――5――
久宝2年3月。
「惜しい人物だった」
「真に惜しい」
広間に昨日以上の人々が集まって、榊造酒之丞を偲んでいる。誰もが、会話の最後に「惜しい」という言葉を必ず付け加えていた。
「お酒は足りていますか?」
「はい、奥様」
台所の下女たちに、麻由美は忙しく指示を与えていた。
「そう言えば、上妻殿を見ませんでしたか?」
名前を呼ぶと、身体の奥がカッと熱くなるのを感じてしまう。顔に出ないことを、祈るしかない。
「いえ」
「あ、竹林の中を散歩されていましたよ」
「あの人も、結構な人見知りですね。ご隠居様には敵いませんけど」
「ふざけるのはおよしなさい」
麻由美が諌めると、下女たちはすかさず恐縮した。
歩き出しかけて、ふと足が止まった。
「石堀詩織様は?」
「さぁ」
下女たちが首をひねる。正直忙しくて、他人のことを気にしている余裕はない。
「そういえば、詩織様も上妻様を探しておられましたよ」
一人の下女の声に、麻由美は、胃の底に熱い鉛が落ちていくのを感じた。
――あの二人、逢っているのかしら?
鷹佐は、谷底にある廃墟の小屋にいた。排水路の工事の際に作られて、その後、放置されている。
小屋は六畳ほどの広さで、土間と板張りに分かれている。土間には、丸太の椅子が乱雑に丸く並び、壁には錆びだらけの鍬や鋤などが立て掛けられている。板張りには、埃で真っ白な長机があった。その隅に、丸めた図面があった。
広げて、行燈に近づける。排水路の図面であり、榊造酒之丞と署名してあった。
「あの人は何でもできたのだな、あははは」
自然と笑いがこぼれた。笑えば笑うほどに切なさが滲んだ。
――なのに、なぜに道を踏み違えた……。
勝宝8年、夏。
ダークエルフ族の美女ケレブリアンが、レンバスという焼き菓子を鷹佐に与えた。
「ボーヤの大将は、ボーヤたちの屍を売ったのさ。屍食鬼どもに」
貪るように、レンバスをかじっていた鷹佐の動きがぴたりと止まった。
「何だと?」
思わず、レイバスの欠片を口から飛ばしてしまう。
「そして、地下迷宮への入り口を教えてもらった」
「なぜそんなことが分かる? 見てきたように言うな」
腹が満たされて、元気が出たらしく、むきになって食い下がる。
「見ていたよ」
「え?」
然も当然とばかりに答えたケレブリアンに、に、鷹佐は声が裏返った。
「ボーヤたちが上陸する前からずっと観察していたさ」
ケレブリアンは、不敵な笑みを浮かべている。
「……」
鷹佐は今さながら、自分たちが彼女たちの掌の上で踊っていたことを知り、呆然とする。
「ボーヤたちが野垂れ死にするのは勝手だが、地下迷宮に入られるのか、ちょいと困る」
「……『根』があるのか?」
目を伏せて、鷹佐が低い声で問う。榊造酒之丞の言葉を思い出していた。
「根? 何だ、それは?」
ケレブリアンは優美に眉をしかめた。
「違うのか?」
「呆れた。ふふふ」
鷹佐の強張った顔を見て、ケレブリアンはまるで子供をあやすように楽しそうに笑う。
「説明してあげる。神代の遺産に『夢界』というのがある――」
ケレブリアンは、歌うような声で語りだす。
「『夢界』とは鏡の中にあり、魂の住処。魂の望むまま、欲しいものは、すべて手に入る楽園」
「……」
鷹佐は震えながら聞く。
「元来は楽園などではなかった。そこは神々の魂が戦う場所だった。神々はあらゆることをそこで疑似体験していたと云う。しかし、神々が去り、主を失って、夢界はほとんどの機能を停止した。今では、ただ『魔鏡』より知的生命体の心の一部(欲望)を吸い取り、長いながい夢を見させているだけ」
「……」
「聞いているのか!?」
ケレブリアンが、刺すような視線を向ける。鷹佐は、一つの疑問に戸惑っていた。
「ああ、だが、なぜ、そんなに詳しく説明する?」
「ボーヤたちの大将は、夢界を制御する『思金』へ行くつもりだ」
『思金』とは、『数多の思慮、思考、知恵を兼ね備えている一本の柱』と神話の中で云われるものである。いわゆる、人工頭脳のことであろう。
「もし、ここの思金が再起動したならば、夢界のバランスが崩れるだろう。本来の目的に邁進するかもしれない。すべての生命体を取り込み、数字に置き換え、幾万幾千の環境の中で戦わせ競わせていく」
語りながら、ケレブリアンの表情が固くなっている。
「そう楽園は戦場となり、すべての生命体は修羅と化す。そして最後には、最強の巨人が実体化されて、世界を滅ぼしかねない」
話し終わると、ケレブリアンは顔を鷹佐に近づける。鼻と鼻がぶつかりあった。
「もうわかるな?」
「何……?」
「お前がそれを止めるのだ。それだけが、お前が生き残る道だ」
「……」
盛大に絶句する。それに十分値する状況であろう……。
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