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第十九章 恒産恒心

第19章 恒産恒心


【神聖紀1224年4月中旬、エリンパス台地“甘水峠の陣城”】
 空は青く澄み渡って、白い雲は高く積み上がっている。芽吹いた若草は、照りつける太陽に輝き、吹き抜ける爽やかな風に揺らいでは、初夏の香りを醸し出している。
 その上を一騎の騎馬が、慌ただしく駆けて行く。
「申し上げます。西の約10キロに、敵本陣発見!」
 騎馬は全速で木戸をくぐり、その脇に築かれた虎口を抜けると、土塁で囲まれた長屋の前で急停止した。そして、疲労した騎兵が転げ落ちて、荒い息で報告を行う。
「レイスの旗は?」
 すぐに、開け広げられた扉の奥から、司令官のパーシヴァル・ロックハートが飛び出てくる。
「確認しました!」
「レイスめ、何を考えている……」
 部下の即答に、ロックハートは眉を顰めて、怪訝そうに自問する。
「すぐに、総参謀長へ伝達――」
 そして、不安と疑問を薙ぎ払うように強く言う。と、その自身の声が契機{きっかけ}となって、皮膚を刺すような戦場の緊張感を、全身の全神経へと広がって行く。
 コリコス州とアーリス州を結ぶ街道は、エリンパス台地の草原を、軽いアップダウンと緩やかなカーブを繰り返して伸びている。その最頂付近には、約一キロにわたり空堀と土塁で囲まれた、シデ大公国軍の砦がある。数日前、州境を僅かに入った場所で、突然、哨戒部隊がカリハバール軍の軍勢を発見した。
 この付近は、カリハバールとシデ大公国の勢力圏がぶつかる危険地帯であり、敵が現れる事に何の不思議もないのだが、アルティガルド王国軍のランス侵攻を間直に控えたこの時期に、カリハバール側から戦端を開いてくるとは、ロックハートも予想していなかった。油断と言えば油断であろう。しかし、敵が名将のトルゴウド・レイスであれば「理不尽な戦術をしない」と、経験豊富な良将であればこそ、常識的な予測に硬直してしまった。

 オーギュストは、「シデ大公国建国の祝賀ムードで、浮き足立ち乱れた軍紀を引き締める」と、戦線へと出て来ていた。本心を垣間見れば、ナルセスと顔を合わせるのが、何とも気まずかったからであろう。兎も角、エリンパス台地に来て見れば、戦場の不健全な環境から、予想以上に伝染病が蔓延している事に驚く。高熱を伴う、このカリハバール発の伝染病を、オーギュストは“竜熱”と名付けた。そして、必然的に、野戦病院に詰めっぱなしとなる。
 野戦病院は魚の骨の形をしている。一本の大きな通路があって、その左右にたくさんのかまぼこ型の病室が並んでいる。オーギュストのいる病院長室は、背骨の先端、魚の頭の位置にあった。
 魚の背骨の中で、ラン・ローラ・ベルが、大人たちを巧みに避けながら、風のように走り抜けていく。
「総参謀長!」
 そして、まるで靴のエッジでも効かせるようにして横滑りして、ドアの前でぴたりと止まる。そして、軍服の乱れを正すと、息を整えてからドアを叩いた。ランは兵長待遇軍属の地位を与えられていた。気の利くランを、オーギュストは大いに気に入り、従卒として、身の回りの世話をさせている。
「こっちだ。ベロ」
 名前を間違えて呼ばれて、ランは左手の浴室のドアを開ける。暗い浴室の中で、オーギュストがぼんやりと浴槽に浸かっていた。
「どうした?」
「はい、司令官がお呼びです」
「そうか、5分待て」
 オーギュストは名残惜しげに、唸るように答えると、白い泡の溢れる浴槽から出る。
 裸のオーギュストにランは頬を赤らめたが、自分の仕事にぬかりはない。咄嗟に棚から白いバスタオルを取り、丁寧に手渡す。
 それで濡れた髪を拭きながら、オーギュストはランの前をすり抜けて病院長室へと消えた。
 ランは浴室のドアを閉めると、病院長室の前で待つ。その時、オーギュストの裸に動揺していた所為か、浴槽の中の水音に気付けなかった。
 それから、きっちり五分後に、軍服を着込んでオーギュストが出て来る。
「よし、本業だ。行くぞ」
「はい」
 オーギュストが通路を足早に進む。その後を、必死にランが追った。と、衛生兵や従軍看護士たちが次々に道を開ける。ある兵は最敬礼で、ある兵はその場に平伏する。まだ動けない兵は、ベッドの上で必死に体を起こして、頭だけでも礼をしようとしている。彼等の瞳は敬愛と憧憬の念に輝いて、まさにカリスマを見詰めているようだった。
 オーギュストは彼等に軽く手を上げるだけで、素っ気無く応じている。対して、その背に従うランの方は、自然と胸を張っていた。まるで自分自身の事のように誇らしい。
「総参謀長、そろそろぼくにも剣を教えて下さい」
 長屋の土間に入ると、ランが躊躇いがちに言う。
「それで、カリハバールの雑兵と相打ちになりたい訳か?」
「ぼ、ぼくは…そんな!」
 意地悪いオーギュストの言葉に、ランは不服そうに口を尖らせる。
「あははは、やっぱり男の子だな」
 オーギュストは荒々しくランの頭をかき回した。
「いいだろう。俺の足手纏いになられても困るしな」
「ほ、本当ですか!」
「ああ」
 淡々と答えて、オーギュストは司令室へと入る。
「あ、ありがとうございます」
 ランは閉まるドアに向かって、深々と頭を下げた。そして、うれしそうに二回転して、飛び跳ねる。

「将軍、やはりレイスか?」
 オーギュストは司令室に入るなり、ロックハートの肩を気さくに叩く。
「はい、間違いないようです」
 ロックハートは黒い瞳に全く私情を滲ませず、短く答える。
「案外、目立ちたがり屋らしい?」
「問題は彼の性格より、彼の任務と目的です」
「確かに」
 真面目に返答されて、オーギュストは気まずそうに喉を鳴らす。そして、何事もなかったように、地図を覗き込んで「ここか?」と指差した。
「シデ大公国軍の勢力圏を掠めて、我らの反発力と反応速度を観察するつもりでしょうか?」
「妥当な判断だが、陽動という可能性もある」
「陽動? なるほど、砦の建設ですか……ならばこの辺りか……ここならば、一時的にせよ、我らの足止めが可能です」
 オーギュストの短い言葉に素早く反応して、ロックハートはテンポよく議論を広げていく。その感の良さに、オーギュストは好感を持った。
「早速、斥候を放ちましょう。それから、シデに功城兵器の支援も」
 ロックハートの口から次々に対抗策が告げられる。だが、オーギュストは地図から目を上げず、小さく「ああ」と頷くだけだった。
「シデから援軍が到着するまでに、レイスの狙いを全て暴いて見せます」
 オーギュストが満足していない事を察して、一段と堅い口調で覚悟を述べる。
「それでは益々レイスを図に乗せる」
 ロックハートの黒い瞳がはっと光り、漠然とした期待に胸が高鳴った。
「折角の大物を目の前にして、指を咥えているような男を、上官などと呼びたくなかろう?」
「はい、兵も喜びます」
 戦士の魂が熱くなった。昇進後知らぬ内に、自分が消極的になっていたと知り、自分自身を笑い飛ばしたくなった。
「でかい武勲だ。俺たちで刈り取るぞ。うむ?」
 オーギュストは、ロックハートの顔に不敵な笑いを見つけて、また一層興味を感じた。
「エリプスからヴィルヌーヴが、こちらに向かっている筈だ。正確な位置を調べろ」
「はっ、直ちに。側面を突かせるつもりですね?」
「ああ」
「初めからそのつもりで、ヴィルヌーヴに指示を?」
「そのくらいの布石は、考えているさ」
 オーギュストは指示を与えると、実務をロックハートに任せて司令室を去る。その姿を見送りながら、ロックハートは感嘆したように、眉を上げた。それから、険しい表情を作り、部下達に向かう。
「魔術妨害を前面に展開させる。決戦だ。準備を急げ!」
 ロックハートの声は、昂奮で怒ったような調子になっていた。


【国境付近の戦場】
 二日後、国境付近の草原が慌ただしくなった。双方の兵力は五千前後とほぼ同数で、東にロックハート軍、西にレイス軍が布陣して睨み合っている。
「北側の谷をヴィルヌーヴ軍が迂回進撃中である。我らはその動きを悟られぬように、南側の左翼から攻め入る。各員の奮闘を期待する!」
 ロックハートは部下に説明し、戦闘開始を告げた。
 左翼に本陣を偏らせて、戦力を厚くするロックハート軍に応じて、レイス軍も戦力の大半を対峙させる。
 こうして、広い草原の中で、狭い範囲での戦いが始まった。
 最初は両陣からの矢の応酬、そして、槍部隊を前進させて小競り合いを行う。それからすぐに、ロックハート軍の槍部隊は崩れて退く。それに引き摺られるように、レイス軍は前進を強いられた。
 素早く、ロックハート軍は陣形を再構築して、特に本陣前を幾重にも固めた。それは上空から見れば、ワイングラスのような陣形であった。
 これは、攻めて来い、というロックハート軍の意思表示である。もし手を抜いて、レイス軍が弛むのならば、今度は厚くした戦力で一気にロックハート軍が雪崩れ込むだろう。
 今度はレイスが、どう対応するか、判断する番となった。そして、彼は全てを読み切った上で、より巧妙な用兵を駆使する。
 ロックハート軍の第一陣を、レイス軍の少数部隊が挑発的に攻撃する。損害は大局に影響するほどではないが、それでも無視し続けるには、精神的に耐え難い、絶妙なものだった。
「もう我慢ならぬ。あんな小勢、捻り潰せ!」
 歩兵の指揮官が怒鳴り、部隊を前進させる。
 ついに守備を固める歩兵の一部が引き出された。透かさず、その傷にレイス軍の少数騎兵が飛び込んで、持てる矢を連射すると、反撃する間を与えずに離脱していく。一方、誘き出された歩兵は、レイス軍本隊の矢に牽制されて、戻る事ができずに浮き上がってしまった。
 レイス軍の少数騎兵による一撃離脱作戦に、厚い守りのロックハート軍は、一枚一枚と剥がされていく。堅い守りの筈が、予想外にも脆く、前線の兵たちに動揺が走り始めた。しかし、朴訥なロックハートの影響なのか、声を出す指揮官も少なく、全軍が静かに重くなっていく。
 司令部では、痺れを切らした幕僚が、躊躇いがちに進言する。
「こちらも騎兵を出しましょう?」
 司令官席に座ったロックハートが、無表情に隣のオーギュストを見る。
「我慢比べだ。決して陣形を崩すな」
 肘掛に頬杖をしたオーギュストが答える。
「それにしても、案外ねちっこい性格のようだな」
 懲りずにレイスを茶化そうとするオーギュストに、ロックハートは敢えて何も答えない。
「……」
 長い沈黙が流れた後、何もなかったように、オーギュストは新たに問い掛ける。
「気付いているか?」
「何を、です?」
「馬は一回り大きく、脚も長い。さらに、馬術も中原と違って、トリッキーで桁外れに上手い。これはシェルメール騎兵だ」
「……では敵の主力は温存されていると?」
「レイスの狙いは、シェルメール騎兵で陣形を掻き乱して、最後はレイス麾下の銀鱗鎧騎士団で突撃するつもりだろう。こちらが陣形を乱さなければ、敵は動かん」
「……なるほど。その間に、ヴィルヌーヴが間に合うという訳ですね」
 その時、本陣にも流れ矢が飛び込んで来た。それに本陣は騒然となる。
「落ち着け。被害を報告しろ」
 ロックハートは立ち上がって、浮き足立つ幕僚達を注意する。
「しかし、あれを止めなくては、ジリ貧になる一方です……」
 幕僚が、苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「見苦しいぞ!」
 見かねたオーギュストが叱咤した。カフカならもっと兵を纏めただろう、と苦々しく思う。
「切り傷で死にはしない。本陣の遊撃部隊を使って、穴をうめよ。要はヴィルヌーヴ軍の到着まで、持ち堪えればよいのだ! 伝騎を出して、尻を叩け!!」
「お、おお」
 ロックハート軍の幕僚達は、直接オーギュストの指示を受けたのは初めてである。やや驚きながらも、弾むように動き出していく。そして、その声は、熱波となって、各部隊の兵士達の間を吹き抜けていった。滾った血が、頭にかかる不安や恐怖の靄を洗い流し、そのさっぱりとした空白地に、新しい戦意が奮い立っていく。
「北斜面に動く者あり……これは? 来ましたァ!」
「ヴィルヌーヴか、如何にか間に合ったな……」
 ロックハートが生き返ったように重い息を吐いて、席に座り直す。
 ジリジリとした守勢が続く中で、ようやく迂回行動中のヴィルヌーヴ軍が、北の斜面を駆け登って来た。だが、ロックハートが安堵したのも束の間、坂の上の要所にレイス軍の伏兵が潜んでいて、ヴィルヌーヴの進路を妨げる。ヴィルヌーヴは坂下で戦列を組み直して、低地から矢を射上げた。だが、上から見下ろすレイス軍に対して、如何せん分が悪く、一向に斜面を踏破できない。
「ヴィルヌーヴ、慎重な男だ」
 オーギュストが苛[いら]ついたように呟く。そして、リューフなら何を言わずとも、決死の突撃を敢行していた筈だろう、と密かに不満に思う。
「所詮、外様です。自前の兵を損ないたくないのでしょう」
「だが、このままでは埒が明かん。ヴィルヌーヴに、死んでも突破しろ、と伝えろ」
 本陣から伝騎が走り出していくと、オーギュストは「俺が出るしかないか」とぼそっと独語する。
 と、北から新しい軍勢が現れた。坂の上からの射撃に臆する事なく、斜面に取り付くと、一斉に集中する矢にも怯まず駆け登って行く。豪雨の如く降り注ぐ矢に、斜面を無数の死体が転げ落ちていく。だが、指揮官らしき男は先頭に立って、兵を奮い立たせ続け、決して前進を止めない。容赦ない攻撃に耐え、ついに、彼らの剣が冷酷な射撃手に届いた。そして、怒りの全てを一撃に託して、凄まじい斬撃をあびせる。
「あれは、ルブランのアレックス将軍です」
 ロックハートが先頭の旗を確認して言った。
「噂以上の勇将だな」
 破顔すると、オーギュストは掴んでいた兜を下ろす。武装の準備を手伝っていた兵たちに、安堵とも落胆とも判断できない、溜め息がもれていた。
「アレックス将軍に呼応して、全面攻勢に出るぞ!」
 ロックハートの勝利を確信した声だった。
 レイス軍は包囲される前に、素早く撤退を開始している。それを追撃しようとしていた。だが、防戦一方だった味方の兵は、即座に攻守を切り替えることができない。結局、レイスの追撃は諦めるしかなかった。

 この戦いの後、ロックハートの諜報部隊は、レイス陣の後方の丘で建設途中の陣地を発見する。
「この規模では、砦と言うより見張り台ですね」
 ロックハートとオーギュストは、木を組んだだけの粗末な櫓へ昇る。梯子を昇り切った上に、狭い展望台があって、ロックハートは柵から顔を出して、砦の全容を見渡すと、やや落胆気味に感想を述べた。
「そうだな」
 夕暮れの中、オーギュストは左手で甘水峠の陣城を指し、右手でカリハバール軍の拠点ランスを指す。そして、右足を僅かに蹴り出して、運河を示す。
「いい場所だが、これが狙いとも思えん」
「と言うと?」
「我が軍への牽制だったのだろう。守備体制が完成していない我々を一度刺激して、過剰に守りを意識させておく。その上で、カッシー方面とサイア方面へ、兵を押し出すつもりなのだろう」
「いよいよですか」
「ああ」
 その時、アレックスが梯子を昇ってきた。オーギュストは輝く笑顔で迎え入れると、堅く握手する。その後で、感謝の言葉を簡潔に述べた。しかし、アレックスは微笑の欠片も浮かべない。
「戦いはこれからです」
 オーギュストすら威圧しようとする、強い決意の篭った言葉である。
 アレックス・フェリペ・デ・オルテガの濃い茶の髪は、彼の戦いの日々を連想させて、より一層赤く燃え立つように見えた。また、こけた頬、目の下の黒いくま、そして、殺伐として目付きは、餓えた狼のような印象を与えている。
 父親は、初代アーカス王の弟で、シェルメール草原に隣接するニードス地方を治めていた。ニードス公爵、そして、鎮西将軍として、カリハバールとの戦いでは先鋒を務めたが、今次大戦での大貴族最初の戦死者となった。以後、後を継いだアレックスは、一族郎党を率いて、度重なる戦いに挑んできた。領土と家族を奪われ、そして、誰よりも長く戦場に立ち続ける男には、独特の哀愁と殺気が漂っている。
「あなたの言葉は重い。どうです。この地を預かって貰えないだろうか?」
「ええ?」
 アレックスは怪訝そうに眉を寄せる。
「この砦の司令官になって頂きたい。勿論、資金や物資はこちらで用意します」
「ご好意は有り難いが……」
 薄い笑いを浮かべると、首を横に振った。
「我が軍はご覧の通り、まだ防衛体制が整っていません。また、貴方も貴方の兵も非常に疲れているようだ。大戦を前に、ここで力を蓄えてみては?」
「分かりました」
 一瞬、迷ったが、アレックスは承諾する。そして、二人はもう一度堅く握手した。
 アレックスが去った後、オーギュストはランス方面を眺めながら、ロックハートに低く囁く。
「あの男を監視しろ」
「はい」
「それから、カッシーの動向も掴め。お前ならできるだろ?」
「はい」
 短いが力強い返事だった。それにオーギュストは満足する。
「念のために第二波を警戒はしろ。俺は峠の陣城に戻る」
「はっ」
 最敬礼するロックハートを残して、櫓を降りる。そして、砦の正門を出ると、どっと兵達が沸き上がって、何時までも、ディーンコールが鳴り止まなかった。


【甘水峠の陣城】
 夜、甘水峠の陣城を、アルティガルド軍のアーダム中尉が訪れた。アーダムは元々、魔法の剣を使いこなす、アルティガルド軍特務部隊の小隊長だった。しかし部隊はヴェガ山脈中の戦いで壊滅し、自身も深手を負ってしまう。その完治後は、アルティガルドに戻らず、シデでベアトリックスの指揮下に入っていた。
 城門で衛兵の検査を受けたが、その稚拙さに思わず舌打ちをしてしまう。そして、他国での生活、作戦の失敗などのストレスもあったのだろう、衝動的に衛兵の目を盗んで、忍び込んでしまった。そして、南側斜面の中腹、弓形の曲輪の一つにある野戦病院へと向かう。
「ここか……うぐっ!」
 病院長室へ、そのまま入ろうとしたが、見えない強い圧力で、押し返されてしまった。
「魔術アイテムを持っていると入れないよ。あんた誰?」
 右手のテントから、ランが出て来て、悪戯少年のような笑みを浮かべている。
「そうか……(そんなに甘くはないか)」
 アーダムはランに微笑みかける。心の何処かに、オーギュストを出し抜こう、とする気持ちがあったが、いとも簡単に打ち砕かれてしまった。もう笑うしかない。
 この病院長室は、三重の魔術結界が張られていて、外部からの干渉を完全に遮断している。さらに、オーギュストが一切の立ち入りを禁止して、ランさえも内部には一度も入った事がなかった。
「手向かうなら、ボクが相手になるよ」
 粋があるランに、くすりと口元を弛めると、「いや、いい」と囁いた。そして、丁重に身分と目的を伝える。
「アルティガルド軍所属、ベアトリックス顧問参謀配下アーダム中尉だ。ベアトリックス大尉からの荷物を持参した。シデ大公国軍総参謀長閣下にお会いしたい」
「それなら聞いていましたよ」
 ランはチャーミングにウィンクする。そして、手を出し、次に目で腰の魔剣を差した。アーダムは降参という風に苦笑すると、素直に魔剣を手渡した。
「遊ぶなよ」
 ランは魔剣を手にして、爛々と瞳を輝かせている。
「すげェ、これが本物の魔剣かよ~ぉ」
「おい、壊すなよ!」

 その頃室内では、オーギュストが大きな欠伸をしていた。
 野戦病棟は全て蒲鉾型のテントで、深緑色一色の殺風景な物である。病院長室の入口を入ると、狭い通路があって、その左右に隔離された薬品庫がある。そこを抜けると、雰囲気が一変する。市松模様の床に、カラフルな家具と観葉植物、そして、壁には大型の魔術通信機が鎮座している。
 オーギュストは豪勢な黒革のリクライニングチェアに座って、魔術通信で、マックスと雑談をしながら時間を潰していた。
「ロックハートは勘が鋭い。だが、ナルセスの鼓舞は天性だと改めて確信したよ」
「そうか、でも、お前でも出来ると思うぞ」
 雑音混じりの声で、マックスの声がする。
「俺じゃ、逆に反感を煽るさ。天才少年は、凡人には受け入れられないものだ」
 冷めた口調で、オーギュストがぼそっと呟く。
「そんな事もないだろう。度を越え過ぎた才能は、悪のカリスマを感じさせる」
 マックスの言葉に、オーギュストは思いっきり馬鹿笑いした。
 と、呼び鈴がなった。糸電話(小型の有線通信機)を起動させると、ランがアーダムの来訪を伝えてくる。オーギュストは「入れろ」と短く伝えた。
「ようやく、到着したよ」
「じゃ」
「ああ」
 マックスの返答に頷くと、魔術通信機を切った。
 その直後、アーダムが入室して敬礼する。そして、その光景に、思わずたじろいだ。
 オーギュストはダークブルーのサマーガウン姿で、その脚の間には小柄な少女を抱いていた。少女は、シデ大公国軍服の、明らかにサイズが合っていないシャツだけを着て、その裾からは細い脚がそのまま伸びている。
「こんな格好で申し訳ない。入浴の後なので」
 オーギュストが形だけの謝罪する。
 アーダムは唖然として、言葉も出ない。少女と目が合った。かつての上官と部下は、互いにすぐ視線を外した。
「シズカ、どうした?」
「い、いいえ……」
 オーギュストは後ろから抱き締めて、彼女の頭の上に顎を置いた。
「お前は可愛いね」
 それにシズカは頬を染める。
――どうなっているのだ……
 その純な仕草に、あの生意気だった以前の面影はなく、アーダムは軽い眩暈を感じた。自問するまでもなく、答えは分かり切っている。オーギュストの女になったのだ……
 シズカは傷が浅く、すぐにベアトリックスの配下に廻った。ベアトリックスは、戦術顧問という名目で、シデ大公国とオーギュストの監視が任務である。だが、オーギュストの視察に、ベアトリックスが同行するのは不自然であり、余りにも目立つという事で、代わりにシズカが同行する事となった。そして、オーギュストの甘い罠に絡め取られてしまう。
「では、実験を始めようか」
 オーギュストは立ち上がると、一度背筋を伸ばした。そして、アーダムから荷物を受け取ると、一旦薬品庫へと向かった。
 残された二人に、気まずい空気が流れた。
「元気?」
「ああ、お前は?」
「うん、なんとか……」
 初めは、ただ油断させるつもりだった。それで少し誘惑してみた。上司風を吹かせるベアトリックスが、余りにもオーギュストを特別だと評するので、それを手玉に取るのも悪くない、とほんの軽いノリだった。男なんて簡単だと疑いもしなかった……
「お前にも見せてやる。付いて来い」
 オーギュストが部屋の中を縦断する。
 言われて、アーダムもあたふたと付いて行く。左胸に未経験の痛みが走って、不覚にも戸惑っていた。
 遅れてテラスに出ると、オーギュストが一羽のカラスを駕籠から出す所だった。完璧に調教されているらしく、逃げも暴れもせず、じっと指示を待っている。
「コードはaaa08260と」
 密封容器を床に置くと、密封容器の封印を解く。そして、分厚い皮手袋を使って、慎重に容器の蓋を開いた。
「こいつは、ベアトリックス殿に用意してもらった。愛用の物を先日、カッとなって破ってしまってね。やっぱ魔術遮断手袋(アンチマジックグローブ)はアルティガルド製に限るな。ヒネズミの革だっけ?」
 饒舌に語りながら、オーギュストは手際良く作業を進めている。
 容器からは白い煙が溢れ出て、床タイルの上に沈んで広がっていく。オーギュストは手袋をふつふつと沸く液体の中に入れて、赤い小石を摘み出す。そして、それをカラスの前に置いた。
「これは、俺が私財を抛[なげう]って作った精霊探査石“SS51”。因みに、五十回失敗したのではなく、五十回段階を踏んだだけだから、記憶しておくように。で、問題はこれをどうやって運ぶか、だったのだが、それもこのカラスで解決するだろう」
 オーギュストが見詰める中、カラスはそれを咥える。と、目が禍々しい赤に染まり、羽に美しい白い線が走った。それから、一鳴きして、ヴェガ山脈に向かってはばたいて行く。
「計画通りなら、一時間後に、シデの“賢者の塔”に精霊の分布情報を伝達する筈だ」
「はい」
 アーダムは虚脱感の中で、義務的に頷いた。
「では、お茶でも飲んで待とう」
 オーギュストは手袋を剥ぎ取ると、テラスに乱雑に投げ捨てる。そして、室内へと戻った。中では、シズカが丸テーブルに紅茶を用意している。
「気が利くだろ?」
 まだテラスに残るアーダムを窓越しに見て、オーギュストは言う。
「以前の隊長が、よっぽど躾が良かったのだろう」
 オーギュストは椅子に腰掛けて、左手でカップを摘み、そして、右手でシズカの腰を引き寄せていた。
 その光景を、アーダムはテラスから愕然と眺めていた。彼の世界観が、足元から崩れていくのを、どう釈明{いいわけ}しようとも、止める事ができない。彼はようやく自分のシズカへの気持ちを自覚した。だが同時に、それはその想いを諦めなければならない瞬間でもあった。
 目の前で、オーギュストはシズカを膝の上で抱いている。
「私はすぐに戻らねばなりません」
 そう告げると、アーダムは歩き出す。まるでふわふわと雲の上を歩いているようで、歩いている時の記憶がない。気が付けば、もうドアの前にいた。背後で、「外の少年にもう寝るように伝えてくれ」という声がした。「はい」と返事したつもりだが、声として発する事ができたかどうかは、確認すらできない。
「如何したのだろう、面白い男だ」
 オーギュストはシズカの耳元で囁いて、軽く微笑んだ。だが、一度笑い出すと、どんどん声が大きくなって、もう馬鹿笑いを止められない。
「お前はイイ女だよ」
「へえ?」
 シズカは意外そうな顔をする。
「俺を退屈させない」
 オーギュストはシズカの頬を舐め上げた。少し塩味が強かった。


【クレチアンヴィル村】
 オーギュストは翌日シデへと出発したが、数日戦争の為に街道が閉鎖されていたために混み合って、なかなか前進できない。そして、日が暮れたので、街道から少し外れた寒村クレチアンヴィルに宿泊する事となった。
 その小さな木戸をくぐった時、軍の高官らしきオーギュスト達一行を見て、子供を抱いた婦人が飛び出して来た。はねる寸前で、馬が嘶[いなな]き、前脚を高く跳ね上げて止まった。もしオーギュストでなかったら、避け切れなかっただろう。
 すぐに門の衛兵が駆け寄って、婦人を取り押さえる。だが、婦人はひれ伏したまま、オーギュストを縋るように見上げた。
「竜骨をお分け下さい」
 婦人の声は鬼気迫っていた。竜骨は、竜の亡骸を粉末にしたもので、万能薬と信じられていた。竜の神秘性から、天文学的な値段で取引されているが、実際には、滋養強壮と精力増進ぐらいの効果しか認められていない。
 オーギュストは馬上から、その蓬髪の下の顔を覗き見る。それから、視線を下げて、腕の中の子を見た。直ちに、高い熱がある、と分かった。竜熱の症状であろう。
「竜骨は持ち合わせていない」
 冷静に呟くと、馬を宥めて、避けて通ろうとする。しかし、すぐに後ろから、ランが駆け寄って、子供の額に手を当てた。
「凄い熱……竜熱です。すぐに治療を始めましょう」
 ランはオーギュストに振り返ると、真摯な瞳で訴えた。
 その純粋な瞳と赤い瞳が絡まった時、オーギュストの冷徹な感情の奥深くで、何かが共鳴した。それは太陽の光よりも眩く、そして、一瞬にして全身を滾らせるほどに熱い。
「総参謀長」
 馬を歩かせようとする手が痺れた。如何しても、視線を動かす事ができない。
「閣下!」
 ランがもう一度呼んだ。
「わ、分かった。宿舎へ運べ」
「はい」
 ランは生き生きと答える。
 結局、オーギュストは徹夜で治療を行う。かなり病状は悪化していたが、如何にか一命をとりとめた。
 そして、翌朝、叩頭する母親に別れを告げて、宿舎を出る。と、大勢の人々が宿舎を取り囲んで、無言でオーギュストに訴え掛けている。その刺すような視線に、オーギュストはたじろいで、一歩下がってしまう。
――俺の神域が……揺さ振られている……お前は誰だ……???


【5月、シデ】
「行方不明ですって?」
 ジュースを飲んでいたナーディアが、思わず大きな声を出す。それを、「しっ」とフリオが制した。
「どう言うことなの?」
 今度は声を忍ばせる。
「分からないんだ。エリンパス台地を出て、こちらに向かったのは間違いないんだけど、その後の足取りが全く掴めないらしい」
「そうなの。おかしいわね……」
 ナーディアが首を傾げた。盗賊や暗殺者などに、殺されて死ぬとも思えない。
 二人は会場隅のバーカウンターに並んで座っている。国境付近での戦勝は、シデ大公国としての最初の勝利であり、宣伝の意味もあって、盛大な晩餐会が催された。
 ナーディアは、ブーン財閥の総帥、父コルネーリオとともに、シデを訪れている。如何してもフリオに会いたいとせがんで来たのだが、実のところ、オーギュストが会場に見当たらず、興醒めしていた。
 主役のオーギュストが出席していないので、彼をねぎらう役のティルローズも姿を現さない。為に話題の中心は、ホーランドから来た、ラスカリス・ファン・デルロース子爵となっていた。白いスーツを粋に着こなし、赤い髪をオールバックにして、ダンスに話術に、貴婦人達を魅了している。その旧セリアの宮廷サロンそのままな雰囲気に、この二人は馴染めないでいる。そして、オレンジジュースを飲みながら、つまらなさそうに両肘を付いて、二人だけの雑談で時間を潰している。
「ぼくの誕生日もすっぽかされたし……」
「あんたの誕生日なんて、そんなものよ。でも、今日はあたしが新曲を披露する事になっていたのに……。あぁ! あんた、ちゃんと伝えたんでしょうね」
「……メモは届いている筈だよ」
 フリオの額を、ナーディアが指で弾いた。
「もう、頼りないんだから」
 ナーディアは頬を膨らませると、鼻から大きく息を吐き出す。
「おやおや、今日も仲がいいね」
 そこへ、ナルセスが現れる。フリオは立ち上がろうとしたが、ナルセスは「堅苦しい事は止めましょう」と制して、そのまま二人の間に割り込む。そして、背中でフリオを押しながら、ナーディアに綺麗な花を手渡した。
「ども」
 ナーディアは親しげに挨拶をする。
「ナルセスのおじ様、沖に停泊している、ラヴィアンローズ2世号って、例の事件のでしょ?」
「……ナーディア君」
「はい」
 大きな瞳をくるくるさせて返事する。
「この世の中に、公然の秘密という物があるんだよ。言葉には気を付けなさい」
「なるほど、一つ大人になりました」
 くすくすと微笑む。それに、ナルセスは目を細めて、彼女の頭を優しく撫でた。
「今夜の君の歌、楽しみにしているよ」
「でも、主役のディーンさんが居ないから……」
 残念そうに瞳を伏せる。
「どうして?」
 にっこり笑ってナルセスが訊ねると、ナーディアは、素早く左右を確認した後、そっとナルセスに耳打ちをした。
「この曲はオルレランで今流行っているのだけど、その題材は、燃え上がる船の中から囚われた姫を助け出す勇者の物語なの」
「……それはちょっと拙いねぇ……何処かで聞いた事があるし…」
 即座に、ナルセスの目が泳ぐ。
「でしょう。で、オルレランの当局は禁止にしたの」
「……公爵も気分が悪いんじゃないかなぁ…心配だなぁ……」
「そうなの。厳しい取り締まりが始まっちゃって、でも、それで余計地下で火が付いちゃったの。オルレランじゃ、すごい事になっているのだから」
「……なんか…やばいんじゃ…ないのかなぁ…それはぁ……」
 ナルセスは顔色を悪くして、震える喉に生唾を飲み込む。それをナーディアは愉快そうに見上げている。そして、ナルセスは「もっと楽しんで」と別れの言葉を告げると、早々に会場を出て行った。
「ああ、面白い」
「あんまり、無礼な事しちゃいけないよ」
 フリオが呆れた顔で注意する。
「フリオちゃんに怒られるとは思わなかったわ。でもいいのよ。あれで喜んでいるんだから」
「そうは見えないけど」
 フリオは眉を顰める。ナーディアの態度が不自然なほど白々しく、その初めて見た幼馴染の一面に、気持ち悪ほどの違和感を抱いていた。
「そうなのよ」
 ナーディアはそう言い切って、貰った花の匂いを嗅ぐ。それから、黄色い花を一輪取ると、髪に差した。
「あ~ぁ、姉上に聞ければ分かるのになぁ~。いつ仕事終わるんだろ……」
 似合うと微笑むナーディアから逃げるように、フリオはカウンターに左腕を真っ直ぐに伸ばして付け、その上に横顔を伏せる。もやもやとした顔を見せたくなかったし、変わっていくナーディアを見たくもなかった。
 と、ナーディアがすっとフリオの上に覆い被さって、真剣な表情で覗き込む。
「ねぇ、君のお姉さんとディーンさんは結婚するの?」
「そんな事ある訳ないじゃない」
 フリオは目を大きく見開いて、そして、大爆笑した。その態度に、ナーディアは不機嫌になって、体を元に戻っていく。
「どうしてよぉ? 物凄く仲良さそうじゃない?」
 そして、ふくれた顔にグラスを運ぶ。
「姉上は、時代の最先端を行っているようで、実は無茶苦茶保守的なんだ。だから、伯爵令嬢を放棄して、騎士婦人になんかなるもんか」
 フリオは上体を反転されて、今後は右肘を付いてナーディアを見上げた。
「どう言う事?」
 ゴトンと、グラスを置くと、興味津々な丸い瞳をフリオに向ける。
「サリス貴族の因習{ならわし}で、結婚すれば、その嫁いだ先の家の格で扱われるの。だから、ローズマリー様も伯爵夫人として、侯爵夫人の下に格付けられているだろ」
「じゃ、平民と結婚すると?」
「その時は元通り、実家のまま。だから、(姉の場合は)伯爵夫人だね」
「なんか変!」
 不意に正面を向くと、投げ付けるように叫ぶ。何だか急に、見慣れたフリオが、古い社会の壁そのもののように見えてきて、胸を掻き毟るような不快感に満たされていく。
「知らないよ。そう昔から決まっているんだ」
 ナーディアの反感を察してか、フリオは拗ねたように答える。
「う~ん、じゃ伯爵になっちゃえばいいのね?」
「そう簡単にはなれないよ。枠とかあるし。それに確か騎士はなれても、男爵ぐらいまでだったろうし。それも引退の時に。それにここじゃ、爵位よりも将軍位の方が大事みたいだよ……」
 あれこれ理由をつけるフリオに、ナーディアは苛立ちを抑え切れない。終には、完全に、フリオの声を遮断してしまう。
 その時、ラスカリスのジョークで、貴婦人達がわっと笑った。フリオは思わず振り返り、そして、ナーディアはそっとグラスに声を零した。
「ふ~~~んぅ、そうなーんだ。可哀想に……」
 可哀想と言いながらも、ナーディアの幼さの残る顔に、微妙な笑みが過ぎっていた。
「へ?」
 しかし、隣のフリオはラスカリスと貴婦人達に気を取られて、そのナーディアの呟きを聞き逃している。

 ナルセスはシデ大公国の幹部を一室に集めていた。狭い部屋には照明もなく、月明かりだけを頼りにお互いを確認し合っている。
「不味い事になった――」
 忌々しげに、ナルセスが呟く。
「折角、カリハバールの工作員の仕業と言う事で処理したのに……捕虜を処刑までしたんだぞ……なのにこんなことになるなんて……」
「仕方がないだろう。目撃者は星の数ほど居たんだ」
 当事者の一人であるにも関わらず、マックスは軽く言う。それに、ナルセスは鋭い睨みを向けた。マックスは逃げるようにリューフを縋ったが、リューフはまるで関係ないように恍けている。
「兎に角、ギュスをすぐに呼び戻せ」
「何処に居るか分からない」
 マックスは両手を広げて、お手上げだと表現する。
「探せ」
「無理だ」
 短い言葉での応酬が続く。その中で、ナルセスはマックスの鼻の汗に気付いた。
「お前何か隠しているな?」
 冗談じゃない、と否定したが、ナルセスとリューフが並んで腕組みすると、明らかに焦りだす。そして、ついに口を割り始める。
「ご、極秘に……精霊の調査を……」
 極秘、精霊、調査、とナルセスが顎鬚を擦って頷く。
「ギュスが新しい技術をテストしたいと……」
「それで?」
 細かい事は言えない、と前置きして、マックスは喋り出す。
「要するに、SS51という精霊探査石を、カラスに食わせて、ヴェガ山脈に放つ。そして、軽い催眠効果で目的地に誘導して糞をさせると、石は周辺の精霊を観測して、情報を送って来るという訳よ……」
 聞いて、ナルセスとリューフは顔を見合わせた。そして、口を開こうとした瞬間、マックスはリューフの腕をいきなり掴んで、「分かっている」と囁いた。
「シデからは、電波を受信できない山の裏側もあるだろう、と言いたいのだろ。だから、空高くに浮かぶ、巨大な鏡を利用するそうだ。これはギュスが、勝手にやる。以上。軍事機密だ。誰にも言うなよ」
 それから、にたりと笑って、二人の顔を交互に見た。
「よく分かった。二度と、お前に秘密は話さん」
 ナルセスが呆れ顔で呟く。が、気持ちは別の所にあった。
――ギュス……まだヴェガ山中に拘っているのか……カリハバール戦も近いと言うのに……


 その頃、港では深刻な事態が起きていた。サイトからの商船に偽装した、ポーゼンの船が桟橋に横付けすると、すぐにシデ港湾管理局の役人が取り囲む。そして、一切の上陸を拒み、責任者のダリ・カスティーヨが乗り込んで、ローズマリーへの謁見を求めた。
 強引に船内へと進むカスティーヨを、ペルレス・ド・カーティスとシド・ド・クレーザーの二人の重臣が、廊下で押し留める。
 カスティーヨは、ナルセスが信頼する腹心の一人であり、港湾管理責任者の重責を任されている。頭脳明晰であり、事業の効率化などに見事な手腕を発揮して、大きな実績を上げている。しかし、冷酷厳正に過ぎるきらいがあり、様々な軋轢も生じさせてもいる。この場合も、最初から高圧的な態度で臨んで、強硬な反発を招いていた。
「ナルセス総帥からの上陸許可の条件を告げる」
 まず、ローズマリーはポーゼン伯アベールの妻として伯爵夫人と呼称し、大公妃であるティルローズとは同列にしない。そして、上陸の際に付き人は三人までなどと読み上げていく。
「伯爵夫人とはどう言うことか!?」
 ペルレスが、声を張り上げる。
「私(わたくし)は、一介の使者に過ぎません」
 その怒声にも、カスティーヨは飄々として、異常に高い鼻に引っ掛けた丸い眼鏡を直す。
「では話の通じる者を連れて来い」
「……!」
 クレーザーが一歩前に踏み出す。ペルレスのようには怒鳴りはしなかったが、波打った赤茶色の髪は逆立って、派手な口髭も微かに震えている。そして、鼻と鼻が触れ合わんばかりに迫り、無言で威嚇する。
「お止しなさい」
 奥から雅な音色の声がする。廊下にローズマリーが出てきて、三人の男は、それぞれに礼をした。
「カスティーヨでしたね」
「はい」
「帰ってナルセスに伝えなさい」
「……」
「条件は分かりました。ただし、こちらにも条件があります」
「あ…は、はい、ど、どうぞ」
 ローズマリーの高貴な眼差しが、カスティーヨを射抜く。カスティーヨはどもりながらも、どうにか譲歩の意を表すことができた。


 乙女の城、と呼ばれる、シデ大公国宮殿の中、長い黒髪を結び上げた女性が坂道を歩く。坂道は螺旋状に緩やかに昇っている。カリハバール占領時に、建設された物で、カリハバール人はここをロバで上っていた。
 坂を上り切り、階段を登る。
 ちょっとした眩暈のような違和感が、足の裏から伝わる。床が石から木に変わって、柔らかな弾力を感じた所為である。
 ここで、堅牢な石造りが途切れて、白く塗装された木造建築に入った。これはティルローズの為に急遽建設された物で、サイトの商人白石家から贈呈された。平面は蓮の花の形をし、内装は構造材が壁紙の外に露出する、エリーシアとワ国折中の様式である。
 刀根留理子がティルローズの部屋を訪れる。
「大公妃殿下、分かりました」
 白いバルコニーに立ち、ティルローズは湖を茫然と眺めていたが、刀根の声ではっとして振り返る。黄金の髪が背中からの風に煽られて、美しい顔の前に流れる。それを耳の後ろへと送った。
「お姉さまは?」
 ティルローズの髪を撫でた風は、窓の白いレースも舞い上げて、二人の美女を隔てる。
「はい、まだ船内に居られます。どうしても、ディーン総参謀長に迎えに来い、と仰っておられるとか」
「また……」
 ティルローズは大きく息を吐くと、下唇を噛んだ。そして、レースのカーテンを手で払って、室内に入る。
「で、そのギュスは?」
「所在がつかめません」
「まさかミカエラさんと?」
 眉を鋭く寄せて、脚を止める。
「いえ、スピノザ枢密院議員は、仕事場を離れていません」
「そう……」
 それから無表情に椅子に座る。その前に、刀根は膝を付く。
「あの法案を本気で実現させる気かしら?」
「はい。貴族社会の維持、再建に不可欠と、ナルセス総帥も」
「ギュスは?」
「正式なコメントはありません」
 再びきつく唇を噛む。
 ミカエラは法整備を一手に引き受けて、激務をこなしていた。現在、成立を急いでいるのが、貴族の一夫多妻制である。カリハバールの侵攻で、多くの貴族男性が戦死し、たくさんの未亡人が生じだ。この救済のためであり、代わりに、悪法の初夜権を廃止した。しかし、エリースの教えに反すとして、ティルローズは一貫して反対している。

 刀根は部屋を後にすると、大回廊を歩く。と、円柱にかかるランプの火が、一つ消えている事に気付いて、そこに立ち寄った。
「どうでしたか?」
 影から声がした。刀根は淡々と携帯用ランプの火を移す作業を続ける。
「不信感が増しています。姉にも重臣にも」
「そう。では継続して、乱れを誘発させるように。もうすぐアルティガルドの攻勢が始まります」
「はい。……で、オーギュストの野郎は? 把握しているのでしょ?」
「ええ、勿論よ。でもどうして?」
「私も恐いからよ」
 自嘲気味に口元を歪める。
「だったら、クレチアンヴィル村から街道を外れて、その後は小さな農村をぐるぐる回りながら、こちらに向かっているわ。でも、カール5世の法事には間に合わないでしょうね」
「何なの?」
「医療らしいわ。でもきっと裏がある。それも探らせているから、直分かる」
「……ほんと頼むよ」
 ランプを元に戻して、刀根はまた歩き出した。


【聖カール5世霊廟落慶式の日】
 この三日後、カール5世の棺が霊廟に納められる。棺と言っても遺体はない。代わりに鎧が一式、入っていた。
 ローズマリーとティルローズは一緒に、棺を運んだ。だが、二人とも正面を見て、目を合わせる事も少なかった。それでも、廟の玄関部分の装飾を見て、思わず我を忘れて感嘆の声を上げた。
「素晴らしいタイル装飾ね。豊富な色彩に、繊細な細工」
「デザインした者も、喜びましょう」
「そう才能がある方なのね」
 二人とも、念頭にオーギュストの名があったが、どちらも口に出さなかった。結局、オーギュストは参列していない。
 式は粛々と進み、セリアから招いた法王代理の祈りが終わると、二人は長い階段の前に立つ。そこで、また短い会話をかわす。
「決して壮大ではないのだけれども、精緻で洗練されている設計だわ。さすがに……」
「それは華美でこじんまりしていると言う事ですか?」
「そんな事は言っていないわ」
「もういいです」
 ティルローズはさっと背中を向けて、立ち去る。
――こんな態度、ありえないわ……
 自分が感情的になっているのは分かっていた。だが、どうしようもなく怖かった。この国を作るのに、多くの人と会い、何度も会談を繰り返してきた。その努力の全てを、姉が奪い去るのではないかと、過剰に感じてしまう。
――筋目が正しいのお姉さま……
 誰も彼もが、姉ローズマリーこそが君主に相応しいと考えているように想える。いや、それこそが亡き父の望みなのかもしれにない……
――ギュスもきっとお姉さまを選ぶわ……
 近寄り難いオーラに、側近までもティルローズと顔を合わせぬように顔を伏せてしまう。その光景を見詰めて、ローズマリーは悲しげに、エリースへの祈りを口にした。
 ティルローズは、控え室の扉の角に肩をぶつける。視界が思いのほか狭くなっていた。

 この翌日、ようやくオーギュストはシデに帰って来た。サリス姉妹の険悪な雰囲気を聞いて、「善行は積んでおくものだな」と呟いたと言う。
 その足で、ミカエラの所を訪ねた。
「いや、大変だったよ。次から次へと患者が溢れて……」
 扉の前で事情を話していると、ミカエラが異次元に行ってしまった瞳を向けて来る。
「忙しいのは貴方だけじゃないのよ。邪魔しないで」
 と、きつく扉を閉める。
 次にアフロディースのところへ向かう。
「今宵は、ティルローズ様の所で、お慰め致しなさい」
 と、諭されて追い返された。
 港に立って、静かな湾の向かう側に佇む宮殿を見遣って、オーギュストは溜め息を一つもらした。
 結局、この夜は宮殿には向かわずに、スピノザ邸宅に泊まった。
 邸宅は宮殿に向かう大橋の手前にあり、宮殿とシデ市街地を結ぶ大手道の要である。戦時には防衛拠点となるため、外部への壁は厚く窓は小さい、その分、中庭側へは開放的になっていた。
 早朝、フリオは査閲部長としての仕事の為に出掛けたが、オーギュストはベッドから起き上がる事ができない。身体よりも、精神的な疲労感が大きかった。そのために昨夜も、厄介な姉妹関係に関われる余裕がなく、逃げてしまった。それがまた自己嫌悪を呼び、小指一本動かしたくないような、脱力感に陥っていた。
 昼近くになって、女性ソプラノの歌声でようやく目を覚ました。白いシャツの前を開けたまま、居間に降りると、中庭でナーディアが歌っている。小さく微笑み、隅に置かれたピアノが目に入った。
 ナーディアは、フリオと一緒に昼食を、と訪ねて来たが、待たされる羽目となった。
「あたしを待たせる何ていい度胸ね」
 と一度は苛ついたが、時間がもったいないと、広い中庭で発声練習を始める事に。
 初夏の風の中で、気持ちよく歌っていると、室内からピアノの伴奏が聞こえて来た。振り返れば、オーギュストがピアノの演奏をしている。やや驚きはしたが、その成り行きに妙に弾んだ気持ちなる。そして、胸を小躍りさせて、ピアノの傍に歩み寄る。
 オーギュストは曲をアレンジし始めた。その音色の繊細と奥深さに、ナーディアは魅了されて、陶然と歌い続けた。
「何でも、お上手なのですね」
「そうでもない。みんな超一流の一歩手前だよ」
 きっとこれは謙遜しているのだろう、とナーディアは苦笑した。
「どうしてここに?」
「泊まる所がないんだ」
「お家は?」
「ない」
「重臣なのに?」
「騎士と言っても、まだ正式な領地もない。捨扶持を若干貰ったが、みんな使っちゃったし」
 ナーディアは片手で口元を隠して笑った。そのはしゃぐ笑い声に合わせて、オーギュストはピアノを弾く。音の重なりは、気が付けば、即興のワルツとなっていた。
「見掛け通り、浪費家なんですね。もてるでしょ?」
 左右の手がぐずぐずと逡巡したが、結局オーギュストの右肩に添える。これが、時代を動かす英雄の肩なのだ、とちょっとした感慨に耽った。
「だったら、男の家なんかに泊まらないよ」
「ああ、そうですね」
 明るく瞳を輝かせて、ナーディアは笑った。そして、肩に添える手の甲の上で、丸っこい顔を傾げる。
 その時、来客があった。それを告げに執事が入室すると、弾かれたようにナーディアはオーギュストから離れる。
 客は以外にも、ラスカリスだった。居間は一瞬にして緊張感に満ちる。と、ラスカリスはオーギュストを見るなり、いきなり土下座した。
「竜熱の噂を聞きました。お願いです。助けて下さい」
 ナーディアは両手で口を塞ぎ、大きく瞳を見開いて驚く。あの社交界の貴公子が、こういう泥臭い事をするとは思いもしなかった。それについて冷静さを取り戻したラスカリスは、「父親から、男は伊達に生きなければならない、と指導されていた」と説明している。
「顔を上げられよ」
 オーギュストは優しい声をかける。
「いえ、我らの希望、メルローズ様をお助け下さると約束して頂けるまでは、決して上げません」
「分かりました」
「本当に?」
 あっさりとした返答に、ラスカリスははっと顔を上げる。そして、真っ赤になった目で、オーギュストを見上げると、その顔の前に、オーギュストの手が伸びていた。
「ええ、我等が君主ティルローズ様の御妹が病気と聞いて、じっとしていられる訳がありません。私にできる事があれば、なんなりと」
「おお、ありがたい」
 透かさず、ラスカリスはオーギュストの手を両手で握り締める。そして、その上に大粒の涙を落とした。
 その光景に、ナーディアは意味も分からず、ただ見知らぬ、胸の締め付けられるような感動に身震いしていた。油断すれば、激しい動悸と頭の痺れに、意識が途切れそうになる。こうして、落ち着かない不安定な気持ちのまま数日を過ごす事になる。

 その後、オーギュストはティルローズの元へ向かう。広い宮殿の食堂で、夕食を共にしたが、ティルローズは終始無言を貫き、一方オーギュストも周りの目を気にして、重要な話は一切語らなかった。そして、ようやく二人っきりになると、ホーランドへの旅を告げる。妹の病気を知って、ティルローズは言葉を失った。
「行ってくれるの?」
「ああ」
「でも、大事な時期でしょ?」
 妹の死という不安と恐怖の中、私と公との間で、ティルローズの瞳が揺れる。
「大丈夫だ」
「私は恐い……何もかも失いそうで……」
「また姉上かい。いい加減――」
「貴方には分からないわ! 私は所詮お姉さまの前では、『月の前の灯火』でしかないの……」
「みんな同じさ。それでも、やらなくちゃいけない、と思う事を、やっているだけさ。それを怨んだり、妬んだりしても仕方がない」
「……」
「大丈夫だ。ローズマリーが欲しいと言うのなら、シデなんてくれてやればいい」
「え?」
 戸惑いの視線をオーギュストに向ける。それにオーギュストは微笑すると、ティルローズの肩を抱いた。
「俺がランスを切り取ってやる。知っているかい。ランスはカリハバールではバビロンと言うらしい。壮大な都市計画が行われている。君に相応しい、新しい都となるだろう。その上で、大運河のドネール湾側の出口をメルローズに与えて、三姉妹で大運河を運営すればいい。ナルセスも協力してくれるだろう」
 ふっとティルローズは失笑する。そして、オーギュストの首に抱きついて、唇を重ねていく。

 月がエリース湖に移り込んで、まるで闇の中に二つの月があるような錯覚がする。ティルローズは、ベッドで泥のように眠るオーギュストを横目で見ると、夜の湖を見詰める。そして、暗い表情を作り、僅かに開いた唇から、そっと息をもらした。
――ギュスなら、きっとやり遂げるだろう……だけど……
 オーギュストの真摯な瞳は、確かに愛を誓っていた。もうあの瞳の輝きから離れる事などできないだろう。柔らかな光のように、脆い心を包んでいく。
 しかし、瞳の奥の鈍い赤い光が、「お前などただ道具だ」と冷たく罵られているように感じられた。湖の透明な冷たい水のような悲しみに、心が沈んでいく。


【参謀府、ベアトリックスの執務室】
 ベレー帽、シャツ、短いタイトスカートと白一色の軍服に、シャツの下の透けた下着とストッキングが黒と、コケティッシュな美に包まれた女性が、一人整頓された部屋の中に佇んでいる。
 窓辺のデスクに背を向けて、黒革の椅子に座り、ベアトリックスは窓の外を眺める。その視線の先には、ミカエラの行政府があった。
――ミカ……
 心が寂しげに呟く。そして、遠い記憶に思いを馳せる。
 ふたりが研修で同室になった時、ミカエラが熱を出した事があった。辛そうに眠るミカエラの額に、濡れたタオルを当てると、薄く開いた唇に引き寄せられて、軽く口付けをした。それが自分の性癖に気付く契機{きっかけ}だったろう。
「どうして……思い出したのだろう……」
 最近、特にシデに滞在するようになってから、不思議と欲情が昂ぶっている。その疼きは、何か得体の知れないものに煽られているようで、一向に収まる気配すらない。そして、毎夜のように、淫らな夢に取り付かれていた。
「胸を焦がすような慕情を抑えきれない……あの夏祭りの夜のように……」
 何時しか、浅い眠りに落ちていく。
……
………
「うはぁん・うん・」
「あぁ・あっ・ヘんっ・」
 二人は互いの唇をついばむように口付けをかわすと、唇を噛むような濃厚なキスへと移行する。さらに、ベアトリックスの舌がミカエラの歯を突き、執拗に促がすと、ミカエラは頬を朱に染めて、躊躇いがちに歯を開いていく。
「あたし・どうしちゃったんだろ・キスがこんなに気持ちいいなんて・」
「かわいいよ、ミカ」
「ああ・」
 二人は長く、深いディープキスに夢中になった。明らかに酒の酔いだけではなく、情欲の熱に流されている。
「感じてくれて嬉しい・さぁ」
 ベアトリックスは服の上からミカエラの胸を持ち上げるように掴み、その柔らかな感触を楽しむように揉む。次第にミカエラの身体から力が抜け始めて、ベアトリックスに身を任せていく。
「あぁ・あはぁ・んっ・」
 ミカエラは甘く喘ぎながら、ベアトリックスに導かれて、勉学のための机に倒されて行く。そして、ベアトリックスの長くしなやかな指が、ミカエラの短いスカートを捲る。
「指が……ああん…き…きたない……」
 しばらく内腿を弄ると、白いショーツの上へと移り、優しいタッチで擦る。すぐに、精緻な模様のレースが湿って、繊毛が透けて見えるようになった。
「キスだけで濡れるなんて、いやらしい」
「いやぁ・」
 ミカエラの腰が引ける。それをベアトリックスの指が逃がさない。
 女の急所を執拗に愛撫されて、ミカエラはその動きに合わせたように、淫らに腰をくねらせ、ますます蜜は吐き出す。
「あ・あ・だめェ」
 知的な瞳が潤み、長い睫毛がわなわなと震えた。
「かっ・ゥわいい・ォれいよミカ・」
「やっ・はずかしい・」
 二人は頬を真っ赤に染めて、色っぽく微笑み合う。そして、焦った手つきで、服の前を開[はだ]けて、胸を見せ合う。
「がっかりした……?」
「ふふ、ステキよ」
 ミカエラの薄い胸の上で、硬く隆起した小さな蕾を、ベアトリックスは口に含む。
「あ、あッ、あんッ!」
 まだ幼さの残る顔が、快楽の波に呑まれて、淫靡に火照り弛んでいく。二人の美女は互いの胸の突起を擦り合わせて、そして、濃厚に唇を重ねる。
「もっともっと気持ちよくして・」
 ミカエラの言葉に、ベアトリックスは強く乳首を抓る。
「あっ、あんん!」
 ミカエラは人差し指の第二関節を愛らしく噛んだ。
 ベアトリックスはミカエラの脱力した右足を小脇に抱え、その下に自分の左足を差し込む。一方、伸ばされたミカエラの左足の上に、押さえ込むように自分の右足を乗せる。
「あぁンッ、あはぁーンッ、くうぅーん・」
「あぁーんッ、あんあんあんッ、あぅーん・」
 二人の美女は、互いの秘唇を擦り合わせて、無我夢中で淫らに腰を振り合った。
 その時、意外な事が起きる。
「ああっ!? そ、そこはっ……やあっ!」
 今までない感触が股間に広がる。生温かい指がアヌスを突いているのだ。
「もっと気持ちよくしてあげる」
 顔を上げると、あのミカエラが豹変している。淫猥な微笑みで、ベアトリックスの股間に覗き込んで、禁断の処女地を甚振っているのだ。
「いやあっ……!!」
 指が柔肉を抉る。おぞましい衝撃が背筋を駆け登った。
「違う。こんなの変よ。あの夜にこんな事は起きなかった……た、助けて……」
 ベアトリックスの心の奥が震えた。アヌスを犯される衝撃は、まるで自分自身に潜む魔性を解き放つような、取り返しのつかない恐ろしさに満ち溢れていた。
………
……

 ドアを叩く音で、ベアトリックスは目を覚ました。
「は、入れ」
「はい」
 軍服姿のシズカが、きりっとした姿勢で入ってくる。
「ご苦労でした」
「あ、ありがとうございます」
 シズカが頭を下げる。
「さすがですね。よくあのディーンの動向をつぶさに知らせてくれました。調べたら、軍の薬品庫を空にしていたようです。何れ、どこかで支障を来たすでしょう」
 ふふとベアトリックスが北叟笑{ほくそえ}む。
「はい」
「一般の農民に対して、高価な新薬を大量投入する目的はよく分かりませんが、何かを企んでいるのでしょう……」
「調べます」
 シズカが決意に顔を緊張させる。
「いえ、これからは私(わたくし)が代わります」
「へえ?」
 動揺するシズカに、ベアトリックスは怪訝そうに眉を震わせる。
「あなたが総司令部にいては、変でしょ?」
「ああ、そうですね」
 曖昧に答えたシズカは暗い表情を伏せて隠すと、思考の世界に耽る。
 オーギュストに全身を隅無[くまな]く愛撫された。指先から頭まで、丹念に舐め回されて、全ての性感帯を探し当てられた。男に好き放題に嬲られ、屈辱的で涙が止まらなかった。
 だが、そんな感情はすぐに何処かへ飛んでしまう。
 凶暴な肉棒で、未到達の子宮口を叩かれると、快楽に涎を垂れして、よがり鳴いた。引き裂かれんばかりに膣肉を抉られて身悶え、官能に蕩けて腰を蠢かせた。膣内に熱い迸りを受けて、快感に総身を痙攣されて至高の絶頂へと駆け上がって行った。
 ボーイフレンドとのSEXが遊戯だった、と思い知った。
 正常位・屈曲位・伸展位・腰高位・前側位・後側位・前座位・後座位・騎乗位・背後位・背後騎乗位・肘膝付位・立ち肘膝付位・立位・腰吊位など、あらゆる体位を経験した挙げ句、後ろの穴の処女も自ら進んで差し出した。
 もうディープキスだけで身体の芯を熱く蕩けさせ、屈辱的な口唇奉仕でも秘裂を濡らすようになった。腰をどう振れば、より大きな悦楽を得られるかも習得したし、膣の絞り方も会得した。躊躇いなく精液を飲み干せるし、アヌスだけでも達するようにもなった。
 肉欲にどっぷりと溺れたシズカを、オーギュストは「根っからの淫乱なんだよ」と詰[なじ]った。「そうなのかもしれにない」とシズカは想う。決してこの男から離れない、と何時しか信じ込むようになっていた。
――これはきっとこの爛れた関係を解消するいい機会なのだろう……
 そう気付く。だが、胸にぽっかり穴が空いたような虚無感があった。シズカは不思議な戸惑いに困惑する。
「シズカ?」
 ベアトリックスの声で我に返る。
「は? 申し訳ございません。で、では、私は?」
 慌てて取り繕うように、質問する。
「シデを監視しなさい」
「はっ」
 敬礼して拝命すると、シズカは部屋を出た。
「おかしな娘……」
 ベアトリックスは腕を組んで、顔を傾げると、再び瞳を閉じた。そして、暫し後に、再び頬が朱に染まっていく。



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Date:2011/08/28
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