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第二十五章 実践躬行

第25章 実践躬行


【神聖紀1224年8月、ペラギア西部】
 カシャ、カチ、カチ……
 天井が低く薄暗い部屋の中で、オーギュストはベッドの端に腰掛けて、拳程度のクリスタルの原石を削っている。背には丸窓があり、無地のカーテンの隙間から、眩い光がオーギュストの手先に伸びていた。
 人が一人歩けるほどの隙間を挟んで、向かいには、チェンバロやライティングビューローなどのアンティーク調の家具が並んでいる。それらは、ゆったりと揺れて、軋むような音を間断なく鳴らしている。
 オーギュストは裸である。膝の上には、白いバスタオルを広げて、クリスタルの屑を受けていた。と、その肩にそっと白い手が添えられて、黄金の髪が徐に持ち上がってきた。
「ねえ、何を作っているの?」
 若い女性の声は何処か気だるい。それが却って、妖艶さを醸し出している。
「ごめん、起こした?」
「いいの」
 女性は、肩に顎を乗せて、耳元で柔らしく囁く。
「わぁ、こんなきれいなエリース像を初めて見たわ」
 クリスタルのエリース像の中に、七色の輝きが封じ込まれている。
「それは褒め過ぎ」
 オーギュストは、肩の上に視線を送り、微かに頬を弛ませた。
「私に?」
 ふふ、と然も嬉しげに微笑む。
「残念。これはシェルメール人へのお土産」
「ふぅーん」
 拗ねたように口を尖らせる。
 この時代、水晶はエリース湖水の化石と信じられていた。特に純度が高く、美しい物は、『エリースの涙』と呼ばれて、非常に人気があった。また、エリース湖から離れるほどその傾向は強く、シュエメール人は崇拝の対象としていた。
 その時、ベッド下の通信機が鳴る。オーギュストは蹴って起動させると、マックスの緊張した声がもれてきた。
「前方にカリハバールの連中だ」
「ああ、ちょっと待て」
「ちょっともそっとも待てるか! 直ぐそこなんだぞ!」
「お前ほどの男が、器量の小さい」
「器量の大きさは関係ない。直ぐ上がって来い。じゃないと俺は今直ぐ殺されるぞ!」
 威張った口調で情けない事を言っている。
 オーギュストは、まずクリスタル像をサイドテーブルに置いて、それから大きく息を吸って、そして、勿体振[モッタイぶ]ったように吐いた。
 往々にして、行こうと思っていても、いざ『来い』と言われると、行く気が失せてしまうものである。
「まぁ待て、お茶を煎れたばかりだし……」
 取り敢えず、サイドテーブルから冷めたカップを取り上げて、口に運ぶが、中身は一滴も残っていない。
「茶なら甲板にもある!」
「あれ、靴が見当たらないしぃ……」
「裸足で十分だろうがァ!」
 その時、瞳を悪戯っぽく輝かせたローズマリーが、オーギュストの耳を噛んだ。
「い、痛っ!」

 オーギュストがヴェガ山脈を下山すると、バビロン城は開城していた。
 皇帝セリム1世は、カッシーの戦い後、この城に戻らず、ペラギアで指揮を取った。包囲される事を嫌った所為だろうが、ランスでは『見捨てられた』という想いが湧いた。
 バビロン城の留守を預かっていたのは、ムーラッド将軍である。彼は、セリム1世が竜退治する以前から仕えていた老将で、若い頃から律義一辺倒であったが、歳とともにさらに頑固さに磨きがかかっていた。
 ムーラッドには、約1500の兵が、与えられていたが、ヴェガ山脈の民族(旧セレーネ帝国の末裔)が大半を占めている。彼らは未来を託すべき主を失って、戦い抜こうとする意欲を四散させていた。
 攻撃するシデ大公国軍は、『ランス盆地内での自治を認める』と矢文を送った。
 夜陰、三の丸から火が上がった。それを合図に大手門の巨大な鉄の扉が開き、どっとシデ兵が雪崩れ込む。不意の攻撃に、二の丸があっという間に陥落した。
 ムーラッドは僅かな兵とともに本丸に立て篭もり、徹底抗戦したが、朝日が登る頃には、壮絶な討ち死にをした。
 バビロン城陥落後、直ちにエリース湖の各水軍がペラギアへと向かう。その中に、マックスが操縦するカルボナーラ号があり、さらに、ペルレスとローズマリーの船もあった。
 そして、バビロン沖に停泊するカルボナーラ号を、ローズマリーが見舞いに訪れる。衰弱したオーギュストの姿を見て、彼女は喉の奥で小さな悲鳴を上げた。そして、ベッドに駆け寄り、涙を流しながら、弱り切ったオーギュストの体を抱き締めた。

 オーギュストは、梯子のように急な階段を一気に駆け上がって、甲板に出る。外の眩さに、視界は一時白く霞んで、何も見えなくなった。ただ、マックスの「あれあれ」と叫ぶ声が聞こえている。
 ようやく明るさに慣れた頃、対岸にカリハバールの軍旗が靡いているのが見えた。
「見事な陣構えだな」
 口笛を吹いて、感心したように呟く。まるでセリム1世の人となりが伝わって来るようだった。
――惜しい男だ……
 パールとさえ組まなければ、或いは違った出会いもあっただろう。そう考えて可笑しくなる。
 オーギュストは救命ボートの方へと歩き出した。そこに、ターラが僅かな私物を積んでいる。
「これで永遠にお別れだな」
「ええ」
 清々した、と言わんばかりの態度に、ターラは黒瞳を真っ直ぐに向けて抗議する。
「随分、嬉しそうですね?」
「そりゃそうだろう」
「私が寝首を掻くとでも思った?」
 勝気な眼で、下から探るように覗き込む。その潤んだ瞳は、恰も闇夜に咲く黒い花のように、妖しげに輝いている。
「笑止!」
 オーギュストは怒気を含めた声で言い放つ。そして、さっさと救命ボートのロープを緩めて、滑車のハンドルに手をかけた。だが、内心では、どっぷりと溢れた冷や汗を、溜め息とともに拭き取っている。
 オーギュストにとって、恐ろしい数秒間だった。ターラの瞳に魅入られて、忘我の境へと、攫[さら]われてしまったような気分である。
――抱いてみたい……
 なけなしの自制心をはたいて、どうにか思い留まる。寸前にローズマリーとの情事があったおかげかもしれない、と独り苦笑した。
 しかし、本当に恐ろしいのは、ターラ本人に自覚がない事だろう。これが成熟して、女の色香を爛漫と匂わせるようになった時、あの潤んだ黒瞳は、まさに魔魅の瞳となるであろう。その時、男は食虫花に引き寄せられる虫に成り下がるしかない。そう思うと寒気がした。
 ふと、何時頃からこのように馴れ馴れしくなっただろうか、と疑問に思う。
「そうよね」
「え?」
 ターラの声で、オーギュストは思考の世界から抜け出す。そして、見遣れば、ターラは、船端に腰を引っ掛けて、足をバタバタと振っている。
「そういうやり方じゃ、貴方の方が一枚上手みたいだから」
「悪人、と言いたい訳か?」
 手を止めて訊く。
「そうじゃないわよ。貴方って陛下と同じ感じがするから。あっ、これ最高の褒め言葉だから」
 ターラはウィンクして微笑む。
 オーギュストは脱力したように首を折り、下を向いて失笑した。それが徐々に大袈裟になって、腹が捩れるほどの馬鹿笑いとなった。
「もしかして、私、馬鹿にされている?」
 ターラは不服そうに睨む。
 オーギュストは「いやいや」と首を振り、手を差し出した。ターラはその手を取って、救命ボートに乗り移る。最後に、オーギュストはダイヤモンドソードを投げ渡した。

 ターラを乗せたボートがゆっくりと進んでいく。それをオーギュストとマックスは操舵輪の左右に寄り掛かりながら見送った。
「ぎゃん可愛かぁ……」
 ウェーデリア訛りで、ポツリとマックスが呟く。そして、オーギュストの冷たい視線を察してか、ごつごつした頬を朱に染めながら、二度咳ほど払いをした。
「お前には無理だ」
 濁った声でオーギュストが呟く。
「どうしてさ?」
 思わず、向きになって訊き返してしまった。
「ありゃ、魔性だ。男を地獄に突き落とす」
「それじゃ、お前さんの金髪と、何処が違うと言うんじゃ?」
 まるで自分の事のように、マックスは、むっとした顔で、不機嫌に言い返す。それに、オーギュストは、空に向かって仰け反り、両手を気持ちよさげに伸ばした。
「男と一緒に地獄の業火に身も心も燃やし尽くす……その覚悟の違いだな。あの女は、男を焚き付けるだけで、それを安全なところから見守るよ。近い将来、あの女の蜜に唆されて、英雄の資質を有する者が、俺の前に立つだろうよ」
 オーギュストはそう言い残して操舵輪から体を離す。反動でマックスは転がったが、そんな事を気にする様子もなく、「さあ、仕事仕事」とマストの方へ歩き出した。
「予言者気取りかよ……」
 と、マックスは苦々しい声を、その背にぶつける。


【ブルサ台地】
 支流を遡って、葦の生い茂る湿地に作られた一筋の水路を抜けて、小さな船着場に到着する。ここはブルサ台地が、ペラギアの湿地に落ち込む縁にあたり、アルティガルド王国軍とシデ大公国軍が陣を張っていた。
 オーギュストはカルボナーラ号を降りると、木戸をくぐって、陣内に入った。陣内には、所狭しと、食料や武器が荷揚げされたまま、積み上げられている。また、周囲では、泥に塗れながら、兵士たちが沢地に柵を立て、堀を刻んでいる。
「さて、一つガツンと先制しておくか」
 オーギュストは小さく拳を握ると、荷の山を幾つも過ぎて、切妻屋根の建物へと向かう。
 妻側の木製の階段を駆け上って、入口の布を捲った。
 室内には、大きな地図を囲んで、左側にアルティガルド王国軍のシラー中将とその幕僚が二人、右側に、アレックス、ペルレス、クレーザーなどのシデ大公国軍の将帥が居た。そして、活気に満ちた顔を揃えて、勇ましい声と楽しげな笑いを、絶え間無く続いていた。
「すぐに陣を移動させろ」
 挨拶もせず、いきなり、オーギュストは強い口調で言う。そして、「ここが良い」と地図の一点を勝手に指差した。
「な、何をです?」
 若い方の幕僚が、呆気に取られた声で呟く。そして、年長の幕僚が鋭く反論する。
「ここでは、港から遠過ぎます。それに騎兵から守る物がない」
「構わん。出て来たなら正面から叩く、それだけだ。それとも戦うのが恐いか?」
 不敵な微笑みで問い掛けられて、アルティガルド人幕僚は、気色ばむ。
「兵士達もやっと地に足をつけて、ホッとしている時です。徒に兵を甚振るのは士気に響くでしょう。二三日このままにして……」
 紳士的な態度のまま、シラーが妥協案を提示した。だが、オーギュストは強硬な姿勢を崩さない。
「俺はヴィルヘルム陛下から、勝つための助言を依頼された。お前等のつまらん意見の取り纏め役ではない。不満なら、代わりを選ぶだけだ。とっとと帰国の準備をしろ」
 室内に、苦痛な沈黙が蔓延した。だが、オーギュストのふてぶてしさは揺るがない。

 オーギュストは司令部を出て、物見台へと登る。足元では、しぶしぶという顔で兵士達が陣の移動を始めている。そこにペルレスが登って来た。
「リューフ将軍と来ると思っていたが……」
「戦費節約だ。どうせ大した戦いにはならない」
「言い切るからには、理由があるのだろ?」
「戦場で、戦略をちまちま説明しても仕方ないだろう。軍人なら、黙って戦い、そして、勝て」
 オーギュストは黒髪を草原からの風に靡かれて、猛々しく言う。その力強い声に、ペルレスは不思議と嫌悪感を抱かず、却って、騎士魂が熱く昂揚するのを感じていた。
「どうして、ローズマリーを俺に会わせた?」
 今度はオーギュストが質問する。それに、ペルレスは「さて」と惚けるように横を向く。
「こうなるのは分かっていた筈だ。お荷物になったか?」
 その言葉に、ペルレスは目を剥く。
「私では止められなかった」
「メルローズに会いに行くと言う話か?」
 オーギュストの声は、失笑気味である。
「今、糸の切れた凧のような、お気持ちなのだろう。自分でもどうしたら良いのか、お分かりにならない。歴史の激流に一人でお立ち立っていられるほど、お強くはない……」
 心からの沈痛が伝わってくる。
「だが、人選を間違えていないか? 俺は女一人の為には生きられない」
「しかし、あのアベールよりはマシ、とでもしておこう」
 嫌悪感を声にたっぷり含ませて、嘲るように言う。それに、ハハ、とオーギュストは吹いた。
「大して変わりはしないさ。身勝手な男は、女を幸せには出来ない……まぁ逆も真だろうけど」
 オーギュストは小さく呟くと、西のヴェガ山脈を見上げた。山頂付近は、低く雲が垂れ込めて、隠れている。
「ここはもう直ぐ終わる。次はサイア、そしてホーランドとなるだろう。俺はメルローズを戦渦から救う。お前はローズマリーを警護しろ」
「はっ!」
 ペルレスはきりっと表情を引き締め、聖騎士の正統な敬礼をした。そして、僅かに口髭を上げて、満足げに笑った。
 数日後、激しい雷雨となった。そして、水位が上昇して、元の陣は完全に水没した。


 草原の水場に布陣するカリハバール軍本陣では、セリム1世を中心に軍議が開かれていた。
「そうか、回避したか……」
 斥候からの報告に、セリム1世は眼を閉じた。
「天候に頼らず、我らの武勇で決しましょう。敵はこちらの位置を掴んでいません。今夜にも夜襲を」
「早まるな。今度の雨で、敵は孤立した。今攻めれば、徹底抗戦してくる。双方甚大な被害を生むだろう」
 バヤジットが勇んだ発言にも、セリム1世は冷静な分析で答える。
「必死の覚悟が勝利を呼び込みましょう」
 いきなり、セリム1世が机を叩いた。
「指揮官が兵の死を軽々しく口にするな!!」
 その罵声に、室内がシーンと静まる。バヤジットは苦虫を噛み潰した顔で、視線を外した。
「ターラ?」
 息子を一喝すると、再び穏やかな声に戻り、末席のターラを見る。
「ディーンは到着したのだな」
「はい」
 これ以上ない程緊張して、ターラは頷く。
「ディーンとは如何なる男であった?」
 セリム1世が問う。それに、バヤジットが顔を強張らせた。
「敵ながら恐ろしい男です。戦士としては、あの不可思議な瞳術は厄介でしょう。さらに、畏れながら陛下同様、清濁併せ呑む英傑の才を有しております」
「よもや、あの連中を一人で滅ぼすとは……」
 セリム1世は、ターラの吟遊詩人のような口調に、やや苦笑した。そして、自嘲するように呟く。
――組んではならぬ相手を頼んでしまったか……
 思えば、闇の魔術師集団GODの存在を知り、この遠征は始まった。弱体化していたとは言え、正攻法だけで滅ぼせるほどサリス帝国は甘くはなかった。敵中 の蚤を最大限利用するのも兵法の定跡である。しかし、歪んだ力は、さらに強大な力を呼び寄せる。オーギュストの出現は必然だったのかもしれない。思わず、 セリム1世は刮目[カツモク]した。
「ディーンの存在を踏まえて、新たな戦略の構築を急ぐ」
 セリム1世は言った。
 これに対して誰も異議を唱えず、ただ俯く。カリハバールが誇る戦士達の心に、拭い難い敗北感を蔓延っていた。
 オーギュストと戦場で会えばどうするか、戦士達は答えを求めるように、互いに訊ね合った。無駄に死ぬか、武器を棄てて逃げ出すか、不名誉な結論しか導き出さない。もはや士気の低下は、誰の目にも明らかだった。
 この重苦しい雰囲気の中で、バヤジットだけは、独り瞳の中に闘志を失っていなかった。
――ディーンは俺の壁! この偉大なる敵を超えるまで、俺は地位も名も棄てよう!
 バヤジットは固くそう決意していた。
「草原の冬は早い。もう直ぐそこまで迫っている」
 セリム1世が言おうとしている事を察して、室内にすすり泣きの声がもれ始めた。
「この雨を利用して、ニードスへ退却する」
 一斉に、全員が叩頭した。
 そして、ターラはポケットの中の竜笛を握り締める。


【9月サイア】
 アルティガルドとシデの軍勢が、突如北上、王都サイアに現れた。
 最澄部の『アレクサンドリア宮殿』に登城して、カレンに謁見したシラー中将は、
「ホーランド朝に対して、『スタールビーの王冠』『グングニルの槍』『玉璽』の三つの伝国秘宝を、速やかに返還するように要求致します」
 と上申した。
 これにカフカが、
「素直に返還しない場合は?」
 と聞くと、
「もし拒めば、この南のサイアから、そして、北のカイマルクから攻め入ります」
 と答えたのは、シラーの隣に立つオーギュストである。
「ディーン将軍も参加されるのですか?」
 玉座からカレンが、カフカを通さず、直に問うた。
「はっ、この度先陣を務めます」
「そうですか。将軍なら、勝利の日も近いでしょう」
「身に余るお言葉、感嘆の極み」
「わたくしも全力で協力致しましょう」
 カレンは疑いもせず、屈託のない笑顔で言う。だが、カフカは、神聖な場所にも憚らず、大きな舌打ちをした。

 アレクサンドリア宮殿から『王の坂』を下ると、平地に内堀で囲まれた曲輪があり、行政府や重臣の館が並んでいる。その空いている館を整備して、新たに塀と堀で区切ると、西の丸が新設された。ここに、アルティガルド軍とシデ軍の司令部が置かれた。
 さらに、アルティガルド王国の本気を示すように、カッシーからヴィルヘルム1世、セリアからベレンホルストが到着して、ホーランドへの圧力を目に見えて増していく。だが、圧力はホーランドだけに向けられたものではない。
「サイア領内での軍の活動を円滑に行う意味でも、サイアの復興を急ぐ意味でも、我々にもっと協力させて欲しい」
 ベレンホルストはカフカに言う。そして、最高執政官を現在の三人から、五人に増やして、増員の二人をアルティガルドから派遣する事を提案した。城下をアルティガルド兵で埋め尽くされた状態で、もはやカフカに断る手段はない。
 この動きを、「サイアをアルティガルドの支配下におく策略だ」として、オルレラン公メルキオルレが乗り込んできた。これに呼応するように、ルブラン公バルタザールなどの有力諸侯が、利権を嗅ぎ付けて、サイアに群がってくる。
 こうして、王都サイアで、サリス・サイア地域の再興を話し合う『サイア会議』が始まった。


【サイア会議一日目】
 まず、シデ大公国代表ナルセスが、
「世界の安定の為には、新しい秩序が必要である」
 と説いた。対カリハバール戦において、最大の功労者の言葉には重みがある。これにアルティガルド閥の諸侯が賛同した。そして、良識的な学閥『聖森派』の 代表が、正式に『故カール5世の後継を選挙で選ぶ』と提案すると、異議なく採択された。直ちに、『選帝侯』と呼ばれる選挙権を有する有力者の名が挙げられ る。
 アルティガルド王ヴィルヘルム1世、王弟レオンハルト大公、ステファン・フォン・ホーエンルーウェ公爵、メルキオルレ・ド・オルレラン公爵、バルタザー ル・ド・ルブラン公爵、カロリンヌ侯爵、スピノザ伯爵、そして、シデ大公妃ティルローズなどなど、エリー湖沿岸の錚々たる名ばかりである。
 初日は他に、『新皇帝即位式はセリアで行う』などの日程が決まって終わった。しかし、これは表だけの話で、裏では複数の会議が、昼も夜もなく行われて、サリス・サイアの領土を巡る奪い合いが繰り返していた。

 夕暮れとともに、宮廷晩餐会が開かれた。ヴァイオリンの雅な音色が、邪魔にならない絶妙な音量で流れる中、髪を結い上げて大人びた雰囲気のカレンが、歓迎の言葉を述べる。そして、出席者達は、思惑含みの目を軽やかに合わせて、シャンパングラスを目線より若干上に掲げた。
 カレンは一人一人と挨拶を交わしながら会場の中を歩く。色とりどりのドレスで着飾った貴婦人たちが優美な手付きで扇を扇ぎ、黒のタキシードに黒の蝶ネクタイ姿の諸侯たちが、グラス片手に話しを弾ませている。
「ご立派ね。カレン」
「ありがとうございます。皆さん、よくいらっしゃいました」
 オルレラン公子トンマーゾと再会して、カレンは小躍りして喜ぶ。その隣には、婚約者シモーヌ・ド・ドーメルと、その友人であるナーディア・ブーンがいた。
「このようなパーティーに、また出席できるなんて」
 シモーヌがしみじみと呟く。
「そうですね。本当に戦争が終わったのですね」
 ナーディアは頷いて、華やかな室内をぐるりと見渡した。その時、思わず瞳が、知人を探してしまう。
「でも、ホーランドとの戦いが残っています」
 表情を曇らせて、カレンが言う。サイアはまだ統一されていない。しかし、エリーシア中原の人々にとって、ドネール湾岸への関心は薄く、この時の彼女達も言われて気付く程度であった。
「しかし、大軍が集まっているのだろ?」
 呑気に、トンマーゾが言う。
「はい」
 カレンは曖昧に頷いた。確かに大軍ではあるが、それはアルティガルドとシデの兵ばかりである。
「だったら、問題ありませんわ」
 影のない笑顔で、シモーヌは答えた。
「あ、こちらでしたか」
 そこへ、サイトの商人白石東洲の娘、白石弥生が近づいて来た。
「皆様、ごきげんよう」
 元気に言って、忙しく礼をする。
「何のお話ですか?」
「素晴らしいパーティーだと話していたの」
「ええ、本当に。これからは私達の出番です。欲しい物があったら何でも申し付けてください。すぐにお届け致しますよ」
 弥生は言って、ナーディアにウィンクした。ナーディアは戸惑ったように愛想笑いしてごまかす。ブーン・コンツェルンと白石商会では、サイアの金や塩の専 売を巡って争っている。他にも、ブーン・コンツェルンがオルレラン公国と繋がりを深くする中で、白石商会はアルティガルド王国やルブラン公国と親密化し て、ライバル関係を激しくしていた。
 その時、トンマーゾが数人の友人に呼ばれて、いそいそと会場を出て行く。それに、シモーヌは渋い表情をした。
「如何ですか、漆の宝石箱なんて?」
 女性だけになって、さっそく弥生が売り込みを始めた。と、何かに思い至って、営業用の笑顔をカレンに向ける。
「カレン様は本がお好きでしたね。今、古典の原本があるのだけれども」
「まあ、たくましいわね」
 シモーヌは上品に笑って、その場から逃げ出して行った。一方、カレンの方は、不覚にも心引かれた様子で、僅かな戸惑いを見せている。その隙に、弥生は一歩間を詰めた。
「いえ、まだ戦争は終わっていませんから」
 カレンはニ三度瞬きをして、すぐに表情を引き締める。そして、やんわりとした口調で断るが、弥生は引き下がらない。
「でも、もう勝ったようなものなのでしょ?」
「何事にも油断は禁物ですから」
 カレンは一つ一つの言葉にも慎重になっている。
「そうですか。でも、これほど盛大な晩餐会を知れば、ホーランドも屈服すると思いますよ」
 弥生が気楽に言う。そして、またナーディアに「ねえ」と振った。ナーディアは頭を混乱させて、ただ瞳を左右に動かす。
「ああ、そう……ですよね……。あっ!」
 と、突然大きな声を上げた。どうしたのか、とカレンと弥生が注目する。
「私、ディーン将軍と非常に親しいので、どうなのか聞いて来ましょうか?」
 一瞬で、二人から微笑みが消えた。その雰囲気を疑われたと想ってか、ナーディアはやや必死になって、自分とオーギュストの関係を喋り出す。
「――で、その幼馴染の家で、すごい上手いよって、ピアノで伴奏してくれたんですよ」
 くすくす、と鼻で笑う声が微かにもれる。
「そう、良かったわね」
 鼻先に鈎にした人差指を宛がうと、小さく咳払いして、弥生は優しげに言った。
「実は私も多少面識があって、チェンバロとかヴァイオリンも得意みたいですよ。そう、ギュ……ディーン将軍ね。私からも、助けて貰えるように頼んでみましょうか?」
 知らず知らず、勝ち誇ったような声になっている。
「ディーン将軍は先陣です。サイアのために戦ってくれるそうです」
 気品ある笑顔を取り戻して、凛とカレンが言う。
「ああ、そうですか。だったら、楽勝ですよ」
 ナーディアは、はしゃぐように頷いた。
「ディーン!!」
 と、多くの取り巻きを連れた女性が近づいて来る。中心に立つ女性の頭には、プラチナのティアラが燦然と輝いている。
「ねえ、マルティナ。ディーンって、あのオーギュスト・ディーンの事よね?」
「はい。この場に相応しいディーンは、一人しか知りません」
 興味津々という風に言うのは、アルティガルド王女マルガレータである。
 髪はティルローズと同じ豪奢な黄金で、太陽の下を歩いた事がないかのように、肌は白く透き通っている。カレンよりもさらに小柄で、極めて華奢な体型をし ている。まさに骨と皮だけという感じで、生きるに必要最低限しか所持していない、する必要がない、と穿った印象を抱くのは、その気位の高そうな瞳の所為か もしれない。表情にはまだあどけなさが残り、やがて開花するであろう美を秘めて、神秘的に輝いている。
 一方、マルティナは、軍神マルスに由来する名に恥じない南陵紫龍流の剣士である。170センチ以上の上背、広い肩幅、そして、服の上からでも分かる腕と 太腿の筋肉と、戦士に相応しいがっちりした肢体の所有者である。なにより、小麦色に焼けた顔に、マルガレータに一切の穢れを寄せ付けぬ、と鋭く光らせる眼 光が、護衛としての力量を伺わせる。
「武勇伝はどのくらい本当なの?」
 好奇心の塊と化した瞳を、カレン、弥生、ナーディアへと順に送る。
「吟遊詩人の歌詞はたいてい大げさなものです」
 マルティナがしたり顔で告げる。
「そうなの?」
 もう一度、順に見る。「さあ」と弥生が惚けると、カレンもナーディアも同じように首を傾けた。


 その頃、オーギュストは城下を流れるヴィーナ川を、アルティガルド軍のシラー中将とともに歩いていた。二人はすっかり馴染んだ雰囲気である。
「静かです……な?」
 暗闇に包まれた川からは、轟々と水の流れる音だけが聞こえて来る。この対岸からもうホーランドの影響下にあると言うのに、敵の気配を全く感じられない。
「夜襲を仕掛けてくるかと思ったが……」
 一つの陣を通り過ぎる度に、警備する兵士達が最敬礼で見送る。オーギュストは右手で敬礼して、左手でうっすらと髭の伸びた顎を擦って呟いた。
「これで、反発を利用して、一気にホーランドまで攻め込む戦術が出来なくなった」
「案外、臆病とみるべきです……かな?」
「いや、冷静なのだろう。もしかしたら、和平の道を模索しているのかもしれない」
 オーギュストの返答に、シラーは「ふん」と鼻を鳴らす。そして、不覚にも鼻水を垂らしてしまう。
「しかし、支流を含めて橋は全て落ちている。カイマルクのシュナイダーは、トラペサ大河を一気に下ってくるかもしれず、そうなれば、我らは遅れを取る事になる……」
 悔しげに、さらに焦りのある声で、シラーが言う。
「カイマルクには旧カーン勢力がある。そう簡単ではなかろう」
 オーギュストはそう言い残して、さっと坂を駆け降りた。そして、焚火の側に寄って、配給されていた肉汁を受け取った。
「しかし!」
 シラーが慌てて追いかけて来る。
「取り敢えず、探索の範囲を広げよう。如何なる攻撃も、堅い守りから始まる」
「はっ」
 オーギュストは肉汁を啜りながら、夜空を見上げた。星空に一本、宮殿から立つ光の柱があった。


【サイア会議二日目】
 結局夜討ちも朝駆けもなく、昼を過ぎて、オーギュストは河川敷の陣屋で休息を取った。しかし、鎧を取らず、剣も側から離さず、決して緊張感を解かなかった。
 そこへ、城から使者が到着する。オーギュストは「敵襲か?」と胸の内をわき立たせたが、使者はただ、マルガレータからの「今夜の晩餐会への招待状」を持参しただけと知り、その使者を川へと投げ落とした。
 こうして、夕暮れから深夜まで、臨戦体勢を整え続けた。

 一方、城内では甲論乙駁の談合が続く。そして、夜になると、今度は西の丸で、アルティガルド王国主催の晩餐会が、前日よりも華やかに催された。
 ヴィルヘルム1世は会場での挨拶を終えると、早々に奥の部屋へと退く。もうお前達とは対等ではない、と言っているように諸侯が受け取ったのなら、それも思惑通りなのだろう。
 そこに、妹のマルガレータが会場を脱け出して来る。
「陛下、どうして、ディーン将軍は来ないのです。無礼でしょ」
「将軍は先陣だ。部署を離れる事は出来ぬ」
 ヴィルヘルム1世は、黒い絨毯の上に置かれた、赤い革のソファーに座っている。ソファーセットの周りには観葉植物が並べられて、視覚的に別空間としてある。そこで、何かをしている訳でもなく、またくつろいでいる訳でもなく、体中に微妙な緊張感を保って、誰かを待っているようだった。
「でも、私の誘いですよう!」
 ヴィルヘルム1世の静寂を破って、驚くような見幕で、マルガレータは言い立てる。大いに誇りを傷付けられたらしく、腹の虫が収まらない。
「権力に阿[おもね]ず、公を優先する。立派ではないか?」
「でも……」
 正論というよりも、兄の発する、張り詰めた空気に、マルガレータは反論を封じられてしまう。仏頂面でしばらく黙り込む。それから、徐に振り返って、マルティナを見た。
「ねぇ、マルティナ。貴方、斬れる?」
 さすがに、ヴィルヘルム1世は真顔で、「おい」とたしなめた。だが、マルガレータは止まらない。さらに、「どうなの?」と促す。
「小官の役目は護衛です。王女を害する者があれば、誰であろうと必ずや排除いたします。しかし、決して暗殺者ではございません」
 媚びる様子もなく、毅然とマルティナは答えた。しかし、マルガレータの顔は益々ふくれていく。
「さすがは紫龍流のマルティナ・フォン・アウツシュタインよ。見事な覚悟」
 その時、パチパチと閑散に手を叩いて、ベレンホルストが入室した。
「しかし、最も適正な解答は、姫がお逃げなさる間の時間を稼ぐ、であろう」
「畏れ入ります」
 ベレンホルストの言葉の裏に、必敗の予想を感じて、やや憮然とする気持ち抱く。それを抑えて、マルティナは静かに返した。そして、急に冷めた表情をしたマルガレータとともに、退室していく。
「どうも、新皇族の一員である自覚に欠けるようだ」
「まだお若い」
「それでは困る。我が権威を汚す」
 愚痴りながら、ヴィルヘルム1世は一度座り直して、再び気を引き締めなおす。それから、険しくベレンホルストの顔を見上げた。
「あの男は?」
 老人の顔は、10歳は若返って見えた。
「はい」
「受けぬと?」
「いえ。しかし、陛下の宝を一つ与えねば信じますまい」
「今さら、何を惜しもう」
「はっ」
 この短いやり取りの間、二人は冷徹な政治家の顔となっていた。


 その頃、晩餐会会場の片隅で、ナーディアは、友人二人とケーキを啄ばんでいた。
「それでそれで」
「で、二人の王女様がね――」
「うんうん」
「それで、あたしは言ってやったのよ――」
「さすが、ナーディア。王女様もナーディアの前じゃ霞んじゃうよね」
「まさに、ブーン・コンツェルン令嬢は伊達じゃない、という感じね」
「まあね」
 ナーディアが鼻息を荒くしていると、そこへ、もう一人の友人が駆け寄ってくる。
「ねえねえ、聞いて聞いて」
「なになに」
「あたし昨日、教会のメンバーと炊き出しに河原へ行ったのだけど、そこで、なんとあのディーン将軍に会っちゃったの」
「すごいすごい」
「それで、『ヴィーナ川よ、わたしは帰ってきた!!』って言ってた」
「「渋いよね」」
 そこで、ナーディアが、後ろに倒れるのでは、と心配になるほどに胸を張った。が、もったいぶったせいで、台詞のタイミングを逸してしまう。
「あたし、実は……」
「でね、でね、コーヒーカップで、間、接、キッス」
 まず自分の唇に人差指を当てて、それから順に友人達の唇にそっとタッチしていく。
 と、ナーディアの右隣が、勝ち誇った顔をした。
「あたし、サイア城入城の際に花束渡したけど、実は、隙を見て、キスしちゃった。きゃぁっ、恥ずかしい」
「何で!?」
 ナーディアは不覚にも、眼を丸くする。それに、父親の友人が家老(マザラン)をしているの、と答える。
「でぇへ――」
 今度は、左隣が不敵に笑った。
「あたしぃ、その時ぃ、記念のサイアワインをプレゼントしたんだけどぉ、抱きついちゃったぁ。それで、お姫様抱っこされちゃったぁ」
 ナーディアが先程と同様の驚くに包まれると、親戚が副将(ファンダイク)なの、と答える。
――結局、あたしが一番遅れてる?
 拙いとナーディアの幼気[いたいけ]な心が唸った。
 その時、音楽がワルツに変わった。そして、大きな拍手が起こる。振り向くと、マルガレータとフリオが、楽しげにダンスを踊り始めていた。
――なになになになに……なんなのよぉ!


【サイア会議三日目】
 ホーランドから正式な返答はなく、また軍事的な動きも鳴りをひそめている。ついに、オーギュストは先陣として、ホーランド領への進撃を決断する。そして、出陣の挨拶のために、宮殿へと登った。

『別れだわ……。私はあの角を曲がります。それから先は、あなたは見ないで下さい。そして、このまま真っ直ぐお家へお帰りください。私もそうします。お別れの言葉が……何も……出てこない……』
 カテリーナ・ティアナ・ラ・サイアは、窓辺の椅子に座り、膝の上の古書を静かに閉じた。そして、小さな吐息をもらすと、窓の外へ視線を向けた。後数分で雨が降り出しそうな空の下、ヴィーナ川が城下をゆったりと流れていく。
 侍女が来客を告げる。しばらくして、足音が近づいてくる。それに合わせて、胸の行動も早くなっていった。
「よくお越し下さいました」
 カレンは立ち上がる。オーギュストは跪いて、カレンの手の甲にキスをした。
「出陣ですか?」
「はい」
 オーギュストは爽やかに微笑んで、向かいの椅子に座る。すぐに、侍女が最高級のアップルティーを運んで来た。カレンは閣下の為に以前から用意していた、と告げる。
『人生は、必ずしも思うようになるとは限らない』
 オーギュストは、下がって行く侍女達を眼で追いながら、さり気無く言った。
「これもご存知なのですね?」
 カレンは瞳を潤ませて問う。
「ええ、美しい物語ですね。特に、舞台の古都が魅力的に描かれている」
「そうです。私もそう思います。読み始めて、すっかり――あっ!」
 昂奮して、思わずカップを傾けて紅茶を零してしまう。その行為に、カレンは頬を赤らめた。
「失礼しました。戦況は如何でしょうか?」
「際どい戦いとなりましょう」
 カレンは軽い気持ちで聞いたのだが、オーギュストの声は真剣である。
「そ……そうですか」
「はい」
 頷いて、重い息を吐き出す。
「敵中には、メルローズ様が居られる。これを無事お助けするのは、極めて難しい……」
「お優しいのですね?」
 思わず、ティルローズ様のためですか、と訊きそうになって、無理やり喉の奥へ飲み込む。
「一人の美少女の死は、何より結ばれる筈であった、少年の悲しみの始まりです。その無念は如何{いかば}ばかりか……」
 オーギュストはやや芝居がかった口調で言う。
「まぁ」
 カレンは眼を丸くして、手で口を隠す。その後、二人は楽しげに笑い合った。内心では「わたくしは?」と訊いてみたいのだが、恥ずかしく言えない。
 と、オーギュストが立ち上がった。
「では、行きます」
「あっ」
 カレンは慌てて立ち上がり、見送ろうとオーギュストの後を追う。その背中を見詰めていると、胸の奥から止め難い熱い衝動が湧き起こってくる。そして、気が付いた時には、オーギュストの裾を掴んだ後だった。
「……ご武運を……」
 俯いて、蚊の泣くような声で告げる。
 オーギュストはふっと微笑んで、頭をカレンの顔の下に潜り込ませると、素早く唇を奪った。

 宮殿から、城下町の大手通りを正門へと行軍する部隊があった。先頭には『2羽の鴉の紋章』の旗が翻っている。それはオーギュスト麾下の軍勢を現す事を、 サイアの住民は熟知していた。瞬く間に、街道に人が湧き出して、その両脇を埋め尽くす。また、2階3階の窓からも、住民たちが顔を出して、花びら等を投げ て、大歓声で送り出した。
 オーギュストは愛馬リトルバスタードに跨りながら、いつになく渋い表情であった。周囲の歓声も耳に届いていない。
 カレンの余りの無防備さに、思わずキスをしてしまった。
――これ以上厄介ごとを抱え込むつもりはなかったのだが、男の性には勝てない……
 オーギュストの悲痛な表情は、見る者に勇ましさと畏怖を与えた。多くの芸術家達が刺激を受けて、数々の絵画、音楽、舞台などの作品への原動力となっていく。
 こうして、オーギュストは麾下1500の兵とともに、ヴィーナ川を渡河して、ホーランド領へと突出した。


【サイア会議五日目】
 オーギュストが出陣して二日後、アルティガルド本国から、急使が到着する。
「間違いではないのか?」
 ベレンホルストは、二十数年ぶりにこの台詞を吐いた。何もかもが意外である。
「ロードレス方面軍は総司令官以下全滅で、事実上の壊滅です。また、カイマルク方面軍は素早い転進で、健在ですが、その3割の兵力を失いました」
 ベレンホルストの蒼褪めた唇がわなわなと震える。
「信じられん……ロードレス神国に何が起こったのだ……」

 第二報、第三報が届くと、ヴィルヘルム1世のもとへ走った。第一報を聞いた時には少なからず狼狽したが、ヴィルヘルム1世の前に立った時にはもう自信に溢れる、冷然とした態度に戻っていた。
「ロードレス神国が何らかの魔術を用いたのは確かです」
「ああ……」
 べレンホルストが、切迫した状況を端的に説明する。しかし、ヴィルヘルム1世は唖然として言葉が出ない。
「取り敢えず、ヴェガ山脈に派遣した、魔法剣士の部隊を帰国させます。陛下!!」
「あっ、ああ……そうしてくれ」
「陛下の動揺は、全軍を浮き足立たせますぞ」
「分かっている!」
 ヴィルヘルム1世は怒鳴って答えた。だが、頭は空転を続けて、一向に考えをまとめることが出来ない。
「余は如何する?」
「陛下には、速やかにセリアに向かわれ、皇帝に即位して頂きます。そして、帰国後陣頭指揮を願います」
「ああ、余の考えと同じだ。そのように計らへ……」
「御意」

 ベレンホルストはこの敗北を出来得る限り隠し通そうとしたが、サイアがこの噂で埋め尽くされるのに、そう時間を要さなかった。
 その夜、ティルローズは密会を持った。出席者は、オルレラン公爵、カロリンヌ侯爵、ブルゴン伯爵などセレーネ半島の錚々たる実力者である。
「このままでは、伝統あるサリスは滅びますぞ」
 それぞれが憂国の志士と名乗り、アルティガルドの専横を非難した。
「卿等の言いたい事は分かる。私も憂慮している」
 ティルローズは躊躇なく、彼らに同意した。
「ならば我々と共に起って頂きたい」
 カロリンヌ侯爵が一歩踏み出す。
「今こそサリスの御旗を掲げる時」
 さらに、ブルゴン伯爵も迫った。
「この地に、オルレラン、カロリンヌなど国を憂える門閥貴族が集結したのも、運命なのでしょう――」
 ティルローズは瞳から強い光を発している。が、首を縦に振らない。
「しかし、具体的にどのような行動を起こす?」
 サリス帝国のためにも、今動きたい、動くべきだと思う。しかし、どうしても、最善策が見つからない。さらに、ロードレス神国の戦力が、どの程度なのか分からない状況で、軽率な動きは出来ない。殊更慎重になってしまう。
「我らを炙り出す策略というのは、考えられないのか?」
「それはない」
 答えたのは、オルレラン公である。
「ロードレスが勝った。それは確かだ。我らの調べによると、一人の兵の戦闘力が、百人の騎士に匹敵したらしい。何らかの絶対魔術を用いた、新戦術を開発したのだろう。だが、彼奴らに、ここまで攻めてくる気はない」
 だから他人事である。故に、利用だけすればいい、とオルレラン公の顔に書いてある。
「……だが、少数で多数を破る例は古今ある。が、今回は最も極端である」
「ティル様の不安も分かる。関係あるかどうかは分からんが、ドワーフの村が一つ壊滅したらしい。そこには禁断精霊魔術の伝説がある村であった、とか」
 カロリンヌ侯爵が言う。
「いずれ全容は明らかになる。その前に、準備を終えなければ、全てがアルティガルドのものとなろう」
 オルレラン公の言葉に、ついにティルローズは頷いた。
「分かった。で、如何[どう]する?」
 ブルゴン伯爵は誇らしげ説明し始めた。
「まずは――」

 その同じ時刻、ミカエラはルブラン公バルタザールと会っていた。
「魔蟲による魔導結合」
「なんだ、それは?」
 聞き慣れない単語に、ルブラン公バルタザールは顔を顰めた。蟹のような悪相をしているが、五十代半ばとは思えないほど、肌艶はいい。
「人間に寄生した古代生物に、魔力の強い精霊を与えると、純度の高いエーテルを吐き出します。それを抽入された人間は、スピード、パワーなど、段違いの性能となります」
「うむ……俄[にわかに]は信じられんが……」
 ルブラン公は唸った。口では信じられんと言っているが、内心ではロードレス神国の勝算に頷いている。
「ディーンの情報です。間違いはありません」
「ほぉ」
 益々信憑性が高くなり、眼光が鋭くなる。
「では、アルティガルドは、今度当てにはならんと?」
「いえ、うちのディーンがやります」
「ほぉ」
「そのための準備も進めております。ご安心を」
 自信たっぷりに、ミカエラが囁く。
「では、計画通りと言う事で?」
「はい」
 これで、二人の政治的会談は、一段落を迎える。と、ルブラン公の表情が砕けた。
「見ましたよ」
「何を?」
「マルガレータ様とフリオ殿のダンス。可愛らしいカップルだった」
 ふふふ、とミカエラが笑う。
「やりますな。たった一枚のカードで、おいしいところを全部、持って行く」
「では、そのカードを破ってみられたら」
 ルブラン公は大きな声で笑い上げて、ミカエラは軽やかに微笑した。


【サイア会議七日目】
 作戦中止を受けて、オーギュストは王都サイアに昼前に帰還する。ホーランド軍に背後を追跡されての、実際ギリギリの退却であった。
 西の丸の一室、新築された部屋は大きな窓の前にL字型のテーブルがあり、その上には大きな水晶球とチェス盤がおいてある。オーギュストは黒革の椅子に足を組んで座り、チェスの駒を弄りながら、机を挟んで立つマザランから報告を受けていた。
「正直、我らを独立勢力として扱ってくるとは想いもしませんでした」
 マザランはオーギュストの代理として、要人達との会合を繰り返していた。
「シデと分離する事で、分かり易くしたいのだろう」
「なるほど」
 それで納得したのかしないのか、兎に角大きく頷くと、マザランは従順に主君の次の判断を待つ。
「どう思う?」
 視線をマザランから左に外して、白い革のソファーに座るミカエラに向けた。
「さあ、貴方次第じゃなくて」
 ミカエラが、その研ぎ澄まされたブルーグリーンの瞳を壁の絵に向けたまま言う。
「よし分かった。引越しだ」
 オーギュストは小さく微笑んで、頷く。
 この瞬間、モンディアとサッザ城との交換が成立した。
「はい、直ちに」
 マザランは礼をして、下がろうとする。その時、オーギュストが立ち上がった。
「……閣下?」
 と、一瞬戸惑うマザランの肩を、オーギュストが叩く。
「よくやってくれる」
「あ、ありがとうございます」
 マザランは破顔一笑した後、涙ぐみながら、勇んで部屋を飛び出て行った。
 オーギュストはドアの閉まる音を聞くと、テーブルを飛び越えて、隅のバーカウンターへと向かう。
「ヴィユヌーヴの具合は?」
 カウンターの上に、グラスを二つ並べて、そこに氷と赤い酒を注ぐ。
「ええ、おかげさまで。このままでは死ねないって。自分らしい戦いはしてないって」
「そんな台詞が言えるなら、まだ大丈夫だろう」
 オーギュストはグラスを上から鷲掴みして、ソファーへと歩く。
「何もかも君の思い通りだな」
「さあ、まだ分からないわ」
「ヴァロンからトランダルまで、北セレーネ半島一帯は君のものだ。これにサッザ城の管理まで手に入れば、実質、オルレランやルブランと肩を並べたも同然」
 オーギュストがミカエラの隣に座り、グラスを差し出す。ミカエラは瞳でテーブルを指して、凛々しい声で反論したが、口元の笑みを隠し切れない。
「勘違いしないで、全部フリオのものよ」
 ミカエラの交渉術は巧みだった。ナルセスがシデ、ランス、ペラギアと大運河を必死に押さえている間に、ミカエラは占領地域のメルキュール州とエルワ ニュール州を、鎮守府軍以来参加しているセレーネ半島貴族達へ分配して、領地換えさせた。どれも旧領よりも倍増している。そして、空いたセレーネ半島北岸 一帯を自領として取り入れた。また、両州への影響力を失わないように、エルワニュール州都エリプスには親類のヴィユヌーヴ男爵家を入れて、メルキュール 州の要衝にも叔父を移している。
「先生が良かった、かな?」
「また勘違いして、貴方から何も学んでいません」
 オーギュストの手がミカエラの膝に乗る。その手をミカエラはぴしゃりと叩かれた。
「スレード卿には、感謝の言葉もないわ」
「紹介したのは俺だけど。まぁいいさ。だが、術策にのめり込み過ぎない事だ。必ず足を掬われるぞ」
 初めて、眼が合った。自信に満ちた瞳は「誰に?」と問い掛けている。
 オーギュストは「俺」と鼻の辺りを指差して、ミカエラの肩に腕を廻した。
 ミカエラはくすっと微笑んだが、素早くグラスを掴んで、オーギュストの口に当てて、顔を押し返す。
「ケチ」
「仕事中!」
 オーギュストが寂しげに、そのグラスを掴むと、ミカエラはさっさと立ち上がる。そして、そのまま歩き出すと思わせて、いきなり、オーギュストの膝の上に跨った。
「そんな顔しない」
 そう言って、オーギュストの顔を左右から挟むと、熱烈なキスを行う。ミカエラの手が荒々しくオーギュストの髪を掻き毟って、まるで犯しているようである。余りの激しさに、オーギュストは眼を瞠った。
「続きは、仕事の後よ」
 ミカエラは名残惜しそうに唇を離す。
「私なんかにかまけているより、会わなくちゃいけない人がいるでしょ。彼女、変なこと考えているわよ」
「……はい」
 オーギュストは口の周りを真っ赤にして、まるで魂を吸われたように放心している。


「覚えていらっしゃいますか、あの夏の休暇を過ごした、ドーヴィル離宮の穏やかな日々を」
「はい、そうですね」
「あの時は、僕とカール5世陛下は、毎日のように狩猟に出掛けていた。もう一度あの頃の安らぎを取り戻したいものです」
「はい」
 ティルローズが薄い相槌を打った時、執事を押し退けて、オーギュストが扉を開いた。
 室内のタンスや棚は空になっていて、荷造りされた箱が扉の近くに並んでいる。暖炉の前に赤い絨毯が敷かれて、その上に猫足の椅子がある。そこにティルローズが座って、その傍らにマテオ・ド・ルブランが立っていた。
 マテオはルブラン軍の将軍で、肩や袖に金の装飾を施した、豪華な軍服で着飾っている。
「遅かったわね」
 ティルローズは淡々と囁く。
「セリアへ行くのか?」
 オーギュストは赤絨毯の上に踏み入ると、サイドテーブルの上にあった飴玉を口に入れた。
「ええ、そうよ」
 ちらりとオーギュストを見て、それから、マテオにオーギュストを紹介する。オーギュストは目だけでマテオに挨拶して、その存在をほぼ無視する。
「感心しないねぇ」
「どうしてかしら?」
 険悪な空気を予感して、ティルローズは「先に馬車へ」とマテオを促した。マテオはオーギュストを一睨みした後、しぶしぶという感じで、退室して行く。
「あんな噛ませ犬のような男と、何をしている?」
「無礼は私が許さない。次期ルブラン公爵で、私の親戚でもある」
「信じるに足りない連中とこそこそ動き回る時じゃない。今はアルティガルドに恩を売る時だからだ」
 マテオの批評に加えて、先の質問にも答える。
「それは、この状況を予期できなかった軍師様のありがたいご意見かしら?」
「皮肉になっていないねぇ」
 オーギュストは失笑して、もう一つ飴を口に放り込んだ。ティルローズの眉が、ピクリと跳ねる。
「状況は刻一刻と変わるものだ。その全てに責任は負えない」
「そう変わったの。アルティガルドは危機に陥った。今こそ、再びサリスの上に太陽が登る時。貴方もサリスの為に戦いなさい」
 まさに、これこそが大義の成せる技なのだろう。ティルローズは胸を熱くする。
「戦って来ただろう。そして、勝った。カリハバールを打倒して、ティルはシデと大運河を手に入れた。この大戦を経て、エリース湖とドネール湾を結ぶ意義は大きくなる。これ以上求めれば、君は全てを失うぞ」
「そうセリムを殺せなかったし、サリス帝国も復活していない。ましてやセリアも取り戻せなかった」
「その為に、どれだけの人々が死ぬと思っている」
「大義よ――」
 ティルローズはぞっとするほど冷酷に言い放つ。
「大義は全てに優先されるわ」
 これを聞いて、オーギュストは一息入れようと、窓の外へ視線を送った。それにティルローズが言葉を続ける。
「貴方は、私のために戦うと言って、いつも中途半端だった。いいえ、私のためなどではなく、自分の目的の為に私を利用しただけでしょ。だから……だから、今度こそ私のために戦いなさい」
「そうかもしれない。ティルを、いやもっと多くの人を利用してきた。俺は身勝手な男なのだろう。敢えて否定はしない。だが、ティル――」
 オーギュストの声に熱が篭る。
「世界は否応なしに変わった。カリハバール大戦緒戦で、多くの第一級貴族は死に、終戦では新しい勢力が戦争を担った。彼らに、カール大帝の流儀は通用しない」
「それは分からない。台頭した連中じゃ、新しい文化や価値観を作り出せない。結局彼らは貴族社会へと入ってくる。大きな代償を払って」
「政治屋気取りもいいが、甘い。アベールを押し立てて、セリアに王国を建国するなんて……危険過ぎる賭けだ」
「どうして……?」
 最後に「それを」を付け加えたつもりだったが、声にはならなかった。
「もうとっくにもれている。第一、アーカスでの事を思い出してみろ。あいつの背後にはアルティガルドがあった。ずっと前から、取り込まれているぞ」
「彼は貴きカール大帝の血を受け継いでいる。きっと彼は大義を優先する……そう信じている」
「俺は協力できない……。アベールを信じることが出来ないし、はぁ、サリス復活に大義を感じないからだ」
 言葉の途中で脱力したように溜め息を入れた。
「そう……仕方ないわね。でも、私は成功させる。カール大帝以来のサリスを、私の代で終わらせる訳にはいかないから」
 それを聞いて、オーギュストは目を細めた。もし一般の騎士なら、この気丈な王女の元へ喜んで駆け参じて、その言葉のままに、この命を捧げた事だろう。共 に地獄へ落ちるのならば、些かの未練もない。その身を焦がす陶酔感に酔いながらも、氷水を煽るような強烈な自制心が働く。
「これだけは覚えていて欲しい……」
 目を伏せる。もはや、ティルローズを見る事が出来ない。
「もし、ティルが自分の理想の為に、闇の勢力を利用するのなら、俺は全力で君を打つだろう。決して道を踏み外さないで欲しい」
 オーギュストはティルローズに背を向けて歩き出す。外では雨が降り出して、どんよりとした薄暗がりが垂れ込めていた。

 夜にもかかわらず、ティルローズはセリアへと出立した。警護は、シド・ド・クレーザー武衛将軍が務めている。本来なら、もっと早く出発したかったのだが、街道を連合軍が埋めて、士官さえ宿に泊まれないほどに混乱していた。その整理を待った結果の遅延である。
 雨が降る夜にもかかわらず、月明かりが馬車の窓から差し込む。
「ギュスのアベールへの不満は、嫉妬から来ているのかも……」
 ティルローズは小さく呟くと、下唇を噛んだ。
 アベールを擁立しよう、とオルレラン公メルキオルレが持ち掛けてきた時、強い不信感さえ抱いた。
 サイア王国崩壊後、オルレラン公メルキオルレは、カフカと組んで、孫娘であるカレンをサイア女王にしようと画策していた。故カール5世が、ローズマリー を女帝にしようとした経緯があるために、サイア女王は然程難しい事ではなかったろう。王太孫アベールの存在がなければ、だが。
 さらに、旧サリス領の支配、新皇帝への野心を隠そうとしなかった。ここでも、邪魔なのはアベールの存在である。過去、サリス帝国直系男子が途絶えた時、いずれもサイア王国から後継者を入れた経緯がある。
 前例、伝統を尊ぶならば、アベールこそサイア王であり、かつ、サリス帝国の後継者であろう。故に、オルレラン公メルキオルレは徹底的にアベールを無視した。これは同様の野心を持つ、アルティガルド王やルブラン公爵も同じであった。
 一方、ポーゼンで孤立したアベールは、このような門閥貴族達を憎んだ。両者に和解は考えられない、と思えた。しかし、事実、オルレラン公メルキオルレは謝罪し、アベールはそれを受け入れた、と云う。
 サイア会議でのオルレラン公メルキオルレの立場は微妙であった。対カリハバール戦では、武勲の多くをシデ大公国が独占し、旧サリス・サイアの利権をアルティガルドと分け合った。
 サイア王国はオルレラン公メルキオルレの思惑通り復活し、カレンを王女とする事に成功したが、サイア王国は思いのほか脆弱だった。領土を大きく失い、軍事政治的にもアルティガルドの影響を撥ね付けられない。
 また、帝都セリアは、ほぼアルティガルド王国の掌中にある。調べると、王弟レオンハルト大公をセリアに封じる準備を着実に進めている、と分かった。
 この不利な状況を挽回するためには、否定し続けていた正論(アベール擁立)を持ち出すしかなかった。
 オルレラン公メルキオルレは言う。
「取り敢えず、今回は、帝位をアルティガルドに譲る事になろう。それは仕方がない。世界が変わった現実は受け入れよう。しかし、新しいものが全て善ではない。古いものの中にも守らなくてはならないものがある。それは伝統と格式である。セリアに決してアルティガルドの血を入れてはならない。取り返しのつかない事になる」
 この説得に、ティルローズは共鳴して、胸を躍らせた。
 サリスの血と名を残す好機である。そればかりか、やり方次第では、アベールとローズマリーとの間の男子に、再び帝位を取り戻す事もできるかもしれない。味方には、オルレラン、カロリンヌ、ブルゴンがある。状況によっては、ルブラン、サイア、シデも加わるだろう。
「やれる!!」
 ぱっと目の前が明るくなったような想いがした。アルティガルド一色に染まろうとしていた世界に、一転してサリスの光を見出す。一瞬の瞬きの間に、10年、20年、さらに30年先の未来予想図を夢描いた。
 ふと、寂しさが過ぎった。
 どこかで、最後には分かってくれる、という甘えがあったのかもしれない。しかし、オーギュストは自分の主義主張を曲げなかった。
「あれほど頑迷とは……」
 正直思わなかった。所詮、志が違うのだろう。
「これで、二人は違う道を歩き出した。もう会う事もなく、或いは、敵同士になるかもしれない。この恋愛は終わったのだろう……」
 やや極端な気もしたが、漠然とティルローズはそう思う。だが、仕方がないのだろう。今は振り返り、立ち止まる時ではないのだから。
「サリスの伝統と名誉は、私が守る!」
 サリスと呟くだけで、ふつふつと勇気が湧いてくる。
 男と女が出会い、そして、別れた。それは何処にでもある、ありふれた話でしかない。
「たかが恋など潔く忘れてしまえば、また新しい未来が生まれる……人生なんてそんなものよ」
 ティルローズは御者が照らす、前方の闇を見遣った。


【9月サイア】
 王侯貴族が去り、それに阿[おもね]る商人や司祭などが消えて、祭りの後の静寂がサイアを包んでいた。その中で、オーギュストは一人気を吐いた。
 楽隊と共に演奏にしながら街中を踊り歩き、城内に残っていたアルティガルド麦酒を、街の民衆に振る舞った。そして、サイア中のカジノで莫大な金を巻き上げると、そのまま遊郭へ出向いて、奴隷商人から奴隷を買いまくった。
 この馬鹿騒ぎの後、今後は小さな酒場を借り切り、その扉をぴたりと閉めて、黙々と絵に没頭した。
 その間、世間では、アルティガルド王ヴィルヘルム1世が皇帝に即位して、アベールがセリア公国の君主となった。
「そのまま」
 筆を加えたまま、オーギュストは女性の顎を摘み上げて、じっと舐めるように、その滑らかな曲線を観察する。それから、慎重に筆を微動させて美女の顔を描く。
「よし」
 最後に瞳を描いて、満足げに頷く。
「完成ですか?」
 訊いたのは、モデルをしたシモーヌである。
「ああ」
 筆を真っ二つに折ると、空のボトルへと投げ込んだ。それから、疲れた足取りで、カウンターへ向かう。そこにうつ伏せになって、寝ているトンマーゾがいた。
 オーギュストは胸ボペットから借用書を数枚取り出して、それを破り、それから、トンマーゾの掴んでいる空のグラスに入れた。
「民衆の喜びと熱情が伝わってくるみたい。本当にすばらしいわ」
 絵の前に立ち、シモーヌが批評をする。オーギュストは「だろ」と呟いて、新しいボトルを開けると、煽るようにぐいぐい飲む。
「で、私は何処?」
「その噴水の前で犬と戯れている男の後ろで踊っているだろう」
「感激だわ。こんなすばらしい絵に加えてもらえて。残念なのは……顕微鏡が必要な事ぐらいね」
 完成した絵には、木漏れ日の下、酒に酔い、楽しげに語り合い、軽やかに踊り合う、たくさんの若い男女が、鮮やかに描き上げられていた。
「でも、こんな事でいいのでしょうか?」
「じゃ、裸婦画でも画こうか?」
 慌てて、シモーヌは首を振る。オーギュストは苦笑しながら、コリを解すために首を一度廻した。そして、トンマーゾへ視線を落とす。
「苦労するな」
「ええ、普段は良い人なのだけど、ギャンブルになると人が変わってしまって……。閣下が借用書を回収してくれなければ、大変な事になっていましたわ……」
「なぁーに、ギャンブルなんて独りでやってもしょうがない。それより、これからは小銭を持たせない事だ」
「オルレランの名前で幾らでも借りられますから……。セリアに呼ばれなかった事が辛かったのでしょう」
 優しくシモーヌがトンマーゾの頭を撫でる。
「だったら、湖の上にでも置いてやれ」
 オーギュストが言うと、シモーヌは楽しそうに笑った。
「さて、多少でも感謝しているのなら、これをセリアのティルローズ様へ運んでくれ」
 そう勝手に言い残して、オーギュストは扉を押し開いて出て行く。

 深夜の路地は暗く、人気は全くない。痩せた犬が一匹夜空に向けて吼えた。それに吊られて天を仰ぐと、月が蒼く輝いている。
 石畳の路地を歩いて西の丸まで戻ると、城門の前を元奴隷が、100人ほど、押し黙って座り込んでいた。
 オーギュストも酔いに任せて買い漁ったが、100人以上の奴隷の使い道もなく、収容するスペースもない。取り敢えず、自由にしろ、と言ったが、彼らは命 令される事に慣れていても、自分で判断する事は不慣れであった。また、行く当てがある筈もなく、頼れる者とてない。ただ捨て鉢気分で、冷たい石の上に蹲っている。
 そこにのこのこ新しい主人が登場して、緊張が漣のように満ちていく。
「……」
 全員が固唾を飲んで、オーギュストを見詰めた。その二百を越える怯えた瞳に、さすがに、オーギュストもたじろぐ。
 玄関から、ファンダイクが飛び出てきた。
「大変です!」
「見れば分かる。こいつらを如何にかしろ」
「しかし、どうすれば?」
「ナルセスからランスに土地を貰っただろ。そこへ連れてって、村でも町でも作らせろ」
「御意。……あ、大変です」
「だから……」
「カレン王女がお越しです」
 オーギュストは意表を突かれて、一瞬言葉に詰った。

 館に入ると、カレンが長旅の疲れもなく、やや緊張したように浅く座っている。
「どうしたのです、セリアでは?」
 ここは元来賓用の小部屋で、ぐるりと周囲を本棚が囲み、深緑色の壁紙がほとんど見えていない。中央には黒革のソファーが暖炉に向かって、コの字配置されている。また、暖炉の上には、綺麗な風景画が飾られていた。
「そのセリアが……どうなっているのか、私には分からなくて、ディーン様のご意見をお聞かせください」
「王国に関する事は、カフカ殿にご相談を」
「いえ、私は閣下の見解が知りたいのです。カフカは……私に本当の事を言いませんから……」
 その真摯な瞳に断り切れず、ならば、とオーギュストはカレンの隣に座る。そして、堅く結んだ手の上に、そっと優しく手を重ねた。
「どうして、兄(アベール)は、セリア公王と成れたのでしょう?」
「ますは、アルティガルドの思惑です。世界の中心であるセリアを直轄地としては、周囲の反感は大きくなり、統治に多くの血を必要とするでしょう。しかし、 北のロードレス神国に戦力を集中したい。そこで、傀儡国家であるセリア公国を建て、形ばかりでも、自治を与える。その頂点に、王弟レオンハルトを立てる。 しかし、これは全くの詭弁です。ヴィルヘルム陛下とベレンホルスト宰相閣下にすれば、レオンハルト公の権力増大を望まれません。兄弟が揃って強大な力を有 すれば、将来に禍根を残すことになるからです」
 カレンは小さく頷く。
「一方、君のおじい様(オルレラン公)とすれば、セリアにアルティガルドの血を入れてしまっては、アルティガルド支配体制の形を整える事になる。言わば、ゆっくりとした侵食を受け入れたも同然。いずれは、サリス系の門閥貴族は排除させる事になるでしょう」
「だから、双方が兄を擁立した。お兄様のお気持ちはどうなのでしょう?」
「私は、アベール殿のお心は、アルティガルドにある、と思っています。正確には、アルティガルドを利用して、オルレランなどを下し、後には力を蓄えて、アルティガルドから独立しようと思っていらっしゃる。しかし、そう上手くいくとは思えませんが……」
「……しかし、ティルローズ様が強く兄を支持されておられました。シデ大公国が後ろ盾となれば、アルティガルドに十分対抗できると思うのですが……?」
「今後、世界は三つに区分できます。第一にアルティガルド、次にオルレランとその同盟国、そして、第三勢力は、ホーランドを中心にしたドネール湾勢。ナル セスはドネール湾岸出身です。どちらかと言えば、サリスに関心は薄く、大運河を利用した湖と海の連携に目が向いています。ティルローズ様は純粋な方です。 いずれはセリア公国からサリス王国として、サリスの名を残したいのでしょう。しかし、サリスの虚名の為に、死んでやる義理は誰にもありませんから」
「やはり分からないのは、兄とローズマリー様の子は、サリスそのものでしょう。アルティガルドは何の得もしないような……」
 カレンは首を捻る。
「アベール公は結婚されます。しかし、それはローズマリー様ではなく、ヴィルヘルム陛下の愛妾だった、アゼイリア・ド・ベアールです。その腹には、すでに子があるとかないとか……」
「そんな……。では、ローズマリー様は?」
「ローズマリー様は私が匿っています」
「ディーン将軍は如何なさるおつもりなのです?」
「私は何もしません。このまま動乱もなく、世界が平和に治める事を望んでいるだけです」
「ティルローズ様とは距離をおかれると……?」
「そうなります」
 きっぱりと言い切るオーギュストに、カレンは俯いた。
――どうしてあの方の言葉は、私の胸に響くのでしょ……
 心臓が合図の警鐘のように、どきんと打つ。
――この胸のときめきは何なの……
 それを契機{きっかけ}に、胸の激しい動悸が止まらない。今にも心臓が飛び出しそうである。そして、ほぼ無意識に、オーギュストの手を持ち上げて、頬に添え当てた。
 カレンの指は冷たい。そして、まるで象牙のように美しい。
 オーギュストはカレンの指をそっとなぞって、じっとそのしなやかな指を見詰める。うずうずとした衝動が込み上げてきて、脳がくらくらと揺れた。
「やめましょう。軽率ですよ」
 ようやく、そう言う事が出来た。しかし、視線と視線が、舞う二匹の蝶のように絡み合う。
「オーギュスト様……」
「私はあなた一人のために、生きる事ができない」
「それでも構いません。ただ一時、一緒に居られれば、それで良いのです」
 オーギュストの心を覆う砂嵐の障壁に、小春日和(こはるびより)の陽光が差し込んでくる。
 ふいに、カレンが、熱く潤んだ瞳を、長い睫毛で隠す。
 自然と唇と唇が引き寄せられていく。ゆっくりと近づき、一度、触るか触らないかの距離で止まった。
「強い女だ」
「……抱いて下さい」
 オーギュストの顔がわずかに動き、唇と唇が重なり合った。そして、舌が桜色の唇を押し開けて、歯の裏側を愛撫するようになぞる。
 カレンの身体から力が抜けて、自然と後方に身体が倒れていく。それをオーギュストの左手が腰に巻き付いて支えた。そして、離れた唇と唇の間に、一本糸がすぅーと伸びていた。
 オーギュストはカレンの身体をゆっくりとソファーに倒し、そして、丁寧に胸の釦を外していく。
 まだ固さを残した、控えめな胸のふくらみが月光の下に顕となった。咄嗟にカレンは、腕を折りたたんで胸を隠す。
 オーギュストはもう一度震える唇を奪う。
 丹念に、口の中を舐め回して、舌と舌が蕩けて一つになると思えるほど、ねっとりと絡め合わせた。
 情熱的なディープキスに、身体の芯が熱く燃え上がった。もはやカレンの身体は糸の切れた人形のように、ぐったりとして、清純な胸を覆った腕も、その役割を果たせずに、綺麗な薄桃色の突起を零れ見せてしまっている。
 オーギュストは手首を掴むとそっと左右に開く。カレンは全く抵抗する事ができなかった。可憐な雪肌の乳ぶさが、月の淡い光に照らされて、純粋な白銀に輝いている。
 突起を口に含み、舌で転がす。
 その瞬間、カレンの背筋を、一筋の電撃が走り抜けた。細く長い喉を仰け反らせて、背中を跳ねさせる。そして、思わず、オーギュストの頭を抱え込んでしまう。
 か細い腕の程よい締め付けを受けながら、オーギュストは、右手を、よく発達した健康的な太腿へと伸ばしていく。
 もぞもぞと腰が揺れて、脚が擦り合わさる。
 当初、心を覆っていた不安が、甘い感覚に塗り替えられていく。そのふわふわとした感情がとても不思議だった。
 だが、オーギュストの指が、レース刺繍で縁取られた、ショーツの端にかかると、咄嗟に叫んでしまった。
「ダメっー!!」
 再び、無垢な少女の心が、未知の恐怖に怯えて、子猫のように肢体を縮こまらせる。
 その震える唇を、三度オーギュストの唇が塞ぐ。すぐに、互いの唾液で、口の周りがべとついていく。それから、オーギュストは両手で両乳ぶさを揉み弄った。
 巧みな愛撫に、またもやカレンの防御心が緩む。
 その瞬間を見逃さず、オーギュストはショーツをさっと摺り降ろした。と、処女独特の甘酸っぱい香りが、ぱっと広がって、心地好く鼻腔をくすぐる。
 一方、カレンは、秘すべき場所に、新鮮な空気の流れを感じて、見失っていた乙女の羞恥心を、懸命に混乱した思考の中に探す。
「やっ…ア…ダメ…見ないで……ああん」
 そして、恥ずかしさから逃れたい一心で、思わず身体をひっくり返して、うつぶせになった。カレンにとって小さな胸のふくらみは、悩みの種でもあり、忘我の境でも、咄嗟に隠そうとしたのだろう。
 だが、オーギュストにすれば、魅惑的なヒップを目の前に差し出された格好であり、その大き目の尻肉を、遠慮せず鷲掴みすると、舌を這わせて、思う存分堪能した。
「あ……はぁあん……」
 堪え切れずに、喘ぎ声がもれた。慌てて口を押さえる。
 その反応に、オーギュストは、カレンの性感帯は尻だ、と確信する。
「あはぁ、はぁぁん」
 豊かな尻の膨らみが、唾液に濡れ光っていく。
 カレンは悶え震え、小さく丸まるように、膝を抱えていく。カレンなりの自己防衛の現れだったのだろうが、折り畳んだ膝の分だけ、腰が高く浮いた。それは秘めた割目はより剥き出しにした事に他ならない。
「はっ、あああん」
 オーギュストは尻肉を左右に開き分ける。
 まだ一度たりとも、開かれた事の秘裂は、ぴったりと寄り添って閉じている。
「綺麗な色だ。鏡で見たことあるか?」
 オーギュストは、淡紅色の花びらに、そっと指を添える。
 裂目を左右に開く瞬間は、さしものオーギュストも額に汗を感じてしまう。息を飲みつつ、暴いた秘奥には、サーモンピンクの鮮やかな色が潜んでいた。
「本当に綺麗だ。『わたしのあそこ綺麗って言われるの』って、みんなに自慢できるぞ」
 カレンは無情を訴えるように、頭を振る。
「……そんなことしない……」
 恥ずかしさに震えながら、蚊の鳴くような声で言う。
 オーギュストは、その清らかな肉の潤みの中へ、すぅーと一撫で指を走らせる。
「きゃぁああ!!」
 初めて感じる秘肉への感触に、思わず奇声を上げた。
「もう濡れている。はしたない女王様だ」
「ちがう……」
 その言葉を証明するように、オーギュストの指に、暖かな糸が繋がっている。それを朱に染まったカレンの頬に塗った。
「いやっ…」
 羞[は]じらって、カレンは火照った顔を両手で覆う。その手に伝わる熱の高さに、我ながら驚愕した。女とはこんなにも脆いものなのだろうか。そんな埒もない事を、熱に魘[うな]された頭で思う。
 初めて味わう快楽に、カレンが翻弄されている間、オーギュストは秘唇に舌を這わせていく。仄かな淫臭が、男の本能を焚き付けて、欲望の赴くまま、卑猥な蜜を貪るように吸い上げた。
「ダメ、ダメ、変になっちゃう!」
 カレンは激しく頭を振った。理性が途切れようとしているのが、はっきりと分かる。
「あん、ああん!」
 甘ったるく鼻を鳴らして、もじもじと腰を悶えさせる。
「ヒィッ!」
 指で固い包皮を捲って、ぷっくりと膨らんだ肉芽に、たっぷりの唾液を塗して、舌先で転がしていく。
「ひぃ、ひぃぃ……!!」
 カレンは美しい髪を振り乱して、悩ましく泣き喘いだ。荒い息とともに、固い乳ぶさが、大きく波打つ。そして、上気して、汗に濡れた肢体が、小刻みに痙攣する。生涯初めての絶頂を経験して、瞳をトロンと艶っぽく蕩けさせた。
 頃合と見たオーギュストは、カレンを仰向けに戻して、脚の間に腰を沈める。そして、秘唇にペニスを宛がうと、処女膜に守られた膣穴へと押し入っていく。
「痛いっ、な、何?」
 それまでの甘美な悦楽の支配する世界から、突然現実に呼び戻されて、カレンは顔を歪めた。
「お願い、お願い、痛いの、もう止めて……」
 王女としてのプライドをかなぐり捨てて、カレンはただただ泣き哀願する。
 プチ
 という鈍い音がカレンの頭の中で響いた。
「ひぃぃっ! やあぁぁっ!!」
 その瞬間、カレンは絶叫した。
 オーギュストは半ば挿入して、しばらくカレンの初めての締め付けを楽しむ。未だ誰も受け入れた事のない小径を抉る感触は、男の征服感を満足させていた。そして、苦痛に泣く美少女を見下ろす光景も、狩人の衝動を満喫させる。
「ひゃあんっ、痛いのっ、痛いのっ、もう止めてっ!!」
 カレンは身体を弓なりしたまま、頭の方へと、ずり上がるように逃げていく。オーギュストは失笑混じりに、カレンの腰を掴んで、その動きを止めた。そして、さらに深く打ち込んでいく。
「ひぃ、うっ、はぁぁん」
 カレンは目尻に涙を浮かべて、眉間に険しい縦皺を刻んだ。
 温かな肉襞の感覚は、オーギュストの心を虜にした。それに納得して、ゆっくりとペニスを引き抜いていく。
「た、助けてぇ……」
 涙ぐんだ声で訴える。カレンの指が黒革を掻き毟り、首を捻って、顔をクッションに埋め、歯を食い縛って必死に傷みに堪えた。閉じた視界は、真赤に染まって、思考がぼんやりと鈍っていく。
「これで俺の女だ」
 オーギュストが昂奮した声で言い放つ。
――純潔を捧げる事が出来た……
 次第に痛みに慣れてくると、言い尽くせぬ幸福感が、カレンの心を包んでいった。
「オーギュスト様が、カレンの中に入っているのね」
 まだ苦痛に眉を寄せながらも、口元にうっとりとした笑みを見せている。
「ああ、俺達は今一つだ」
「う、嬉しい、ああン」
 奥深くに力強い存在を感じて、絶対的な安心感を抱く。
「遠慮……なさらず……もっとわたくしをお……お使…い……下さい…」
「無理をする事はない。これからゆっくり馴染んでいけばいい」
「あ、は、はい……ああん」
 オーギュストは、カレンの反応を気遣うように、ゆっくりと挿入を繰り返す。そのすすり泣く声にも、甘い喘ぎが混じり始めた。
「いい調子だよ、カレン」
 オーギュストがほくそえむ。
「は……はい。あ、ありが……ふっ……ございっ……ます」
 荒く発せられる喘ぎを堪えて、必死に答える。
「じゃ、行くぞ」
 オーギュストは腰に手を添えて、いよいよ速度を増していく。カレンの大き目の尻にオーギュストの腰が激しくぶつかり、パシパシという音が部屋に響いた。
 オーギュストは高まりの中、最後にカレンの顔へ胸に手を伸ばし、その小さな頭を、愛しげに抱いた。
「くっ、はぁ、あああん!」
 カレンの苦悶の声に合わせて、オーギュストは精を奥深くへと吐き出した。秘唇からは、精子に混じって赤い血が流れ、濡れたサーモンピンクの秘唇が月光に、キラキラと輝いていた。

 オーギュストは出窓に左足だけを乗せて、膝を抱えている。星が降るように輝いている筈なのに、ガラスが曇っている所為か、心が曇っている所為か、どうにも色が失せている。
――どうして……こう厄介ごとを背負い込むのかねぇ……
 内心ぼやく。それから、イライラする気持ちを表すように、人差指で、窓枠をトントンとリズムを刻んで叩いた。
「どうしたの?」
 カレンがベッドの中で顔を上げる。
「何でも……」
 沈んだ声で、オーギュストが答える。
 カレンは無邪気に微笑んで、オーギュストの叩く音に合わせて、鼻歌を歌い始めた。そして、リズムに合わせて身体を動かすと、全裸のままベッドから出て、柔軟な身体を駆使して、バレエの真似事を始める。
 ぎこちなく右足を上げて、可愛らしく爪先立って廻る。その姿に、オーギュストも優しく口元を綻ばせた。心が軽くなったような気分がした。
「こっちにおいで」
 オーギュストが手を差し出すと、カレンははにかみながらもそっと手を伸ばす。
「踊ろう」
 そして、オーギュストはその手を掴んで、ぐっと抱き寄せた。


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Date:2011/11/24
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