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第十三章 千慮一失

第十三章 千慮一失


【神聖紀1223年10月、ヴァロン】
 ヴァロン地方に進出したアルティガルド王国軍バイエルライン中将と、セレーネ半島連合軍の主導するカフカ(この時、昭文将軍を名乗っている)は、互いにヴァロン貴族の囲い込みを競っていた。
 大軍を擁して力で迫るアルティガルドに、セレーネ半島人の情に訴えかけるカフカ。飴と鞭が飛び交う中で、ヴァロン貴族達は、セレーネ半島人の誇りと生存競争の現実との間で揺れ動く。
 そこに、ティルローズが鎮守府を開府したという報せが入った。大義名分の成立、リーダー不在の解消、団結の可能性などが、風となって一気に半島を駆け巡り、貴族達は一斉に連合軍側に傾く。
 約三分の二を味方に付け、要衝を押さえたカフカは、緒戦の気勢を征して、優位に戦況を導いていく。
 連合軍の盟主にはティルローズが治まる。その下の副盟主が四人。ルブラン公爵(130億Cz)、オルレラン公爵(280億Cz)、カロリンヌ侯爵(98億Cz)、スピノザ伯爵(28億Cz)が同列に並んだ。この扱いから、スピノザ伯爵家が、滅亡したナバール男爵家に取って代わって、セレーネ半島の四強の仲間入りした事が分かる。
 盟主のティルローズは、直ちに令旨を半島中に発すると、その後、南エスピノザのサッザ城に入った。間もなく、セレーネ半島中から兵が集う。参じる兵数は日毎に増えて、ついには9万を越え、10万にも及ぼうとするほどだった。
 だが、4人の副盟主のうち、フリオ・デ・スピノザ伯爵以外は皆代理人を送るだけに留まった。カール5世の戦死以来、君主が戦場に立つ事を、“傾国の暴挙”と考える風潮が広がっていた為である。
 必然的に、フリオ(輔国将軍)が前線総指揮を担う事になる。これをナルセスとカフカが補佐する事になった。抜け目なく根回しを行っていたカフカは、ナルセスに抜きん出て、実質的に連合軍を牛耳った。そして、フリオとナルセスを本陣から離し、別働隊を編制させる。
 カフカは自らオルレランを中心とした軍勢約6万を率いて、ヴァロンへ直進する。一方、ルブランとスピノザを主力とした約3万は、北エスピノザから迂回させた。
 
 こうして、両軍はトチア川を挟んで睨み合う。

 フランツ・アダム・フライヘア・フォン・バイエルラインは、四十代の将帥で、さっと後ろに流した長髪の黒髪と口元の立派な髭が特徴的で、“美髯侯”と渾名されている。男爵の爵位を持ち、長くアルティガルド王国近衛師団長の地位にあって、王からの信頼も厚い。
 決戦の場に臨んで、バイエルラインは、頭脳陣の中で最も信頼を寄せるシュナイダーを呼び寄せた。
「数では、劣勢ではある。さらに、敵は二手に分かれて、挟撃を完成させつつある」
「しかし、将兵のまとまりは我が軍が遥かに優れております。さらに、完成していない別働隊の迂回作戦ほど、愚かなものはありますまい。今こそ、敵の主力を叩く好機と考えるべきです。また、その主力も然程士気は高くありません。多少の被害を与えれば、寄せ集めの悲しさで、脆くも瓦解する事でしょう」
 自信に満ちたシュナイダーの言に、バイエルラインは大いに納得した。

 6万対5万の戦いは、静かに始まった。互いに大軍同士であり、迂闊に攻めては揚げ足を取られて、逆に攻め込まれかねない。カフカもシュナイダーも慎重に駒を進めていく。
 そして、まず先手を取ったのは、カフカだった。
 カフカは直参の精鋭小部隊を、左右の両翼で活発に動かす。それは、隙あらば、そこから大軍を押し出して、一気に敵陣を突き崩そう、という狙いがあった。
 故にシュナイダーは、中央から、左右に補強を出すしかなった。こうして、アルティガルド王国軍の中央が薄くなる。まさに、カフカの注文通りの展開となった。
 満を持して、カフカは中央に騎兵を揃えて、中央突破を目論む。
 だが、ここからが、シュナイダーの真骨頂だった。左右の増援に呼応する形で、左右に配置されていた部隊を中央に、自然な流れで移して行く。
 カフカが気付いた時、中央は厚みを増して、幾重もの壁が、セレーネ半島連合軍の騎兵の前に、立ち塞がる格好となった。
 これを見て、カフカは攻撃の中止を決断する。
 一方のシュナイダーも、攻撃命令を下せない。激しい陣形の再編の結果、極端な受身の布陣になっていた為である。これを無闇に組み直せば、徒に隙を作るだけである。
 両軍はそのまま対峙したまま、丸一日を過ごす。そして、迂回していた別働隊が到着して、アルティガルド軍は兵を退き始めた。
 この時、カフカは追撃を断念する。したくとも、ルブランの司令官が到着前に開戦した事に怒り、本陣に乗り込んで来て、オルレランの司令官と言い争いになっていた。さらに、カロリンヌを加えて、追撃戦の先陣を巡って、またもや激しい口論となる。
 結局、単独で追撃したカロリンヌは大敗北を喫してしまった。
 こうして、戦況は膠着した。


 その頃、オーギュストはサッザ城に残っていた。スレード共に、南エスピノザの豪族達への調略を行い、鎮守府の地盤造りを進めていた。
 この夜は、秋の長雨の最中で、厚い石壁に囲まれた城内はひときわ蒸し厚く、まるで蒸し風呂の中のようで、裸で絡み合う二人の全身は、汗でじゅっくりと濡れていた。
 それでも、二人は身体を縺れされて、一時すらも離れようとしない。
「“銀の氷剣”は、もう少しやると思ったが……」
「へえ?」
 頬張って、ゆっくりと頭を振っていた、ティルローズが顔を上げる。その清楚で気品ある口元は、零れた唾液で、乱れていた。
「カフカだよ」
 オーギュストはベッドの上で、前線からの報告書を読んでいた。そして、その足の間には、裸体のティルローズが蹲って、黄金の髪をだらしなくオーギュストの太腿に垂らしている。
「あなただったら、どうする?」
 ティルローズは前髪をかき上げなら訊く。その声に、好奇心の色が混じり込んでいた。
「俺なら……」
 一瞬オーギュストの目の動きが止まった。
「そうだな、俺なら、リューフと俺で夜半に敵本陣へ奇襲を仕掛けて、後は乱戦に持ち込むかな。アルティガルド人は律義だから、無秩序を好まない。必ず兵を退くだろう」
「何だか危なっかしい作戦ね?」
 火照った高貴な美貌に、無邪気な笑顔が溢れる。
「かもしれん……奇襲はともかく、今は総力戦の時期じゃない。それはお互いのトップも分かっている。だから、無理をしない。派手な武勇伝は難しかろう。特に借り物の兵ばかりじゃねえ……」
「それじゃ、あなたが居ても、結果は同じ?」
「だから、俺はここに居る」
「卑怯者!」
 ティルローズは一度怒ったような顔をして、それから吹き出すように笑う。そして、しなやかな身体を転がして、仰向けになると、綺麗な胸を弾ませて笑う。
「要は手打ちの条件を整える戦いだから、始め方と終わり方を意識していなければならない。カフカもナルセスを上手く弾き出せたから、空回りしたかな」
 オーギュストは軽く笑いながら、その白く細い手を掴むと、覆い被さる。
「そろそろ俺も顔を出しておくかな」
「あなたも行くの?」
「一戦一勝して、ポイント稼いで、優勢勝ちの形を作って来る」
 顔を触れるか触れないかギリギリの距離まで近づけて、オーギュストは静かに言った。
「あんたが言うと、簡単な事のように聞こえる。でも、本当は死ぬ事も……」
「ティルの為なら、百回死んでも構わない。いや、ティルの為に百回死なせてくれ」
「キスして」
 熱く唇が重なる。


【11月、ヴァロン】
 静かな森の中で、のどかに草を食べていた鹿が、物音に驚いて、さっと顔を上げた。そして、その丸い目を不審な音へ向けると、次に飛び跳ねるように駆け出していく。

 深い緑の鎧で統一された一団が、整然と街道を行進する。よく鍛えられているらしく、上げる足の高さ、打ち鳴らす踵の音に、僅かな狂いもない。先頭に掲げられた旗には、黒地に銀でアルティガルド王国軍の紋章が描かれている。
 一団の数は約2千。アルティガルド王国軍バイエルライン中将麾下、第23歩兵連隊である。
 セレーネ半島連合軍とアルティガルド王国との戦いが膠着して一ヶ月。アルティガルド軍側の城“タトーロ”城は、セレーネ半島連合軍に包囲させて、兵糧が尽きようとしていた。
 そこで、アルティガルドのセレーネ半島遠征軍司令官フランツ・アダム・フライヘア・フォン・バイエルライン中将は、幕僚の一人、ジェラルド・ハインツ・シュナイダー大佐に支援を任せる。
 シュナイダーは、エリート参謀集団“ヴァイスリーゼ(白い巨人)”のリーダーである。今年で30の少壮気鋭の軍人で、士官学校創立以来の天才と評されている。さらに、その容姿も美しく、黄金の髪に、均整のとれた長身、鋭気をみなぎらせた端正の顔立ちを持つ美丈夫である。
 シュナイダーはすぐに城への補給作戦を立案する。その第一弾として、前夜、セレーネ半島連合軍の出城の一つに夜襲を仕掛けた。
 これに、セレーネ半島連合軍首脳部は「総攻撃が近い」と緊張する。だが、ナルセスは冷静に発言を求め、「敵の狙いは別にある」と進言した。これに多くの異論が出たが、最後にカフカが同調して、「鎮守府軍で対応する」と言う事で落ち着く。

 歩兵連隊が、小さな森の傍を通り抜けようとした時、突然、馬蹄の音が大地に鳴り響く。
「敵襲だァ!!」
 指揮官である大佐が叫ぶと、即座に全員が動き出し、戦闘態勢へと隊列を変える。間もなく、長い槍と斜めに突き立てて、騎兵を阻む槍の壁を築き上げた。
「敵騎兵が突っ込んできます。軍旗は“白い薔薇と剣”です」
「あれが、噂の鎮守府軍か……。願ってもない、返り討ちにしてくれるわ!」
 副官の裏返った声に、大佐が豪語する。そして、魔術通信士を呼ぶと、顔を向けた。だが、その時副官が絶叫する。
「来ましたァ!」
「無駄な事を、串刺しにしてやれ!」
 大佐の叱咤に、部下達は「おお」と応じて、全体の士気が一気に盛り上がる。
 一方、鎮守府軍の先頭には、元聖騎士のゴーチエ・ド・カザルスと、同じくミレーユ・ディートリッシュが並ぶ。二人は、槍衾の寸前で、急に馬の向きを変えると、左右に別れて走る。走りながら、アルティガルド軍が築いた防御壁に、矢を放ち続けた。
 これに、槍の壁に僅かな隙間が生まれた。
 その隙間へ、一騎が飛び込む。
「雑魚はドケ!」
 馬上から、グレードソードが左右に唸る。
 これを、アルティガルド軍の大佐は、「無謀」と判断する。自慢の防御線は、元聖騎士達が演じた高度な馬術に、多少傷ついたが、それでも機能し続けている。一騎やそこら侵入を許しても、すぐに味方の剣の餌食となるだろう、と高をくぐる。
 そして、視線を敵騎兵から外して、四方八方をぐるりと見渡してから、魔術通信兵へと向けた。だが、魔術通信兵の顔は恐怖に凍りついていた。驚いて顔を上げると、そこに赤い総髪が鬼の形相で迫っている。
「一番槍は、ロベール・デ・ルグランジェが頂いたァ!!」
 ルグランジェが水平に剣に振り抜くと、大佐の首が舞い上がる。
 後は、壁に穿たれた一穴に、一回転して戻ってきたカザルスとミレーユの両騎兵部隊が雪崩れ込んで、防御壁は濁流に飲み込まれた堤のように決壊していく。
 敵陣深く入り込んだルグランジェは、アルティガルド軍の荷車に火を放つ。
 その煙に引き付けられて、後続の騎兵大隊が急行して駆けつける。
「退けェ!」
 包囲される前に、ルグランジェが声の限りに叫ぶ。それに素早く反応して、騎兵は一斉に森の中へと逃げ込み始めた。
「追え!!」
 援軍を指揮していた少佐が剣を振って、騎兵を鼓舞する。味方を傷付けられた怒りに震えて、アルティガルド軍騎兵はルグランジェ達を執拗に追った。
 その時、森の中からリューフがゆっくりと出て来る。
「俺の勝ち戦だ……」
 ルグランジェが、すれ違い様に、自らの武勲を誇った。
「慌てて、失敗{しくじ}んなよ」
 さすがに息は荒い。
「愚問だ」
 リューフは不敵に笑うと、「はっ」と、気合と共に馬の腹に蹴りを入れて前へ出る。すぐに追って来たアルティガルド騎兵を、同時に二騎斬り倒した。続けて、青竜偃月刀を頭上で旋回させると、気迫の雄叫びを上げる。
「鎮守府軍に、リューフ・クワントあり!」
 その声で、アルティガルド騎兵が竦み上がってしまう。「あれがリューフか」と呻[うめ]きながら、まるで魔獣でも見るように怯えた目をする。何時の間にか、アルティガルド騎兵は足が止まっていた。
 そこへ、森の中から、無数の矢が放たれる。
 弧を描いた陣形から放たれた矢は、瞬く間に、アルティガルド軍を殺ぎ落としていく。まさに完璧な釣り野伏せだった。
 敗走して行くアルティガルド兵の背中を見詰めながら、リューフは左右の部下に、「追撃だ」と目配せした。
 その時、ルグランジェが再度出撃しようと、前へ進み出る。しかし、その肩を背後から掴まれた。
「なぅ!」
 簡単に背を取られた事に驚いて、目を剥いて振り返る。
「そこまでだ」
「……ギュス」
「よくやった。無駄のない指揮だった」
 オーギュストが優しく褒める。
「ああ、そ、そうか」
 ルグランジェが照れたように赤い髪を掻いた。
「傷を負った者もいる。守ってやれ」
 と、オーギュストはルグランジェの肩を二度三度と叩く。
「ああ」
 嬉しさを噛み締めて、ルグランジェは意気揚々と森の中へ引き返した。
 一方オーギュストは、馬を反転させると、リューフの横につけた。
「周囲の森が、ざわついている」
 言われて、リューフは瞳を左右に往復させる。
「囮か……」
「いや、囮なら包囲はとっくに完成しているだろう。……と言うよりは、臨機応変なのだろう。さすがはアルティガルド王国。人材も豊富らしい」
「どうする?」
「ここで無理をする必要もなかろう」
 オーギュストの言葉に、リューフは頷く。と、急にオーギュストは顔を引き締まった。
「リューフ。殿を選べ」
「……」
 途端に、リューフの頭は強張る。
「俺が、はダメだぞ。お前は指揮官だ」
「……分かっている」
 声に怒気が含まれる。
「フアン・カステラル」
 リューフはアーカス以来の仲間の名を呼んだ。


【ヴァロン、ヴィルヌーヴ城】
 騎馬が大手門をくぐると、左に折れて、狭い坂道を駆け登る。突き当たりで、180度反転して、さらに狭く険しくなった坂道を進む。登り切った場所に、枡形の城門があり、そこをくぐると、高い城壁で囲まれた城内の中庭となる。正面に主要な施設のある本館、左手に三つの塔と堀、右手には礼拝堂があった。
 オーギュストは、物で溢れた中庭を巧みな手綱裁きで進み、礼拝堂の前で馬を降りる。すぐに駆け寄ってくる少年に馬を預けると、礼拝堂の扉を足で蹴って開いた。
 礼拝堂は、鎮守府軍の兵舎となっていた。
 オーギュストの姿を見て、一斉に手を止め、全員が起立する。その中から、パスカルが憮然と近付く。
「白石屋から魔矢が届かんぞ。連弩は殺傷能力が低い。魔矢じゃないと意味がない。ここは整備が古し、大軍に攻められた一たまりもないぞ」
 言葉の端々に、隠しきれない怒りが滲んでいる。
「分かっている。心配するな、送ると言ったからには、必ず送ってくる。約束は守る女だよ、あれは」
 白石弥生との値引き交渉は結局3日続き、疲労困憊の果てに、約3分の1を削り取る事に成功した。両者ともに眼の下にくまを作りながら、青白い顔で互いの粘りと根性を称えあい、そこには奇妙な友情さえ芽生えさせていた。
「それより、ナルセスは?」
 納得できないパスカルは、無言のまま、奥を顎で指し示す。
 オーギュストはパスカルに手を振ると、女神像の前の卓子へ向かった。
「成果は?」
 それまで、ナルセスはマックスと顔を突き合わせて、地図に印をつけていた。オーギュストが空いた席に座ると、顔を上げて、黒縁の眼鏡を外す。そして、挨拶抜きで、いきなり本題から入った。
「荷車の数が少ない。他にも輸送隊はいたかもしれん」
「ほぉ、やるな」
 ナルセスが乾いた笑い方をする。
「それよりも、もう少しで、危うく包囲される所だった。相互支援体制が網の目のようになっている。よっぽどパズル好きな参謀が居るのだろう」
「お前から褒められて、シュナイダー君も喜んでいるぜ」
 マックスが冗談っぽい口調で言う。それにオーギュストが「誰だ?」と聞き返す。と、マックスはファイルを投げた。
「カフカ殿から、先程届いた」
 答えたのは、ナルセスである。
 ファイルには、シュナイダーの情報が詳細に記載されている。
「AⅣ(アウスゲツァイヒネト・フィーア)、ヴァイスリーゼ(白い巨人)か……。絵に画いたようなエリートだな。完璧過ぎて嫌味すら感じない」
「緻密で、然も、判断も早い」
 ナルセスが唸る。
 オーギュストは足を組んで、その上に両手を重ねて、さらにその上に頬を重ねる。
「これは困ったな。2週間ほどで終わると思っていたのが、もう一ヶ月近くになる」
 参ったなぁ、と小声でぼやくと、小指を立てて、「これにカッコウがつかん」と薄く自嘲する。
「そんな不謹慎な事が言えるなら、まだ大丈夫だな」
 ナルセスは、冷めた珈琲を一気に飲み干して、そして、苦そうな顔をした。
 その時、オーギュストが追い討ちをかけた。
「フアン・カステラルが死んだ……」
「……?」
「殿だった。見事な最後だった」
「……そうか」
 ナルセスは瞳を閉じて、エリースへの祈りを唱える。
「他はどうだ。リューフやルグランジェの指揮は?」
 それから、いつもと変わらぬ冷静な声で訊く。
「まだ頭で考えている。直感で判断できないと」
「シュナイダーには適わないか?」
「たぶんな」
 オーギュストは、マックスが整理していた地図を覗き込みながら答える。そこには集めた情報から予測した、アルティガルド軍の索敵網などが記されていた。
「もう一度、洗い直すか?」
 マックスの問いに、オーギュストは首を振る。
「今現在、あの男を相手にするのは得策じゃない」
「じゃ、どうする?」
 オーギュストは不意にナルセスを見た。
「奴の背後を攻める」
「ご名答」
 オーギュストは手を叩いた。
「ウェーデリア、ロードレス、それにカイマルクなどに、火種を捲く事になるだろう。それはもうカフカ辺りがやっているかもしれんな。だったら、俺は逆を攻めてみようかな」
 独り言のように呟きながら、マックスの腕を軽く叩いて、それから、ナルセスの前の珈琲カップを指差す。マックスは「もう少し待て」と返した。それに、オーギュストは、ちぃっ、と舌を鳴らした。
「パスカルの件はどうするんだ。俺にまで愚痴っていたぜ」
 慌てて、マックスが珈琲から話題を逸らそうとする。
「ああ、あのくらいじゃないと、お前が横流ししている事がばれるだろ?」
「ああ、なるほど。……ちょっと待て!!」
 いつもいつも、とマックスが怒鳴る。それにオーギュストは、うるさいうるさい、と足で応対{あしら}う。
 その時、室内に爽やかな風が吹き込んだ。
 振り返ると、そこに、可憐で清純そうな少女がいた。彼女はポットを手に、疲れた男達に珈琲を配り始める。
「つまり、あれもあれか?」
 オーギュストは目で、ナルセスの前のカップを指す。
「ああ、ここの姫で、クレア様だ」
「ヴィユヌーヴの妹か?」
 オーギュストが聞いた時には、もうナルセスは立ち上がっていた。
「なかなかだろ?」
 マックスがオーギュストに耳打ちをする。
「ああ」
 呟くオーギュストの視線の先では、ナルセスがクレアに駆け寄って、礼を言っている。
「16歳だって、よ」
「ミカエラの従姉妹か……拙いよな、やっぱり」
 残っていたナルセスのカップを手に取ると、ぽんと宙に舞い上げた。


【ロードレス神国、ツヴァイトモーント(第2の月)】
 その頃、ロードレス神国の首都“ツヴァイトモーント”は、深まる危機に、暗雲低迷の真っ只中にあった。アルティガルド王国軍の圧力は日増し強くなり、痺れを切らした総大主教のコンスタンティノス5世は、国防の責任者ゲオルギオス大主教を呼び出した。
 ジオ大神殿の政務殿は、本殿の左に位置している。正面8柱、側面の24柱、背面9柱の二重周柱式の様式をしていた。
「我等が国境線は、金城湯池だったと記憶しておるが……?」
 コンスタンティノス5世が、黒衣の奥から、乾き枯れ切った声を投げ掛ける。
「申し訳ございません……」
 ゲオルギオス大主教は言葉少なに頭を下げた。国境付近にある“ノイントモーント(第9の月)”は落城の危機に瀕していた。
 元々、コンスタンティノス5世は、穏健派とされ、就任以来、アルティガルドとの友好関係に苦心してきた。一方、ゲオルギオス大主教は対アルティガルド強硬派で、常日頃から、アルティガルド王国に屈する現状を嘆いていた。
 二人は、互いの主義主張の相違を知り尽くしていたから、激論となる事を避けたように無口になっていく。
「確か、アフロディースは大主教の弟子でしたね」
 総大主教の傍らに立つ枢機卿が、蔑むように言う。
「左様です」
「大活躍ではありませんか。大主教ご自身が逆賊アキレウス追討に向かわれた方が宜しかったのでは?」
「……」
 その言葉に、ゲオルギオスは顔を逆さに撫でられたような不快感に襲われる。
「ゲオルギオス大主教よ」
「はっ」
 再び、コンスタンティノス5世が重い口を開く。
「近いうちに、戦況の打開がない場合は、こちらで対処法を考えるぞ。異存はないな?」
「はい、必ずや勝利を献上致しましょう」
 苦い想いを心の底に押し沈めて、ゲオルギオスは退室した。

 廊下に出ると、部下のブラシオスがいた。小柄で頬の痩[こ]けた男である。最近では病気では、と心配するほど顔色が青白い。それとは逆に、瞳だけがギラギラと輝いていた。
「総大主教猊下は、なんと?」
「……きついお言葉だった」
「現場の苦労がお分かりでない」
「言葉が過ぎるぞ」
 ゲオルギオスが睨む。それにブラシオスは媚びた風情で、首を引っ込めた。
「申し訳ございません。しかし、上層部はたかが一つの街が落ちたぐらいで、この国を明け渡すおつもりのようで……?」
 異常に光る目で下から探り、長い舌で滑らかに喋る。
「そんな事はない……だが、今週内に何かしらの戦果を上げねばならん」
 ゲオルギオスの頬がピクリと引き攣る。ブラシオスに対して嫌悪感を隠しきれない。だが、そんな個人的な負の感情は、今この時に相応しくないと、無理やりに頭から振り払った。
「ですが、精鋭兵は出尽くしておりますぞ。アルティガルドの軍勢を、空気で追い払うつもりですかな……?」
 何度も、公平に、と心に言い聞かせるが、ブラシオスの声がどうしても卑しく聞こえてしまう。
「そんな事は! ……分かっている」
 思わず声が荒くなる。それに、言った本人が一番驚いて、慌てて声を顰める。
「では、あれをお使いに?」
「あれ?」
「お分かりの筈」
「……分からんな」
 ブラシオスの執拗{しつこ}さに、ゲオルギオスは心の中で一度舌打ちをする。
「アキレウスが残した資料の中で面白いものがありました。合成獣の“支配操作”です」
 また、探るように上目遣いする。
「……下らない!!」
 ゲオルギオスは吐き捨てる。
「どうしてです?」
「膨大な魔力を消費する。普通の人間では到底賄えない」
「“魔導結合”を使えば良いではありませんか?」
 ゲオルギオスは鼻で笑う。
「その実験の結果は、悲惨なものだった」
「ですが、魅力的です。平凡な昆虫が、小さな森の生態系を完全に破壊した」
「だから、研究を破棄したのだ」
 突き放すような口調で、会話の打ち切りを伝える。しかし、ブラシオスは全く気にせず、付き纏い続けた。
「それは、私達が創った魔生物が不完全だったため。あの神代遺跡から偶然見つけた“魔蟲(バクジャンク)”を用いれば」
 ゲオルギオスは目を剥く、その眼光には殺意すら感じられた。
「あれこそ失敗だった」
「どこが、です?」
「副作用が大き過ぎた」
「そんな事はありません。全て許容範囲です」
「あれを許容範囲とは言わんぞ」
「たかが悪夢を見るだけではありませんか?」
 ゲオルギオスの唇が震える。そして、小柄なブラシオスの首を掴むと、廊下の壁に押し付けた。
「これ以上魔導結合の話をするな。あれは人道に反する」
「貴方の発案ですぞ」
 ブラシオスは強く言った。それに、ゲオルギオスは動揺して、腕の力を弱める。
「……間違いだった」
「いいえ、間違って等おりませんぞ。国の為です。雑兵一人で、アルティガルドの精鋭一個中隊を相手にする事が出来る」
「成功すれば……だ」
「出来ますとも」
 ゲオルギオスは逃げるように背を向ける。しかし、ブラシオスは、すばしっこく回り込む。
「以前は、折角発見した魔蟲を、惜しい事に制御し切れなかった。しかし、今はアキレウスの残した支配操作の魔術があります。今度こそ実験は成功する事でしょう」
「だが……」
 ゲオルギオスは唇を噛む。
「良いのですが、貴方はこの国ともに滅びますぞ。残るのはアフロディースの名ばかり」
「……しかし」
「全て私にお任せくだされば良いのです」
 ブラシオスが妖しいまでに優しい声で囁く。
「分かった……だが人には使わんぞ」
「?」
「アキレウスが残した“魔草”があった。あれに使う」
「心得ました」
 そう言うと、卑しい笑い顔を残して、ブラシオスは廊下の角の向こう側へと消える。
 そこへ、背後から別の部下が駆け寄ってくる。
「ゲオルギオス様、ドリットモーント(第3の月)から兵が到着しました」
「分かった。直ちに出陣の用意を。あと、第3ラボから、サンプルを運び出せ」
「はっ」
 部下は敬礼すると、また駆けて行く。
 ゲオルギオスは、もう一度、ブラシオスの消えた角を振り返った。

 この一週間後、ノイントモーント(第9の月)の城壁下に、突然異形の植物が育つ。それは一見すると、南国に生えるソテツに似ていたが、葉は黒に近く、常に微妙に揺らいでいる。特に、その葉の付け根にある、妖しげな球体がやたら目に付いた。
「何だ?」
 その球体が炸[はじ]けた時、大量の黄金の粉が宙に散った。
「ぐがぁっ!」
 それに触れたアルティガルド兵は、激しく苦しみだし、皮膚を変色させて倒れていく。
 この異常事態に、アルティガルド王国軍は一旦退却するしかなかった。


【サリス地方、トレノ】
 トレノは帝都セリアの南に位置する。東をエリース湖、残り三方を急峻な斜面に囲まれている。また、出入り口はたった一本のトンネルと橋だけで、セリア近郊に在りながら、完全な別世界であり、その立地条件から独特の発展を遂げた都市である。
 元々は、遠浅いの海岸で、葦が生い茂るだけの何もない寂しげな入り江だった。そこの小島に温泉が湧いたのは100年前で、以来漁師の共同浴場から始まって、セリア近郊の隠れ里として人気を博す。そして、大規模な開発が行われると、あっという間に熟成爛熟を重ねて、俗に『夜の闇のない街』と呼ばれる、巨大なカジノとホテルが建ち並ぶ、一大歓楽街となった。
 都市の性格も特殊なら、その景観も特徴的である。小島を繰り返し埋め立て、周囲は強固な城壁で囲い、街の中には複雑に水路が走っている。狭い街中は歩くよりも小舟に乗って移動した方が早い、と言われている程である。
 そして、歓楽街の商人達は、裏でサリス帝国の上層部と繋がり、事実上、独立した自治を手に入れていた。さらに、乱世が始まると、傭兵を雇い、自由都市として完全に自立していた。

 夕暮れ、カルボナーラ号が港に入る。甲板には、マックスとフリオの姿があった。
「伯爵、いよいよですな」
 マックスの鼻息が荒い。
「准将、何をそんなに昂奮しているのですか?」
 何を今更、とマックスが顔を顰める。
「何を呑気な。ここは漢を磨く街。真の漢達の聖地!」
「えっ!」
 フリオが驚いて、大きな声を出す。
「そうなのですか?」
「そうですよ。伯爵もいよいよ漢としてのデビューの刻」
 まるで伝説の勇者にでもなったように、マックスは勇ましく仁王立ちする。そして、その傍らで、フリオが瞳を輝かせる。
「もっと具体的に?」
「いいですか、伯爵。真の漢と子供の違いが分かりますかな?」
「……いいえ」
「それはこの舌の動きですよ。大人になると言う事は舌のコリを……ぐげぇ!」
 突然、マックスが飛ぶ。そしてそのまま湖面へとダイブした。
「下品な事を言うんじゃない!」
 オーギュストが拳法家のように片足で立ち、鬼の形相で睨んでいる。
「千年泳いでいろ!」
 地の底に響くような声だった。

 カルボナーラ号は港からそのまま運河に入り、白石屋の経営する“ピエールブランシュ・ホテル”へと入った。
「時間通りね」
 白石弥生が一行を出迎える。
「俺の操船技術は伊達ではない」
「そう」
 興味なさそうに頷くと、弥生は視線をフリオへと向ける。
「良くお越し下さいました。これで我がホテルにも箔がつくと言うものです」
 弥生は芝居がかった礼をする。それから、目を細くして、フリオの耳元で囁いた。
「ブーン家のお嬢様が、昨日からお待ちですよ」
「はぁ……」
 フリオは気のない返事をする。
「またまた」
 と、弥生は肘で突いた。それにフリオはよろめく。

 その夜、オーギュストはタキシードに正装すると、ホテル・エルドラドのカジノ会場へと向かう。
「セレーネ半島の雄、スピノザ伯フリオ様であられる」
 受付で、フリオを紹介する。と、受付は慌てて裏に走り、上司らしき男が出て来た。
「お待ち申し上げておりました。さあどうぞ」
 恭しく礼をすると、厚い扉が開いた。
 トレノでは、絵画や陶器などの高価な芸術品から、花の苗などまで、あらゆる物がオークションで扱われている。中には人を扱うオークションハウスもあった。
 それら上下、清濁の濫立する中で、この夜、ホテル・エルドラドの“黒真珠の間”で行われたオークションは特別豪華な出席者が集まっていた。
「それでは、こちらを!」
 胸の谷間を大胆に見せたドレスを着たオークショニアが、商品を紹介する。
「対魔術鏡面処理が施された黄金の鎧です。黄金のコーティング材には、魔術波減衰効果もあり、接近戦時に於ける距離勘の幻惑などの狙いもあり、決して目立つ事だけを考えた訳でなく……」
 金色に輝く鎧を見て、黒真珠の間が響動[どよ]めいた。もう誰も説明など聞いていない。同時に片隅では、「あれがシャルル1世の鎧か」「何と美しい……」と、ひそひそと呟き合う声がする。
 このオークションは、セリアの宮殿から略奪された物ばかりを取り扱っていた。
「それでは10億Czから、お願いします」
 女性オークショニアの合図で、オークションが始まる。すぐに、11億、15億と声が上がる。
 そして、オーギュストも手を上げた。
「倍の30億です」
 オークショニアが声をはる。すぐに、恰幅のいい男が親指を立てる。金額は倍の60億へと膨れ上がって行った。
 一旦、オーギュストと男の目が合う。男の名は、グザヴィエ。今セリアを治める三将軍(グザヴィエ、ラマディエ、ガンベッタ)の一人である。

 休憩の時間に、オーギュストはラウンジへと出た。“G線上のアリア”がゆっくりと流れる中、白石弥生の紹介で、グザヴィエと面会する。
「大将閣下、お会い出来て光栄です」
「……ディアンの所の者とか。いや、今は鎮守府だったかな」
「左様です」
 軽く握手する両者。
「昨今では、カビが生えた将軍位を持ち出して、名前の最後にくっ付けたがる輩が増えているとか。私の若い頃には、将軍とは、実力と人徳を厳しく鍛え抜いた果てに、初めて到達できるものと言うのが、常識だったのだが。嘆かわしいと思わんか?」
「手厳しい」
 オーギュストは穏やかに微笑む。
「叩き上げでいらっしゃる閣下には、御不快かもしれませんが、これも実績なき者の悲しさで、このような場所で、閣下と席を並べるための方便です。どうぞ御陵謝ください」
「うぬ」
 一度鼻を鳴らすと、グザヴィエは口髭を撫でる。
「どうです。閣下も将軍の前に、“左”とかを使われてみたら」
「うぬ?」
「“左将軍”は帝都を守護する役目とか。伝統と格式は、カビとは違います」
「ぬーうん……」
 グザヴィエは奇妙に口髭を震わせて、低く唸る。
 
 飲み物をフリオが運んでくる。
「はい」
「ありがと」
 ナーディアは可愛らしい笑顔で、それを受け取った。
「あれ、師匠は?」
「あそこ」
 ナーディアはグザヴィエと話し込むオーギュストを指差す。
「あの人誰だろう……」
 フリオは寂しげな瞳で呟く。
「何処までも邪悪よね」
「え?」
「ディーンよ」
「そんな事ないよ」
「だって、戦場を我物顔で歩くかと思えば、今度は社交界で全く臆する事なく、マナーにも違和感がない。ホント訳分からないわ」
「そこが魅力なんだよ」
 フリオは嬉しそうに言う。
「一番の問題は、あれで18歳と言う事よ。常識を疑うわ」
「常識が通じない時代なのだよ」
「言うわね(フリオのくせに)」
 ナーディアは片眉を上げて、きつくフリオを見る。
「何だよ」
「……別に」
 フリオはむっと頬を膨らます。
「全く子供なんだから」
 ナーディアはからかうように笑って、フリオの額を指で弾いた。
「痛ッ!」
 その音と同時に、ラウンジ内の音楽が止まる。フリオが驚いてステージを見ると、ソリストが「バイオリンのG線が切れた」と慌てている。
 間もなく、オーギュストがステージに駆け付ける。そして、ソリストからバイオリンを受け取ると、D線をチューニングし直して、続きを演奏し始めた。その演奏はソリストよりも、遥かに雅で優雅だった。
「……凄い。なんとか13みたい……」
「何者?」
 改めて、ナーディアが囁く。

 オークションが終わると、オーギュストはカルボナーラ号に、白石弥生を招いた。
「おかげで、今日は良い買い物が出来た。これはお礼だ」
 そう言って、オーギュストはカクテルを作り出す。
「あら、器用ね」
「君をイメージした」
 脚付きのすらりとしたカクテルグラスに、鮮やかな青を注ぐ。底には真っ赤なチェリーが沈んでいた。
「あれ、苦いと思ったけど、だんだんと甘くなってきた」
「美味しいだろ?」
「うん、美味しい」
 オークションの最中から、昂奮し昂揚した気分でいたため、弥生は誘いをこだわらず受けた。そして、祭りの後のようなフアフアとした気分で酔い始めて行く。
「えーっ、マジでー」
 弥生が戸惑いと不平の声を上げる。
「うん、いいじゃん」
 甘えた声で、オーギュストが迫る。
「ダメ……うむ」
 さらに拒否の言葉を続けようとする弥生の口に、オーギュストが無理やり唇を重ねる。そして、右手で控え目な胸を弄り始めた。
「どうしても……」
「うん」
「えーっ、どうしようかーなぁ……」
 再び弥生が迷いの声を上げた。
 それとは関係なく、オーギュストは、袴の紐をほどき、どんどん脱がして行く。
「……そんなつもりじゃー……ないーのにーぃ」
 まだ、弥生は迷っている。それをオーギュストが再び唇で遮る。そして弥生の胸を剥き出しにすると指でその突起を弾く。
「あっ」
 思わず口からあられもない声が漏れる。その時、オーギュストの口がいやらしく歪んだ。
「もうー、やっぱり、嫌ァ」
 弥生が上体を起こして、オーギュストの腕から逃れようとする。
「きゃぁ」
 と、今度は、弥生の両腿を裏から持ち上げて、強引に身体を折り畳んでしまった。そして、剥き出しになった秘唇の周りを、オーギュストの指がじれったくなぞる。
「あーぁっんんーー、もうダメだって、うふん……」
 弥生は甘たるい声で否定する。が、腰を高く持ち上げられているために、全く身動きがとれない。その上、耳元に熱い息を吹きかけられ、猫の手のように丸めた手で、乳ぶさを丸く円を描くように撫でている。
「はぁあん……あん」
 さらに、弥生の反応をつぶさに見て、阿吽の呼吸で、指の腹が桜色の突起を弾いてくる。それに、弥生の身体から力が抜けていった。
 それを敏感に察して、オーギュストは、蜜壷を指ですくって、蜜のべっとりと絡み付いた指で、弥生の頬にスーと線を引く。
「ばぁかー」
 弥生が恥ずかしさに頬を染めて、抗議の意思を込めて、頬を膨らます。そこには男勝りに活躍する、やり手の弥生の姿はなかった。
「か、かわいい」
 と、オーギュストは心から思った。そして、高まる感情を指に込めて、秘唇を掻き回す。
「あっ、イイっ!」
 思わず本音がポロリと口から漏れる。
 その声に、オーギュストは勢い付いた。人差し指と中指をまとめると、気合を入れて、激しく出入りさせる。ぐちゃぐちゃという卑猥な音が、オーギュストの武勇をたたえるように、室内にこだましていく。
「ひっ、んんっ、それイイ、たまらない・」
 弥生は思わず、強くオーギュストの頭を抱く。オーギュストの顔が、温かな乳ぶさに埋もれた。その甘美な締め付けに、オーギュストは腕の振りを益々速くしていく。
「っぃ……!」
 もはや弥生の口から声は漏れない。ただ口をパクパクさせるだけである。オーギュストの指がまるで内臓までも掻き出すような錯覚の中、思考の全てが白く霞んでいく。
「イった?」
 オーギュストが笑いながら弥生の顔を覗き込む。
「見るな、見るな、見るな」
 弥生は右肘を目に当てるようにして、顔を隠す。
「顔も可愛いけど、下の口はもっと凄い事になっているよ、ほら、シーツがじゅっくりだ」
 その言葉に思わず顔だけをちょっと上げて、股間の間に視線を送る。そこには自分が吹き出した潮が、1メートル以上も飛んでいるのが、はっきりと分かる。
「結構派手だな」
「お前のせいだ、ばぁかー」
 オーギュストの胸を、力いっぱい叩く。
 いやらしく笑っていたオーギュストの顔が一瞬真剣になると、弥生の両手を掴んでベッドの抑え込んだ。
「これだけ潮吹けば、覚悟もOKだよな」
 もう弥生には拒む言葉が見つからない。ただ無言で顔をそむける。
 それを了解と取り、オーギュストは、脚の間に、腰を割り込ませて、熱い秘唇にペニスを埋没させていく。
「んんっ! あぁっ、あはぁ、あん、ああん、あん・」
 弥生は唇を強く噛み締め、その後に喘ぎ声を吐き出す。万歳をする格好のまま、圧倒的な男の力に屈する。
――どうして、こんなに……
 まるでされるがままという状況に、異様に興奮を感覚{おぼえ}ていた。
 そして、いつの間にか、オーギュストの腰に脚を絡めて、自分から迎え入れるように腰を振っている。
――わからない……わからないよぉ……
 オーギュストの荒々しい攻撃は、絶え間無く続く。弥生にはそれが一瞬のようであり、また、永遠のように感じられていた。
――でも……すごく気持ちがいいの……
 二人の体に大粒の汗が無数浮かび上がる。それが、オーギュストの一突毎に、飛び散っていく。混乱する快楽の中で、弥生は同じ言葉を繰り返した。
「イク、イク、もうイク、ダメ、本当にもうダメ、イッちゃうのーっ!」
 ブリッジするように背中がそね返り、絶頂へと達していく。
 そのイッた顔を見下ろしながら、オーギュストもついに高まる。そして、最後の瞬間に膣内が激しく収縮して、オーギュストを締め付ける。その感触にオーギュストも果てた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 激しく息を吐き出す弥生の耳元で、オーギュストが囁く。
「バックでやろうぜ」
「はぁ、はぁ・、えー、やったことないよー」
「俺に任せろ、ほら、うつ伏せになって、お尻を上げろよ」
「もーう、恥ずかしいよ、変態だよ……」
 それでも弥生はオーギュストの要求にこたえて、顔をベッドに埋め、尻を高く持ち上げる。そして、オーギュストが再び秘唇にペニスを宛がうと、急に押しつぶれた。
「やっぱり止めようよー」
「ダメ、絶対気に入るから、ほら、早く」
「もーぉー」
 眉間に皺を寄せて、不満たらたらで、また尻を持ち上げる。
 今度は逃げないようにと、オーギュストはがっちりと腰を掴んで、一気に打ち込んだ。
「あっ、凄い、奥まで来るーぅ!」
 パンパンパンという音が、リズミカルに響き渡る。
――こんな格好いやなのに……
「もっと、もっと、突いてェッ!!」
 弥生の手がシーツを握り締め、口の端から涎が垂れ落ちる。
「イイッ! イイのぉーッ! また、また、イッちゃうゥのー!!」
 その声を合図に、最も激しく奥に打ち込むと、オーギュストは2回目の射精を行う。
 弥生の尻がシーツの上に、ボタリと落ちた。二人が繋がっていた部分からはオーギュストの精液と弥生の愛液が混じりあった物が零れ落ち、シミになっている。
 オーギュストは弥生から見えないようにして、ガッツポーズを作った。


 未明、突然トレノに警鐘が鳴り響いた。街中が騒然となる中、傭兵達が城壁に集まる。
「何だ?」
「影です。巨大な影が……」
 傭兵のリーダーは、湿地帯の上に照明弾を放つ用に命じる。
「か、蟹だ!!」
「デ、デカイ!」
 巨大な蟹が、巨大なはさみを広げて、城壁に迫っていた。その異様な姿を見て、傭兵達は体裁も憚らず絶叫する。
「あれは、“プレセぺ・デスキャンサー”だ。はさみには、“即死の魔”があるぞ。絶対に近付けさせるな。魔矢だ。雷の矢をありったけ打ち込め!!」
 唾を飛ばしながら、リーダーが命令する。
 すぐに城壁から、一斉に魔矢が放たれる。しかし、プレセペの甲羅は硬く、全て弾き返されてしまう。
「なんて……硬さだ…」
 リーダーが唸る。
「とにかく、続けろ!」
 その時、プレセペは泡を吹いた。
「ぎゃぁああ!!」
 その泡には、強い酸性があり、城壁の上に居た傭兵達が、次々と溶けて行く。
 城壁が沈黙すると、プレセペは城壁に向かって、大きなはさみを振り上げた。
「アーマーショット!!」
 その時、時計塔の上から、オーギュストが矢を放つ。
 矢は湿気の多い空気の中を、波紋のような尾を引きながら突き進み、プレセペの甲羅を打ち抜く。プレセペが苦しそうにバランスを崩すと、続けて第二弾、第三弾が甲羅を貫いた。だが、それでもプレセペは死なない。オーギュストに向けて、泡を吹こうとする。
「雷迅!!」
 天空から、稲妻が駆け下りて、プレセペを直撃する。そして、突き刺さった矢を伝って、雷撃のエネルギーがプレセペの体内へと流れ込んでいく。プレセペは内側から、爆[はじ]けるように粉々に吹き飛んだ。
 爆発が収まり、湿地が静まると、東の空に朝陽が昇り始めた。
「うおおお!!」
 城壁の傭兵から大歓声が沸き起こる。
 だが、それを打ち消すように、ぽっかりと半漁人の頭が城壁の際に浮かんだ。傭兵達は手を上げたまま、笑顔を固める。
「赤い瞳ぃーーーい!!」
 半漁人は狂ったように叫ぶと、走り出す。一方、オーギュストは時計塔から飛び降り、二本の矢を両手に持って、駆ける。
 眩い朝陽が登る中、二人はすれ違う。
 そして、オーギュストは構えと解きながら、ゆっくりと振り返った。その手には、何時の間にか矢はない。
 一方、半漁人は口から血を吐く。その左右の胸には、しっかりと二本の矢が突き刺さっていた。
「馬鹿な……何故矢が…簡単に…」
「アキレウスの篭手を加工した特製品だ。どうだ貫通力が段違いだろう?」
 オーギュストは口端を上げて、笑う。
「……おのれ、赤き瞳よ、そんなに我等が憎いか!」
「その力はお前達のものではない。分を弁[わきま]えろ。さすれば、慈悲を与えてやる」
「我等を“イデア界”から追放した外道の者よ。我等が父なる神によって、裁きを受けるがよい!」
 半漁人の周りの空間が歪む。
「……結界。今更」
 オーギュストはバルキリーの弓を構える。そして、じっと様子を見た。
 半漁人の足元から黒い球体が浮かび上がり、それは頭上まで浮上すると、羽を広げて、赤い模様のある蝙蝠へと変化する。
「召喚したのか……なんだ?」
 オーギュストが訝しがると、赤黒い蝙蝠は半漁人の首を、鋭い羽で切断する。そして、それを咥えて、また足元へと戻って行った。
「また、首か……」

「……」
 その闘いを、アフロディースはトリノ・ジオ神殿の塔から、じっと眺めていた。
「何が起きたの?」
 アフロディースの横には、サイズの合わない古着を着た子供が、必死に背伸びして、柵の上から外を見ている。この子供の目には、半漁人は何もせず、無抵抗に矢を刺されたように見えていた。
「これ、失礼ですよ」
 年配の女性神官が、子供を窘める。
「目で殺したのだ」
 それを手で制して、アフロディースが説明する。
 オーギュストは、半漁人の動きを僅かな動作で読んだ。左腕を出そうとすれば左腕を見詰め、右腕を出そうとすると右腕を睨む。そうやって、ついに半漁人は何一つ身動きできなくなった。その上で、オーギュストは難なく矢を胸に打ち込んだ。
「それって強いのか?」
 子供は無邪気に訊く。
「おそろしく……」
 アフロディースは静かに頷くと、その場を去って行く。
「すげぇなぁ」
 子供は憧憬の眼差しで、朝陽の中のオーギュストを眺め続ける。
「これ、ラン。もう降りますよ」
 神官は促すように手を差し出す。
「うん、もうちょっとだけ」
「風邪を引きますよ」
 神官は優しい声で言った。それに、名残惜しそうに溜め息を落とすと、子供は振り返って、神官の手を握った。
「……ボク、絶対強くなる」
「はいはい」
 二人は螺旋階段を降りて行く。しかし、子供は馳せる心を抑え切れないのか、神官の手を離して、跳ねるように駆け下りていく。途中でアフロディースも追い越した。
「これこれ、危ないですよ」
 神官の声ももう届かない。
「あの子は?」
 アフロディースは振り返ると、神官に訊く。
「ええ、サイア南部の子だったのですが、カリハバール軍に両親を殺されて……」
「そうか……」
 アフロディースの表情が曇る。
「親族はいないのか?」
「双子の姉がいたそうです。姉の方はトラブゾンの商人の家に引き取られたとか。あの子はサリスの農家に預けられたそうですが、その村もカリハバール軍に焼き払われて、一人生き残った所を、今度は人買いに攫われて、このトレノに来たそうです。そして、暴行を受けている所を、私達が保護しました」
「……悲惨だな」
 乱世に溢れる不幸の連鎖に、心を痛める。
「何とか姉に会わせたいが……」
「駄目ですよ。アフロディース様。今、北サイアでは、カリハバール兵が持って来た質[たち]の悪い風邪が流行っているとか」
 神官が諌めると、アフロディースは長く息を吐いた。
「分かっている……」
 アフロディースは呟くように返事する。その視界に、先ほどの子供が木剣で素振りしている光景が入る。
――死ぬ前に、私にはやらなければならない事がある……


 オーギュストはカルボナーラ号に戻った。
「ちゃんと守れよ」
 バルキリーの弓を武器庫に収めると、ニャッハを指で叩く。それから、汚れた服を脱ぎ捨てて、軽くシャワーを浴びた。
「まだ寝てるよ……」
 腰にバスタオルを巻いて寝室へ入ると、ベッドの上に丸い尻を肌蹴て、弥生がうつ伏せに寝ている。
 オーギュストが一歩弥生へ踏み出した時、ライティングビューローから音がした。一瞬躊躇した後、オーギュストはライティングビューローの扉を開く。
「ナルセスか?」
「ああ」
 中には、魔術通信機があった。ノイズが酷くて、如何にか声が聞き取れた程度だったが、ナルセスの声がやけに浮かれている事にすぐに気付く。
「何かあったのか?」
「ベ、別に……」
「ならいいが。こっちはいろいろあって、ちょっと疲れた」
「ほぉ?」
 オーギュストは一度大きく欠伸をすると、ベッドに腰掛ける。
「まず、面白い噂を聞いた。ポーゼンのアベール・ラ・サイアの側近ジャン・フェロンが、このトレノで、アーカス王国の軍事顧問サヴァリッシュ大尉(ヴァイスリーゼ)と会ったそうだ」
「何だ、それ?」
「アーカス王国では、王女クリスティー・マルシア・デ・オルテガと、軍を統括する鎮南将軍アレックス・フェリペ・デ・オルテガとの間に、亀裂があるらしい」
 言いながら、弥生の尻を軽く叩く。
「それはティルローズ様の侍女から聞いていたが……」
「アレックスはポーゼンと停戦して、中原へ進撃したいらしい」
 弥生は頬を膨らませながら、起き上がると、わざとオーギュストを跨ぐようにして、浴室へと向かった。
「カリハバールに父親を殺させているからな」
「だが、クリスティーはポーゼン奪還を譲らないそうだ」
 ベッドを独占すると、胡座をかく。
「なるほど。で、アベールは……どっちと組む気だ?」
「分からん。クリスティーと組んで、サリスを売る。アレックスを組んで、サイア奪還の旗頭となる。或いは、アーカスを通して、ホーランド朝のメルローズに鞍替えする気かもしれん」
 シーツの上に落ちていた柔らかい毛を指で拾う。
「まだまだ何かあるな」
「だな。それともう一つ。こっちはお前達にも直接関係する」
 ふぅ、と毛を吹き飛ばす。
「何だ?」
「アルティガルド王国のロードレス方面軍が敗れたそうだ」
「何!?」
「毒の粉を吐く、異形の植物が現れたとか」
 まわりをきょろきょろと見渡して、サイドテーブルで目を止める。
「カリハバールの連中と同じか?」
「たぶんな」
 一旦言葉を切って、サイドテーブルの上に残されていたグラスを飲み干す。
「で、どうなる?」
「俺はスレード卿とアルティガルドとの同盟を探るつもりだ」
 気の抜けた味に、顔を渋くする。
「げっ! こっち戻って来ないつもりか?」
「何だよ。気持ち悪いな」
 立ち上がると、壁に吊るされた棚から、ボトルを取り出す。
「いや、ちょっと……相談が。いや、私的な事なんだが…ぁ……」
「お前、大丈夫か?」
 ボトルを直接口に運ぶ。
「実はクレアを愛してしまった……」
 思わず、酒を吹く。
「クレアって、まだ子供じゃないか!」
「お前だって、可愛い、と言ったそうじゃないか?」
「俺は18だ。純愛だろうが!」
「嘘ぉ~お! っ……あぁーそうか」
「ナルセスよ。将軍になって一ヶ月で、もう愛人27号か?」
「8……いや、何だ……」
「糟糠の妻が、可哀想だろ。第一、クレアは男爵家令嬢だ。スピノザ伯の、ミカの従姉妹でもある(俺でも遠慮したのに……)」
「分かっている。全部分かっている。しかし、仕方ないだろう。そうなったんだから」
「逆ギレかよ!」
「いや、だから、俺が言いたいのは、側室と言う訳には如何だろうなぁ……と」
「当たり前だ!」
「そう大きな声、出すなよ。だから、お前にこうして、頼んでいるんじゃないか」
「何も頼んでないだろ!」
 急に、オーギュストは視線をドアへと向けた。
「……言い難いんだが、妻にだな、お前から説明――」
「ちょっと待て、人が来た」
「あ、ちょっと……」
 オーギュストはナルセスの返事を待たずに、勝手に回線を切る。
「入ったらどうだ?」
 ドアが音もなく開く。そこにはアフロディースが立っていた。
「気配は消していたのだが、さすがだな」
 アフロディースが睨む。
「で、何用かな?」
「お前に、一騎打ちを挑む。受けて貰おう」
「理由は?」
「お前が強いからだ」
「だが、一万回やっても勝ちはないぞ」
「……」
 オーギュストの不遜な言葉にも、返す言葉がない。
「それでも、戦う。それが武人と言うものだ」
「ミカエラの為か?」
 オーギュストが口にした名に、アフロディースは眼を刮目{みひら}いた。そして、素早く腰の剣に手を添える。
「だが、ミカエラに呪詛をかけたのは、俺じゃなくお前だ」
 オーギュストは一度背中を見せて、ベッドの上に座る。そして、悠然と嘯く。
「……」
 アフロディースは氷の結晶のように輝く瞳に、炎のような怒りを封じ込めて、黙って睨み付ける。
「……ぉ」
 それはどんな宝石よりも美しく、思わず、オーギュストは見惚れた。
「この命に代えても、彼女を救う。抜け」
 低い声で宣言する。
「いいだろう」
 あっさりとオーギュストは言う。それに、アフロディースは怪訝そうに、秀麗な眉を寄せる。
「だが、ミカエラは俺にとって、貴重な手駒だ。手放すには惜しい」
「貴様!」
 いよいよ剣を抜こうとするアフロディースを、オーギュストは手と鋭い眼光で止める。
「だから、お前に一つ手柄を立ててもらいたい」
「……」
 真意を探ろうと、しばらくじっと見詰める。それから、慎重に口を開いた。
「私はロードレス神国の正規の軍人だ。そんな事、できる訳がない」
「毒の粉を人に使うような奴等を、正規軍とは呼ばないぞ」
 オーギュストの声は静かだったが、アフロディースの心を貫くには十分だった。
「……」
「まぁいい。別にロードレスと闘えという訳じゃない。カリハバールの魔導師を斬って貰えればいい」
「分かった……約束は必ず守れよ」
「ああ」
 その時、「バスタオルないの?」と弥生が浴室から裸で出て来て、アフロディースを見て、大袈裟に驚く。
 アフロディースは、弥生の爪先から顔までをゆっくりと見遣ると、軽く鼻で笑って寝室を出て行った。
「どう言う意味よ!」
 弥生は腰に手を当ててむっと膨れる。その前を、オーギュストが無視して歩く。そして、隅に置かれたチェンバロに座った。
 綺麗な音色が流れ出すと、弥生はテーブルの上のぶとうを一つ摘み、口に落とす。そして、オーギュストの肩に顎を乗せた。
「ねぇ、呪詛とか、ホント?」
「そんな便利なもの、ある訳がない」
「でしょうね」
 弥生が笑うと、不意にオーギュストが横を向く。
「いやらしい……」
「欲情している顔だ……」
「……そうよ。だから?」
 至近距離で見詰め合う。弥生の顔から笑顔が消えて、艶やかな、何か期待するような表情になる。そして、舌と舌が蠢いて絡み合う。ぶどうの汁が、チェンバロに零れ落ちる。
「悪党……」
「だから?」
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