像のように美しい。
「さあ、おいで」
 オーギュストは、そっとガラス細工を扱うように優しく誘導する。
「ああ……ようやく……」
 ランは熱に魘されたように崩れ落ちた。
 中央のテーブルが座席の下に潜り込み、床から、座席と同じソファーがせり上がって、一枚のベッドに変わった。
「これがぁ……あたしの運命のベッドなのね……」
 そして、一人、感極まったように淡いピンク色の囁きを発する。
 青味掛かった室内に月明かりが、小さな窓からレースのカーテンのように差し込む。
 月の淑やかな光は、うっすらと汗をかいたランの裸体をいっそう白く輝かせる。
 オーギュストの手が、裸体を這う。
 水の雫を弾く、白くなめらかな肌だった。
「あああン」
 ランは甘い声で鳴いた。その瞳は、淫らな熱を帯びている。そこにはボーイッシュな雰囲気は残っていない。
「綺麗だ」
「……嬉しい」
 素直に喜びを表して、オーギュストの肉体にしがみ付く。
「ふぅあぁ……あん」
 首筋に口付けをされて、身体がピクリと跳ねて、吐息が音楽のように室内に響く。
 乳首を咥えこまれれば「ううん」と低く唸り、吸われれば「はぁん」と鼻にかかった声を出し、舌の先で乳首を転がされれば「ひぃーーん」と糸を引いたような奇声を上げた。
 オーギュストは楽器を奏でるように、さらに乳首を甘噛みし、もう一方の乳ぶさを揉み解し、その弾力を堪能する。
「ううッ」
 ランは熱く呻きながら、美しく広い背中をくねくねと波打たせ、締まって細い腰をもじもじと捩じらせて、さらに、手足を蛸のように巻きつける。
「んんッ……」
 オーギュストは、乳首を指先で摘みながら、次第に、舌を白い張りのある肌の上を這うように下りていく。
「あぁ~~ぁ、あぁ~~~ぁ」
 燻ぶる官能に焦れて、地を這うような畝ねる声をもらす。
 オーギュストの舌は、臍を経て、無駄のない下腹部を通り過ぎると、急に方向を変えて、細い脚の内側を舐め上げる。
「あ……ああん」
 苦悶するように、ランは髪を掻き毟る。
「ふふ」
 オーギュストが笑う。
 こういう時の対応を、ランは心得ている。
「はぁん、お願いします……もう、もう……」
 自分で秘唇を指で開いた。処女独特の甘酸っぱい匂いが、ぱっと広がり、嗅覚を心地よく刺激する。
「ひゃうっ!」
 唇が触れて、ランは頭の先から抜けるような甲高い悲鳴をあげた。
 女の急所を大きく舐め上げられる。まるで脳を直接舐められたような、ざらりとした感触が神経を犯し、指では到底比較ならない快感を味わえた。
「ううぅ、わぁああん」
 啜り泣きとともに、さらに愛液が滲みである。
 オーギュストが、ずずっという音を立てる。
 女の花びらが口の中に吸い込まれて、まるで熟れた果実の汁を啜るように、蜜壺から愛液を吸い取られていく。
「いやん……ヘンになっちゃう……」
 媚びた甘ったるい声を放つ。
 さらに、クリトリスを舌先で突かれる。
「それっ、そぉれっイイぃっ!」
 ランは見悶えて、絶叫し、最初の絶頂を訴えた。
「はぁ、はぁ、はっ、はぁ、はぁ……はぁん」
 余韻に浸り荒い息を吐き続ける。その時、オーギュストが、秘唇から口を離して、膝立ちした。
「ランは淫乱だな」
 見下ろされて言われた。
「……」
 しかし、この状況では何も否定できない。
――そうよ、ぼくはHな女……。
「男の物が好きなんだ」
「……違う」
 そう違う。あなたの物が好きなのだ。
 目の前にそそり立つ一物を、頬を染めながらじっと食い入るように見詰める。そして、おずおずと手を添えて、喉を一度鳴らしたあと、一気に呑み込む。
――好き、好きなのっ!!
 ランは嬉しそうに夢中でしゃぶっている。ぎこちない稚拙な動きだった。
「おいおいそんなにがっつくなよ。逃げやしないさ」
 オーギュストは、ランの髪の毛を優しく撫でる。そして、手を伸ばして、ランの秘唇を刺激する。
「しゃぶりながらどんどん濡れていくぞ」
 クリトリスを摘み、ぎゅっと抓った。
「こうされるのが好きなんだろ?」
「あひっ! 死んじゃう……アア…ひあっ……ダメェーーッ」
 鍛え抜いた腹筋をガチガチに緊張させながら、潮を水鉄砲のように吹き出す。
「どうして欲しいのか、はっきり言ってみろ、ランちゃん」
「おっ…お願い……します……ぼく…もう我慢できません」
 糸が切れた人形のように、ドサリと白い革のベッドに沈む。そして、自分がまき散らした水たまりの中から顔をもたげて告げた。
「……犯して…下さい……」
 消え入りそうに小さな声だった。
 従順に答えた時、やっとわかった。今まで執拗に反発していたのは、一度気を許せば、抜け出すのが難しいほどにのめり込む、と本能で知っていたからなのだ。それほどに肉体の相性がいいのだ。
 ランはうつ伏せとなり、膝の裏に手を入れて、脚を開く。
「いい子だ」
 内腿を猫の手で丸く撫でてから、腰を押し付ける。
 膣口は、水源のようにぬるぬるだが、その奥はきつい壁にきっちりと塞がれている。
「うぅ、がが…ぁん」
 眉間に皺を寄せて、苦しそうにひしゃげた声で呻く。まるで身を二つに裂かれたような衝撃が走り、烈しく弓なりに身を反らした。
「息を吐いてごらん」
 優しく言うと、ランは素直に従う。吐き出された熱い息とともに、男根の先端が、未踏の地へぬるりと侵入してくる。
「はあっ、あぅ…んんん…ンンンンンンっ!」
 処女膜を破られた衝撃で、上体を仰け反らして、まるで雌豹のように咆哮する。そして、瞳に涙を浮かべて、左右に頭を振った。光沢のある髪が顔にかかる。
 オーギュストは、そのシルクのような手触りを楽しむように指先で払い除けてやる。そして、燃えるように火照った頬へ舌を這わせて、目元にひっそりと佇む滴を掬い取る。
 乙女たちの苦悶の表情は、いつも新鮮で心を躍らせる。
 クチュクチュ……。
 浅い部分をゆっくりとかき混ぜるように動かして、徐々に馴染ませていく。
「はぁん、アン……」
 少しずつ苦痛よりも、快楽が勝り出した。
「こ、こわいよぉ……。知らないぼくが出てくる……。」
「大丈夫。可愛いよ」
「……」
 褒められた時、下腹部の奥がきゅっと収縮するのを自覚する。柔らかな膣肉が爛れて、固い肉の塊に、とろけたチーズのように絡まるようだった。肉と肉の一体感はさらに高まり、全身を甘美な肉の喜びが駆け巡る。
「あはっ、あっ、ああん、あはぁん……」
 凛々しい口をめくり、乱れた喘ぎ声を乱発する。
「もっともっと突いて! ぼくを無茶苦茶にして!!」
 ランは最後の一線を越えた。
 オーギュストは、ランの髪を掴み、ぐいっと腰を押し込む。秘唇が、肉根を飲み込んでいく。
「誓いながら、吠えろ」
「誓います…誓いますっ! 身も心も永遠なる忠誠を捧げます。ですから、ハーレムの一員にお迎えください。いくぅううう!!」
 忠誠の言葉がランの脳裏に焼きつく。目の前がちかちかして真白に輝いていく。自分が完全に落ちたことを自覚すると、さらなる被虐の炎が燃え上がった。
「あああ……また、また、いくぅううぁああん!」
 さらに過激に喘ぐ。その顔は淫靡な悦びにまみれ、だらしなく開いた口からは、涎すら垂れている。

 その日、ランが目覚めたのは、昼近くだった。ずっと二人はベッドから出ず、常に肌を重ね続け、互いの性器を貪り合った。
「……もうこんな時間かぁ」
 早朝の稽古をサボってしまった。午前の稽古はしなければならない。一度も欠かしたことはない。だが、どうしても起きる気がしない。全身がただただ気怠く、重く、象のように鈍い。
 暗い窓ガラスに自分の姿が映っている。
 ボサボサの髪で、身体は無数の絶頂の汗で汚れ、股間には怪しげな液体が乾いてぱりぱりとなって貼りついている。颯爽とした女剣士の姿とは到底思えない格好である。
 オーギュストが戻ってきた。
「ほら、スープだ」
「うん」
 とても美味しい。乾いた身体に生き生きとしたエキスが染み渡っていく。
「こんなの初めて」
 やや舌足らずに答える。
「ランちゃんはお洒落だね――」
 オーギュストは、落ちていた下着や軍服を片付けながら、耳元でささやく。
「軍服の着こなしも上手いし、インナーのセンスもいい」
「うふふ」
 ランは満更でもないように微笑む。
「あたしね――」
 それから、ランは好きな色や好みのブランドなど、ファッションについての拘りを長々と取り留めもなく話し続けた。
「そうなんだ」
 オーギュストは黙ってそれを聞いて、時折優しく相槌を打った。
 喋り付かれた頃、ランは「好き」と自分から口付をした。
「」ねえ、あたし陛下の女?」
「そうだよ」
「へーえ」
 くしゃっと顔を崩して、照れ笑う。
「だからほら」
「うん」
 促されて、ランは尻をオーギュストに捧げるように向け、片脚を高く持ち上げた。
「おチンチンが奥まで届くッ! 気持ちイイっ!!」
 二人は後側位の格好で交わる。
 ランの膣穴が、男根を深々と呑み込んでいる。オーギュストは抽送せず、腰を緩やかに動かして円を描く。膣穴の奥深くでは、男根の先端が、じっくりと子宮口をなぞって、少しずつ広げていた。
「あうぅ、ンん、あううん」
 ランは全身がドロドロに蕩けるように、肢体を投げ出している。その瞳は焦点を失い、獣のように呻く。口からは涎が、膣からは愛液が止め処なく溢れていた。
「何処がいいんだ」
「オマンコよ。オマンコ! オマンコが最高なのっ!」
 もうなんの躊躇いもなく、卑猥な言葉を口にした。快楽に溺れた。肉欲の虜となった自分が凄く魅力的に感じられた。
 十分に濡れたところで、オーギュストは男根を引き、膣穴の浅い分で、激しく出し入れした。カリ首が柔らかな膣肉を削るように掻いた。
「あ、ああッ、イクっ、イクっ、イクっ、イクっ……あ、あーーッ!!」
 狂おしく見悶えながら、絶頂とともにガタガタと痙攣を起こした。
 結局、ランはその日稽古をサボった。

 日中、馬車が小さな町の中を進む。
 貴族の馬車が珍しいのだろう。子供たちが走りながら追いかけてくる。
「いっ……いやぁあああっ!!」
 ランは目を剥いて、激しく身体を揺すった。
 マジックミラーになった窓から、町の日常の風景が見える。男たちは日陰でたばこを吸い、女たちは買い物かごを下げて雑談に花を咲かせている。
 そんな中で、二人はセックスしていた。
 激しく尻を打ちつけられて、ランの腕が折れる。四つん這いから上半身をベッドに押しつぶした。腰を硬く掴まれているから、自然と尻を高く突き出した格好となった。
 まさに犯されている感じがする。
 この姿勢で、後ろから下へ、先端で膣肉を擦り、まるで削るように強く深く衝かれると、男根の先端が膣の前壁を擦り、パチパチと快感が背筋を駆け抜ける。
 何とかその場から逃れたい。だが、オーギュストにがっちりと腰を押さえられて動く事はできない。
「ほら、みんな見ているぞ。もっとサービスしてやれ」
 男達の好奇に満ちた目が、女達の蔑む目が、ランを棘の鞭のように叩く。
「いやぁーーん!」
 羞恥心で心が壊れていく。だが、破壊の中から生まれる感情がある。
「見られている。みんな見ている。ああ…たまらない…助けて……ゾクゾクする」
 息も絶え絶えに、泣き喚いた。
「気持ちイイ。恥ずかしいはずなのに……ああ…視線がぼくのすべてを舐め回している。もっと見て……ぼく人前で発情している」
 ランはもう止まらない。
「ああ……来る、来るのぉ……ギュス様、嫌ぁあああああ、来るよ……ひぐぅう……ぅうぁあああ」
 一段と激しく乱れる。
 オーギュストは渾身の力で打ち込むと、ぴたりと止まる。動から静へと巧みに使い分けている。
「ひぃッ」
 ランは息を詰まらせて、全身をわなわなと震わせた。まるで地を這うように爪を立ててベッドを掻き、もどかしげに腰を揺すり、脚をじたばたと蠢かせる。
 次の衝撃までの僅かな時間に、満足感から焦燥感へと心を激しく揺り動かし、じわりと汗の玉を、瑞々しい肌の上に浮かび上がらせた。
「絶頂く、絶頂くぅううううううう!!」
 髪を振り乱し、全身の汗を飛び散らせると、さらなる絶叫へと上り詰める。
「うぁああああああっっっ!! 絶頂く、絶頂く、絶頂っちゃぅううあああああああああ!!」
 そして、メスの本性そのままに最高の絶頂に達した。
 オーギュストは、それを見届けると、精液を子宮にぶちまける。

 カイマルク郊外の古い修道院の地下。仄暗い空間に、小気味良いワルツが流れる中、男女の熱気がムンムンとむせ返っている。
 長椅子では長い煙管で煙を吸う淑女、博打に興じる紳士たち、そして、それらを縫うように鮮やかな原色の酒を運ぶバニーガールたち。誰もが寓話的で凝った衣装をまとい、仮面で顔を隠している。
 ステージの上では、ボンデージ風のボディースーツをきた修道女たちが躍っている。
 そこに、新手が現れる。
 妖艶なメイクに蝶の仮面で目元を隠しているが、際立った眉目麗しさを感じさせた。また、弾けんばかりの瑞々しい裸体を、刺激的なビスチェでTバックのタンガで包み、シームストッキングとエナメルのピンヒールでしなやかな長い脚を飾っている。
 足の長さが、腰の細さが、明らかに違う。すぐに修道女たちは、逃げるようにステージを下り、その女の独壇場となった。
 くびれた蜂腰を左右に捩じって、小さな尻をくねくねと振る。全身で、淫靡なムードを醸し出していく。
 会場の誰もが、はっと息をのむ。
 その時、死神の衣装をまとった男が後ろに立つと、鎖で女の腕を縛って吊るす。
「ああ……ン」
 女は羞恥に喘いだ。そして、股間の疼きに抗いきれずに、太ももと擦り合わせ、もの欲しげに尻をうねらせる。
 下着が剥がされ、脚を開かされる。
「あ、ああ、やめてぇ……そこはだめぇ!」
 甘くよがり泣き、必死に拒絶の声を発するが、薄紫色の菊の蕾を指先で弄らせると、忽ち感極まった。
「はぁああん、感じる、すごく感じる! 感じちゃうのッ!!」
 モラルを逸脱した女は、あられもなく尻を突出し、もっともっとと乞い願う。
「あ、ああーーー、いくぅぅぅう!!」
 深く指を入れられると、指を食い千切らんばかりに、万力のように締め付けた。
 そして、全身をぶるぶるっと雷に打たれたように痙攣されると、最後の穴を開いて、透明な小水を勢いよく放出する。興奮し切った人々に降り注いだ。
「あ~ぁ、なんて汚らしい女なのぉ」
 肌に突き刺さる好奇な視線に、おぞましいほどの悦楽を感じる。堕落と背徳感は底が抜けたように、何処までも深まって、煌びやかな眩暈に襲われた。
 ランは、恍惚とした笑みを口元にたたえ、仮面の奥で薄気味悪く白目を剥くと強烈なエクスタシーを極めた。

 マジックミラーの向こう側で、仮面の男女が乱交している。その光景を、腰を高く持ち上げて、身体を折り畳み、足首を顔の両脇に下ろした、所謂マングリ返しの格好で眺めている。
「初めは?」
 秘裂に眩い光を当てられて、じっくりとその形を鑑賞されながら問われる。
「初めてのオナニーは、第3次トラブゾン会戦の頃で、浴槽で眠っていたら淫らな夢を見て、そのまま試しに触ったらとても気持ち良くて……」
 顔を真っ赤にして、答える。
「じゃ、今はどのくらい?」
「毎日です」
「何処が好き」
「クリです」
「何を想う?」
「陛下です。陛下とハーレムの方々です」
 ある時はライラ……。
 ある時はキーラ……。
 ある時はサンドラ……。
 ある時はマルティナ……。
 そして、アン……。
 さらに極め付けは、アフロディースだろう。
 次々に警護の最中に垣間見たアヘ顔とその痴態が脳裏に浮かぶ。
「悪い子だ」
 ピシリ、と尻肉をはたく。
「ひぃ」
 悲鳴とともに、割目からトロリと蜜が零れ落ちていく。
「だが、よく告白した。褒美をやろう。こい」
「はい」
 オーギュストの腰の上で、ランは腰を振り続ける。リズミカルに腰を律動させ、巧緻を尽くし、己の女肉をもって奉仕している。
「んん……っ……はぁ」
 肉襞をきゅっときつく収縮させて、不埒な侵入者を食い千切らんばかりに締め付ける。
「ああン、固い……」
 膣奥に、ハンマーの頭部を感じた。こんなものが暴れていて、柔らかな内臓が耐えられる筈がない。女肉の陥穽の底を今にも叩き壊して、下腹部に拳のような膨らみが出てきそうで怖い。
「ぁぁ……止まらない……」
 それでも、ぐりぐりと子宮の入り口をかき回される感覚は、得も言われぬ快感を与えてくれる。
 くっちゃ、くっちゅ、ちゅちゅ……
 淫肉は自在に形を変えて、すっぽりと包み込む。そして、愛液を溶けたバターのように滴らせて、淫靡な湿った音が鳴り響かせる。
 自分の肉体が、この卑猥な肉塊に馴染み、心が肉の悦びを強く欲していると諦観する。
「もっとぉもっとぉ……気持ちよくしてぇ」
 うっとりと瞳を濡らし、乳ぶさまでも桜色に染めて腰を前後に揺すり続ける。
 肉欲は際限なく昂ぶり、子宮を叩く衝撃は脳天まで突き抜けて頭を真っ白にし、巨大な笠が膣肉を抉る感覚に総身が炎のように熱くなる。
「あああん、いい、いいわ!」
 声を上ずらせて喘ぎまくりながら、オーギュストの腹の上にぷっつりと突っ伏す。
「いっしょに、一緒にきて……」
 切なくも狂おしい媚びた声で、せがむ。
 オーギュストはそっとランの頭を抱いて、優しく髪を撫でる。
「秘そう」
「え?」
 朦朧とする意識で呼応する。
「この関係を偽ろう、ランちゃん」
「ど、どうして?」
 荒く息を弾ませて問う。
「真実は必ず霞む。しかし、秘密は磨かれて輝く」
「……」
「俺を信じろ。もっと気持ちよくさせてやるから」
 いきなりオーギュストが下から突き上げた。
「ひゃぁあ~ん、もっとぉ突いてぇ突いてぇ」
 ランは首をのけぞらせて、獣のように喘ぐ。
「いいな、ランちゃん」
「あ、はい」
 尻肉を掴まれ、猛烈な速さで出し入れを繰り返される。何時しか、その指先はアナルをなぞっている。もう如何にもならなかった。縋るような声で頷く。
「あ、ああッ、イクっ、イクっ、イクっ、イクっ……あ、あーーッ!!」
 腰をガクガクと痙攣させ、背を山のように大きく波打たせて、ランはイキ狂った。


【7月下旬】
――アルテブルグ。
 シャイニングヒル宮殿は、時が止まったように閑散としていた。
 そこに衣装の派手さを競い合っていた貴族たちの姿はなく、威厳のある髭の伸ばし方を探求していた武人の姿もない。玉座には、ひとりヴィルヘルム1世がいた。
 その表情は穏やかで、窓から迷い込んで来た小鳥の囀りを面白そうに聞いている。
「この虚栄の宮殿にも、雀(そち)はおったのか。無意味な雑踏のせいで、その美しい声さえも聞こえなかったとは、『エリーシア髄一の優雅さ』が聞いてあきれる」
 小さく微笑む。
「だが、広い大広間に、今は余とそちしかおらぬ。風流ではないか」
 そして、大きく口を開いて笑い上げた。
 その時、軍靴の踵を鳴らす音がした。
「麗しきご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じ奉ります。御前に侍りますは、ザシャ・トニ・フォン・フォイエルバッハ予備役准将にございます。大暑の折り、陛下におかれましては、ご機嫌うるわしく大慶に存じ奉ります。
幾久しく王国の繁栄あらんことを、女神エリースに祈念申し致します」
 武人らしい堂々たる声が響き渡る。
「うむ、大儀」
 ヴィルヘルム1世は逃げる雀を静かに見送った後、老将に対して鷹揚に頷く。
 フォイエルバッハは、白髪に、やや角張った厳つい風貌をしている。齢は六十を越えているが、かつては黒騎士と呼ばれた一騎当千の戦士だった。常に背筋が伸び、軍服を巧みに着こなし、貴族出身の将官として威厳に富んでいる。
 ソルトハーゲン街道巡回軍に所属していたが、勝手に『ソルトハーゲン大聖堂の戦い』(68章参照)を起こしたとして、宰相ジークフリードに処断され、退役していた。
「長年のご厚情に報いんがため、罷り越しました」
 そして、今、僅かな義勇軍を率いて、アルテブルグに駆け付けていた。
「これを授けん」
 ヴィルヘルム1世は、元帥杖を与える。
「汝は、これよりアルティガルド髄一の忠臣である。存分に働け」
「畏まりました」
 こうして最後の儀式が終わった。

 フォイエルバッハは、役人を王都中に走らせて、警察、門番、夜警、要人警護などなど戦いの心得のある者をすべて数え直した。しかし、その数は5千を少し超える程度だった。
「上々だ」
 名簿を提出する役人の顔は真っ青になっていたが、自信たっぷりに強く言い放つ。
 これらを集めて、城門に陣取らせた。
「そこの若い奴は配送役だ」
 士気だけは旺盛な若者を指差し言う。
「その律儀そうな連中には槍をやれ」
 農村から出てきた労働者たちは、一纏めにして名が槍を持たせた。
「経験者は弓を持て」
 警官や退役兵士たちには、弓を与えた。
「その独活の大木はクレーンを動かせ」
 そして、屈強な図体をした男には、クレーンの動力を任せた。
 経験に裏打ちされた確かな洞察力で、この雑多な人材を適材適所に配した。こうして如何にか防衛の準備を終える。

「どうか、戦えるか?」
「無論でございます」
 フォイエルバッハが白い頭をヴィルヘルム1世に下げる。
 ヴィルヘルム1世は、宮殿を出て、城門近くの広場に玉座を移していた。彼の周辺を誉れ高い紫紺騎士団が守っている。
 その時、都中の教会の鐘が鳴った。教会には多くの市民が集まり、一心に祈りを捧げている。
「この厳かな音色を鳴らす者たちへ安らぎを与えよ」
「御意」
「伝国の宝剣を与える」
「有難き幸せ。剣に見劣りせぬ働きをご覧にいれましょう」
 鞘と柄に豪華な装飾を施された大剣を下賜した。

 次の朝、地平線の彼方から農民の歌う歌が轟く。
「村祭りと戦争の違いも分からぬ輩ばかりだな」
 顔を歪ませて苦笑し、髭を撫でる。
 昼前に、ついに反乱軍が押し寄せてきた。
「おおお、まさに蝗の群れだな、わははは」
 野を埋め尽くす大群を見て、豪快に笑った。
「おお」
 そのよく通る声が、恐怖に震える寄せ集めの兵の心を奮い立たせる。フォイエルバッハには、『この男に従えば勝てる』という希望を抱かせるオーラがあった。
「死に場所はここぞ!」
 黒い人の塊から、アメーバのように幾つかの触手を伸びた。バラバラの武装をした反乱兵が、嬉々とした雄叫びを上げて城壁に迫る。しかし、練度が低いために、進撃する速度は揃わず、かなりの差がある。
「先頭へ、矢を一点集中」
 フォイエルバッハの命令が飛び、城壁から矢が雨のように注がれた。
 忽ち、一番勢いがよかった触手の先端が、微塵切りにされたように細かく分裂して、忽ち組織的に壊死してしまう。
「おお! 見たか、農奴どもめ!!」
「まだだ。次、急げ」
 興奮する兵士たちを叱責し、新たな目標に向かって、部隊を移動させ、矢を補給し、一斉に弓矢を注ぐ。
 反乱軍の突撃を、数度防いだ。しかし、反乱軍は無限の回復力を持つ怪物である。無駄と思える血の突撃を繰り返してくる。
「矢を寄越せ」
「弦が切れた……」
「腕が攣った……」
 次第に矢の補給が間に合わなくなり、弓が傷み、将兵に疲れの色が見え始めた。その間も反乱軍の突撃は止まない。徐々に、反乱軍は城壁に肉薄し始めた。
「怯むな! ここが正念場ぞ!!」
 フォイエルバッハが声の限り叱咤激励する。
 城壁に梯子がかかり、反乱兵が昇ってくる。
「槍部隊、敵兵を叩き落とせ!」
 城壁の上から、下方へバタバタと槍が衝き出されて、一人また一人と落下させた。それでも、梯子を上って来るものが絶えない。
「油を流せ!」
 城壁の下に敵兵が殺到したのを確認して、クレーンに吊り下がっている釜を傾けて、煮だった油を注ぎ落した。
 阿鼻叫喚な悲鳴が轟いて、橙色の炎が地獄のように勢いよく上がった。そして、足場が崩れた梯子が、次々と倒れていく。
 夕刻、多大な犠牲を強いられ、攻城戦の足掛かりを失い、ようやく反乱軍は後退を始めた。
「えいえいおー」
 フォイエルバッハが勝鬨を上げて、将兵があらん限りの声で呼応した。
 しかし、この直後、予想外の不幸が起きる。
「おい起きろ」
「よい、そのままにしておけ」
「はい」
「よっこらしょ、ありゃ」
「元帥!?」
 フォイエルバッハが、通路に疲れて寝ている少年兵を避けようとして、転倒してしまった。その際、頭を打ったらしく、軽い脳震盪を起こした。ここで副官などが、フォイエルバッハを畏敬する余り慎重すぎる対応を取ってしまう。大騒ぎをして医者を呼び、丁重に担架で運んだ。
「おい、見ろ……」
 その担架と取り巻きたちの慌てようを見て、兵士たちが蒼白となる。
「元帥が戦死された……」
「もう城門は崩れているそうだ」
「徴兵された守備兵の大半は死んだそうだ」
「もう駄目だ……」
 あっという間に、全軍に噂が伝播する。

 翌朝、二度目の総攻撃が始まる。
 野を駆け、堀を渡り、城壁を上る。昨日のように激しい反撃はない。次々に兵が城壁をよじ登った。
「一番乗りじゃ!」
 あちこちから大袈裟な声が上がった。
 途端に物陰から矢が飛ぶ。すぐに農具の鎌や槌を改良した武器で叩かれて、追い出された。そして、礫を浴びせられる。
 城門を守る塔が陥落した。
「恩賞は想いのままぞ、進めぇ!」
「おお」
 城門が開かれると、雪崩を打って兵が押し入っていく。
 天井から槍が落ち、左右の壁から矢が飛び、床に落とし穴が開いた。侵入者を複数の罠が待ち構えていた。
 だが、反乱軍にとって、死んだ兵士も生きた兵士も、同じ捨石程度の価値しかない。屍を乗り越えて、絶え間なく兵が押し寄せる。
 槍が折れ、矢が尽き、落とし穴が屍で埋まっていく。

「もはやこれまでだな」
 徐に、ヴィルヘルム1世は立ち上がった。
「ここは危険です。お逃げ下さい」
 側近の騎士が跪いて進言する。
「無用だ。もはやこれまで」
 しかし、ヴィルヘルム1世は首を横に振る。
「……申し訳ございません」
 一人の騎士が泣き崩れた。
「それより誰か世に鎧を貸せ」
 そして、王冠を外し、王家の紋章が施された上着を投げ捨て、側近の騎士から借り受けた鎧をまとう。
「よく仕えてくれた。忠義の段、感謝の言葉もない。アルティガルドの長き歴史もこれまで。そち達もそれぞれ好きに致せ」
 そう言うと、制止しようとする側近たちを振り払って、一人無銘の剣を翳して乱戦へと飛び込んでいく。
 その後、アルティガルド王国が誇った紫紺騎士団は、鋼の剣が波打ち、鎧が砕け、美しい紫紺の衣装が真っ赤に染まり抜き、その命が尽きるまで戦い続けた。
 紫紺騎士団は全滅し、その遺骸は山と積まれた反乱兵の死骸に紛れて判別かつかなくなっていた。
 そして、ヴィルヘルム1世の消息を知る者は誰もいない。



つづく

71-5

【6月中旬】
 ホークブルグ街道――。
 アレックス将軍は、連日、盛大に遠距離攻撃を繰り返している。その膨大な物資を支えているのが、サイアからの小荷駄部隊である。
 アルティガルド軍は、この生命線を絶つべく、モンベルの森の周縁部を密かに迂回していた。
 サリス軍の小荷駄部隊が、僅かな護衛とともに、のろのろと街道を進む。
「斉射三連!」
 森の中から、無数の矢が放たれる。瞬く間に、サリス軍の護衛兵が麻のように乱れた。
「突撃せよ!」
 機を逸せず、指揮官が叫ぶ。槍を構えた兵士が、まるで砂糖に群がる蟻のように殺到する。
「……もはやこれまで」
 サリス軍の将兵は、潔く小荷駄を見捨てて逃げ出してしまった。
「うららら!!」
 アルティガルド兵は、荷駄の上に乗り、まるで海賊のような雄叫び上げた。そして、凱歌をあげて、奪った物資の略奪を始めた。
 その時、陽が翳る。
「うむ?」
 懐に芋を忍び込ませていた兵士が、突然手元が暗くなり、不意に空を見上げた。蒼天の空に、無数の黒い点が穿ってある。そして、鈍い音が聞こえたと思った時、その視界に、赤い飛沫が噴き上がった。刹那、刻の断裂の後、視線は赤く濡れた地面すれすれにあり、その先に、生気を失った同僚の顔が横たわっていた。
「敵襲、離脱せよ!」
 アルティガルド軍士官が、短い言葉で叫び続ける。
 蜘蛛の子を散らすように、小荷駄から将兵が離れて行く。
「森の中へ回避しつつ、集結せよ」
 指揮官は、自らを目印にしようと、剣をかざして懸命に叫んでいた。
「集結ッ……ぐがっ……」
 その喉を、木々を抜けてきた矢が貫く。
「カキザキっーーー!」
 突然の指揮官の死に、副長が絶叫する。しかし、衝撃を受けても、動顛はしなかった。
「指揮権を引き継ぐ。即時に、要塞へ転進せッ……ぐがっ!」
 しかし、剣で要塞の方向を刺した瞬間、その背中に矢が突き刺さった。
「コバヤシいいいいぃぃぃいい!!!!」
 戦死した副長に替わって、傍らの士官が声を張り上げた。
「オオギ大尉である。我に続け……あっ!」
 先頭を走っていた部隊の右斜め前に、サリス軍が現れて、矢を射かけてくる。そして、無理に道を塞ぐのではなく、やり過ごしながら、少しずつその表皮を削るように攻撃を繰り返す。
「怯むな!」
「足を止めるな!」
「軍曹、先を行け!」
 若い士官たちが、兵を必死に叱咤し、懸命に指揮を続ける。しかし、その左斜め前に、新たなサリス軍が現れる。
「どうして伏兵が、こんな的確に現れるのだ……」
「我々の進軍ルートから逆算しているのだ」
「森の中は敵の巣だったか……天は我を見放した……」
 若い士官たちは、血を吐くように声をもらす。その周囲で、下士官たちが、次々に膝を折り始めた。
「中尉、諦めるな。我が小隊が殿を務める。その隙に、全軍の撤退を指揮せよ」
 一人の士官が、一発同僚の頬をはたいて、下士官たちの背中を押した。
「アルティガルド軍人の誇りをみ――うがっ!」
 そして、後方へ剣を構えた瞬間、その眉間に矢が突き刺さる。

「さすがアルティガルド人だ。仕事熱心だな」
 騎上のオーギュストが、徐に弓を下ろした。
「おかげで、士官の判別が容易です」
 ヤンが双眼鏡を下ろして、淡々とした声で告げる。
「工作員を紛れ込ませたか?」
「はい」
 小次郎が、緊張をみなぎらせて答える。
「よし、上々だ。これでホークブルグ街道も多少は静かになるだろう」
「御意」
 オーギュストは手綱を引いた。


 隊商宿――。
 一旦、オーギュストは、ホークブルグ街道上の隊商宿に入る。
 そこに、筆頭秘書官の『ケイン・ファルコナー』が待っていた。
「総大将を失った守備隊は、間もなく、城門を放棄して敗走もしくは降伏。反乱軍は入城を果たしました――」
 中庭に面した回廊を歩きながら、オーギュストは報告を聞く。
「ヴァンフリートに参集したのは、『メーベルワーゲン大会』(六七章参照)の生き残りです」
『ヴォルフ・ルポ』、
『ロマン・ベルント・フォン・プラッツ』、
『ヴェロニカ・ロジーナ・フォン・ベルタ』、
『アリーセ・アーケ・フォン・ハルテンベルク』
 などの名前をファルコナーは挙げる。
「……」
 オーギュストは、関心を示さず、無言のまま足早に歩き続ける。そして、酒瓶を口に運んで、口から溢れんばかりに一気に飲み干した。
「戦と酒……心が躍るな」
 空になった瓶を投げ捨てると、腕で口を拭う。
「方針も発表されました」
 気に留めず、ファルコナーは淡々と報告を続ける。
 すなわち、全ての農民に土地を給付する『均田制』の導入と、五年間の『税免除』を宣言し、さらに、『綱紀粛正』の徹底と知識人の『人材登用』の確約などを要領よく説明する。
「――以上がヴァンフリートの最新状況です」
「分かった。ご苦労」
 調度、扉の前に至るところで説明を終えた。
「早くしろ」
 重い青銅製の扉がゆっくりと開く。その僅かな時も待てず、オーギュストは扉を蹴る。
「うむ?」
 そして、扉の傍らに、警護の任務のために立つランを見つけた。
「はい?」
 見つめられて、ランは首を傾げる。
「……」
「なっ!?」
 ふいに、オーギュストは顔を近づけて、その顎を摘まんで、少し顔を上げさせる。
「な、な、な、な、何ですか?」
「……」
 じっとオーギュストが見つめる。
「お前――」
「はい?」
「鼻の頭にニキビが出来ているぞ」
「……へえ?」
 その時、扉が開き切った。
「陛下――」
 中から、『アン・ツェーイ』が媚びるような声がした。
「御勝利、おめでとうございます」
「おお――」
 オーギュストは笑顔でアンを抱き寄せる。「勝利の後は、美酒に美女だ」
「まあ、美女だなんて恐れ多い」
 アンは、可愛らしく頬を染めて、オーギュストにしなだれる。
「……」
 ランは呆然と立ち尽くす。二人の姿が、徐々に2枚の青銅の板によって細く狭まっていく。そして、大きな衝突音の後、完全にその光景は消えた。眼前には、ただ薄暗い深緑色の冷たい板が立ちふさがっている。
「おい」
 呼ばれて、振り返った。よく知っている顔だったが、誰だか判然としない。言われるままに、その背中についていく。
「あ――」
 ふいに、視界が明るくなった。
「眩しい……」
 月の灯りが、瞳を照らしている。そして、声を発したことで、ようやく呼吸を忘れていたことに気付いた。
「はあ」
 大きく息を吸い込む。空気がやけに涼しい。
「……」
 二度三度と深呼吸を繰り返しているうちに、次第に意識がはっきりしてくる。
――なんじゃこりゃ!
 顔が蒸気を吹き出すほどに熱く火照り、服の中は汗でべっとりと濡れて、とても気持ち悪い。心臓は口から飛び出しそうなほど、激しく鼓動し、顔の血管までも強く脈打っている。
「おい」
「なんだ?」
 目の前で、親衛隊隊長の『ナン・ディアン』が、怪訝そうに眉を寄せている。
「早くお湯を運べ」
「はあ?」
「人手が足らんそうだ」
「……」
 手渡されたバケツを掴む。まだ脳が痺れていて、その重さがよく分からない。
「アンが使うんだろう」
 一瞬、卑猥ににやけて、また一瞬、不満げな表情を顔の蔭に浮かべている。
「そうか……」
 ランは漠然と呟く。アンが使う湯を運ぶのは私なのか、と呆けた頭で考えた。

続く

71-4

【6月初旬】
 サリス帝国セリア郊外――。
 セリアを中心にして、東西南北に街道が伸びている。それぞれの街道には、ほぼ等間隔に、隊商宿が整備されている。
 一般的に、隊商宿は、中庭を取り囲む四角の2階建ての建物で、堅固な壁に守られている。
 頑丈な門をくぐると、左右に、厩舎や倉庫があり、石で舗装された中庭の中央には、女神エリース像と礼拝所がある。その周りでは、商人たちが盛んに商品の取引を行っている。2階には、商人たちの宿泊施設が並んでいる。

 オーギュストは、セリアとサイアを結ぶシャルル大街道の隊商宿の一つに滞在している。
 この一か月、北の隊商宿へ向かったと思えば、すぐにセリアに戻り、次に西に、そして東に、また北へ、などと出たり戻ったりを幾度も繰り返していた。
「どうした? 打ち込んで来い」
 オーギュストは、扇一本を持って立っている。それを剣、槍、斧、鎖鎌を持った甲冑姿の戦士たちが囲んでいた。
「はっ!」
 分銅がこめかみを襲う。僅かに身を反らすと、前髪をかすめていく。
 ほぼ同時に、左右から剣と斧が振り下ろされてくる。大きく剣の下に踏み込むと、まず扇で籠手を叩き、さらに、後ろ回し蹴りで斧を打ち払う。
 そして、正面から衝き込まれる槍を手刀で叩き落とし、背後から襲ってくる鎌に対して、扇を広げて、一瞬顔を覆い、透かさず背中に回り込んで、首筋に閉じた扇を当てる。
「参りました」
 甲冑の戦士たちは、武器を背中に回しながら跪く。
「やはり厄介なのは、槍だな……」
 大きく息を吐きながら呟く。何度か扇子を振って、受けのイメージを作っている。
「お見事です。陛下」
 その時、壁際に控えていた作戦参謀『ヤン・ドレイクハーブ』と『刀根小次郎』が進み出てきた。
「どうか?」
「はい、もはや追跡する者の姿はありません」
 小次郎が答える。
 オーギュストがセリアを出入りすることで、アルティガルドの工作員を誘い出し、毎回それらを討伐してきた。
「そうか。案外少なかったな」
「アルティガルド本国で、外交と軍情報部の粛清が起こっているとか。サリスに潜伏する者たちも混乱しているのでしょう」
 ヤンが澱みのない涼しい声で進言する。
「……」
 オーギュストは、首を扇子で2度3度と叩いて思考する。
「よし四時間寝る。その間に出陣の準備を叩整えよ」
「はっ」
 一同が威勢よく頷く。


 全身を隙間なく覆っていた甲冑を脱ぎ捨てて、『ラン・ローラ・ベル』は、シャワー室に入る。質素な作りであり、個室はなく、壁にシャワーヘッドが並んでいる。そのシャワーヘッドの上に、横に細長い隙間があり、地上の芝生が微か観見えた。
「いたっ」
 蛇口を捻ろうとして、右手首の痣から痛みが走る。先程の演習で、ランは剣を担当し、籠手の上から扇子で叩かれてしまった。
「痛むのか?」
 優しく問い掛けながら、右隣に立つ『マルティナ・フォン・アウツシュタイン』が蛇口をひねる。
「ありがとうございます」
 ランが頭を下げると、そこにお湯が降り注ぐ。汗の滲んだ髪を、気持ちよく洗い流してくれる。
「おいおい、冷めているぞ!」
 ふいに、不満の声が上がった。左隣の『サンドラ・ジラルド』である。全身の塗した泡を洗い流しながら『高温じゃないと筋肉がほぐれない』と憚らず喚いている。
「出陣のために、急遽、食事の準備もしているのだ。まあ仕方なかろう」
 その奥で、髪を洗っていた『キーラ・ゼーダーシュトレーム』が諌める。
「だからと言って、上帝陛下直属の我々を蔑ろにしていい理由にはならない」
「それはそうだが……」
「あとで叱責してやる!」
 サンドラが壁を叩いて、三白眼で、口の端を恐ろしげに上げる。
 ランは、掌にシャワーのお湯をためる。改めて、その温度を確かめて、『十分高温だ』と内心で呟き、壁に向かって口を尖らせた。
 裏庭の窯で沸かされたお湯は、人力で階上の樽に運ばれる。そこから、配管を通って、ここに落ちてきている。故に、どうしても、お湯は冷めてしまう。親衛隊の場合は、ほぼ水と変わらない。
 如何に、彼女ら鎮守直廊三人衆が、特権を与えられているか痛感する。
 しかし、今の自分に、その既得権益を非難する資格はない、とランは苦悶する。
――情けない!
 濡れた髪で顔が隠れると、強く歯を食いしばった。
 『鎮守直廊三人衆』に加わって、オーギュストの稽古相手を務めた。しかし、明らかに一人だけ動きが鈍かった。一人だけ、怪我を負ってしまった。力の差を実感する。
「宜しいか?」
「どうぞ」
 シャワー室の入口に、筆頭秘書官の『ケイン・ファルコナー』が立っている。
 ランは慌てて、バスタオルで前を隠したが、他の3人は、全く意に介していない。親しい女友達のように気さくに挨拶をかわす。
「マルティナ様」
 何を言っているのか、全員が瞬時に理解できる。ランは、カッと頬に朱が刺すのが分かった。
「ええ、すぐに」
 マルティナは嬉々とし顔で、一秒たりも惜しむように手早く、バスタオルを裸体に巻いてシャワー室を出ていく。
「あの衝きは良かったからなぁ……」
「分かっている。何も言っていないぞ!」
 サンドラが低く呟き、蛇口を全開にして、荒々しい手付きで頭を洗う。
「ははは」
 キーラは苦笑する。
「……」
 ランは慣れ合う二人を見遣った。そして、二人の尻に、『K』の記号が並んでいるのを発見する。
――15と11か……。
 それらが、昨夜達した回数なのは、明白だった。
 思わず、喉を鳴らして、生唾を飲み込んだ。その瞬間、まるでそれが溶けた鉛と化したかのように、胃に熱い衝動が走り、腹の底で、怪しげに蠢いていく。


 モンベルの森――。
 ダキニ族は、モンベルの森に棲むエルフの一部族である。風を操る魔術に長け、宙に舞い、森の中を枝から枝へと飛び移っていく。破壊神シヴァへの信仰が強く、その儀式のために人間の心臓を取り出して供物としている。
 エルフ王アルトゥーリンは、この集落を襲い殲滅していた。そして、この地を拠点に、モンベルの森を鎮圧している。
「人間を監視せよ」
「はっ」
 アルトゥーリンの前に、黒いマントで全身を包み、頭に布を巻いた一団が跪いている。
「散れ!」
 強い口調で命じると、彼らは、一斉に白い仮面をつける。その途端に、まるで空間に溶けるように、透明になっていた。
「では、行って参ります」
 そして、奥の扉が開き、一陣の風が吹き抜けると、その部屋に、もはや気配はなくなっていた。
「この森からシヴァの邪教を信奉する者どもを一掃する時が来た。総員、労を惜しむな!」
「御意」
 アルトゥーリンは、覇者としての威厳に満ちた態度で部下たちに臨んでいる。そして、優美で重厚なマントを颯爽と翻して、奥の扉へと退く。
「少し……長引いたか……」
 長く狭い隠し廊下を足早に歩く。
 苛立ったように荒々しい手付きで、マントを剥ぎ取り、籠手、胸当て、草摺を毟るように投げ捨て、鎖帷子も脱ぐ。そして、王冠代わりの髪留めを外して、頭を軽く振って髪を解いた。
 ローライズのホットパンツに丈の短いチューブトップだけの格好となり、さっぱりとした表情で腰を横に揺らしながら歩く。

 元々そこは族長の宝物庫だった。地底深くから汲み上げた水で、貴重な植物が育てられている。
「それそれ」
「どうだどうだ」
 オーギュストは、大きなベッド上に仰向けになっている。その上に、二人のエルフ娘が跨って、かしましく黄色い声を上げていた。
 ドン!
 一際大きな音を立てて、アルトゥーリンがドアを閉めた。
「ひっ……」
 途端に、エルフの娘たちは、冷水を浴びせられたように短い悲鳴を上げて、バネで動く人形のように飛び上がった。
「お前たち、客人は忙しい方だ。あまり煩わせるな」
「はい」
 二人は、畏まって、ベッドの傍らに立つ。その膝がガタガタと震えている。
「すぐに持ち場に帰れ!」
「はい、失礼します」
 そして、まさに脱兎のごとく、部屋を出ていく。
「要請のあった件について十分な手を打った。次はそちらが答える番だ。人間の王よ」
 扉がぴしゃりとしまった瞬間、険しい声で喋り出す。
「……」
 オーギュストは、扉が閉まるのを確認してから、静かにベッドから起き上がった。
「おいで」
「嫌よ」
 横を向いて、髪を耳にかける。
「マッサージしてもらっただけだ」
「どうかしら、そうは見えなかったけど……」
「君は俺の言葉より、自分の瞳を信じるのかい?」
「……」
 アルトゥーリンは、はっとして顔を上げる。それから、返す言葉につまり、口を真一文字に結ぶ。
「どうなんだ?」
 ゆっくりと近づきながら、少し低い声で重ねて問う。
「そうじゃないけど……」
 まるで子羊のように俯いて、小さな声で囁く。
「よし、いい子だ」
 爽やかな笑顔をむけて、優しく頭を撫でてやる。
「ご、ごめんなさい」
 頬を主に染めて、上目使いに答える。
「ほら、おいで」
「うん」
 子犬のように頷き、手を引かれて、ベッドに導かれる。
 ベッドの上に投げ出される
「きゃあ」
 毬が弾むように笑う。
 そして、オーギュストが覆いかぶされば、脚を大きく開き、舌をべろりと出して受け入れる。
「ん、んっ、ううン……」
 熱く舌を絡めてキスをする。
 ちゅく、ちゅるる、ぢゅるっ、
 2枚の舌腹の上で、2種類の唾液が混じり合い、仲良くすすり合う。
「あっあああ」
 チューブトップをたくし上げて、小ぶりだが、美しい桜色をした突起にしゃぶり付く。そして、もう一方の乳ぶさを、手の跡が残るほどに揉み解し、懸命に勃起する乳首を摘まんで捻る。
「あっ、あっ、ああン!」
 眉間に皺を刻みながら、短く喘ぐ。
 オーギュストは、甘くキスをしながら、ホットパンツの太いベルトを外してずり下ろす。
「いやぁン……」
 そして、腰を持ち上げて、マングリ返しにする。
 森の深い枝葉に清められた陽射しが、穢れを知らないパールピンクの美肉を濡れ光らせている。
 じゅっ、じゅる、じゅるるっ、
 女の秘華のうちから溢れる蜜をすする。
「あッ、あっ、ああぁぁぁーん……」
 綺麗に整った細い顎を上げて、長い喘ぎ声を響かせる。
 至極の甘味である。
 愛らしい神秘の蕾を指先で押すと、強い弾力が帰ってくる。そのこりこりとした肉芽を、虫を甚振る幼児のように執拗に捏ねまわす。
「あう、あん、あ、あん、はう、いっ、いっ、いっ!」
 息も絶え絶えに喘ぎ続け、さらにたくさんの蜜を溢れ出す。
「うぐ、うぐぐ」
 オーギュストは、じゅるじゅると音を立てて、そのすべてを飲み干していく。
「はあああっ、あ~~~~~ン!」
 シーツを握りしめ、華奢な背中を弓なりにして、棒のように細い脚を痙攣させながら、さらに間欠泉のごとく愛液を吹き上げる。そして、長く尾を引く絶叫を残して、ぐったりとあられもなく大の字となる。
「……はぁ」
 精も根も尽き果てたように、荒く息を弾ませる。
 オーギュストは、くびれた腰を掴んで、エサを求める鯉のように口をパクパクさせている膣穴に鉾先を宛がう。
「あ、ふぅん……」
 そして、ゆっくりと上下させて、柔肉をなぞり、敏感な肉芽を擦った。
「ああ、むぅん……」
 もどかしそうに身を捩じって、声を震わせてよがる。
「もう、もう……がまんできません……」
 今にも涙が零れそうな大きな瞳で、じっと訴えるように見つめ、神秘的な美貌を被虐的に歪めている。
 舌なめずりして、オーギュストは、一気に挿入する。
「うぐゅ……」
 顎を突き上げて白い喉を伸ばし、細い腰を若鮎の如く跳ね上げる。
「……いくっ、いっちゃう!」
 忽ち、甲高い声を吐き散らし、全身をガタガタと震わされながら、下から強く四肢をしがみ付かせる。
 オーギュストは、マーキングする様に、顔や胸にキスを繰り返す。その雪も恥じらう純白をうっすらと紅潮させた美しい肌を、唇で感じ取る。
 また、エルフの蜜壺は、肉襞が蠢き、まるでミミズが千匹いるように締め上げてくる。その感触を思う存分堪能する。
「ああん、と、蕩ける……」
 一撃ごとに、膣穴や子宮がドロドロに蕩けていく。そして、脳髄までも焼け、全身が燃えるように熱く、今にも肌が火を噴きそうだった。
「まっ、またっ、いっちゃう」
 目も眩むような愉悦の連続に、まるでイキ癖が付いたように、何度も何度も絶頂を繰り返し、壊れた蛇口のように愛液を吹きこぼす。
「ひぃ、ひぃぃぃぃん!」
 イキっ放しの状態で、もはや言葉を紡ぐこともできずに断末魔を叫び上げた。
「はれ……?」
 気が付けば、暖色の光に照らされて、眼下にオーギュストを見下ろしながら、ゆっくりと腰を振っている。
「わたしは…どうして……こんなことを……?」
 虚ろに視線を宙に彷徨わせて、淫靡に酔い痴れた表情でくぐもった呻き声をもらす。
「あう、うぅぅうぁ」
 膣肉を擦る感触に、思わず腰が止まる。
 途端に、オーギュストの手が飛んできて、薄い尻肉を叩く。
「ひっ、ひゃ……」
 忽ち、腰が跳ねて、膣肉をきつく締める。
「ひぃいいい……」
 必死に腰を上下に動かすが、オーギュストは容赦なく叩き続ける。
「はぅ、はぅ、ふぁう……」
 無我夢中で腰を振り立てる。
「ああ、……イクッ、わたし……自分で…ああ…イク!」
 ふいに、陶然とした眩暈に襲われて、頭の中が真っ白に染まっていく。
「もう……ゆるして……ゆるして……」
 汗で濡れ光る胸を激しく上下させながら、
切なげに泣き咽る。
 その瞬間、どさりと仰向けに倒された。
 美しい黄金の髪が煽情的に広がり、小ぶりだが美しい乳ぶさが小刻みに揺れる。
「そろそろ出すぞ」
「ああ、ください。中にたっぷりとください」
 ぽろぽろと涙をこぼしながら、生々しく哀願する。
 オーギュストが、ピストン運動を開始する。
「ぐむぅ……イクッ、ぐがぁ!!」
 白いマグマの迸りを子宮に浴びた瞬間、壮絶な、悶絶の絶叫を絞り出した。
 
 オーギュストは椅子に腰かけて、アルトゥーリンに舌と唇で灼熱の砲身を掃除させている。例え白目を剥いて意識朦朧としていても、射精後は口で浄めるように躾けている。
 ベッドでは、先ほどのエルフ娘たちが、シーツを替えている。その後、アルトゥーリンの膣穴とアナルをきれいに舐め浄めさせ、もう一度挿入しようと考えていた。
「本当にお前たちは美しい」
 オーギュストは笑いながら、アルトゥーリンの頭を撫でる。アルトゥーリンは長い耳を真っ赤にして、無邪気な笑みを浮かべた。

71-3

【5月下旬】
 アルテブルグ――。
 湖に面した美しい都市である。街の通りは幅広く、市場はよく整備されて、公共施設は合理的に配置されている。壮大な建造物と繊細な装飾が、絶妙なバランスで共存し、文化の高さを顕示している。
 東部の光ヶ丘(シャイニングヒル)と呼ばれている一帯には、エリーシア建築の最高傑作と呼ばれる宮殿が建つ。その広大な敷地には人工の森、山、川があり、随所に、神話をモチーフにした噴水と彫刻が点在して、見る者すべてを魅了する圧巻な風景を作り上げていた。
 この日、このエリース湖を見渡す美しい宮殿では、ヴィルヘルム1世が出席しての御前会議が開かれている。
 第12代アルティガルド王ヴィルヘルム1世は、敗戦後、退位して、オーギュストと同じ『上帝』となった(第57章)。しかし、王太子フェルディナントが薨御したために、まだ乳児のヴィルヘルム2世を第13代王に即位させて、引き続き国務を取り仕切っている。
「ではサリスは和平に応じる気はないと?」
「不本意ながら」
 外交担当の官僚が、心苦しそうに言う。
「ふーむ、頑迷よのぉ」
 ヴィルヘルム1世は、然も億劫そうに囁く。
 声に覇気はなく、肌は荒れ、顔色は土のように悪い。王太子フェルディナントの死後、生活は乱れ、酒と女にすっかり溺れてしまった。かつての威風堂々とした姿はもはや何処にもない。
「しかし、このまま戦争が長引けば、財政への打撃は大きく、とても国政を維持できません」
 財務担当の官僚が深刻な表情で告げる。
「あるいは、敵が総攻撃を控えているのは、我々を疲弊させるのが目的かと。敵の注文に応じ続ける必要はありません」
 軍事担当の官僚が告げる。
「もはや一刻の猶予もありません。ロイド州を放棄し、サリスの要求の一部を受け入れざるを得ないでしょう」
 ジークフリードの独裁の下で、息を潜めていたエリート官僚たちが、ついに、一致団結して立ち上がった。
 ロイド州は、敗戦後、唯一獲得した領土であり、宰相ジークフリードの最大の功績とされている。それを否定することは、ジークフリードへの反旗に他ならない。
「この責任は宰相にあるのは明らか!」
 そして、最後通告とばかりに、官僚たちのリーダー格が、強い口調で糾弾した。
「然り!」
「異議なし!」
「右の同じ!」
 これに、賛同の声が一斉に上がる。
 しかし、官僚たちの誠意ある進言にも、ヴィルヘルム1世の心は、些かも動かない。ただ早く後宮に戻りたい、という苛立ちばかりがつのっている。
「お待ちを――」
 渦中のジークフリードは、悠然と前へ進み出る。
「すでに、終戦へ向けての密約はできております」
 そして、羊皮紙を恭しく進呈する。
「ほお」
 ヴィルヘルム1世は、さらりと目を通して、安堵の声をもらす。無論、国の安泰ではなく、面倒な作業から解放される喜びの声であった。
「さすがは名宰相よ。以後も委細任せる。皆も協力して事に当たれ」
「はは、陛下の仰せのままに」
 ヴィルヘルム1世は、弱った足腰で玉座から立ち上がり、いそいそと退室する。
 ジークフリードは深く垂れた頭の下で、狩人の目をして舌なめずりしていた。そして、その背後では、獲物のように怯えた瞳で、官僚たちは顔面蒼白になっている。

 自室に戻ったジークフリードは笑いが止まらなかった。
「どうだ、エリートども。これが路地裏で鍛え上げた俺様の手腕だ。教科書には載ってねえよな、あははは」
 不敵に嘯く。外交のエリートたちを出し抜いた気分は最高だった。
「さて、あのクズどもをどう料理してやろうか?」
 さらに、不満分子もあぶり出すことができた。自分の権力が、一段と盤石になったと確信する。
「くくくっ……いかん、止まらぬ。これでは仕事にならぬ……くははは!」
 どんな抑えようとしても笑いが、絶え間なく込み上げてくる。
 鍵のかかった棚から取り出したカラーを首に巻く。そして、その端に、ガラス管を刺し込む。ガラスの中の青白い液体がゆっくりとカラーに注ぎ込まれていく。
「ああ……」
 首筋から脳に冷気が流れ込む。もやもやとした思考がすっきりとして、何もかもがクリーンにくっきりと感じられる。
 己の手柄である『カプリの密談』に関する詳細な報告書を手に取る。
「この女も早いうちに始末せんと、な」
 交渉役をされた文学者のページを握りつぶして、低く暗い声で呟く。世界を戦乱から救う英雄は一人だけでいい、と心底思う。
「くくくっ」
 再び、どうしようもなく笑いが零れる。
 報告書にあるフリオの名を指で弾いた。この伯爵に目を付けた自分の眼力に、胸が震えてくる。
『出世のためには手段を厭わない冷酷なリアリスト』
 それが、彼のフリオへの評価である。
 激しい動乱の中を、自分の姉や婚約者さえも道具として利用し、サリス随一の貴族まで上り詰めた。自分の利益のためなら、誰であろうと平然と組むし、誰であろうと簡単に裏切る。自分との共通性を見出し、『危険な男』だと強く実感する。
「適当な情報を流して、失脚されておいた方が利口か……」
 ページをさらさと捲って、マックスの名で手が止まった。
「旗揚げ以来の片腕か……」
 リューフほどの武勲は聞こえてこないが、常にオーギュストの傍らにいて、多くの作戦に従事してきた、と備考欄にある。
「おそらくは、組織を縁の下から支えるナンバー2タイプの男だろう」
 その重要人物がブリューストの防衛を担うという。それほどの重要拠点と言うことであろう。
 視線を素早く動かして、壁にかかったエリース中原の地図を見遣る。
「なるほど」
 セレーネ半島の先端と言うのは、祖国ウェーデリアとサリスを支配するにはバランスがよい、と見れば見るほどそう思えてきた。なにより、隣接するカプリ島は最高のリゾート地である。
 しかし、ここに遷都するならば、アルティガルド王国の水軍は脅威であろう。思わず、顎髭をさすって唸る。
「なるほど、そのために戦争を始めたのかぁ……」
 遷都の前に、もう一度アルティガルドを屈服させて、その軍事力を奪うのが目的であろう、と突然ひらめいた。
「やはり、あの三つの要求はフェイク。狙いはアルティガルド水軍!」
 自分の明晰な頭脳に心が躍る。ならば、水軍力の温存こそが最善手では、などと思考を巡らす。
「そうだ!」
 突然、口の端を歪めて呟く。
「ディーンが密かに入城した直後、ブリュースト要塞を占拠してしまえばいい。城下の盟だ。くっ、かっかっか!」
 ジークフリードは声を上げて笑った。笑い過ぎて、頭が痛いほどだった。世界が自分の方から転がり込んでくる、そんな風に思えてならなかった。
 早速、ジークフリードは、水軍の陸戦兵の増強を各部署に命じた。


 ヴァンフリート――。
 フリーズ大河に沿って運河があり、高い石垣の上に、商家や倉庫が軒をつらねている。運河の入り口には、通行する船から税を徴収するための砦がある。
 塔の周りには、通常水軍が駐留していたが、アルテブルグからの命令で、昨日のうちにエリース湖沿岸へと移動してしまい、今は一隻も残っていない。
 月のない夜、強い風がフリーズ大河の上を撫でて、雨が水面をドラムのように叩く。
 一隻の漁船が、大きく揺れながら河を渡っていく。船には、20人ほどの人間が、箱詰めされたようにぎっしりと乗っていた。
 皆、黒い雨合羽を着ている。一言も声を発せず、その呼吸音すら控えているように固く唇を結んでいる。
 砦の隅に接岸する。塔の上から照らす薪の灯りの死角になっていて、これに気付く者はいない。
 二つの雨合羽が左右を確認しながら、岸壁に腹這いで上がり、素早くロープを低い鉄柱に結びつける。
 船が係留されたことを確認すると、指揮をしていた一番小柄な者が、音もなく前転しながら岸壁に上がった。そして、雨の滴る石畳の上を、身を屈めて、まるで滑るように横切って行く。そして、塔の足元の粗末な小屋に至った。慎重に中の様子を伺い、振り返って、船に合図を送る。一斉に雨合羽の群れが岸に上がった。
 小屋の中で、雨合羽を脱ぐ。
 繊細な顔立ちの小顔に、黒いショートボブのワ国人の少女が現れた。羽のように浮きそうな華奢な身体を黒装束で包んでいる。
「香子様」
 小柄な指揮官は、『キョーコ・キサラギ』である。
「無事全員上陸しました。見張りに気付かれた気配はありません」
 赤い鼻の男が、小さな声で報告する。
「よし、次の合図を待て」
 キョーコは指示を与えつつ、手際よく背負っていた袋から短剣などの武器を取り出し、黒装束のあちこちにそれらを収容していく。
「香子様」
 見張りの男が極小さな声で呼ぶ。
「合図です」
 キョーコが扉の隙間から覗くと、塔の勝手口の扉が開き、淡いランプの灯りが誘う様に2度3度と揺れている。
「お前たちは、待て」
 そう言い残すと、小屋を一人飛び出す。物陰の間を猫のように素早く走り抜けて、その扉に背中を付けた。
「猪野香子か?」
 扉板を挟んで、メイド服の女が訊ねる。
「そうだ。手筈は?」
「……」
 無言で、空の薬瓶が転がり出てくる。
「私の役目はここまでだ。一応、武運を祈ってやる」
「協力感謝する」
「……」
 言い終わった時には、もう女の気配が消えている。
 キョーコがくるりと身体を回転させて、真っ暗な室内に入る。台所である。作業台の下を進んで廊下を確認する。奥の食堂で、兵士が鼾をかいて寝ていた。
「さすが、刀根様の手の者だ」
 キョーコは台所の勝手口まで戻り、仲間へ合図を送った。
 雨の中を、一人ずつ駆け込んでくる。

 翌朝、北の城門を開けようとした門番たちは、門の前に陣取る賊徒に仰天した。
 胴当てだけの貧相な装備に、槍や弓を構える者が乱雑に並んでいる。一目で、烏合の衆と分かった。
 賊徒の来襲の報告を、ヴァンフリート総督は、礼拝堂で聞いた。
「何?」
 エリース像の前で跪いていた総督は、怪訝そうに鋭利な眉を寄せた。
「何かの間違いであろう」
 総督は落ち着いた声で答えて、額にかかったさらさらの猫毛を掬い上げると、丁寧に撫でて七三に分ける。
「君は馬鹿かね?」
 政庁に到着すると、賊徒に対して、『用件を聞いてみては?』と副総督が進言してきた。これを一蹴すると、迷いのない視線を、若い士官たちに向ける。
 サリスとの戦争のために、大半の守備隊とパトロール部隊は前線に出陣し、さらに、駐留艦隊までもエリース湖沿岸に出撃した。明らかに戦力が不足している。それに、部下たちの不安は大きい。
「私は諸君ら全軍に指令する。このヴァンフリートそのものを持って、賊徒の前に立ちふさがれ」
 こうして、残っているすべての兵を城門に集結させた。
 すぐに、賊徒のリーダーが、『ヴォルフ・ルポ』だと報告が入る。
「我々も苦しいが敵も苦しい。勝利はこの一瞬を頑張り抜いた方に訪れるのだ。諸君もう一息だ」
 突然の危機に緊張する部下を叱咤激励する。
 しかし、港を守る塔に反乱軍の旗が上がったと聞くと、堪らず蒼白となった。
「外と内……。フフフ、脆いものよのう」
 総督は、乾いた笑いを残して、政庁の執務室を飛び出す。
「お前は何年私の部下をしている?」
 玄関前に用意していた馬車に飛び乗る。そして、状況が分からず後を追いかけてきた部下たちに、鋭い口調で問うた。
 地方役人の裏切りを恐れたのだろう。彼らを追い払うと、アルテブルグから派遣されている王国直臣だけを馬車に同乗させる。
「反乱軍よ、思い知れ。最後に笑うのはこの私だ!」
 馬車は、東の門から出ていく。

「総督の馬車が逃げて行きます」
 望遠鏡を覗きながら、キョーコがシャキシャキした声で告げる。
「おお、当たった……」
「ああ、アリーセ様の予言の通りですわ」
 塔の最上階にずらりと並ぶ身なりの良い人々が、声を震わせながら呟きあう。皆、少し猫背で、絶えず、死んだ魚のような目をオドオドと蠢かせている。
「だから言ったでしょ!」
 振り返ったキョーコが、きっぱりと言い放つ。
「心配はいらないって、アリーセ様の占いは、必ず当たるんだから」
「我々は心配などしておりません。アリーセ様を信じておりますから。最初から」
 媚びるような、縋るような声で、信奉者の一人がささやく。それを合図のように、一斉に人々はアリーセへ祈りを捧げた。
「アリーセ様、皆、喜んでおります」
「そう」
 アリーセは、空を見上げたまま、気のない返事をする。その瞳には、遥か上空で、悠然と翻るハルテンベルク子爵家の旗が映っていた。
「作戦はすべてアリーセ様の占いのままでした」
 キョーコは一度咳払いをしてから、改めて、慇懃なまでの丁寧な作法で礼をする。
「兵士たちは、鬼上官が転属したのを良いことに、夜深くまで酒宴に興じており、我々に縛られるまで誰も起きませんでした」
 饒舌に、すらすらと述べる。
「また、我々を部下の裏切りと判断して、総督は逃げ出しました。すべてアリーセ様の功績です。アリーセ様に不可能はありません!」
「……」
「然もあらん」
 アリーセの占いの信奉者が、感極まったように大きく頷いた。その瞳には、もう疑いの色は微塵もない。
「……」
 しかし、当のアリーセの耳には、その澄んだ声も、その熱い視線も全く届いていない。誇らしげにはためくハルテンベルク子爵家の旗を見上げて、達成感で胸を一杯に膨らませている。
「さあ、皆さん、次は世界中から同志が集まってきます。その奇跡を目撃しましょう」
「はい」
 信奉者たちは、生まれ変わったように輝く瞳をして、迷いの吹っ切れた爽やかな声で頷く。
「……」
 アリーセは、まだ旗を見上げている。
「ああ、何と神々しい……」
 その不動な姿を仰ぎ見て、信奉者たちはますますアリーセに神秘性を見出していた。
「ふふふ」
 キョーコは口元に手の甲を当てて、微かに笑う。
――さあ、もっと高く上りましょう、お姫様。世界中の誰もが貴方を注視できるように、このあたしが、高い高い梯子を用意してあげるわ!
 口の端から垂れそうになる涎を、舌先でペロリと舐め取った。
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