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□ エリーシア戦記72 □

第72章 九十九折

第72章 九十九折


【神聖紀1235年7月初旬】
――アルティガルド中部。
 夜が明けた。
 昨夜まで続いていた長雨に、家々の屋根も街道の石畳も洗われて、美しい水の膜をまとっている。そこへ、強い日差しが射し始めた。たちまち、世界は耐え難い蒸暑を見せ始める。
 街を抜けて、西に軍勢が進む。
「進め、進め、列を乱すな。遅れるものは蹴り倒すぞ!」
 古参兵が、若い兵士を叱咤する。
 フリーズ大河が造った広大な平野を、街道はまっすぐに伸びている。その地平の彼方に、砂塵が壁のように舞い上がっている。
「あれは何だ?」
 兵士たちが、汗に濡れた顔を上げて、頓狂な声を上げる。
 その泥色の幕を突き破って、黒い塊が姿を現した。不気味に蠢きながら徐々に左右に広がりゆっくりと迫ってくる。そこから湧き上がる蒸気が、高く積み上がった岩のような雲を作り出していた。
 真っ向から風が吹く。むせ返るように熱く、獣の息のように臭い。さらに、火照った肌をひと撫ですると塩の結晶が残っていた。
 尋常ではない。緊張感が全軍を走る。
「陣形を敷け!!」
 その時、中級指揮官たちの声が飛んだ。

 野が人で埋め尽くされている。見たこともない大群衆である。
 ヴァンフリートで決起した反乱軍は、周辺の農民を飲み込んで、10万を超える大軍になっていた。
 彼らが掲げた
『均田制』
『税免除』
『綱紀粛正』
『人材登用』
 が、農民、商人、知識人など幅広い層に支持された結果である。
 反乱軍は大貴族たちの領地を蹂躙しながら王都アルテブルグを目指す。貴族たちの「何とかしろ」の大合唱に突き動かされて、宰相ジークフリード・フォン・キュンメルは、自ら王都防衛軍1万を率いて迎撃に出た。
「ザマーはまだ到着せぬのか?」
 ジークフリードは、強い日差しの中に立っていた。小刻みに足踏みを繰り返して、執拗に爪を噛む。
 陣形を組んで、正規軍の威光を示した。しかし、反乱軍の進軍は止まらない。もはや激突は時間の問題となっている。然るに、転進して合流するように命じた、ロイド州への遠征軍が、未だ到着していない。
「敵は烏合の衆だ。騎兵部隊で、一気に突き崩せ」
「はっ」
 数で劣勢な現状で主導権まで渡しては拙いと、止むを得ず、ジークフリードは先制攻撃を決定した。
 命令が下ると、騎兵の集団が小さくまとまって突撃を開始する。
「吶喊!」
 それはまるで黒い沼に、小石を投げ入れるような光景であった。
「蹴散らせ!!」
 接触すると、大きな波紋のように黒い人だかりが揺れた。脆くも、陣形が崩れる。騎兵は、馬の上から槍を振り、逃げる男を4人5人と切り倒す。
 しかし、斬っても斬っても、その背後に人が立っている。次第に、騎兵たちは辟易として、顔に苦く顰め始める。
「これでは……」
 切りがないのだ。騎兵は、心身ともに攻め疲れて、一旦、後退を始める。
 忽ち、黒い影が、ぽっかりと空いた空間を埋め戻す。
「休ませるな。第2波行け!」
 ジークフリードは、波状攻撃を命じる。
 攻撃は5度6度と繰り返された。
 騎兵の損害は軽微であるが、将兵の疲労感は積み重なっていく。みすぼらしい敵が、無限の回復力を持つ化け物のように見えていた。
 陽は西へ傾いていく。
「そろそろ潮時かぁ……」
「案外手古摺る……」
「決着がつかぬとはなぁ……」
 単調な反復攻撃に、司令部の幹部たちの思考も鈍くなっている。このまま夜を迎えて、双方兵を引くことになるだろうと誰もが考えて始めた時、反乱の小集団が戦場を迂回して背後に現れた。
 明らかに農民兵とは動き違う。戦いなれた傭兵であり、時折、不気味な爆音を発している。
「ヴォルフ・ルポです」
 偵察から戻った参謀が報告する。
「うむ」
 ジークフリードは大きく顎を上下させた。その先から大粒の汗が滴り落ちる。
「ケチな狂犬など……」
 喚くように罵ったが、それに続く指示がいつまでも発せられない。
「……」
 長い沈黙が司令部を包む。退路を断たれたことに、動揺が走っている。
「閣下ご覧ください!」
 同時に、前方の大軍が、緩慢に両翼を伸ばし始めた。
「このままでは包囲させます」
 参謀長の進言を受けて、ジークフリードは決断を下す。
「全軍、南へ転進せよ」
「南?」
「フリーズ大河の河口に集結した水軍と合流すれば、幾らでも巻き返せる!」
 ジークフリードは呪うように吐き捨てて、騎乗し、戦場を離脱していく。


【7月中旬】
――セブリ街道。
 サイアからカイマルクへの最短ルートが、『セブリ街道』である。『オランジェリー台地』と『セブリ山脈』に挟まれた狭い谷間を蛇行して抜けている。
 しかし、一旦長雨になると、谷間に流れ込む小川が幾つも鉄砲水となり、並行して流れる川も氾濫して、何か所も通行止めとなる。故に、非常に脆い街道として知られていた。

 そして、この日も、その弱点が露見していた。
 橋が濁流に流されている。
 その傍らで、濃緑の雨合羽を着た者たちが呆然と立ち尽くしている。
「他に橋はないのか?」
「はい……」
「これではカイマルクへの到着が遅れてしまうぞ」
 ランは雨雲を見上げて愚痴り、前方の途絶えた街道の光景にため息を落とす。
「これも全部、あいつの日頃の行いが悪いからだ! チクショウ!!」
 そして、腹立ちまぎれに、足元の小石を蹴る。そのささやかな衝撃で、柔らかくなった地面が崩れて、ずるずると濁流の中へ削れて落ちていく。
「ああ~」
 慌てて後ずさりすると、足を滑らせて、水たまりに顔から突っ込んでしまった。
「げほっ……」
 泥だらけの顔を上げて、口から泥水を吹き出す。口の中に、砂粒が残って頗る気持ち悪い。
「ちくしょう……。あ~ぁ、叔母様に何て言われることやら……」
 ぐしゃりと顔を崩して、泣き出しそうな声で小さく呟く。

……
………
 作戦開始直前の忙しい時期に、叔母ローラから呼び出された。
『御覧なさい。この新調したドレスを。これなら、絶対、陛下の無聊の慰めになるわ!』
 ローラは、ピンク色の可愛らしいドレスを自分の身体に当てて、無邪気に頬を染めている。まるで我がことのように、楽しそうにはしゃいでいるが、無論、彼女の服ではない。姉リタのために仕立てた物である。
『どうどう?』
 ローラは鏡の前でくるくる回る。
『素敵ですよ、叔母様』
 最近、ローラは、リタをオーギュストに仕えさせようと躍起になっていた。勿論、ランにも、ロックハート家の安泰を考えてのことだとは分かっている。だから、一言も反論できない。
 一代で成り上がったロークハート家は、譜代の家臣がいない。新参の家臣にロックハートの姓を与えることで、結束を固めようとしている始末である。しかし、一介の門番までロックハートを名乗っている状況は、まるで『ごっこ』のようで何処か滑稽であった。
 また、当のリタは、ローザの傍らで、一言も発せず、当惑した表情で佇んでいる。
――ああ、この可憐な少女も、あの色魔の餌食となってしまうのか……。
 我が姉のことながら胸が痛んだ。
『我々はカイマルクで陛下の到着を待つことになるでしょう』
 ローザは打って変わって、怖い顔で告げる。
 カイマルクの半分はロックハート家の領地である。大戦中、一度は必ず視察に訪れることになるだろう、とローラは想定している。その時こそ、完璧なおもてなしをするつもりでいる。
『くれぐれも寄り道などをなされぬように、あなたがしっかりするのですよ』
『あ、あい……』
 勢いに押されて取り、敢えず曖昧な返事をした。
『特にアポロニアには気を付けなさいよ!』
 アポロニアは、カイマルクを分割統治するライバルである。
『あの女、どんな策を用意していることやら……』
 もはやどこぞの悪役の顔である。
………
……


 ランは雨の中を宿場町まで戻った。
 防衛のため川がコの字状に囲んだ守りやすい場所に設けられている。小さな神殿を背にして木戸を潜ると石畳の一本道があり、その左右に、道具屋や鍛冶屋などの商店が並んでいる。中央で道は鉤状に折れていて、路地を入った奥まった場所に領主の館があった。
「あ~ぁ……」
 門の紋章を見て、ランが嘆きの声をもらす。
 それは見慣れたロックハートのものではなく、セレーネ半島系貴族風の紋章がある。
「最悪だよ。よりにもよって『ナバール』(第8章参照)なんて一癖ありそうな貴族領で足止めになるなんて……」
 オーギュストの到着を迎えた姉妹の姿を思い出す。
『出迎え大義である』
『拝謁の栄によくし、望外の喜びでございます。姉のアンと妹のロッテでございます』
『久しいな。二人とも美しくなった』
『恐れ入ります、上帝陛下』
 二人は楚々と礼をした。
 如何にも曰くありげな主従の光景に見えた。
「あ~ぁ……」
 鬼の形相のローラが目に浮かび、激しい眩暈がした。憂鬱な気分のまま玄関を入る。
「ご苦労様です」
 すぐに侍女が駆け寄ってきて、かわいらしい声で話しかけてくる。
「雨具はわたくしが」
 口角を上げた爽やかな笑顔である。
――ああ、拙い……。
 思わず、ため息がでた。
 もしカイマルクに着く前に、オーギュストがこの辺の侍女を気に入れば、リタの出番はないかもしれない。そうなれば、『叔母はきっと私を殺すだろう』と、疑いない未来を予見できる。
「温かい飲み物は如何ですか?」
 人のよさそうな初老の執事が問う。
「そうじゃ」
 言葉に甘えることにした。こんな時、香子がいれば、ブランデー入りの紅茶を言う前に出してくれただろうな、と寂しく思う。
「ホワイトチョコレートモカフラペチーノのグランデ、追加でキャラメルソース、ヘーゼルナッツシロップ、チョコレートチップ、エキストラホイップのエスプレッソショット一杯で」
 簡単にコーヒーを注文してから、奥へと進む。
 その館は、左右対称の2階建てで、広い玄関ホールの奥に大階段があり、その下に舞踏会用の広間がある。今は臨時司令部として使われている。
「遅いぞ!」
 一段高い席で、肋骨服の軍服を見事に着こなし、尊大に君臨する女が、然も偉そうに言った。
 上帝軍幕僚本部顧問『アン・ツェーイ』である。本部長の『ベアトリックス』はカイマルクに先乗りし、作戦部長の『ルイーゼ』はサイアに残留している。また、魔術部長の『ダーライア』と警備部長の『ライラ』は先遣部隊と一つ先の宿場町に、鎮守直廊三人衆の『キーラ』、『サンドラ』、『マルティナ』はまだ一つ前の宿場町にいた。
 つまり、局地的で一時的ではあるが、アンが一番偉いという状況が生じている。
「橋はどうだ?」
 威圧的に問う。
――ああ、此奴がいたな……。
 毒物のような嫌悪感とともに、安堵感が込み上げてくる。叔母ローラが気をもんでいた夜伽の問題も、アンが勝手に解決してくれるだろうと思い、やや肩の荷が下りた気分でほっと息をつく。
 しかし、である。
 あの人形のように清純可憐の貌だったが、いつの間にか、すっかり、色気が板についてきている。これじゃ、飽きられて捨てられるのも時間の問題だろうな、と内心で笑い飛ばした。さらに妄想は続いて、自分ならば清楚さを決して失わないだろう……と余計なことまで考えて、カッと頭が熱くなった。
「あんだと!」
 勝手に内に抱いた気恥ずかしさを打ち消すために、意味もなく、ハイテンションで叫んでしまった。一瞬広間は静まり、誰もが手を止めて、視線を一斉にランに集中させる。
――ま、拙い……。
 脳がぐらぐらと揺れる。これを世間ではドツボにはまると云うのだろう、としきり明後日の方向を考える。
「橋だよ、橋!」
 しかし、天はランを見放さない。
 アンが同じテンションで答えてくれたおかげで、「ああ、いつものやつか」と周りの空気が和んだ。
――ここだ! 生還のチャンスはここしかない!!
 機を逸せず、平常の口調で臨む。
「おいおい、偉そうに、まるで上官気取りだな」
「はっ!?」
 アンが気色ばむ
「私はッ、上官なんだよ!」
「同期に上も下もあるものか!」
 アンの瞳が『敬語を使えや』と言い、ランのが『やんのか』と語っている。
 二人の美少女が、唾がかかるほど顔を近づけて、互いに目を上下させ合っている時に、新たな雨合羽の一団が帰還した。
 ランの部下だったが、彼らは広間の中央に座っていた参謀本部の『ヤン・ドレイクハーブ』の所へ直行して、「一つ前の橋はダメでした」と報告する。
 いつの間にか、彼の周りには人が集まっている。よく見れば、一緒に橋を視察した部下もその輪に加わっている。
「これで、先遣部隊とも後続部隊とも連絡が取れない訳だ……」
 ヤンが深刻な声で一人呟く。
 本隊は、雨の中に完全に孤立している。
「雨は何時か止むさ。お前たちがそんなに心配することはない」
 アンは首を伸ばしてさらりと言う。その声は、五月蠅い連中がいない事を喜んでいるように聞こえた。
「しかし、ジークフリードがアルテブルグではなく、フリーズ大河の河口へ向かったというのが気になります。陛下には一刻も早くサイアへ帰還して頂きたい」
 対照的に、ヤンは真剣な表情で答える。その言葉に、ヤンを囲む一同が頷く。
「しかし、この雨では、どうにもならん。これを機に陛下に、ここでゆっくり休養して頂くのも手であろう」
 アンは、髪を後ろに払いながら、涼しい声で反論する。
 やっぱり少しでも長く幹部連中がいない状況を楽しもうとしている、と皆が思う。
「失礼致します」
 その時、執事と侍女が、コーヒーを運んできた。
 ヤンたちはブラックコーヒーを慣れた手付きで分け合い、残った一つがランのもとへ運ばれてきた。
「ごくろ――」
 ニコリとほほ笑んで、白いホイップが山のように盛られたカップに目を輝かせ、揉み手をしながら手を伸ばす。その時、素早く横から白い手が振り抜かれた。
「ご苦労様」
「あ……」
 アンは奪い取ったカップを躊躇なく一息に飲み干す。
「あら、これ、貴女のだったの。ごめんなさい。うっかりしちゃった」
 そして、口の周りを白くしながら、わざとらしく言った。そのくっきりとした瞳は、悔しがるランを映して、キラキラと歓喜に輝いている。
「くっ……」
 ランは、掌に爪が深く食い込むほど強く拳を握った。
 アンは勝ち誇ったように微かに頬を上げてから、悠然と視線をランから外す。
「兎に角、アルティガルドは逃げやしないわ。落ち着いて慎重に判断しましょう」
 腰に手を当てて、仁王立ちして、我が世の春を謳歌するように甲高い声で言い放った。
「そうですね……」
 ヤンと少し困ったように苦笑する。その微妙な笑みが、緩やかに室内に広まってから、一斉に一つため息を落とした。


「……」
 全員の視線が扉に注がれている。
「広間が騒がしい様子。参りまして――」
「捨て置け」
「御意」
 この広間から左へ、画廊になった廊下を進めば、オーギュストの部屋があった。
 一列に黄金の釦が並べ、派手な肩章を施した、黒い燕尾型のジャケットを羽織、白のズボンとロングブーツを履いている。カイマルク入城を意識した衣装だった。
「止まぬか?」
 窓際に立ち、雨の庭を眺めながら問う。
「御意」
 情報部の『刀根小次郎』が跪いて答える。
 オーギュストは口を結んで小刻みに肯く。もはや出立を諦めて、襟を緩める。そして、ゆっくりとこの館の主たちを見た。
「世話になる」
「臣(わたくし)ごとき住家に玉体をお運び頂き、恐懼の極みでございます」
――ナバール男爵の忘れ形見か……(第28章参照)。
 内心呟く。姉妹は、ナバール男爵家滅亡後、リューフによってこの地で匿われていた。
「おじ様から、陛下がお立ち寄りになる際には、心よりおもてなしを致し、陛下の無聊を慰めるように言いつかっております」
 アンナが恭しく述べる。
「堅苦しいことはいらぬ。俺とリューフは兄弟のようなもの。故に、お前たちも我が身内も同然」
「身に余る御言葉に、感謝の言葉もございません」
 感極まった声で答えて、頭を深々と垂れる。
「この地で留まるのも、リューフの執念かも知れんな」
 オーギュストは雨空を見上げて、感慨深く呟く。この謁見を切っ掛けに、ナバール男爵家の復興を認めることになるだろう。
「はい?」
 姉妹は怪訝そうに顔を上げた。その美貌をまっすぐ眺める。
――母ソフィアもセリア一の美女と言われたが……。
 二人とも目を見張るばかりの細面の美人である。繊細且つ端正な造りは、癒されるような物静かな印象と可憐で気高い雰囲気を与えてくる。
「……」
 オーギュストは、姉妹から視線を逸せず、徐に口にコーヒーカップを運ぶ。その際、さりげなく親指の爪を黒い水面に掠めさせる。そして、じわりと紫色の波紋が広がるのを見て、素早くカップを下ろした。
「全員、飲むな!」
 激しい声で叫んだ。

「調査の結果――」
 情報部の『刀根小次郎』が、沈痛な表情で報告する。
「調理人が忙しさのあまり、トイレの後、手を洗わなかったようです」
 オーギュストは憮然とした。爪の先に、幾つかの試薬を仕込んである。その一つが反応したので毒を盛られたと確信したが、結局空騒ぎで終わってしまった。
「前代未聞の不敵際だな。姉が聞いたら泣くぞ」
 小次郎は、顔に汗を滝のように流している。
「申し訳ございません……」
「被害は?」
 視線をランに向ける。
「アン(笑)顧問以下、ヤン先任参謀など腹痛を訴える者多数。被害甚大と言わざるを得ないでしょう」
 ランは、片眉をぴくぴくと微かに動かしている。アンに対して「ざまあ」という感情を必死に封印しようと努めて、出来るだけ平坦な口調で答えているのが手に取るように分かる。
「笑うな!」
 突然、オーギュストが叱責する。これに、思わずランは雷に打たれたように身体を固くした。
――成長しない奴だ……。
 と呆れる。
 その時、不意に、ディアン男爵が告白したという噂を思い出した。
「そう言えば、ラン」
「はい?」
「しばらく会わない間に、雰囲気が変わったじゃないか?」
 毎日会っていると言い返したそうに、ランは口を尖らせる。
「少しは成長しましたから?」
「恋人はできたのか?」
「いえいえ、全然」
 虚を突かれて、ランは慌てて手を振る。
 猫を思わせる大きく、そして、ややつり上がった目をしている。すっきり通った鼻に、鋭く尖った顎、光をたたえた湖水のように、奥行きを感じる唇がとても美しかった。
――ナルセスの息子にくれてやるのは……。
 急に惜しいように思えてきた。

 一方のランも、狐に摘ままれたような不思議な違和感に包まれていた。まるで初めて名前を呼ばれたような気がしてならない。
「まさかね」
 子供の頃から、ずいぶん長い付き合いである。そんな筈はないと内心失笑する。

「今宵の警備隊の見直しをご指示ください」
 小次郎が委縮した声でおずおずと問う。
「そんなことは、お前たち二人で勝手に決めろ」
 ぞんざいに言い放ち、オーギュストは奥の寝室へ向かった。
 敬礼に見送られて、何事もなくドアを閉める。それから突然、素早くベッドのある方へ振り向く。その手には、千切り取ったジャケットの釦の一つあり、何時でも指で弾けるようにしてある。
「何をしている?」
 こんもりと盛り上がったシーツが、もぞもぞと動いて、ふっと顔を垣間見せた。
「アンナ、そんなところで何をしている?」
「陛下にお詫びしようと思って」
 シーツの上部から裸の肩が、下部から素肌の脚がはみ出ている。
「リューフに言われたのか?」
「いいえ、おじ様はそんなことを言わないわ」
 小悪魔的に笑った。そして、上体を起こして、胡坐をかき、枕を胸の前で抱く。
「おじ様は、私を処女だと思っているの」
 ウィンクして、舌を覗かせた。
「リューフが見たら、泣くだろうね」
 オーギュストは苦笑した。そして、ジャケットを脱ぎながら近づき、ベッドに腰を下ろして、アンナの肩にかける。
「どうして?」
 不服そうに頬を膨らませる。
「リューフに殺されるから」
 軽く言って、腰を上げ、奥に運び込まれている移動式のクロゼットを目指す。
「もお。陛下のセックスを体験したかったのに」
 枕をオーギュストの背に投げた。
「早く服を着ろ。そして、俺の部下の看病をしてくれ」
「そう言えば、ヤンとかいう人、知的な顔で、肉体はしっかりしてて、なかなかいい男だったわね」
 人差し指を顎に当てて、輝く顔で呟く。
「傷付くね~ぇ」
 オーギュストはガウンに着替えながら、爆笑した。

 日が暮れても、雨はまだ止まない。
 館の食堂では、豪華なシャンデリアに火が灯り、弦楽四重奏の透明感のある演奏が流れている。しかし、食卓の上には、軍の携帯用の簡素な食事が並べられている。それでも、姉妹の笑い声は絶えない。
「わぁ、転がる」
「間抜け可愛い」
 オーギュストは、食卓の上に、丸っこいメタルの人形を幾つか並べる。
「陛下がお作りに?」
「ああ、水銀で2頭身にしてみた」
 モデルはウェーデリア山脈に生息する幻の生物である。性格は極めて凶暴で、かつ食欲旺盛である。容姿は白と黒のツートンカラーで、黒い隈取の中に鋭い眼光、何でも噛み砕く強力な丸い顎、大きな手に研ぎ澄まされた爪などと頗る凶悪なことで知られていた。
「キビキビ、テキパキ、ハキハキ、ニコニコだ」

 闇の中に強い光が溢れ出ている。その波長に軽やかな音楽と明るい笑い声が乗り、ボトボトと大粒の雨が合羽を叩く音に紛れて聞こえてくる。
 ランは一人で裏庭を見廻りしている。人手不足だから、仕方がない。それは納得しているのだが、心の片隅に、理解し難い蟠りがある。
「今夜……」
 あの姉妹のどちらかを抱くのだろう。否、両方かもしれない。そう思うと、吐き気のような不快を感じた。
 何度も見てきた光景である。
 それをそれと知りつつ抱く方の節操のなさにも呆れるが、抱かれる側の洒洒とした浅ましさには、虫唾が走る。
 しかし、若干の差異はあるが、叔母の懸念が当たった。
「叔母と姉のためにも、妨害せねば……」
 そう強く思う。その痛快さに自然と薄い笑いが浮かび、その滑稽さにため息が落ちた。
――それだけ……?
 不意に、胸の奥がざわめいた。
 自分の心に向き合うと、その家族のためという目的が如何にも薄っぺらだ。なのに、言いようのない使命感が心のど真ん中にどっしりと鎮座している。その不可思議な動機を探ろうとすると、途端に、心が麻のように乱れてしまい、今自分が何処に居るのかさえも曖昧になってしまう。
 自分自身に当惑しながらも、とにかく、ランは、己への疑問を忘れて、任務に専念することにした。
「さて、どうする?」
 決意はしたが、方法がさっぱり分からない。とりあえず、脚がヤンのテントを目指し始める。ヤンならヒントを与えてくれるかも、という感覚が癖になっている。
 と、濃緑色のテントの中から声がして、反射的にそっと耳をそばだてる。
「陛下は雨が止み次第、この館の馬車でオランジェリー台地の間道を抜けてカイマルクへ向かわれる。今馬車の用意と当分の影武者の手配が終わったところだ」
 小次郎が狭いベッドの傍らに座り、声を潜めて言う。
「同行できずに無念だ。我が分も頼む」
 ヤンは、ベッドの中から唸るような声をもらした。
「否、俺も同行できん。リューフ総帥の下へ向かう」
「そうか。だが、大丈夫か?」
「いや、俺一人なら、どうという事はない」
「そうか。流石だな」
「フリーズ大河の河口も調べてくる」
「有難い」
 儚げに微笑む。
「実は――」
 小次郎が身を屈めた。
「リューフ総帥への伝言の中に、お前のことがある」
「何だ?」
「陛下は、ここの婿に、お前を推挙なされるおつもりだ」
「なっ!?」
 思わず声を上げてしまった。
「内密に、お前の気持ちを確認せよ、と言いつかっている」
「突然で……」
「そうか。ならば、今回は陛下のお気持ちだけリューフ総帥にお伝えする」
「ああ……」
 小次郎が立ち上がった。
「だが羨ましい」
「え?」
「たかが一介の参謀風情が、セレーネ半島貴族の身分とリューフ総帥の後継者の地位を手に入れる」
「だが、妻はお手付きという事になる。いや、何でもない……」
 失言したとばかりに、震える手で口元を抑える。
「名誉なことだろう?」
「ああ」
 裏返った声で頷く。
「だが気になるなら、義妹を後宮にお仕えさせるという手もあろう」
「……」
 ヤンの目が激しく泳ぐ。
「そうなれば、末は宰相だな」
 小次郎は笑って、ヤンの肩を軽く叩いた。
「……」
 ヤンは呆然として答えることができず、ただ肩に与えられた衝撃で、振り子のように上体を揺らしている。
 それを見て、ランは闇の中へ隠れた。闇の暗さに溶け込みながら、怒りがふつふつとわき上がってくる。
 自分にプロポーズしておきながら、直ちに断らないヤンが許せなかった。可能性に眼が眩んで、自分を天秤にかけたことが不快でならない。あの姉妹と同じレベルに自分を貶めたことが全く我慢ならない。
 何と若い男の軽薄なことか!
 と身震いするほどの嫌悪の念を催す。
 同時に、あの姉妹が、夜伽を取引の道具と勘違いしているのが許せなかった。
 夜伽とは忠節の証であり、主従の絆を深めるものである。その絆を守るために、この瞬間も、多くの女性たちが命を賭けて一心に働いているのだ。
「穢れている」
 と胸糞が悪くなる。
「何としても……」
 あの姉妹を排除しなければならない、と決断した。それはオーギュストに仕えるたくさんの女性のためでもあった。

 月明かりが窓から差し込み、壁に揺れる木々の影が映し出された。
 オーギュストは、寝室で一人、背もたれが燃え盛る炎のような赤い長い椅子に座って、月明りに照らして魔導書を読んでいた。一部が、雨上がりの澄んだ空を通した月光を浴びて浮かび上がる特殊な文字で描かれている。
「失礼します……」
 落ち着かない声を発して、おずおずとランが入ってくる。
「見廻りか?」
「……はい。いえ、ああ、師匠、一人ですか?」
 きょろきょろと室内を見渡して、姉妹の存在を探す。
「ああ」
「珍しい」
 思わずいつもの様に無遠慮に毒気づく。
「一日ぐらい静かに月を見上げる夜があってもよい。二日は多過ぎるがな」
「側で護衛しましょうか?」
 生唾を呑み込んで、短い文章をたどたどしく告げる。
「殊勝な事を言うようになったじゃないか。だが不要だ。俺にはこれがある」
 オーギュストは意外な表情でしばし笑うと、先ほどのメタルの人形を投げ渡した。
「水銀に魔力を注いだ魔法生物だ。護衛は此奴で十分だ。お前は寝ろ」
「……そうですか」
 納得したように答えが、根を張ったように一歩も脚を動かせない。
「どうした?」
「いえ……」
 丸い水銀の塊を両手でくるくると回すばかりだった。
 今宵姉妹が訪れないのなら帰るべきだ、という言葉が頭の裏の方をふらふらとかすめていく。ただ、心臓が破裂しそうに鼓動し、脳へと送られた過剰な血液で思考が溺れてしまった。全く感情を制御できない。どうして自分がここにいるのかも、最早わからない状態である。
「ロックハートに言われたのか?」
「へ?」
「意外だ。全く意外だ。ランが家族のためにこの選択をするとは。それほどロックハート家が大事か?」
「そ、そ、そんなんじゃ……。ぼ、ぼくはただ――」
 顔を真っ赤にして、しばし口籠る。それから、蚊の鳴くような声をどうにか発する
「ぼくはただ……ヤンに変なちょっかいを出さないように、師匠に文句を言いに来たのです。はい!」
 締め括りで大きく頷く。
「ほお?」
 オーギュストは断然興味を抱くらしく、本を閉じて、膝をランへ向けた。
「婚約しているのか?」
「ええ、いえ……まだ返事はしていません」
 勢いよく返事したが、すぐに言葉を詰まらせて否定の文言を続ける。
「ふーん」
 肘掛けに頬杖をつき、脚を組み直して、じっくりとランを見詰める。
「何ですか?」
「いや、何でも」
「でもぉ、プロローズされているのだからぁ、勝手なことはぁルール違反ですぅ」
 口を尖らせて、やや早口で言い立てる。
「……」
 オーギュストは頬を幾度か掻いた後、アヒル口をして、眉を上げた。
「まあ惜しいが仕方ない」
「……惜しい」
 刹那、ドキリと強く心臓が脈打った。
 呆然とするランの横を、いつの間にか立ち上がったオーギュストが通り過ぎて、窓からメタルの人形を投げた。そして、長椅子に戻って、サイドテーブルの上の卓上鏡を指で弾いた。
「便利ですね」
「だな」
 間もなく、濡れた草むらの中を駆け抜ける画面が映り出されて、それから、テントの中へ潜り込み、画面が白く輝いて何も見えなくなった。
「ちぃ、今一だなぁ」
 オーギュストが悔しそうに舌打ちする。
 だが、音声だけは聞こえている。若い女の声だった。
『ほら、こうやって肌と肌を合わせると温かいでしょう』
『う、うん』
『病気の時はこれが一番よ』
 オーギュストは腹を抱えて笑った。
「アンナもずいぶん手が早い」
「……」
 ランは頭を掻いた。
――落ちるの速すぎだろう……。
 ヤンの脇の甘さに呆れるばかりである。しかし、不思議と怒りはわいてこなかった。
 パチン!
 オーギュストが指を鳴らすと、卓上鏡はまた普通の鏡に戻る。
「こんな訳だが、そこに魔術通信機の直通内線があるぞ」
「……」
 これにランは黙り込んだ。
「俺はランちゃんにつくぜ」
「……」
「おいおい、早くしないとおっぱじめるぞ」
「……」
 にやにやと煽るオーギュスト。その憎らしい顔から、派手な修羅場を望んでいる、と察しが付く。そんな注文に乗ってやる気は毛頭ない。ランは、麻のように乱れた感情を一つ一つ整理する。
――ヤンへの失望感はある……。
 心にぽっかり穴が開いている。しかし、その横に、頂き雲を冠する大山が聳えているのだ。
――あの女もヤンも素直に行動して、望みも物を手に入れようとしている……。
 それはきっと正しい事なのだろう、と湖のように静かな心で思う。
 その時、通信機が鳴った。
「俺だ」
 オーギュストが出る。
「アンナがそんなことを?」
 じっとランを見詰めた。その瞳に徐々に失望の色が滲んでいく。
 きっとヤンが最後の一線を拒んだのだろう、とランは根拠なく確信した。さすがと評価する一方で、心が少しも動かないことに気付く。何かが変わって、もう後戻りできないのだと諦観する。
 オーギュストが時計を気にする。
――姉妹を呼ぶつもりだ!
 ランの顔からさっと血の色が引く。思考が極端に狭まっている。ほんのちょっと手順の違いから、歯車の組み合わせが僅かに変わって、全く別の何かが動き始めた。
「……」
 ランは無言で俯き、爪が食い込むほどに拳を握り込んだ。
「しょ――」
「うむ?」
 ようやくランの口が動くと、オーギュストは受話器を手で抑えた。その瞳にまた興味の色が浮かんだ。まるで初めて見る玩具を前にした子供のようだった。
「しょうがないじゃない!」
 ランが叫ぶ。
 そう、仕様がないのだ。誰かが、この暴君の無聊を慰めねばならない。でなければ、この暴君は、その持て余す欲望のすべて破壊と殺戮に向けてしまうのだ。
 記憶の奥から、そう繰り返し諭す女性の声が聞こえてくる。
「これだけ条件が揃えば!」
 ただし条件も厳しい。
 その女性の声は続く。
 一人で暴君を満足させられる女性は少ない。その数少ない女性の一人が、ぼく(お前)なのだ!
「でもね、結局は、ぼくがたくさんの選択肢の中から選んであげたのだから」
 口を突く感情と頭の中でささやく声に祖語あり、やや混乱を招いているが、そもそもこの目の前の状況の異様さに比べれば、無視できるほどの些細な問題でしかない、と思う。
「なるほど。それも一興か」
 意味深に呟くと、一度視線を落としてから、オーギュストは眼光を鋭くして見直した。
「我々がどんな選択をしようが、未来に変化はない。ここに居ようが庭に居ようが、塵芥ほどの意味もない」
「……」
「大事なのは、今ランがここに居るという結果だ。この結果に至るために、無限の過去の中から条件が選択された」
「意味が……」
 さっぱり分からない。
「雨も、食中毒も、家族も、姉妹も、否、もっと遥か昔から、すべての出来事が、確かな現在となるように調整されている」
「結果があって原因が生じる……」
「言うならば、小説家が完成した結末に向けて、物語を構築し、伏線を張り、布石を置き、登場人物を動かすことと同じ。すべての現象は、素粒子ほどの狂いもない必然だ」
「……必然?」
 まっさらな大海の中を小舟で漂っているようにただ呆然とする。
「あっ!」
 一瞬、オーギュストの影で月の光が遮られて、唇に軽い温もりと微かな湿りを感じた。
「えっ!」
 時が止まったように、瞬き一つせずに目を丸くした顔に、月の光が再び降り注がれる。
「いや……」
 ゆっくりと離れて行くオーギュストの体に、
そっと身体を傾ける。そこへ受話器が宛がわれた。
「ぼくだ」
 名乗る。すらすらと驚くほど澱みなく声が出る。間もなく、スピーカーからヤンの驚く声が返ってきた。遠い声だった。
「今、密命を受けた。しばらく単独行動をする。元気で……」
 咄嗟にしては巧みに嘘を付く。心臓が口から飛び出そうだった。
 そして、オーギュストに換わる。
「俺だ。俺の馬車の先行をやらせる。ああ、それは当てにしていない。しかし猫よりはマシだろう。まあ捨て駒を惜しむ必要もなかろう。ああ、伝えよう」
 通信機を着ると、逞しい腕が優しくランの背中に回る。
「俺の意向を何よりも尊重しろ、とさ」
「……」
「必然に従へ。馬車へ行け」
「うん」
 オーギュストの胸に顔を埋めて、ランは鼻にかかった声で頷く。

 小一時間後、館の裏口に、ナバール家所有の二頭立ての大型四輪馬車が用意された。
「幕僚並びに親衛隊の回復を最優先せよ」
「御意」
「然る後、速やかな全軍の合流を図れ」
「御意」
「カイマルクかサイアから指示があるまで、余の不在を内外にもらすな」
「はっ」
 残った士官たちに指示を与えると、馬車に乗り込む。
 車内の内装は、木目の美しい重厚なオークである。前部の壁の中には魔法のように効率よく水回りが纏められて収まって、後部には、白い座席が馬蹄形となっている。
 ランが扉を閉めて、内側から鍵をかける。閉めると扉自体が水回りの一部となる。一切の無駄のない極小の密室となった。
 オーギュストは、座席の奥に寝そべる。それをランが立ったままじっと見下ろす。
――これまでにも、こんな状況は何度もあった……。
 鼓動が早鐘のように轟く。熱く滾った血が頭を回っているようで、脳が鈍く痺れている。
――いつもなら、ここで剣術の稽古が始まる。でも……今は……。
 喉が鳴るほどに、唾を飲み干す。
 馬車が動き出して、少しだけランの頭が揺れた。そのせいで視界が前後に不安定に揺れていた。
――必然……確かな現在(いま)……!
 出会いから今までの出来事が走馬灯のように駆け抜ける。
 蜜蝋の石鹸(37章参照)、シャワー室での稚拙な自慰と香子とのレズ行為(46章参照)、座薬(57章参照)、サリス闘神大神殿での禁固刑(65章参照)、繰り返す悪夢と手慣れた自慰そしてアンとレズ行為(68章参照)、仮設トイレでの妄想と烈しい自慰(68章参照)など、どれもが必然への原因だったのだろうか……。
――あれも、これもだ……!
 積み上げた想い出は、オーギュストの言葉通り、この瞬間のみへ真っ直ぐに進んでいた。どれ一つ欠けても、この瞬間は訪れなかったかもしれない。そう思った時、脳が沸点を越えた。蕩ける思考の中で、抱いた答えは早く楽になりたい、だけであった。
 そして、雨合羽を脱ぐ。
「……」
 軍服のスラックスを予備のスカートに変えている。その裾を徐に持ち上げた。ショーツを穿いていない。引き締まった脚と割れた腹筋、その間に茂みはなく、可憐な割目が微かに見えている。
「はあン」
 吐息がもれた。頬が火照り、瞳が潤んでいる。
「ううう……」
 オーギュストが手招きする。それだけで涙が零れ、嗚咽がもれた。身も心も歌わんばかりの歓喜で満たされている。
 今すべてを覚った。自分が、どれほどこの順番を待っていたのかを。何度手淫をし、幾晩妄想を繰り替えしたのかを。それなのに、幾度も幾度も順番を飛ばされてしまった(アンのこと)。
 封印を解いた心に、嫉妬の炎が迸る。しかし、それももはやこの一刻だけのこと、一歩前に踏み出せば、この思いは忽ちに報われるのだから……。
「っ……」
 脚を動かした際に、秘裂から熱い滴が内腿を這い落ちていく。
――もうこんなに濡れている……。
 自慰ではありえないことだった。
「暑い」
「じゃ脱げ」
「うん」
 馬蹄形をしたソファーの中央まで進むと、オーギュストの手が伸びて、スカートのベルトを外し始める。
「はぁはぁはぁ……」
 ランは息を弾ませて、シャツの釦をもどかしそうに外す。蒸れた空気が顔に吹き上がって、ムッとする。
 一糸まとわぬ姿となった。
 荒い呼吸をするたびに、鍛え上げた広い肩幅が軽く上下し、スズメバチの胴のように細い腰に固い腹筋が刻まれ、小柄な臀部がぐっと釣り上がった。
 一切無駄のないスレンダーな身体が、冷たい人工の光に照らし出される。浮き上がった肋骨の上に、筋肉化していないお椀を伏せたような乳ぶさがある。大き過ぎもせず、かと言って、小さ過ぎもしない。瑞々しい膨らみの頂には、実り始めた野苺のように薄紅色の乳首が堅く尖っている。
 まるでブロンズ像のように美しい。
「さあ、おいで」
 オーギュストは、そっとガラス細工を扱うように優しく誘導する。
「ああ……ようやく……」
 ランは熱に魘されたように崩れ落ちた。
 中央のテーブルが座席の下に潜り込み、床から、座席と同じソファーがせり上がって、一枚のベッドに変わった。
「これがぁ……あたしの運命のベッドなのね……」
 そして、一人、感極まったように淡いピンク色の囁きを発する。
 青味掛かった室内に月明かりが、小さな窓からレースのカーテンのように差し込む。
 月の淑やかな光は、うっすらと汗をかいたランの裸体をいっそう白く輝かせる。
 オーギュストの手が、裸体を這う。
 水の雫を弾く、白くなめらかな肌だった。
「あああン」
 ランは甘い声で鳴いた。その瞳は、淫らな熱を帯びている。そこにはボーイッシュな雰囲気は残っていない。
「綺麗だ」
「……嬉しい」
 素直に喜びを表して、オーギュストの肉体にしがみ付く。
「ふぅあぁ……あん」
 首筋に口付けをされて、身体がピクリと跳ねて、吐息が音楽のように室内に響く。
 乳首を咥えこまれれば「ううん」と低く唸り、吸われれば「はぁん」と鼻にかかった声を出し、舌の先で乳首を転がされれば「ひぃーーん」と糸を引いたような奇声を上げた。
 オーギュストは楽器を奏でるように、さらに乳首を甘噛みし、もう一方の乳ぶさを揉み解し、その弾力を堪能する。
「ううッ」
 ランは熱く呻きながら、美しく広い背中をくねくねと波打たせ、締まって細い腰をもじもじと捩じらせて、さらに、手足を蛸のように巻きつける。
「んんッ……」
 オーギュストは、乳首を指先で摘みながら、次第に、舌を白い張りのある肌の上を這うように下りていく。
「あぁ~~ぁ、あぁ~~~ぁ」
 燻ぶる官能に焦れて、地を這うような畝ねる声をもらす。
 オーギュストの舌は、臍を経て、無駄のない下腹部を通り過ぎると、急に方向を変えて、細い脚の内側を舐め上げる。
「あ……ああん」
 苦悶するように、ランは髪を掻き毟る。
「ふふ」
 オーギュストが笑う。
 こういう時の対応を、ランは心得ている。
「はぁん、お願いします……もう、もう……」
 自分で秘唇を指で開いた。処女独特の甘酸っぱい匂いが、ぱっと広がり、嗅覚を心地よく刺激する。
「ひゃうっ!」
 唇が触れて、ランは頭の先から抜けるような甲高い悲鳴をあげた。
 女の急所を大きく舐め上げられる。まるで脳を直接舐められたような、ざらりとした感触が神経を犯し、指では到底比較ならない快感を味わえた。
「ううぅ、わぁああん」
 啜り泣きとともに、さらに愛液が滲みである。
 オーギュストが、ずずっという音を立てる。
 女の花びらが口の中に吸い込まれて、まるで熟れた果実の汁を啜るように、蜜壺から愛液を吸い取られていく。
「いやん……ヘンになっちゃう……」
 媚びた甘ったるい声を放つ。
 さらに、クリトリスを舌先で突かれる。
「それっ、そぉれっイイぃっ!」
 ランは見悶えて、絶叫し、最初の絶頂を訴えた。
「はぁ、はぁ、はっ、はぁ、はぁ……はぁん」
 余韻に浸り荒い息を吐き続ける。その時、オーギュストが、秘唇から口を離して、膝立ちした。
「ランは淫乱だな」
 見下ろされて言われた。
「……」
 しかし、この状況では何も否定できない。
――そうよ、ぼくはHな女……。
「男の物が好きなんだ」
「……違う」
 そう違う。あなたの物が好きなのだ。
 目の前にそそり立つ一物を、頬を染めながらじっと食い入るように見詰める。そして、おずおずと手を添えて、喉を一度鳴らしたあと、一気に呑み込む。
――好き、好きなのっ!!
 ランは嬉しそうに夢中でしゃぶっている。ぎこちない稚拙な動きだった。
「おいおいそんなにがっつくなよ。逃げやしないさ」
 オーギュストは、ランの髪の毛を優しく撫でる。そして、手を伸ばして、ランの秘唇を刺激する。
「しゃぶりながらどんどん濡れていくぞ」
 クリトリスを摘み、ぎゅっと抓った。
「こうされるのが好きなんだろ?」
「あひっ! 死んじゃう……アア…ひあっ……ダメェーーッ」
 鍛え抜いた腹筋をガチガチに緊張させながら、潮を水鉄砲のように吹き出す。
「どうして欲しいのか、はっきり言ってみろ、ランちゃん」
「おっ…お願い……します……ぼく…もう我慢できません」
 糸が切れた人形のように、ドサリと白い革のベッドに沈む。そして、自分がまき散らした水たまりの中から顔をもたげて告げた。
「……犯して…下さい……」
 消え入りそうに小さな声だった。
 従順に答えた時、やっとわかった。今まで執拗に反発していたのは、一度気を許せば、抜け出すのが難しいほどにのめり込む、と本能で知っていたからなのだ。それほどに肉体の相性がいいのだ。
 ランはうつ伏せとなり、膝の裏に手を入れて、脚を開く。
「いい子だ」
 内腿を猫の手で丸く撫でてから、腰を押し付ける。
 膣口は、水源のようにぬるぬるだが、その奥はきつい壁にきっちりと塞がれている。
「うぅ、がが…ぁん」
 眉間に皺を寄せて、苦しそうにひしゃげた声で呻く。まるで身を二つに裂かれたような衝撃が走り、烈しく弓なりに身を反らした。
「息を吐いてごらん」
 優しく言うと、ランは素直に従う。吐き出された熱い息とともに、男根の先端が、未踏の地へぬるりと侵入してくる。
「はあっ、あぅ…んんん…ンンンンンンっ!」
 処女膜を破られた衝撃で、上体を仰け反らして、まるで雌豹のように咆哮する。そして、瞳に涙を浮かべて、左右に頭を振った。光沢のある髪が顔にかかる。
 オーギュストは、そのシルクのような手触りを楽しむように指先で払い除けてやる。そして、燃えるように火照った頬へ舌を這わせて、目元にひっそりと佇む滴を掬い取る。
 乙女たちの苦悶の表情は、いつも新鮮で心を躍らせる。
 クチュクチュ……。
 浅い部分をゆっくりとかき混ぜるように動かして、徐々に馴染ませていく。
「はぁん、アン……」
 少しずつ苦痛よりも、快楽が勝り出した。
「こ、こわいよぉ……。知らないぼくが出てくる……。」
「大丈夫。可愛いよ」
「……」
 褒められた時、下腹部の奥がきゅっと収縮するのを自覚する。柔らかな膣肉が爛れて、固い肉の塊に、とろけたチーズのように絡まるようだった。肉と肉の一体感はさらに高まり、全身を甘美な肉の喜びが駆け巡る。
「あはっ、あっ、ああん、あはぁん……」
 凛々しい口をめくり、乱れた喘ぎ声を乱発する。
「もっともっと突いて! ぼくを無茶苦茶にして!!」
 ランは最後の一線を越えた。
 オーギュストは、ランの髪を掴み、ぐいっと腰を押し込む。秘唇が、肉根を飲み込んでいく。
「誓いながら、吠えろ」
「誓います…誓いますっ! 身も心も永遠なる忠誠を捧げます。ですから、ハーレムの一員にお迎えください。いくぅううう!!」
 忠誠の言葉がランの脳裏に焼きつく。目の前がちかちかして真白に輝いていく。自分が完全に落ちたことを自覚すると、さらなる被虐の炎が燃え上がった。
「あああ……また、また、いくぅううぁああん!」
 さらに過激に喘ぐ。その顔は淫靡な悦びにまみれ、だらしなく開いた口からは、涎すら垂れている。

 その日、ランが目覚めたのは、昼近くだった。ずっと二人はベッドから出ず、常に肌を重ね続け、互いの性器を貪り合った。
「……もうこんな時間かぁ」
 早朝の稽古をサボってしまった。午前の稽古はしなければならない。一度も欠かしたことはない。だが、どうしても起きる気がしない。全身がただただ気怠く、重く、象のように鈍い。
 暗い窓ガラスに自分の姿が映っている。
 ボサボサの髪で、身体は無数の絶頂の汗で汚れ、股間には怪しげな液体が乾いてぱりぱりとなって貼りついている。颯爽とした女剣士の姿とは到底思えない格好である。
 オーギュストが戻ってきた。
「ほら、スープだ」
「うん」
 とても美味しい。乾いた身体に生き生きとしたエキスが染み渡っていく。
「こんなの初めて」
 やや舌足らずに答える。
「ランちゃんはお洒落だね――」
 オーギュストは、落ちていた下着や軍服を片付けながら、耳元でささやく。
「軍服の着こなしも上手いし、インナーのセンスもいい」
「うふふ」
 ランは満更でもないように微笑む。
「あたしね――」
 それから、ランは好きな色や好みのブランドなど、ファッションについての拘りを長々と取り留めもなく話し続けた。
「そうなんだ」
 オーギュストは黙ってそれを聞いて、時折優しく相槌を打った。
 喋り付かれた頃、ランは「好き」と自分から口付をした。
「」ねえ、あたし陛下の女?」
「そうだよ」
「へーえ」
 くしゃっと顔を崩して、照れ笑う。
「だからほら」
「うん」
 促されて、ランは尻をオーギュストに捧げるように向け、片脚を高く持ち上げた。
「おチンチンが奥まで届くッ! 気持ちイイっ!!」
 二人は後側位の格好で交わる。
 ランの膣穴が、男根を深々と呑み込んでいる。オーギュストは抽送せず、腰を緩やかに動かして円を描く。膣穴の奥深くでは、男根の先端が、じっくりと子宮口をなぞって、少しずつ広げていた。
「あうぅ、ンん、あううん」
 ランは全身がドロドロに蕩けるように、肢体を投げ出している。その瞳は焦点を失い、獣のように呻く。口からは涎が、膣からは愛液が止め処なく溢れていた。
「何処がいいんだ」
「オマンコよ。オマンコ! オマンコが最高なのっ!」
 もうなんの躊躇いもなく、卑猥な言葉を口にした。快楽に溺れた。肉欲の虜となった自分が凄く魅力的に感じられた。
 十分に濡れたところで、オーギュストは男根を引き、膣穴の浅い分で、激しく出し入れした。カリ首が柔らかな膣肉を削るように掻いた。
「あ、ああッ、イクっ、イクっ、イクっ、イクっ……あ、あーーッ!!」
 狂おしく見悶えながら、絶頂とともにガタガタと痙攣を起こした。
 結局、ランはその日稽古をサボった。

 日中、馬車が小さな町の中を進む。
 貴族の馬車が珍しいのだろう。子供たちが走りながら追いかけてくる。
「いっ……いやぁあああっ!!」
 ランは目を剥いて、激しく身体を揺すった。
 マジックミラーになった窓から、町の日常の風景が見える。男たちは日陰でたばこを吸い、女たちは買い物かごを下げて雑談に花を咲かせている。
 そんな中で、二人はセックスしていた。
 激しく尻を打ちつけられて、ランの腕が折れる。四つん這いから上半身をベッドに押しつぶした。腰を硬く掴まれているから、自然と尻を高く突き出した格好となった。
 まさに犯されている感じがする。
 この姿勢で、後ろから下へ、先端で膣肉を擦り、まるで削るように強く深く衝かれると、男根の先端が膣の前壁を擦り、パチパチと快感が背筋を駆け抜ける。
 何とかその場から逃れたい。だが、オーギュストにがっちりと腰を押さえられて動く事はできない。
「ほら、みんな見ているぞ。もっとサービスしてやれ」
 男達の好奇に満ちた目が、女達の蔑む目が、ランを棘の鞭のように叩く。
「いやぁーーん!」
 羞恥心で心が壊れていく。だが、破壊の中から生まれる感情がある。
「見られている。みんな見ている。ああ…たまらない…助けて……ゾクゾクする」
 息も絶え絶えに、泣き喚いた。
「気持ちイイ。恥ずかしいはずなのに……ああ…視線がぼくのすべてを舐め回している。もっと見て……ぼく人前で発情している」
 ランはもう止まらない。
「ああ……来る、来るのぉ……ギュス様、嫌ぁあああああ、来るよ……ひぐぅう……ぅうぁあああ」
 一段と激しく乱れる。
 オーギュストは渾身の力で打ち込むと、ぴたりと止まる。動から静へと巧みに使い分けている。
「ひぃッ」
 ランは息を詰まらせて、全身をわなわなと震わせた。まるで地を這うように爪を立ててベッドを掻き、もどかしげに腰を揺すり、脚をじたばたと蠢かせる。
 次の衝撃までの僅かな時間に、満足感から焦燥感へと心を激しく揺り動かし、じわりと汗の玉を、瑞々しい肌の上に浮かび上がらせた。
「絶頂く、絶頂くぅううううううう!!」
 髪を振り乱し、全身の汗を飛び散らせると、さらなる絶叫へと上り詰める。
「うぁああああああっっっ!! 絶頂く、絶頂く、絶頂っちゃぅううあああああああああ!!」
 そして、メスの本性そのままに最高の絶頂に達した。
 オーギュストは、それを見届けると、精液を子宮にぶちまける。

 カイマルク郊外の古い修道院の地下。仄暗い空間に、小気味良いワルツが流れる中、男女の熱気がムンムンとむせ返っている。
 長椅子では長い煙管で煙を吸う淑女、博打に興じる紳士たち、そして、それらを縫うように鮮やかな原色の酒を運ぶバニーガールたち。誰もが寓話的で凝った衣装をまとい、仮面で顔を隠している。
 ステージの上では、ボンデージ風のボディースーツをきた修道女たちが躍っている。
 そこに、新手が現れる。
 妖艶なメイクに蝶の仮面で目元を隠しているが、際立った眉目麗しさを感じさせた。また、弾けんばかりの瑞々しい裸体を、刺激的なビスチェでTバックのタンガで包み、シームストッキングとエナメルのピンヒールでしなやかな長い脚を飾っている。
 足の長さが、腰の細さが、明らかに違う。すぐに修道女たちは、逃げるようにステージを下り、その女の独壇場となった。
 くびれた蜂腰を左右に捩じって、小さな尻をくねくねと振る。全身で、淫靡なムードを醸し出していく。
 会場の誰もが、はっと息をのむ。
 その時、死神の衣装をまとった男が後ろに立つと、鎖で女の腕を縛って吊るす。
「ああ……ン」
 女は羞恥に喘いだ。そして、股間の疼きに抗いきれずに、太ももと擦り合わせ、もの欲しげに尻をうねらせる。
 下着が剥がされ、脚を開かされる。
「あ、ああ、やめてぇ……そこはだめぇ!」
 甘くよがり泣き、必死に拒絶の声を発するが、薄紫色の菊の蕾を指先で弄らせると、忽ち感極まった。
「はぁああん、感じる、すごく感じる! 感じちゃうのッ!!」
 モラルを逸脱した女は、あられもなく尻を突出し、もっともっとと乞い願う。
「あ、ああーーー、いくぅぅぅう!!」
 深く指を入れられると、指を食い千切らんばかりに、万力のように締め付けた。
 そして、全身をぶるぶるっと雷に打たれたように痙攣されると、最後の穴を開いて、透明な小水を勢いよく放出する。興奮し切った人々に降り注いだ。
「あ~ぁ、なんて汚らしい女なのぉ」
 肌に突き刺さる好奇な視線に、おぞましいほどの悦楽を感じる。堕落と背徳感は底が抜けたように、何処までも深まって、煌びやかな眩暈に襲われた。
 ランは、恍惚とした笑みを口元にたたえ、仮面の奥で薄気味悪く白目を剥くと強烈なエクスタシーを極めた。

 マジックミラーの向こう側で、仮面の男女が乱交している。その光景を、腰を高く持ち上げて、身体を折り畳み、足首を顔の両脇に下ろした、所謂マングリ返しの格好で眺めている。
「初めは?」
 秘裂に眩い光を当てられて、じっくりとその形を鑑賞されながら問われる。
「初めてのオナニーは、第3次トラブゾン会戦の頃で、浴槽で眠っていたら淫らな夢を見て、そのまま試しに触ったらとても気持ち良くて……」
 顔を真っ赤にして、答える。
「じゃ、今はどのくらい?」
「毎日です」
「何処が好き」
「クリです」
「何を想う?」
「陛下です。陛下とハーレムの方々です」
 ある時はライラ……。
 ある時はキーラ……。
 ある時はサンドラ……。
 ある時はマルティナ……。
 そして、アン……。
 さらに極め付けは、アフロディースだろう。
 次々に警護の最中に垣間見たアヘ顔とその痴態が脳裏に浮かぶ。
「悪い子だ」
 ピシリ、と尻肉をはたく。
「ひぃ」
 悲鳴とともに、割目からトロリと蜜が零れ落ちていく。
「だが、よく告白した。褒美をやろう。こい」
「はい」
 オーギュストの腰の上で、ランは腰を振り続ける。リズミカルに腰を律動させ、巧緻を尽くし、己の女肉をもって奉仕している。
「んん……っ……はぁ」
 肉襞をきゅっときつく収縮させて、不埒な侵入者を食い千切らんばかりに締め付ける。
「ああン、固い……」
 膣奥に、ハンマーの頭部を感じた。こんなものが暴れていて、柔らかな内臓が耐えられる筈がない。女肉の陥穽の底を今にも叩き壊して、下腹部に拳のような膨らみが出てきそうで怖い。
「ぁぁ……止まらない……」
 それでも、ぐりぐりと子宮の入り口をかき回される感覚は、得も言われぬ快感を与えてくれる。
 くっちゃ、くっちゅ、ちゅちゅ……
 淫肉は自在に形を変えて、すっぽりと包み込む。そして、愛液を溶けたバターのように滴らせて、淫靡な湿った音が鳴り響かせる。
 自分の肉体が、この卑猥な肉塊に馴染み、心が肉の悦びを強く欲していると諦観する。
「もっとぉもっとぉ……気持ちよくしてぇ」
 うっとりと瞳を濡らし、乳ぶさまでも桜色に染めて腰を前後に揺すり続ける。
 肉欲は際限なく昂ぶり、子宮を叩く衝撃は脳天まで突き抜けて頭を真っ白にし、巨大な笠が膣肉を抉る感覚に総身が炎のように熱くなる。
「あああん、いい、いいわ!」
 声を上ずらせて喘ぎまくりながら、オーギュストの腹の上にぷっつりと突っ伏す。
「いっしょに、一緒にきて……」
 切なくも狂おしい媚びた声で、せがむ。
 オーギュストはそっとランの頭を抱いて、優しく髪を撫でる。
「秘そう」
「え?」
 朦朧とする意識で呼応する。
「この関係を偽ろう、ランちゃん」
「ど、どうして?」
 荒く息を弾ませて問う。
「真実は必ず霞む。しかし、秘密は磨かれて輝く」
「……」
「俺を信じろ。もっと気持ちよくさせてやるから」
 いきなりオーギュストが下から突き上げた。
「ひゃぁあ~ん、もっとぉ突いてぇ突いてぇ」
 ランは首をのけぞらせて、獣のように喘ぐ。
「いいな、ランちゃん」
「あ、はい」
 尻肉を掴まれ、猛烈な速さで出し入れを繰り返される。何時しか、その指先はアナルをなぞっている。もう如何にもならなかった。縋るような声で頷く。
「あ、ああッ、イクっ、イクっ、イクっ、イクっ……あ、あーーッ!!」
 腰をガクガクと痙攣させ、背を山のように大きく波打たせて、ランはイキ狂った。


【7月下旬】
――アルテブルグ。
 シャイニングヒル宮殿は、時が止まったように閑散としていた。
 そこに衣装の派手さを競い合っていた貴族たちの姿はなく、威厳のある髭の伸ばし方を探求していた武人の姿もない。玉座には、ひとりヴィルヘルム1世がいた。
 その表情は穏やかで、窓から迷い込んで来た小鳥の囀りを面白そうに聞いている。
「この虚栄の宮殿にも、雀(そち)はおったのか。無意味な雑踏のせいで、その美しい声さえも聞こえなかったとは、『エリーシア髄一の優雅さ』が聞いてあきれる」
 小さく微笑む。
「だが、広い大広間に、今は余とそちしかおらぬ。風流ではないか」
 そして、大きく口を開いて笑い上げた。
 その時、軍靴の踵を鳴らす音がした。
「麗しきご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じ奉ります。御前に侍りますは、ザシャ・トニ・フォン・フォイエルバッハ予備役准将にございます。大暑の折り、陛下におかれましては、ご機嫌うるわしく大慶に存じ奉ります。
幾久しく王国の繁栄あらんことを、女神エリースに祈念申し致します」
 武人らしい堂々たる声が響き渡る。
「うむ、大儀」
 ヴィルヘルム1世は逃げる雀を静かに見送った後、老将に対して鷹揚に頷く。
 フォイエルバッハは、白髪に、やや角張った厳つい風貌をしている。齢は六十を越えているが、かつては黒騎士と呼ばれた一騎当千の戦士だった。常に背筋が伸び、軍服を巧みに着こなし、貴族出身の将官として威厳に富んでいる。
 ソルトハーゲン街道巡回軍に所属していたが、勝手に『ソルトハーゲン大聖堂の戦い』(68章参照)を起こしたとして、宰相ジークフリードに処断され、退役していた。
「長年のご厚情に報いんがため、罷り越しました」
 そして、今、僅かな義勇軍を率いて、アルテブルグに駆け付けていた。
「これを授けん」
 ヴィルヘルム1世は、元帥杖を与える。
「汝は、これよりアルティガルド髄一の忠臣である。存分に働け」
「畏まりました」
 こうして最後の儀式が終わった。

 フォイエルバッハは、役人を王都中に走らせて、警察、門番、夜警、要人警護などなど戦いの心得のある者をすべて数え直した。しかし、その数は5千を少し超える程度だった。
「上々だ」
 名簿を提出する役人の顔は真っ青になっていたが、自信たっぷりに強く言い放つ。
 これらを集めて、城門に陣取らせた。
「そこの若い奴は配送役だ」
 士気だけは旺盛な若者を指差し言う。
「その律儀そうな連中には槍をやれ」
 農村から出てきた労働者たちは、一纏めにして名が槍を持たせた。
「経験者は弓を持て」
 警官や退役兵士たちには、弓を与えた。
「その独活の大木はクレーンを動かせ」
 そして、屈強な図体をした男には、クレーンの動力を任せた。
 経験に裏打ちされた確かな洞察力で、この雑多な人材を適材適所に配した。こうして如何にか防衛の準備を終える。

「どうか、戦えるか?」
「無論でございます」
 フォイエルバッハが白い頭をヴィルヘルム1世に下げる。
 ヴィルヘルム1世は、宮殿を出て、城門近くの広場に玉座を移していた。彼の周辺を誉れ高い紫紺騎士団が守っている。
 その時、都中の教会の鐘が鳴った。教会には多くの市民が集まり、一心に祈りを捧げている。
「この厳かな音色を鳴らす者たちへ安らぎを与えよ」
「御意」
「伝国の宝剣を与える」
「有難き幸せ。剣に見劣りせぬ働きをご覧にいれましょう」
 鞘と柄に豪華な装飾を施された大剣を下賜した。

 次の朝、地平線の彼方から農民の歌う歌が轟く。
「村祭りと戦争の違いも分からぬ輩ばかりだな」
 顔を歪ませて苦笑し、髭を撫でる。
 昼前に、ついに反乱軍が押し寄せてきた。
「おおお、まさに蝗の群れだな、わははは」
 野を埋め尽くす大群を見て、豪快に笑った。
「おお」
 そのよく通る声が、恐怖に震える寄せ集めの兵の心を奮い立たせる。フォイエルバッハには、『この男に従えば勝てる』という希望を抱かせるオーラがあった。
「死に場所はここぞ!」
 黒い人の塊から、アメーバのように幾つかの触手を伸びた。バラバラの武装をした反乱兵が、嬉々とした雄叫びを上げて城壁に迫る。しかし、練度が低いために、進撃する速度は揃わず、かなりの差がある。
「先頭へ、矢を一点集中」
 フォイエルバッハの命令が飛び、城壁から矢が雨のように注がれた。
 忽ち、一番勢いがよかった触手の先端が、微塵切りにされたように細かく分裂して、忽ち組織的に壊死してしまう。
「おお! 見たか、農奴どもめ!!」
「まだだ。次、急げ」
 興奮する兵士たちを叱責し、新たな目標に向かって、部隊を移動させ、矢を補給し、一斉に弓矢を注ぐ。
 反乱軍の突撃を、数度防いだ。しかし、反乱軍は無限の回復力を持つ怪物である。無駄と思える血の突撃を繰り返してくる。
「矢を寄越せ」
「弦が切れた……」
「腕が攣った……」
 次第に矢の補給が間に合わなくなり、弓が傷み、将兵に疲れの色が見え始めた。その間も反乱軍の突撃は止まない。徐々に、反乱軍は城壁に肉薄し始めた。
「怯むな! ここが正念場ぞ!!」
 フォイエルバッハが声の限り叱咤激励する。
 城壁に梯子がかかり、反乱兵が昇ってくる。
「槍部隊、敵兵を叩き落とせ!」
 城壁の上から、下方へバタバタと槍が衝き出されて、一人また一人と落下させた。それでも、梯子を上って来るものが絶えない。
「油を流せ!」
 城壁の下に敵兵が殺到したのを確認して、クレーンに吊り下がっている釜を傾けて、煮だった油を注ぎ落した。
 阿鼻叫喚な悲鳴が轟いて、橙色の炎が地獄のように勢いよく上がった。そして、足場が崩れた梯子が、次々と倒れていく。
 夕刻、多大な犠牲を強いられ、攻城戦の足掛かりを失い、ようやく反乱軍は後退を始めた。
「えいえいおー」
 フォイエルバッハが勝鬨を上げて、将兵があらん限りの声で呼応した。
 しかし、この直後、予想外の不幸が起きる。
「おい起きろ」
「よい、そのままにしておけ」
「はい」
「よっこらしょ、ありゃ」
「元帥!?」
 フォイエルバッハが、通路に疲れて寝ている少年兵を避けようとして、転倒してしまった。その際、頭を打ったらしく、軽い脳震盪を起こした。ここで副官などが、フォイエルバッハを畏敬する余り慎重すぎる対応を取ってしまう。大騒ぎをして医者を呼び、丁重に担架で運んだ。
「おい、見ろ……」
 その担架と取り巻きたちの慌てようを見て、兵士たちが蒼白となる。
「元帥が戦死された……」
「もう城門は崩れているそうだ」
「徴兵された守備兵の大半は死んだそうだ」
「もう駄目だ……」
 あっという間に、全軍に噂が伝播する。

 翌朝、二度目の総攻撃が始まる。
 野を駆け、堀を渡り、城壁を上る。昨日のように激しい反撃はない。次々に兵が城壁をよじ登った。
「一番乗りじゃ!」
 あちこちから大袈裟な声が上がった。
 途端に物陰から矢が飛ぶ。すぐに農具の鎌や槌を改良した武器で叩かれて、追い出された。そして、礫を浴びせられる。
 城門を守る塔が陥落した。
「恩賞は想いのままぞ、進めぇ!」
「おお」
 城門が開かれると、雪崩を打って兵が押し入っていく。
 天井から槍が落ち、左右の壁から矢が飛び、床に落とし穴が開いた。侵入者を複数の罠が待ち構えていた。
 だが、反乱軍にとって、死んだ兵士も生きた兵士も、同じ捨石程度の価値しかない。屍を乗り越えて、絶え間なく兵が押し寄せる。
 槍が折れ、矢が尽き、落とし穴が屍で埋まっていく。

「もはやこれまでだな」
 徐に、ヴィルヘルム1世は立ち上がった。
「ここは危険です。お逃げ下さい」
 側近の騎士が跪いて進言する。
「無用だ。もはやこれまで」
 しかし、ヴィルヘルム1世は首を横に振る。
「……申し訳ございません」
 一人の騎士が泣き崩れた。
「それより誰か世に鎧を貸せ」
 そして、王冠を外し、王家の紋章が施された上着を投げ捨て、側近の騎士から借り受けた鎧をまとう。
「よく仕えてくれた。忠義の段、感謝の言葉もない。アルティガルドの長き歴史もこれまで。そち達もそれぞれ好きに致せ」
 そう言うと、制止しようとする側近たちを振り払って、一人無銘の剣を翳して乱戦へと飛び込んでいく。
 その後、アルティガルド王国が誇った紫紺騎士団は、鋼の剣が波打ち、鎧が砕け、美しい紫紺の衣装が真っ赤に染まり抜き、その命が尽きるまで戦い続けた。
 紫紺騎士団は全滅し、その遺骸は山と積まれた反乱兵の死骸に紛れて判別かつかなくなっていた。
 そして、ヴィルヘルム1世の消息を知る者は誰もいない。



つづく
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Date:2013/11/03
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Thema:18禁・官能小説
Janre:アダルト

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