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第一章 星火燎原

プロローグ


 絶対神ジ・オの降臨以来、永劫栄華を誇った神々の時代も終末の時を迎えようとしていた。破壊神シヴァはドラゴンで天空を覆い、闘神オーディンは光の巨人で大地を埋め尽くした。熾烈を極める激戦に、海は涸れ果て、山は砕け散り、大地は切り裂かれた。多くの神々が、自らの強大な力によって滅び、楽園は死の荒野へと変貌する。
 この滅びの惨劇の中、豊穣の女神エリースは最後の力で、自らの肉体を神水へと変え、湖を創り出す。湖の水は生き残った生物達の命を繋ぎとめ、湖の周辺には再び生命の営みが戻った。
 それから数千年の刻が流れた。人は湖をエリース湖と名付け、その世界をエリーシアと呼んだ。


 エリーシア中原の人々を震撼させる事変が起きた。
 事の始まりは、エリース湖の遥か西、モス山脈を越えたドラゴンラグーン地方においてである。1215年、この地域を若き覇王セリム1世が平定した。そして、ファスティマ朝カリハバール帝国軍の建国をたからかに宣言した。彼は前王朝の惰弱、堕落を痛烈に批判、かつ、自らの王朝そして自分自身の優秀さをとくとくと説いた。そして、演説の締め括りに、カリハバール歴代王朝が成し遂げられなかったエリーシア中原奪還を明言する。
 このドラゴンラグーン地方に住む人々は、元々はエリーシア世界を最初に統一したセレーネ帝国の末裔である。セレーネ帝国は3世紀半の長きに渡り、エリーシアを支配したが、神聖紀899年に、カール・ラ・サリス(聖サリス帝国初代皇帝カール大帝)によって滅ぼされた。しかし、生き延びた人々はこの地に逃れ、後セレーネ朝カリハバール帝国を起こす。そして、未開の地を切り開き、着々と帰還の力を蓄えると、神聖紀942年、ついにエリーシア中原への軍事行動(東征)を始めた。
 時代は流れて、後セレーネ朝は途絶え、土着した王朝が次々と起こったが、人々のエリーシア中原への思いは、絶える事はなかった。
 セリム1世のエリーシア中原奪還宣言は、人心の捉え、急速に軍事力を増す原動力となる。そして、1221年秋、ついに侵攻の準備を整えたセリム1世は、3万の大軍を率いて、モス山脈を超え、シェルメール草原へ出陣する。後にいう第5次東征の開始である。
 カリハバール帝国軍は、シェルメール草原を領するアーカス都市国家連合国の街を、次々に攻略して行く。迎え撃つアーカス王カルロス2世は、父親であり、初代王でもあるカルロス1世から広大な領地と、武勇に優れた家臣団を受け継いでいた。だが、父カルロス1世がその豪快な性格と並外れた武勇とで、曲のある家臣団を統率したのに比べて、明らかにカリスマ性に欠けていた。即位して20年、今年で37歳になるカルロス2世だったが、未だに家臣団の信頼を得ていない。
 アーカス軍は統一した迎撃策をとることなく、一方的な撤退を繰り返した。
 1222年冬、ここに至り、単独での抗戦に限界を感じたカルロス2世は、聖サリス帝国に助けを求めた。



第一章 星火燎原


【神聖紀1223年3月、ブルサ】
 廃屋の中で、兵士達は各々外套に包まって眠っていた。暦では春になっていたが、夜になると急激に気温が下がり、兵士達の体を凍り付かせていく。
 ここはエリーシア中原の南部、ヴェガ山脈の西端に広がる丘陵地帯。西に進めば、シェルメール草原北部地域(西海州)の中心都市ニードス、東にはドネール湾とエリース湖を結ぶ大運河がある。かつては小さな集落が幾つかあったが、長引く戦闘の為にほとんどが廃墟となっていた。
「おい、一人来てくれ」
 元は玄関だった所から、兵士が顔を突っ込んで言った。
 オーギュストは顔を僅かに上げて、横の同僚ケビンと顔を見合わせると、じゃんけんを始める。決着は一回で呆気なくついた。
「ちぇ、お前、じゃんけんに負けた事があるのか?」
「覚えていないな」
 オーギュストはそう邪魔そうに答えて、再び外套の中に顔を突っ込んで眼を閉じる。ケビンはぶつぶつ言いながら、廃屋を出て行った。
――そう言えば、最後に負けたのは何日{いつ}だっただろうか……
 オーギュストは左目の眼帯に指を添える。
「この眼を失う前だったのは間違いないな」


【神聖紀1220年夏、カナン半島沖】
 水面は何よりも青く、空は眩い陽に覆われている。それは恰も少年達の未来のように、永久に広がり、光りに満ちていた。
 少年達は小さなボートを漕いで、白い砂浜に向かっている。
「セイッ! セイッ! セイッ!」
 少年達の掛け声に合わせて、一糸乱れずオールで水を掻く。その見事な連携に、彼等の団結力を見出せるだろう。
 ボートが砂浜に乗り上げると、少年達は奇声を発しながら、一斉に飛び降りる。そして、波打ち際を走りながら、白いシャツを脱ぎ捨てる。それを片手に絡めると、ぐるぐる振り回した。
 少年達は小さな島にいた。島はエリース湖南部のカナン半島から、沖に1キロほどの位置にある。直径60メートルほどの綺麗な円錐形をしていたが、生命力に溢れるエリース湖では珍しく、島には木が一本もなかった。
 砂浜の終点には、細長くそびえ立つ岩がある。少年達は競ってその岩に飛びつき、よじ登る。僅かなくぼみを利用して、器用に登り、まず一人の少年が登り切った。そして、湖を覗き込むが、その高さに思わず、たじろぐ。その隙に、別の少年が水面に向かって飛び出した。
「やったぁーー!!」
 少年の歓喜の声が、水飛沫に混じって、響き渡った。

 小石の散らばる坂を、最初に水面に飛び込んだ少年が登っていく。少年の背には、少年達全員の名が刻まれた石版があった。それを頂上部にある小さな祠に奉納するのが、彼が勝ち取った特権である。
 少年達は、エリース湖北方の国、ウェーデリア公国人である。研修用帆船アルバトロス号で、エリース湖を半年かけて一周する訓練を行っていた。アルバトロス号の訓練は厳しい事で知られ、団結心と勇気を徹底的に叩き込む。今期で48回目を迎えるが、これまで優秀な人材を多数輩出していた。航海の後半、例年、この地に至る頃には、幼かった少年達も、たくましく成長している。
 何日{いつ}、誰が決めたか、今ではよく分からないが、この小島の祠に、訓練生の名簿を奉納するのが、因習{ならわし}になっている。その役目は、砂浜に突き出した岩から最初に飛び込んだ者が行う事になっていた。だが、祠に何が祀られているかも、少年達は知らない。
 今年、石版を奉納するのが、オーギュスト・オズ・ディーンという14歳の少年である。彼はウェーデリア公国イズミック地方の下級貴族の四男に生まれた。幼い頃から帆船に憧れて、親の反対を押し切って、この訓練に参加する。ひ弱だった体も、力強く引き締まり、肌も真っ黒に焼けて、見違えるほど男の顔になっていた。
「ふぅー」
 オーギュストが石版を祠の基礎に立て掛ける。そこには、すでに変色し風化した物から、真新しい物まで、50枚近くが並んでいる。
 大きく息を吐いた後、額の汗を腕で拭い取った。任務を終えて振り返ると、眼下には、足元に広がる真っ青なエリース湖、その向こうには、カナン半島の深い緑が広がっていた。聞こえてくるのは、波の音だけである。自然の雄大な美に、オーギュストは暫し心を奪われる。
「すげぇ! 見渡す限り、俺だけの物だぁ!!」
 アルバトロス号が静かな湖面で、玩具のように揺れている。その手前の砂浜では、仲間達が手を振っていた。オーギュストは両手を突き上げて、この特権を手に入れた幸福感に満たされていた。
 ガタン!
 と、祠の扉が開く。オーギュストが驚いて振り返ると、ちょうど逆光になっていた。咄嗟に手で光を遮り、眼を細める。
「誰だ?」
 オーギュストが思わず呟く。
 相手も驚いたのだろう、素早く腰の剣を握っている。だが、すぐに緊張を解くと、何もなかったように、オーギュストの前を悠然と通り過ぎていく。
「聖騎士……女性なのか……?」
 白亜に輝く鎧をまとっていた。その紋章は聖サリス帝国を現している。オーギュストも騎士階級の末端に属しているが、権威では天と地の開きがある。憧憬の心が怯えを呼び、オーギュストは足をするように2歩ほど後退りする。
 騎士は、さらさらの黄金の髪を、きつく後ろに引っ張り束ねている。その小さな顔をより小さく感じさせていた。青く澄み切った瞳は、目尻が少し吊り上がって凛としていた。
 オーギュストはその颯爽とした姿に、思わず魅入ってしまう。
 聖騎士はアルバトロス号の反対側に降りて行く。オーギュストはその背を呆然と追った。とその視線の先に戦艦を見つける。
「サリス軍の船か?」
 彼女が見えなくなるまで、オーギュストはその場に立ち尽くす。そして、足元の小石が崩れて、オーギュストは2メートルほど転げ落ちてしまう。

 この翌日、穏やかな晴天が続いていたエリース湖に、突然、激しい嵐が起きる。エリース湖で、これほど急激な天候変化は珍しい事だった。アルバトロス号は木の葉のように水面を漂い続ける。そして、マストを下ろそうとしたオーギュストは、荒れる水面に放り出されてしまった。
 この事故で、オーギュストは左目を失った。


【神聖紀1223年3月、ブルサ】
 一時間ほど経っただろうか、オーギュストが所属する分隊に集合がかかった。夜はさらに更け、雨はまだ薄く降っていた。
「偵察部隊から報告があった」
 小さな天幕の中で、深緑色の軍服を着た10人の兵が並ぶ。それを前にして、分隊長であるサンダース軍曹が、作戦の説明を始めた。
「30キロほど東南の山中に、隕石らしき物が落ちた」
「隕石なんて珍しくもないでしょう」
 ケビンが眠りを邪魔されたからか、不満げに言った。
「カリハバール軍の、あの魔術士が目撃されている」
 サンダースは全く動じる事無く、低い声で返す。それに、ケビンは口笛を吹いて、口を閉ざした。
「何かの儀式をする気らしい。調査、監視、そして、必要であれば阻止する。以上」
 サンダースが言い終わると、オーギュストは小さく頷くと、愛用のボウガンを肩に担いで、雨の中へと出て行く。
「ああ、また山歩きだよ」
 先ほどの不平をもらしたケビンが、声をかけてきた。
「ケビンさん、分隊長に不満でもあるの?」
 ケビンは首をすくめる。
「分隊長に不満? そんなものはないさ。ただ俺たちは水の上でこそ価値がある、と思うだけさ」
「そりゃそうだけど……」
「だろ。俺はその辺をもうちょっと考えて欲しい訳さ」
「でも、分隊長が戦えと言うなら、ぼくは喜んで戦うだけ」
 そう言って、オーギュストは歩みを速める。それにケビンはまた口笛を吹いた。オーギュストはサンダースに全幅の信頼を寄せ、兄のように慕っている。それはオーギュストだけでなく、この分隊全員に言える事だった。
 オーギュスト2等兵はウェーデリア軍アルバトロス小隊に属している。
 昨年末、アーカス王カルロス2世の要望に答え、聖サリス帝国皇帝カール5世は、『我らのエリース湖を守れ』と檄を飛ばす。そして、兄弟国である聖サイア王国の協力を得て、約4万の大軍を構成した。
 この時、ウェーデリア公国は公王派と反公王派に分裂していた。ウェーデリア公国は、神聖紀1045年に、アルティガルド王国から独立した国家で、ウェールズ山麓に位置し、豊かな自然に恵まれている。しかし、建国以来、公王の権力は弱く、地方に根を張る騎士が大きな力を有していた。
 ウェーデリア公王エドワード2世は、カリハバール帝国の東征をエリーシア社会最大の危機と考えた。そして、エリーシア世界を支える一人として、サリスに組してカリハバールと戦う事を決意する。
 この援軍派遣に、ウェーデリアの若者達は湧き立った。純粋培養された騎士道精神は、若者達の正義感を煽りたて、『カリハバールの蛮行を許すな』と、軍に志願する者が殺到した。
 そして、その中に、アルバトロス号の卒業生グループがあった。サンダースはこの時の中心的存在だった。サンダースは20代半ばで、細面だが、妙に風格がある顔立ちをしていた。毛織物で財を成した大商人の御曹司で、血筋なのだろう、人を統率する才覚に恵まれているようだった。


【神聖紀1223年3月、セリア】
 聖サリス帝国の首都であり、文化芸術の都であるセリア。その中心に位置するルミナリエ宮殿の一室で、カール5世(聖サリス帝国第12代皇帝)は、アンリー7世(聖サイア王国第10代王)と会っていた。
 カール5世は50歳を少しばかり過ぎ、髪の毛も随分白い物が混じり始めている。サリス帝国の威光を取り戻す事を、生涯の目的として生きてきた。積極的に貴族間の争い(領土紛争、相続問題)に介入し、時には戦いを煽り、双方の力を削いだ。陰謀の才能があったのだろう、即位以来二十数年、サリス平野とセレーネ半島の大半を支配下に取り戻していた。
 一方、アンリー7世は凡庸な君主であった。カール5世よりも20歳ほど年上だが、生涯一度も国政に興味を示さず、全てを家臣に任せてきた。それでも、サイア王国は文治主義政策が行き渡り、治世は平均して安定していた。しかし、最近では、官僚の増加による出費の増加と軍事力の弱体化に悩まされている。
 二人は、巨大なカール大帝の肖像画の前で、チェスを楽しんでいた。
「長引いていますな」
 アンリー7世の声に、カール5世は長考から顔を上げた。
「いや、戦争ですよ」
 呑気な口調で言っている。
「それも、もうすぐ終わりますよ。敵を一ヶ月以内に葬り去りましょう」
 カール5世は駒を動かしながら、簡単そうに言い放つ。
「ほお」
 アンリー7世はカール5世の言葉ではなく、その差した一手に感嘆の声を上げた。
「敵は、戦力をブルサに集結させるつもりのようだ」
「ブルサに?」
「そう。ブルサを突き破って、一気に大運河を征するつもりなのでしょう。さらに、セリム1世、自らから乗り込んでくるらしい」
「それは一大事ですな」
 まるで他人事のように、アンリー7世が駒を動かす。この戦争での主戦場は、ヴェガ山脈のシェルメール草原側であった。エリーシア中原の多くの者にとって、世界とはエリース湖であって、ヴェガ山脈の果てなど地の果てにも等しかった。故に、アンリー7世のように他人事のように感じる者も多かった。
「しかし、敵の首魁に手が届く、好機でもある」
「その顔ですと、御身を運ばれるつもりか?」
「チェックメイト」
「へ?」
 盤面を覗き込むアンリー7世を置き去りにして、カール5世は立ち上がった。
「我がサリスが誇る白亜聖騎士団の力を、天下に示す時が来た。サイア王には、蒼鷹聖騎士団をお貸し願いたい」
「あ……あ、いや、しかし、それは評議会を通さねば……」
 アンリー7世の答えを待たずに、カール5世はバルコニーへと歩き出していた。その視線の先には、星空を写す、夜のエリース湖が広がっている。
「セリムなど一蹴してやる。次は貴様だ。ヴィルヘルム(アルティガルド国王)」
 カール5世の眼光が、夜の闇を貫く。

 その眼光が差す方向から、少しずれた方角に、ダンスホールがあった。この日、カール5世の長女ローズマリーの誕生日を祝う、盛大なパーティーが催されていた。
 この日22歳を迎えた美姫ローズマリーは、癖のない黄金の髪を背中まで伸ばし、エリース湖のように澄んだ青い瞳をしている。一つ一つの動作に、優雅さと気品があり、万事に穏やかで控え目であった。その容姿と性格は、誰かも愛されていた。
 ダンスホールでは、華やかな音楽が奏でられ、サリス中の貴人達が優雅に踊っている。しかし、この場の主役は、式場を抜け出して、木々の影の中に潜んでいた。
「皇帝陛下に認めて貰えるように、私も努力しよう」
「そのお言葉、何よりも嬉しいですわ。でも、やはりどう考えても無理です……お父様がお許しになる訳がありませんもの……」
「マテオ(ド・ルブラン)如きに、あなたを渡す事など、どうして私にできようか」
「ああ……アベール様」
 木の影にはもう一人、ローズマリーを抱く男がいた。ローズマリーと同じ黄金の髪を持ち、それを清潔に切り揃えて、優しい顔立ちをしている。聖サイアの王太孫アベールである。幼い頃から互いを知る二人は、自然と惹かれ合った。しかし、二人には、それぞれの祖国に対して責任があった。
 サリス帝国には、後継者となる男子がいない。カール5世は、第1皇女ローズマリーに、親族であるルブラン公爵家から婿を迎えようと考えていた。それがマテオである。またサイア王国では、老齢のアンリー7世に代わって、アベールが政務の一端を担っている。アベールの父であり、アンリー7世の一人息子だったアンリー王子は早世しおり、他に重責を果たせる者はいない。
「でも……」
 アベールは人差し指を口の前に立てる。
「あなたの為なら、私は祖国を捨てよう」
 甘い言葉に、ローズマリーはその胸に顔を埋める。

 その二人を見詰める瞳が、ダンスホールと本館を繋ぐ、渡り廊下の柱の影にあった。ローズマリーの妹、第2皇女ティルローズが、細い柱に寄り添って立っている。
 容姿は姉によく似ていたが、勝気な性格で、瞳には鋭利な輝きがあった。誰に対しても物怖じせず、はっきりとものを言い、頭の回転も速い美姫である。また、幼い頃から剣を学び、姉の抱き締めれば折れてしまいそうな華奢な肢体と違い、鍛え抜かれた身体をしていた。最近では常に聖騎士の軍服を纏い、髪は後ろで簡単に束ねて、王女には不釣合いなほど無骨な格好をしている。
「……」
 無言で見詰める瞳には、悲しみの色が混じっていた。
「おやおや、大胆だね」
 背後で声がする。ティルローズには振り返らなくても、その声の主は分かっていた。
「相変わらず、軽薄な声しか出ないようだな。ラスカリス」
 サイアの貴族で、伯爵公子であるラスカリス・ファン・デルロースが、ティルローズの横に並ぶように立つ。ラスカリスの叔母ミレーユは、第3皇女メルローズの母親である。 カール5世には正妻の他に、二人の側室がいた。正妻とは不仲で子がない。側室にはミレーユの他に、ローズマリーとティルローズの母はドロテーがいた。ドロテーの素性ははっきりしておらず、吟遊詩人だったと言うのが通説である。ティルローズを出産後、行方不明になっているので、人々の想像を膨らませた。ドロテーは誰もが見惚れる神秘的な美しさを持ち、動物や植物と話しをする不思議な女性だったと言う。一説には、額に三番目の瞳を持つ多眼人だったというものもあるが、多眼人は100年ほど前に絶滅している。
 ラスカリスは従兄妹にあたるメルローズを通して、皇女達と親しい関係にある。きざで自信過剰な性格をし、嫌味な言動が多い。ただ交友関係は広く、宮廷サロンの有名人でもあった。
「相変わらず、きつい事しか言えないようだね。ティル」
「何のようだ」
「いやなに、失恋に打ち沈む女性を慰めようと思ってね」
 そう言って、ティルローズの肩に手を回そうとする。だが、ティルローズはさらりとそれをかわす。
「私にそんな女のような感傷はない」
「女だよ、君は。それもとびっきり美しい――」
「私は戦士だ」
 ティルローズは強く言って、ラスカリフを睨んだ。それにラスカリスは、態とらしく肩を竦めた。
「二度と不愉快な事を言うな!」
 吐き捨てるように言った。そして、楽しげな音楽と笑い声を背にしながら、人気のない廊下を歩き出す。
「そうだ。私は誓ったのだ。あの夏、あの無人島で、伝説の闘神に……」
 小さな声で囁くと、急に立ち止まり、暗い湖を見る。
「闘神よ――
 ティルローズは小さな祠の中で、跪き誓いを立てる自分の姿を思い出していた。
「伝説の闘神よ。エリーシアの安寧の為、戦う力をお与え下さい。陛下を、お姉様をお救いください。闘神よ、一生あなたにおつかえします。どうか願いをかなえて下さい」
 美しい線を綺麗に重ねた二重瞼を閉じた。


【神聖紀1223年3月、ブルサ】
 サンダース分隊は、隕石の落下地点をすぐに見つける。そこに残されていた足跡を追って、地図にない洞窟に至る。そこで、サンダースが即断した。
「よし突入するぞ。マックス上等兵、本部へ報告。それから、ホーキン貝を寄越せ。ギュスはここを見張れ」
 サンダースに呼ばれて、丸い顔に丸い眼鏡を掛けた大柄な男が、背負っていた荷物から、金属の箱を取り出す。金属の箱を慎重に開けると、粘り気のある透明の液体から、2枚貝を取り出した。これはエリース湖に生息する2枚貝で、ホーキン貝と呼ばれる。特殊な液体に浸していおくと、二つに割った貝同士で、音を伝え合う事ができる。大きな貝ほど、遠くまで鮮明に声が聞こえる。その特性を利用して、魔術通信として使われている。
 マックスは貝を割って、一方をサンダースに渡す。それを受け取ると、サンダース達は、洞窟の中へ踏み入る。
 洞窟の入口に残ったオーギュストは、ボウガンを構えて周囲を見渡す。その後ろで、マックスが、サンダースに渡した物の3倍ほどもある貝で、本部への報告を行っている。
「いいよな……」
 体に似合わない柔らかい声で、マックスがぼそりと呟く。本名はマクシミリアン・フォン・オイゲンといい、アルティガルド貴族の末裔らしいが、正否は本人にもよく分からないらしい。はっきりしている事は、文明の発達したアルティガルドで3代続く魔術通信技術者の家系であると言う事。父親の代に、ウェーデリアに招かれたと言う事である。
「何か?」
「いや、スレード卿から、誘われているんだろ?」
「ええ。……でも、情報局になんて興味ないですよ」
「いいよな。俺なんか何処行っても、こればっかやらされる」
「特技がある、と言う事はいい事ですよ」
「だけどねぇ、俺も英雄みたいになりたいよ」
 一通り仕事を終えて、マックスは溜め息混じりに愚痴り始める。それに対して、オーギュストは振り返らず、さばさばと答えていた。
「お前は俺が見ても凄いよ。昔はただの餓鬼だと思っていたが、ここに来て初めてお前の凄さに気付いた。ほんと凄いよ」
「……そうですかね」
「この分隊の手柄は、ほとんどお前の働きだ。うん、働きだ」
 マックスは自分の言葉に、一人で納得して頷いている。
「お前は一を聞いて十を知る、稀有な存在だな。あの時も――」
「全部、分隊長の判断、指示が優れていたからですよ」
 オーギュストはマックスの言葉を遮る。そして、会話も打ち切り、少し左方向に数歩ほど歩いて、マックスと意識的に距離を置いた。
――そう……俺はあの夏変わった。いや、全てを手に入れた……
 マックスから隠れた顔が、急に険しくなる。

 3年前の夏、オーギュストはアルバトロス号の事故にあって、湖を漂流した。それを助けたのが、シーズと言う老人だった。ボロボロの藍色のマントを纏い、常につばの広い帽子を被っていて、それはまるで顔を隠しているようでもあった。その帽子の下からは、長く白い顎鬚が垂れ下がっていた。
 オーギュストは事故で左目を失い、衰弱していたが、シーズの完璧と言っていい治療で、短期間で快復する。
 シーズはオーギュストに何も語らなかった。ただいつも無数の時計に囲まれた部屋にいて、じっと物思いに耽っているようだった。不思議な事は、その時計はどれもちぐはぐで、バラバラに動いていたと言う事である。
 グリューネルに到着すると、シーズはオーギュストに金の懐中時計と、黒い眼帯を贈った。金の懐中時計は壊れていて全く動かなかったが、シーズは、お守りだ、と笑って説明した。さらに、『お前に新しい刻を与えるだろう』と付け加えた。
 ウェーデリアに帰還して分かった事は、アルバトロス号は無事で、負傷したのはオーギュスト一人だったと言う事。そして、全てが変わった事である。
 オーギュストはすぐに自分の異変に気付く。どんな難解な本も、一度で理解できたし、そして、決して忘れる事はなかった。さらに、肉体には柔軟な筋肉が付いた。

「おい、始まったぞ」
 マックスに呼ばれて、オーギュストが振り返った。マックスは貝に耳を寄せて、戦況を把握しようと躍起になっている。
「随分派手だなぁ……」
「……」
 オーギュストも近づいて耳を傾けた。
「変じゃないですか?」
「何が?」
「これ、同士討ちですよ」
「はぁ? ――おい、待て!」
 オーギュストはマックスの意見も聞かずに、駆け出していた。洞窟には、発光している細い筒が点在している。これは筒を折ると、内部の光の精霊が反応して、一定時間発光するアイテムである。オーギュストはその光の点を追って、暗闇の中を駆け抜けていく。
 そして、ようやく開けた空間に出た。と、オーギュストは絶句する。
「これは……」
 オーギュストの目の前には、仲間の無残な死体が転がっていた。オーギュストは込み上げてくる吐き気を抑えながら、空間をぐるりと見渡す。そして、空間の奥に、恰も祭壇のようになった列柱空間を見つける。
 用心しながら近づくと、人の気配を感じた。
「なっ……!」
 円柱の影から覗き込むと、黒髪の美女が柱に抱きつき、黒いドレスをまくり上げている。その背後には見覚えのある男が立っていた。
「あ…ああん、あぅ……はん……ああん」
「これでお前は俺の物だ。俺だけの物だ! うぉおおお!!」
 男は絶叫しながら、腰を激しく打ちつけている。
「軍曹! サンダース分隊長!!」
 オーギュストは我を忘れて叫んでいた。その背中は紛れもなく、尊敬する男のものだった。だが、男が振り返ったとき、さらにオーギュストの心を凍りつかせる。
「魔獣人!!」
 瞳は獣ように狂い、口は裂け、歯は牙となって突き出ている。そして、肌は鋼のように黒い。
「うわぁあああ!!」
 かつてサンダースだったものが、狂気的な眼で、オーギュストを睨んで叫ぶ。
「まだ、生きているのがいたか。我が新しき僕[しもべ]よ。お前の力を見せよ」
 唾液で濡れた口で、くすりと女が笑う。
 女から離れて、魔獣人と化したサンダースが、まるで肉食獣のように、口から涎をだらだらと垂らしながら、ゆっくりと獲物に近づいていく。
「分…隊長……」
 オーギュストは思考が完全に停止し、ただその場に立ち尽くしている。そこに、魔獣人の伸び切った爪が襲った。円柱を紙のように切り裂き、オーギュストはその衝撃で後方へと転がる。
 全身を貫く痛みが、死を連想させた。それがオーギュストに戦う意識をもたらす。咄嗟に立ち上がると、弓を構えた。だが、オーギュストが矢を射るよりも早く、魔獣人の尖った牙が、矢のように飛ぶ。牙の数は4本。
――直撃する!!
 オーギュストの脳裏を、死のイメージが埋め尽くした。
 その時、ポケットの中から懐中時計が動き出す音が聞こえた。と、飛んで来る歯がスローに見えるようになる。時計が刻む一秒が、普段よりも遥かに遅い。オーギュストは顔を僅かに動かして、牙の軌道から逃れる。と、顔の横をまるで弱った虫のように、ふらふらと牙が通り過ぎていく。その直後に続く3本の牙も、同様に、体勢を維持しつつかわした。次の瞬間、背後で岩が砕ける音がした。
 オーギュストは狙いを定めて、矢を放つ。矢は魔獣人の胸を正確に捉えた。だが、一向に魔獣人は怯まない。オーギュストは続け様に矢を放ち、予備の矢の全てを魔獣人サンダースに打ち込む。
「効かないのか!」
 焦った声が、思わずもれる。
 魔獣人は口から緑色の血を吐きながらも、胸に刺さった矢を無造作に引き抜く。そして、不気味な野獣の咆哮を上げて、爪を頭上に掲げる。
 オーギュストはボウガンを投げつけ、入口に向かって走り出す。だが、魔獣人の口から、縄のような舌が伸び、オーギュストの足に絡みついた。バランスを崩したオーギュストが倒れ込んだ先に、切り刻まれた仲間の死体があった。
――血……赤い血!!
 オーギュストの顔に、仲間の血が塗り付く。その時、赤いイメージが脳裏を染め抜く。と、オーギュストの周囲に、深紅の炎が巻き起こった。それは渦を捲いて、急速に洞窟内に広がっていく。
「こいつ、精霊使いか。ええい、未熟者め。精霊が暴走している!」
 黒髪の美女が、忌々しげに叫ぶ。
「もうそいつはいい。ここはもう保たない。早くカプセルを!」
 そして、魔獣人に新しい命令を与える。
 魔獣人は炎の渦を避けながら、円柱空間の中央に置かれた、直径30センチほどの黒い球形の物体のもとへ走った。
 その頃、黒髪の美女は、列柱空間の最深部にある石門の前に移動している。石門には、びっしりとルーン文字が刻まれていて、黒髪の美女が両手を突き出して、呪文を唱えると、淡いグリーンの光がルーン文字を浮かび上がらせる。門の中では、絵の具が捻れ混ぜるように、光が幻想的な色彩で澱[よど]めた。
「さあ、早くこちらに!」
 じれったい様子で、魔獣人に命じる。それに魔獣人サンダースは、従順に従う。
 美女はすで片脚を門の中に入れようとしていた。だが、その時、魔獣人の動きが止まる。そして、身を慄かせて慟哭すると、ゆっくりと振り返った。その眼からは、血の涙が流れ出していた。
「ギュス!!」
 喉の奥から搾り出すような、悲痛な声だった。そして、球体をギュスに投げる。
「なっ!」
 その時すでに、黒髪の美女は光の中に消えようとしていた。
「失敗作かァ!!」
 黒髪の美女は、石門から手を突き出す。と、指輪の青い石が強い光を放ち、それを受けて、魔獣人に取り付いていた獣の精霊が、強制的に剥離していく。
「ギュス、これを! 仇を! 仇をォ!」
 最後の叫びを残して、サンダースの体は引き裂かれて、塵となって消えた。
「サンダース分隊長!!」
 炎の海の向かう側で、オーギュストが絶叫する。
「おっ、おい……」
 そこに、隠れていたマックスが駆け寄ってくる。
「に、逃げよう」
「追うぞ!」
「はぁ? どうやって……?」
 オーギュストは腕を伸ばすが、炎の壁に遮られて、前に進む事ができない。
「くっ」
 歯痒さに、表情を歪める。
「うッ、お、重い」
 一方、マックスはサンダースが投げた球体を持ち上げようとしていた。
「おい、早く逃げるぞ。ここはもう保[も]たない」
 オーギュストは、まだ女が消えた石門を睨んでいる。その時、燃え狂う炎が柱を溶かし、天井の一部が崩れ落ち始めた。
「ほら、早く」
 マックスがオーギュストの腕を掴む。
「……ああ」
 地の底を這うような鈍い声で答えて、オーギュストはようやく視線をマックスへ向けた。その瞬間、マックスはギョッとする。オーギュストの眼帯は取れ、その左目にあるのは、右の黒い瞳とは全く違う、深紅に輝く瞳だった。
「お、おい、お前……」
「行くぞ。……ちぃッ!」
 オーギュストは入口に戻ろうとしたが、すでに落盤で道は閉ざされている。逃げ道を失っている事を知って、オーギュストは舌打ちをする。
「お、おい、逃げられないのか?」
「……」
 狼狽するマックスがオーギュストの腕にしがみ付く。だが、オーギュストは冷ややかにそれを振り解いた。
「俺達、死ぬのか?」
「お前は、な」
「はぁ?」
「静かにしろ」
 オーギュストは懐中時計を取り出すと、それを壁に投げつけた。と、砕け散った金属の破片の中から、深紫色の渦が現れて、次第に大きくなっていく。
「おい、行くぞ」
「……行くって」
 オーギュストは、戸惑うマックスの腕を掴んで、その渦の中へと飛び込んで行った。


【ロードレス神国ジオ大神殿】
 天を突くウェーデル山脈の頂きに、月が欠け始めた頃、粗末な石造りの部屋の中で、女性が本から顔を上げた。月の明かりのように淡い銀色の髪、透き通るような美貌が、白い神官服によく映えていた。神官服の胸には、月影神官戦士兵団長を表す紋章が刺繍されている。
 ロードレス神国は、絶対神ジ・オを崇拝する宗教国家である。国土のほとんどが山岳地帯にあり、農地に適した平地は少ない。だが、ドワーフとの友好関係を築いて、石垣や石橋などの技術援助を受ける事で、生産性を向上させてきた。1044年に、アルティガルド王国から独立したが、アルティガルド王国との諍 [いさか]いは絶えない。国力の圧倒的劣勢を挽回できる理由は二つ。一つは地形、そして、もう一つが月影神官戦士兵団である。全員が魔法剣士であり、強い絆で結ばれた組織である。サリスの白亜聖騎士団と並ぶ、最高峰の一つであろう。
 アフロディース・レヴィは、この団長に、最年少で就任した女傑である。高度な知識を必要とする絶対魔法を、20代の若さで習得するのは稀な事だが、彼女はそれを成し遂げた。同時に、剣の才も非凡で、南陵流を極めている。その名はエリーシア中に鳴り響いていた。
 知と武、だがそれだけで彼女を言い尽くすことはできない。彼女は何よりも美の女神に愛されていた。鍛え上げられた腹部が神秘的なくびれを作り出し、重力を拒絶したかのように全く垂れていない美乳と、官能的な膨らみを持つ尻と合わせて、超グラマラスなシルエットを描いていた。
 全てを兼ね備えた彼女の一つ一つの動作には、全く無駄がなく、全てが洗練されていた。その可憐な脚の運びを見て、人々は水面を舞う白鳥を連想したほどである。
 アフロディースは団長の雑務に追われながらも、寝る時間を削って、魔道書を深夜まで読み漁っていた。彼女が今挑んでいるのが、『神装障壁(ジオ=シールド)』である。身体の前面に、半円形のレンズを作り出し、敵の攻撃を防ぐ。この高度な魔術の理論に、さすがの彼女も梃子摺っていた。
 アフロディースは、本から目を離すと、くっきりとした二重瞼の上を手で擦る。と、その細く秀麗な眉が、不審げに寄る。
「外が明るい?」
 アフロディースは訝しげに窓の外を見る。そこにはある筈のない輝きがあった。
「オーロラだ……」
 凍えるような満天の星空を突くように立つ、オベリスクの上にオーロラが見える。そして、オベリスクに瞬間、鮮やかな緑色の、幾何学的な模様の閃光が走った。
「オベリスクに、魔術が注がれている……」
 アフロディースは呟くと、部屋を飛び出した。
「誰かある!」


 深紫色の渦の中から出たオーギュストとマックスの二人を、闇黒の世界が待っていた。
「な、何も見えな……さ、寒い……」
 肌を焼く炎は消え、今度は逆に、肌を切り裂くような冷気に包まれている。マックスはただ怯えて震えていた。一方、オーギュストは白い息を吐きながら、疲れ切った体を、よろよろと立ち上げる。そして、赤い瞳が闇の中で輝くと、それに感応したのか、ライトブルーの光の板が、周囲の壁に浮かび上がった。そこには幾つもの映像が流れている。
「何だ、これ? どうしたギュス?」
 床に転がったマックスが、顔だけを上げて、小さく呟く。
「俺達の最終戦争……シヴァとの決着……エリースの死……」
 オーギュストはマックスの声を無視して、白衣をまとった人々が楽しげに談笑している映像へと歩み寄る。突然、目眩と頭痛を感じて膝を折った。揺らぐ視界の果てに、サッ、サッ、とデジャブーが滲んで見えてくる。

「見て。この白銀の世界を……ここが赤道直下だと誰が思えて……」
 見渡す限り氷の世界で、防寒服を着た女性が蹲っている。そして、嘆きの言葉とともに、その冷たい頬に一滴の涙を落とした。

「それではもう一度過ちを繰り返すだけ。私達は全ての生き物の多様性を信じるべきだわ。その可能性を歪めるような操作は、絶対に行うべきではないわ。私達は傍観者なのだから……そうでしょ?」
 美しい黒髪の女性が、青く輝く光をバックに熱く語りかけている。その潤んだ瞳は夜の湖面の煌きに似ていた。

 オーギュストの胸に言い様のない不快感がこみ上げて来る。その苦い感触は理性を蝕み、ぐらぐらと頭の思考を狂わせていく。溢れ出す自責の念が胸を締め付け、絶望感が体中の血の逆流させる。そして、オーギュストの意識は途絶えた。


【ジオ大神殿、地下牢】
 オーギュストが目を覚ますと、淡いグリーン色のカーテンから、眩しい光が差し込んでいる。外では小鳥がさえずっている。何一つ変わらない朝が、そこにはあった。
 次第に意識がはっきりしてくると、見上げている天井が、見慣れないものだと気付く。
「ここは……」
 戸惑いが、熱い衝撃になって、脳細胞を駆け巡る。
「うッ!」
 慌てて上体を起こすと、顔に激痛が走った。正確には、左目が焼けるように痛む。恐る恐る手を左目に運ぶ。そこには分厚い包帯が捲かれていた。
「気が付いたか?」
 ドアが開き、老人が入ってくる。
「あんたが助けてくれたのか?」
 オーギュストの問いに対して、老人の口もとだけが微かに笑った。
………………
……………
…………
………
……

 オーギュストは重い瞼を持ち上げた。
「ようやくお目覚めか?」
 何処からか、マックスの声がした。だがそれが何処から聞こえてくるのか、はっきりとしない。それどころか、どの位の時間が過ぎたのかさえ見当がつかない。体を少し動かしてみた。ジリジリとした痛みが全身にあった。また、熱があるのだろう、頭も重い。
「水か……?」
 顔に飛沫がかかっている。天井から落ちてきたものだと、しばらくしてから理解できた。その後、何度か瞬きをする。と、次第に思考がはっきりしてきた。背中が冷たく、固い。自分が石の上に敷かれた莚の上で寝ている事に気付く。
「ここは?」
 オーギュストは、顔を上げた。
「牢獄みたいだな」
 冷たい石に囲まれた小さな部屋。窓は天井付近に小さな物があるだけ。そして、鉄格子で廊下と隔てられている。その廊下の向かう側に、不貞腐れているマックスがいた。
「高級ホテルじゃないのは、確かだ」
「何処だ?」
「ロードレス」
「ロードレス…神国? ああ……そうか」
「ああ、そうかって!」
 マックスが大きな声で怒鳴った。
「少し黙れ」
「貴様、俺は先輩だぞ!!」
「黙れ!」
 マックスは鉄格子にしがみ付いて、凄い形相に睨む。だが、すぐに怯えたように息を飲んだ。
「……お前、その眼どうしたんだ?」
 オーギュストは左目に手を添える。それから薄く笑った。
「俺は何日寝ていた?」
「3日だ」
「その顔の痣、拷問でも受けたのか?」
「……うるさい」
 マックスは視線を外して、悔しそうで、それで、少し怯えの気持ちも入った、複雑な表情をした。
「一体どうなっちまったんだ。俺には知る権利があるはずだ。サンダース軍曹はどうして……。他の皆は……?」
 オーギュストは水の滴る天井を眺めながら、淡々と語りだした。
「分隊長達は例の魔術士を倒したのだろう。だが、その隙に、あの魔女は男を狂わず蜜を撒いた。密室で効果覿面、あの魔女を取り合って同士討ちが始まった。それに勝ち残ったのが、分隊長だったのだろう。餓えた分隊長はあの魔女を犯した。だが、その瞬間、儀式魔法が完成した。サンダース分隊兵士を生贄にして、分隊長は魔獣人と化した……。間違っては、いない筈だ」
「そんな……」
 マックスは青ざめて、唇がわなわなと震えている。
「何者なんだ?」
「知らん。あの球体を調べるしかない」
「お前は?」
「そのうち分かる」
 オーギュストは片頬を上げて笑った。
「それにしても、腹が減ったな」

 その時、廊下の奥の扉が開く音がした。
「おいおい、本当にまだ生きていたよ」
 小太りの男が、陰気な顔をしてやって来る。軍服の肩には伍長の階級章が貼り付いている。その後ろに、二人の部下が続いていた。
「おい、こそ泥。どうやって封印されている神殿に入ったか、白状して貰うぞ」
 そう言って、右手に持つ鞭を鳴らした。と、接触した床に小さな稲妻が走った。それを見て、伍長の後ろで、マックスが短い悲鳴を上げる。
「電撃鞭だ。こいつは一撃で泣き出したぞ。連れ出せ」
 肩越しに、親指でマックスを差す。それから部下に、檻から出すように命じた。オーギュストは、ぐったりと寝た姿勢のまま、虚ろな瞳で見上げていた。
 ガチャガチャと鍵を開ける。そして、二人の兵が入ってきて、オーギュストの腕を乱暴に掴んで立たせた。
「おい、さっさと出ろ」
 兵の一方が言った。
 その瞬間、突然、オーギュストが兵達の腕を振り解く。
「抵抗するな!」
 もう一方が恫喝する。
 だが、オーギュストは一切構わず、それぞれの額に手を翳す。次の瞬間、青い稲妻が掌と額の間で弾けた。
「ひぃ!」
 伍長が短い悲鳴を上げる。二人の額は裂けて、その場に崩れ落ちていく。
 オーギュストは、崩れる二人の腰から、素早く剣を抜き取ると、それを小太りの男へ投げた。
「ぐひぃ!」
 二本の剣が、正確に、伍長の胸を貫く。
 悠然と、オーギュストが檻から出てくる。そして、威圧的にマックスを見下ろした。
「俺の言う通りにするなら、出してやるぜ。それとも一生ここに居るか?」
 蒼白に顔を引き攣らせながら、マックスは小さく頷いた。
「す、すげえよ、お前……」


【ジオ大神殿、第一研究室】
 その頃、アフロディースは、オーギュストとマックスの持ち物を検めていた。部屋は東西に細長く、それを木製の棚で、3部屋に仕切ってある。南側には窓が並び、その手前には流し台があった。ドアは北側に一つある。何の変哲もない、殺風景な部屋だったが、ここがロードレス神国で最も高度な錬金術研究室である。その証拠に、棚の中には、貴重な素材が並んでいる。
 アフロディースと4人の白衣の男性が、部屋の中央に置かれたテーブルを囲んでいる。侵入者の所持品や服は、もう何度も調べている。それで、ウェーデリア公国軍の兵士だと分かった。ただ一つ、黒い球体が何なのか判明できていない。
「分からない。どの文献にも載っていない」
「オベリスクに関係あるのでしょうか?」
「分からん」
「金属なのでしょうか?」
「未知の素材だな」
「継ぎ目も無いぞ」
 男達は頭を上下左右に振って、あらゆる角度から覗き込んでいる。それをアフロディースは険しい表情で見詰めていた。
 今度の事件は不可解なことが多い。アフロディースは頭でもう一度整理する。
『まず、オーディンのオベリスクの地下室は存在すら知られていない、未発見のものだった。それに、地下室は完全な密室。彼らはどうやって侵入したのか。もし、侵入者の一人が、のこのこ出てこなければ、我々は入る事さえできなかっただろう』
 アフロディースはテーブルから少し離れ、棚にもたれながら腕を組む。
『侵入者の一人、大男の方を尋問したが何も知らなかった。もう一人、黒髪の男は、高熱で、かなり衰弱している。医師の判断では、もう快復の見通しはないと言う事だった』
「結局、何も分からないと言う事か……」
 アフロディースの言葉に、白衣の男達が何か抗議しようとした。だが、アフロディースは僅かに手を振り上げて、拒絶の意志を示す。そして、すっきりしない気持ちのまま、この研究室を出た。
『ウェーデリアがこれに関係しているのだろうか。だが、彼等の任地はブルサ……分からない』
 その時、アフロディースは宝物庫の前を通りかかっていた。と、扉が開いている事に気付く。慎重に中を伺うと、衛兵が二人倒れていた。それに話し声もする。すぐに、腰の剣に手を伸ばした。
「何をしている?」
 アフロディースは火のような怒りの色を顔に出し、剣のある眼差しで睨んだ。賊は二人。大男はまさに宝物をリュックサックに入れる瞬間で、その姿勢のまま、血の気の引いた顔で膠着している。もう一人の黒髪の男は、物色の最中だった。
「お前は?」
 偽装だったのか、アフロディースは思う。
 オーギュストは振り変えると、アフロディースを見て、口笛を吹いた。
「ここで何をしている?」
「俺の荷物を探しているんだ。お姉さん、知ってる?」
 オーギュストは双眸を好奇心に輝かせ、子供のような声で言った。
「どうやってあの地下室に入った。いや、何故知っている?」
 赤い瞳の異様さに気付きながらも、アフロディースは平静を装う。そして、剣先をオーギュストの顎に向ける。
「あのオベリスクの下には、空間のひずみがあるんだ。それに絶対魔術の波動を圧縮した渦で、次元に穴を穿つと、あそこに直結する訳だ。こういう感じで」
 オーギュストが腕をねじ込む真似をする。アフロディースは剣先を少しだけ振って、それを止めさせる。
「何が目的だ?」
「生き延びる為だよ。火攻めにあってね、逃げ道が他になかったんだ」
 真偽を探るように、じっとオーギュストを見据える。そして、迷いながらも、気になっていることを訊いた。
「あの球体は何だ?」
「やっぱり知ってるんだ。返してもらいたいなぁ」
「答えろ?」
「中身は俺も分からない。空から振ってきたから、神の落し物だろ」
「……ふざけるな! 床にうつ伏せになって、頭の上で手を組め」
 アフロディースは業を煮やして、声を荒げる。
「嫌だ」
 オーギュストは平然と答えた。
 それをアフロディースは鼻で笑った。そして、オーギュストの太腿を斬ろうと、剣を振る。だが、次の瞬間、アフロディースの剣は、青白いオーラを放つ透明な半円形のレンズに、弾きかれて折れてしまう。
「まさか……神装障壁」
「へぇ、さすが綺麗なお姉さんは違うね。でも、油断し過ぎだよ。俺が無駄に喋っているとでも思ったの?」
「……くっ、馬鹿な、歴代の大主教でも使いこなす者は僅かしか存在しない。最高度魔術を……何故お前が……」
 アフロディースは狼狽し、思考を混乱させた。それに対して、オーギュストは笑みを絶やさない。
「さて、今度はお姉さんに喋って貰おうかな。黒い球体は何処だ?」
 子供のような口調が、急に低音に変わる。
 アフロディースは剣を捨てて、短刀を抜く。だが、その時すでにオーギュストの姿は消えていた。
「なっ」
「こっち」
 背後でオーギュストの声がする。アフロディースは霹靂に打たれた。もはや呼吸を整える余裕すらない。神官戦士としての、南陵流の剣士としての誇りすら忘れて、右に左に、短刀を振り回す。だが、その瞳に、オーギュストの姿を捉える事さえできなかった。オーギュストはアフロディースの背後に居続けている。
「はぁはぁはぁ……」
 ついに、アフロディースは荒い息を吐いて、その動きを止めてしまう。
 その瞬間、両手を掴まれる。そして、強い力で壁に押し付けられる。
「……私は何も話さん」
「いいね、その言葉。でも、瞳が震えてるよ」
 オーギュストはいきなりアフロディースの唇を奪う。
 たったそれだけで、さっとアフロディースの頬に朱が差した。そして、瞳がとろんと、桜色の霧に覆われたように、悩ましく弛んでいく。そして、くらくらとオーギュストの胸に崩れ落ちていく。
 唇が離れた時、アフロディースはまるでSEXした直後のように、淫らで満足そうな息を吐いた。
「さぁ、話してごらん」
「……はい……」
 視界が白く歪み、そして、そこで意識が途絶えてしまった。


【ロードレス神国の山道】
 オーギュストは牛車に揺られていた。荷車に積まれた藁の上で、大の字になって寝ている。服は宝物庫から持って来た魔術士用の黒いローブを纏っている。
 太陽が最も高い位置にある。強い陽射しが降り注ぎ、閉じた瞼の下から、銀色の光り入り込んでくる。ロードレス神国は高地にあるので、太陽に近づいたためだろう、と変な事を考える。
 光りは眩しかったが、熱くはなかった。高地の涼しい風が吹き抜けると、山肌を覆った雑草の匂いを運んできて、なんとも心地よい。
「これからどうすんだ?」
 マックスが手綱を持ったまま、振り返って訊く。
「無粋だねぇ、お前は」
 オーギュストはくすくすと笑う。
「もっとこの風と光を楽しもうよ」
「俺はそれより風呂に入りたいね」
「そりゃそうか。じゃこのまま真っ直ぐ。もうちょっと行くと谷がある。そこに知り合いがいる」
「大丈夫なんだろうな」
「貸しが一つあった筈」
「一つかよ!」
 マックスは顔を顰めて呟いた。それを聞いて、オーギュストは腹を抱えて笑った。
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Date:2011/01/09
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* あとがき

要望がありましたので、試しに、過去分を掲載することにしました。本来なら、校正するべきなのでしょうけど、どうも情熱がわきませんw
申し訳ございません。
掲載方法も、これでいいのか、よく分かりません。アドヴァイスがあれば、誰か教えてください。
ではでは。
2011/01/09 【ハリー】 URL #- 

* No title

 理想郷か小説家になろうに投稿するのはどうでしょう?ここだと人目につきにくい様に思います。
2011/01/11 【sana】 URL #YjTMmlic [編集] 

* じっくり考えました。

投稿もアリだと思いますが、でも、やっぱり、更新の主導権を失うのは、何かと不便なような気がします。それに、メジャーなところでやっていく自信もありません。結構、打たれ弱いのでw
ということで、ここで、もうしばらくひっそりと活動を続けます。
2011/01/15 【ハリー】 URL #- 

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2011/02/07 【】  # 

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