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□ エリーシア戦記71 □

71-3

【5月下旬】
 アルテブルグ――。
 湖に面した美しい都市である。街の通りは幅広く、市場はよく整備されて、公共施設は合理的に配置されている。壮大な建造物と繊細な装飾が、絶妙なバランスで共存し、文化の高さを顕示している。
 東部の光ヶ丘(シャイニングヒル)と呼ばれている一帯には、エリーシア建築の最高傑作と呼ばれる宮殿が建つ。その広大な敷地には人工の森、山、川があり、随所に、神話をモチーフにした噴水と彫刻が点在して、見る者すべてを魅了する圧巻な風景を作り上げていた。
 この日、このエリース湖を見渡す美しい宮殿では、ヴィルヘルム1世が出席しての御前会議が開かれている。
 第12代アルティガルド王ヴィルヘルム1世は、敗戦後、退位して、オーギュストと同じ『上帝』となった(第57章)。しかし、王太子フェルディナントが薨御したために、まだ乳児のヴィルヘルム2世を第13代王に即位させて、引き続き国務を取り仕切っている。
「ではサリスは和平に応じる気はないと?」
「不本意ながら」
 外交担当の官僚が、心苦しそうに言う。
「ふーむ、頑迷よのぉ」
 ヴィルヘルム1世は、然も億劫そうに囁く。
 声に覇気はなく、肌は荒れ、顔色は土のように悪い。王太子フェルディナントの死後、生活は乱れ、酒と女にすっかり溺れてしまった。かつての威風堂々とした姿はもはや何処にもない。
「しかし、このまま戦争が長引けば、財政への打撃は大きく、とても国政を維持できません」
 財務担当の官僚が深刻な表情で告げる。
「あるいは、敵が総攻撃を控えているのは、我々を疲弊させるのが目的かと。敵の注文に応じ続ける必要はありません」
 軍事担当の官僚が告げる。
「もはや一刻の猶予もありません。ロイド州を放棄し、サリスの要求の一部を受け入れざるを得ないでしょう」
 ジークフリードの独裁の下で、息を潜めていたエリート官僚たちが、ついに、一致団結して立ち上がった。
 ロイド州は、敗戦後、唯一獲得した領土であり、宰相ジークフリードの最大の功績とされている。それを否定することは、ジークフリードへの反旗に他ならない。
「この責任は宰相にあるのは明らか!」
 そして、最後通告とばかりに、官僚たちのリーダー格が、強い口調で糾弾した。
「然り!」
「異議なし!」
「右の同じ!」
 これに、賛同の声が一斉に上がる。
 しかし、官僚たちの誠意ある進言にも、ヴィルヘルム1世の心は、些かも動かない。ただ早く後宮に戻りたい、という苛立ちばかりがつのっている。
「お待ちを――」
 渦中のジークフリードは、悠然と前へ進み出る。
「すでに、終戦へ向けての密約はできております」
 そして、羊皮紙を恭しく進呈する。
「ほお」
 ヴィルヘルム1世は、さらりと目を通して、安堵の声をもらす。無論、国の安泰ではなく、面倒な作業から解放される喜びの声であった。
「さすがは名宰相よ。以後も委細任せる。皆も協力して事に当たれ」
「はは、陛下の仰せのままに」
 ヴィルヘルム1世は、弱った足腰で玉座から立ち上がり、いそいそと退室する。
 ジークフリードは深く垂れた頭の下で、狩人の目をして舌なめずりしていた。そして、その背後では、獲物のように怯えた瞳で、官僚たちは顔面蒼白になっている。

 自室に戻ったジークフリードは笑いが止まらなかった。
「どうだ、エリートども。これが路地裏で鍛え上げた俺様の手腕だ。教科書には載ってねえよな、あははは」
 不敵に嘯く。外交のエリートたちを出し抜いた気分は最高だった。
「さて、あのクズどもをどう料理してやろうか?」
 さらに、不満分子もあぶり出すことができた。自分の権力が、一段と盤石になったと確信する。
「くくくっ……いかん、止まらぬ。これでは仕事にならぬ……くははは!」
 どんな抑えようとしても笑いが、絶え間なく込み上げてくる。
 鍵のかかった棚から取り出したカラーを首に巻く。そして、その端に、ガラス管を刺し込む。ガラスの中の青白い液体がゆっくりとカラーに注ぎ込まれていく。
「ああ……」
 首筋から脳に冷気が流れ込む。もやもやとした思考がすっきりとして、何もかもがクリーンにくっきりと感じられる。
 己の手柄である『カプリの密談』に関する詳細な報告書を手に取る。
「この女も早いうちに始末せんと、な」
 交渉役をされた文学者のページを握りつぶして、低く暗い声で呟く。世界を戦乱から救う英雄は一人だけでいい、と心底思う。
「くくくっ」
 再び、どうしようもなく笑いが零れる。
 報告書にあるフリオの名を指で弾いた。この伯爵に目を付けた自分の眼力に、胸が震えてくる。
『出世のためには手段を厭わない冷酷なリアリスト』
 それが、彼のフリオへの評価である。
 激しい動乱の中を、自分の姉や婚約者さえも道具として利用し、サリス随一の貴族まで上り詰めた。自分の利益のためなら、誰であろうと平然と組むし、誰であろうと簡単に裏切る。自分との共通性を見出し、『危険な男』だと強く実感する。
「適当な情報を流して、失脚されておいた方が利口か……」
 ページをさらさと捲って、マックスの名で手が止まった。
「旗揚げ以来の片腕か……」
 リューフほどの武勲は聞こえてこないが、常にオーギュストの傍らにいて、多くの作戦に従事してきた、と備考欄にある。
「おそらくは、組織を縁の下から支えるナンバー2タイプの男だろう」
 その重要人物がブリューストの防衛を担うという。それほどの重要拠点と言うことであろう。
 視線を素早く動かして、壁にかかったエリース中原の地図を見遣る。
「なるほど」
 セレーネ半島の先端と言うのは、祖国ウェーデリアとサリスを支配するにはバランスがよい、と見れば見るほどそう思えてきた。なにより、隣接するカプリ島は最高のリゾート地である。
 しかし、ここに遷都するならば、アルティガルド王国の水軍は脅威であろう。思わず、顎髭をさすって唸る。
「なるほど、そのために戦争を始めたのかぁ……」
 遷都の前に、もう一度アルティガルドを屈服させて、その軍事力を奪うのが目的であろう、と突然ひらめいた。
「やはり、あの三つの要求はフェイク。狙いはアルティガルド水軍!」
 自分の明晰な頭脳に心が躍る。ならば、水軍力の温存こそが最善手では、などと思考を巡らす。
「そうだ!」
 突然、口の端を歪めて呟く。
「ディーンが密かに入城した直後、ブリュースト要塞を占拠してしまえばいい。城下の盟だ。くっ、かっかっか!」
 ジークフリードは声を上げて笑った。笑い過ぎて、頭が痛いほどだった。世界が自分の方から転がり込んでくる、そんな風に思えてならなかった。
 早速、ジークフリードは、水軍の陸戦兵の増強を各部署に命じた。


 ヴァンフリート――。
 フリーズ大河に沿って運河があり、高い石垣の上に、商家や倉庫が軒をつらねている。運河の入り口には、通行する船から税を徴収するための砦がある。
 塔の周りには、通常水軍が駐留していたが、アルテブルグからの命令で、昨日のうちにエリース湖沿岸へと移動してしまい、今は一隻も残っていない。
 月のない夜、強い風がフリーズ大河の上を撫でて、雨が水面をドラムのように叩く。
 一隻の漁船が、大きく揺れながら河を渡っていく。船には、20人ほどの人間が、箱詰めされたようにぎっしりと乗っていた。
 皆、黒い雨合羽を着ている。一言も声を発せず、その呼吸音すら控えているように固く唇を結んでいる。
 砦の隅に接岸する。塔の上から照らす薪の灯りの死角になっていて、これに気付く者はいない。
 二つの雨合羽が左右を確認しながら、岸壁に腹這いで上がり、素早くロープを低い鉄柱に結びつける。
 船が係留されたことを確認すると、指揮をしていた一番小柄な者が、音もなく前転しながら岸壁に上がった。そして、雨の滴る石畳の上を、身を屈めて、まるで滑るように横切って行く。そして、塔の足元の粗末な小屋に至った。慎重に中の様子を伺い、振り返って、船に合図を送る。一斉に雨合羽の群れが岸に上がった。
 小屋の中で、雨合羽を脱ぐ。
 繊細な顔立ちの小顔に、黒いショートボブのワ国人の少女が現れた。羽のように浮きそうな華奢な身体を黒装束で包んでいる。
「香子様」
 小柄な指揮官は、『キョーコ・キサラギ』である。
「無事全員上陸しました。見張りに気付かれた気配はありません」
 赤い鼻の男が、小さな声で報告する。
「よし、次の合図を待て」
 キョーコは指示を与えつつ、手際よく背負っていた袋から短剣などの武器を取り出し、黒装束のあちこちにそれらを収容していく。
「香子様」
 見張りの男が極小さな声で呼ぶ。
「合図です」
 キョーコが扉の隙間から覗くと、塔の勝手口の扉が開き、淡いランプの灯りが誘う様に2度3度と揺れている。
「お前たちは、待て」
 そう言い残すと、小屋を一人飛び出す。物陰の間を猫のように素早く走り抜けて、その扉に背中を付けた。
「猪野香子か?」
 扉板を挟んで、メイド服の女が訊ねる。
「そうだ。手筈は?」
「……」
 無言で、空の薬瓶が転がり出てくる。
「私の役目はここまでだ。一応、武運を祈ってやる」
「協力感謝する」
「……」
 言い終わった時には、もう女の気配が消えている。
 キョーコがくるりと身体を回転させて、真っ暗な室内に入る。台所である。作業台の下を進んで廊下を確認する。奥の食堂で、兵士が鼾をかいて寝ていた。
「さすが、刀根様の手の者だ」
 キョーコは台所の勝手口まで戻り、仲間へ合図を送った。
 雨の中を、一人ずつ駆け込んでくる。

 翌朝、北の城門を開けようとした門番たちは、門の前に陣取る賊徒に仰天した。
 胴当てだけの貧相な装備に、槍や弓を構える者が乱雑に並んでいる。一目で、烏合の衆と分かった。
 賊徒の来襲の報告を、ヴァンフリート総督は、礼拝堂で聞いた。
「何?」
 エリース像の前で跪いていた総督は、怪訝そうに鋭利な眉を寄せた。
「何かの間違いであろう」
 総督は落ち着いた声で答えて、額にかかったさらさらの猫毛を掬い上げると、丁寧に撫でて七三に分ける。
「君は馬鹿かね?」
 政庁に到着すると、賊徒に対して、『用件を聞いてみては?』と副総督が進言してきた。これを一蹴すると、迷いのない視線を、若い士官たちに向ける。
 サリスとの戦争のために、大半の守備隊とパトロール部隊は前線に出陣し、さらに、駐留艦隊までもエリース湖沿岸に出撃した。明らかに戦力が不足している。それに、部下たちの不安は大きい。
「私は諸君ら全軍に指令する。このヴァンフリートそのものを持って、賊徒の前に立ちふさがれ」
 こうして、残っているすべての兵を城門に集結させた。
 すぐに、賊徒のリーダーが、『ヴォルフ・ルポ』だと報告が入る。
「我々も苦しいが敵も苦しい。勝利はこの一瞬を頑張り抜いた方に訪れるのだ。諸君もう一息だ」
 突然の危機に緊張する部下を叱咤激励する。
 しかし、港を守る塔に反乱軍の旗が上がったと聞くと、堪らず蒼白となった。
「外と内……。フフフ、脆いものよのう」
 総督は、乾いた笑いを残して、政庁の執務室を飛び出す。
「お前は何年私の部下をしている?」
 玄関前に用意していた馬車に飛び乗る。そして、状況が分からず後を追いかけてきた部下たちに、鋭い口調で問うた。
 地方役人の裏切りを恐れたのだろう。彼らを追い払うと、アルテブルグから派遣されている王国直臣だけを馬車に同乗させる。
「反乱軍よ、思い知れ。最後に笑うのはこの私だ!」
 馬車は、東の門から出ていく。

「総督の馬車が逃げて行きます」
 望遠鏡を覗きながら、キョーコがシャキシャキした声で告げる。
「おお、当たった……」
「ああ、アリーセ様の予言の通りですわ」
 塔の最上階にずらりと並ぶ身なりの良い人々が、声を震わせながら呟きあう。皆、少し猫背で、絶えず、死んだ魚のような目をオドオドと蠢かせている。
「だから言ったでしょ!」
 振り返ったキョーコが、きっぱりと言い放つ。
「心配はいらないって、アリーセ様の占いは、必ず当たるんだから」
「我々は心配などしておりません。アリーセ様を信じておりますから。最初から」
 媚びるような、縋るような声で、信奉者の一人がささやく。それを合図のように、一斉に人々はアリーセへ祈りを捧げた。
「アリーセ様、皆、喜んでおります」
「そう」
 アリーセは、空を見上げたまま、気のない返事をする。その瞳には、遥か上空で、悠然と翻るハルテンベルク子爵家の旗が映っていた。
「作戦はすべてアリーセ様の占いのままでした」
 キョーコは一度咳払いをしてから、改めて、慇懃なまでの丁寧な作法で礼をする。
「兵士たちは、鬼上官が転属したのを良いことに、夜深くまで酒宴に興じており、我々に縛られるまで誰も起きませんでした」
 饒舌に、すらすらと述べる。
「また、我々を部下の裏切りと判断して、総督は逃げ出しました。すべてアリーセ様の功績です。アリーセ様に不可能はありません!」
「……」
「然もあらん」
 アリーセの占いの信奉者が、感極まったように大きく頷いた。その瞳には、もう疑いの色は微塵もない。
「……」
 しかし、当のアリーセの耳には、その澄んだ声も、その熱い視線も全く届いていない。誇らしげにはためくハルテンベルク子爵家の旗を見上げて、達成感で胸を一杯に膨らませている。
「さあ、皆さん、次は世界中から同志が集まってきます。その奇跡を目撃しましょう」
「はい」
 信奉者たちは、生まれ変わったように輝く瞳をして、迷いの吹っ切れた爽やかな声で頷く。
「……」
 アリーセは、まだ旗を見上げている。
「ああ、何と神々しい……」
 その不動な姿を仰ぎ見て、信奉者たちはますますアリーセに神秘性を見出していた。
「ふふふ」
 キョーコは口元に手の甲を当てて、微かに笑う。
――さあ、もっと高く上りましょう、お姫様。世界中の誰もが貴方を注視できるように、このあたしが、高い高い梯子を用意してあげるわ!
 口の端から垂れそうになる涎を、舌先でペロリと舐め取った。
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Date:2013/07/22
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