――親衛隊屯所。
「忠誠、忠誠、生涯忠誠!」
「ふざけるな! 聞こえんぞ!」
親衛隊隊員が、剣を担いでランニングしている。それらを、女性の士官が、烈しい口調で指導していた。
「お前達は何者だ?」
「親衛隊です」
「親衛隊とは?」
「強靭、無敵、最強!」
「そうだ。お前達は最精鋭部隊だ」
「親衛隊の戦闘力はァァァァァァァァアアア、世界一ィィィイイイイ!」
「お前達がいる所が、最前線だ!」
「退かぬ、媚びぬ、省みぬぅぅぅ!!」
これを訓練場の端から、ヤンは唖然とした表情で見守っている。
「変な方向に気合がぁ……」
親衛隊の雰囲気の急激な変化に、驚きを隠しきれない。何処か温い空気の合った部隊が、完全に戦う組織に生まれ変わっている。
厳しい訓練を終えて、ランは、訓練場脇のプレハブ小屋のドアを潜った。まず、踵を鳴らして直立不動の姿勢をとり、二羽の鴉が舞う軍旗に、恭しく礼をした。
慌てて、ヤンも立ち上がって、同じように礼をした。
「少佐、お久しぶりです」
挨拶してから、ランは軍刀を傍らに立てかけて坐る。
「変わったね、まるで軍人だ」
「お恥ずかしい限りです。闘神様の偉大さに気付かぬとは、未熟の窮みでした。しかし、今では、愚かな過去の自分と完全に決別することができました」
「……そ、そう」
ヤンは顔を強張らせて、兎に角、お茶を口に含んだ。
「それで?」
「ああ」
問われると、ヤンは慌ててしまい、思わず口からお茶を零す。
「アルティガルドの様子がおかしい」
「ほお」
「これは私見だが、破壊神シヴァを崇拝する者達が、関わっているのではないだろうか?」
「ならば、この命に換えてでも斬る!」
忽ち、ランの双眸が灼熱色に輝く。決して揺るがない信念を伝えてくる。
「君なら、そうだろうね……」
ヤンは、それ以上、この話題を続けなかった。本来の目的は、オーギュストがアルティガルドに出陣すると言い出す前に、親衛隊として反対するように、隊員の意見をまとめて欲しかったのだが、今のランでは配役違いだと覚ったからだ。
「そう言えば、ルートヴィヒ・フォン・ディアン男爵が結婚されましたね」
「ええ」
ランは、素っ気なく頷く。逆に、何故そんな話をするのか、不思議そうな目をしている。
「それが?」
「別に……」
ヤンは仮面のような笑顔を作って答えた。
ルートヴィヒは、ランを積極的に誘っていた(第62章参照)。ランも満更ではなかったように見えた。
「それでは」
ヤンは、会話を切り上げると、親衛隊屯所を離れた。
「完全に洗脳されたなぁ……。アルティガルドもだが、フェルディアの連中も何を考えているのやら」
門を出たところで振り返り、思わず声をもらしてしまった。
ヤンを見送った後、ランは隊長代理室へ向かう。
「失礼致します」
赤毛の髪をカチューシャで留めて、やや広めのでこを出した女性がいた。ランに気付くと、眼鏡を外して、書類から目を離した。
「才気走った男が、来ていたそうだな?」
隊長代理のライラ・シデリウスである。元々フェルディア州牧代行を務めていたが、梃入れ策の一つとして、隊長代理を兼務することになった。
「はい」
「何だと?」
「破壊神の信奉者が動き出しかもしれぬ、と」
「ははは、さすがに参謀本部切っての切れ者だな。だが、ヤツには何も出来ない」
「はい」
「闘神様のお役に立てるのは、我々だけだ」
「はい、分かっております」
「期待しているぞ」
ライラは、机を離れると、ランの傍らに立ち、そっと肩に手を置いた。
「頭痛はしないか?」
「いいえ、問題ありません」
「そうか。あの研修(第65章参照)は、私が陛下から受けたもの(第44章参照)を手本にしているが、まだ完璧とは言えない。何かあれば、忌憚なく言ってくれ」
「はい。研修は完璧です。新生親衛隊の一号として、陛下と隊長代理のご期待に応えて、見事活躍してご覧に入れます」
「うん」
ライラの手が、ふわりと項をさまよう。
「ああ……」
ランは無抵抗で、小さく唇を開いて、生温い吐息をもらした。
ライラは、舌は大胆に出して、ねっとりとランの耳を舐め上げる。
「ああン……」
頬を朱に染めて、粘り気のある瞳でライラを見る。
「かわいい娘」
「ああ、お姉さま……」
ライラの手は、ランの胸を軍服の上から揉んでいる。ランは蕩けきった顔で、甘えた声を発した。
【6月、アルティガルド王国】
――メーベルワーゲン城下町。
ロマンとヴェロニカは、先に森に入り、拠点となる場所を選定していた。
「これでよし」
宿屋では、フィネが、旅行鞄に、干し肉や固焼きのパンなどの保存食を詰めている。
「こんなんでいいのか?」
チーズを摘み食いしながら、ヴォルフが呟く。
「分からないわ。でも、長旅に出る時は、いつも兄はこんな感じだったわよ。ほら、ヴォルフも手伝って」
「はいはい」
「『はい』は一回」
「はーい」
ヴォルフとフィネは、密かに物資を集めるように言い付けられていたが、そんなことが上手くできるはずもなく、ただ焦りながら日々を送っていた。
キョーコは、トイレの個室から出てくると洗面台で手を洗っていた。小さな窓からは、薪を割る音がしている。
「おい」
斧の音に混じって、男の声がした。
「……」
キョーコは鋭く眼光を、素早く左右に配った。
「刀根様からの繋ぎだ」
「直接の接触はしないはずだ」
厳しい声で、質す。
「急ぐ」
男の声も切羽詰っている。
「分かった」
キョーコは、ドアを細心の注意を払いながら、小窓の下に移動した。そして、二人は小さな窓を挟んで、小声で会話する。
「報告にあった鉄砲だが」
「ああ」
思わず喰い付く。逃亡中に恐ろしい破壊力を目の当たりしている。そして、その出自がはっきりしないなど謎が多い。
「あれは小次郎殿に追って頂く。お前は、アリーセ・アーケ・フォン・ハルテンベルクにつけ」
「どうして?」
意外な名を告げられて、声が裏返った。
「あれは危険だ。近付き過ぎるな、との刀根様のお考えだ。小次郎様なら、宿屋の主として、遠くから関わることができる」
「……分かった」
キョーコは唇を噛んで、苦々しく頷く。しかし、すぐに気持ちを切り替えた。
「で、何を調べる?」
「お前のベッドの下に、古書を用意している。それを自然な形で渡せ」
「分かった」
その直後、壁の向こうに人の気配は消えた。
「さて、今度はお姫様のお守りか、ふふふ」
冷たい北向きの壁に寄りかかりながら、キョーコの顔が、嬉々と晴れる。
「天職だわ!」
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