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第二十六章 油断大敵

第二十六章 油断大敵


【9月中旬、セリア】
 見上げた空を、少し高く感じるようになっていた。中原の短い夏が終わり、眩[まばゆ]く輝いていた蒼穹の空は、やや落ち着きを取り戻しつつある。あれほど畏怖を与えて聳えていた雲達も、今や羊の群れのように散り散りとなって、ふわふわと彼方へと翔けていく。
 街の角々には、黒地に黄金の『禿鷹』の紋章が描かれた旗が靡いている。禿鷹はアルティガルド王家の紋章で、黒は皇帝の色を表している。
 新ルミナリエ宮殿の大広間には、諸侯及び文武の高官が、立錐の余地なく、居並んでいる。
 そこに、黒衣の男が現れると、大歓声が巻き起こった。
 男は紫の絹の上に載せられた、黄金の帝冠を、両手で持ち上げる。そして、一度天へ高く翳した後、頭上に戴いた。
「これより、余は唯一絶対の皇帝となった」
 ヴィルヘルム1世の声に、人々は一斉に平伏した。


【サイア】
 その頃、王都サイアは、オーギュストとカレンの噂で、はち切れんばかりになっていた。新皇帝即位のニュースなど何処かへ消し飛んでしまった風である。
 男は世界第一の若き英雄、女は清純高貴で玲瓏な女王である。人々の好奇心が鷲掴みにされたとしても、止むを得ないだろう。
 早朝、その噂の二人が、馬の轡を並べて、サイア城を離れて行く。毎朝、ヴィーナ川沿いに馬を走らせて、デートを楽しんでいる。その距離と時間は、日に日 に伸びて、昨日は、上流の離宮に立ち寄り、日暮れ時に戻って来た。因みに、サイア城下の酒場では、朝帰りはいつになるのか、賭けが流行っているらしい。
 この日、オーギュストは、河畔の優美な離宮を横目に、さらに上流へと走った。横には、不慣れな手綱捌きのカレンがいて、背後には供のラン、ヤン、刀根小次郎、そして、ファルコナーの4人が従っている。
 銀杏の老木の下で、馬を降りて、木につないだ。9月に入って、陽射しは弱まっていたが、軽く汗を流す事ができ、体も心地好くほぐれた。
 カレンは日傘を差して、土手の草むらに坐り、その横にオーギュストは寝転がる。
 空と水面は蒼く、河原で風に靡く草と川向こうの森林は青々としている。狭い城内で疲れた眼も、癒されていくようだった。
「あの支流の奥が『呪樹の森』ですね……」
 カレンは、不安というよりも、神秘に対する興味で硬くなっている。
「ああ、廃墟の奥に『シャリア』はある」
 オーギュストは呟いて、指を上げた。その指の先には、柱だけの廃墟となっている神殿が見えている。
 ここはヴィーナ川に支流が合流する場所で、周辺には広大な遊水地が整備され、野鳥などの楽園となっている。
「何も心配する事はない。俺が守る」
「はい」
 カレンは夢見るような声で頷く。
 『呪樹の森』は、モンベル森の一部なのだが、部外者の侵入を阻むために、樹木に呪術が施されている。この森の奥深くに、シャリアの街があり、イルガチェフ亜人族が棲む。
 イルガチェフ族は、目が細く鋭く、鼻はべったりと薄く、口は耳元まで横に広い。長身で、手足はひょろりと長く、青白い肌には一本の毛もない。退化した水かきやヒレがうっすらと判別でき、彼らの先祖が水中で生活した事が分かる。
 種の起源はよく分かっていない。人間の原種だったと言う説もあるが、おそらくは、ハーフエルフの一派だと思われる。
 非常に非力で、精霊を操る能力も失われている。種として極めて脆弱であるが、ただ呪術に長けている。その力で森を封印して、自分達の街シャリアを守って いる。元々は森の外縁付近に棲んでいたが、外敵をさけて森の奥へ移り住んだらしい。そのために、森の入口には、神殿の廃墟が点在し、異形の植物に覆われ て、怪奇な気配を醸し出している。
 以来、外界との接触は少なく、唯一、呪術の技術を提供する事で、必要な物資を得ている。つまり、商売している訳である。
 ファルコナーは、ランとヤンを指揮して、乳白色の天幕を張り終えると、少し離れた場所に移って見張りを始めていた。一方小次郎は、湯を沸かして、オーギュストとカレンの元へ、茶を運んで来る。
 オーギュストは起き上がると、盆の上のマグカップを二つ取って、一つをカレンへと手渡す。
「どうぞ」
 オーギュストは、ふとカレンの汗ばんだ胸もとを見た。身体は火照って汗ばみ、ブラウスの釦を数個外している。顕になった白い肌に、その温もりと、甘い香りの記憶が甦ってくる。
「はい」
 カレンはオーギュスの視線を察してか、俯きかげんに、頬を赤らめて受け取った。
 咄嗟に、オーギュストは手を伸ばして、腿を撫でた。無論、乗馬用のパンツを穿いている。それから、抱き寄せて、胸もとから手を差し入れた。
「あ、明るい場所では……恥ずかしい……」
「いいさ」
 カレンは拒むように、オーギュストの腕を掴んだ。しかし、オーギュストは一切かまわず、乳ぶさを手で優しく包み込む。硬い弾力のある乳ぶさは、汗で若干濡れていた。
「ひ、人が見ています……」
「見えやしない」
 乳白色の魔法の幕は、外の光りや音は通すが、内からは何一つ洩らさない。
 カレンには、火の後始末をする小次郎や、見張りに立っているランの姿が見えて、川のせせらぎや、野鳥の囀りもはっきりと聞こえている。
 オーギュストは、カレンの背後に回り込んで、小さく笑った。その手のひらの中で、乳首がしこっている。
「ああ……お許しを……」
 カレンが小さく嘆いた。
 いつしか、両の膨らみはブラウスから露になっている。幕を通った光が射して、汗の所為もあろうが、肌理の細かい肌は、一段と光沢を放っていた。その輝きが、オーギュストの指の煽動で、卑猥に揺れ崩れる。
「うう……ぁっ」
 カレンは喘ぎ声がもれそうになって、慌てて口を噤み、奥歯を強く噛みしめる。しかし、薄い幕一枚を隔てた、外の現実と、こちら側の非現実。この対比が、理性を狂わせていく。
 最も羞恥を感じるのは、この仕打ちに、こんなにも敏感に反応している自分自身であろう。乳ぶさを揉まれると、ふわりと逆上せて、乳首を摘まれると、電流が肢体を駆け巡って、痺れ悶えてしまう。
「あーああン」
 堪えきれず、甘い吐息が溢れ出す。
――もっと気持ちよくなりたい。もっと激しく感じさせて欲しい……
 そんな気持ちの表れとして、膝が自然と開いていく。
 最初の夜以来、毎日愛撫を受けた。乳ぶさだけではなく、脚の指の間から、脹脛、太腿と舐め上げられて、尻肉をねっとりとしゃぶられた。そして、臍、背筋、脇の下、肩、首、耳とあらゆる箇所を、まるで感度を調査でもされているかのように、念入りに舌で舐め尽くされた。
 性感帯だけでなく、ほくろの小さな一つに至るまで、隈なく知られてしまった。まさに虜になるとはこの事だろう。だが、不思議と嫌悪感はない。最強の男に抱かれて、心地好い安らぎを得ていた。
 しかし、二度目の挿入はまだない。もっと心身とも快楽に馴染むまで待つ、と伝えられている。カレンはその関門の日が、間近に迫っている事を肌で感じていた。
「自分で」
 耳元でオーギュストが囁く。その短い言葉が何を意味するのか、カレンは直ぐに理解できた。そして、思わず蕩けるような笑顔を作ってしまう。
「はい」
 こくりと頷くと、腰のベルトを緩めて、乗馬用のパンツとショーツを摩り下ろした。淫水が股間に滲んで、陽の光に輝いている。
「くぅ、ああ~ん」
 秘列に新鮮な空気が吹き込んで、むわりと淫臭が流れ上がった。
――なんていやらしい女なのかしら……
 それが理性の最後の活動だったろう。もう後はただ感情に流されていくだけだった。一秒でも早く弄って欲しい。一回でも多くかき回して欲しい。自然と腰が前後に振れた。
 オーギュストは剥き出しになった腿の内側を、触れるか触れないのか微妙な手付きで、下から撫で上げる。
「ひぃ…はぁ……ん」
 ぞぞっと、快感がせり上がって来る。そして、まるでねだるように、勝手に腰が捻れて、卑猥な吐息を上げる。
――さ、触って……
 オーギュストの指は、秘唇の周りで、焦らすように円を描く。カレンは人差指の第二間接を切なげに噛んだ。
――ああ…早く…そこの…お豆を触って……
 物欲しげに瞳を潤ませて、オーギュストを見詰める。
 と、視線を絡ませたまま、オーギュストは両の襞を指で擦る。
 カレンは瞳がとろりと緩んで、噛んだ唇が、だらしなく開いていく。
 もう頃合か。オーギュストがそう思った時、外が騒がしくなった。
「無粋な奴めっ」
 オーギュストは苦々しく呟くと、カレンの身体を草の上に降ろす。
 突然の事に、カレンは当惑したように顔を上げる。そして、火照った頬に冷たい草を貼り付けて、切なげに、外へ視線を送った。
 
 その時幕の外では、近寄って来た瓜売りの農夫二人と小次郎が言い争いを始めていた。農夫は二人とも見窄[みすぼ]らしい服装だが、背筋がピーンと伸びている。農夫の一人は見上げるような巨漢で、もう一方は中肉中背で、どこか動きが鈍い。
 間もなく、弾かれたように、小次郎が天幕の側に駆け寄った。
「ナルセス様とマックス殿が来られました」
 天幕に向かって跪くと叫ぶ。
 二人組みは、駆け付けたランと何やら親しげに語り合いながら、銀杏の木陰で担いでいた駕籠を降ろして、その場に崩れるようにしゃがみ込む。
「早く出て来い」
 マックスが、声を張る。
 と、オーギュストが、軍服のジャケットを肩に担いで外へ出て来た。
「おい、真剣にやれ!」
 その姿を見て、マックスは顔を顰めてもう一度怒鳴る。
「何が、だ?」
 オーギュストは口を尖らせて、銀杏の下へと歩く。
「俺達はこんな格好をしているのに、お前達は何だ。あんな快適な物まで用意して、目立ち過ぎだろが!」
「ちゃんと、偽装はしている。誰もがデートだと思っているよ」
「どうだかな。あー、なんかバカバカしくなってきた」
 そう言うと、マックスは後ろに倒れて大の字になったが、木の根で頭を強く打った。
「お疲れ」
 オーギュストはナルセスに軽く手を上げて、挨拶する。それにナルセスは、ぜえぜえと荒い息を吐くだけで、すぐには声が出ない。
 オーギュストは苦笑して、小次郎に茶を持って来るように命じた。それから、瓜の駕籠の前に膝を折る。
「揃っているのか?」
 表面の瓜を取り払うと、駕籠の底に、金塊がずしりと並んでいた。
「勿論、全部借金だけど」
 マックスがいやらしい笑い方をした。
「グランカナル(大運河)が機能すれば、春までには何倍にもなるさ」
 咳き込みながらも、力強い声がする。ナルセスである。一服してようやく声を発する事ができた。
 カリハバールの遠征で、東西の距離は縮まり、ホーランドなどのドネール湾岸都市の発展もあって、海と湖との貿易は、さらに盛んになる事が予想される。鯨 などの海産物、香辛料、毛皮、さらにコーヒー豆やカカオなどの嗜好品を中原へ運び、逆に中原からは、絹織物、酒、陶器、高級な工芸品を送り出す。扱う商品 は数え切れない。
 知らぬ内にナルセスの眉が引き締まる。
 そのためにも、大運河の安定は最重要である。
 カリハバール、シェルメールのへの備えに、ブルシュ(ブルサ州都)に、アレックスを入れる。ドネール湾側の出入り口、ペラギアには、才覚は薄いが裏切る可能性も薄いマックスを入れる。問題はヴェガ山脈に不穏分子を抱えるランス盆地である。
「お前にはランス城に入って欲しい」
 二杯目が到着して、喉が潤うと、どうにか声も落ち着いてくる。
「リューフがいるだろ?」
「彼に内政は無理だ」
 オーギュストは大きく息を吐いて、それから頭をかいた。内心、まぁ実務はマザランにでもやらせよう、と無責任に思って、取り敢えず頷く。
 ナルセスは満足げに微笑んだ。巨万の富を背景に、いずれは中原に覇を唱える。そんな野心も全くの夢物語ではない。そう思うと、血が沸騰するような気がした。
 本拠地シデの前衛、カッシー州牧には、ロックハートを置く。メルキュール州牧にはパスカルを置く。築城名人である彼は、日々マーキュリー要塞の防御力を 高めるだろう。隣接するエルワニュール州牧には、オルレランから引き抜いたベルティーニを置く。さらに、セレーネ半島のサッザ城には、ブーンを置く。四人 とも、広い視野を持ち、柔軟な判断力を有している。
 また、シデでは、天下無双のリューフが、ルグランジェ、カザルス、など有能な武将、精鋭兵を鍛えている。
 思わず、拳を握って、「よし」と呟く。
 それを横目に、オーギュストは金塊でお手玉しながら、マックスをちらりと見た。
「お前、家臣とか大丈夫か?」
 足りているか、と割りと心配げに問う。
「ウェーデリアで、姉ちゃんが集めてくれている」
「そうか……まぁ何かあったら言え、サイア系の官吏なら、紹介できるぞ」
「ああ」
 マックスは気楽に頷いた。
 
「そろそろ時間だな」
 オーギュストが懐中時計を見て呟く。その言葉が聞こえたのか、支流からゴンドラが下ってきた。それに金塊を載せて、オーギュスト、カレン、ナルセスが乗り込む。
「小次郎、見聞を広めろ。一緒に来い」
 オーギュストが手招きすると、破顔一笑した小次郎がゴンドラに飛び乗る。それに、ランが渋い表情をした。
「お前は剣士になりたいのだろ」
「ハイ……」
 ランはしぶしぶ首を縦に動かす。
 ゴンドラは順調に『呪樹の森』に消えていく。ランは未練たらたらに、ちぇ、と舌打ちをした。
「絶対、お姉さんが綺麗だから、特別扱いなんだ」
「不服なんて十年早いぞ」
 そんなランに対して、ファルコナーが嫌味たっぷりに言う。ランが睨み付けると、仕事に戻れと捲くし立てた。
「カッコつけちゃって、ホントは行きたかったくせに……」
 無理しちゃって、とまるで挑発するように言う。だが、ファルコナーは全く表情を変えない。
「軍人は、自分が何を必要とされているか、常に考えている。そして、与えられた任務に、常に最善を尽くす」
「ああ、そうですか。ボクは軍人じゃなくて、剣士だから」
 ランは拗ねたように顎を突き上げる。それをファルコナーは鼻で笑うと、「もたもたするなよ」と言い残して、一人歩き出した。ランはその背中へ思いっきり舌を出す。
「何だよ。いけ好かない奴」
 
 その頃、ゴンドラは、一切の光のない闇の中を進んでいた。森から洞窟に入り、右に左に何度も曲がって、最後は水のカーテンを抜けた。
 そこは、水の大回廊である。
 左右を高い断崖に挟まれて、森から水が滴り、滝の帯となっている。この渓谷を、ゴンドラは5キロ程進む。
「おい」
 一頻り、感動していたナルセスが、すれ違うゴンドラに気付いて、オーギュストを呼ぶ。
「別の客だろう」
 乗っているのは、身分の高い貴婦人のようだった。ナルセスは生唾を飲み込む。
「そ、そうか……」
 ゴンドラは滝の裏へと消えていった。森の何処かへ続いているのだろうが、水路の迷宮の全容は、イルガチェフ人しか知らない。
 ゴンドラは大回廊を抜けた。深い森の下に三日月型の湖がある。その岸にはドーム型の屋根を載せた、まるで茸のような建物が並んでいる。その一つにゴンドラは止まった。
 湾曲した白い階段を上がると、広いテラスがある。石の円卓にはすでに先客が待っていた。
「よくお越し下さった」
 印象的な赤い巻き毛を持つ男が、両手を広げて、歓迎の意を表す。
 ホーランド朝の最高権力者ガスパール・ファン・デルロース相国の嫡男ラスカリスである。その両隣には、ホーランド南部の実力者マイセン男爵と、トラブゾンの大商人ベネディクス・ハンザなどがいた。
「またお会い出来るとは、何と喜ばしい」
「同感です」
 オーギュストは、爽やかに笑い、短く答える。それから、イルガチェフ人に促されて、椅子に坐った。卓上に、契約書が二冊ある。
「原則、南北の境界はヴィーナ川でよろしいな」
 念を押すように、マイセン男爵が言う。立派なもみ上げを左右に供えている。顔は四角ばって大きく、そこに、不釣り合いな小さ目の眼鏡をかけている。
「塩田は一つ頂きたい。それ以外のドネール湾岸街道上の諸都市はそちらに」
 オーギュストが返答する。
 マイセン男爵はラスカリスとベネディクスにそれぞれ耳打ちすると、「結構」と満足げに頷いた。
 レオポルド・フォン・マイセン男爵は、穏やかな性格で、人望人徳があり、旧サイア貴族のまとめ役である。特に芸術分野に造詣が深く、相国ガスパールとも大親友であった。
 オーギュストは、以前ホーランド領に侵攻した際、領内南部に位置するアウエルシュテット州の有力者である、このマイセン男爵と接触していた。
 接触の目的は、ローズマリーとメルローズの会見を実現するためだったが、これがシデ大公国とホーランド朝の同盟交渉の糸口となった。
「それでは、東西はオランジェリー台地の東縁を境に、西側はすべてホーランドという事で」
「承知」
 オーギュストは頷いた。サイア東北部は山岳地帯で、オランジェリー山地とセブリ山地が、縦に二列に並んでいる。この二つの谷間に、セブリ街道が蛇行して 走っている。道幅も狭く、交通量は少ない。また谷間にあるために、ちょっとした雨で、橋が流されたり、道が水没したり、崖崩れで通行止めになったり、極めて不安定であった。だが、サイア城からウェーデル山脈麓のカイマルクへ最短で行ける。
「では、通商の問題だが……」
 落ち着き払って、ベネディクス・ハンザが口を開く。この男の妻は、ランの叔母で、ランの双子の姉リタを養女としている。
 明かる茶色の髪は、きれいになでつけて、雰囲気に清潔感がある。そして、笑うと、やや痩せた頬に、垂れ気味に皺が刻まれている。決して美形という訳ではないが、人を惹き付ける笑顔である。
 彼は、一代で財を成した、トラペサ大河河口の都市トラブゾンを代表する商人である。
 北の大地に広がる平野を作り出した大河トラペサ。その三角州の上に繁栄する街トラブゾン。その歴史は、300年ほど前に遡り、サリス帝国の将軍フリードリヒ・トラブゾンが、960年の『ニードスの戦い』の功績により、この地を領有した事に始まる。
 当時未開の地であったトラペサ川一帯が、これを機に大きく開発されていく。だが、1211年にパルディア王国軍が侵攻した。以後13年間、服従を強いられて、多額の税を収めている。
 因みに、ナルセスはこのトラブゾンの出身である。
「さて、この合い札があれば、港や運河の使用は優遇され、関税も引き下げられる訳ですな」
「その通り」
 ナルセスが頷く。
「結構」
 ベネディクスが翳なく笑う。
 運河貿易で、主導的な役割を握る事ができた。これで、トラペサ大河、ドネール湾沿岸の諸都市を取り纏める事ができる。
――トラブゾンの復興も近い!
 目を閉じた。それは瞳に感情が滲む事を恐れた所為であろう。
 この瞬間、最終的な合意が成立した。
 ホーランド、大運河、シデを結んだ形からこれを『弓張り月協定』と呼ぶ。
 と、イルガチェフ人が、二冊の契約書をずらして重ねる。「どうぞ」の掛け声で、ナルセスとラスカリスが、掌を並べて乗せる。そして、イルガチェフ人が、 青く大きな宝玉の載る杖で、それらの上に、呪術の紋様を描いていく。契約書と手の甲に、割印の要領で、青緑色に輝いた奇怪な文字が刻まれた。
「盟約は成された」
 ナルセスが「終わり?」とオーギュストを見る。小さくオーギュストが頷くと、契約書から手を上げる。そして、恐る恐る呪術の紋様に触ろうとするが、次第に、手の甲から消えていく。
「もし偽る事があれば、二人に手の甲に隠れた蛇が、血管を通って、心臓を食い破るだろう」
 最後に、イルガチェフ人が言った。
 
 
 カレンは緊急に執政官を招集した。
 窓のない、長方形の部屋である。壁際には人の背より高い位置に、1メートル間隔でランプが並び、緑色の壁を単調な光で照らしている。明るさが足りているようではなく、人の顔がどうにか判別できる程度である。
 北面は一段高くなり、そこに玉座があった。それに向かい合って、五つの黒く角張った椅子が並んでいる。その最右席が、第一執政官カフカの席だが、そこに 『銀の氷剣』と畏怖される、銀髪と鋭い眼光の男の姿はない。この日は、セリア滞在中と言う事で、執政官代行であるジャンヌが出席している。
 彼女の隣に、オルレラン公国出身の二人の執政官が並んで、次に、アルティガルドから派遣された、白い軍服の男が居た。ヴァイスリーゼ(白い巨人)の一人、ヴォルフガング・サヴァリッシュ少佐である。
 サヴァリッシュは、逞しい長身で、ブラウンの髪を短く刈り上げて、軍服がよく似合っている。勇敢で、鋭敏な感性を持ち、少ない情報量でも適切な判断を下 す、と評価が高い。ただ超エリート集団ヴァイスリーゼのメンバー故に、類にもれず、特大の自信家でもある。他者の言葉に耳を傾けず、甘さを微塵も感じさせ ない冷徹な眼差しで、嘲るように見下す、そんな悪癖があった。
 そんな彼が、サイアの執政官に抜擢された。ロードレス神国へ戦力を集中したい事情から、数よりも頭脳を強化した、と言うのが、もっぱらの評判である。
 最後に、元サイアの蒼鷹騎士で、オーギュストの副将ヨハン・ファンダイクがいた。
「――以上より、ホーランドと境界線を含む和親協定を結びました」
 カレンが、協定調印書を示して、短く報告を行う。
 いきなり事後承諾を求められて、執政官たちは顔を顰めた。
「女王よ。公爵様の意見も聞かず、独断が過ぎますぞ」
「左様、最近ではこのサイアにも、ハイエナが現れたようで、公爵様もいたく心を悩まされておられます」
 二人のオルレラン出身の執政官が、まるで子供を叱るような口調で言う。実際、年齢差は、親子以上に離れているし、カレンの母親の子供時代も知っている。
 そして、これにジャンヌも加わる。
「これでは、サイア王国の力を大幅に損ねますね。こんなものを、カフカ殿は受け入れられないでしょう」
 カレンはそれらの言葉に、優美に頷く。すべて想定された内容である。
「領土の減少は、交易によって補います」
 ゆっくりと5人の顔を見渡しながら語る。
「サイアはこれまで、辺境地域から中原を守る城壁であり、辺境地域への橋頭堡でした。しかし、これからのサイアは、ドネール湾岸と中原との交易の拠点として、友好の掛け橋として、大きな役割を担うのです」
 誰かが書いた文章を、言わされているというような感じだが、彼女の真剣さは伝わってくる。
 ジャンヌは口を噤んで、カレンの真意を探った。この強気は何に由来するのか、否、この絶対的な信頼感は誰に由来するのか、答えは簡単に見つかる。そして、脱力した溜め息とともに、視線を落とした。
「ダメです」
 慌てて、オルレラン系の執政官が言い放つ。ジャンヌの沈黙を不甲斐なく想い、自分こそが、といきり立った。もう一人も、やや言葉を強めて続ける。
「例え女王と雖も、政策には執政官の採択が必要です。それがサイアの法です」
「では、女王の権限により、あなた方を罷免します」
「そんな突拍子もない」
 失笑混じりに、二人は立ち上がった。
「我らは公爵より、あなたの教育も受け賜わっている。よろしいか、ご両人?」
 そして、左右のジャンヌとサヴァリッシュ少佐へ視線を送った。
 ジャンヌは「どうぞご勝手に」と投げやりに頷き、サヴァリッシュ少佐は「アルティガルド帝国は無関係だ」と無関心そうに顔を横へ向ける。
「では」
 と、スーツの皺を伸ばして、一歩踏み出した。
「女王陛下に対して、手荒な事はしたくありません。ご自身で、自室へと向かって頂きたい」
「お断りします」
 カレンは膝の上で両手を組み合わせて、毅然と言う。
「女王、見苦しいですぞ」
「止むを得まい」
 二人の執政官は、顔を見合わせる。互いの責任と任務を短く再確認すると、衛視を呼んだ。
 手を叩いた。だが、背後の扉の向こうから何の反応もない。間を狂わされて、むっとした顔をする。もう一度叩く。じきに背後の扉が開いた。一旦は満足げに、髭に手をやり掛けたが、入室して来た男を見て、不覚にも、思考と体が固まってしまった。
 赤い絨毯の上を、オーギュストが歩く。その後ろに小次郎が一人続いていた。
「あわわわわ……」
 一人が、思わず、腰が砕けたように椅子に座る。もう一人は、ぽかんと口を開いたままで立ち尽くす。一方、サヴァリッシュ少佐はうんざりした顔で、脚を組んだ。
「女王、お呼びか?」
「執政官が、説明を求めているようです」
 騎士の礼をするオーギュストに、カレンは、丁寧な口調で答える。そして、二人の執政官を見下ろした。
――これよ!!
 かつてのティルローズの姿が鮮やかに甦る。
――ああ……ティル様はこんな気分だったのね……
 カレンはカタルシスに酔った。
「オルレラン騎士は?」
 震える声で、執政官が問う。
「騎士などいたか?」
 オーギュストは小首を傾けて、小次郎に訊く。それに小次郎も首を捻る。
「さあ、犬なら居ましたけど」
 と、毒強く答えた。
「ああ、あれか。ぶすっとした髭面で、かわいげがなかったなぁ」
 悪戯に夢中な子供のように、オーギュストは言う。
「で、それが?」
 そして、打って変わって、静かに執政官を見詰める。
 その瞳に魅入られて、執政官は呼吸すら忘れてしまったようだった。
「執政官殿」
 声は優しい。が、だからこそ恐ろしい。
「私に敵対するのは余りお薦めできませんぞ。命の無駄遣いは、良い趣味とは言えない」
 執政官は救いを求めて、サヴァリッシュ少佐を見る。
「茶番だな」
 サヴァリッシュ少佐は肩を竦めた。もう一人が同様にジャンヌを見る。
「もう降参です」
 と首を小さく振った。
 ジャンヌは芝居がかった演出に、呆れながらも、カレンの思惑を可愛いと想う。同時に、強[したた]かだとも想う。兄アベールと祖父オルレランは和解し た。いつアベールが「サイア返還しろ」と、いつオルレラン公爵が「サイアを返還しよう」と言い出すか分からない状況である。片腕となるべきカフカも、すで にサイア王国を持て余しぎみで、アベールとの結び付きを強化しようとしている。
――見限られる前に、見限ったか……女王様もキツイ。
 ふと笑みが零れた。
『お前ほどじゃない。蓮っ葉さん』
 その時、脳に直接声が響いた。
 瞳を上げると、赤い瞳と出会う。
『そうかしら? 一番は貴方かもよ、驕淫さん』
 二人は周囲に気付かれる事なく、意思を伝え合う。その時、清々しい声がして、二人の繋がりは途切れた。
「ディーン将軍には、女王補佐として、尚書令に任ずる。今後一切の案件は尚書令を通すように」
 カレンは凛々しく立ち上がる。
「では、解散」
 そして、勝ち誇ったように言い放った。

 カレンは玉座横から、奥へ下がっていく。女王の間へ直通する無人の通路は、暗く、狭く、そして、長い。そこに、音色の違い足音が二つある。
「カレン」
 と、オーギュストが追いついた。
 カレンは結った髪を解いて、勢いよく振り向いた。その瞳の中で、光が滾っている。
「ギュス」
 名を呼ぶと、頭の芯がぐらついた。その湧き起こる昂奮を隠そうとややぎこちなく微笑む。
「ねえ、どうだった?」
「すばらしい女王様だ」
「あなたも素敵だった」
 瞬き一つせず、カレンは一歩前へ出て、情感たっぷりにオーギュストの髪に触れた。
「ねえ、キスしよう」
 そして、自分から瞳を閉じる。長い睫毛がぴくぴくと震えて、先ほどの身を灼くような快感の余韻に浸っているのが分かる。
 大人っぽくなった瞳と、微妙に幼さの残る顔が、ほんのりと上気していた。オーギュストは誘われるままに顔を動かす。唇と唇が重なると、どちらともなく、すぐに舌を絡ませ始めた。
「あふん……ううふん……」
 オーギュストが舌先から唾液を送り込み、カレンがそれを甘い吐息をもらして飲み干す。そして今度は、カレンが熱い唾液を流し込み、オーギュストが激しく啜り取った。廊下に響き渡る卑猥な音も、二人は全く気にならなかった。
 オーギュストは、ドレスの上から胸を揉み、裾をたくし上げて、腕を滑り込ませる。
「ギュス、ふ、服が乱れます……」
 言葉とは裏腹に、カレンは微塵も抵抗しない。
 指は難なく、ショーツに到着して、軽く触れる。
 それを契機に、秘唇から、堰を切ったように熱い蜜が滴り、一筋の雫が、白いガーターソックスの上を、さーと滑り落ちていく。
「ふぅ、ああン」
 媚びるように、カレンは喘ぎ上げる。
 オーギュストはカレンの膣内の急所を的確に捉えて、鈎型にした指で掻く。
「あっ、ひぃっ」
 咄嗟に、オーギュストの腕を掴むが、腕の振りを止められない。熱い飛沫が、殺風景な床面へと吹き落ちていく。
「気持ちイイ、気持ちイイ!!」
 それはまるで魂を吸い出されているような衝撃だった。まさに天に引き上げられるようで、カレンは極彩色の悦楽によがり泣いた。
「もういいだろう」
 オーギュストは低く呟くと、カレンの手を壁に突かせ、さらにスカートをたくし上げて、その豊かな尻を剥き出しにした。
「は、恥ずかしい……」
 言いながらも、尻を突き出して、魅惑的に振り揺らす。
 抜けるように白い尻肉に、指を食い込ませて、荒っぽく左右に開く。そして、鮮やかなピンク色の割れ目に強引にペニスを押し付ける。もう入口は洪水のようだった。
「うっ! ふぅっ、あっ、はぁ……あん!」
 そして、胎内の奥深くまで一気に突き入れた。媚肉がくいくいと締め付けてくる。
 カレンは恥も外聞もなく、喘ぎまくった。壁に添えた長い爪が、もがくように漆喰を抉り、形の整った眉が、突きに合わせて吊り上って、眉間に皺を刻み込む。
「どうだ? カレン」
 オーギュストは、カレンのうなじに口付けをして、その汗を舐め取りながら、耳元まで舌を這わせる。そして、そっと囁いた。
「ああ、もっともっとして!」
 瞳を横に流し、背後のオーギュストへ送ると、淫靡にねだる。
「わかった」
 オーギュストはもはや遠慮する事なく、激しく腰を尻肉に叩きつける。
 厚い肉がたわわに揺れて、パンパンと心地好い音が鳴り続ける。
 カレンはだらしなく開いた口から、唾液を垂らした。もうその瞳に清楚さはなく、痴女のように虚ろに潤んでいる。
「あっ、うあああ――」
 綺麗に並ぶ白い歯からは、絶叫の叫びが発せられる。そして、全身を強く突っ張らせて、気をやる。それから、崩れるように前のめりに倒れていく。
「これで俺の正式な女だ」
 オーギュストは腰を掴んで支えると、カレンの中へ精を解き放つ。
 
 
【ヴェガ山中】
 アフロディースは、天空邪神神殿(仮称)に残っていた。興味深い魔術の資料が、神殿各所に散乱している。その全容を整理するだけで人生が終わってしまう。アフロディースはそう笑って、瞳が燦々とさせた。
 順調に調査は進んでいる。この時も、入口付近に埋もれていた石版を掘り出している最中だった。
「動き出した?」
 部下の報告に、アフロディースは神殿深部へと走った。
「転送装置です」
「ああ」
 石門がある。左右の柱と梁に、びっしりとルーン文字が刻まれている。それがランダムに、淡いグリーンの光を発していた。
 その場にいた部下達は、皆一様に緊張感に息を詰めている。
「間違いない。あの時と同じだ。亜空間が何処かと繋がっている」
 アフロディースが呟くと、副官が叫び上げる。
「戦闘配備!」
 石門の上に異様なオーロラが浮かび、中では深紫色の渦が蠢く。そして、緊張が最高潮に達した時、黒い塊が流れ出てくる。
 手足がある。が、小さい。
「ドワーフのようです」
 耳元で副官が囁く。その観察に無言で同意を示して、アフロディースがさらにきつく睨む。
 副官は部下の一人を指名して、接近させる。その部下は慎重に跪くと、突然驚愕した顔を上げた。
「この顔、見た事があります。確かレイとか申した筈です」
「なに?」
 アフロディースは駆け寄り、その顔を覗き込んだ。
「間違いない。直ぐに治療を」
 
 
【サイア】
 男と女が賭けをした。
 勝負の切っ掛けは簡単、売り言葉に買い言葉。理由は伊達と酔狂だろう。別にこんな事で、互いの資質や、技の優越をはっきりさせる必要はない。ましてや、二人の交わした罰則の重さを考えれば、馬鹿げた行為としか言いようがない。
 つまり、二人は真っ当な人間ではない。
 男が仰向けになり、その上に女が跨る。
「はあっ、はっ、あっ」
 ジャンヌは荒い息を吐き出す。眼下にはオーギュストがいる。その腰の上に跨ると、やや前屈みになり、腹の上に手を揃えて添えている。
 グチュ、ブチャ、ヂュチャ、チュチュ……
 結合部からは、卑猥な水音が鳴りもれる。
 ジャンヌは懸命に膣肉を絞って、腰を振り立てていた。ジャンヌの腰使いは芸術とも言えよう。腰骨を横軸にして、桃尻が揺れ、引き締まった下腹部が激しく蠢いている。
――そんな……
 腰を降り始めて、三秒と保った男はいない。自慢の性技であった。が、それが全く通用しない。口は疲労に半開きになり、呼吸はすっかり乱れてしまって、額からは玉のような汗が滴っている。
――もう続かない……
 不本意だが、腰の回転速度を緩めて、肩で息をし始める。
「どうした?」
 オーギュストが頭を擡げて、北叟笑{ほくそえ}む。
「悔しい……」
 ついにジャンヌの身体が前へ倒れていく。腕をオーギュストの首に絡めて、胸に顔を沈める。もう呼吸は、短距離を全力で走ったように速い。
「次は俺だ」
 オーギュストは膝を曲げると、ジャンヌの太腿の裏へ手を回して、腰を跳ね上げるようにして起き上がる。
 一瞬、ジュンヌの身体がふわりと宙に浮いた。その瞬間に、オーギュストは膝立ちの体勢となった。
 重力に引かれて、ジャンヌの尻が落ちる。
「んんっーーーっ!!」
 ジャンヌは喘いだ。必然、ジャンヌの体内深く、ペニスが突き刺さっている。
「くぅーーーん!!」
 これまで、騎乗位で主導権を握っていたから、適度な快楽を得られるよう、膣内の深度を調整していた。それが最深部まで一気に串刺しにされてしまって、配慮の無い衝撃に全身が痺れた。
「ひ、ひぃーーっ!!」
 ジャンヌは快感に身悶える。オーギュストの首に手を引っ掛けて、天を仰ぐようにがっくりと後ろに首を折り、背筋を綺麗な弧に反らしている。
 さらに、オーギュストはズブズブと激しく突き上げる。その先端が容赦なく膣奥の壁を叩き続ける。
「や、やぁ……ぁ、それ、ああぁ、だめぇ……!」
 子宮口を突かれる度に、視界が霞んだ。弱々しく首を振りながら泣き喘ぐと、赤い髪を振り乱れて、額に浮かんだ汗の飛沫が飛び散っていく。
「…んんっ…イイ…のぉ……きもち…イイ…のぉっ…」
 押し寄せる快楽の波に、ジャンヌの精神が陥落寸前となる。だが、まだ終わりたくない。もっともっとこの悦楽を味わいたい。そう想った瞬間、
「……イヤン」
 再び、身体の感触がふわりと宙を舞う。ベッドに押し倒されて、正常位になる。
「ぁ…あぁ…っぁああ!」
 また別の角度で、膣肉が擦られる。
「あっ! あっ! あんっ! ああんっ! あああっ!」
 すでに猛烈な快楽に全神経を支配され、舌を突き出して、半狂乱に喘ぎまくる。その淫靡な声を、もはや自分の意志では止め様がない。
 「んーっ、んっ、んぁっ! す……凄いっ……あぁっ、ダメぇっ!」
 吼える唇を、塞ぐように唇が重なる。二人はまるで獣のように荒々しく、貪るように吸い合う。
 次に、オーギュストが汗に蒸れたジャンヌの胸を揉む。
――肉体が一つとなる……
 と、乳ぶさがどろりと溶けて、手がずぶずぶりと沈んでいく。上下の口も、同様に蕩けて混じり合っていく。
 これは、言葉にし難い感覚だった。
――今、精神と精神とが繋がり、心と心とが融合して、魂が一つに交合する……
 相手の意識が、どっと流れ込んで、逆に自分の意識が、吸い奪われていく。もはや二人を隔てる結界はない。
『ああ、私達は同類なのね……』
『そうだ。俺達は共通の能力を有している』
『私は一人じゃない』
『ああ、俺も偶然の存在じゃない』
 心を温かな光が包み込む。そして、瑞々しい肉体が、異様な異物に侵食されていく。ジャンヌはその未知の感覚に、抵抗を放棄する。身体はすでに自分のものであって、自分のものではない。身体の一部は、オーギュストだった部分と溶け合い混じり合い、新しい存在になっている。
 自分の中にもう一人いる。それは初対面の時に連想したイメージと寸分狂わないプレーであった。
『ああ、も、もう……あ、いっちゃう、いっちゃううう!!!』
 ジャンヌは、人生最高の快感に溺れ、愉悦に微睡{まどろ}む。
『よし!』
 そして、気をやるジャンヌを確かめてから、オーギュストも熱く滾った中で、淫楽の塊を爆けさせた。
 白目を剥いて気絶したジャンヌは、海面のように乱れたシーツの上に仰向けになっている。時折ピクピクッと小刻みに痙攣して、そして、股間からは、白い液がゴボボッと流れ出ている。
 それをオーギュストは優越的に見下ろす。
 勝因は、経験の差だろう。日頃から、赤い瞳のもたらす膨大な情報の処理に慣れていたオーギュストの方が、互いの感情の濁流の中でも、自我を見失わなかった。
 オーギュストは立ち上がり、壁に貼られた『イルガチェフの誓約書』を手に取る。
『敗者は勝者の願いを一つ適える』
 と明記されている。さらに二人の署名と拇印が押されている。
「何にしようか」
 オーギュストは、斑に生えた顎の無精髭を擦りながら不埒な考えに耽っていると、ドアの向こうから声がした。
「畏れながら」
 声の主は、小次郎である。
「どうした?」
「ランスのアフロディース様から緊急魔術通信です」
「何?」
 オーギュストは怪訝げに、眉の間に力を入れた。
 
 
【10月、ランス】
 城の大手門を潜ると、三の丸である。城の東側に外堀と内堀に挟まれて、薄く長く弓のような弧を描く。ここで道は三つに分かれる。南に行けば兵舎群と船着場。西に向けば、内堀を越えて、不整五角形の二の丸。北に向けば、大塔の下の倉庫群と搦め手門に繋がっている。
 倉庫群は、北に外堀、南に本丸の石垣が迫って、面積は狭く、日中でも暗い。
 石垣は天を衝くように高く聳えて、上部に行くに従って反りが付き、その曲線が身震いするほどに美しい。この上に、大塔が立ち、北からの攻撃に備えている。これを『千人殺しの石垣』と呼ぶ。物騒な名は、先の功城戦で、大塔に誘われたシデ大公国軍兵が、ここで大出血を被った事に由来している。
 戦後、戦死者達のために、梅の新木が植えられた。
 その梅木の影が蠢いた。そして、月が雲に隠れた一瞬で二つの残像が、近くの倉庫へと走る。
 夜の闇と同化した影は、尋常ならざる速さで、夜警の兵士の影に溶け込むと、音もなく兵士を倒す。
 雲の隙間から、月光が注ぐ。そこに黒いマントが二つ揺らいでいる。それが、滑るように倉庫の扉に近付き、扉の錠に向かって詠唱を始める。瞬く間に、結界を解除して、静かに扉を左右に開く。
 倉庫の中に、銀色の光が長く差し込む。
 内部に荷は一つもない。荒く積まれた石壁に、太い梁が四本渡り、その上に細い角材を合理的に組み合わせて屋根を載せている。
 侵入者が足を踏み入れると、白い粉が舞った。微かに小麦の香りがする。
 倉庫の奥に、ロフトがある。そこに、こんもりとふくれた布団が敷かれている。
 二人の侵入者は、物音一つ立てずに進む。そして、ベッドの前で立ち止まると、マントの分け目から、鈍く光る短刀を取り出す。
『アサシンダガー』
 標的に絶対死を与える。その恐るべき武器が、月明かりで暗闇の中に煌めく。
 躊躇なく、振り下ろす。しかし、手応えなく。引き抜けば、鳥の羽が舞い上がった。
「チェッ……」
 苦々しく舌打ちする。
 その時、石壁や梁に付けられていたランプに火が灯る。
「この程度に、引っ掛かるとは、たいした腕ではないな」
 扉から、部下を率いたアフロディースが入ってくる。
 二人の暗殺者は、マントを投げ捨てて、アサシンダガーを構えた。
「お前達だったか……」
 アフロディースが低く呟く。
「ご無沙汰です」
 暗殺者は目線を下げず、頭を僅かに倒した。
「武器を捨てろ」
「私達は昔の私達ではない」
 二人の暗殺者は、ロフトから軽やかに飛び降りる。
――できる!  その躍動感溢れる動きに、アフロディースは危険を感じて、眉を引き締める。
 床に降り立った暗殺者達が駆ける。
「先輩として、忠告はした」
 アフロディースの訣別の言葉にも、暗殺者達は無表情のままである。
「射よ」
 命じると、背後に列を成していた弓隊が、一斉に矢を放つ。
 しかし、二人の暗殺者は足を止めるどころか、その速さを維持しつつ、全ての矢を突進しながらかわしていく。
「はっ!」
 アフロディースは剣を抜いて、横に一閃、斬り裂いた。
 だが、その必殺の一撃を、二人の暗殺者は苦もなく跳ねてかわしている。
「なっ!」
 容易に頭上を突破されって、アフロディースは、驚きに眼を見開いた。もはや人の体術ではない。
「でぃええええ!!」
 二人の暗殺者は鏡写しのように行動を揃えて、アフロディースの背後に着地すると、勢いのまま、弓隊へ蹴りを打ち出す。
 倉庫の入口から二人の弓兵が弾き出された。倉庫を封鎖していた兵士達は、ただ唖然とするしかない。
 その中に、二人の暗殺者は、踊り出てきて、瞬く間に兵を蹴散らしていく。
 取り乱した兵士達は、遠巻きに囲むだけで、「どうした?」「何が起こった?」と叫び合い、自分達から攻撃しようとしない。
「何をしている!」
 その時、倉庫からアフロディースが出て来た。
 それを見て、二人の暗殺者は目と目で頷き合うと、まるで風鳥のように、城壁の上へと跳躍した。
「弓、用意!!」
 アフロディースが叫んだが、もう二人の暗殺者は壕へと飛び出している。
「追え!!」
 もはや言葉に余裕はない。
「全ての城門を閉じよ!!」

 大手門に爆風が上がる。その煙の中から、二人の暗殺者が、駆け出て来た。しかし、大手橋の上に、立ち塞がる男が居た。
「お前は……確か」
 二人の暗殺者の形相が変わった。
「ディーンか?」
 そして、初めてその足を止めて、男を睨む。
「ああ、ディーンだ」
 オーギュストが淡々と告げる。
「面白い」
「私達はついている」
 背後からはアフロディースが追って来た。二人は小さく頷き合うと、背中合わせとなって、それぞれオーギュストとアフロディースへ斬りかかって行く。
「死ね!」
 アサシンダガーを鋭く突き出す。
 オーギュストは素早く剣を抜くと、同時に左足を一歩引いて、電光石火の一振りで、アサシンダガーを叩く。
 アサシンダガーが石畳に落ちると、それを引いた左足を踏み出すついでに踵で押さえ、上段に振り被った剣で、暗殺者の頭に斬りかかる。
 しかし、暗殺者は仰け反るようにして回避した。そして、後転しながら、アフロディースと対峙するもう一人の所へ下がっていく。
「どうだ?」
「目で追える」
「そうか、ならば」
 暗殺者は短く囁き合うと、再び動き出す。今度は体を屈めて、滑走するように進む。
 オーギュストは青眼に構えた。
 暗殺者の手から、手裏剣が放たれる。
「ちぃ」
 オーギュストは、右手一本で剣を握ると、左右に手首を捻らせて、巧みに払い落とす。
 その瞬間、暗殺者はオーギュストの眼下に踏み込んでいる。
「遅い!」
 暗殺者は鋭く、
「遅い」
 オーギュストは冷ややかに言い放つ。そして、頭上で剣を両手持ちすると、紫電一閃、斬り下ろす。
 しかし、暗殺者はその疾風のような剣撃を、額の寸前で両手を合わせて止める。
 オーギュストは腰を沈めて、力で剣を押し付けていく。
 その時、月光が翳った。
 まさに隕石の如く、もう一人の暗殺者が降り落ちて、アサシンダガーを垂直に向ける。
 オーギュストの左足が蹴り上がった。一瞬、甲高い音がして、金属が舞い上がって行く。
 それは全くの意表であった。宙に滞在している暗殺者の喉に、アサシンダガーが突き刺さり、即座に死の呪いによって魂が砕かれた。そして、無情にも、その亡骸は、剣の上に落下して、仲間の額を打ち割った。
「無駄に強い」
 思わず独語する。
 
 この戦いの後、オーギュストは、城南部の船着場に停泊中のカルボナーラ号へ向かう。そして、船室で治療中のレイを見舞った。
「よ、若造」
「丸焼けになった、と聞いていたが、元気そうじゃないか?」
 その時、レイは軽い食事を平らげ終えたところだった。
「わしの自慢の毛が燃えてしもうた。ガハハハ」
「唾を飛ばすな、唾を」
 オーギュストはさっと跳び下がって、顔を顰める。と、レイは肺に裂けるような痛みが走り、胸を苦しそうに押さえた。
「ほら、無理をするからだ。攻撃魔法(ダークブレス)の直撃を受けたのだろう?」
 オーギュストは言いながら、レイの肩を抱き起こして、ベッドの方へ導こうとする。が、レイは太い腕で、余計なお世話だと払い除けた。
「何をこのくらい。お前とは、体の頑丈さがちがうわ!!」
 血を吐くような叫びである。そして、再び襲う激痛を気迫で克服すると、地に響くような声で問う。
「で、いつ出発する?」
「いきなりなんだ?」
 オーギュストは呆れ顔で離れると、テーブルの上で、瓶からジョッキに水を注ぐ。それをレイに差し出した。
「落ち着け」
「俺は……」
 受取はしたが、口を付けようとはせず、さらに、眼も決してオーギュストから離そうとはしない。
「分かったから、まず飲め」
 その眼力に、オーギュストは「この頑固者め」と呟き、呆れた表情で苦笑した。
「しかし、事情が今一つ分からん」
「だからっ、ゴホゴゴホ……」
 咳き込んで、言葉が続かない。
「情けない……」
 拳で自分の太腿を叩く。
「暫し俺に時間をくれ。人を派遣して、状況を整理したい」
「そんな悠長な……」
「まずは傷を直せ」
 いきなり、レイは持っていたカップを落とすと、オーギュストの手を掴んだ。
「死に何の意味があろう。生きる事にも何の価値があろうか……」
 その顔は凄絶きわまり、血走った目が微かに潤んでいる。
「頼む。同朋の仇を討つには、お前の力が必要なのだ。だからわしは、生き恥を晒してでも……ゴホゴゴホ……ホホン」
「分かっている。俺にも、お前(の道案内)が必要だ。だが、その傷ではできまい。俺に足手まといと言われたくなければ、まずは傷を癒せ」
 項垂れるように、レイは力無く頷く。そして、宝珠のペンダントを、首から外すと、オーギュストへ手渡した。
「我が村に伝わる『ハイパープルーム』だ。 お前を信じて託してやる」

 オーギュストは甲板に出る。夜明けはまだ遠いようで、城の周りは暗闇に包まれている。
 数隻向こうの小舟には、先ほどまで暗殺者だった者達が乗せられて、城外へ運び出されようとしていた。桟橋にはアフロディースとその部下達が祈りを捧げている。深夜の寂の下、それらは黒い岩のように見えた。
 オーギュストは笛を唇へとあてる。しなやかな指が、穴の上で踊り始めると、喨喨と鳴り渡った。
 レクイエムである。
 低く吹かれると、清らかな沢を流れ落ちる水のように、引き込まれていく。
 高く吹かれると、大地の呪縛を断たれて、宙へと自由に舞い上がり、月と戯れているような心地がする。
 奏でられた曲は、天と地を和して響かせ合い、世の無常を悲しむ声となって、風の中を翔[か]け抜けていくようだった。アフロディースは知らず、瞳を潤ませている。また、部下には膝の上に顔を埋めて泣き咽る者もいた。
 曲も終わり、しばらくすると、アフロディースが乗船して来た。
「これが、付着していた精霊です」
 精霊の封じられた硝子の小粒が、白い布の上に載せられている。
「分析しましたが、未知の成分でした」
 笛のおかげだろうか、声は穏やかである。しかし、つい先ほどまでは、暗い不安に気が落ち着かず、何もできない焦燥に腹立たしさがつのって、言葉は早口となり、イライラと体を揺っていた。
 報告を聞いても、オーギュストは全く驚く様子もなく、無表情に、銀の指輪を右の人差指に嵌めると、その硝子粒を手に取る。
「離れていろ」
 そして、精神を集中させた一瞬、手の中に、蛍のような淡い光が生じた。
「見ろ」
 岸壁へ右腕を伸ばす。と、指輪が光の中に溶け出して、透かさず、打ち出されていく。
「凄まじい貫通力ですね」
 一撃で、固い岩石を穿っている。アフロディースは、やや昂奮して、その穴を見詰めた。
「こいつは『ゴールデンオーブ』という。金属粒子を一方向へ加速させる能力がある」
「文献でも、見た事のない名ですね?」
「一部の神代ゴーレムの武器に使用されていた。破壊以外に使い道がないから、破棄されたのだが、どうやって復活させたものやら」
 オーギュストは飄々と言ったが、その氷のように冷静な表情の裏で、小さな棘が突き刺さり、今にも爆[はじ]けそうな苛立たしさに胸の奥が濁っている。
「……」
 月の鈍色の光に染められた憂い顔で、アフロディースは黙り込む。その美貌に、オーギュストは引き込まれつつ、だが飲み込まれず、彼女の思考が定まるのを、黙々と、再び硝子粒に精霊を封印し直しながら待った。
「ゴーレムに使われていたのなら……」
 ようやく重い口を開く。そして、聞いた話だが、と前置きをして、アフロディースは鉛を含んだように重苦しい声で言う。
「総大主教猊下しか立ち入る事を許されない、絶対神殿に、そこに神代ゴーレムが安置されているとか……」
「おそらくそれだな」
「しかし、総大主教猊下しか……」
 鳥肌のたった肢体が、わなわなと震えだす。
「レイの言葉通りなのだろう。総大主教コンスタンティノス5世は死んだ」
「……そんな……」
 否定する声は小さい。
「ゲオルギオス大主教の謀叛は、間違いないだろう」
「でも……どうして?」
 ゲオルギオスは、アフロディースの師匠である。幻獣退治などで名声を集め、剛毅果断なロードレス神国を代表する戦士である。人望も厚く、その周りには国の現状に危機感を抱く若者達が集まっていた。アフロディースも祖国の行く末を託すべき人物だと尊敬していた。
「危機意識と責任感が暴走したのだろう。その点、セリムと似ているのかもしれん。惜しい事だ」
「……そんな……」
 目の前が真っ暗になり、腹の底に重い鉄塊が沈んでいくようだった。しかし、オーギュストは話を進めていく。
「レイから宝珠のペンダントを預かった。レイの村に伝わっていたドワーフ族の秘宝だ。中には、禁断の精霊が封じられている。さぞ、純度の高いエーテルを得られる事だろう」
「それを、ゲオルギオス大主教は狙っている、と?」
 オーギュストは無情に頷く。
「ああ……」
 思わず、嘆きの声をもらしてしまう。それから、震える長い睫毛を閉じた。
 オーギュストは再び、笛を奏でる。その音色は、二人を包む月の光りのように淡く、湖の潮騒のように悠久を感じさせながら流れていく。
 アフロディースはその胸に顔を埋めて、静かに泣いた。
 
 
【ロードレス神国】
 ロードレス神国は、絶対神ジ・オを崇拝する、祭政一致の国家である。国土はウェーデル山脈の高地にあり、乾燥寒冷の気候で、主な産業は牧畜だけである。
 人々は石窟都市に住む。
 標高1,000mを越えた高原には、小さなカルデラ盆地が点在して、その中には底に小さな泉が湧くものがあり、少ないが緑が育まれている。この盆地周囲の絶壁を掘り築かれた街が、石窟都市である。
 この壁面建築群は、中原の技術を凌駕する見事な出来栄えで、特に神殿に並ぶ巨大な神像や壁画などの美しさは、言葉では言い尽くせない。その荘厳な光景に、来訪者は必ず言葉を失うと云う。
 この街の建設には、ドワーフ族の協力が不可欠であった。また、滝のような河川にも、ドワーフ族の技術力で堤や堰ができ、麦などの生産性が向上した。
 ロードレス人は、この麦で麦酒を作り、これを尽く提供して報いた。
 このように、両者は永らく友好関係を継続してきた。
 しかし、突如ロードレス神国の戦士団が、ドワーフ族の村々を襲撃した。全くの不意打ちで、村々は分断され、組織立った抵抗を整える前に勝敗は決してしまった。
 驚くべきはその戦士団の強さである。如何に奇襲だったとは言え、屈強なドワーフ族をまるで子供のように倒してしまっている。
「こんな物を隠していようとは……」
 ゲオルギオスは、石門の前で唸った。
 ドワーフ族の秘宝を追って、地下深い洞窟に攻め込んだ。しかし、生き残っていた最後のドワーフ人は、秘宝とともに、この石門の中へ消えた。
 調査により、これが神代の瞬間物質転送装置である事は分かった。直ちに、追おうとしたが、再起動させる事ができない。幸い、記録から行く先を知る事ができ、二人の刺客を送り出した。
「ダメです」
 石門を調査していた男が振り返って報告する。
「システムのバクを見つけるだけで数年はかかります」
「ドワーフめ、余計な事をする……」
 声が重々しく響く。
「エネルギーの補充だけはしておけ」
 そう言い残して、洞窟を出た。地上には薄い大気を突き抜けて、刺戟の強い光が降り注いでいる。空気は肌を切り裂くほどに冷たい。
「猊下」
 媚びるような卑しい声に呼び止められる。
「後悔なされておられますね?」
「ブラシオス、出過ぎた事を言うな」
 頬の痩[こ]けた小男で、病的なほど青白い顔をしている。そして、そのぎらついた目を見る度に、ゲオルギオスは吐気がした。
「今『魔導結合』により、ロードレス神国は建国以来の優位にある。この時に、軟弱な態度は国を滅ぼす。誰かが決断しなければならなかったのだ」
「立派なお覚悟、もはや何も申しません」
「ああ、そうしろ」
 憎悪に似た感情を含めて言い放つ。それに、ふうとブラシオスの気配が消えた。
 ゲオルギオスは血の溜まりの中に立っている。
「今更何を逡巡{ためら}おう。もはや賽は投げられたのだ!」
 ゲオルギオスは険しい表情で独語した。
 
 首都『ツヴァイトモーント(第2の月)』に、国の最高権威者である総大主教コンスタンティノス5世と、その補佐役である枢機卿の姿はない。
 1044年に、アルティガルド王国から独立して以来、両国の間で紛争は絶えなかった。地の利はあっても、国力の絶望的な差を覆すには至らない。多くの人々が未来を暗澹たる想いで見詰め、国全体が亡国の危機感に溺れようとしていた。
 総大主教コンスタンティノス5世は、アルティガルド王国との関係修復に尽力した、穏健派である。それに、国防を担う若者達は不満を募らせていた。そして、その渦を巻くような熱気は、いつ爆発してもおかしくない状態にまでなっていた。
 ついにゲオルギオス大主教が、「信仰の弛みを糺す」として、若手戦士と共に、反旗を翻した。
「脆弱な指導者に、祖国の崇高な理想を崩壊させてはならない」
 救国の義務感と若手指導者としての責任感からの決断であった。
 ジオ大神殿の政務殿は、クーデター政権の本拠地に変わっていた。帰還したゲオルギオスに、刺客の敗北が知らされる。
「あの二人が討たれたのか?」
「所詮、我等の中では三下。その技も力も稚拙。次は私が行きましょう」
 最前列に立つ者が、不敵に言い放つ。
「いや、拘る事は無い」
 ゲオルギオスは冷ややかに言う。
「今は春の戦いに備える時。一人でも惜しい」
「師よ、私が負けると?」
「造られた力に溺れるな。まずは自分自身を鍛えよ」
「……」
 熱に魘されたような瞳が、ゲオルギオスを睨む。
「今更言う事ではないが、アルティガルドと我等では戦力に天と地程の違いがある。一人の死が、この国を滅亡へ近づけるのだ。各自肝に銘じよ!!」
 ゲオルギオスの言葉に、場はざわめく。
――ディースよ。何故この傾国の危機が理解できない……
 
 
【ランス】
 オーギュストは封鎖されていた本丸を開く。
 この城は、カリハバール皇帝のセリム1世の居城だった、旧『バビロン城』である。カリハバール帝国軍撤退後、シデ大公国が、ランス盆地支配の拠点として使用する事になった。
 エリーシア中原の城との違いは、本丸に大広間が存在せず、本丸の城門を越えると、広い広場があり、人々は屋外に跪いて、皇帝用の小さな建物(謁見の間)へ叩頭する。これが『表』。
 この建物の横に連結しているのが、皇帝の仕事場『中』である。側近官吏の執務室や議場なども附随している。しかし、世界の頂点に立つ男のものとしては、こぢんまりとした印象でしかない。
 本丸の大半を占めているのが、これらの背後に位置して、広大な敷地に、大小四百を越える部屋を抱えた大複合建造物『奥』である。
 この『奥』は、その巨大さにもかかわらず、機密性が非常に高く、また、各部屋は迷路のように複雑で、外部からの侵入は極めて困難である。
 全ての部屋は、噴水のある中庭に面し、天井、壁、床は、統一されたモチーフのモザイク画で飾られて、豪華絢爛を競っている。
 この本丸が、久しぶりに活気を取り戻した。
 オーギュストのランス入りを契機に、先遣していたラマディエとマザランが登城して『中』での政務を始める。
 また、船舶に宿泊していたローズマリーが、父親の館に滞在していたエマが、さらに、ヴェガ山脈から降りてきていたアフロディースが、この奥に入る。
 
 午前かつて、セリム1世が側近官吏と朝議を行った議場で、オーギュストはディーン家重臣であるラマディエ、マザラン、ファンダイクらと最初の会議を行った。
「先の戦いでは、三の丸で大塔に釣られて北に向かった軍勢は、倉庫群の袋小路で足を止められて、大塔からの攻撃で一掃されました」
 まず、ラマディエが城の改修工事に付いて、報告を行う。
「防御の基本理念に変更はありませんが、三の丸の南に南の丸を新設して、三の丸から二の丸へ進撃する部隊の後方を攻撃できるようにします。そして、この南の丸には、我等重臣の館を入れます」
「うん」
 オーギュストは図面を見ながら小さく喉を鳴らして頷く。
 不意にマザランが口を開いた。
「この城の最大の弱点は、西です。本丸の西側は、沼沢地ですが、城外に晒されています。この一部を埋め立てて、西の丸を築かれたら如何でしょうか?」
 マザランとしては、ラマディエが重臣筆頭の立場にある事に不満があった。能力ではなく、娘を差し出して得た地位だから、尚更腹が立つ。
「どう使う?」
「では、学校を建設したいと思います」
 一瞬、目が泳いだが、咄嗟に思いつくまま喋る。と、これに予想以上にオーギュストが喰らいついた。
「いいじゃないか。そう言えば、細君(ニナ)は、サイア王立大学で講義をしてたんじゃなかったか?」
「教授の助手として、何度か」
「じゃ、細君に任せよう。どうせだ。ラマディエの所にいた孤児達を全員入れてやれ」
 オーギュストの言葉に、エマも喜びましょう、とラマディエは破顔した。それに、マザランの左眉が跳ねる。マザランは、敬虔なエリース教の信者で、禁欲主義者である。だから、ラマディエ親子が肉欲で、若い主君に取り入ろうとしている様子を許せない。
「城の改装はそのくらいでいいだろう」
 オーギュストが言うと、視線をファンダイクへ向ける。
「ヴェガ山中の降伏した部族から、特に精悍な男を徴兵しろ。さらに鍛え上げる。より優秀な兵を輩出した部族には、自治権の拡大を許す」
「はい」
 ファンダイクはメモを素早く取り出して、書きとめた。
「期間は?」
「春になれば、アルティガルドの反転攻勢が始まるだろう。それに合わせて出陣する」
「はっ」
「全員に魔剣を持たせるぞ」
「はっ」
 オーギュストはそれを最後に立ち上がった。
 
 午後、オーギュストは白いスズランの絵が壁を飾る部屋に入った。実際観音扉の向こうの中庭には、噴水の池の周りにスズランが植えられている。
 この部屋の持ち主はエマである。そのエマが、超が付くほど不機嫌だった。
「どうしてです?」
「何が?」
「庭が小さいです」
「十分広いだろ?」
「バラの部屋よりも狭いです」
「バラは、バラだから」
 バラの部屋は、華やかなバラ園を、三階建ての建物が囲み、主室に40室が附随する最大の建造物である。そして、当然のことながら、ローズマリーが入っている。
「……ムッ!」
 これほどまで変わるか、と想えるほど、エマがきつく睨んでいる。
「じゃ、増築してください。あの壁とあの壁を壊して、もっともっと広げてください」
「えーと、耐震強度とかの問題で、壁は壊せないと言ってたぞ」
「誰です?」
「誰だったかな……マが付いていたような……」
 ああマックスだ、と白々しく手を叩いた。
「耐震強度と言えば、その胸、大き過ぎないか?」
 オーギュストが突くと、ポコリと凹んだ。それが火に油を注いだ。エマはオーギュストの手を叩き払うと、間合いを詰める。
「ギュス様は、ローズマリー様を正妻にするおつもりですか?」
「正妻って……そんな難しい言葉、マックスに聞かないと分からないなぁ」
 憤激に耐え切れずに、ふんとエマが鼻を鳴らす。
「いや、だから俺は、ほら、あれだ、エリース教じゃなく闘神教だから。あれだ、正妻はないんだ。そう、ないんだ」
「闘神教?」
 瞳が、胡散臭いと訴えている。
「そう闘神教と言って、本山はエリース湖の東岸にある。知らない? 知らないかなぁ、結構有名だったような気がしないでもないけど…ちがったかなぁ…マックスがね……」
「いいから、で?」
「それで結婚はダメなんだ。未練になるだろ。戦士たる者、家を出る時帰れると想うなってね」
「女はいいの?」
「女は、ほら、『花と酒と剣』がモットーだし、子供とか必要だし……ねぇ」
 と、曖昧に思いつくまま喋っていると、突然エマが襟を掴む。
「子供が欲しい」
「へえ?」
「子供は良いんでしょ?」
「如何だったかな」
「最初の子供は私が産む」
「ああ、そうだった。近日中に城内に堂が完成するから、そこで闘神の啓示を受けよう。そうしよう、そうしよう」
 そう言い残して、オーギュストは必死に逃げ出していく。
――おいおい、俺はまだ19だぞ……
 
 次に、そのバラの部屋へ向かった。ホーランド朝との話し合いで、『姉妹との再会を、ドネール湾に浮かぶ無人島、リューゲン島で行う』と決まりかけている、と報告するつもりでいる。きっと喜ぶ顔が見られるだろう、と心が和んだ。
 が、ローズマリーは体調を崩して寝ている、と女官長イザベル・ド・ポンピドゥが言う。
「医者は何と?」
「まだ、見せていません」
「どうして?」
「たぶん……」
 そこで、周囲に視線を走らせた後、オーギュストにそっと耳打ちした。
「ああ、そうか」
 オーギュストは、イザベルの顔を横目でちらりと見て、納得したように小さく頷く。
「え、ええ!」
 それから、僅かな間を挟んで、これほど速く首が回るのか、と思うほど、素早く二度見してしまった。
「はい」
 イザベルが大きく頷く。
 と、オーギュストの顔が真っ青になった。
「……」
 そして、ふらふらと逃げ出すように、部屋を離れる。
 
 紫色の藤の花柄が、壁一面を埋めて、窓から繋がるテラスには、立派な藤棚がある。ここがアフロディースの部屋である。
 ランスは周りを山に囲まれ、気候は温暖湿潤である。10月と言っても、20度を越える日もある。
 特に、寒冷地であるロードレス出身の彼女にとっては辛いのだろう。白いノースリーブのトップスで、ウェスト辺りの肌が少しのぞけている。また、スカート もギリギリまで短くしている。このようなラフな衣装は、90センチを越える胸の膨らみをより強調されて、鍛え上げられた美脚をより長く見せている。
「雪が降る前に、一度カイマルクに行って、状況を自分の目で確かめたい」
「はい」
「ディースも来るかい?」
「いいえ」
 呆気なく拒否されて、オーギュスは心外そうに見返す。
「身篭ったようです……」
 耳まで真赤にして俯き加減に言った。
 オーギュストは急に足の裏に床を感じられなくなった。全身がふわりと浮かんで、無重力空間に漂っているような気分である。
 取り敢えず、椅子に座ろうと想い付く。足を動かそうとしたが、膝に力が入らず、よろよろと崩れてしまう。想わぬ転倒に、無意識に右手で突っ張る。が、手首に激痛が走り、横を向いて小さく丸まると、その場で足をばたつかせた。
「大丈夫ですか」
 アフロディースが駆け寄り、タイル床に両膝を付く。
「大丈夫、大丈夫だから、取り敢えず、直にタイルに座るな。い、椅子、椅子、椅子!」
「はい」
 アフロディースは嬉しそうに微笑む。
 手首は捻挫していた。
 
 
 
続く


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Date:2011/12/02
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