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第十二章 唇歯輔車

第十二章 唇歯輔車


【9月中頃、サッザ城】
 サッザ城本丸へ突入したディアン義勇軍は、ナバール男爵家一族を追い詰めていた。
「南陵万虎流“虎臥勢舞”」
 赤毛の総髪が荒ぶる。ロベール・デ・ルグランジェは、大きく左足を踏み出すと、体を低く沈めて、脇構えに構えた。まるで虎が地に伏せて獲物を狙うようで、さらに、虎の尻尾のように、腰から後ろに剣が揺れている。
 万虎流は白鳳流同様、カール大帝が興した極聖流から出た一派である。その特徴は脇構えから、大きく一歩踏み出して、横から渾身の一撃を振り切る。一撃必殺の流派である。
「ここは通さん。でぇ!」
 ルグランジェを取り囲み、一斉にナバール兵が気合とともに斬り込む。
 そこに、万虎流の電光石火の一太刀が走った。ルグランジェは振った巨大なグレードソードを、今度は左の腰に添えて、再び横に剣を振る。瞬く間に周囲のナバール兵が、草が刈られるように薙ぎ払われていく。
「あとはお前達だけだ」
 血飛沫を受けて赤く汚れた顔を、ルグランジェは背に子供を庇う女性へ向ける。
「下郎、下がりなさい」
 ナバール男爵夫人ソフィアが、背筋を伸ばして、毅然と言い放つ。その後ろで、4歳の長女が1歳になる弟を抱き、3歳になる次女が震えながら母親の袖を掴んでいる。
「ガキらを捕まえないと手柄にならん。悪く思うなよ」
 ソフィアはかつてミス・セリアに選ばれたほど美人である。そんな美女の憎悪に満ちた眉目は、妖しいほど綺麗だった。
「武人の礼も知らぬ愚者よ。新ナバール男爵を捉える気ならば、まず剣を納めて、降伏勧告を行いなさい。もし、男爵家を尽く滅ぼす気ならば、私(わたくし)も剣を取りましょう。無抵抗な女子供を殺して悪名の足しになさい。如何に!」
「ルグランジェ、お前の負けだ」
 ルグランジェの背後から声がした。ルグランジェは舌打ちを一度して、振り返る。
 一方ソフィアは厳しく睨む視界の端に、目の前の剣豪よりもさらにでかい男が、死体を避けながら近付いてくるのが入って、生唾を一度飲み込んだ。
「これは俺の手柄だ。今更横取りはないだろ?」
「それを下種な勘繰りと言う。女子供に剣を向けて何が手柄だ」
 かっ、とルグランジェは凄まじい眼光を燃やした。そして、放射された殺気が、リューフの双眸の中へと吸い込まれていく。
 不意に、室内に差し込む陽が翳った。次の瞬間、ルグランジェの体が沈み、グレードソードが地を払うように走る。そして、リューフも素早く剣を抜いた。
 ルグランジェの腕が伸びきる瞬間、リューフの剣が上から叩く。ぐっとルグランジェの腕が下がった。その隙に、リューフは身を屈めると、突き進み、ルグランジェの喉に剣先をつき付けた。
 後手の先。相手の動きに合わせて、機敏に応じる南陵白鳳流の極意である。
「……参った」
 ルグランジェは喉に寒々とした空虚を感じ、そこから肢体に冷えが拡がっていく。
「俺に逆らうのは構わんが。新しい自殺方法を流行らせられては困る」
 水のように静かな顔で、リューフは剣を納めた。それから、ソフィアの前まで進み、剣を右手に持ちかえて、膝を折った。
「リューフ・クワントと申します。すでに多くの血が流れました。これ以上は無益な事です。以後の事は、小官にお任せ願いたい。決して悪いようには致しません」
「あなたが、あのリューフ・クワントですか……」
 ソフィアの瞳が左右に微動する。そして、しばらくの沈黙の後に、「お任せします」と弱々しく呟いた。
「ご決断お見事。奥方の英断に報いられますよう、尽力致します」
 リューフは深く頭を下げる。
 それから、ソフィアは腰を屈めて、「ごめんなさい」と子供達を抱き締めた。


【ヴァロン平野】
 ヴァロン地方はセレーネ半島の北側の付根に位置する。東西に細長く、ほとんどが山地だが、この狭い地域に、セレーネ半島最大級の河川が幾本も蛇行しつつ流れているため、山岳地帯には渓谷、沿岸部には平野と、複雑な地形をしている。
 特に、東部のヴァロン平野は元々は島だったのが、土砂の堆積で本土と繋がり出来た平野で比較的広い。この時一緒に出来た湾も、静かで豊かな経済力を持つ。

 北エスピノザのボーエ城でナバール軍が瓦解した時、オスカル・ド・ヴィユヌーヴは、北スピノザ大橋にいた。
 敵中に取り残されたヴィユヌーヴは、部隊を離散させると、僅かな供と狩人の姿に身を窶[やつ]して、山中をさまよい、命からがら居城のまで辿り着く。
「大敗戦でした……」
「いいえ、生きて帰れたのです。負けたのはナバールだけ」
 ミカエラの叔母で、ヴィユヌーヴの母親は優しく息子を迎えた。それにヴィユヌーヴはただ涙した。
 しかし、ヴィユヌーヴ男爵家には、新たな危機がすぐそこまで迫っていた。
 ヴィユヌーヴは戻った翌日には、同じヴァロンの貴族から、「アルティガルド王国軍が国境を超えて進軍して来た」と報せが入った。
「総兵力は5万に及びます」
「5万!」
 情報を得たヴィユヌーヴは絶句する。そして、間もなく、生き残りを賭けた選択が強いられる。
「抵抗に何の意味がある。自ら破滅する必要はあるまい」
「アルティガルドのような田舎者に、英知の故郷であるこの地を、踏み躙られて良いものか」
 アルティガルド王国からは降伏勧告が、セレーネ半島の貴族からは連合を呼び掛けが、双方からの使いが頻繁に訪れて、決断を迫った。
 どちらにしても、矢面に立たされるヴァロンの人々である。戦いに疲弊した民衆を想い、ヴィユヌーヴは苦悶する。


【9月下旬、オルレラン宮殿後宮】
 南エスピノザ攻略の喜びも束の間、アルティガルド王国軍がヴァロン地方へと軍を進めた事が分かり、オルレランは震撼していた。
「そうか……」
 オルレラン公メルキオルレは、かすれた声で呟くと、それっきり執務室に閉じこもってしまう。家臣達がどんなに騒ごうが、「思案中」とのコメントを側近から発表させるだけで、姿を全く見せていなかった。

「サッザ城の戦いでは、見事な働き、ご苦労であった。――そこで、智勇に長けたディアン殿に、率直な意見を述べる機会を与えようと言うことになった」
 オルレラン公爵の腹心ノアイユ子爵が、長い前置きの後に、ナルセスに問いかける。
「現状をどう分析する?」
「はい……」
 ナルセスが顔を上げた。
 ここは宮殿の後宮の一室。モザイクのタイルの上にはビリヤード台などが数台あり、紫色の壁紙にはスズランの模様が華やかに描かれている。公爵とその取り巻きの遊びを見詰めてきたであろうシャンデリアは黄金に輝き、美女達の笑い声が染み込んだ赤いカーテンは厚く重厚である。そのカーテンが今は開かれていて、昼間の燦々とした光が差し込んでいる。それがとても不釣り合いのように思えた。
「……っ!」
 ナルセスは目の前の男を見て、思わず畏縮して、言葉を詰らせる。
 頭部の半分が剥げ、白い顎鬚が顔の下半分を覆った、骨格逞しい体の男が、豪勢な椅子に座っている。すでに六十を越えているが、見るからに若々しい。そして、冷たい床に跪くナルセスを見下ろしながら、威厳に満ちたオーラをあびせて来る。
「遠慮は無用、思う所を存分に話せ」
「はっ、御尤[ごもっと]も……」
 低く響く声に後頭部を押されて、ナルセスがもう一度頭を下げる。それに、鼻から少し息を吐き出して、公爵の方から問いかけた。
「アルティガルドは強い。大国ではある。だが、我らとカリハバールの両方を相手にしては苦しかろう。あの山猿(ヴィルヘルム1世)は何を考えておるのか?」
「アルティガルドと雖も、セレーネ半島を制圧するには早くて3年はかかりましょう。それでは、この時代に乗り遅れます」
 ナルセスは公爵に促されて、すらすらと喋りだす。
「西では、ガスパール・ファン・デルロース伯爵が、カール5世陛下の第三皇女メルローズ様を擁して、ホーランド朝サリスを打ち立てました。勿論、正式な手続きを経ておらず、偽帝ではあります。しかし、すでに相国を騙るデルロース伯爵は、バイパール半島のパルディア王国と同盟を結び、さらに、南のアーカス王国とも関係を深めております」
 一旦区切ったところで、ノアイユ子爵が口を挟む。
「そのアーカスですが、先日ナントを奪還したとか……」
「左様です」
 ナルセスの声が大きくなる。
「デルロース伯爵は、アレックス・フェリペ・デ・オルテガを鎮南将軍に任じて、『エリース湖南岸を鎮圧せよ』と勅命を与えています。これがサリスの皇女やサイアの王太孫と戦う事の後ろめたさをかき消したとか。侮れない技量です」
「だから?」
 公爵の声は淡々として、「そんな事は分かっている」と言いた気である。
「故に、アルティガルドも急がねばなりません。このままでは確実に、デルロース伯爵は力を増します」
「では、こちらに干渉せずに、そのまま南下して、カリハバールと戦えば良いではないか?」
 ノアイユ子爵が言う。これがオルレラン公爵家の当初の見解だったのだろう。アルティガルドは強国だが、四方に敵を抱えている。カリハバールを倒した段階から、本格的な乱世が始まる、との予測が世間にはあった。
「それでは、リスクだけが大きく、実を得ません」
 ナルセスは即答した。それにすぐさま公爵が訊ねる。
「実とは?」
「無論、戦後は皇帝位です。そのためには戦前に、カリハバール追討の盟主となる事が重要」
「盟主とは?」
「はっ。征竜大将軍です」
 竜とは、カリハバールの地、ドラゴンラグーンを意味する。また、大将軍とは複数の将軍を指揮下に置く者を指す。これはかつて3代皇帝シャルル1世が、皇太子時代に名乗った将軍位でもあり、対カリハバール戦において、最高の権威である。
「征竜大将軍ともなれば、時代の流れがアルティガルド王家を覇者と認め、戦後のエリースを治める大義名分となりましょう。その後に対立を表明しても、形勢は明らかに不利」
 ナルセスが断言する。それを聞いて、公爵は自慢の顎鬚を擦った。
「よくぞ申した。これこそ山猿の意であろう」
 公爵は膝を叩いて、大きく頷いた。
「はっ、ありがたき幸せ」
「それでは――!!」
 ナルセスは呼吸する事すら忘れて、膝でにじり寄る。


【オルレラン宮殿、サイア殿】
「今頃、ナルセスは公爵と会っているんだろうな」
 マックスがぼんやりと呟く。
「そうだろうな」
 ベッドの上で、オーギュストは青白い顔で、咳き込みながら頷く。
 ここは、北西の尾根にある曲輪で、サイアの王女カテリーナ・ティアナ・ラ・サイアが住まっている事から、通称“サイア殿”と呼ばれている。オーギュストは、サッザ城の攻防戦以後、カフカの手配もあって、このサイア殿の一室に滞在する事を許されていた。そのカフカ自身は、現在ヴァロン平野で反アルティガルド勢力の確立のため奔走していた。
 しかし、戦いの後から、オーギュストは体調を悪くして、オルレラン到着後はずっとベッドから起き上がれない状態になっている。
「で、俺達はヴァロン平野に出陣する事になるのか?」
「……」
 オーギュストは黙って不機嫌な目を向ける。
「そんな事より、リューフはまた例の神殿か?」
「そうみたいだな。あれ? そう言えば、このところ多いなぁ」
 マックスが首を捻ると、太い指を折る。
「そうか……」
 オーギュストは長く息を吐き出した。
 ディアン義勇軍は、ソフィアとその子供達をすぐにオルレラン側に引き渡さず、オルレランの北にある神殿に預けた。それから、その所在を明らかにして、引き続き母子の身柄を保護している。
「奴は固い男だ。(お前と違って)問題はないんじゃないのか?」
「だからお前は、男と女の事が分かっていない、と言うんだよ」
「どう言う意味だ」
 マックスがむっとして、口を尖らせた。
「ああいう自分に厳しい男は、目の前の不幸な女を放っておけなくなるものだ」
「そう言うものですかなねぇ」
 マックスが口を歪める。
「忌々しい奴め。とにかく、後で様子を見て来いよ。で、例の物は?」
「あっ、苦労して探したぜ。オルレランのショップ全部回ったんじゃないのかな。うんで、俺達の褒美は全部つぎ込んだ。本当に儲かるんだよな?」
「ああ、俺は、嘘はつかない(つもりだ)」
 オーギュストはマックスから宝石箱を受け取る。それを開けて、にんまりと笑った。
「そんなに高騰するのか、これ?」
 宝石箱から、拳ほどの石をオーギュストは取り出す。それをマックスはまじまじと眺めている。石は何処にでもあるような普通の石だが、根気よく毎日磨くと、石の中に竜のような模様が見えてくる、という宝石で、そこそこ希少で高価な品物である。
「こいつは、多眼人の髪の毛を、木の樹液で固まったものだ」
 と言って、オーギュストは石を叩き割った。
「ひぃ~~ぃ!」
 マックスの悲鳴がこだまする。
「俺が元気になれば、もっと稼げるって(たぶん)」


 南エリース湖を一望できるテラスにカレンがいた。青銅製の卓子と椅子、そこに白い日傘があり、その下でカレンは本を熱心に読んでいた。
「神よ お聞き下さい。この試練に私は負けません。家族に二度とひもじい思いはさせません。生き抜いてみせます!」
「――たとえ盗みをし、人を殺してもでも! 神よ、誓います。二度と飢えに泣きません!」
 カレンは感動のあまりに思わず声に出して読んでしまう。と、館の中から声がして、驚いて振り返る。テラスの出入り口には、オーギュストが立っていた。
「この本をご存知なの……あ、もうよろしいのですか?」
「ええ、迷惑をかけました」
 カレンは驚いて、本を卓子に置いて立ち上がる。それから、慌てて笑顔を作り、オーギュストの体を気遣った。
 オーギュストはラフな格好だったが、気にする様子も無く、隣の椅子に腰掛ける。
「それ、俺も好きでした。特に男の別れの言葉『はっきり言うが、俺の知ったことじゃない』とか、ラストの『彼を連れ戻す方法は 故郷に帰って考えるわ。明日に望みを託して』とか趣味だね」
 カレンは視線を本へ落としながら、ゆっくりと座り直す。
「……二人は別れるのですか?」
「えーと、どうだったかな……」
 オーギュストは頭をかいた。
 カレンはうるうるとした瞳で、オーギュストを見詰めている。
「でも、初めてです。この本を読んだ事がある人に会ったのは……」
「でしょうね。古典だから」
 カレンは感激する。心がほのかに温まり、自然と微笑が浮かぶ。
「古典が好きなのですか?」
「ああ、何だか、現代にはない、美しさが感じられるね。特に、この主人公の女性は、生き生きとしていて、強くて、挫折しても前向きな所がいいかも」
 同感と言いたいようで、カレンは嬉々として頷いている。
「なんだか、もう一度読んでみたくなったが、そう言えば、あの本はどうしたかなぁ」
 オーギュストはそう言いつつ、本へ手を伸ばそうとする。その時、軽い眩暈を感じて手を止めた。
「……大丈夫ですか?」
 ビックリして、カレンが目を丸くする。
「ああ」
 オーギュストは手を上げて、大丈夫だ、と示す。
「前もこんな感じで……どこか具合が悪いのじゃ……?」
 しばらく黙ってから、急にオーギュストは目頭を押さえた。
「時々、どうしようもなく心が痛む。きっとその所為だろうね」
「過去に何かあったのね……?」
 遠慮した弱々しい声である。
「あの船覚えている?」
「ええ」
 オーギュストはたどたどしく話し出す。
「昔水難事故にあって、それから家族に会っていないんだ。残ったのは俺とあの船だけ」
「まぁ」
 カレンが涙ぐむ。
「聞いてくれてありがとう。随分楽になったよ」
 オーギュストはすぐに笑顔を作った。
 それを見て、カレンはホッとしたように眉を開く。そして、オーギュストの手首に変わった紋様のリストバンドがある事に気付いた。
「これ?」
「これは、絶滅した多眼人のもの」
 そう説明すると、両手をそろえて見せた。
「足首にもあって、魔術の流れをコントロールしている。最近大袈裟な魔術を使ったからね。狂った精霊が居着いて困っている」
「へえ、ディーンさんは、本当に古い物に詳しいのですね」
 カレンはすっきりしたように頷く。
「ギュスでいいよ」
 二人の間に親和な温かみが流れる。
 その時、侍女がオーギュストを呼びに来て、オーギュストは「楽しかった」と言い残して立ち上がった。
 そして、建物の中へと消えていくオーギュストを、カレンは名残惜しそうに見送った。

 侍女に案内されて、長い廊下のへ出ると、ミカエラが待っていた。
「成果はあったのか?」
「関係ないでしょ」
 ミカエラは、忙しなく瞳を動かして、乱雑に髪をかき上げる。
「ルブランもカロリンヌも甘くなかろう?」
「……交渉は断られた段階からが、本番よ」
 ミカエラは、苛立ちが熱し過ぎて、自然と早口になる。
 ナバール男爵家が滅亡して、広大な利権の空白が生まれた。そこに群雄達の野心が流れ込もうとして、連日連夜、駆け引きが積み重ねられていた。その外交交渉の中心が、ここオルレランである。ミカエラもスピノザ伯爵家を代表して、武勲を手土産に、颯爽と乗り込んだが、海千山千の手練手管の前に、完全に存在感を失っていた。
「ウェーデリアのスレード卿を知っているか?」
「え?」
「今オルレラン郊外に滞在しているそうだ。助力を頼んでみるといい」
「……」
 ミカエラはぴりぴりと張り詰めた目尻で、オーギュストを見遣る。
「彼はその道のプロだから。教科書にない事を教えてくれるさ」
 そうオーギュストが言った後、二人は無言で、長い廊下を並んで歩く。ようやくミカエラが口を開こうとした時、黒髪に黒い瞳のパーシヴァル・ロックハートが、朴訥と立って待っていた。ロックハートは、横のフランチェスコ・ブーンをオーギュストに紹介する。
 フランチェスコ・ブーンは、重量級の格闘家を思わせる体型をしていて、外見だけでは、とてもブーン財閥の次男には見えない。元々サリス帝国の士官学校を出たエリート軍人で、サリス崩壊後は、財閥の傭兵部隊を指揮していた。
「猪型の荒武者のように思われがちだが、非常に粘り強い用兵を行い、防御には定評がある男です」
 とロックハートは紹介した。
 ブーンは、家族に雇われて、一介の傭兵で終わる事に不満を抱いていた。苦労して得たキャリアを、このまま腐らせる気はなく、同じサリス軍出身のロックハートに依頼して、ディアン義勇軍入りを願い出ていた。
「持参金もたっぷりありますよ」
 ブーンは顔に似合わない優しい声で、オーギュストに囁く。
「それは結構」
 オーギュストは苦笑いしながら答えた。
「サリス復興をかけた、アルティガルドとの戦いも近い。兵を鍛えていて下さい」
 はっ、と二人が敬礼すると、オーギュストはまた廊下を歩き出す。
「義勇軍ももう終わりだな。あの二人を中核にして、いよいよ……」
 その後、ミカエラが数度躊躇った後で、話し掛ける。
「口説いたでしょ?」
「まさか」
「あれじゃ、家族が湖で事故にあって、あなた一人が生き残って、そして、遺産はあの船だけ、という風に聞こえたわよ」
「それは聞き方が悪い。俺は、一つも嘘は言っていない。ただ相手が喜ぶように、話を端折っただけだ」
「呆れた」
 オーギュストは急に立ち止まって、ミカエラを壁に押し倒す。
「妬いた?」
「まさか」
 ふふ、とオーギュストはにやけて笑う。
「具合悪いんでしょ。ちゃんと寝てなさい」
「キスの後で、そうする」
 オーギュストが口づけをしようとする。
「ふざけないで」
 ミカエラは一度不満そうに、「もう」と喉を鳴らしたが、静かに瞳を閉じて、オーギュストの首に手を回した。


【オルレラン大神殿】
 神殿の片隅、数ある建物の中で、六角形の形から六角堂と呼ばれる建物がある。
「他に何かご不自由なことがあれば、遠慮なく」
 リューフはソフィアに言う。
 ソフィアは微笑んで、黙って頭を下げた。その時、外は薄い雨が降っていた。土間の作業台に並んで座り、二人は豆をむく。
「恭順を示されれば、男爵家再興も適いましょう」
 言ったリューフ自身が、白々しい気休めに、恥ずかしい思いがした。
「感謝致します」
 そうささやかに呟いて、視線を横の小さな駕籠の中で寝ている1歳の男爵へ向ける。リューフも、その瞳の動きにつられて、子供を見た。
 その微かな動作で、二人の肩が触れ合う。そのまま二人は黙ってまた豆をむき始めた。
「おっ! いた、いた」
 そこにマックスが呑気な顔で扉を開いた。
 二人はは素早く立ち上がる。
「なんだ?」
 リューフは凄い形相でマックスを睨んでいた。一方、ソフィアは子供を抱いて奥へ下がっていく。
「なんだ、って……ギュスが……」
 マックスはリューフの眼光に臆しながらも、首を伸ばして、ソフィアの背中を見続ける。
「おい、何処見てんだ」
「え? あ、ギュスが見て来いって……」
「だから……。ギュスが? まぁいい……座れ」
 リューフは元の場所に座り直して、隣の椅子を遠くへ離した。
「お前も手伝え」
「なんで……いえ、手伝います……」
 人類でも最大級の巨体を誇る男が二人、狭い土間で、小さな豆をむき続ける。


 その頃、本殿脇の建物の道場で、アフロディースは気持ちのよく身体を動かしていた。
「次!」
 アフロディースの済んだ声が道場に響き渡る。しかし、その場の男達は皆顔を伏せて、誰も立ち上がろうとしない。
「もう勘弁してください。連日の荒稽古で、無傷な者は一人もいませんよ」
 師範代の男が泣くように訴えた。
「……そうか」
 アフロディースはやっと我に返って、道場をぐるりと見渡すと、そこには怪我人ばかりが転がっている。
 やり過ぎたか、とアフロディースは心の中で舌を出す。その感情を悟られまいと、タオルで顔の汗を拭いた。
「今日はここまで」
 何もかもが心地好かった。眠りは深く、目覚めはすっきりとしていた。
 この感覚は何ヶ月ぶりだろうか……
 道場から渡り廊下を通って、宛がわれている宿舎へと向かう。と、自室の前で若い女性神官が待っていた。彼女はスピノザから行動をともにしている。怪我をしていたアフロディースの看病をしたのも彼女である。
「船のチケットは取れませんでした」
「やはりな」
「北エリース湖は完全にアルティガルドの影響下にあるそうです」
「ロードレスの危機に、駆け付けられぬとは……」
 アフロディースは右の拳を左の掌にぶつける。アルティガルド王国は、本格的なロードレス神国への侵攻を始めていた。
「申し訳ございません……」
「お前の所為ではない。陸路を調べてくれ」
「しかし、アルティガルドを迂回するとなると……」
「分かっている。多少の危険は覚悟の上だ」
「はい」
 アフロディースの覚悟を知って、女性神官は表情を引き締めた。そして、頭を下げて、準備に向かおうとする。
「あ」
 それをアフロディースが呼び止めた。
「ミカエラ殿もオルレランに来ているとか?」
「はい。そう聞いておりますが?」
「手紙を送りたい。遣いを頼めるか?」
 アフロディースが不安げな表情を隠すように、苦笑いしながら言う。
 サッザ城地下での戦いの後、アフロディースは気を失った。だが、野戦病院のベッドの上で目が覚めた時、さらに弱っていたのが横で寝ているオーギュストだった。顔は死人のように真っ青で、触ると悲鳴を上げたくなるぐらい、全身が異常に冷たかった。
 これが大規模な魔術の副作用なのか、魔術の底知れぬ恐ろしさにぞっとする。また一方で、オーギュストの醜態が爽快でもあり、溜飲が下がる想いがした。
「お前も人の子なのだな」
 思わず失笑してしまった。
 ふとオーギュストの枕元を見ると、黒い三角帽子とローブを纏った猫の人形が、鳥かごの中に入っていた。定時検診に訪れた看護士に聞くと、“ニャッハ君”という今流行の人形だという。オーギュストは金貨5枚を払って、少女からそれを買ったらしい。
 アフロディースは、「所詮子供か」と嘲笑した。それで、心のもやもやが、ふーぅ、と消えてしまうようだった。不思議なぐらい心は晴れ晴れとして、長い雨が上がって、洗い流された青空のように澄み切っていた。
 それ以来、満足感と幸福感に心身とも満たされている。
 しかし、ただ一つミカエラについてだけが、心配でならなかった。何とか、もう一度会って、事情を説明し、異変の有無を確認したかった。
「オルレランを離れる前に、何とかしたい……」


【10月初め、オルレラン】
 夕暮れ、カルボナーラ号が漂っていた。西の湖面へと沈む夕陽は、水面を黄昏色に染めて、煌びやかに美しい。
 オーギュストは甲板に二つ向かい合わせで椅子を並べて、足を上げて組み、黒いサングラスかけたままその光景を眺めている。
 と、カルボナーラ号の横に、大型船がゆっくりと停船する。そして、縄梯子を下ろすと、一人の女性がカルボナーラ号に降りて来た。
「何を熱心に見ているの?」
「あれ」
 声はオーギュストの真横からした。オーギュストは振り向きもせず、ただ西を指差す。
「……とても綺麗ね」
「ああ」
 湖面から二つの岩が突き出し、門のような形をしている。その間に、きれいに夕陽が挟まっていた。
「オルレランの双子岩に夕陽が沈むなんて、偶然とは言え……」
「偶然じゃない。ティルに見せたくてね」
「そう」
 ティルローズはオーギュストのサングラスを取る。
「久しぶり」
「大変だった?」
「……ちょっとだけ……」
 ティルローズは言葉を濁す。
「もう何も心配する必要はない」
 その手をオーギュストはそっと握る。


 この夜、緊急にディアン義勇軍関係者に招集がかかった。場所はオルレラン港近くにある迎賓館である。
「何だ?」
 リューフが迎賓館の大広間に来ると、忙しく人の誘導を行っているワ国人の女性が話し掛けてきた。
「リューフ殿、お久しぶりです。ナルセス殿の後ろへどうぞ」
 彼女は、その場を仕切っている。
「たしか、刀根殿だったな」
「はい」
 返事をするや否や、勝手に歩いて行くルグランジェを見つけると、大きな声で叫んだ。
「貴方はそこじゃありません」
 その声に、大広間の全ての音が消え、全員の視線が集中する。そして、言い返そうとしたルグランジェを、同僚のミレーユが止める。
「よせ、ティルローズ様が御出座になる」
「しかし、よそ者にデカイ顔されて……」
 これまで大雑把だった席次が、ティルローズの腹心となった刀根留理子によって、この日はきちんと決められていた。
「今更、サリスとかサイアだとか言われても、俺は納得できんぞ。それに、俺の“野心”が黙ってはいない」
 ルグランジェが言う野心とは、そのままの意味ではなく、オーギュストの事を暗喩している。
「そのギュス殿がいない。何か起こるのではないか……不気味だ」
 オーギュストが留守の間に、サイアの王太孫アベール・ラ・サイアが現れて、ナントの実権を握ってしまった。その直後に、オーギュストは皇女達と袂を別つ。ローズマリーがオーギュストより恋人のアベールを選んだと言うのが、ディアン義勇軍内部での一応の定説である。
 苦労を共にした者より旧知を信用し、実力よりも身分を重んじる。公よりも私情を選択したローズマリーに、ルグランジェやミレーユなどの若い聖騎士達は反発して、ナントを飛び出した。
 セレーネ半島では連戦連勝で、もはやディアン義勇軍は、サリスの“白馬の騎士”と言うだけでなく、独立した最強の軍団として名を轟かせている。そして、広い世界に出てみると、世は乱世である。古い秩序の綻びは隠しようがなく、新しい時代の息吹を全身で感じ取る事ができた。
 また、オーギュストを排除したナントでは、アーカス王国の反撃にあい、敗戦を重ねて、ナントまでも失い、今ではポーゼンまで退却したという。
 それ見たことか、と冷笑する者もいた。そして、逃げ出してくれば匿ってもよい、言い放つ者までいた。しかし、それらも含めて、ほとんどの元聖騎士達の本心は、何とか皇女達の命だけは助けてやりたい、と言うものだった。
 そこへ、ティルローズがオルレランに乗り込んできた。そして、当然のように我が物顔で仕切る。それに対して、「可愛気がない」とわだかまりがふつふつと湧く。「きっとオーギュストが反抗するだろう」とディアン義勇軍のメンバーは話し合い、それだけに緊張感が高まっていた。
 その時、式典の始まりを告げるラッパの古風な音色が響き渡る。
 全員が、赤い絨毯を挟んで、左右に列を成す。
 一方の列の先頭に盲目のジューク・スレードが、次にミカエラが立ち、彼女がつれてきたスピノザ家の役人がその下方に従う。
 その向かいに、ナルセスが立つ。その次に、リューフ、マックスと続いて、その下方にアラン・ド・パスカル、パーシヴァル・ロックハート、フランチェスコ・ブーン、ロベール・デ・ルグランジェ、ミレーユ・ディートリッシュ……と従っていく。
「御入来」
 重々しく刀根が言う。全員が戸惑いながらも頭を下げた。そして、再び頭を上げた時、階段の上に、ティルローズが座っていた。
 結局オーギュストは現れない。否応無く、緊張感は極まっていく。
「鎮守府大将軍ティルローズ・ラ・サリスである。この日より、セレーネ半島鎮守府を開府する」
 ティルローズが言う。その声は、美しく、威厳があった。
 鎮守府とは、セレーネ帝国時代の古い軍組織の一つである。占領地域の軍事と政治の権限を併せ持つ。しかし、サリス帝国初期でも一部機能していた事もあったが、世界の安定と共に、自然と周辺属国の名誉職(四鎮将軍など)として使われるようになった。
 余談だが、アベールは復古主義者で、これ以外にも皇帝警護の近衛府(羽林、親衛将軍など)、皇居内部警備の兵衛府(威衛、武衛、鷹揚将軍など)、諸門守備の衛門府(牙門、金吾将軍)などを復活させている。こうして、古風な将軍位を乱発していた。例えば、ペルレス・ド・カーティスを羽林将軍に、シド・ド・クレーザーを武衛将軍に、ゴーティエ・デ・ピカードを鷹揚将軍に、ミッチェルを牙門将軍に任じていた。
 続けて、刀根が朗々と告げる。
「ナルセス・ディアン、今後は安国将軍に任じる」
 ナルセスは階段を上がって、ティルローズから辞令と剣を受け取る。
「次に名を呼んだ者は准将(副将軍)とする。リューフ・クワント、マクシミリアン・フォン・オイゲン、アラン・ド・パスカル、パーシヴァル・ロックハート」
 どよめきが起こり、視線が複雑に交差する。そして、やはりこの男、ルグランジェが不平そうに眉を寄せて、口を開こうとする。
 その時、扉が開いた。オーギュストが黒いマントを翻して、颯爽と赤い絨毯の上を進む。これから何が起こるか、かつてのナントでの振る舞いを再現するのか、誰もが息を呑んで見詰めた。
「オーギュスト・オズ・ディーンよ、汝を軍師将軍に任じる」
 ティルローズは平然と言い放つ。
「はっ」
 そのまま歩きを止めず、階段を昇り、そして、ティルローズの足元に跪いた。
「忠誠の全てを、我が君に捧げる」
 オーギュストはティルローズの靴に口付けをする。
 ある者の血は氷点下まで下がり、ある者の血は沸点まで上昇した。


 その深夜。
「ええ……すぐに会えたわ……」
 ティルローズは魔術通信用の送話器に向かって話している。
「ええ……ポーゼンに帰参しても良いそうよ……威衛将軍で承諾したわ……」
 黄金の髪をかき上げる。
「ええ……アルティガルドと決着した後……」
 ティルローズは声が乱れるのを必死にこらえていた。この魔術通信器は遠くポーゼンと繋がっていて、話しているのはアベールである。
「いいえ……一二週間で片付くそうよ……」
 雪のような美肌は、真っ赤に染まり、汗が滴り落ちていく。
「そう……だから……彼なのよ……ええ、じゃ」
 通信を切ろうとすると、横から別の声がした。
「お姉様? どうなさったの?」
 ローズマリーだった。
「ええ、彼は元気よ」
 ティルローズの緩やかな身体の揺れが止まり、顔が急に張り詰める。
 その反応を見て、彼女の下で、赤い魔草酒を飲みながら、手紙を読んでいたオーギュストがクスリと笑って見せる。そして、いきなり激しく腰を突き上げた。
「ひぃ……」
 ティルローズは歯を食いしばって、喉元まで出かかった喘ぎを抑え込む。彼女はオーギュストの腰の上に跨っていた。所謂騎乗位で、ゆっくりだが今まで腰を前後に振っていたのは、彼女自身である。まだまだ不慣れのようで、腰だけを蠢かせる事ができず、肩が大きく揺らいでいた。
 オーギュストは腕を上げると、小粒な乳頭を摘み、そして、捻る。
「あっ、ああ…もうぉ……何でも……。湖の冷たい風に当たって、ちょっと風邪を……」
 口では姉を上手く誤魔化し、瞳は恨みっぽくオーギュストを見下ろす。
「あぅ……うう……ンン」
 その瞳がオーギュストのサディズムをさらに活性化させた。左手で乳ぶさ全体を包み込むと、形の整った美乳は、揉まれるまま歪んで潰れる。一方右手は、股間へと進み、滲み出た汁で潤んだクリトリスを転がし弄る。
 それに、ティルローズは必死に送話器を押さえた。そして、怯えた子羊のように、ダメ、ダメ、と首を小刻みに振る。
「こ、声が? ……きっと飲み過ぎたせいよ。晩餐会が終わったばかりだから。これも仕事よ」
 ローズマリーの問いかけに、ティルローズは必死に言い訳をしている。火照った目尻には真珠のような涙が浮かんでさえいた。それがオーギュストの心臓を鷲掴みするほどの色香を漂わせている。
「うっ、ゥんぅ……あっああ……」
 白く細い喉を仰け反らして、小さく喘ぐ。
 透き通るような白い裸体は、白磁のように光り輝いている。張りのある胸の膨らみは汗で蒸れて、細く括れた腰は悶えてうねり、引き締まった双臀がもどかしげに悶えている。どれも官能美に満ちていた。
「ダメよ……今は止めて……」
 送話器を押さえながら、オーギュストに震える声で哀訴する。
 聞こえてはいけない、気付かれてはいけない、と思うほど、背筋を妖しげな稲妻が走り抜けた。その後に、もぞもぞと熱く爛れた情念がせり上がって、脳を、理性を灼き尽くして行く。
「あっ、あっ、ああン」
 どんなに堪えようとしても、よがり泣く声が洩れてしまう。
「……はい。分かっています。あっ、衛視の見回りです」
 ティルローズは慌てて切った。
「どうした? もっと話せばいいのに」
「ヴァカじゃないの?」
 殺気立った瞳でオーギュストを見据える。
「ねぇ、もしバレたら……きっと殺されるわ」
 それが急に、濡れ光る瞳に長い睫毛の伴ったまぶたが重ねた。
 見上げるオーギュストの目に、淫蕩に耽った女の顔があった。そこに、日頃の皇女らしい清楚さは微塵もない。
「一緒に逃げようか?」
「え?」
 思わず、瞳を大きく開く。
「何処か遠くへ、誰も知らない静かな土地で、二人っきりで暮らすんだ」
「いいわね、それ」
 ティルローズは身体を倒して、オーギュストの口を吸った。そして、二人の唇から、少し赤みの混じった唾液が溢れ出て、淫靡に垂れ落ちていく。
 二人は身体を入れ替えて、正常位になった。ティルローズのすらりと長い脚が大きく左右に開かれて、オーギュストはその間で、物凄い勢いで往復運動を繰り返す。
「あ、あーっ、ンっ、んあっ、おかしくなっちゃう」
 熟した粘膜が抉られて、深い所を叩かれる。水音が一際大きく響き、それが二人の官能をさらに焚きつける。
「あん、ああん、あああん、もっと、もっと……」
 色欲の言葉がふしだらに洩れると、柔らかな肉襞が、ペニスに絡みついて、きゅっと締め付ける。
「あーーーん、気持ちイイッーーの!」
 眉間には深い盾皺を刻み、瞳は焦点を失い、小鼻は膨らんで甘く鳴き、朱い唇は半開きになってすすり泣いた。それは完全に発情した牝の貌だった。
「気持ちイイ、気持ちイイのぉよ。ああーーん、もうぅ、もぉとおっ!」
 オーギュストはティルローズのヒップに手を添えて、最深部まで深々とねじ込む。手に感じる弾力が見事だった。
「あ、ああッ、イクっ、イクっ、イクっ、イクっ……あ、あーーッ!!」

 オーギュストが浴室から戻ってくると、ティルローズはうつ伏せになって、まだ荒い息を吐いた。股間には、オーギュストの吐き出した精が、トロトロと逆流して、滴り落ちている。
 オーギュストの濡れた足音に気付いて、ティルローズは顔を上げる。
「あれって、何?」
 ベッド脇にある猫の人形を指差す。
「ああ、触っちゃダメだよ」
「どうして?」
 ティルローズは眉をきっと寄せて、詰問するような声を出す。
「夢魔が封じ込められている。触ると寄生されるぞ」
「夢魔?」
 ティルローズは白いシーツの上で、身体を反転させて、上体を起こした。
「ああ、ひょんな所で見つけた」
「そんな危ない物、何に使うの?」
 オーギュストは冷やしてあった麦酒を手に取る。
「当分は俺の魔術アイテムを管理させようかなぁ。そのうち、使い道もあるだろう。たぶん」
 そう笑いながら言って、麦酒を一気に飲み干す。そして、会心の呻き声を上げた。
「美味い!!」


【オルレラン港】
 オルレラン港には多くの旅客船、商船、貨物船が停泊していた。エリース湖有数の取引額を誇る巨大港湾であるが、戦乱の拡大で、ほとんどが出港できず、ただ虚しく港に浮かんでいる。
「これか……」
 港近くの酒場で、船を出す船主を紹介されて、アフロディースは第三埠頭を訪れる。ここは比較的小さな個人船が入港する場所である。
「それじゃ、トレノまで行けるのだな」
 腕に大きな鮫の刺青をした船員と、アフロディースは交渉を始める。
「ええ、大運河がテロで破壊されてから、南エリース湖はわりと安定していますから。でも、危険は危険ですよ。どうします?」
「分かった。一人頼む」
「どうぞ」
 商人が手を出すと、そこに布袋を投げる。その重さを確認して、男はにんまりと笑った。
「まいどあり!」
「交渉成立だな」
 アフロディースは古びた小船へ飛び乗る。
 それとすれ違うように、母親に連れられて3人の子供が桟橋を陸へと歩く。
「エヴァ、こっちだ」
「パパだぁ~!!」
 大きく手を振って、家族を迎えたのはナルセスである。そのナルセスに長男(ルートヴィヒ)、次男(ナイトハルト)が抱き付く。そして、末の妹(ヨハンナ)の手をひいて、クリーム色の頭髪とすみれ色の瞳をした母親のエヴァが遅れて駆け寄った。
「貴方……」
 ナルセスの妻エヴァは瞳を潤ませている。
「久しぶりだな……今まで苦労をかけた……」
 ナルセスはその愛妻を強く抱き締めて、再会を喜び合った。それから、用意していた馬車に乗って、街中へと向かった。
「わぁー、大きい!!」
 男の子達が馬車から顔を乗り出して、天を突き刺す教会の尖塔を見上げる。
「あれがオルレランの代名詞“聖パトロ大聖堂”だ。明日にでもお祈りに行こうか」
「リューフ殿がお世話になっていた場所でしょ?」
 エヴァが真面目な顔で訊いた。
「そうだ」
 ナルセスの言葉に一度頷くと、次にエヴァは別な人物の名を挙げる。
「ギュス殿に会いたいわ」
「凄い奴だぞ。おかげでついに俺も将軍になった。今から鎮守府に寄るから、お前も挨拶しておくといい」
「はい、お会いできるのが楽しみです」
 馬車の中の家族は、絵に描いたような幸せに包まれていた。


【鎮守府】
 昼、ナルセスの家族は鎮守府を訪れた。エヴァは着慣れないシルクのドレスが、どこかぎこちない。
「ディアン夫人、長旅大変でしたでしょう」
「新しい館が大き過ぎるので、これから掃除が大変です」
「貴方の御主人は、まだまだ大きくなる。館どころか城までも手に入れるでしょう」
「恐れ入ります。主人も閣下と出会えた事をこそ至福と感じております」
 昼食をしながら、3人はたわいもない会話を楽しむ。メニューは鱸の香草焼きで、その蕩ける味に、エヴァは上機嫌になった。そして、上質の油に滑らかになった口は、今までになく饒舌となって、二人の出会いや最初の喧嘩等、色々話し出して、横のナルセスを冷や冷やさせた。
 ようやく話し疲れて洗面室へと席を立つと、ナルセスはやれやれと安堵の溜め息を落とす。そして、声を顰めて、オーギュストに話し掛けた。
「港で美女を見た。アフロディースだろう」
「確か?」
「あれほどの美人はそうはいない。何処へ行く気か…何をする気か…逃がしていいのか?」
「心配する事はない」
「野放しにする必要はなかったのでは?」
「貴重な大駒だ。大事にしたい。それに完全復活した俺から、逃げられやしない」
「ギュスがそう言うのなら、これ以上は何も言わん。だが、油断はするなよ」
 ナルセスは心配顔で言う。だが、オーギュストは気にもとめていなかった。


 セレーネ半島鎮守府では、頂点に立つティルローズに代わって、兵を指揮するナルセスが作戦本部長、参謀長を兼務するオーギュストが作戦本部次長、実働部隊を率いるリューフが第一分隊長、ロックハートが第二分隊長、マックスが情報班長、スレードが査閲部長、ミカエラが事務室長となった。また、文官のスレードは大丞(雑号将軍に相当)、ミカエラが中丞(佐官に相当)に任じられた。
 そのミカエラは、朝からずっと部下を叱咤していた。
「それじゃ間に合わない。子供の使いじゃないのだから。もう一度言って来なさい!」
「字が間違っているわよ。それからもっと綺麗に書きなさい! 誰が読むと思っているの!」
「数字が合わないじゃないの。最初から計算し直しない!」
「出陣は近いのよ。気合が足りない!」
 ブーン家などオルレランの商人から集めた資金の管理から、武器、兵糧の調達まで、早急に済ませなければならない仕事が山済みとなっていた。
 そこへ、オーギュストが柱の影から手招きをした。
「随分、ご機嫌じゃないか?」
 ミカエラはオーギュストの後に従って、デッドスペースへ向かう。
「そうかしら? 止めてよ」
 オーギュストがミカエラの髪を撫でると、それを肘で弾く。
「仕方ないだろう。皇女様にはカリスマが必要だし。分かるだろ?」
 オーギュストは、甘えるように口を尖らせて言う。
「でも、他のやり方もあるのじゃなくて?」
「でも、効果的だったろ?」
「そうかしら?」
 ミカエラが横目で睨む。
「そうそう」
 オーギュストは屈託無く笑う。
「はぁー? バカみたい」
 ついにミカエラが根負けして、自嘲気味に溜め息をつく。
 オーギュストはミカエラの頭を抱くと、耳に熱い息を吹きかけた。それにミカエラは瞳をうっとりと閉じる。
「仲直り、ね」
「そればっかり」
「嫌?」
「……嫌じゃないけど……やっぱりダメ」
「どうして?」
「忙しいから」
「じゃ、急がないと」
「もーぉ……しょうがないなぁ……子供なんだから」
 ミカエラはオーギュストの前に身体を屈めた。

 ミカエラはオーギュストの前に跪いていた。そして、観念したように目を閉じて、薄く紅い唇を開いた。顔をペニスに寄せると、柔らかな舌を先端部分へと伸ばした。
「む、うんっ、むん、むふん……」
 垂れ落ちる黄金の髪を後ろへ振り払い、ミカエラは口での奉仕に熱を帯びていく。尿道口は舌先を震わせて刺激し、カリ首の裏側には丹念に舌先を這わせ回し、ペニスの裏側を大きく舐め上げた。そして、指は玉袋を愛撫し、時に、ペニスの根元をしごき上げた。
「むふん、うふん……」
 オーギュストのペニスが次第に固くなり、ミカエラの唾液でテラテラと濡れ光っていく。それがミカエラを不思議と昂奮させていた。
「ああん、うっ、ふんぅ……」
 ミカエラはペニスを含むと、頬を窄めて、強く吸った。どっと強力な淫臭が口一杯に広がる。それがミカエラの脳を灼いた。オーギュストを悦びが舌先からびりびりと伝わってくる。まさかこれほどフェラチオにはまってしまうとは……。驚きであり、情けなくもあり、そして、何より至福であった。
「さっきまで素っ気無い振りしていたのに、そんなに好き?」
「だってェ~~イジワルぅ~~」
 オーギュストは、頬張った顔を見下ろして北叟笑{ほくそえ}む。ミカエラは嬉しそうに、淫蕩に染まった瞳で見上げた。そこに部下を叱り飛ばす、理性的な厳しさは何処にもない。
「ああ、はやく…ちょうだい……」
 哀願して、根元まで深々と咥え込んで、苦しげに眉を寄せる。そして、唇を窄めて、呑み込んで吐き出し、呑み込んでは吐き出し、それを何度も繰り返した。
「コツ掴んだかも」
 ミカエラが上目使いで微笑む。
「ミカは賢いなぁ」
 オーギュストは優しく頭を撫でた。その後、頭をしっかりと掴む。
「よし」
「んく…んく……んっ」
 オーギュストが唸ると、ミカエラは口で精を受け止めた。そして、躊躇うことなく、それを嚥下していく。

 行為の後、ミカエラは平然と執務室に戻ってきた。
「ギュス……いや軍師将軍閣下のご用件は?」
「ロードレスについてよ」
「はい」
 秘書官が頷く。
 その目を避けるように、ミカエラは壁にかかった鏡へと向かう。そこに顔を写して、髪型を直しながら、火照った頬を撫でる。と、口の下に白い汚れを見つけて、はっとした。そして、ちらりと秘書官を見ながら、舌でそれを舐め取る。
「アフロディースからの手紙があった筈」
「はい」
「返事を書きます」
 ミカエラは失笑しながら言った。


 この夕方、オーギュストを白石弥生が訪問した。
「見~つけた」
「ふふ、俺を昔の貧乏人だと思うなよ」
 上機嫌のオーギュストは気さくに声を掛ける。だが、弥生は無言で左右に控える部下に合図を送った。
「何これ?」
 二人の部下はオーギュストの机の上に山のようなに紙切れを積み上げる。
「請求書よ、しめて240億5472万8672セルツよ」
 弥生が勝ち誇ったように、腰に手を当てて胸を張った。
「あ゛!?」
 オーギュストは慌ててそれらの紙切れに目を通す。
「何が何でも高過ぎるぞ」
「あら、格安よ」
「ちょっと待てよ、何だよこの真珠のネックレスって、こんなの注文した覚えはないぞ」
「ああ、それ。ローズマリー様がパーティーにつけて行きたいって。大変ねぇ、世界一金のかかる女性を抱き込むと、同情するわ」
「なんで俺がそんなもの払わなくちゃならない」
「だって帰参したんでしょ?」
「何処で聞いた!?」
「それは秘密。さあ、耳を揃えて払ってもらいましょうか!」
「……ないものは払えん」
 オーギュストは横を向く。
「あらあら夜逃げするんじゃないでしょうね」
 あからさまに見下した態度である。
「……」
 それにむっとしながらも、無言でぴらぴらと請求書を一枚一枚摘む。
「……まけろ」
 そして、ポツリと呟いた。
「嫌よ」
 オーギュストが小さな声で呟き、弥生が力強く言う。室内が水を打ったように静かになる。そして、突然オーギュストが叫ぶ。
「この業突く張りがぁ! ぼったくりやがって!」
「聞き捨てならないわね、うちは健全な料金で商売しているのよ」
「ほぉー、言ったな。単価票を持って来い。見積もり全部チャックしてやる」
「あら、望むところよ」
 二人は請求書を一枚一枚チェックし始めた。

「パパ。凄いね!」
 男の子が鮮やかなタイルの装飾を眺める。
「しっ! 静かに」
 ナルセスは叱ると、子供の手を取って、女神像の前で手を合わせさせた。

 翌朝。
「だから、端数を斬れよ」
「分かったわ、じゃこれは55万でいいわ」
「端数といったら万の位からだろ、50万だ」
「馬鹿言わないでよ、そんなの承知できないわ」
「これ以上は払わんぞ」
 まだオーギュストは頑張っていた。
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Date:2011/01/23
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