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□ ほんの短い夏《序章前編》 □

――1――

――1――
 久宝2年、3月。
 この武家町の道は、苔むした石垣の上に白い壁が続き、小さな天守閣の乗った小山を風景に取り入れて、絵のように美しい。
 城下町には、まだ雪が残っていた。ようやく温かくなり始めた陽射しに一日照らされて、雪が消えた箇所は、雪解け水でぬかるみになっている。
 日暮れ近く、異様な風体の男が、足元を気にしながら歩いている。ボロボロの編み笠をかぶり、道中合羽と野袴は、擦り切れ、薄汚れていた。腰に差す刀だけが、どうにか武士の体裁を整えている。
「おい」
 不意に足を止めて、男は顔を上げた。
「ナぁ~ン」
 白い塀の上で、猫が尻尾を立てて短く鳴く。
「犬のように小柄で、濡れた猿みたいな顔の男を知らぬか?」
 猫は一度左右に尻尾を振って、小さな顎で、町外れの小さな橋を指した。
「そうか、ありがとう」
 男は、軽く会釈して、また歩き始めた。

 大木聡乃丞は、日当たりのよい縁側で、背中を丸めて胡座をかいていた。膝の上に、黄表紙本を広げていたが、さっきから視線は一行も進まず、ついに、ほいと放り出して、ゴロリと横になった。
 猫の額のような庭だが、里山で集めた野草が、やわらかい日の光りの中、爽やかな花を咲かせている。
 肘を枕にして、軒越しに空を見上げると、薄い布を広げたような雲で覆われていた。
「あーぁ、極楽、極楽」
 休みの日に、こうして寝転んで、ただ空を眺めると心が癒されるのを感じる。
――まあ俺の人生なんてこんなものさ。
 ぽっかりと空いていた胸の穴に、緩い風が吹き抜けていく。昔はここに、燃えるような思いが確かにあった。地元では神童と呼ばれ、都では大きな夢を抱いていた。その実現のために、どんな困難にも怯まず、果敢に挑み続けるつもりでいた。そう、あの荒波を越えて、大陸の奥深くまで邁進するつもりでさえいたのだ。それが今や、幻のように消えている。
――ああ、もしあの時……。
 過去を振り返り、締め付けられるような胸の痛みに耐えていると、背中に箒が当たった。
「ちょっと掃除の邪魔ですよ」
 妻のちえが、頭に白い手拭いを巻き、背中に子供を背負い、箒をテキパキと振りながら、ぞんざいに言い放つ。
 ちえは、五尺足らず(150cm)の小柄な女で、ころころとよく肥えていた。肌の色は白く、羽二重餅のように肌理が細かい。
 この肌にだまされた、と聡乃丞は心で嘆く。
 しばらく無言を通すことで抵抗を示していたが、頭の上で座布団を叩かれると、ついに重い体を起こした。
「ほら、明日は、御住職が来られるのだから、草をちゃんと毟ってくださいよ。先週から言ってるでしょ」
「はいはい」
 渋々と呟き、さっきまで観賞用だった庭に下りていく。
 四半刻も経たずに、辺りはすっかり暗くなってしまった。腰に激痛がある。もういいだろう、と顔を上げると、縁側に、またちえが立っていた。
「旦那様」
 よそ行きの声で、呼びかけられた。
「何だよ。今やってるだろ」
 鍛え上げられた防衛本能が、そう叫ばせる。
「お客さんです」
「へえ」
 意外な言葉に、声が裏返った。
「誰だ?」
「それが知らない人」
 ちえは、縁側に上がった聡乃丞の袖を引いて、不審そうにささやいた。
 聡乃丞は、恐るおそる玄関を覗いた。式台もない狭い玄関に、長身の武士が立っていた。
「どちらさまで?」
 頭は蓬のように乱れ、髭は伸び放題で、まるでタワシのような顔である。
「おお、ハジ」
 タワシの中から気さくな声がした。ハジというのは、古い渾名である。この地に、それを使うものはいない。
「もしかして、オースケか?」
 その声と笑う目に覚えがあった。弾むような声で名を問う。
「おおよ。上妻鷹佐よ」
 武士は、ざっくばらんに答える。
 俄かに、聡乃丞の目に涙が浮かんだ。そして、少年のように飛び上がると、その武士に抱きついた。
「オースケ!」
 腹の底から叫ぶ。

「何者なんですぅ?」
 台所で、猪口を二つ取り出す聡乃丞に、ちえがそっと耳打ちする。
「上池塾以来の友だ。イイ男だぞ」
「……」
 自分で言った『上池塾』という言葉に、聡乃丞は、身も心も痺れてしまう。それを訝しげに、ちえは眺めていた。
「あれって本当の話だったの?」
「……」
 信じられぬ、という目で、聡乃丞は、我が妻を何度も下から上へと見返した。
「あっ、あ、当たり前だ!」
 思わず声が上擦る。この女は、今まで俺の何を見てきたのだろう。妻が激しく遠く感じられた。
「それに、五年前の、あの時の仲間の一人だ」
 突き放したような口調で言う。
「ええ! 生きて帰ってこられたの!?」
 即座に、ちえは、心からの驚きの声を発した。
「しっ、失敬な。榊造酒之丞様の計画は、だ、な、完璧だったぞ」
「その割には、手ぶらみたいですけど?」
「そんなことは、……そーだな」
 夫婦は、ちらりと振り返って、狭い部屋の真ん中で胡座をかく、鷹佐を見遣った。
「絶対、海も渡らなかったのですよ。だから言ってたでしょ。無謀だって。命拾いしたのは、私のおかげですからね」
 恩着せがましい口調で言われて、聡乃丞は少しムッとした。
「もういい……」

「しかし、狭いなぁ」
 上妻鷹佐は、天井を見上げたり、奥を覗くような仕草をみせたりしている。6畳間が2部屋と玄関、台所と簡素な間取りで、床の間もない。
「まあ足軽長屋なんてこんなものよ」
 胡座をかく鷹佐の前に、聡乃丞が、熱い徳利を運んできた。そして、耳たぶを摘みながら、恥ずかしそうに答える。
「よく無事だったな」
 猪口に酒を注ぎながら、言う。
「ああ、何とか俺一人生き残った」
 鷹佐は、静かに頷いた。
「そうかぁ……ミキさんもか……」
「ああ」
「惜しい人だった……」
「ああ、熱い人だった」
 榊造酒之丞、石堀隼人助、刀根静四郎、犬飼段蔵、長谷川和哉、懐かしい顔が次々に盃の水面に浮かんで消えた。
 それから、聡乃丞は、膝を正して、深く頭を下げる。
「あの時は、本当にすまなかった……」
「止せ。あれでよかったのだ」
 鷹佐は、静かに微笑んだ。そして、脳裏に懐かしい光景を思い浮かべていた。
……
………
 夜、出航寸前に若い女性が現われた。
『聡様』
『おちえ……』
 聡乃丞は「すまん」と言い残し、船から飛び降りると、風のように駆けた。そして、美しい満月の下、赤い太鼓橋の上で、若い男女は激しく抱き合った。
………
……
「しかし、あの娘が、足軽の娘だったとはなぁ」
 また部屋を見渡して、堪らず笑いを吹き出す。
「まあ、人生には落とし穴があるものさ」
 聡乃丞は、ちらりと台所のちえを気にしながら、寂しく舌打ちした。それから、ケロリと口調を変えて、やきもきと探るように問う。
「それで、見つかったのか?」
「ああ」
 鷹佐は簡単に答えた。
「ほ、ホントか?」
 聡乃丞は、思わず身を乗り出して、もたもたと徳利を倒した。
「番小屋を見つけた」
「ば、ば、ば、番小屋、そっ、そっ、それは!?」
 鷹佐はあっさりと告げ、それから、木彫りの首飾りを懐から引っ張り出して、聡乃丞の前に放り投げた。途端に、聡乃丞は、躍り上がるように、膝頭を叩く。
「あうあう、古文書の記述通りだ!」
「耳長族の戦士にも会ったぞ」
「おお!」
 聡乃丞は、失禁せんばかりに身震いした。そして、声を異次元から絞り出す。
「そ、そ、それで?」
「それだけだ」
「へえ」
 魂を奪われたように、口を空けて、ぼんやりと鷹佐を見守る。
「大森林には、行かなかったのか?」
「ああ、そこが限界だった」
「そうか……耳長族は予想以上に野蛮か……」
「否、……まぁ話せば長い」
「そうか、そうか。ゆっくり聞こう。夜は長い」
 何度も何度も頷いて、聡乃丞は姿勢を戻した。そこへ、ちえが簡単な肴を持ってきた。そして、濡れた畳を見ると、みるみる目を吊り上げる。
「どうぞ」
 それでも懸命に感情を抑えて、武家の妻らしい仕草で肴をおいた。
「これはご新造殿に」
 鷹佐は、懐から皮袋を取り出し、色とりどりの金平糖を皿の上に流し出した。
「まっ!」
 途端に、ちえの顔一面が、満悦らしい笑顔でいっぱいになった。
「熱燗のお代わりをお持ちいたしましょう」
 軽い動きで、台所へ戻っていく。
「金平糖か。懐かしいな。ほら、都で出す店があったろう。あれは何て名前だったかな?」
「ああ、撒門屋だった」
「そうだ。そうだった」
 都での日々が、走馬灯のように過ぎる。
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Date:2012/04/21
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