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第十四章 他山之石

第十四章 他山之石


【神聖紀1223年12月上旬、ウェーデリア公国イズミック】
 ウェーデリア公国はエリース湖北辺に位置し、ウェーデル山脈の麓、豊富な湧水と手付かずの森林に恵まれた国である。初めはセレーネ半島から、後にはアルティガルドからの入植者が、未開の地を切り開いて、国の基盤を築いた。現在の騎士階級の多くは、この開拓者の末裔である。自分達が創ったと言う思いから、土地に対する執着が強く、中央政府に対しても介入を嫌う傾向がある。そのために、国内は常に不安定だった。
 現在、ウェーデリア公王エドワード2世の治世にあったが、内では地方騎士の反発、外ではアルティガルド王国軍の圧迫に、混迷は深まる一方だった。

 大柄な男が、小さな港から伸びたメインストリートを歩く。紺色に肩や袖に金色のラインを配した、機能的な軍服を着ている。人の往来は少なく、かつ、すれ違うのは女性と年配者ばかりで、若干違和感が男の顔にあった。
 道には石が敷かれているが、あちらこちらの窪みに水が溜まり、また石の隙間からは雑草が生えていて、折角の新調した軍服と軍靴を汚さないようにと気を使わなければならない。派手さを競い合った店先の看板も、ペンキが落ちたり、傾いていたりと、街全体から寂れた印象を受ける。これらの原因を推測するのは簡単だった。男手が不足して、手入れが行き届いていないのである。
 その男は、路地に入り込んで、落ち着いた色調の石塀を通り抜ける、そして、緩やかなカーブの途中にある小さなパブの前で足を止めた。男が何の装飾もない木の扉を押し開いて入ると、若いが酒やけした女性の声がする。
「まだ、準備中だよ」
「そいつは残念だな。姉さんの杏酒は絶品なんだが」
「あんた……」
 聞き覚えのある声に、カウンターで爪にマニキュアを塗っていた女性が、顔を上げる。そして、扉の前に立つ大男を呆然と見詰めた。
「ただいま、マーガレット姉さん」
「マックスじゃないか!」
 マーガレットは驚いた喜びの声を発して、勢い立ち上がる。カウンターには、マニキュアの瓶が倒れて、赤い液が零れ出してしまった。
「久しぶり」
 マックスは笑うと、手を上げて挨拶した。
「久しぶりじゃないよ。心配したんだよ……」
 マーガレットは黒い涙を流しながら、マックスに抱きついた。
「姉さん、マニキュアが零れているよ」
「あ、あんなのどうでもいいよ。それより、怪我とはないだろうね?」
 一度身体を離すと、マックスの巨体をあちこち確認し始める。
「くすぐったいって。大丈夫だから。それより、姉さんこそ元気だった?」
「ああ、あたしはいつも元気さ」
 マーガレットは涙を拭きながら、もう一度マックスの顔を見る。
「随分、男っぽい顔になったじゃないか?」
「いろいろあったからね。それこそエリース湖を一周したよ」
「そうかい。さあこっちに座って。何か飲むかい?」
 舞い上がったマーガレットは、椅子に足をぶつけながら、マックスを奥へと案内する。そして、丁寧に椅子を引くと、照れるマックスを座らせる。
「杏酒でいいかい」
「お願い」
 マーガレットは跳ねるようにカウンターの向こう側に回り込んで、棚から瓶を取り出す。
「なんか、街が寂れているね」
「そうなんだよ。カーターのオヤジが、生きのいい連中が居ない事をいい事に、自警団を作って勝手し放題。で、街は荒れるばかり。……で、このとおり客もさっぱりさ」
「そうなんだぁ」
 マックスが子供っぽくアヒル口をして頷き、店の中をざっと見渡す。
「そうそう、お前も気をつけるんだよ」
「何を?」
 マーガレットがカウンターにグラスを置く。それを手にとりながら、マックスはのんびりと聞き返した。
「何をって、相変わらず呑気だね、この子は」
 やれやれ、と言う感じで呟く。
「アイツら、何、因縁吹っ掛けてくるか分からないよ。一応、取り消されたとはいえ、お前も脱走兵の疑いをかけられたから……」
 それを聞いて、マックスが笑い出した。と、酒が服に零れて、マーガレットが甲斐甲斐しくハンカチで拭き始める。
「この子は、図体ばかり大きくなって」
「ああ、新調したばかりなのに」
「それにしても、立派な服だね」
「だろ? ブーンコレクションの新作だぜ。まっ、このくらい着て当然だけどF」
「また、訳の分からない事を……」
 マーガレットは困ったように眉を寄せるが、頬は緩みっぱなしである。と、そこに隣のおばさんが、慌てて入って来た。
「カーター農園が火事だよ」
「え!?」
 マーガレットが驚いて飛び出していく。
「あ~ぁ、ギュスの奴、占拠すると言っていたのに……失敗{しくじ}ったな」
 カウンターでは、杏酒をすすりながら、マックスが溜め息を吐く。
「やっぱ俺がいないと駄目だな。うん、美味い」


 丘の上にあるカーター農園の前では、軍馬が向き合っていた。
「俺を誰だと思っている。俺は政府よりこの地の治安を預かっているのだ。何処の馬の骨か知らんが、とっとと帰んな」
 騎士風の鎖帷子を着込んだ連中が息巻く。
 その時、オーギュストが前に進み出る。
「我等は、サリス皇女ティルローズ鎮守府大将軍の軍である。この地はティルローズ様の命により、我等が預かる事となった。消えろ」
「お前はディーン家のボーズじゃないか」
 自警団の団長が笑い出す。
「寝惚けてんじゃないぞ。ティルローズだぁ。そんなもの知った事か!」
 そう言った瞬間、一斉に鎮守府軍の騎兵が弓を構える。
「ティルローズ様への無礼は万死に値する!」
 冷静に言うオーギュストに、自警団の団長は一段と激しく笑う。そして、オーギュストに向かって唾を飛ばした。
「聞けェ! 軍師将軍たる私への攻撃は、即ち、ティルローズ様への敵対、天への反逆、正義への謀叛。たった今、貴様らは賊徒となった」
「生意気な!」
 団長の後ろにいる自警団員が、怒りに任せて、先に矢を放つ。矢は大きな放物線を描いて、オーギュストの騎馬の足元に落ちる。そして、卑猥な笑い方をした。この自警団員は威嚇のつもだったのかもしれない。ただ本気でも、あの弓の強さ、その引き方では、オーギュストの黒い革のコートを貫通する事は到底無理だったろう。
「思慮の浅い男よ。地元の農民は、これで言い成りになったのだろうがな……」
 即座に、鎮守府軍の騎兵が応射した。先程の自警団員は、眉間に矢を受けて、棒のように倒れる。そして、騎兵達は一斉に剣を抜いた。それだけで、自警団員は浮足立った。号令のないままパラパラと矢が射られる。所詮、一度も戦場に立った事がない自警団である。矢はただの一本もまともに飛ばず、騎兵達からは失笑が洩れた。
「戦い方を教えてやれ」
 オーギュストの抑揚のない声で、一斉に騎兵が駆け始めた。
「なんて無茶な……」
 自警団の団長がうめく。自警団員は団長を残して、勝手に逃げ出していた。
「自決か、逃亡か、好きな方を選べ」
「小僧がァ!」
 鬼の形相をして、剣を抜き振り上げる。だが、振り下ろしたと思った時、その腕がなくなっていた事に気付く。
「雑魚だね~ぇ」
 オーギュストが罵る。
 自警団の団長は、痛みに耐え兼ねて、苦しみながら落馬した。
 それを見て、オーギュストは眼を閉じて、小馬鹿にしたように首を横に振った。そして、慣れた手付きで、小型のボウガンに矢を装填する。
「ギュス、止めろ」
 その時、横から声がした。
「よ、カーターじゃないか。お久しぶりだな。こんな所で何をしている」
 そこにはオーギュストの幼馴染で、アルバトロス号で同期だった男がいた。
「親父から離れろ」
 そして、震えた手つきで、剣をオーギュストへ向ける。
「心配するな。死にはしない。ただ歩けなくなるだけだ」
「貴様!!」
 カーターは剣で突く。それをオーギュストは革の手袋で掴んだ。カーターが押しても引いてもピクリともしない。そして、苦し紛れに、思いっきり引いた時、オーギュストは手を離す。と、カーターはバランスを崩して、不様に倒れてしまった。
 改めて、オーギュストは自警団の団長へ弓を向ける。
「悪かった。許してくれ。金なら全部やる。だから……ぎゃぁあ!!」
 命乞いをする団長。だが、オーギュストは一切躊躇せず、太腿へ矢を放つ。そして、団長の悲鳴が戦場の喧噪に吸い込まれていった。
 そこへ、部下の騎兵が戻って来た。
「敵は牛舎に逃げ込みました」
「馬鹿か。こんな魔術防御もない建物に立て篭もって何になる」
「どうします。突撃しますか?」
 部下は簡単そうに告げる。
「いや、全軍下がらせろ」
「はっ」
 オーギュストの瞳が赤く輝いていた。それを見て、部下は喜々として返答する。
「地獄の業火に焼かれる穢れし者よ。今、我が神聖なる盟約を授けん。古き衣“フラメタウロス”を捨て、新しき姿“イフリート”として甦れ!!」
 と、宙に七色に輝く魔法陣が描かれて、そこから赤熱の影がり、光が爆[はじ]ける。そこには、神々しいまでの光炎を放つ巨人がいた。その巨人が口から、白く輝く火弾を打ち出す。光の炎は、農園は包み込み、天のも焼き焦がそうと言わんばかりに、立ち登っていく。
「す、すげえ!」
 鎮守府の騎兵たちが、顔を庇いながら、感嘆の声をもらす。
 光が消えた後、後には灰すら残っておらず、全てが燃え尽きていた。
「で、何だっけ。あ、金か。保釈金に貰ってやる。何処にある」
「たぶん。建物の中に有ったんじゃないですか?」
 部下が笑う。
「そいつは残念な事をした」
 そして、オーギュストはカーターを見た。
「悪いな。昔の誼だ。少し手伝ってくれ。そこの腐れ爺を担いで、余所の自警団へ行ってくれ。賊徒を匿った罪で討伐する口実ができる」
 オーギュストは影のある笑い方をしていた。


【ウェーデリア公国グリューネル】
 鎮守府軍は、数日の間に、イズミック地方の村々に蔓延った自警団を掃討する。その一方で、スレードは、ウェーデリア公王エドワード2世に働きかけて、マックスをイズミック州都督に任命させた。
 エドワード2世はこの人事を、ナルセスと繋がりを深める好機、と捉えていた。サリス皇女を助けたナルセスの手腕と名声は、このウェーデリアでも鳴り響いていたのだ。それに、州都督といっても実質形骸化している役職である。今更、何も惜しくない。

 そして、オーギュストはイズミックに留まらず、グリューネルに入っていた。
「スレード卿、お疲れ様です」
 カルボナーラ号を降りて、岸壁で迎えの馬車に乗り込む。中にはスレードが待っていた。
「疲れてなどおらん」
 仏頂面で、スレードが答える。それに、オーギュストは苦笑いした。さすがのオーギュストも、この男の前では口を閉ざすしかない。窓の外へ顔を向け、流れて行く夜の港の風景をぼんやりと眺めた。
「懐かしかろう?」
 スレードがパイプを吹かしながら訊いた。
「グリューネルには余り縁がありませんでしたが、ここだけは、(研修用帆船)アルバトロス号での実習と、出兵の際に来た事があります。随分昔の事のようだ」
 やや感傷的な声で呟く。と、スレードが大きな声で笑った。
「生意気盛りのお前でも、しおらしくなる事があるのだな」
 オーギュストはガラス窓から顔を戻し、憮然と足を組み直す。そして、話を乱暴にも飛ばしてしまった。
「どうしてです?」
「公王も、自警団には辟易としておられた。一石二鳥なのだろう」
「違いますよ。鎮守府に参加した事です」
 スレードはパイプを膝の上に置く。
「お前に苛められて可哀想だったからだ」
「ミカですか?」
「美しい女性が不幸になるのは耐えられん」
「美しいかどうか分からないでしょう」
「馬鹿者、心を言っているのだ。お前の話をして、お前の悪口を言わなかった者等、初めて会った。昨今稀な美質の持ち主だ」
「……そうですか」
 またオーギュストが横を向く。
「それに、まぁ退屈だったからな。暇つぶしに丁度よかろう、愚連隊のお守は。他に面白いものでも見つけたら、さっさと移らせて貰うぞ」
「どうぞご勝手に。ただ、スレード卿の心は、予想以上に捻じ曲がっておられるから、俺達みたいな“愚連隊”じゃないと、最後まで付き合っていられませんよ」
 それを聞いて、またスレードは笑った。

 オーギュストとスレードを乗せた馬車は、港からグリューネル中心街へと消えて行く。それをカルボナーラ号の甲板から見送る人物がいた。
「上手く話し合いがまとまると良いが……」
 マックスが不安げに霧の向こうを見詰める。
「あの悪党なら、剣で脅してでも自分の要求を呑ませるだろう」
 横には美しい女性がいた。同じようなデザインの軍服だが、下がスカートで、胸にリボンがあるなど、男女で違いもある。
「しかし、相手のベレンホルストという人は、老獪という噂じゃないですか。……やはりここは、イズミック州都督が乗り込むべきじゃ……アルティガルド王国宰相かぁ……相手にとって不足無し。そう思いませんか、アフロディースさん?」
「相応しいかどうかは分からんが……それより、和平が不調に終わった時の為に、逃げ出す準備を整えていた方がいいのでは? 港の物陰には物騒な視線が多いようだから」
「アフロディースさんがいれば、大丈夫でしょう。ガハハハ」
「私は、魔獣人専門だ」
「あははは、そういう約束でしたね。また、アフロディースさんの勇士を見たいですから、魔獣人でも何でもいいから、早く現れてくれないものですかねぇ。まぁ苦戦されたら、このイズミック州都督の俺様が――」
「一匹始末したら、それでお別れだ。次に会う時は戦場かもしれんな、都督殿」
 カチンとアフロディースは剣の鍔を鳴らす。
 肩を竦めるマックスに、アフロディースは微笑んだ。
 その時、横に停泊している貨物船から、「積み込みが終わったから、確認して欲しい」と声がした。
「おお、都督印が必要なら、何枚でも捺してやるぞ!」
 そして、「じゃ」とマックスは走り出した。

 馬車はバラクーダ劇場に到着した。劇場は大通りの四つ角にある。角に建つクラシックな白亜の鐘塔が美しく、ウェーデリアを代表する名建築である。
 その鐘塔の一階が正面玄関で、御影石の階段を数段上がって入ると、奥にはカフェがあり、床は全て豪華な赤い絨毯が敷いてある。手前に階段をあり、登った2階に大ホールがあった。
 ウェーデリア公国軍の警護の中、オーギュストが階段の金色の手摺に手をかける。
 と、カフェの方では、物々しい警備に、どよめきが起こっている。その中で、一人の若い女性が、思わずティーカップを落として、バタバタと立ち上がった。
「ギュス君!」
 オーギュストが振り返る。その声の主とオーギュストの間に、すでに数人の護衛官が割り込んで、盾となっている。
「久しぶりギュス君、覚えている?」
 不安げに問い掛ける。すぐに、その女性を数人の護衛官が取り囲む。
「……ああ、ルーシーじゃないか。懐かしいね」
 オーギュストは微笑み返す。
「同級生だ」
 オーギュストが傍の護衛官に囁く。
「こっちに出て来ていたのか?」
 少し大きな声を出して、そうルーシーに話し掛ける。
「ええ、サン・ミッチェル記念大学に。ギュス君もすごい事になっているじゃない」
 ルーシーは満面の笑顔で答える。
「軍師将軍閣下、時間がありません」
 護衛官が急かした。
「そうか、また連絡してくれ」
「うん」
 二人は笑顔で分かれた。
 それから、階段を登りながら、オーギュストの表情は明らかに不機嫌になっていた。
「どうかしたか?」
 少し後ろを歩くスレードが訊く。
「……」
 オーギュストは何も答えない。
「あの娘、何と言ったかな」
「ルーシーだ、ルーシー・カオル・ナイトだ。サン・ミッチェル記念大学に推薦で合格した。俺達世代では最高の出生頭だった女だ」
「なんか刺がある言い方だな。それに、大学の事も知らない振りをした」
「そんな事はない、気のせいだ」
 スレードは楽しそうに笑い出した。
「笑うな。目立つだろ。注目されてどうする。早く貴賓室へ。……貴賓室は何処だ!」

 下世話な思惑を交差させながらも、舞台の上で演じられる美しい芸術に涙する。
 演目はエリーシア世界で最も有名な作品の一つで、家族を殺された男が復讐の為には手段を選ばぬ修羅となり、仇をもう一歩のところまで追い詰める。だがその時、死んだと思われていた妻子が目の前に現れて、彼に人として心を取り戻させる、という感動巨編である。
 妻を演じる若い女優が、難しい役を見事に演じきっている。女優の名はシルヴィア・クリステル。見る者全てを感動へ誘っていた。オーギュストも目にハンカチをあてながら、シルヴィアの動作一つ一つに魅入っている。そこには人を魅了する美しさ全てがあった。
 貴賓室には、アルティガルド王国宰相ベレンホルストがいた。
「将軍、御結婚はどうお考えですかな?」
「私はまだ18ですよ。まだ早いでしょう」
「いや、我が国の王は、18歳の時に父親になっておられた。早くもありますまい」
 ベレンホルストは丁寧な言葉で語らう。
「18ですか、懐かしいですな。あの頃は、国も乱れ、王家は貧窮していた。私は故郷の復興に生涯を捧げる事を、それぐらいに決めていた。あれから半世紀が過ぎたか……」
 ベレンホルストが目と瞑る。
「将軍は何を目指される?」
「私の生涯のテーマは、女性を見極める事です・かな」
「あっはっははは、将軍はお若い」
 他愛もない会話の中で、相手の本質を探ろうと、瞳の奥にクールな視線を潜ませる。だが両者ともに、恰も闘牛士のように、それを巧みにかわし合っていた。
「それでは、本題に入りましょうか?」
「ええ」
 探りあいに飽きたのか、ベレンホルストは話題を転じた。それをオーギュストも言葉短く受ける。両者の顔が自然と引き締まっていく。
「これが、対魔草用の除草剤です」
「……」
 オーギュストが小瓶を取り出すと、ベレンホルストが鋭く睨む。
「即効性ですから、すぐに枯れますよ」
「信用しよう。偽物なら、すぐに分かる。そんなつまらない事やりそうには見えんからな」
「でしょ」
 オーギュストは口の端を吊り上げた。
「だが、目的は何だ。無論、同盟という事は分かるが」
 ベレンホルストの低く底冷えする声にも、オーギュストは悠然とグラスの酒を飲み干す。
「私はカリハバール打倒しか興味がない。正確には、その裏で蔓延るGODという組織だが」
「確か、所属していた部隊がカリハバールの魔導師に全滅されたとか?」
 オーギュストは「何でも知っていらっしゃる」と薄く笑った。
「神代の知識を摘まみ食いしている連中で、どうやら見掛けより、地下茎はかなり太く張り巡らされているらしい」
「ロードレスにもその組織が?」
「おそらく。あの魔草は、ウェーデル山脈には生息していませんから」
「我等は敵ではない訳か?」
「現状、GODと繋がりがないのなら、そう言う事になる」
「あくまで、敵討ちが優先と?」
「……そうです」
「宜しい……貴方の敵討ちに協力してやろう」
 オーギュストが全てを話していない事に、ベレンホルストはうすうす気付いていたが、それ以上深く踏み込まなかった。
「そのGODを滅ぼしたらどうする?」
「貴方方は、セリアで皇帝に即位されるといい。邪魔はしない」
「ほお」
 さらに眼光が鋭くなる。
「天下は貴方方のものだ」
「随分、無欲じゃないか、え?」
 ベレンホルストの声は訝しがっている。
「貴方もその才がありながら、王になってはいない」
「なるほど」
「しかし、ティルローズ様には、大公領としてランスを頂く。さらに、エリース湖側出口にローズマリー様を。海側をメルローズ様に。ああ、メルローズ様は公爵で結構ですよ」
 次第に、オーギュストの口調が軽くなっている。
「グランカナル(大運河)を独占とは贅沢では?」
「サリス人が造ったのだ。それぐらいは許して貰いたい」
「よかろう」
 ベレンホルストは酒のボトルを取って、オーギュストのグラスに注ぐ。
「乾杯しようか」
「ええ」
 お互いに、グラスを顔の前に掲げる。
「噂では、カイマルクに、死神と呼ばれる剣豪がいるとか、ご存知か?」
「いいえ」
 急にベレンホルストの声が、雑談に入った事を示すように、柔らかくなる。それに合わせるように、オーギュストは深く椅子に座り直した。
「南陵流ですか?」
「違う。北陵流らしい」
「ほーぉ、まだ受け継ぐ者がいましたか」
「将軍もお強いらしいが、戦ったらどちらが勝ちますかな?」
「私のは我流ですから」
 オーギュストは不敵に笑った。

 オーギュストがカルボナーラ号に戻ると、甲板でアフロディースが無愛想に「お客さんだ」と告げる。
 見ると、甲板の先端付近に置かれている簡易テーブルに、ルーシーが座っていた。
「知り合いだろ?」
「ああ、マックスは?」
「貨物船に行っている」
「使いを出して、当分戻ってこさせるな」
「私はお前の部下じゃない」
 腕組みをしたまま、アフロディースが横を向く。オーギュストは、余裕がない様子で、舌打ちをする。
「来ちゃった」
 と、ルーシー・カオル・ナイトが笑顔で手を振った。
「さっきの再会は、ここに来るための布石だったという訳か」
「あれは本当に偶然よ。でも、さすがに効き目はあったわ。ここまで案内してもらえたもん」
「だろうね」
 オーギュストは上着を乱暴に脱ぎ捨てると、ルーシーの向かいに座る。
「それで、俺に何の用?」
「いきなり、不躾ね。もう少し近況報告とかしないの?」
 親しげに顔を傾ける。
「申し訳ないが、仕事が残っている」
 オーギュストは足を組むと、忙しなく指でテーブルの端を叩いた。
「じゃ、言うね。私をナルセス・ディアンに紹介して欲しいの。きっと役に立つわ」
 ルーシーはやや上目使いだが、しっかりとオーギュストを見据えている。
「あははは、相変わらず直球だね」
 オーギュストは笑い出す。だが、それから少しずつ冷めた表情になっていく。
「てっきり、カーターの命乞いかと思った」
 ルーシーはカップの中で紅茶を転がして、それをじっと見詰めながら答える。
「ギュス君も結構ストレートよ」
「気分を悪くした?」
「別に、彼とは別れたから……」
「そう。カーターが罪人になったから?」
「随分な言い方ね」
 さすがに、ルーシーの表情も険しくなる。
「贅沢させて貰ったんだろ? 一緒に逃げてやればいいのに。サイトとかで、下働きしたら、生きて行けると思うがねぇ?」
 辛辣なオーギュストの言葉に、ルーシーはそれまでの友好的な雰囲気を捨てる。猛々しく立ち上げると、炎のような怒りを込めた瞳で、オーギュストを見下ろした。
「貴方達が彼を罪人にしたのでしょ? それが親友のやる事?」
「それで?」
「自分が成功したからと言って、私を見下すよなマネは止めてよ。何様のつもり? どうやってナルセス様の所に潜り込んだか知らないけど、自分を過信しない事ね」
「俺を怒らせたいのなら、もう少し気の利いた事を言ってくれないか。落差で、調子が狂う」
 ルーシーはもうオーギュスと見ていない。無視するように、言葉に言葉を被せた。
「マックスを呼んで頂戴。居るんでしょ?」
「都督殿はホテルに泊まっているよ」
「そうなの。時間を無駄にしたわ」
「会いに行くのか?」
「当然よ」
「止めておけ。お前は戦争前の、誰からもちやほやされた少女じゃない。皆が、負け犬カーターのお古、という風に見ている。お前にはもうかつての価値はない」
「見縊らないで!」
 ルーシーの顔に、激しい憎悪に満ちていく。
「でも、やっぱり、ね。待遇が違い過ぎない? あなたの評価なんてそんなものよ。精々捨てられないように、忠勤しなさい」
 吐き捨てるように言って、ルーシーはカルボナーラ号を降りた。

 オーギュストの背後に、アフロディースが回り込んだ。
「旧友なんだろ? 紹介ぐらいしてやればいいじゃないか?」
「……」
 そして、船の縁に寄りかかって言う。
「あのカーターという男への仕打ちといい、悪辣過ぎないか? お前らしくはあるが。まるで憎んでいるように見える」
「憎んでいるんだよ」
「へえ」
 オーギュストは頬杖を突きながら、重い声で呟く。それにアフロディースは薄く笑った。
「知識を高めるという事は残酷だ。知らなくてもいい事を気付かせる……」
「……」
 アフロディースの顔から笑いが消える。そして、興味を誘われたのだろう、僅かに美しい眉を寄せて、次の言葉を待つ。
「対カリハバール戦への出兵の時、親父に反対されて参加できなかったカーターを、俺は本気で可哀想だと思った。男として、これからの奴の事を心から心配もした。辛そうな奴の顔を疑いもしなかった……」
「陰謀なら、お前も散々やっているだろ?」
 アフロディースは、毒気の含んだ言葉を投げ掛ける。オーギュストは一切意に介さず、すんなり聞き流す。
「……死んでいった仲間の顔が、脳裏から離れない。所詮人の一生など、未熟さゆえに失った幸せを、求め足掻くようなもの。しかし、必死に足掻き求めた知識は、決して取り返せない刻[とき]の理[ことわり]を、突き付けて来るだけ。人には屈服するしか道はないのだろう……」
「……(どうしたのだ?)」
 アフロディースはアーギュストの意外な面に触れて、狼狽している自分に気付く。
「君も同じだ」
「へ?」
 唐突に呼ばれて、アフロディースの声が裏返った。
「ロードレスの高所から見ていれば、下界の人間など、点にしか感じないだろう。だから、その動きが止まろうが、消えようが、現実として認識できない。しかし、君は見た。そして触れた。カリハバールに蹂躙された人々を。そして、神代高度魔術の危うさも」
「……私に説教する気か?」
「そんな大それた事は考えていない」
 オーギュストは不意に顔を上げた。そして、安っぽい椅子に背を預けて、広く夜のエリース湖を見渡した。月の光も冷たくさえて、湖面に広がり、深々と青く照り返している。
「月も湖も綺麗だ……」
 冷たい夜風に、オーギュストの黒髪が乱れる。
「俺は冬の湖が好きだ。底まで澄み切った水中に、生命の欠片も見る事ができない。何故かそれを見ていると落ち着く」
 と、オーギュストは指を鳴らす。船内から、猫のニャッハが薄い魔道書を持って来た。
「これに、ミカエラの呪い解除方法は載っている。勝手にしろ」
「……いいのか?」
 アフロディースは受取ながら、低い声で訝しがる。
「朝からは正式に敵となる。それに……魔獣人退治は俺の仕事だった。それをこの月が思い出させてくれた。今までご苦労」
「……」
 釈然としないようで、アフロディースは無言で魔道書に瞳を落とす。
「月の前に一夜の友。こんな好条件、今夜だけだろうよ」
「フフ……分かった」
 一度長い瞬きをしてから、アフロディースが歩き出す。その背に、オーギュストが声を投げ掛ける。
「最後に一つ。俺は共に戦う者を、決して裏切らない」
 オーギュストはこれ以上ない程真摯な顔で言った。
「……訂正してやろう」
 アフロディースは軽やかに笑った。
 こうして、アフロディースはカルボナーラ号を降りる。


【翌日、ローレス神国】
 窓のない狭い部屋は、鉛の壁に囲まれて、光の一切入らない密閉空間である。その中央には、光の粒子で構成された球体が浮かび、その中心にアフロディースのやや憂いた顔が、映し出されていた。
「お前が間に合ってよかった」
 ゲオルギオスである。さらに痩せたため、刀のように研ぎ澄まされて見える。
「これから、本格的な反撃を開始する。ノイントモーントへ直行しろ。」
「お待ちください」
 アフロディースが身を乗り出す。
「アルティガルド王国軍は、毒の粉に対する対抗策を手に入れた、という情報があります」
「ほーお」
 ゲオルギオスの声が低く沈む。
「ならば、作戦を急がねばなるまい」
「お待ち下さい。都市に対して、毒の粉を捲くなど、あってはならぬ事。それに、良く分かっていない高度魔術を、無闇に使うのは非常に不安です。どんな恐ろしい報復が神より下されるか、分かりません」
「……アフロディース、臆したか! すでに賽は投げられたのだ! 我等がアルティガルドを滅ぼすか、我等が滅ばされるか、二つに一つだ」
「まだ他に方法はあります。サリスの同盟に組するのです。一時的にしろ、アルティガルドも戦う理由を失います」
「お前まで、総大主教に毒されたかも」
 ぞっとするほど冷たい声だった。
「そうではありません」
 慌てて否定する。
「この好機を逃せば、敵の対抗策は盤石となり、我等の優位も露と消えよう」
 ゲオルギオスの昂奮は収まらない。
「しかし、独断は失敗を招きます。私を含め、識者を集めて――」
「もう議論の時は過ぎた。今は実行の時である!」
 ゲオルギオスが怒鳴り、アフロディースの言葉を遮る。
「ご再考を」
「くどい! 残念だぞ、アフロディース。もはや帰るに及ばず!」
 それで通信が切った。
「アフロディース。お前の結論など百も承知。そんなものは、疾うに通り過ぎたわ。私が感情だけで動いているとでも思っているのか……!」
 ゲオルギオスが吐き捨てる。と、背後で足音がした。
「増長しておりますな。女神フレイアなどと持ち上げられたために、勘違いしているのでしょう。今後の事を鑑みて、ここは厳しい処分を下すべきです」
 ブラシオスである。
「だが、奴は貴重な戦力……。それに、監禁しても、総大主教が救い出されるだろう……」
「だったら、国外で斬れば良いではありませんか?」
「奴は強いぞ」
 失笑気味に言い放つ。
「魔導結合のよい実験では?」
「……」
 眼を剥いて睨む。それをブラシオスは真っ直ぐに睨み返した。
「まだテストも終わっていない。突然{いきなり}実戦など……。失敗{しくじ}れば、私は全てを失う……」
 ゲオルギオスの瞳が揺らいで、ブラシオスに背を向ける。
「その点なら問題ありません」
 その言葉に誘われるように、またゆっくりと振り返る。と、妖しくブラシオスは笑っていた。
「実は、初期試験体を密かに、潜ませておりました。いざという時は、それを暴走させればよいかと」
「聞いてないぞ!?」
「独断をお許しください。しかし、いつか、あの女はゲオルギオス様の仇となると思っておりました。当たりましたな」
 ブラシオスが頭を下げながら、ニヤリと笑う。まるで催眠効果でもあるかの如く、ゲオルギオスの手が震え出し、どうしても止める事ができない。
「……す、す、好きにすればよい……」
 視界が真っ暗に霞んで、口だけが意思を離れて、勝手に動いていた。
「はっ」
 ブラシオスは恭しく礼をする。


【ヴァロン、アルティガルド王国軍セレーネ半島方面軍総司令部】
 廊下に出たシュナイダーに、白いベレー帽に、ジャケット、短いタイトスカートの士官が二人、駆け寄る。
「やはり和平ですか?」
 ルイーゼ・イェーガー大尉が、待ちきれない様子で、詰問する。
「ああ」
 白い軍服姿のシュナイダーが、無表情に答えた。
「また、ディーンでしょうか?」
 今度は、ベアトリックス・シャルロッテ・フォン・フリッシュ中尉が訊く。
「そうだ。ベレンホルスト閣下と、直接交渉したらしい」
「お腹立ちですか?」
 ベアトリックスが探るように訊いた。
「そうだな。ディーンは俺がやりたい事を自由にやっている。サリスをアーカスで抑えるという俺の策を、逆手にとって、自らの行動範囲と選択の幅を広げた。ふわりとした策だったが、それだけに掴み切れない。正直、悔しくもあるし、妬みもある」
「……」
 率直なシュナイダーの反応に、ベアトリックスの方が戸惑った。そして、短い間だが、ルイーゼと見合った。
「だが、戦争とは組織でやるものだ。人の集まりの中で、自分の意見を通すには、順序と時間がかかるものだ。ディーンはそれを省いた。せっかちなのか、或いは、堪え性がないのかもしれん。まあ、この一点において、俺はディーンに優っている」
 じろりと、シュナイダーがベアトリックスを見る。気合いに押されて、ベアトリックスは頷いている。これほど、誰かを意識しているシュナイダーを見るのは初めてだった。
「しかし、大佐……」
「もう准将だ」
「辞令ですか?」
「准将になった。ついでに、カイマルク方面軍副司令官兼参謀長となる」
「おめでとうございます。しかし、これからと言う時に、サリスから遠ざかるとは……」
 ベアトリックスが苦々しそうに言う。ルイーゼは、「陰謀では」と苛立つ。
「俺が志願した。カフカの底も見えたし、勝ち戦などに興味はない」
 不敵に言い放つ。
「だが難題だ……」
 溜め息混じりに呟くと、ベアトリックスが眉を寄せた。
「カイマルクに死神が棲んでいるのを知っているか?」
「はい」

 かつて、エリーシア北部にカイマルク公国という国があった。
 西からサイア王国とトラブゾン公国、東からグランガノムグラード連邦、南からサイア王国とアルティガルド王国の圧力を受けて、絶え間なく緊張が続く国だった。そのため、歴代公王は武術を奨励した。
 当時の公王ガウル・フォン・カーンも、その方針を継承して、国家の根幹を南陵流の教えと定めた。そして、その要として、アルティガルドから南陵紫龍流の継承者ゲオルクを呼び寄せる。
 さらに、ゲオルクに憧れて、エリーシア中から達人が集まった。ガウルの保護の元、南陵流の道場が城下に建ち並び、技を競い合う。家臣団に剣術は根付き、剣の切磋琢磨が家風となっていった。
 ゲオルクには、南陵流をまとめる野心があり、南陵流宗家一族の娘と婚約した。こうして、この北の辺境に剣の華が咲いた、と誰もが思った。しかし、更なる発展を目論んだガウルが、北陵流の継承者を招いた事で、全てが崩壊へと傾いていく。
 ゲオルクの妻とマキシマムは、一目見て恋に落ちた。そして、マキシマムはゲオルクとの一騎打ちに勝ち、その妻を奪った。結果、ゲオルクの元に集った剣士達は分裂して、ゲオルクの後継を巡って激しく争うようになった。
 マキシマムの強さに魅了されたガウルは、その後始末をマキシマムに期待した。そして、南北の融和によって国内を安定させ、平和の到来を願った。
 だが、マキシマムは平和や政治には全く興味がなく、一途なまでに死闘に明け暮れた。マキシマムは死神のような強さを見せ、結果、南陵流の剣士は全滅。カイマルク公国は著しく弱体化していく。
 そして、数年の後、カイマルク公国は、サイア王国、アルティガルド王国軍、グランガノムグラード連邦によって、三つに分割される事になった。こうして、地図の上から消えた。
 現在、アルティガルドは本格的な併合を目論んで、軍を動かしていたが、死神マキシマムを中心とした勢力によって阻まれていた。

「本国では、マキシマムとディーンを共倒れさせたいらしい……」
「マキシマムは無双の剣豪ですが、単純です。そこが狙え目かと」
 シュナイダーが唸ると、ベアトリックスが進言する。
「確かに、そうだろう。だが、ディーンは違う。あの男がどう出るか、読み切れない……」
 シュナイダーが長く息を吐き出す。眉間には険しい縦皺が刻まれていたが、表情は今までに無く、生き生きとしていた。
「大佐、いや、准将、サイアのアベールはいかがしますか?」
「アベール?」
 あー、と長く引っ張って、そして、優雅な仕草で指を顎に当てる。
「サヴァリッシュ大尉は、まだサイアのアベールと接触しているのか?」
「はい、アベールは、あらゆるコネを伝って、諸勢力に書状を送っているとか」
「自分を迎えに来るように、か?」
「はい」
 ルイーゼが答える。
「正気とも思えん。後は情報部に任せて、リヒター少佐とサヴァリッシュ大尉を戻せ。何れアーカスも敵となろう。それまでに、分析をまとめさせろ」
 シュナイダーが吐き捨てた言葉に、ベアトリックスは驚く。
「アベールを切り捨てるのですか?」
「もはや利用価値がない」
「それではあまりに……」
 シュナイダーの顔には一片の感情の揺れも示していなかった。
「道義に劣るか」
「……いえ、……私が言いたいのは……」
 ベアトリックスは俯いた。二人の間に若干の距離が開く。
「俺の主義を教えてやる。『裏切られる前に裏切れ』だ。俺はそうやってここまで這い上がって来た。間違っていたとも思わんし、これからも変えるつもりもない」
 ベアトリックスは一瞬寒気がした。いつかは自分も切り捨てられるのだろうか。その不安に思わず足が止まる。
 そんなベアトリックスの動揺を感じたのか、突然シュナイダーが振り返った。
「お前に新たな任務を与える。鎮守府に戦術顧問として赴き、そして、ディーンを探れ」
「ディーンを?」
「そうだ。敵の正体がつかめんのでは、戦いにはならん。奴のあの強さの謎を解き明かせ。そうすれば俺達は勝つ」
 ベアトリックスの顔に、迷いの色がある。
 その時、シュナイダーの頬の筋肉が緩む。
「そう言えば、アフロディースが行動を共にしているそうだ。そっちにも接触を試みてみろ。どんな女か知りたい」
 ベアトリックスはアフロディースの名を聞いて、思わず考え込んでしまい、シュナイダーの表情を見逃した。
――あのアフロディースが……何故……?
 ベアトリックスの脳裏に、アフロディースのシルエットが浮かぶ。
 鍛え上げられた腹部は、神秘的な程のくびれ、重力を拒絶した巨乳、官能的な膨らみを持つヒップ、それら超グラマラスな曲線は、女性のベアトリックスさえ魅了していた。
 この世にこれほど凛々しい女性がいるのだろうか。
 ベアトリックスも、スレンダーな体に豊満な膨らみと、奇跡のようなスタイルだったが、アフロディースの前では、全てが霞んでしまう。憧憬は、すぐに嫉妬の感情へと昇華した。


【ヴァロン、サイア軍陣屋】
 農家を借り受けて、サイアの本陣はあった。古い建物で壁は黒くくすんで、床には無数の傷があった。作りは質素だが、頑丈にできていた。
 鎮守府軍とアルティガルド王国の同盟を知ったカフカは、憮然と目を閉じて、腕組みをしたまま動かなくなる。
「あの子、初めから狙っていたのかしら?」
 ジャンヌが部屋の隅で、茶を汲むと、カフカの前に差し出した。だが、訊いてから、しばらく経っても、なかなか返事がなく、ジャンヌは諦めて背を向けようとした。その時、カフカは低く呟く。
「ディーンは天下を狙ってはいなかった……」
「へえ?」
 よく聞き取れず、ジャンヌは聞き返した。
「カリハバールを倒せるなら、サリスでも、オルレランでも、アルティガルドでも構わないのだろう。それでは困るのだが……」
「困る?」
「世界の再生を意識して、戦争は始めるべきなのだ」
 言って、カフカは目を開いた。
「アルティガルドはこれで行動の自由を得た。さすがのオルレランもルブランも、ここで流れに逆らっては、世界の支持を得ない。王弟レオンハルトを筆頭に、大挙してセリアを攻略して、ヴィルヘルムはセリアで皇帝に即位するだろう。だが、その後どうなる?」
「後?」
 ジャンヌはカフカの心地好いように、導いていく。
「旧世界の枠組みを保ちつつ、新しい勢力への配慮した世界秩序を構築すべきなのだ。それが、世界の混乱を最小限に抑える唯一の道」
 ジャンヌに乗せられて、カフカは持論をたたみ掛けていく。
 この時期、カフカは各有力者に何枚も書状を書いている。そこには、『カリハバールによって、サリス・サイアの王侯貴族が追い払われて、権力に空白が生まれた。そして、各地に新たな勢力が台頭し、細かく分権した。これらの勢力をまとめ上げるには、統合の象徴たる“治天の君”が必要である』とあった。
 カフカはサイア王国復興を第一に考えながら、それだけに留まらず、エリーシア世界全体の安定を志していた。
「それには、野心家の王ではなく、優しさを具現化した女王こそが必要だと考えている」
 言い切って、ジャンヌの煎れた茶を一気に飲み干す。
「だから、ローズマリーやティルローズを守る彼らと手を組んだ、訳ね」
「ああ」
 カフカは唸るように答える。その眉間には、苦い翳りが落ちている。
「あの子は何のために戦っているの?」
 また、ジャンヌが誘うように呟く。
「カリハバールを導き入れた、と噂されるGODについては、やけに熱心になっているようだが、私事を優先しては、何事も成す事はできない。それに気付かぬ男とも思えんが……」
「やっぱりまだ子供なのよ」
 ジャンヌが微笑む。
「子供か……」
「神々しいまでの才能を有し、時に誰よりも老獪に振る舞うが、時に精神の乱れを抑える事ができない。大人がしっかりと導く必要があるのでは?」
「……なまじ、影響力があるだけに、気を配る必要があるのかも分からんな」
 カフカは顎に手を当てて、考えに耽る。
 ジャンヌはそれを見て、くすっ、と笑った。
「能力の高い者が、子を導く父のように、道を諭す必要があるのよ、きっと」


【ポーゼン】
 アベール・ラ・サイアは不機嫌そうに、捲くし立てていた。
「私は聞いていないぞ」
 細長いテーブルを、ペルレス・ド・カーティス羽林将軍、シド・ド・クレーザー武衛将軍、ゴーティエ・デ・ピカード鷹揚将軍などが囲んでいる。しかし、どの顔もお疲れ、昔日の勢いを思い出すことができない。
「ペルレス、お前は聞いていたのか?」
 ペルレス・ド・カーティスが眼を閉じて、じっと腕組する。そして、一音一音はっきりと発音して、否定する。
「いいえ」
「では、叛逆ではないか!」
 将軍達の背後をぐるぐるまわりながら、アベールは怒りに任せて声を荒げた。
「ですな」
「すぐに討伐の勅命を発せよ」
「誰に、です」
 半ば呆れ果てている。
 アベールは血走った目を見開いた。その眼は、純度の高い憎悪が結晶化されているようで、狂気に輝いている。
「ピカード! 兵を集めよ。余が自ら討伐の指揮を取る」
「お待ちください」
 サイアの股肱之臣、ピカードは鋭く制した。四角な顔に細い眼をした地味な男は、実直な態度でアベールに臨む。
「今動けば、アーカスに捕捉されます。ここはじっと時勢の到来を待つべきです……」
「ピカード将軍、もっとはっきり言った方がいい。アーカスにすら、我らは蛇に睨まれた蛙よ。よもや、ナルセスと戦える力などある筈がない」
 言ったのは、ペルレスである。
「ならば、アルティガルドを利用すればよい。シュナイダーは余の力を高く評価していた」
 ペルレスは薄い笑いを顔に浮かべる。
「そのアルティガルドが同盟したのです」
 アベールは憮然としたが、言葉には力があった。
「では、ホーランドはどうした? ルブランは? ……オルレランは?」
「何処からも連絡はありません」
 言い難そうに、ピカードが呟く。
「そんな筈はあるまい。アルティガルドの野心は明らか。サリスの帝室に繋がる者が、手を組む筈があるまい。第一、そうだ、おかしいではない。何故、同盟などが成り立つ。これはティルを貶める罠かもしれん。エリーシア世界の復興は、サリス・サイアの嫡流たる我らこそが導くべきもの。ティルの発した令旨を取り消して、改めて――」
 熱く語るアベールに、ペルレスは正対する。そして、背筋を伸ばすと、「ご注進致します」と大きな声を上げた。
「サリスの皇女に、ディアンの武勇が合わさり、さらに、アルティガルドと互角に戦った実績があって初めて、世界を導く事ができたのです。このポーゼンにあって、やんごとなきお方が、如何に親書を乱発しようとも、人々の心を引き付ける事はありますまい。また――」
 さらに続けようとするペルレスを、アベールは「もうよい」と待遇{あしら}った。そして、クレーザーとピカードへ語りかける。
「グザヴィエやラマディエは? いや……アレックス・フェリペ・デ・オルテガは?」
 アベールの表情は、屈辱に真っ赤になっている。
「それは駄目です。人臣の信頼を失います」
 即座に、ピカードが返す。
「お前達は分かっているのか! 対カリハバールに15万もの大軍が集結したのだぞ。もはや一刻の猶予も無い。乗り遅れれば、一生この田舎に取り残される!」
 剥き出した眼は血走っていた。
「ナントがあればどうにかなりました……」
 ポツリとクレーザーがもらす。
「余の所為か? おまえたちが不甲斐ないからだろう」
「それは申し訳なく思いますが、我らにはローズマリー様とディーン殿の両翼が必要なのです」
 それまでの態度を改めて、ペルレスが真摯に言う。それに、アベールはちらりとローズマリーを見た。
「だから呼んだのだろうが、どうして来ない。そればかりか、勝手にアルティガルドと同盟しよって!」
「カリハバールに勝つ為です」
「お前達は全部あの軽薄な男とグルなのか?」
「そうではありません。我らの想いは、ローズマリー様とティルローズ様の身の安全。それだけは一致しています」
「もうよい。お前達はお前達で勝手にしろ。俺は行くぞ! ジャン・フェロン、船を用意しろ」
 そう吐き捨てて、腹心と共に部屋を出て行く。
 後には深い溜息が溢れた。
「困った方だ」
 クレーザーが呟く。
「決して無能ではないのだが、才が先に出てしまう」
 それにピカードが続ける。
「だから、始末におえない。全くの無能であれば、こちらの言う事を素直に聞いてくれたのだろう。だが、意地もあろうし……」
 ペルレスはそこで一度言葉を切って、ローズマリーを目の端で捉える。
「御腹違いの妹カレン様の存在もある」
 その間に、ピカードが言葉を挟んだ。
「焦り、妬み、恨み、全てがあのお方を狂わせている……」
 クレーザーが重く囁く。
「だからと言って、我ら、いや、ローズマリー様を危険に晒す訳にはいかん」
 ペルレスが強く言い切った。
 その時、ローズマリーが口を開いた。
「あの人の自由させてください。私達はティルを待ちましょう……」

 数日後、アベールは手勢を率いて、ポーゼンと出立した。どこかに頼る当てがあった訳ではないが、取り敢えず、セリアに上陸して、対カリハバール連合軍に参加するつもりでいた。
「ティルがいる。彼女は妹のように可愛がってきた。きっと俺を立ててくれる」
 そう何度も呟く。
 しかし、すぐにアーカス艦隊に発見されて、追い回された挙げ句、大半の船を失って、ポーゼンへと逃げ帰るしかなった。


【サンクトアーク】
「アベールも落ちたものだな」
 アレックスが嘲笑気味に囁く。
 狭いが贅を凝らした部屋で、壁は黄金の装飾で輝いている。この部屋の中に、3人の人物がいた。中心に幼いアーカス王カルロス3世、その右にクリスティー、その二人の前をアレックスが苛々と歩いている。
「一気に、ポーゼンを攻めましょう」
 クリスティーが勇ましく言う。
「いや、もはやアベールに求心力はない。ポーゼンなど自滅を待てばよい」
「自滅?」
 クリスティーが眉を寄せる。
「それまでに、どれだけ民衆が苦しむ事でしょう。まずは国家の再統一を最優先として、次にナントの不穏分子を整理する。そうなれば、臣民の不安の払拭され、国も安んじる事ができましょう」
「民やら、国やらに引っ張られ過ぎだ」
 アレックスが笑う。
「王族が自国を第一に考えて何がおかしい?」
 クリスティーが厳しく睨むと、ギロリと横目でアレックスがクリスティーを見据えた。「王族ならばこそ、エリーシア全体について配慮すべきだ。
「この領国の安定と臣民の幸福を蔑ろにして、何が王家か!」
 しかし、クリスティーは一切臆せず、話を続ける。
「それでは、サリスの皇女やサイアの王子と何ら変わらんではないか!?」
「……」
 クリスティーの思わぬ威厳に、アレックスは言葉に詰る。
「我らは、アーカスの一員です。この大地と共にある。よそ者のサリスやサイアとは違うのです」
 急に言葉のトーンを緩めて、諭すように言う。
「……しかし、天下を取ったものが、あなたの愛するこの地にも攻め込んでこよう」
「その時は、アーカスの誇りを胸に戦いましょう。だからこそ、今は国の力を蓄える時なのです」
 アレックスは、納得できない顔で、踵を鳴らした。
「カリハバールを討たずして、何がエリーシアの王家か。臣民のよい笑い者だ。世界秩序の安寧のために、命を賭けてこそ、王家の男よ!」
 叫ぶと、アレックスはクリスティーに背を向けた。クリスティーとアレックスの対立は深刻さを増して、いよいよ極限に至ろうとしていた。

 クリスティーが会議室を出ると、すぐに、アルティガルド王国軍参謀士官で、戦術顧問のリヒター少佐が待っていた。
「王女よ」
「少佐、何かしら?」
 リヒターは前のめりになって、話し掛ける。それに、クリスティーは澄まして返した。
「今度中佐になります。ヴァイスリーゼ(白い巨人)を預かる事になりましょう」
「それはおめでとう」
 クリスティーは関心なく、さっさと歩き出す。それをリヒターが必死に追った。
「シュナイダー大佐は切れ過ぎて、独断専行も多く、周囲への気配りも足りませんでした。上層部からも疎んじられていまし。しかし私は違う」
「どう違います」
「私なら、上層部にも伝手がありますし、必ず王女の手助けをする事ができましょう」
「それは頼もしい。でもね、中佐」
「はい」
「私は貴方方の力を必要としていませんし、信用してもいません。これを機に、アーカスは独自の力で、国を再建します」
「私は!」
 冷たいクリスティーの態度に、リヒターは強引に前に回り込んで、腕を掴んだ。
「私は王女の力になりたいのです!」
 熱く語るリヒターに、クリスティーは冷然と言い放つ。
「無礼です。お放しなさい」
 その威圧感ある眼差しに、リヒターは両膝をついて、項垂れた。
「私はアーカス王国の未来を担う、王女です。女としての感情は捨て去りました……」
 クリスティーは独り廊下を進みながら、小さくが力強く呟いた。


【12月下旬、グリューネル】
 グリューネルに滞在して、瞬く間に、数週間が過ぎていた。連日、オーギュストは物資のかき集めに躍起となっている。特に兵糧の管理は、必ず自分自身で行った。その全容を把握しているのは、オーギュストだけである。そして、日が沈むと、カルボナーラ号から、ナルセスへ魔術通信を行った。
「時間がかかり過ぎるぞ」
「だから、今はもう冬なんだ。そうそう穀物は集まらない」
「お前から、泣き言を聞くとはな」
 ナルセスがもれそうになる笑いを必死に堪えている。
「お前楽しんでいるだろう?」
「そんな事はない。あははは」
 ついに、隠し切れずに、笑い声が零れた。
「不謹慎な奴め。実際、ウェーデリアの兵糧庫は空だった。反公王派が密かに隠していたんだな。見つけ出すのに、どれだけ苦労したか」
「具体的に?」
「ある男は、塔の上でキャッチボールの球に成る事が子供からの夢だったと言うし、ある男は下半身を石化して湖に浸かると健康に良いとか言うし、本当に無理難題を俺に押し付けてくる。実現するのにどれだけ苦労したか」
「……(悪魔……)」
「とにかく、ようやく揃ったから、そっちに向かうわ」
「そっちからの増援が間に合えば、これで戦力は1万にはなるぞ」
 ナルセスの声が奮える。
「所詮寄せ集めだ。期待はするなよ」
「ああ、それでも使い分ければ十分機能する」
「期待してます。じゃ」
 オーギュストは通信を切る。そして、余りもののパンを頬張りながら、輸送リストの数字を再度確認する。

 しばらくして、甲板を歩く人の気配に気付く。
 オーギュストは立ち上がると、剣を手に取って歩き出した。そして、「何だ」と甲板に顔を出す。この夜は、新月で闇は深かった。オーギュストがランプを掲げると、ぼんやりとした光の中に、思わぬ美しき立ち姿が現れて、だらしなくも階段から足を踏み外した。
「戻らなかったのか?」
「国境付近まで行ったが、どうしても言い残した事があって」
 アフロディースは船の縁に寄り掛かって、テーブルの上に置いている、2リットルほどのガラス瓶を指差した。
「魔道書に従ったら、見事な杏酒ができた」
 アフロディースは穏やかな声で呟くが、瞳が笑っていない。
「キーワードは杏だったのだよ。アフロディース君」
 オーギュストは悪ぶれもせず、そう言い逃れる。そして、テーブルまで歩き、ガラス瓶を覗き込んだ。
「いいできだな。これで呪いは解けた」
「……黙れ。一度でも、信じた私が馬鹿だった」
 アフロディースは最後のページを広げて見せる。そこには、『飲みすぎには注意しなさい、マックス』と大きな字で書いてあった。
 オーギュストが、ふっ、と笑い出す。
「実は全部嘘。呪いなんてないよ」
 アフロディースは溜息を付いて、深い闇に包まれていくエリース湖を見渡した。
「……くだらない」

 カルボナーラ号を見詰める六つの眼があった。
「国境から突然戻ったと思ったら、このまま沖に出るつもりか。どうする?」
「ここでやろう」
「しかし、二人いるぞ」
「3対2なら、今の俺達なら勝てる」
「この力を早く試したい」
「よし分かった」
 三つの影が岸壁を駆けていく。

「そんな事を言いに来たのか?」
「違う」
「だいたい、君だって嘘を付いている。これは君が作った物じゃない。杏は――ッ!」
 その時、急に二人の顔が緊張した。そして、視線を合わせて、互いの認識を確認し合う。
 その直後、一つの影が、闇夜に舞い上がった。そして、カルボナーラ号のマストの頂点に立つと、そこから真っ逆様に駆け降りてくる。
「知り合いか?」
「貴様だろ」
 短く会話する後、アフロディースが剣を抜き、オーギュストは持っていたランプを向ける。
「槍だ」
「分かっている」
 一瞬、槍の穂先が照り返した。その閃光がアフロディースへ迫る。
「速いッ!」
 一歩踏み出し、槍を上から叩いて、間合いを詰めるつもりでいた。だが、想定よりも槍の突きが速い。アフロディースは咄嗟に身を引いた。しかし、もともとの立ち位置が、船の縁に近くと悪く、すぐに退るべき地を失う。
「やあああっ!」
 影は喚[わめ]きざま、再び突き込む。
 アフロディースはきっと目元を引き締める。そして、わずかに上半身を斜めにして、首すれすれにかわす。そして、引き際の槍を左手で掴んだ。
 その時、テーブルの上のガラス瓶をオーギュストが蹴る。そのガラス瓶は、アフロディースの後頭部を掠めて、船の縁に突拍子に現れた二つ目の影を直撃する。そして、オーギュストは剣の柄に手をかけて、抜き様に最初の影を斬ろうとする。
 だが、動き出した直後に、はっと足を止める。そして、逆手に持ち返ると、抜き、肩の上を背後へ突く。
「!」
 手応えを感覚{おぼえ}て、逆手を諸手に持ち替える。だが、捉えたと思った三つ目の影へのダメージは、致命傷ではなく、腕をわずかに切り裂いただけだった。
 オーギュストは剣を頭上に構えた。と、背中でアフロディースの背が接する。アフロディースも二つの影を相手に苦戦していた。
「敏捷な奴等だ」
「ああ、尋常じゃない」
 短く、会話する。
 三つの影は、狭い船上で二人を取り囲む。そして、その呼吸は合わせて、攻撃のタイミングを伺っている。
 一番目の敵が、怒号を発して、突っ込む。
 オーギュストとアフロディースはそれぞれの右手方向へ一歩ずれながら、反転した。槍は二人の間を突き抜ける。と同時に、二番目、三番目の敵の槍が、それぞれの元の位置へ伸びている。
 オーギュストはその槍に剣を這わせて、擦るように走らせる。疾風を巻き起こした剣波が、影を薙ぎ払う。血飛沫が舞った。そのまま体を回転させる。一番目の槍が、アフロディースの背後を襲おうとする所を、上から斬った。見事に槍は切断されたが、その穂先がオーギュストの左腿が傷付ける。
 一方のアフロディースも槍を切断して、影の首を刎ねようとする。だが、紙一重で上体を反らしてかわされた。
 二つの影は、潮のように数歩退いた。そして、それぞれ剣を抜く。
 再び、4人は睨み合った。
 今後はオーギュストが先に動いた。素早く左手を突き出す。掌が開くと、閃光が溢れ出た。ランプの中にあった光の精霊である。
「卑怯ッ!」
 不意をつかれた影が、闇雲に袈裟斬りする。それをオーギュストは、刷り上げて崩し、上段から斬った。
「おのれッ!」
 一方のアフロディースは、鍔迫り合いを繰り広げていたが、力負けして、剣を押さえ込まれている。しかし、技で上回るアフロディースは、力を抜いて、巧みに巻き返す。
 慌てて最後の敵は、一歩退いて、下段に構える。そこへ強烈な一撃を叩き込んだ。
 オーギュストとアフロディースは、剣を収める。三つの影が、船上に横たわっている。
「……強い」
 荒い息で、アフロディースが呟く。
「速くて力強い。……自然じゃない」
 オーギュストも慎重に呟きながら、膝を折って、顔のマスクを取る。と、アフロディースが小さな悲鳴を上げた。
「知っているのか?」
「……共にゲオルギオス様の元で剣を習った。同門だ」
 呟きながら、他のマスクも剥ぐ。
「何故……」
 そして、苦痛な声でうめく。
 その時、オーギュストの赤い瞳が、死体の首の裏で蠢いている物体を発見する。
「……魔蟲か」
 今度はオーギュストがうめいた。アフロディースは険しい視線をオーギュストへ向ける。

 船室に降りて、オーギュストは傷の手当をする。壁際の松葉色のソファーベッドに、包帯を巻いていた左足を伸ばして、マックスの姉マーガレットの作った杏酒を飲む。甘い香りがする酒だったが、今は苦味しか感じず、全く酔いそうにない。
「君は当分ここに隠れていた方がいいだろう。理由は知らんが、君の祖国は君の存在が疎ましいらしい」
「……」
 アフロディースが丸い窓から、真っ暗な湖を眺めている。その切なげに潤んだ瞳には、黄色い炎に包まれて夜の水面に揺れるボートが写っていた。
「狙われていたのは、明らかに君だった」
「折角の申し出だが、何か誤解があるのだろう、すぐにでも、事体の収拾のために戻らねば……」
「情報も無しにか? 君一人だと死んでいた」
 さり気無く言ったオーギュストの言葉に、アフロディースは振り返って、きつく睨む。だが、白い包帯の足を見て、急に目を逸らした。
「すまない」
「敵の正体とトリックを摘発{あば}くまで、大人しくしている事だな」
 オーギュストはアフロディースの狼狽を見て取ったが、そこには一切ふれない。
「……何を企む」
 アフロディースの眼光が鋭くなる。それに怯えたように、オーギュストは両手を挙げた。
「戦うには君の力が必要だ、と言ったら信じてくれる?」
「私はロードレスの軍人だぞ」
「祖国の過ちを改めるのも、戦士としての義務だろ?」
「……」
 アフロディースの長い睫毛が、心の乱れを具現したように、激しく揺れている。そこに、オーギュストが判断への後押しをした。
「俺の持っている情報は、全て伝えるよ」
 長く続いた沈黙の後、承諾の意思を表現{あらわ}して、一度瞼を閉じる。そして、条件を提示した。
「条件として、ミカエラ殿の呪いを解いてもらおう。信頼関係にはそれが不可欠だろ?」
「それは難しい」
「何!」
「ミカは俺に必要な女だ。失う訳にはいかん」
「初めから、開放する気がなかったのか?」
 昂奮したアフロディースは、オーギュストの傍に立って、上から憎悪を込めた瞳で睨み付ける。と、オーギュストは素早く腕を掴んで、ソファーベッドに引き倒した。
「当然。だが、ミカの代わりを君が果たしてくれるならば、俺も考えよう」
「ふざけるな!」
 喉から血が出ると思えるほど、大きく叫ぶ。だが、オーギュストは強引に、左足を被せて押さえ込んだ。アフロディースは蹴り上げようとするが、思わず、オーギュストの包帯が目に入って、動きを止めてしまう。
「どうした? 蹴らないのか?」
「……」
 アフロディースはただ目を逸らした。
 行ける!
 オーギュストの赤い眼が妖しげに輝く。そして、勝手にアフロディースの軍服を脱がし始めた。丈が短めの濃紺のジャケット、白い帯状のリボン、白いブラウスと開くと、髪と同じ銀色のブラが露になる。
「やっ、止めなさい。卑怯者!」
 強烈な言葉を投げかけるが、どうしても脚を上げる事ができない。
 その間に、オーギュストはブラの上から大き過ぎる胸の膨らみを掴んだ。
「ああーっ!」
 それだけで、アフロディースは無意識に熱っぽい吐息を吐き出す。その艶っぽい声に、アフロディース自身が驚いた。「何故」と言う文字が、一瞬で脳裏を埋め尽くす。だが、その一方で、不思議な馴染みが身体のそこらに感じられた。
 戸惑いは、身体を金縛りにする。
「……凄い」
 オーギュストは大胆に、ブラを刷り上げる。純白の美肌に、薄く青い血管が浮かんで、思わず目が釘付けとなった。そして、何よりも、その大きな膨らみが、やわらかそうに、ぷるん、と揺れた時、オーギュストの性的昂奮は最高潮となった。本能のままに、その魅惑的な乳ぶさを、掌で優しく包み込む。と、その弾力のあまりに甘美な感触に、もう病み付きとなってしまう。
「あ……い、いや……」
 口は拒絶の言葉を洩らすが、美乳からツンと突き出た乳首が、淫らな興奮を如実に晒している。
「いやなら、俺の足を蹴ればいい」
 オーギュストが耳元で囁く。その熱い吐息に、アフロディースが身悶えた。
 人差指が硬い小さな蕾の押し潰す。離れると弾かれたように元に戻り、下の巨乳がプルプルと振動する。さらに、やや強めに摘む。
「ひぃ、あぁん」
 弄られた乳首から、稲妻のような衝撃が、波紋のように広がっていく。アフロディースの白い首が反り返って、濡れ光る赤く薄い唇がだらしなく開いた。「そんな筈がない」と理性が疑問を投げ掛ける。「こんなに感じる訳がない。あたしは処女なのよ……経験ないのよ」と、どんどん謎が渦巻いていく。
 いつの間にか、指がへそを撫でて、下半身へと移って行く。腰の括れがじれったそうに捻れて、足の力が抜けて自然に開いてしまった。
――何かの間違いよ。こんな筈がない。でも、……どうしてかしら、ずっと物足りなかったような気がする……ずっと待っていたような気がする……の……
 アフロディースの太腿を、猫の手のようにしたオーギュストの指が、滑るように降りていく。
 指先が通った箇所に、甘美な痺れが走った。熱い快感が心の奥底から溢れ出す。
――ああ……こ、これよ……この痺れる微熱を……でも、どうして? どうして私は知っているの?
 アフロディースの凛とした瞳が、熱にうなされたように蕩けていく。
 そして、ついに、オーギュストの指が、ショーツの上から秘唇を撫でた。
「ああああっ!」
 アフロディースが絶叫する。
――来る……もう……あれが……来る!
 アフロディースの身体が激しく仰け反る。さらに、腰が捻れて、脚が縺れるように擦り合わせる。
 それにオーギュストの左足が巻き込まれた。
「ぎぃ!」
 オーギュストが短い悲鳴を上げて、体を起こしてしまう。
 と、まるで怯える子猫のように丸まって、アフロディースはソファーベッドから転び落ちる。そして、我に返って、思いっきりオーギュストの頬を叩いていた。その後、キャビンを飛び出して、そのままカルボナーラ号から下船した。

 アフロディースは静まり返った港を彷徨う。そして、倉庫の裏手にある公衆トイレへと駆け込むと、慌ただしく、バタンと強く個室の扉を閉める。
「鍵は?」
 後ろ手で鍵を探して、かけようとするが、手先がもたついて、上手くいかない。
「早く早く……」
 苛立ちが限界に迫ろうとした時、カチッと言う音がして、偶然にも扉をロックする事ができた。
「はぁ……」
 ほっとして扉にもたれかかると、思わず、今だ震えの収まらない唇から、安堵の息が強く長く吐き出す。
「……あいつ! よくも!」
 噛み殺したように、小さく怒気を叩き出す。
 しかし、心臓の高鳴りは一向に収まらず、顔も熱く火照っていて、自分が異常な状態である事は把握できている。アフロディースは、恐る恐る、力の抜けた指で、紺色のスカートの摘み上げる。
「ああ……」
 苦悶の声がもれた。股間は熱く蒸せ、ねっとりとした愛液がショーツに恥ずかしいシミを作っている。
「まるで、触れなば落ちん、ね……」
 口元を不健康に歪ませて、自嘲気味に笑った。それから、一度鼻をすすると、切なげに潤んだ瞳を指で拭って、赤く腫れた目元を、きりっと引き締める。
 どうしても腑に落ちない。一度も男女の経験がない自分が、こんなにも乱れるとはどうしても納得できない。何らかの魔術の影響なのだろうか。だが、そんな隙はなかった、と断言できる。だったら、やはり、自分の意思なのだろうか……
「情けない……これがアフロディースともあろう者の姿か……」
 かすれた声で自らを罵る。瞳はいつもの理知的な輝きが取り戻ろうとしていた。が、目の前の壁に、卑猥な落書きを見つけると、膝が震え出す。
「ち、ちがう……あ、あたしは……」
 娼婦を揶揄{からか}った「淫乱」「変態」などの文字が、アフロディースの瞳に浮かび上がって見える。それが脳裏に焼きついて、どうやっても振り払えない。
「いやよ。こんな事がある訳ないわ……あたしはあの気高いアフロディースよ…女神とさえ呼ぶ者がいるのに……こんな所で……ありえないわ……」
 どんなに頭を振って否定しても、悦楽の波が溢れ出して、胸をきゅっと締め付けて、股間を燃えるように熱く滾[たぎ]らせていく。もはや腰から下は、ふわりと緩んで、妖美な感覚に麻痺している。
「……あ!」
 よろめきながら、再び股間を覗き込む。そこにあるはずのない感触があった。先ほど秘唇をなぞった、オーギュストの指がまだあるような錯覚に襲われて、アフロディースはぞくりと身体を痙攣させる。知らず知らずのうちに、長くしなやかな指が股間へと伸びていた。
「だめ、だめよ……」
 身体の奥で何かがくすぶり続ける。
「ああ……」
 ショーツの触ると、湿ってずしりと重い。思わず、鼻にかかった甘ったるい声を漏らしてしまう。そして、布越しに秘唇がぴくぴくと蠢いているのが分かる。もう指を止める術はなかった。くちゃくちゃと卑猥な水音が個室にこだまする。
――ああ、少年のように瑞々しい指が…強くたくましい指が……あたしの…ここを……
「ひぃ!」
 無意識に、布の上から、硬く尖った蕾を摘む。背筋を電流が駆け登り、脳を焼いた。もはや身体を支え切れずに、するすると背で滑り落ち、両膝を床に付いて、前屈みに便座に倒れた。
 いつしか、もう一方の手がショーツの細い部分を横にずらして、直接指で秘唇の上を弄る。
「どうしたの?」
 もう理性は何処かへ消えた。アフロディースの顔はうっとりと蕩けて、瞳は焦点を失っている。そして、ただ淫欲に塗れた幻想へと意識が飛ぶ。
「お姉さんのが見たいの?」
 淫夢には、オーギュストがいた。恥ずかしげに俯いている。
「どお? きれい?」
 オーギュストが照れながら頷く。
「かわいい……触ってもいいよ」
 優しく囁くと、オーギュストが指を秘唇に押し当てる。
「気持ちイイ。とっても、上手よ……」
 アフロディースは、ただ快楽を求めて、一心不乱に秘唇を擦り続ける。
「指…指だけじゃ物足りないでしょ。な、舐めて、舐めて…てもいいのよ……」
 しかし、淫乱な幻影の中でのオーギュストは、ただ指で弄るだけである。
「指じゃいやよ。指だけじゃいや。舌で舐めて、吸って欲しい……のぉ!!」
 うわ言のように叫ぶ。その声に被さって、くちゃ、ぐちゃ、にちゃ、と淫靡なメロディーが、狭い個室に流れ続ける。そして、爪がクリトリスを弾いた時、
「あぅあっ……ああ~~ン」
 ちょろちょろと、小水が零れ出て行った。
 取り付いていた魔蟲が、魔獣人の魔力によって、夢魔へと活性化していた。そして、アフロディースの精神と肉体を、淫らに開発し尽くしていた。だが、それを当のアフロディースが知る由もない。
 その後、すすり泣きが、ばさりと垂れ落ちた乱れ髪の中から洩れ流れた。

 一時間ほどが経過した。港周辺の明かりは全て消えて、完全なる闇の幕が降りる。岸壁に人の気配を感じる事はできない。
 と、キャビンのドアがゆっくりと開く。オーギュストは強い透明の酒を煽っていたが、首を回して瞳で挨拶する。
「私が身代わりとなろう」
 じわりと生汗が滲んだ。
「ほぉ」
「ただし、一夜だけだ」
「一週間は欲しいね」
「……三夜」
「ふぅー、四夜」
「……分かった」
 トントンと会話が進んでいく。悲痛な決意に溢れた美貌は、被虐的な輝きを秘めて、言葉では言い尽くせない、神秘的な美を醸し出している。
――これは仕方がないのだ……ミカエラ殿のためなのだ。……そして、ロードレス神国のため……私一人が犠牲になれば全て良い方向へ行くのだから……
『あなたは大丈夫?』
――私は大丈夫。劣情にさえ流されなければ良いのだから。……さっきは、ただ突然だったから……不意打ちだったから、初めてのことで動揺しただけ……そうに決まっている……
 アフロディースは常と変わらない、氷のように透明感のある冷静な美貌である。
――情報と知識を吸い取ってやる……私をもっと強くするために!
 与える物よりも多くの物を得ようと、オーギュストに問い始める。
「あれは何?」
「あれ?」
 白々しくオーギュストは恍けた。しかし、アフロディースは無反応で、仕方なくグラスに溢れるほど注いだ酒を、一気に飲み込む。
「エーテルって知っているか?」
「精霊魔力の元……かな」
「……元か。まぁ、それでもいいが。エーテルは精霊を構成する成分の一つで、ある種のエネルギー結晶体だ。精霊の作用で成り立つ、この自然界に溢れているようだが、稀薄で何らかの効果を発揮するほど集まる事はない。ついでに、非常に不安定で、人間には直接扱う事、見る事、触る事もできない」
 オーギュストはソファーの肘掛を枕に、仰向けになって、天井の照明に群がる虫を見た。
「あの魔蟲は、精霊を食べて、そのエーテルを吐き出す。元々は余分な精霊を始末するものだったのだが、純度の高いエーテルを再生できる事は分かっていた」
「そのエーテルが、あの3人を強くした訳か?」
「結果から判断してそうだろう」
「分からないのか!」
 物凄い勢いで、アフロディースは美麗な眉を吊り上げる。よく分かってもいないにも関わらず、オーギュストのあの偉そうな態度が癪に障ったのだ。
「寄生した生物にエーテルを抽入している。エーテルを与えられた生物の生命力は、著しく活性化するのだろう……そんな所だろうよ」
 反射的にアフロディースは質問する。
「毒にはならないのか?」
 それに、オーギュストはこくりと頷く。
「精霊魔術は、術者の精神に障害を来たす。だから、大いに考えられるだろう」
「それも分からんのか!」
 また、アフロディースが牙を剥く。
「君は俺を相当な悪党だと思っているようだが、人体実験をやった経験{おぼえ}はない」
 きっぱりと言い放ったオーギュストに、アフロディースはぽかんとして、ただオーギュストの顔を見詰める。
「……そうか。すまない。先入観があった」
 再度、オーギュストは大きく息を吐いて、肩がどっと落ちた。
「しかし、どうしてそんなものが……」
 ゲオルギオスは遺跡で発掘にのめり込んでいた。と、アフロディースは思い出していた。だとすれば……、そう思い至って、全身に寒気がした。
「そりゃ、君の国に、悪者がいるのでしょう。これで君も立派な悪党の一味だ。ようこそ鬼畜外道の世界に」
 オーギュストはがばっと起き上がって、恋愛劇の三流役者のように両手を開いた。だが、無反応のアフロディースに、すぐに疲れた顔になって、「何でもない」と元の姿勢に戻る。
「いや、GODの仕業かもしれない……」
「それは違う。関わりはあるかもしれないが」
「なぜ?」
 簡単に手を振るオーギュストに、アフロディースは僅かな希望を求めて食って掛かる。
「根本的に、目的が違う。魔獣人というのは、破壊神シヴァが、この世の全ての生命体に宿らせた魔の心。それを猛々しい獣の精霊で、強制的に覚醒{めざめ}させたもの。強化された細胞は半永久的に分裂を繰り返す。理論上は不死だ」
「不死……長寿であるエルフ族みたいなもの?」
「それも違う。エルフとは、目的のためにデザインされた生命。精霊は無機質を有機質に変える。その精霊を管理運営するのがエルフ。芽吹いた生命を育むのが多眼人。両者とも、役割に対してのみ忠実で、何者の干渉も受けない孤高な存在。その役割の終焉と共に、自然と繁殖能力を失う。それすらも誇りにしている。それに対して、魔の心を覚醒した者は、永遠の命を得る。言わば、神の一員。ただし、シヴァの同時に使途となって、永久に隷属する事となるのだが……」
「……それは……」
 正否を判断できずに、アフロディースは戸惑う。
「シヴァは、理想世界“イデア界”を創造した。尽きる事のない命と生態系の頂点にあり続ける力。どちらも自然界とは相反する。これが神々の時代の終焉となったラグナロックの原因の一つ」
「……“神聖創世記”の大胆な解釈だな……」
「信じる、信じないは、そちらの勝手。とにかく、止めさせないとなぁ……非道過ぎるだろ?」
 オーギュストはまた低い天井を見詰めて、無意識に言葉の途中で溜息を吐いていた。
「そうかもしれない。……だが、私にはどうすることもできない……」
 沈痛な表情で呟く。
「まだ間に合うよ」
「え?」
「魔蟲の毒を最小限に抑えて、さらに強い力を得る為には、純度が高く、強力なエネルギーを持つ精霊が求められる。現在、自然界にある、炎、氷、雷などの精霊では、納得できる性能は引き出せないだろう。今度の敗北で、そう悟った筈だ」
「……」
 アフロディースは呼吸ができない。
「貴重で希少な伝説と言うべき精霊を見つけ出すには、時間がかかるだろう」
「先に見つけるという訳か?」
「ご名答。GODが関わるならここだろうな」
 アフロディースは細かく何度も頷く。それはまるで自分自身に言い聞かせているように見えた。
「さあ、始めようか」
 オーギュストは寝室への扉を開く。
――何かを得るには、何かを犠牲にしなければならない……
 唾を飲み込む。
――だが、決して私は劣情に屈しないい……
 アフロディースは唇を堅く閉ざした。

 その艶やかな口が、動き出す。
「うん、うんんっ……んっ……」
 ピンク色の舌を差し出すと、オーギュストの舌が絡み付く。舌と舌は絡まったまま、口内へと縺れ込んで、どっと交じり合った唾液が流れ込んでいく。
 アフロディースは一糸纏わぬ裸体姿だった。透明感を持った白い双乳は、うっすらと静脈が透けて見えていて、薄明かりの中、神秘的な美を漂わせている。
「目を開けて」
「やっ、いやぁーぁ!!」
 唇が離れると、アフロディースは頭を振って、絶叫する。目の前には大きな鏡があって、芸術的な裸体を全て写している。咄嗟に、腕を畳んで胸を隠し、太腿を捻って閉じると、小さく蹲る。その肩をオーギュストが背中から抱いた。
「この“代償の鏡(エアザッツ・シュピーゲル)”に、君を写して、ミカ以上に鏡を魅了すれば、呪いは君にかかる」
 そして、耳元でそれらしく囁く。
――これもミカエラ殿のため……決して…劣情じゃない……
 それに、アフロディースは唇を強く結ぶと、ふわりと立ち上がった。
「あ……あんっ」
 肩を抱いていたオーギュストの手が、双乳を下から揉み上げている。
――身体が気だるい……
 オーギュストは跪いて、背筋にそっとキスをする。アフロディースは気だるい瞳で、じっと鏡を見詰めていた。
――心の奥が渦巻く……あなたは抱かれたいのね……
 そして、丸くて張りのある尻を舌が這うと、アフロディースは自分から前屈みになった。両手を鏡につき、腰を突き出して、両脚を肩幅位に開く。
――その瞳……欲情しているのね……
「凄い濡れ方だ」
 オーギュストが脚の間から、囁く。
「まだ何もしてないのに、太腿までベちょベちょ。ほら、毛がこんなにくっ付いている」
 言いながら、銀色の繊毛を指で摘んで、肉襞から剥がす。アフロディースは見た目からは意外だったが、秘部に毛が多い。ただ、銀色のため目立っていない。アフロディースの秘密を知って、オーギュストの情欲が高まっていく。
――きれいよ、あなた……
 鏡の中のアフロディースは陶酔し切って、まるで別人のように妖艶に笑っている。
――欲しくて、欲しくして、たまらない顔……素直ね、羨ましいわ……
 いよいよオーギュストの舌が秘唇を這う。
「あっ、ああ……んっ……くぅ……あふぅ……んんっ……」
 鼻息も荒く、淫らに喘ぐ。
「こんなに淫乱とは知らなかった」
 オーギュストの甚振る声に、アフロディースは嫌悪感よりも、甘美的な昂奮に胸を熱くする。そして、屈辱ではなく悦楽にすすり泣きして、自分で自慢の胸を揉み始める。
「あ、うう……うっうっ……」
 オーギュストは舌腹を強く押し付けると、柔らかな粘膜を抉るように舐め上げた。それに、アフロディースは獣のように吼えた。
 さらに舌は、莢[さや]から剥き出されたクリトリスを勢いよく弾く。と、熱い滴が吹き落ちて、オーギュストの顔を汚していく。
「ひぃ、あぁん」
 アフロディースはずっと鏡の中の瞳を見詰めていた。潤み、紅潮した瞳は、聖女や女神ではなく、生の女だと言っている。
『ねえ、そんなに気持ちイイの? ねえ、どうして?』
――……これがあたしの本性なのよ、きっと……
『今まで隠していたの? なぜ? なぜ隠してきたの?』
――……そんな事どうでもいいじゃない……気持ちイイのだから……
『でも、不思議よ。あなたは女神フレイアの化身なのに?』
――……一皮剥けば、ただの女……
『そんなにSEXが好きなの?』
――……そうよ。気持ちイイのが好き……
『でもやっぱり変。あなたは処女なのよ?』
――……別に何も不思議じゃないわ。あたしは淫乱なのだから……それだけよ。それでいいじゃない……でも……あたしは処女……
『やっぱり彼が何かしたのじゃなくて?』
――……そんな隙はなかったわ……
『そう言い切れる。彼はあなたより強いのよ? よく知っているでしょ?』
――……ええ、知っているわ。あたしより遥かに強くて、優れている……あたしじゃ絶対に勝てない……世界を破滅させるほどの力がある……
『その情婦になるの?』
――……こ、恐いわ……
『そう、彼は恐い……暴走すれば誰にも止められない。だから?』
――そうね……あたしなら、あの子を導いてやれる……だって……
『あなたに男達は夢中?』
――あの子もきっとそう……だって……
 その時、オーギュストが舌で蜜壷を攪拌して、それから、じゅるじゅると音を立てて吸い上げていく。それで、アフロディースの心の結界が崩れた。
「はっ、くぅっ!」
 口は開けたまま固まり、小鼻は膨らんで、艶やかなに息をもらす。
――み、認めるわ……こ、これを、ずっとこれを待ち焦がれていたのよ……痺れる・ッ!
 白くしなやかな背中を、いっぱいに仰け反らせて、ブルブルと身悶える。
「あっ! あっ! あんっ! ああんっ! あああっ!」
 日頃の凛とした姿からは、想像できない喘ぎぶりだった。
「いい、いいわ、いいのっ! とってもいいのッ!」
 白い喉元を突き出して、狂おしい快楽に登りつめていく。
「イっ! くぅうううっ!!」
 そして、絶頂の悦びを叫び上げた。
「はぁはぁはぁ・」
 アフロディースは放心して、顔を鏡に押し付けると、荒い息で鏡が曇る。
「ねえ、あたしをずっと狙っていたでしょ?」
「ああ、君こそ、羞月閉花。君は完璧だ。そんな君を俺は独占する。この鏡に誓え、俺と共にあると。そうすれば、もっとお前に妖美な世界を体験させてやる」
 オーギュストが囁く。
「ええ、誓う。だから、もっと……して……」
 従順に答えていた。と、惚けたアフロディースには、もう認識できていないが、魔鏡が青白く輝いている。
 ふふと笑ったオーギュストは、立ちバックの体勢で、いよいよ挿入を始める。
「……」
 膣襞が捲られると、アフロディースの顔に、緊張の色が差す。
「入れるぞ」
「む、無理よ、とてもじゃないけど無理……入らないわ」
 アフロディースが処女らしく怯える。穢れを知らない秘所地がこじ開けれていく。その圧迫感に、今にも息が止まりそうだった。
「う、ううああ……」
 気弱な声が零れる。身体を引き裂かれ、全身の骨を砕かれたような衝撃に、アフロディーは呑み込まれていた。
 だが、オーギュストは構わず一気に腰を突く。
「魔鏡よ、この美女の処女を捧げよう」
 入ってすぐに、抵抗感があった。それを無理やり押し破る。
「い、痛い!」
 アフロディースの瞳から、真珠のような滴が零れる。プチン、と何か張り裂けた感覚に、思わず悲痛な声を放っている。
「うっ……あ……ああっ……あっ…あああ……あっ……」
 だが、次の瞬間に、もう熟した女のように喘いでいた。心身ともに、完全に快楽の虜となっている。
 オーギュストはゆっくりと出し入れをして、ペニスに膣穴を馴染ませていく。アフロディースの中は、さすがに窮屈で、素晴らしい締め付けをしてくる。その感触に酔いしれて、次第に、オーギュストも昂奮に任せて攻め立てていく。
「あひぃ、ああっ、ああ~~~ッ!」
 アフロディースが狂ったように吼える。完全にタカが外れてしまっていた。

 行為を終えた二人はベッドの上にいた。アフロディースはオーギュストの胸に顔を埋めて、甘く囁く。
「ねえ、痛かった」
「へえ?」
 アフロディースは、くすっと笑って、包帯を巻いているオーギュストの左足をさすった。
「別に」
 微笑んで答えると、アフロディースは「さすが男の子」と呟いた。
「酷いな。で、どうして、その男の子の所へ戻って来たんだ?」
 オーギュストは優しく髪を撫でながら訊く。
「あなたは荒ぶる武神そのもの。感情を抑え切れずに、暴れ出すと、カーターなんて話にならない程の惨劇が起きる」
 アフロディースの言葉に、オーギュストから笑顔が消えた。
「ふふ。だから、あたしは来たの。あなたを止める、歯止めとなるために」
「人身御供か……酷い話だ」
「でも、効き目あったでしょ?」
「どうかな」
 やや脹れたオーギュストの顔を、アフロディースが上目遣いに見る。
「それじゃ、もう一度鎮めましょう」
 そして、身体を起こして、オーギュストにキスをした。
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Date:2011/01/23
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